余命1年日記

2017年11月21日 (火)

余命1年日記 -100- 退院前の日々                   2017年11月第4週( 2017.11. 21)

最近の記録

 

11月16日    血液検査 

11月18日    入浴

                        父来院 整形外科受診

11月20日       血液検査

11月21日   (いまここ)

 

退院の日が決まった。

破裂した血管をゴムで締めて血を止め、その後

再出血もないから先週末あたり、

そろそろ退院かな、と思ったら、

例によって肝臓の回復が遅く

22日に血液検査をして問題がなければ

23日の木曜日退院、ということになった。 

 

これも、20日の検査結果でA先生は

退院させてもよさそうな顔で『20日からの

週で退院しましょう。』と言ってくれたが、

もうひとりのS先生が『肝臓の回復が遅い。

あんた来たときヘモグロビンが6g/dlしか

なくて(正常値は13.5~17)死にそうで、実際貧血で

ぶっ倒れて右目の回りを痣で真っ黒にして

いたでしょう。』という。あれは痛かった。

『22日に検査するからそれまで寝てなさい』

と、わが医師団の意見は別れた。

もちろんA先生にしても、自説というほどの

ものを強く主張する訳ではなく、っていうか

治った患者にもう興味はないんだろうな。

回診の時も話題かなくなった。

退院は23日。勤労感謝の日なんだけどね。

 

患者としての扱いということで言うと、

退院が決まったら、先生に限らず

看護師の皆さんの扱いも軽くなるなー。

食事のトレイは朝まで引いてくれないし、毎回

箸がないし・・・

 

しかし『検査待ち』ということになった

21日は、のびのびと暇だ。

 

 

13階の風呂に入る。

一応、患者なら予約なしで誰でも入れる

大浴場なのだが二人しか入れない。

もっとも他の患者が入っているのを

見たことがない。

 

風呂から出てすぐ向かいのロビーに行く。

六甲アイランド病院の13階には健診センター

という施設があり、企業の、あるいは個人での

健康診断が受けられる。

企業の健康診断がある時は、人が集中するので

この病院にしては広いロビーがあって、

武骨な長椅子が6脚ある。

 

私が行った時は、患者というか客は

誰もいなかった。入り口のお姉さんに断って 

ロビーに入る。

いい天気だなあ。

『カーテン開けてくださいね』とお姉さんが

開いてくれた景色をみる。

六甲アイランドはマンションばかりで、

私のベッドがある9階でも見張らしは悪いが、

さすがに13階はよく見える。

外は寒いんだろうけど、黄色い午後の陽を

いっぱいに浴びたロビーは暖かい。

 

退院してうちに帰り、かび臭くて狭い

ユニットバスに入ることを考えると気が滅入る

 

 

18日にもこの浴場に入った。

この日、入院の時に頼んだ荷物をもって

親父が来た。いい親だと思うだろう。

ところが9日に頼んで18日に持ってきた。

つまらない用事でも10日がかりなのである。

更にこの男、肩を骨折したのだ。

これも医者にいくのに10日かかった。

こっちは入院をしているから、

ケータイを使って怒鳴りあげてやっとである。

自転車に乗っていてこけたのである。

足腰が利かないから、自転車を使った、と。

 

な?間違ってるよな?

そんな体で自転車に乗っても転ぶに

決まっているし、踏ん張れないから重大な結果

が待っているに決まっている。

 

『転ぶ』と言うことに関しては、最近私も

ひどいのだが、やな親子だなあ。

 

更にこの人、医者にいくのを頑なに拒むのだ。

自転車で転んだあと医者に行くのに

10日かかったように、なぜか嫌がる。

費用を惜しんでのことではない。

ギプスも要らないこんな骨折の処置、

1割負担のあの男には痛くもなんともない。

 

じつは18日に病院に来たときも

騒ぎがあったのだ。

『右肩を骨折した』というのになにも装けて

いない。『どーした』って訊くと、

『ギプスはしなくていいんだって』と

嬉しそうだ。ギプスはいいけど、なにか腕を

固定するために包帯を胸から巻いたり、せめて

三角巾くらいするだろう、と重ねて訊くと。

『外してうちに置いてきた』という。

この野郎、と思って『ごこで処置して貰え。

ここは病院だぞ』と言うと拒否する。

診察を受けろ、と言ってるんじゃない。

痛くもなんともない。包帯でも三角巾でも

費用だって数百円だ。

それを拒否する。しかも身体を曲げ全身で

『医者は行かないんだー』という。

埒が明かないから最後は少々乱暴な手段を

取った。猫のように首根っこを掴んで、

診察室に連れていった。

こどもだ。

帰りは外来時間外になって、タクシーがおらず

六甲ライナーの駅のそばまで送ってやったが

別れ際、『もう、絶対来ないからな』と

涙を溜めて言い捨てた。

 

うん、退院するんだけどね。

 

 

しんどいから認知症のことは考えたく

ないんだけど

帰ればまた、こいつと一緒に暮らすんだよな。

 

 

 

 

 

 

 

残り- 119

  

退院したくなくなってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

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2017年11月14日 (火)

余命1年日記 -99- 私はどうやって静脈瘤を破ったか     2017年11月第3週(2017.11. 14)

最近の記録

 

10月31日    血液検査 退院

11月08日    吐血、下血

                        六甲アイランド病院入院

11月14日       (いまここ)

 

 

最近は、うちにいても寝てばかりいます。

そとに出掛けることもありません。

『世界一動かない鳥』として有名な

ハシビロコウの中の少し元気な奴の方が

はるかに積極的だろう。

 

毎日満員電車で通勤することもなく、

面倒な仕事も 残業もなく、嫌な上司もおらず

不機嫌な嫁も ばかなガキもおらず、

いつも毎日遊んでいる。

そういう人にわたしはなりたい。と

みんな思っているだろう。

わたしだってサラリーマン時代には

そう思ってたさ。

いまは嫁も子供もいないけどな。

 

しかしいざ、そういう境遇になってみても

ちっともうれしくない。

だからどこにも行かない。

コンビニに行くくらいだ。そうして8日の昼前

食事を買いにいったコンビニの帰りに

吐き気がきた。

 

帰り道にあるマンションの公開空地にある

ベンチに座ったら濃茶色の血を吐いた。

ごめんOさん、

でも雨が降ってたからすぐ流れたよ。

 

何が起きたかはすぐ理解できた。

静脈瘤破裂だ。

 

だから、帰ってから寝た。

いや医者行けよ、と思うだろう。

膝小僧をすりむいた訳じゃない。

血管に穴が開いたのが自然に治るわけはない。

しかも肝臓が悪くなってきて

血小板が少なくなっているのだ。

ほっとく馬鹿がおるか。 

 

