2018年5月25日 (金)

余命1年日記 -115- できることがない (5月第4週 2018.5.25)

  1. 最近の記録

 

5月   8日      K病院  本館233号室  入院

       21日      K病院新館 2階

                     地域包括ケア病棟に転棟

       22日      CT造影撮影

       23日      F先生 回診  造影写真解説

       25日      (いまここ)

 

 

あわただしい。

 

特に今週に入って  いろんな事がありました。

順番に書いていこう。

 

まず21日、 病棟を変わりました。

以前もお世話になった地域包括ケア病棟。

 

この日の午前中に昼寝していると、

介護士が入ってきた。

『荷物をまとめて下さい』と言う。

なにも聞いてないし  寝起きだから不機嫌に

『あ゙?』と訊いたら、看護師が来た。

『11時に次が入るから  すぐ移動して下さい』

だそうだ。

 

今回の入院はみんな冷たいな、と思いながら

『どこに行くのか』と訊くと

『新館2階』だという。

地域ケア病棟があるフロアだ。

今回の入院中にCT造影撮影をやることは

聞いていたから『一般病棟でなければ

検査は受けられないのでは?』と訊くと、

看護師は返事に詰まる。

 

最後にF先生が出てきた。

『受けられますよ、検査』

『でも、地域ケア病棟では  検査は・・・』

『まあ、そんな杓子定規な運用をしてる訳じゃ

なくて、実際は退院調整のベッドですから』

と、正直だ。

『233号室は窓が両側にあって、

せっかく気持ちのいいベッドだったのに・・』

『そんなことはどうでも・・・』

・・・今回の入院はスタッフも先生も冷たい。

『10時に来て11時に次の人が入るって

言うから驚きました』

『僕も驚きました』

『先生が決めたんじゃないんですか?』

『「いつでも移れます」とは病棟に

言ってありましたが』

 

そうか、患者をなんの病棟に入れるか

「一般病棟」か「地域ケア病棟」かという事は

ドクターが判断するのだが、

いつ何処に、という事柄は

病棟の師長が判断するのだ。

『あいつを早く一般病棟から出せ』という

「誰か」の意思が働いていたのかと心配した。

 

 

 

 

21日午後  2回目の精神科の診察。

三井のリハウスのCMに出てくる、俳優の

笹野高史そっくりのM先生と  しばらく話す。

若干頼りない。

私が離婚していて、家にいるのはボケた父だけ

退院後は家族のフォローが期待できないので

大変である。ということくらい、

精神科の医者なら問診の前に家族票とかで、

読んでおいて欲しい。

『へぇ、離婚されてるんですか』と言われると

ガッツリ疲れて信用できなくなる。

顔が長い。

 

この先生に、退院後どうすべきかを聞いてみた

すると『退院しても外来でこうやって

僕のところまで来て  話をしてくれたら

入院まで必要だとは思いません』という。

ほう

ちなみに入院についてどのくらい知っているか

と訊くと、ほとんど知らないという。

23日にF先生に聞いても、同じだった。

『入院についてはよく知りませんが、

まっさらな状態での病状の変化を視たい』と。

汚染されている訳じゃないんだけど。

 

内科のF先生が知らないのはわかるが、

精神科のM先生が知らないとは。

K病院のように上品な患者が来る病院では、

依存症患者など診る機会がないのだろう。

医者であっても一般の人の『精神科の入院』に

関する知識は想像以上に乏しいようだ。

 

自助グループに通うのを復活させようと思う。

入院しても院内でやることは同じなのだ。

患者同士でミーティングする、時間が経つと

院外のミーティング場に行って参加する。

 

繰り返すが、時間がないから入院はしたくない。

かつて10年以上、阪神間のミーティング場を

回ったことを思うと気が重いが、

やってみるか。

M先生も、長い顔でこれを薦めた。

 

入院や自助グループについて

全然言葉が足りてないな。

ここの部分は、後で稿を改めて書き直します。

 

 

 

 

 

22日午後  CT造影検査。造影剤を点滴で注入。

「点滴」というから、造影剤を上から吊るして

滴らせるのかと思ったら、注射筒に入れた薬を

オペレーターの人がシリンダーを押し込んで

全力で注入していた。

一通り撮影が終わった後で、彼がしきりに掌を

揉んでいたから、ものすごい圧力が

必要だったらしい。

 

 

 

23日昼前  F先生回診。

造影検査のCT画像を見せてやる、

というので病棟のナースステーションの

パソコンを使い、モニターを見ながら話した。

 

造影検査というのは始めてだ。CTのX線を 

遮るんだか吸収するんだかする造影剤が、

臓腑の隅々まで染み渡ったところを撮る。

すると、血管が白く見える。

 

血管が走る様子がみえる。肝臓、食道などの

臓器は毛細血管の塊なので、形なりにぼんやり

明るく見える。

 

『CTを撮ったら、いいところもありました』

へえ・・・。

『腹水がなくなりました』

本当だ。臍の下に分厚くあった腹水がない。

『あと、ガンがありません』

F先生の前に診て貰っていたK先生が、ガンに

ついてはかなり徹底的に調べてくれた。

見つからなかったから  その事を言うと、

『でもK先生が診たのは5年前でしょう』

そんなにガンに罹りやすいですか。

『肝硬変はかなりの高率でガンを併発します』

・・・高率。

『万一いま罹っても、まあ・・・』

どちらが先か、のチキンレースということか・・・

 

『肝硬変がはっきりわかりますね』とF先生。

ぎょっとして画面を凝視すると、

『肝臓の表面が滑らかじゃなくて、カクカク

しているでしょう』言われてみるとそうだ。

肝臓の全周がカクカクしている。

『全部固まってるみたいなんですけど・・・』

『まあ、端から固まって行くわけでもないし』

生きている部分はどこだ?

 

解像度を上げれば、もっと細かく血管の走行が

見えるらしいが  この程度のぼんやりさでも

肝臓の中央部に蛇のようにうねるひときわ太い

門脈が見える。

肝臓の右にいびつに潰れた  丸い食道が見える。

食道の回りに小さな丸がたくさんある。

肝臓に向かう門脈系の静脈である。

画面をスクロールして、体の断面を上下に

動かしてやると  この静脈たちが食道の回りを

踊るように動きながら、現れては消えていく。

『この画面ではっきり見えるということは、

この辺の血管はみんな静脈瘤があります』

とF先生。

 

さらに内視鏡で撮った映像を見ながら

静脈瘤は食道よりも、噴門を入った

胃の入口に多い、と説明してくれた。

胃の中は内出血しているので、胃壁の表面に

血が滲んで真っ赤だ。

 

食道にも胃にも静脈瘤がたくさんあることは

わかった。内出血もある。

どうしよう。

『いまの時点では打つ手がないんです』

なに?

『静脈瘤がある血管がみんな細すぎるんです』

どういうことだ?