もちろんわかっている。

わたしが静脈瘤破裂を起こすのは生涯3度目。

去年の6月、今年の3月に続いてのこと。

しかも前回の破裂の時は将来の静脈瘤の破裂と

大量出血を回避するために

その時破裂した静脈瘤だけではなく、

『危なそうな箇所』5箇所を事前に縛るという

予防的な処置を行ったはずである。

となると 、あの時『まだよかろう』と

見逃された静脈瘤が急成長したんだろうか。

わたしはいま『日本で一番破れやすい血管』を

もっている男である。『日本で一番』が

言い過ぎなら『本山南町で一番』でもいい。

そんな意味のないことを考える。

 

寝ているとまだ体が楽だし、正直、この事態を

真面目に考えたくない。

しかし夕方また吐血し更に派手に血便が出た。

真っ黒に。

 

すごいな、本気の血便って。

いままでも検便で『潜血がある』って言われた

ことはあったけど『まあ、痔だろう』と思って

それは正しかったのだが8日のは真っ黒。

怖い。

ほとんど水状の真っ黒い液体が

尻から何回も出た。

『イカみたい』と、ふざける気すら起きない。

しかも今回は吐血と血便が

上下から同時にきた。

黒い液体が 消化管上端の喉と

末端の肛門から出る。

こんなことを夕方から数時間続けた。

 

催してもベッドから便器までの数歩が遠い。

からだが重くて動けない。

寝ていて軽く咳をしたら急にえづいてベッドの

上で吐いた。もう間に合わないので部屋の

プラスチックのごみ箱を抱えてそこに吐いた。

 

さすがにまずい、と思って

苦しんでいる息子を無視してすやすや寝ている

薄情な親父を叩き起こして救急車を呼んだ。

まだ9時なのに。

かばんに携帯の充電ケーブルだけねじこんで

救急隊のストレッチャーに乗せてもらう。

 

夜のマンションの廊下をがらがらと移動する

ストレッチャーの音を聴きながら近所の数百の

好奇の耳のことを、ほんのほんのちょっと

考える。搬送先の病院を探していた

救急隊の人が『いつも行っているK病院は

六甲アイランドのK病院と救急の当番制を

敷いていて消化器内科の急患は偶数日は

六甲アイランドに行ってくれ、だそうです。

いいですか?』と、聞く。

急患にそんな混みいったこと聞かないでくれ。

しんどいから。

 

救急車のなかでも血を吐きそうになって、

あわてた救急隊員からもらったビニール袋を

抱いて、そこに吐きながら病院に着く。

鼻を折って形成外科に来たとき以来だ。

すぐ検査。

どうせ静脈瘤破裂に決まってるんだから

すぐに内視鏡を突っ込んで破裂した静脈瘤を

縛ってくれたらいいのに、

検温、血圧、採血、レントゲン、CT、そして

何人もの先生からの問診、『どういう経緯だ』

『病歴は』『酒飲んだのか』『カツ丼喰うか』

『気分はどうだ』

 

悪いわっ

 

一通り処置が終わり、

血を抜いたり、輸血したり、注射されたり

身体中に穴が開けられ、輸血とか点滴とかの

心電図 とか、いろんなもんに繋がれて

ナースステーション横のHCUに入った時はもう

日付が変わっていた。

 

入院後2日間は、ひたすら気持ち悪くて唸って

ばかりいた。

腹の中に残っていた出血の残りの血が出て、

吐血して黒い便を出した。

やはり2日間は絶食絶飲。

当然 絶対安静。

大も小もベッドの上でやって降りてはいけない

 

 

つかれた

 

 

いまは、気持ちが悪いことは悪いが

吐くほどではなく、うんこの色の黒みが消え

絶食が外れて重湯から三分粥。(点滴はある) 

ベッドから降りて介助つきでトイレに

行けるようになり、いまはひとりでいける。

ベッドの上だけだった行動範囲も、

病室内、病棟内と拡がり、いまは『病院内』。

つまり無断外出しなければ病院の中はなら

どこに行ってもいい。

と、一歩ずつ人間に戻りつつあります。

 

15日に内視鏡を入れて異常がないかを確認し

食事がいまの三分粥から五分、七分、普通めし

と戻っていけば退院。

おそらく来週にはシャバに戻れるでしょう。

 

 

 

退院してもまた、ハシビロコウ以下の生活に

なったら意味がないんだけどな・・・

 

 

 

 

 

残り- 112

  

早く人間になりたい

 

 

 

 

 

 

 

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2017年11月10日 (金)

余命1年日記 -98- また静脈瘤破裂       2017年11月第2週(2017.11. 10)

最近の記録

 

10月31日     血液検査 退院

11月08日    吐血、下血

                       六甲アイランド R病院入院

11月10日       (いまここ)

 

 

入院しました。

まだしんどいので寝てます。

 

 

残り- 108

  

病室の窓から見える今日の空が凄まじく青い

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2017年10月 3日 (火)

余命1年日記 -92- ホームとアウェイ     2017年10月第1週(2017.10. 01)

最近の記録

 

9月  5日    形成外科手術

      6日    R病院 形成外科退院

      7日       K病院内科受診 血液検査

      7日       K病院内科受診 血液検査

          R病院 形成外科受診

    22日    K病院外科病棟 入院 

       穿刺1.5L 

    25日    K病院内科病棟に移動

10月 1日    一時外出 帰宅

   2日  帰院   

   3日   (いまここ)

 

 

入院してます。

9月は、転倒して鼻を折ってR病院に入院。

5日に手術。6日に退院。

22日また入院。K病院に戻ってきたんだけど

内科病棟がいっぱいで、25日まで外科病棟に

間借りして入院。

25日に、やっといつもの本館3階、235号室に

入りました。

 

あー、落ち着く。

という、大分間違った話をします。

 

 

 

R病院は本当に勝手が違った。

狭いのである。

もちろん12階建300床、20以上の診療科をもつ

大病院なのだが、それだけの機能を納めるには

狭いように感じる。

 

病棟も狭い。

私がいた8階病棟は6床室ばかり。

個室がない、ということは経営上あり得ない

と思うのでどこかにあるはずだが、

全体の印象はすごく混み合っている。

各階に6床室ひとつ分をとって談話室のような

ところがあるのだが、平日の昼間にいったら

満席だった。

 

エレベーターなんかも足りないような気がする

人荷用エレベーターがあるんだよな?