 

 

 

 

 

実は今回、入院を延長して

造影検査をしたのには理由があった。

『静脈瘤破裂をなんとかしよう』ということ。

 

端的に言うと、他にやることがないのである。

 

肝硬変の根治治療として、現在唯一可能な

肝臓移植は、生体肝、脳死肝いずれも

可能性がなくなった。

ショックだった。その後、

断酒の誓いを忘れるくらいには  やさぐれた。

 

iPS細胞を使った再生医療というのは、

間に合いそうにない。STAPわぁ  なかったし。

 

 

 

そうなると今できることは、

次々に現れる肝硬変の合併症、腹水や立ち眩み

静脈瘤破裂などに対処することである。

 

一昨年の夏  あれほど苦しみ  名医F先生をして

『このまま改善しなければ余命1年』と

言わしめた腹水は見事になくなった。

今回のCT画像を見ると、体の中心部には

多少残っているが  穿刺が届くくらいの

体表部からはなくなっている。

なぜだろう。

F先生も首を傾げていたから  正直な奴だな。

その割にウェストは90cm以上あるのだが、

こういう風にブクブク脂肪が付くのも、

肝硬変 の合併症だ。

しかし、これはすぐに命に関わる訳ではない

ので放置している。

 

立ち眩みも怖い。以前倒れて鼻を折った時から

基本的には何の改善もしていない。

今も上の血圧が100前後と若干低いが、これも

手の打ちようがないんだそうだ。

ふう

 

 

命に関わる肝硬変の合併症として、いま一番

問題なのは静脈瘤破裂である。

しかも今回、6Iに嫌われてしまったから、

奇数日に破裂してしまったら、命に関わる。

いつ破裂してもおかしくない静脈瘤をたくさん

育ててしまったことは私に責任があるが、

半月おきに破裂するのは、私の責任ではない。

酒のせいでもない。

 

冗談はともかく、こんなにしょちゅう

破裂されたら『「徐々に」体が衰える』のでは

なく急速に衰弱する。

 

 

 

 

静脈瘤の治療法として、一般的なのは内視鏡を

使う方法で、ひとつは食道、胃などに内視鏡を

挿入し、静脈瘤の外側から硬化剤を注入する。

静脈瘤硬化療法(EIS)という。

 

もうひとつはゴムバンドで静脈瘤を結紮して

(けっさつ=縛って固定する)静脈に血栓性閉塞を起こし、

それによって出血を止めるもの。

静脈結紮術(EVL)という。

 

また、硬化剤の注入に際して

内視鏡を用いるのではなく  静脈にカテーテル

を挿入してレントゲンを見ながら操作し、

静脈の内側から硬化剤を注入する方法もある。

 

さらに、以前腹水を減らす方法として

薦められたTIPSPSEも、亢進した門脈圧を

下げるので、静脈瘤が出来ることや破裂する

ことを防ぐ効果が期待できる。

 

 

 

私に関しては いままで静脈瘤、となると

迷わずゴムバンドで結紮するEVLという方法を

採ってきた。

 

しかしこれだけ方法があるのだ。

EVL以外に適する方法はないか?ということで

まずは予備の調査として、

今回の造影検査をおこなった。

これで血管の走行を確かめ、破裂してないけど

危ない静脈瘤に硬化剤を注入する方法はないか

と考えた訳である。

F先生が。

 

だから、造影検査後 初めての今日の診察は、

選択肢がたくさんあるけどどれにしよう、

という  うれしい悩みを相談されるものだと

思っていたら、

『今の時点では打つ手がない』だと。

どういうことか、と訊くと

『静脈瘤ができた血管がみんな細すぎる』

んだそうだ 。

これだけ細いと食道や胃にへばりついている

静脈瘤は扱いにくい。

つまり、硬化剤を注入したり

ゴムバンドで結紮するのがむずかしい。

食道の回りの静脈は捕まえるのも無理。

 

さらに静脈瘤ができた場所が悪い。

胃の中に静脈瘤があると、喉から内視鏡を

差し込んで、上から施術することができない。

静脈瘤を下から狙うために

胃の中で内視鏡を上に反転させることになる。

これも無理。

 

静脈瘤を結紮する場合も、血管が細く静脈瘤が

小さいので無理。胃の中も同じく困難。

 

腹部から針を刺して、血管にカテーテルを挿入

して、内部から硬化剤を注入する方法も

静脈瘤が小さすぎて無理。

また、肝臓を貫通してカテーテルを刺すことに

なるが、肝臓が負担に耐えられるか問題。

 

TIPSやPSEは前にもH先生に言われたように

肝臓が弱りすぎていて無理。

直近の血液検査でChild Pughスコアが、

CからBに上がっていたが、

『まだまだ』なのだそうだ。

 

 

思い出しながら書き出しただけで

これだけある。

よくもまあ、うちの肝臓をここまで悪し様に

言いやがったな、と思うが  事実なのだろう。

『これでもう少し、静脈瘤が大きくなったら

施術できる箇所が多くなるんですが・・・』と

出来の悪い冗談を言う。

静脈瘤が小さいなら破裂しないだろう、と

単純に思うのだが、これでこのまま退院したら

また、ひと月経たずに破裂させてくるんだ。

何度も裏切られてきたじゃないか。

 

 

できることがない。

 

 

『退院しましょうか。』

『退院しますか?』

『できることがないんなら・・・』

『・・・』

『しかし座して死を待つ、

    というのは悔しいな・・・』

『それなら・・・』

ということで最後にF先生が出してきた手が、

『降圧剤を服む』という方法だった。

 

静脈瘤破裂の原因は門脈圧の亢進。

血圧と門脈圧は違うが、血圧を下げる作用が

ある降圧剤を服めば、門脈圧も下がるそうだ。

試してみますか?⁉️ということだ。

 

よういろんなこと考えよんな、と思うが、

他に方法がないなら試すしかない。

イワシの頭でもイモリの黒焼きでも試すさ。

『でも、血圧を下げて立ち眩みが酷くなったら

元も子もありません』

 

ということで、この週末は

『降圧剤を服んで立ち眩みは出るのか』

ということの実験を、自分の身体を使って

やっております。

 

具体的には薬を服んで寝ることです。

とろとろと寝てばかりいます。

あまり血圧は下がりません。

上が100から120くらいです。

日大の監督は、いけないと思います。

ベッドから勢いよく起き上がると、もれなく

頭から血が引いて、視野が狭くなります。

栃ノ心に優勝して欲しいです。

ひまだ

 

 

 

 

 

残り- 302

  

  

 

 

焦りはあるけど  出来ることがない。

 

 

 

 

 

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ここまで書くのにこんどは9日かかった。

 

 

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2018年5月16日 (水)

余命1年日記 -114- 転院の理由 (5月第3週 2018.5.16)

最近の記録

 

5月   3日      静脈瘤破裂

                      六甲アイランド病院  再入院

         8日       六甲アイランド病院  退院

                       K病院  入院

       14日      (いまここ)

 

疲れた。

治療と関係ないことで一日中走り回された。

ややこしい書き方をしているが、

今回もやったことは『転院』。

六甲アイランドからK病院に移ってきました。

 