と思ったので、いろいろ探検しようと思ったが

『あなたは倒れて鼻を折ったんだから、

勝手にうろうろしちゃダメです』と言われて

しまった。

したがって病院探検は不完全燃焼なのだ。

ちぇー

 

というようなことを関西出張のついでに見舞に

寄ってくれたM君と話す。

この病院には車でアプローチできる1階の

エントランスと、六甲ライナーの駅から続く

デッキを歩いてアプローチできる

2階のエントランスと、

二ヶ所の入口がある。

 

そのうちの、2階のエントランスから入れる

場所に喫茶店がある。デッキからも入れる。

私が寝巻き姿なのを見て、注文を

取りに来たおばさんが

『あら、R病院の患者さんは割引なんですよ』

という。

ベッドを抜け出して、こんなところで飲み食い

しているのがばれたら、大目玉を喰らうが。

 

そして、この2階のエントランスから1階の

再診受付、会計窓口に行くルートは、

初めて来た人わかんねえぞ。

上下階の移動はEVもしくはエスカレーター

しかないのだがエスカレーターは、

私の一週間の入院期間中、常に停止していた。

 

R病院の悪口を言いたい訳じゃありません。

もっとも私はK病院贔屓だから、どうしても

そういうふうに聞こえるとおもうが、しかし

R病院は施設の配置や動線の処理にゆとりが

ないと思う。

 

エントランスロビーのすぐ隣に、病棟に直通

するエレベーターがあるK病院のおおらかさを

見倣え。(うそです。いまはやらないプランです。)

 

 

 

これが今月感じた違和感のひとつ。

 

さらに今回入院した理由が、潰れた鼻の

形成手術、ということだったので外科病棟への

入院だったのだ。

 

外科への入院ということでは、去年の秋に

できそこないのヘルニアで経験した。

あの時も違和感を感じたが、内科と外科では

スピード感が違う。どうもついていけない。

 

さらに、外科病棟にいると居候扱いである。

もちろん僻んでいるだけなのだが、

R病院では一週間の入院のうち四日間は

回診なしだった。

看護師に文句を言ったらS先生が来てくれたが

彼女からの話題はない。すぐに帰った。

 

 

患者というのは病気の理由が

自業自得のようなものであっても、

大事にしてもらいたいものなのだ。

あまったれなのである。

だからどうしてもアウェイ感が拭えなかった。

 

 

もうひとつは、今月22日からの入院。

21日の血液検査で、結果が悪化したために

入院した。

『これ以上の事態の深刻化』を防ぐため、

である。

 

しかし入院した時点では内科病棟の大部屋に

空きがなかったために、東館のやはり

外科病棟の6床室に放り込まれた。

 

この部屋がうるさい。

六人もいるから、全体にうるさいのはあるが、

一人飛び抜けてうるさい爺さんがいたのだ。

唸る。

それも大声でうなる。

しんどかったから私も入院3日目くらいまで

呻いていたと思うが、そんなの比べ物に

ならないくらいの大声だ。

一日あの声量で唸ったら疲れるだろう。

声の大きさもさることながらその『うなり』

は単調ではない。

実に情感たっぷりに訴えてくる。

最初は単に声が出ているだけなんだと思っていたが

よく聞くと『いたい』とか『こんちくしょう』

とか言っている。

意識があるのだ。

かわいそうに。どこがいたいのか知らないが

強力な鎮痛剤でも打ってあげればいいのに、

と思ったが、忙しく立ち働く看護師は彼を

放置する。

これにも違和感を感じたが、一日経って理由が

わかった。

この人、夜寝るのだ。

何を当たり前のことを、というなかれ。

あのうなり声を昼間聞いたら、とても痛くて

寝られないよな、と思う。

それが夜になると、くーすか寝てやがる。

逆にこっちが寝られない。

詐病、とは違うのかもしれないが、

実態以上の大声を出していたわけだ。

精神的に病んでいたのかもしれない。

この人とやかましいうなり声が私の違和感を

さらに高めた。

 

 

そして25日、やっといつもの本館3階、

235号室に移ることができました。

本館3階の内科病棟の看護師の皆さんは大体

顔見知りなので顔を見ると『久しぶり』とか

言ってくれる。

声をかけなくても笑顔を返してくれる。

 

うれしい。

 

荷物を整理していると、F先生がやってきて

『事務室から連絡がありました。いつもの

部屋に放り込んどきました』って言うから

この人もあんまりだ。

 

先生が帰ってベッドに横になると、あー

ホームだなあ、と思う。

ただ寝るだけなんだけどね。

緩和ケアってこういうことなのか?

 

 

もう一週間経っちゃった。

早いな。

 

 

 

 

 

 

残り- 66

  

 

もうすぐ退院

 

 

 

 

 

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2017年9月28日 (木)

余命1年日記 -91- 手術顛末       2017年9月第5週(2017.9. 27)

最近の記録

 

9月  5日    形成外科手術

      6日    R病院 退院

      7日       K病院内科受診 血液検査

      7日       K病院内科受診 血液検査

          R病院 形成外科受診

    22日    K病院外科病棟 入院 

       穿刺1.5L 

    25日    K病院内科病棟に移動    

9月 27日   (いまここ)

 

 

間が空いてしまったので上記の出来事のうち、

陥没した鼻の形成外科の手術のことを

書いておきます。

 

潰れた鼻の骨を直す手術があったのは5日。

3時半過ぎに手術室に入った。

前室に入るときに案内した看護士に

『眼鏡をはずしてください』と言われたが

『滅多に見られるもんじゃないからもう少し

見せてくれ』というと笑った。

バレーコートくらいの前室に手術室が並んで

面していた。

 

手術そのものは3時間くらいかかった。

眼が覚めると、まだ手術室で、

ストレッチャーに乗せられて個室に運ばれた。

 

手術をしてくれたS先生が来て、

『もとに戻しました。拡げた鼻の孔が潰れない

ように脱脂綿で詰めものをしてます。来週

外来の診察の時に取りましょう。』という。

私の手術が何件目か知らないが、このS先生、

一日何件も手術をするらしいのだ。

さすがに疲れた顔をしていた。

(S先生は女性です。表現に気を使うわ。)

 

鏡を見ると、手術した鼻が特殊なテープで

固定されているほか、顔中にガーゼやらテープ

が貼られている。

 

眉毛の上まで肌色のテープで覆われているから

気合いが入りすぎて両方の眉毛を剃っちゃった

大山倍達のようである。変な顔。

これは頼み込んで貼り直してもらった。

 

これを剥がして塗る薬をもらう。

手術までの間、これを塗らないでいたら

すごく怒られたことがある。

どうもこの先生は怖いな。

(違います。言うことを守らないからです。)

 

『再診は11日』と言われて6日に退院した。

病院そばの薬局でガーゼと絆創膏を買って帰宅

帰りの六甲ライナーは混んでいた。

 

 

 