2日、大雨の日の深夜に静脈瘤が破裂した。

場所は食道ではなく、すこし下りた胃の中。

最初はゴミ箱に入っていたカップラーメンの

カップに吐いたが、

すぐに間に合わなくなってゴミ箱本体に、

咳をする度にえづいて吐いた。

それでも、今回は

『内視鏡でクリップ止めせずに、

前回みたいに自然に治らないか』と

淡い期待をもって唸っていた。

時々は治まったように思えたが、

結局血は止まらず、何十回目かの吐血をして

トイレに行こうと立ち上がったら、

二歩で目の前が真っ暗になって倒れそうに

なったので、諦めて救急車を呼んだ。

 

吐血をして下血して、体中から水が出ていくと

喉が渇く。

しかも今回は病院に行くのを避けようと、

10時間くらい血を上下から出していたから

猛烈に喉が乾いた。

4月に、親父に挨拶に来た二番目の姪と

その婚約者君が買ってきてくれた、

2lのペットボトルが10本ほど入った箱から、

よろけながら2本ほど取り出して空けた。

 

あの二人はあの分量のペットボトルを

どうやって買ってきてくれたんだろう。

婚約者君はずいぶん小さな人だったが

 

体の上下から出ていった水分は6~7lあったと

思うが、そういう事を考えると

純粋に出ていった血液だけなら2~3lか。

わたしの体重が80kg弱だから、

血液の総量は6lくらい。

いずれにしても、そろそろいつ失神しても

おかしくない水準になって来た。

今回は救急車を呼びたくなかったのだが、

いま目の前が急に暗くなって倒れても、

惚けた親父が119してくれる可能性はない。

(実際、今回も129にかけていた)

まだちょっと死にたくないので自分でかけた。

 

しかしこれは、失敗だった。

 

救急車が来て、隊員が受け入れ先の病院を

探してくれる。ところが何度も救急車を頼んだ

おかげで救急隊員はわたしの掛り付けがK病院

であることを覚えており、

『六甲アイランド病院が受け入れるそうです』

という。実はK病院と六甲アイランド病院は、

同じ資本の系列病院なのである。

従って医師も両方で融通しあっているらしい。

内視鏡担当の医師も隔日交代で病院をまわる。

そして、あいにく奇数日に関しては、

内視鏡の救急は六甲アイランドで

受けていたのであった。

 

嫌な予感が当たった。

あそこは前回の入院の際に、

わたしが内視鏡を 噛んで壊して以来、

どうにも敷居が高い。

 

実際、あの事件はわたしの予想以上に病院全体

の怒りを買っていた。

ともかく『あそこは止めてくれ。

K病の系列以外の病院にしてくれ』と頼んだが

『しかし、掛り付け病院がある場合

そこを優先しますから』と救急隊員は頑固だ。

繰り返し頼んだが聞いてくれない。

救急隊員なんて日本一忙しい人だろうから

もう諦めて六甲アイランドに運ばれてきた。

 

六甲アイランド病院での担当は

Oという先生で、前回の医師と違う。

前回の対応よりも露骨な冷たさは減ったが、

それは主治医に関してだけのこと。

病院としては違った。

入院2日目に『神経科の部長』と名乗る年配の

偉そうな医者が回診に来て、

『あなたは、退院するとすぐ戻ってくるね』

と言いに来た。なにをっ?と思って見上げると

『あ、安静にしていれば良くなるからね』

とだけ言って帰って行った。

怖かった。

 

8日の朝に『K病院に移るように』という

指示、というか命令を受けた。

転院についてはO先生も示唆していたし、

前回の憎まれようから、私自身覚悟していたが

施術5日目、未だ傷は癒えず経口食にすら

なっていない。立ち上がるのもおぼつかない。

しかも自腹を切ってタクシーで移動せよ、

と言われたから、さらに冷たい。

へろへろになってK病院に移ってきた。

(後で聞くと「転院の際の自腹タクシー移動」というのは一般的

なのだそうだ。しかしそう考えると、ストレッチャーに乗せられて、

ドクターカーで移動した前回の転院は、さらに異常だったことがわかる。)

 

本館3階の東北の角部屋のベッドに入ると、

朝に東の窓から朝日が、

夕方には夕日が射し込んでくる。

 

いまもそのベッドで、これを書いている。

疲れた。

 

 

 

転院した8日にF先生が来た。

非常に厳しい表情で、

『六甲アイランド病院(以下6I(ロクアイ))からの

手紙を読んだ。

そこにもあったが次回以降、6Iは

あなたの新規受け入れは出来ないそうだ。

理由は以下の通りである、と。

・退院―入院のスパンが短すぎる。

・内視鏡手術や輸血の費用も安くない。

・6Iはもうあなたは治らないとして見限った。

 

ショックだった。

『費用がかかるから受け入れない』なんて

医者の台詞じゃねえな、と思った。

 

さらに、

・再度出血したら輸血、内視鏡手術、いずれの

    手段も採らないということで良いか?

・今年1月にK病院に来た兄夫婦には、

    いかなる処置も無用という、

    極めて薄情な内容で既に了解を貰っている。

      (いままで知らなかった。こんな酷薄な内容に合意しておきながら、

       見舞いに来ていたのか。)

と聞いてくる。

 

この人は何を言っているのか?

いつものF先生が喋っているとは、

どうしても思えない。

 

その日はそこまでで終わった。

当面は通常の静脈瘤破裂の処置をする、と。

 

 

 

 

 

翌9日、10日と話をして、F先生の話の真意や

そうした判断に至った背景が、

なんとなくわかってきた。

 

 

わたしという人間は、

静脈瘤破裂の処置が終わって退院するや

『浴びるように酒を飲んでいる』

不真面目な患者である、と信じられている。

ということらしい。

 

したがって、

・そんな奴には、輸血も内視鏡手術も無駄で

    もったいない。

・六甲アイランドはあなたが出血しても、

    新規受け入れを拒否する。

・あなたはアルコール専門病院に入るべきだ。

これは.、6Iの医者の総意である、と。

 

頭が混乱しながらも、ここまでの内容を

やっと理解した。

つらい。

 

『わたしが現在進行形のalc病患者である、

と6Iが信じる理由はなにか?』と聞くと、

・退院して、再入院するまでの時間が短すぎる

・入院中に静脈瘤破裂を起こしたことはない。

・入院中は、緩やかながら肝臓も回復する。

 

酒臭かったり、血液検査に顕れたりといった

直接の証拠はない。

しかし、退院して生活サイクルや食生活が

不規則になったとしても、

こんなに急には変化しないんじゃないか。

退院したら 酒を飲んでいる、と考える方が

自然だ、と。

 

 

今回、六甲アイランドに入院して内視鏡手術で

処置してもらった日の夜に、嫌な夢を見た。

以下、そのときの夢。

何か資料を集めるために街のあちこちを歩いた

写真も撮った。ずいぶん疲れたが、

そこで自分がしていることは、目的か手段の

どちらかが間違っている、という自覚はあった

事務所に帰ってくると、皆よそよそしい。

デスクの間の通路を通ると、

話しかけてくることは決してないが、

視線と「こいつ、なにしに来た?」という

敵意を感じる。

最初の会社を辞める2週間前の頃の

『身の置き所のない寂しさ』を思い出しながら

自分のデスクに来ると、パソコンだけ残して

自分には関係のない資料が置かれていた。

回りに聞こうと思っても出来なくて、なぜか

電源が入らないパソコンの黒いモニターを

見ながら、その前に立ち尽くした。

 

目が覚めると、いっぱい寝汗をかいていた。

嫌な夢だった。

 

 

退院から再入院までの時間の短さについては、

私自身気になっていたので、この話を聞く前に

自分でも過去の履歴をしらべていた。

この日記を書いている期間、2016年8月から

2018年5月の1年10ヵ月の間について調べると

・入院回数        :     17回

・退院期間平均:  16.1日

・最長退院期間:     70日(2017.1.  5~3.16)

・平均入院日数:  18.6日

・最長入院日数:     49日(2017.5.  4~6.22)

                                              (2018.2.26~4.16)

(「退院期間」は退院から次の入院までの期間)

・累積入院日数:   317日(2016.8~2018.5の

                                               660日のうち)

 

確かに入院の回数が多く、入院と入院の間の

期間(退院期間)が短い。

『立て続けにしょっちゅう』という印象を

持たれても仕方がない。当の本人である私

でさえ驚いた。

「退院期間」には退院した当日に

ヘルニアになって、1日で病院に戻ったケース

も同様に計算にいれているから、

印象よりも短い数字にはなるが、それでも

16日、半月しか持たないというのは論外だ。

 

『退院期間が徐々に短くなっているのでは?』

とも  考えた。

短くはなっているが『毎回減っている』という

ほど傾向ははっきりしない。むしろ、

たまたま短いケースが続いた、ともいえる。

腹水での入院がなくなって静脈瘤破裂の入院

ばかりになった。静脈瘤が破裂する時期は

ランダムだから時期が読めないのである。

徐々に腹が膨らんでくる腹水と違うところだ。

 

もちろん『たまたま』であるにしても

いつ破裂してもおかしくない静脈瘤が育って

いることが前提なので『酒が静脈瘤破裂の

原因だったのか』という問いの答えには

ならないのだが。

 

『内視鏡噛み切り事件』で腹を立てた6I内科と

上層部が『こいつは一体何者だ?』と、

私の入退院履歴を調べて、

事態の異常に気が付いたらしい。

『こんなに退院期間が短いのは酒を飲んでいる

からだろう』と結論付けたということらしい。

内視鏡事件についてはつまらないことをした。

 

 

 

 

さて、長々と『私がなぜ疑われたか』について

書いているが、結局飲んだのか?といわれると

じつは飲んだ。

・・・なぁんだ、という話で、

ここまで読んでくださった方を裏切ることに

なるが、ここで嘘はつきたくない。

F先生にも正直に言った。

 

今年に入っていろいろあったが、肝移植が

生体肝移植、脳死肝移植のいずれの途も、

完全に途絶えた時に飲んだ。

 

ヤケになったわけじゃ・・・、なってたのかな。

ビビっていたから量は飲んでないし、

その後毎日飲んでいるわけじゃない。

あれで肝臓に影響が出るかしら。

 

いや、こういう台詞は

典型的なアル中の言い訳だな。

僕は弱い人です。

 

しかし、脳死肝移植の登録の条件、

『禁酒1年半』を気にしなくてよくなって

せいせいした。

 

もちろん飲めば肝臓には悪い。

肝臓が悪いから静脈瘤破裂にもなるのだ。

 

 

繰り返すが、ここで『毎日は飲んでないから』

とか『大した量じゃないし』なんていう

『いかにもアル中』的な言い訳はしたくない。

 

ここでは、

頻繁な入院が怪しまれて、

六甲アイランド病院には、私が退院期間中 

酒を飲み続けていた、と信じられている。

と、いうこと。

さらに、

実際に、私は今年に入って飲んだことがある。

と、いうことだけをご報告したい。

 

 

 

 

F先生がどう考えているかというと、

転院直後の8日には、

『再出血しても、輸血も内視鏡手術もしない』

と、6Iと同じことを言っていた。

しかし15日には、

『治療はしない、という6Iの考え方は

間違っている』と言ってくれた。

 

『alc専門病院に入院するべきだ』とは、

最初から言っていた。

10日に話をした時には、

『6Iの結論を聞いて、K病院の内科と放射線科

   でもあなたの治療に対する意思を統一した』

という。

その内容は、

・alc専門病院に入るべきだ。

   (しかし意識が明瞭である以上、強制はできない)

・6Iのように、治療しないという対応はしない

F先生にはそのうえで、

さらに入院を強く勧められた。

通院では治らない、と。

 

 

断った。

 

 

理由は、少なくとも私に関しては、

『入院が治療に結び付かない』ということを

自身の経験から嫌というほど知っているからだ

さらに今さら、精神科なんかに入院する時間を

取るのが嫌だ。

『静脈瘤破裂はともかく、肝臓はもう

末期の状態なんでしょう』と聞くと、

先生は渋い顔で『そうです』と、答えた。

『だから精神科の入院は要りません』

『・・・・・・』

『今回のことで懲りたからもう飲みませんよ』

 

結局、入院の件はペンディングになった。

 

 

理解のある先生たちに比べて、なんて我が儘で

嫌な患者だろう。

 

 

 

 

 

とりあえずK病院の精神科に『通院』という

形で、話をしに行くことになった。

先生の言葉通り『入院』を代替するものでは

ないが、精神科の先生と話をして、

すこし考えなさい、と。

 

しかし、なんとしても入院は嫌だった。

20年前、何年も嫌々通わされた専門病院や

自助グループの、独特の臭いを思い出す。

 

もう、最期だ。

もう、いいだろう。

もう、好きにさせてくれ。

 

そうはいっても時間だけあっても、

お金と体力がないないから

ちっとも『自由』を活かしていなかった。

無為の日々は、この日記にも書いてきた。

 

こんな日々が最期なのかなあ。

 

 

 

 

 

血縁、といえば近頃急速に頭と足腰に衰えが

きている親父と、医者に向かって

『こいつが救急で運ばれてきても

処置しないで見捨てて下さい』と言っちゃう

冷たい兄一家だけである。

 

 

 

 

(恵まれなかったから)子どもはいない。

(別れたから)嫁はいない。

だから毎日枕頭に来る人はいない。

何人かの友人が忙しい中、時々見舞いに

来てくれるが、

仕事で付き合いのあった人も来ない。

こんな騒ぎがあった後だと、病院のドクターは

もちろん、スタッフでさえ怖い。

 

今日の文章の前段に書いた

『敵意のあるオフィスでうろたえる人』は、

そのまま、今の自分だ。

 

嘘ばかりついて、嫌なことから逃げていた

50年の、決して短くなかった人生の決算書を

突き付けられて、呆然としている。

 

 

居場所がない。

 

 

 

 

 

 

残り- 293

  

  

 

 

疲れた。

 

 

 

 

ここまで書くのに一週間かかった。

 

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余命1年日記 -113- 退院 また入院 (5月第2週 2018.5.6)

最近の記録

 