しまった。

せっかく鼻の骨を直すなら、

鼻を高くしてもらえばよかった。

 

 

 

これでまた、毎週木曜日ごとに、K病院の

F先生のもとに通う生活にもどった。

だからさ、11日のS 先生の診察を

忘れちゃった。

12日に気がついたんだけど、来週の月曜日に

行けばいいか、と思ったら

18日は祝日でやんの。

なんの日だ?これ。

 

遅刻してK病院に行き、F先生から

『いよいよ血小板が危険な水準まで

減ってきました』なんて

悪いに決まっている血液検査の結果を聞く。

 

と、

 

『natsu さん。あなたS先生の診察、

すっぽかしたでしょう。』

あちゃ。

『メッセージを預かっています。』

『・・・はあ、なんて』

『来い、と。』

うわー。

 

結局、『山のK病院』から『海のK病院』まで

タクシーを飛ばして急いだ。

指定された救急受付に行くと、ふらついて

立ち上がれなかったので車椅子を借りた。

夜間受付の警備員に車椅子を押してもらって

受付をすると、

『S先生はオペ中だからここで待て』といって

救急の診察室の前で待たされた。

いい加減眠くなった頃にS先生が来て、

診察日に行かなかったことを怒られた。

『鼻の中の綿を取らないと癒着しますよ』と。

怖いな。(違います。診察をすっぽかすからです。)

診察室に入って綿を抜かれる。

『骨がついたかどうか確認するからCTを

撮ってきて』といわれる。

 

今度は看護師に車椅子を押してもらって

CT を撮る。

その画像をプリントしたものを見ながら

S先生が説明してくれる。

うまくついた、と。

『まだ固まりきっていないから、

外から鼻に力を加えないで下さい。』 という

非常にアバウトな注意をもらう。

『せっかく直したのに鼻が曲がったら嫌でしょ』

と言われて形成外科の治療は完了した。

 

 

 

 

 

ちなみに余談 

 

救急窓口まで車椅子を押してもらった。

押してくれた看護師さんの名札を見たら、

『トランプ有里子』と書いてあった。

 

それだけ。

 

 

 

 

 

残り- 61

  

 

9月の話、もう少し続きます

 

 

たぶん

 

 

 

 

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2017年9月 1日 (金)

余命1年日記 -89- 鼻が折れた          2017年9月第1週(2017.9. 1)

最近の記録

 

8月25日    一時外出

   26日    転倒 救急搬送

   30日       K病院内科退院

   31日    R病院 形成外科受診 入院

9月  1日   (いまここ)

 

この記録を見るだけだと、何が起きたか

わからないと思う。

自分でもよくわかっていないので

整理してみます。

 

 

25日は外出した。

F先生が千葉ロッテの試合を見るため、

東京に行ってしまったので暇なのである。

ちなみにK病院での私の『外出』は、同時に

『外泊』を意味する。

つまり、昼前に外出して一泊して翌日の午後に

帰ってくるのだ。

去年K氏のマンションの仕事でテンパってた時

入院と図面描きを両立するために編み出した。

暇になった今もやっている。

 

ところが26日の早朝、

コンビニからの帰り道で転倒した。

原因はわからないが歩いていて

目の前が急に暗くなった。

結構派手に転んだ。

手のひらに、身体が倒れるのを受けようとした

防御創がまったくなかったから、

ほんとうに顔から突っ込んだらしい。

頬と顎に擦り傷ができ、

額に三針縫う傷ができ、

両目の回りが赤く腫れて、鼻が折れた。

さんざんである。

 

救急搬送されてK病院に戻った。

私の目が覚めたのが27日。

救急の当直で私を診てくれた整形外科の

元気な先生が外傷について説明してくれた。

 

曰く、外傷は派手だが折れた鼻の骨以外は

大したことはない。頭部の外傷は形成外科の

守備範囲なので、整形外科としてはもう

やることはないんですよ、という。

なんかずるい。

『入院が延びたりしませんか?』と訊いたら、

不思議そうな顔で『なんで?』といわれた。

この先生に退院の日に傷を見てもらって、

ガーゼを替えてもらうと、

『はい。これで整形外科の治療は終わりです。

外来の必要もありません』と言ってくれた。

気持ちいい。

 

 

しかし問題は鼻だ。

29日に形成外科に行った。

Sという女の先生が、私が救急搬送された時に

撮ったCT画像を見せながら説明してくれる。

はー、いまCT ってこんなに鮮明な画像が

撮れるのか。

なんかすっかり田舎のじいちゃんのような

気持ちになって眺めてみると

確かに鼻の骨の先端が折れて、

鼻骨の1/3くらいが浮いているし、

鼻の骨格の右側の根元がこれも折れて、

鼻全体が右に向けて傾きながら陥没している。

そのために左右の鼻の孔を分ける隔壁が歪んで

右の鼻の孔がほぼ、塞がっている。

 

実を言うと、鼻の骨が折れたとは聞いていたが

痛くないし鼻も通るし大したことはないだろう

と、舐めていた。治療は最小限でよかろうと。

入院続きでお金もないし。

でもごめん。重症です。

いやー、この画像は百万言の説明に勝るわ。

 

 

『どうするんですか?』と訊くと、

『手術するしかないですね』という。

しかも、全麻。

鼻の孔からクリップを突っ込んで、ぐりぐりと

骨の位置を直していくんだと。まじかよ。

全麻にびびっていると、

『昔は麻酔なしでやってました。

田舎の病院ではいまでもやっている所がある。

患者が悶絶してました』

女でも外科の先生は、おっかないこと言うな。

でも、手術自体は一泊二日くらいのもんだし

保険は効くし大したことないですよ。という。

まあ、大した手術であろうとなかろうと 

任せるしかないんだけどね。

 

しかしK病院には本来、形成外科の治療をする

体制が出来ていない。

S先生にしてからが、K病院の系列である

六甲アイランドK病院から、週に一度外来の

診察をしに来ている。

『だから六甲アイランドK病院に来てくれ』

というから、いまこうして来ているわけです。

 

来てみると、小柄なS先生が背の高い研修医

みたいなのを二人も従えて回診しているので

驚いた。   

偉いんだな。

 

 

『R病院』という

ふざけたイニシャルトークには、

もはやなんの意味もないのだが、

遊んでるんだと思ってください。

 

 

30日にK病院を退院して、31日に

六甲アイランドに来た。

31日は診察だけのはずだったのだが、

例によって体調が悪くて、 

とにかく横になりたくて、

そのまま入院させて貰った。

 

そんなわけで六甲アイランドK病院、

二日目であります。

 

 

 

今後の予定

 

9月  1日   (いまここ)

        5日    手術

     6日    六甲アイランドK病院 退院

     7日     K病院 内科受診

 

ふわあ、忙しい。

入院生活を始めて久しく使ってなかったが、

『忙しい』

手術翌日に退院だと?