4月   6日      新館、地域包括ケア病棟に移動

       26日      K病院  退院

5月   3日      静脈瘤破裂 

                      六甲アイランド病院  再入院

         6日      (いまここ)

 

4月26日に退院しました。

前日、F先生に『これからどうしますか?と、

聞かれた。

当然退院後のことだと思ったから

『八街には行きませんよ』と、言ったら

『そういうことじゃありません』と、

にべもなく言われた。

つめたい。

 

しかし地域包括ケア病棟の看護師さんとは

笑顔で別れられた。

 

しかし、この日から一週間後に、私は

再び病院に戻ってくることになる。

2日深夜から吐血と下血を起こし、朝方

救急車を呼んで、また六甲アイランド病院に

運ばれてきた。

 

吐き気がして、血便の残りが果てしなく出る。

昨日まで一日中うなっていた。

まだ、苦しい。

 

 

稿を改めて続きを書きます。

 

 

 

 

残り- 283

  

  

 

 

 

一昨日、嫌な夢を見たんだ。

 

 

 

 

 

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2018年4月11日 (水)

余命1年日記 -112- 地域包括ケア病棟 (4月第2週 2018.4.11)

最近の記録

 

4月   5日       隔離解除

                       いつもの大部屋,235号室に移動

         6日       新館、地域包括ケア病棟に移動

         9日       (いまここ)   

 

 

インフルエンザの熱もひいた。

でも、退院はまだ。

そのかわり退院前に新館に行け、と言われた。

K病院の新館には療養病棟がある。

 

どんな病棟で病院を構成するべきか、という

ことは病院の経営の根幹に関わる。

その一方で制度の変遷が激しい。

したがって病院の数だけ解があるので、

放り込まれるだけの患者には全体像や自分が

いる病棟の意味がわかりにくい。

さらに、いま2020年を目処に何度目か

の大改革が行われている最中なので、正直

ちゃんと理解するのを諦めた。

従って、以下の記述は医療について、

体系的にきちんと理解していない五十男の、

ぼんやりした知識を書き留めたものであると

思ってやってください。

 

くれぐれもこの文章から実務的な知識を得よう

などと無謀なことは考えないように。

 

 

病院を構成する病棟はつぎの5つに分類できる

精神病棟、結核病棟、感染症病棟、療養病棟、

一般病棟である。

最初の三つはとりあえず今の私に関しては、

関係がない。

 

一般病棟というのは、まあみなさんが普通に

イメージするところの内科病棟である。

むかしはこれしかなかった。

ところがそうなると『元気はつらつに

退院させられる訳ではないけど、病院に

置いといても、こいつら簡単には死なねえぞ』

という爺婆の滞貨を大量に抱えることになって

保険財政が破綻しそうになった。

 

そこで作られたのが『療養病棟』というもの。

長期の療養を必要とする患者のための病棟で

部屋や談話室や廊下の広さ、幅員など

それにふさわしい広さと環境を備えたもの。

これも二種類に分けられ、医療保険の適用を

受ける医療療養病床と介護保険の適用を受ける

介護療養病床のふたつがある。

いずれも一般病棟よりも広い病棟と病室で

ゆっくり体力を回復してもらって退院して、

在宅での復帰を目指しましょうというもの。

(入院期間の目安は医療療養病床で3ヶ月、

介護療養病床で1年間)。

ただしスタッフ(医師、看護師、薬剤師)の数は

一般病棟より少なくさせてもらうよ、と。

療養病棟と一般病棟とを分けて、一般病棟に

医療資源を集中して早期の退院、自宅復帰を

促すことでベッドをを回転させてやれば

効率的な病棟運営が出来るだろう、と。

 

療養病床の診療報酬は『包括医療』という

考え方によっている。これは、原則として

処置や検査の内容に関わらず『1日当たりの

包括点数』で計算する。さらに入院費用の

基本である入院基本点数は、『療養』に

特化しており、リハビリに関しては手厚いが

治療とその前提である検査の費用は原則として

認められない。

たとえば内視鏡検査はもとよりエコーも

『検査』であるから費用は算定できない。

静脈瘤が破裂しても地域包括ケア病棟は無力で

ある。『治療』と『検査』は一般病棟で

受けろ、というわけだ。

不親切なことだ。

 

一般病床で感染症や褥瘡などの慢性の疾患に

罹っても、点数の計算の仕方が違うので、

『転棟』は大変に手間である。

杓子定規だなあと思うが、このややこしい

診療報酬の制度が、療養病棟のさらなる改革を

阻んでいる。

どういうことか、というと2020年までに

『介護療養病床』はなくなるのである。

 

国が療養病床の患者の実態を調べたら、

あれだけ何年もかかって緊急性の高い患者と

低い患者を峻別しようとしていたのに

未だごちゃ混ぜになってやがる。

急性期病床のほうが保険料が高くて病院が

儲かるからだが、この野郎、ということで

2020年に介護療養病床はなくなってしまう。

短気だ。

こんなふうに20年以上制度を作っちゃあ壊し

作っちゃあ壊ししているから、もはや患者には

病棟の制度は理解できない。

病院の設計の手伝いをしていた頃には勉強も

したけど、もうわからん。

わたしが質問しても『えーと』とか言っている

のでF先生もきちんと理解していない節がある

けど、もういいや。

 

 

 

さて、『療養病棟』について、長々と書いて

きたが、わたしが今居るところは療養病床

ではない。『地域包括ケア病棟』というもので

2014年にできた新しい制度。

在宅や介護療養を受けている人の

亜急性期のケアのサポートや

リハビリ、さらに在宅復帰支援などを行う。

入院自体の期間は短期で抑え、地域の医療機関

と連繋して、治療を完結させるのが目的である

したがって入院期間の上限は60日。

60日を超えて入院しようとすると、

一度別の病院に転院、あるいは転棟して

一般病棟などに移らないとならない。

面倒くさい。

 

設立の経緯が異なるのと、保険点数の計算が

融通が利かないので、

2020年になくなってしまう介護療養病床を

代替する実績は乏しい。

(いまの地域包括ケア病棟は一般病床からの

転換が多い)そうはいっても将来的には数的に

多数になるらしい。私は『リハビリ』と称して

1日寝てるだけだけど。

K病院の地域包括ケア病棟は、療養病棟から

病棟ごと転換したもので珍しい事例にあたる。

 

静脈瘤破裂も治り、血液検査の結果も改善。

低かった血中のアルブミンなどの蛋白質や

血小板が回復してきて、

いつもの破裂ならそろそろ退院だろう、という

時期の転棟。

『リハビリをしてきてください』という

釈然としない指示だったが、真の目的は

この病棟の機能の一つである『在宅復帰支援』

であるのだろう。

 

静脈瘤破裂は防げないが『立ち眩み』などは

入院中になんとかしたい。

あと、先生は口に出さないが、退院したあと

兄貴のところには行きたくない、ということを

相談したから、そこを慮ってくれたのかも

しれない。

先生に迷惑をかけてはいけないが。

 

と、思っていたら、11日に内視鏡をのんだら

『静脈瘤が増えている』という。

さらに、胃が内出血していて胃壁が真っ赤だと

いう。こまったね。

 

 

 

 

暇と言えば暇。さらに建物自体も、もともと

療養病棟だったから大変にゆとりがある。

南側の海と港を見下ろす

陽の当たる斜面があり、広い談話室があるが、

そこでぬくぬくと陽を浴びていると

『退院したくないなー』と思う。

K氏の仕事をしていた頃と違って、

一刻を争う仕事はない。

むしろ、『退院しました』と挨拶回りをして

仕事を戴きにいかないといけない。

 

めんどくさい。

 

 

 

入院して暇になるのも考えものだ。

 

でも考えちゃうんだよな。

 

新しく増えた静脈瘤と胃壁の内出血って

どうなるんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

残り- 258

  

  

 

 

 

退院するのが億劫だ。

 

 

 

 

 

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2018年4月 5日 (木)

余命1年日記 -111- インフルエンザ (4月第1週 2018.4.5)

最近の記録

 
 

3月   8日       K病院転院

       26日       個室からいつもの3人部屋に移動

       31日       インフルエンザ陽性   

                       隔離    個室に移動

4月   2日       K君来訪

         5日      (いまここ) 

 

 

インフルエンザになった。

咳が止まらずに、しんどいなあと思っていたら

31日夜に、8℃台の熱が出た。

念のため、看護師さんが私の鼻の穴に針金を

突っ込む例の検査をすると、俺の身体ってば

まんまと陽性になりやがった。

これ以前にも9℃以上の熱が出たこともあって

検査を受けたこともあったのにその時は

陽性にならなかった。

 

即座に隔離決定。

 

空いている個室に放り込まれた。

もっとも今回の個室入院は、インフルエンザ

からの隔離という治療の必要に由るものなので

申請書を書けば差額ベッド代はただである。

当然書いた。

今回の入院はもう1ヵ月半になるが、大部屋に

いた5日間を除いて、ずっと個室にいる。

ただで。

 

ラッキー

 

この日記が、死線を彷徨う男の魂の記録、

ではなく、なにか軽すぎる印象を与える理由は

このあたりの緊迫感の無さ、なんだろう。

家族、友人と自由に面会するための『個室』

ではなく、病状に必要あっての『個室』である

というのは、もう少し焦ってもいい事態である

はずだ。

それが平気。

 

だって暇なんだもん。

 

もちろん隔離されてしばらくは辛かった。

咳が止まらない。この咳が苦しい。

喉が痛くなる。呼吸が苦しくなる。

咳はいまでも辛い。

熱があるうちは、果てしなく気持ちが悪い。

しかし、次第に発熱が治まってくると身体が

楽になってくる。

最近はだいぶ腹水も減ってきたので

腹が張った感じも減った。

立ち上がれないほど痛くて辛かった膝も

痛み止めのおかげでだいぶ楽になった。

もう歩行器もいらないと思うけど、

インフルエンザ騒ぎの一週間、

寝たきりに戻ってしまっていたので、また

歩行器から始めないとならないのだろう。

 

面倒くさ。

 

しかし、身体が楽になってくると

思うことがある。

 

ひま

 

『インフルエンザ前』は歩くのが辛くて部屋の

外に出られなかった。

『インフルエンザ後』のいまは隔離されている

ので、勝手に外に出られない。

トイレ付きたが6帖あまりの部屋で1日過ごす

となると、テレビを見るしかない。

今日1日で大谷は20本ホームランを打った。

大阪桐蔭は2回優勝した。

わたしはいま、『オフィス北野』の内紛に

ついて、日本一詳しい重病人であろう。

 

これでも、うちのボケ親父が私がリストアップ

した『生活必需品』の一部を長い時間をかけて

持ってきたからである。

これだって大変だった。

まず電話にでない。コールが尽きるまで

30回かけてやっとでるか、という確率。

耳が遠くなったせいもあるが、こいつ

『気が向かないと電話をとらない』のである。

携帯もないからエレベーターホールのにある

公衆電話を使ったが、やつの耳の遠さから、

どうしても大声を出さなければならず、

ナースステーションの目の前でもあったから

大変恥ずかしかった。

 

さらに電話が通じても、用事が一度ですまない

『腰が痛い、足が痛い』といって家を出ない。

最初『必要なもの』を電話で伝えたが、これが

全く通じない。入院していた病院に最初、

奴が持って来たのは2冊のマンガ雑誌だけだ。

仕方なくメモにしてメモ帳ごと持たせたが、

そこからまた荷物をみんな持ってくるのに、

二週間くらいかかった。

 

その間は更に暇。目は覚めたし体調も次第に

もとに戻ってくるのに、足が痛くて部屋から

出られない。

白いペンキの天井を見上げるばかりである。

 

足が立たないことも、咳が出ることも、

熱が出ることもみんな辛いが、今回の入院では

この『暇である』ということが、

一番辛かったかもしれない。

 

しかし、ようやく熱が下がって、今日辺りには

『隔離生活』から脱出できそうです。

 

でも、退院はまだ。

 

 

 

残り- 252

  

  

 

 

 

また、立ち上がるところからだ。

 

 

 

 

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2018年3月28日 (水)

余命1年日記 -110- 最低の入院 (3月第5週 2018.3.28)

最近の記録

 

2月   6日    労災病院退院

       25日   吐血、下血 

    26日   救急搬送

                      六甲アイランド病院入院

                      処置中に内視鏡を噛んで壊す

3月   8日       K病院転院

       26日       個室からいつもの3人部屋に移動

       28日      (いまここ) 

 

 

内視鏡を壊して六甲アイランド病院の先生に

嫌われたために、あそこでの生活は

『ほぼ放置』だった。

 

ひどいよ?

 

縁から降りられないくらい高いベッドから

動いちゃいけない、ベッド内完全禁足。

点滴やケーブル、カテーテルに繋がれるのは

仕方ないとしても10日以上そんな生活をした

おかげですっかり脚が萎えてしまった。

立てない。

『寝たきり』とは、

こうしてなっていくのか、と恐怖を覚えた。

 

したがってK病院に移ると

すぐにリハビリが始まった。

まだ普通に歩けないが、車椅子、歩行器の

段階を経て、なんとか両の脚で立って

歩けるようになった。

まだ距離を歩くのは辛いが大分楽だ。

 

そして8日にK病院に転院。

飯こそ普通飯に戻ったがまだベッドから

降りられない。腹水だって辛い。

止血は確認したが、途中で転院するというのは

唐突な話で、これも内視鏡を壊したから。

私の『内視鏡噛みきり事件』は知らないうちに

六甲アイランド病院上層部の逆鱗に

触れたらしい。

静脈瘤の止血処置をしていないわけだから、

別の内視鏡で確認してくれ、というと

『あんたみたいな不真面目な患者に』とか

『遊びでやってんじゃないんですよ』とか

あげくは

『酒のんで壊したくせに』と、あり得ないこと

まで言われた。

医者が患者に言う台詞じゃない。

 