 

診てくれるのが形成外科の先生だから、

内科に関しては基本的にはなにもしない。

K病院と同じ薬を処方されておしっこの量を 

量って利尿剤の効き目を見るばかりである。

 

 

 

 

 

しかも形成外科も、処置や検査がないから、

手術までは暇である。

せっかくだから、初めて入院するこの病院を

じっくり探検してみるか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

残り- 35

  

 

 

また肝臓と関係ないことで入院してるな

 

 

 

 

 

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2017年8月26日 (土)

余命1年日記 -88- 大浴場      2017年8月第4週(2017.8. 25)

最近の記録

 

8月22日   血液検査

   24日    F先生診察

   25日      (いまここ)

 

8畳ほどの浅くてぬるい湯の中でのびのびと

足を伸ばす。

大浴場、という名前だが5人も入ると一杯に

なるこの風呂はいつも空いている。

べつに風呂のために階高を上げたりしないので

病室と変わらないスラブの下に、バスリブの

天井が張ってあって立って歩くと天井は低い。

それでも浴槽の水面に顔をつけるようにして

見上げると、強い傾斜の天井の

てっぺんにある、換気窓から

疲れたような午後の陽が差してくる。

地下2階なのに。

 

退院が延びた。

22日に血液検査をした。

腹水はなくなった訳ではないが大分改善した。

利尿剤をたくさん服んでいたので心配していた

腎機能はそんなに悪くなかった。

もちろん、良くもなかった。

肝臓はわずかながら改善。

しかし14日の検査で13点だった、

Child - Pugh スコアは10点に改善。

こりゃあ今週中に退院できるかな、と思った。

しかし結果を知らせてくれたあと、一度医局に

帰ったF先生が渋い顔で戻ってきて、

『natsu さん,来週一杯退院を伸ばしましょう』

 

なに?

 

『今回はいつにもより回復が遅いし心配です』

『肝臓が改善した、Child - Pugh スコアが10点

になったって言ってもまだCランクですから』

 

むう。

そんな訳で、さらにまだ入院しています。

 

しかし以前も書いたが、私の今の状態では

積極的な治療はできない。

薬を服んで、食事を摂って、

あとは寝てるだけである。

 

ひま。

 

F先生もさすがに気の毒に思ったか、

『自由に外出出来るようにしておきますよ』

という。

無条件の外泊許可である。

もう『入院』じゃねえな。

それに『・・・しておきますよ』とはなんだ?

 

そうだよ。あんた半月遅れの夏休みとかで

今これを書いている25日から

旅行に行っちゃうじゃん。

『東京で千葉ロッテの試合を見る』んだって。

やっぱりこの人の事がよくわからない。

 

 

 

 

 

そんなわけで、まだ入院しています。

生活に変化をつけるために、

毎日風呂に入るようにしています。

いまいる病室が午前中に限って陽が差し込んで

空調の効き目がないからでもある。

暑い。

 

やっと冒頭の話に戻ってきた。

 

ところがこの風呂に関して不思議なことがある

K病院には、やたらと小さな風呂があるのだ。

 

部屋に個別に風呂があってたくさんある、と

いうのではない。

規模が小さな共用の風呂が、種類も数も

たくさんあるのだ。

たとえば自力で風呂に入れない人のために、

座位のまま機械がお湯に浸けたり、

仰向けのままお湯に浸けたりしたうえで、

看護師が介助して入浴させる介助浴室がある。

その一方、銭湯と変わらないようなごく普通の

風呂もある。さらに

浴槽がなく、シャワーだけの風呂がある。

 

そしてこれらが実に無計画に、取って付けた

ように建物のあちこちに突っこんである。

たとえば本館2階の介助浴室は、地域医療室や

栄養指導室や研修医詰所などが並ぶエリアに

唐突に一床分だけある。

 

事務室ばかり並んでいるエリアに後付けで

風呂を作っている訳で、恐るべき無駄な手間が

かかっている。

つまり、その部屋のためだけに

給水、給湯、換気、排煙の設備を別に作り、

床と壁にアスファルト防水をして

壁のタイルと天井のバスリブを新たに貼り、

そうして機械浴の装置をいれる。

更にストレッチャーが入れるように

従来の木製建具を撤去したうえで

壁のコンクリートをはつって開口を拡げて、

引き戸のエンジンドアにするために、扉の枠も

取り替える。

そうしてその他にも備品をつけてやっとできる

というくらいの手間がかかる。

 

そうやって作った風呂の隣では、研修医の

皆さんが4人くらい、大きな身体を丸めて

パソコンと睨めっこしているのだ。

 

 

無茶な場所に風呂がある、というのは

今日、私が入った大浴場も同じ。

『地下2階なのに陽が差してくる』というのは

この建物が無茶苦茶な斜面に建っているために

階数が実態とかけ離れている。

ということもあるが、

大浴場がある『東館地下2階』というのが、

本来風呂など配置するべき場所では

ないということもある。

このフロアはCT室とかMRIとかがあり、

周辺にはそのための機械室がある。

大浴場の隣は電気室だったりするので、

おおこわい。

ここも後付けっぽい気がするが、

いくら5人しか入れないとはいえ、ボイラーや

お湯の循環、濾過の設備を考えたら大浴場を

あとから作るのは簡単なことではない。

そして、いずれにしても場違いではある。

 

 

 

結局、K病院の380床のベッドに対して、

浴室で身体を洗うのに使うカランの数が

少なすぎるのだ。

 

病院の病床には二種類ある。

ひとつが、私が今いる『一般病床』。

もうひとつが『療養病床』。

K病院の場合、トータル380床のうち一般病床

が7割くらいである。

 

医療費の増大に頭を抱えた国が、

『患者を二種類に分けよう』と考えた。

つまり、治りそうなやつは、スタッフなどを

分厚く配分してとっとと治して追い出そうと。

これが『一般病床』。

対して、広い部屋でゆっくりやりましょうか

というのが『療養病床』。

こうすることで医療資源を効率的に集中できる

 

医療や看護については門外漢だから触れないが

建築についてもそれぞれ必要な施設が決まって

いる。

特に療養病棟はうるさく、

一人当たりの病室面積や

機能訓練室や食堂の面積、廊下の幅員などが

結構細かく決まっている。

廊下の幅員2.7mなんてのはストレッチャーが

すれ違うためには広い方がいいんだろうけど

広すぎると思う。

こんだけ広いと廊下の排煙窓を確保するのが

大変なんだよ。排煙の計算なんて一年生に

やらせたらいいじゃねえか。

 

ふう

 

風呂については『必要なだけ確保せよ』とある

だけで、大浴場にしろとも個別に設けよとも

書いていないが、いまのK病院の場合、

一般病棟は、各部屋共通の風呂。

(でかい個室にもシャワーユニットはなかった)

療養病棟は病室にシャワーユニットをおいて

対応することにして病棟に大浴場を作ったりは

していないようである

 

その一方、治療のために

全身が管に繋がれていたり、

ギプスで固められていたり、

穿刺や手術など外傷を伴う治療が

行われているやつがごろごろいる。

当然、風呂に入れない。

そもそも入院直後はそんな元気はない。

 

 

だから『それなら、この病院のカランの数の

適正値は?』と聞かれてもわからないのだが、

足りないから82年間の間で足してきたんだろう

K病院のいいところは古いことだが、

悪いところも古いことで、風呂などの設備は

決定的に古い。

もちろん何度も改修の手が入っているらしいが

それももう古い。 そんなことを ここだけは

強力にクーラーが効いている脱衣室に裸のまま

座って、皮膚科に貰った薬をゆっくりと丁寧に

塗り込みながら考える。

『地下2階の太陽』が、

物憂げに脱衣室にも差し込んでくる。

 

平和だ。

 

30年くらい前にいた患者も、

おなじように風呂上がりの時間を

過ごしていただろうか。

 

 

 

実をいうとK病院は現在、大規模な改築,増築の

工事が行われており、今回入院している本館は

除却したうえで建て替えをすることに

なっている。

大浴場のある東館は、建物としては生き残るが

管理棟になって患者が立ち入れなくなるから

風呂はなくなってしまうだろう。

新しい病院に大浴場ができるかどうかは

知らない。

多分できないだろう。

 

昭和9年竣工。82年の歴史をもつこの病院を

建て替えるという話をF先生から聞いたときは

真底驚いた。

いま現地では、再来年オープン予定の

本館Ⅰ期の増築部分を建てるための

タワークレーンがすでに立ち上がっている。

 

F先生とは、回診の後の雑談などで、

この建て替えの話が出るようになった。

F先生も最初は

『この建物を無くしちゃいかんですよね』と

言ってたのに、建て替え工事の内容が、

患者にも漠然とわかる段階になり、

今は病棟だけの東館が『管理棟』ということに

なるのだと教えてあげると、いまはプレハブの

小屋の中にある医局が建物の中に入れて

暑くて寒くてうるさいプレハブ生活から

脱出できるようになる、と喜んでやがる。

 

2020年のグランドオープンを見るのも、

2018年のⅠ期オープンを見るのさえ怪しいから

要望めいたことを言うのは、二重三重に意味は

ないが、やっぱり湯に入って、あるいは

湯上がりに呆然とできる

こういったスペースは欲しい。

 

いまは、病院の写真を撮ったり、敷地の中を

歩いたりして、

本館の『最期から2番目くらいの夏』を

記録しております。

 

建物の中にかっこいいパーツが

たくさんあるんだよな。

 

欲しい。

 

たとえば『内科処置室』と旧字体で書いてある

ガラスの銘版。

 

これはF先生に言って、T中工務店の監督に

取り置いて貰えるようにしよう。

 

 

 

はあ、疲れた。

 

血液検査があると緊張し、最近の結果は

入院しても、まあ絶望的な数値だ。

 

 

最近はよく寝る。

あと、ベッドが窓際で午前中は日が射すので

めちゃめちゃ暑い。

 

だから風呂に入って涼む。

新しい建物に、心が動かなくなったら

なんかもう、ずいぶん負けだ。

 

 

 

 

 

 

残り- 28

  

 

 

明日は、外出。

 

 

 

 

 

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2017年8月22日 (火)

余命1年日記 -87- まだ入院中   2017年8月第4週(2017.8. 21)

8月14日    血液検査

   |      寝る

   17日    K君見舞い

   19日       外泊

    20日   帰院

    21日      (いまここ)

 

前回10日の13点のC判定に堕ちていた

Child - Pugh スコアは14日の検査でも

13点のCランクのまま。

肝臓の機能を示す数値の回復が遅いのだそうだ

大分弱ってるらしい。

 

ふう。

 

だから今やっていることは『待つこと』である

くすりを服んで、食事を摂って、安静にして

とにかく肝臓の回復を『待つこと』である。

 

ひま

 

『肝臓の回復を待つ』という意味のある休み

なのだ、と無理に思おうとしてはいるが

どう見ても一日中寝ているだけである。ひま。

 

命の無駄遣いだよなあ。

 

最近はよく寝る。

あと、ベッドが窓際で午前中は日が射すので

めちゃめちゃ暑い。

誰も入っていない大浴場に通うのが

日課になった。

 

危機感がないな

 

暇なので4.5日おきに自宅に帰って一泊させて

もらえるようにした。

こうなると、ますます入院してるんだか

してないんだかわからない。

暑いから昼間は外に出ず、

明け方 明るくなっていく涼しい街を歩くのは

気持ちいい。

 

さらに2ヶ月くらい髪を切っていなかったので

床屋にいった。

ただ、散髪中に寝てしまい、起きたら前髪が

ぱっつんぱっつんに切り詰められて

モンチッチみたいにされてしまっていた。

病院に帰ると私の顔を見た看護師、ドクターが

もれなく笑う。

くそ

 

ただ、14日の血液検査では、

肝臓の回復は鈍かったが、腎臓は順調に

回復していた。

だからF先生も のびのびと利尿剤を

増やすことができ、

おかげで腹水は、ほぼ気にならないくらいに

減った。

そうはいっても、先週の段階では肝臓の数字が

悪かったので、体調はよくはなかった。

今週はだいぶ回復しているので、

検査が楽しみだ。

 

 

17日、高校の友人のK君が見舞いに来てくれた

夕方、食堂で少し話をした。

彼と一緒に写真を撮った。

他の友人に配ってくれるという。

写真を撮るなんて何十年ぶりだろう。

楽しかった。ありがとう。

 

 

 

 

夜明けが遅くなったな・・・

 

 

 

 

 

残り- 24

  

 

 

今週退院できるかな。

 

 

 

 

 

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2017年7月20日 (木)

余命1年日記 -83- いつのまにか最終段階     2017年7月第4週(2017.7.20)

前回の日記に書いた Child - Pugh スコア。

3段階で評価し、わたしはその最低のCランクである、

と書いた。

正直、病気を評価するたくさんの指標のひとつで

『悪いから注意しとけよ』くらいの

軽い意味合いだと思っていた。

ところが実はこの指標の示す意味というのは、

おそろしいものなのであった。

(「Child - Pugh 値」の検索結果)