そのうえで『あいつK病院の患者だろう。

追い出してまえ』ということになったらしい。

しかも9日の転院のはずが1日前倒しである。

余程早く追い出したかったらしい。

煽りを受けたK病院が、急な転院要請に

大部屋を用意できなかったおかげで

差額ベッド代なしで個室に入れた。

また、出入り禁止の病院を作ってしまった。

 

K病院に移るとF先生が来てくれて、今後の

見通しを話してくれる。

静脈瘤の止血はしていないが、転院前に

六甲アイランド病院で撮った映像では、出血は

確認できなかった。しばらく様子を見る。

血液検査の数字も色々悪いので、これも薬で

様子を見る。腹水も大分たまっているので

利尿剤を使う。膝が痛いので整形外科で診る。

尿酸が高くて足首が痛いので痛風だと思うけど

これは少し先に診よう。

あとはリハビリ。

麻痺している下肢を動かして、とにかく立って

歩けるようにする。

困ったのが立ちくらみだけど、これはいい薬が

ないんだよなぁ。

ということでこれはまだペンディング。

 

こんな風に滑らかに指示された訳ではないが、

長期戦になりそうだ。

さらに次に言われたのが

『退院した後どうするか』ということ。

 

労災病院の退院から六甲アイランド病院の

入院まで3週間。

こんなにしょっちゅう静脈瘤が破れるなら

近くにいて、非常の時には駆け付けられる人の

ところに行きなさい、と。

 

先生の念頭にあるのは、千葉の兄の所である。

今回の入院に際しても義姉が『お義父さんと

natsuさんは千葉で見ます』と、病院に

心にもないことを如才なく言いに来たらしい。

 

父のケアマネージャーとの打ち合わせなど

してくれたが父を見舞いに来させない。

家にいる時のシャツ姿で救急車に乗って

来たからなにも荷物がない。

最低限必要なものをリストアップして親父に

託したが、一週間経って義姉が

初めて来たときに持って来たのは

袋一杯の皮膚科の薬だった。

 

しかし、俺と親父を引き取ってもメリットは

何もないから『退院したら面倒をみる』という

のを悪意に取るべきではないのかもしれない。

しかし、そうであれば千葉に行ったら

『幽閉』という待遇が待っているだけである。

 

行動の自由はない。

20年以上神戸に住んで作った仕事や友人から

死ぬまで切り離される。

収入の途が失うから金銭の自由もない。

 

いまから40年以上前の『ルポ 精神病棟』

という作品を思い出す。入院すると鉄格子の

病棟から出られない。出るときは、

批判能力を失って廃人になった時だけである。

さらに私の場合、廃人になろうと

『退院』はない。

『幽閉』を解かれるのは死ぬ時である。

 

しかし、困ったのが

親父が急速に衰えてきたことである。

耳が遠いのは前からだが、物忘れが酷い。

話をすると受け答えはまだできるので、

痴呆とは思いたくないが、最近始終不機嫌で

ケアマネージャーさんやヘルパーさんに

腹をたててばかりいる。

 

こいつさえ健康なら『退院後』のことなど

考えなくてもいいのに。

 

義姉と一緒に、一番上の姪も来た。

こいつがしばらく黙って枕許に立って、

『あたしがわかりますか』という。

気持ち悪い奴だ。

『これからの会話は録音しますから』という。

この野郎、と思ったが彼女は気にせずに

『じいじを自由にしてあげてください』という

しかし別に俺が強制して、神戸に縛り付けて

いる訳ではない。

『俺は千葉に行かない。

親父が行くかどうかは本人が決めることだ。』

と言っておいた。

すると『あたしたちは千葉から神戸に来るのに

往復5万円かかります。

どうしてくれるんですか』と来た。

 

知らんがな。

 

足代付きの見舞いなんて聞いたことがない。

彼女の小さな頭の中では、わたしは

『酒で肝臓の死病に罹り、ばあばやじいじや

あたしたち家族に迷惑をかける最低の穀潰し』

なのである。

 

困ったことに あながち間違っていない。

 

『今回は静脈瘤の損傷部分を整復して

いないんだ』と言うと、

『知ってる』と冷たく言い放った。

 

この野郎。

 

 

しかし、つまらない目に会うもんだなあ。

最低の入院だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

残り- 244

  

  

 

 

 

疲れた。

 

 

 

 

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2018年3月 9日 (金)

余命1年日記 -109- 死ぬ気で生きたくない (3月第2週 2018.3.8)      

最近の記録

 

2月   6日    労災病院退院

       25日   吐血、下血 

    26日   救急搬送

                      六甲アイランド病院入院

3月   8日       K病院転院 (いまここ) 

 

 

すごい。1月と同じ。

1か月差で同じことをしている。

しかし、今回の静脈瘤破裂はひっどかった。

朝方、血痰かでて、あれ、と思ったが

そのうち治まったので様子を見ていると

夕方にどーんと来た。事態は2度に及んだ。

吐血して立ち上がれなくなって廊下で

のたうっていると親父の介護にきた

ヘルパーさんがきゃあと叫んでそれでも

救急車を呼んでくれた

本当に何も持たずに救急車に乗った。

大失敗だった。いまも後悔している。

 

1ヶ月の間に二回の静脈瘤破裂。

退院から再入院まで2週間ちょっとしか開いて

いない。

いま(8日)もT病院にうつって絶賛入院継続中。

 

 

 

 

 

残り- 224

  

  

 

 

 

疲れた。

 

 

 

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2018年3月 6日 (火)

余命1年日記 -108- 戻らない退院       2018年 2月第2週( 2018. 2. 6)

最近の記録

 

1月11日    K病院退院

       22日   吐血、下血 

    23日   救急搬送

                      神戸労災病院入院

2月   6日       退院 (いまここ) 

 

 

退院の日が決まった。2月6日の火曜日。

5日に血液検査をやった。

ヘモグロビンの回復の足取りがしっかりして

いるから退院させてもよかろう、ということで

H先生が決めた。

 

前回書いたように、まだ病院を歩いていない

のは残念だが久しぶりのシャバである。

労災病院の入院は1月23日からなので、丁度

二週間だが、年末年始その直近の三週間、

K病院に入院していたから、気持ちの上では

二ヶ月くらい入院していた気がする。

 

 

 

 

 

残り- 196

  

 

 

歩こう。

 

 

 

 

 

 

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2018年2月 4日 (日)

余命1年日記 -107- 1月のこと       2018年 2月第1週( 2018. 2. 3)

最近の記録

 

1月11日    K病院退院

       22日   吐血、下血 

    23日   救急搬送

       神戸労災病院入院

          エコー、血液検査、CT

          内視鏡検査、止血処置、輸血

          腹水、右腹部疼痛、絶食

    24日       内視鏡再検査、血液検査、輸血

             三分粥

       25日      エコー再検査

       胆石、腹水、五分粥

       26日       血液検査

       父、通帳紛失 通帳停止

       27日       父、来院 通帳戻る

                      七分粥

       28日       全粥

       29日       血液検査 胸部レントゲン

       30日       内視鏡検査 普通食

       31日       血液検査 

                      発熱39℃ 隔離

  2月 2日       熱低下   

         3日      (いまここ)

 

 

 