 

 

 

Child - Pugh スコア(チャイルドピュー スコア)

というのは、『血液検査等の値に応じた点数による

国際的な肝臓機能障害の重症度分類』であり、

軽い順にA・B・Cの3段階であらわす。

それぞれ意味するところは以下の通りである。

 

 

<肝臓機能の評価>

肝機能の評価の指標には肝障害度またはChild-Pugh分類が用いられます。
肝障害度及びChild-Pugh分類ともA、B、Cの3段階に分けられます。
Aが最も肝機能が良好であり、Cが最も不良であることを示します。

肝障害度及びChild-Pugh分類における肝機能はおおよそ次のような状態を表します。

肝障害度A
Child-Pugh A

ほぼ通常の肝機能を保っており、自覚症状がない

肝障害度B
Child-Pugh B

肝機能は低下しており、肝障害の症状を時々自覚する

肝障害度C
Child-Pugh C

肝障害が重く、いつも自覚症状がある

 

 

ABCの評価は以下の表の5つの数値から総合して

判断する。

AからCの順序で、肝障害の程度が強いことを表す。

肝障害度分類では、下表のそれぞれの項目別に

重症度を求め、そのうち2項目以上が

当てはまる肝障害度に分類される。

例えば、肝障害度Bの項目が3項目該当して

いても、Cが2項目あれば肝障害度Cになる。

評価項目と配点は以下の通り。

 

 

ポイント(Child-Pugh分類) 1点 2点 3点
項目 脳症 ない 軽度 ときどき昏睡
腹水 ない 少量 中等量
血清ビリルビン値(mg/dL) 2.0未満 2.0~3.0 3.0超
血清アルブミン値(g/dL) 3.5超 2.8~3.5 2.8未満
プロトロンビン活性値(%) 70超 40~70 40未満

 

 

この表の評価項目を素人が理解する必要はないと思う。

少なくとも私は理解しようと思わない。

時間がないんだ。

この表に基づいて私自身の評点をF先生につけて貰った。

それがこれ。(赤丸の数値、程度)

(「Child - Pugh スコア  診療カリキュレータ」)

 

肝性脳症
  • ない
  • 軽度
    (1~2度)
  • 重度  
    (3~4度)
腹水
  • なし
  • 軽度
    (コントロール可能)
  • 中等量以上   
    (コントロール困難)
血清ビリルビン濃度(mg/dL)
  • <2.0
  • 2.0~3.0
  • >3.0○   
血清アルブミン濃度(g/dL)
  • >3.5
  • 2.8~3.5
  • <2.8 ○  
プロトロンビン時間延長(秒)又は PT-INR
  • <4
  • 4~6
  • >6  
  • <1.7
  • 1.8~2.3
  • >2.3  

 

 

これで計算すると、 

わたしのChild -pughスコアは10点。

堂々最低のCランクである。

 

 

で、

 

 

このCランクになったらどうなるかというと、

こんなことになるらしい。 

 

 

(肝臓機能障害 検討会報告書  厚生労働省)

『Child-Pugh分類C患者の3年目の累積生存率は

30.7%と低く、本基準の対象者の約7割が

3年以内に死亡していた。

・Child-Pugh分類Bの患者の51.3%は、

3年後に死亡またはChild-Pugh分類Cに

移行するなどして、悪化していた。』

 

『(分類Bの患者の3年後病態)

B→死亡:30.8%、B→C:20.5%、

B→B:35.9%、B→A:12.8%』

 

 

 (研修医マニュアル)

スコアが8~9点の場合には1年以内に死亡する

例が多く、

10点以上になるとその予後は約6ヶ月となります。

 

 

(肝臓機能障害  検討会報告書  厚生労働省)

『肝臓機能障害者の身体障害者手帳の交付から

死亡までの平均期間は、

肝臓移植を受けていない者は約 300~500 日。

また、平成 22年度から平成26年度までで、

肝臓移植を受けていない者の死亡割合は、

認定等級に関わらず、約 60%であった。』

 

『Child-Pugh 分類Bの患者は同分類Cの患者と

同様に、その病態が基本的に不可逆的であり、

Child-Pugh 分類Aにまで改善する例は

少ないことから、長期の療養を要すると考えられる。』

 

 

(ガン情報サイト オンコロ)

『手術適応はBまでで、Cと評価されると

肝移植もしくは緩和ケアの治療対象となる』

 

 

 

なんて救いのない文章だろう。

 

 

 

特に厚労省の検討会の記録は、一般に公開する

想定をしていないらしいので、

表現に容赦がない。

 

 

ふう

 

 

これらの文章を総合すると、

Child-Pugh分類C患者の(指定後)3年目の

累積生存率はたった30.7%と低い。

しかも3年間ぬくぬくと生きられると思ったら

大間違いで、C判定を食らうと予後は6ヶ月。

肝臓移植を受けないと年間60%が死ぬ。 

 

 

実も蓋もねえ。

 

 

そんなら頑張って安静にして食事をしっかり摂って

きちんと薬を服んで、せいぜい健康を取り戻して

CからB、さらにAに成り上がってやるぜっ、と

思っても、

「 Bの患者とCの患者はその病態が不可逆で

分類Aまで改善する例は少ない」だってさ。

つまりCに墜ちたらもう、上に上がれないから

諦めろ、と。

 

 

そんならどうしたらいいのさ、と不貞腐れたら

「Cと評価されると肝移植もしくは緩和ケアの

治療対象となる」だって。

つまり肝臓移植が受けられないと緩和ケアしか

やることがない。

 

痛くないようにだけしてやるから、

おとなしく死んどけ。ということだ。

実際、肝臓が弱りすぎているから積極的な

治療をしたら、逆に死んでしまうのである。 

これが嘘ではない証拠に、前回話に出した 

PSE (部分的脾動脈塞栓術)の実施は放射線科の

H先生から、本日正式にキャンセルされた。

 

どうやら今回の入院直後の私の血液検査の結果を

よく見ていなかったらしい。 

『こんだけ悪いと、ちょっとね。まあ、

いつものパターンだと回復するんでしょ?