1月11日に退院して、身体を労りながら

寝ていたら22日に吐血した。

私の場合『吐血』というのは食道静脈瘤破裂に

なったことを意味する。

がんや結核ではない。

あーあっと思ったが、まだ血痰のような感じ

だったので「もしかして」と思って寝ていると

みるみる気持ち悪くなって、どっと吐血した。

もー、この男は何回同じことを繰り返すかな、

無駄に時間を掛けても自分が困るだけなのに。

と思うまもなく血便も出た。

朝の5時30分に119をして救急車に乗る。

 

ところがストレッチャーが救急車に

乗せられても、なかなか動きださない。

『すいません。どこの病院も満床だ、と

断られまして』という。

ほら、困った。

救急要請のピーク時間帯が、夜中なのか朝方

なのかわからないが、最近市バスよりも

たくさん救急車に乗っている身の上からしても

こんなに断られるのは初めてだ。

中央市民病院なら空いてます』言われたが

以前も書いたがあそこには嫌な記憶しかない。

『あそこに行くと殺される。』と断った。

 

結局17件目の神戸労災病院に向かった。

救急車は外が見えないので、どこを走っている

のかわからない。到着して、ストレッチャーが

外に出たときに見上げたら、でかい病院だ。

入院してから看護師に『ここはどこだ』と

訊いたら、新神戸駅の東、王子公園の北の

籠池通だった。あの辺は戸建て住宅地の

イメージがあったが、こんな大きな病院が

あったのか。

 

すぐに、エコー、血液、CTの検査。

内視鏡で処置して出血を止めた。

内視鏡を口にいれる時、麻酔を喉に吹き付ける

のはK病院と同じだが、労災病院の麻酔の方が

だいぶ強いらしく、施術中のことはまったく

覚えていない。

翌日の24日にもう一度内視鏡を飲んで

確認したところ血は止まっていた。

これで様子を見ましょう。とH先生という人が

説明してくれた。今回の私の主治医である。

顔も身体もまるんまるんに肥っている。

K病気のF先生よりもおそらくはだいぶ年上。

いつも笑顔を絶やさない人だが、病気の解釈や

治療の方針など、F先生に訊いていたものとは

違うところがあって面白い。

 

個室に移されて、点滴、輸血、カテーテル、

バイタルを測るいくつものケーブルに繋がれて

ベッドから降りちゃいけない絶対安静。

吐血こそ止まったが、いつまでも便は黒く、

果てしなく気持ち悪い。

まる一日唸って過ごした。 

 

あと、腹が苦しくて痛い。

『腹が苦しい』のは、いつもの腹水。

ただし今回は大分ひどいので穿刺でもなんでも

してください。と頼むと『今回は無理です』

『なんで?』『静脈瘤が破裂して大量に出血

したおかげでアルブミンなどのたんぱく質が

失われている。今は輸血や点滴で保たせてるが

穿刺で何リットルも体液を抜くのは危険だ』

と言われた。

『後で利尿剤を始めるので様子を見ましょう』

だそうだ。うー、座るのが辛い。

 

もう一つ右の腹に差し込むような痛みがある。

これの原因がわからない。

エコー検査で胆石が見つかったので

『これが原因ですか?』と訊いたら

『胆石が本気を出した時の痛みは

そんなもんじゃないですよ?』と言う。

『膨れた腹が圧迫してるんじゃ

ないでしょうか』と言われた。

利尿剤を服んで腹の浮腫が大分引いた今(2日)

では、だいぶ治まってきたのでそれが正解

だったのかもしれない。

 

25日、エコー再検査。

機械のことはわからないが、非常に高い解像度

の機械で見るのだと言う。

操作もH先生ではなく専門のオペレーターさん

がつく。彼女が明るい人で、笑いながらひとの

腹の中の映像を見せてくれる。

腹水がたくさんあるという。胆石もあるという

どれどれ、と見ると胆嚢から胆管に出る穴を、

意外な大きさの胆石が出たり入ったりして

顔を覗かせていた。

やだなー。 

 

26日、血液検査 心臓エコー検査 

心臓が原因の腹水もあるから、ということでの

検査だったそうだが、心臓は異常なし。

『めっちゃ元気ですよ。心臓は』だと。

やっぱり肝臓か。

身体は重たいし気持ち悪いし、腹水も胆石も

肝硬変のせい。身体についた脂肪も痒みも

全部肝硬変のせいだ。肝臓が悪い。

肝心の食道静脈瘤破裂もそう。

いや、今回破裂した静脈瘤は食道ではなく、

食道と胃の間の噴門の下、胃の中だと言う。

さらにそれとは別に、胃壁からじくじくと

内出血がある、と。

たしかに便を見ると黒い。

この時期が一番辛かった。

 

気分も悪いが、次々でてくる不具合がみんな

肝硬変と関係している。

なんだか自分の身体が

『肝硬変の合併症の博覧会場』になったようだ

肝臓だけが悪いのではなく、

全身に肝硬変の毒素の飛沫が飛んで来て

身体のあちこちに染みを作っていく。

気持ち悪かった。

 

しかしその後はしぶとく回復。

26日、利尿剤開始。たんぱく質を自前で

補給できるようにとにかく安静にして食え、と

27日、七分粥

28日、全粥

29日、血液検査 胸レントゲン。

浮腫が減った。

30日、内視鏡検査。

破裂した場所からの再出血なし。

31日、血液検査

利尿剤の効果が出ている。腹が柔らかい。

しかしまだヘモグロビン値が低い。

発熱39℃。

インフルエンザが怖いから念のため隔離。

1日、熱下がる。隔離はそのまま。

2日、来週血液検査をして、貧血が改善して

いたら退院。

3日、隔離解除。

 

あとは、貧血の改善。

来週血液検査をして、ヘモグロビンが順調に

回復していれば退院、ということに

なるでしょう。

 

せっかく初めて来た病院に入院したのに、

前半はしんどくて、後半は隔離になって、

まだちっとも歩いていない。

いつもあたらしい病院はうろうろ観光するのが

楽しいのに。

観光?

 

 

 

 

 

残り- 193

  

 

 

歩こう。

 

 

 

 

 

 

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2018年2月 2日 (金)

余命1年日記 -107- まだ入院        2018年 2月第1週( 2018. 2. 2)

最近の記録

 

  1月11日    K病院退院

  1月22日    吐血、下血 

  1月23日    救急搬送

      神戸労災病院入院

   2月 2日    (いまここ)

 

 

 

入院してます。

今度はまた静脈瘤破裂です。

ふう

入院の隙間に退院してるな。

あたりまえか。

 

ずーっと病室で寝てると、

大雪も寒波も関係ない。

インフルエンザのせいで

ベッドの回りのブース内禁足状態なので

いま神戸で雪が降ってるかどうかもわからん。

 

あの雪がみんな融けたら

・・・・・・

べつに何も起きないな。

たぶん

 

しんどいから寝ます。

また書きます。

 

 

 

 

 

残り- 192

  

 

 

やべえ、もう2月だ。

 

 

 

 

 

 

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«余命1年日記 -106- 膝の水を抜く    2018年 1月第2週( 2018. 1.10)