回復したらやりましょう。』

 

 

 

いつだよ。

 

 

 

検査結果くらい、ひとに新しい治療を薦める前

によく見といて欲しい。

 

新しい療法を薦められたら、「まだ先がある」

って勘違いするでしょう。

 

 

 

はあ

 

 

 

「1年」はなんとか越えられそうだけど・・・

 

 

 

 

 

 

 

残り19

  

 

 

気持ちの整理がつきません。

 

 

 

 

 

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余命1年日記 -82- PSE つぎのステップ    2017年7月第4週(2017.7.18)

最近また、腹水が出たりしてしんどかった。

6月7月とあわせて半月しかシャバにいない。

 

それに対して、いまやっているのが、投薬と

食事療法を組み合わせた内科的治療。

あと、時々穿刺である。 

 

これだけでは不十分ではないのか?という話。

 

 

 

腹水がでるメカニズムは、こんなことらしい。

肝硬変になると、アルブミンなどの

蛋白質を合成する機能が損なわれる。

 

血液中のアルブミンが少なくなると、

血管の中の血漿と外の体液との間での、

浸透圧の差が小さくなる。

そのため、血管の中の液体が外に出て行きやすくなり

亢進した門脈圧によって門脈から体液が

だだ漏れになっていく、というもの。

 

 

 

腹水がひどくなると腹が膨れ(水腫)

脚や手にむくみ(浮腫)ができる。

呼吸ができなくなる。歩くのが辛い。

身体中が痛くなる。動けなくなる。

 

足元が見えない。ものが拾えない。

急に振り返れない。階段がこわい。

外出ができない。

 

仰向けに寝てしまうと、起きられない。

体が屈めないから、へそが見えない。

ひとりで着替えができない。

身の回りのこともできない。

 

QOLもなにもあったもんじゃない。

(穿刺とは? なつやすみ)

 

 

そこで腹水を減らす必要が出てくる。

 

 

このうち利尿剤や穿刺は、

溜まった水を排出しようというもの。

いま採っている方法である。 

ただし、去年の夏のように腹水の発生が非常に

多い場合穿刺も利尿剤も間に合わず、利尿剤を

使いすぎると今度は腎臓が悪くなってしまう。

そもそも、穿刺では腹水は除去できるが、

腹水の発生量そのものは変わらないのだ。

 

これでは穿刺生活から脱出できんなあ、ということで

F先生とS先生が勧めてくれたのTIPS という方法。

門脈から肝臓を越えた大静脈にいたる短絡路を

建設することで、亢進した門脈圧を下げて

腹水の発生を抑制する。

(第二の見解  TIPS  なつやすみ)

 

これは結構熱心に薦められたのだが、

30-40%というかなり高い確率で肝性脳症という

おそろしい副作用を生じる危険があるという。

この副作用については私も少し味わったことがある。

(まず6月10日のこと なつやすみ)

 

今のところ腹水も深刻な状態ではないし、

そんなめんどくさい副作用があるなら

受けなくてもいいか、ということにしていた。

自由診療でお金もかかるし。

 

 

 

ところが以前、兵庫県立医大にTIPS の話を

聞きにいったH先生が今年6月からK病院に

移籍してくるのだという。さらにもうひとり

放射線科のK先生というひとが異動してくる。

K病院でTIPS などCTを見ながらカテーテルを

操作して手術するということがてわきるようになった。

そんなおっかないことようしよんなあ。

 

で、

 

前回の入院中、6月22日にH先生とK先生に

話を聞くことになった。 

最初にやはりTIPS のことを言われたが、

脳症などの副作用のために躊躇っている、と

言うとすぐに話を変えた。

 

『それならPSEという方法があります』

 

なに?

なんですぐつぎにまったく別のプランが

出てくるのか?

 

いやまあ、事前に検討してくれたのだとは

思うが、こうも淀みなく次善の案が出てくると

なんだかH先生が手練れのセールスマンである

かのように感じる。

『名医の条件』の中には、トークのテクニックがある、

と間違いなく思う。

 

 

 

『PSE =部分的脾動脈塞栓術』とは、脾臓が

肥大して機能が亢進して血小板や白血球を壊し始めたり

腫瘍が取りついたり、わたしのように脾動脈が

繋がった門脈圧が亢進して、腹水が止まらなくなった

やつの脾臓にカテーテルを差しこんで、

脾動脈に金属のコイルとゼラチンをぶちこんで

脾臓の2/3くらいを干し殺してしまえというもの。   

 

大命題である『腹水の減少』を実現するために

門脈圧を下げようとするならば、

門脈に流れ込む動脈のうち、比較的太い血管

である脾動脈の血を減らしたらよかろう、と

思うんだけど、そのために脾臓を小さくしよう

としたときに、じゃあ摘出するか?でも、

残せるもんなら残したいなぁ、ということで

摘出しないでカテーテルを突っ込んで、血管に

金属のコイルとゼリーをぶちこんで、脾臓の

2/3を干し殺そう、というわけだ。

 

目薬を差すために、2階を建て増すところから

始めるような面倒くささ。

ようこんなもって回った考え方出来るなあ。

 

 

ふう

 

 

これによって期待される効果は門脈圧の低減。

そして門脈圧を減らすことで、門脈を通らないで 

無茶苦茶な短絡路をつくって、そこが静脈瘤になって

破裂しやがるのを防いだり、門脈から浸みでた

腹水で身体が動かなかったりするのを防げる。

腹水の生成を止めることはできないが、

量を減らすことはできる。

腹水とのつきあいが楽になる。  

 

気になる副作用としては、

・腹部の疼痛(数日で引く) 

・胸水(すぐに引くってば)

・だるさ

などがあるという。

しかし、TIPS のように脳症などは生じない、という。

(「肝性脳症」の検索結果)

 

 

説明が雑だなあ、と思うだろう。

 

だってわかんねーもん。

 

建築屋として幸せな社会生活を過ごしてたら

PSE もTIPS も一生絶対出会わない単語だぞ。

入院中だから、ケータイでちまちまちまちま

検索して調べて書いているんだ。

頼むよ。脳症で脳みそが溶けてるんだ。

 

プロの文章をどうぞ。

(「pse  部分的脾動脈塞栓術」の検索結果)

(血管内手術を受けるかたへ 大船中央病院)

(「門脈圧亢進症」の検索結果)

 

脾臓を潰すんだったら、摘出したらどうだ?

というあなたへ

(部分脾動脈塞栓術か脾摘か)

 

この文章のなかでChild-Pugh スコアというのが

出てくるが、これが前回出てきた

『肝臓の弱り具合を調べる三段階の指標』である。

(「Child - Pugh Class」の検索結果)

 

私は堂々最低のCランク。

『CランクはPSEの適用除外』って思いきり

書いてあるんだけどいいんだろうか。

 

ちなみにこのChild-Pugh  Class-Cというのは

結構重篤な状態らしい。

『Class-Cに適応する治療=臓器移植、緩和ケア』って

移植ができなければ、痛くないようにしてやるから

死んどけっ、てことだろう。

 

 

あらま

 

 

あしたF先生に訊いてみよう。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

残り21

  

 

 

暇だから毎日こんな調べものをしてます

 

 

 

 

 

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