余命1年日記

2018年2月 4日 (日)

余命1年日記 -107- 1月のこと       2018年 2月第1週( 2018. 2. 3)

最近の記録

 

1月11日    K病院退院

       22日   吐血、下血 

    23日   救急搬送

       神戸労災病院入院

          エコー、血液検査、CT

          内視鏡検査、止血処置、輸血

          腹水、右腹部疼痛、絶食

    24日       内視鏡再検査、血液検査、輸血

             三分粥

       25日      エコー再検査

       胆石、腹水、五分粥

       26日       血液検査

       父、通帳紛失 通帳停止

       27日       父、来院 通帳戻る

                      七分粥

       28日       全粥

       29日       血液検査 胸部レントゲン

       30日       内視鏡検査 普通食

       31日       血液検査 

                      発熱39℃ 隔離

  2月 2日       熱低下   

         3日      (いまここ)

 

 

 

1月11日に退院して、身体を労りながら

寝ていたら22日に吐血した。

私の場合『吐血』というのは食道静脈瘤破裂に

なったことを意味する。

がんや結核ではない。

あーあっと思ったが、まだ血痰のような感じ

だったので「もしかして」と思って寝ていると

みるみる気持ち悪くなって、どっと吐血した。

もー、この男は何回同じことを繰り返すかな、

無駄に時間を掛けても自分が困るだけなのに。

と思うまもなく血便も出た。

朝の5時30分に119をして救急車に乗る。

 

ところがストレッチャーが救急車に

乗せられても、なかなか動きださない。

『すいません。どこの病院も満床だ、と

断られまして』という。

ほら、困った。

救急要請のピーク時間帯が、夜中なのか朝方

なのかわからないが、最近市バスよりも

たくさん救急車に乗っている身の上からしても

こんなに断られるのは初めてだ。

中央市民病院なら空いてます』言われたが

以前も書いたがあそこには嫌な記憶しかない。

『あそこに行くと殺される。』と断った。

 

結局17件目の神戸労災病院に向かった。

救急車は外が見えないので、どこを走っている

のかわからない。到着して、ストレッチャーが

外に出たときに見上げたら、でかい病院だ。

入院してから看護師に『ここはどこだ』と

訊いたら、新神戸駅の東、王子公園の北の

籠池通だった。あの辺は戸建て住宅地の

イメージがあったが、こんな大きな病院が

あったのか。

 

すぐに、エコー、血液、CTの検査。

内視鏡で処置して出血を止めた。

内視鏡を口にいれる時、麻酔を喉に吹き付ける

のはK病院と同じだが、労災病院の麻酔の方が

だいぶ強いらしく、施術中のことはまったく

覚えていない。

翌日の24日にもう一度内視鏡を飲んで

確認したところ血は止まっていた。

これで様子を見ましょう。とH先生という人が

説明してくれた。今回の私の主治医である。

顔も身体もまるんまるんに肥っている。

K病気のF先生よりもおそらくはだいぶ年上。

いつも笑顔を絶やさない人だが、病気の解釈や

治療の方針など、F先生に訊いていたものとは

違うところがあって面白い。

 

個室に移されて、点滴、輸血、カテーテル、

バイタルを測るいくつものケーブルに繋がれて

ベッドから降りちゃいけない絶対安静。

吐血こそ止まったが、いつまでも便は黒く、

果てしなく気持ち悪い。

まる一日唸って過ごした。 

 

あと、腹が苦しくて痛い。

『腹が苦しい』のは、いつもの腹水。

ただし今回は大分ひどいので穿刺でもなんでも

してください。と頼むと『今回は無理です』

『なんで?』『静脈瘤が破裂して大量に出血

したおかげでアルブミンなどのたんぱく質が

失われている。今は輸血や点滴で保たせてるが

穿刺で何リットルも体液を抜くのは危険だ』

と言われた。

『後で利尿剤を始めるので様子を見ましょう』

だそうだ。うー、座るのが辛い。

 

もう一つ右の腹に差し込むような痛みがある。

これの原因がわからない。

エコー検査で胆石が見つかったので

『これが原因ですか?』と訊いたら

『胆石が本気を出した時の痛みは

そんなもんじゃないですよ?』と言う。

『膨れた腹が圧迫してるんじゃ

ないでしょうか』と言われた。

利尿剤を服んで腹の浮腫が大分引いた今(2日)

では、だいぶ治まってきたのでそれが正解

だったのかもしれない。

 

25日、エコー再検査。

機械のことはわからないが、非常に高い解像度

の機械で見るのだと言う。

操作もH先生ではなく専門のオペレーターさん

がつく。彼女が明るい人で、笑いながらひとの

腹の中の映像を見せてくれる。

腹水がたくさんあるという。胆石もあるという

どれどれ、と見ると胆嚢から胆管に出る穴を、

意外な大きさの胆石が出たり入ったりして

顔を覗かせていた。

やだなー。 

 

26日、血液検査 心臓エコー検査 

心臓が原因の腹水もあるから、ということでの

検査だったそうだが、心臓は異常なし。

『めっちゃ元気ですよ。心臓は』だと。

やっぱり肝臓か。

身体は重たいし気持ち悪いし、腹水も胆石も

肝硬変のせい。身体についた脂肪も痒みも

全部肝硬変のせいだ。肝臓が悪い。

肝心の食道静脈瘤破裂もそう。

いや、今回破裂した静脈瘤は食道ではなく、

食道と胃の間の噴門の下、胃の中だと言う。

さらにそれとは別に、胃壁からじくじくと

内出血がある、と。

たしかに便を見ると黒い。

この時期が一番辛かった。

 

気分も悪いが、次々でてくる不具合がみんな

肝硬変と関係している。

なんだか自分の身体が

『肝硬変の合併症の博覧会場』になったようだ

肝臓だけが悪いのではなく、

全身に肝硬変の毒素の飛沫が飛んで来て

身体のあちこちに染みを作っていく。

気持ち悪かった。

 

しかしその後はしぶとく回復。

26日、利尿剤開始。たんぱく質を自前で

補給できるようにとにかく安静にして食え、と

27日、七分粥

28日、全粥

29日、血液検査 胸レントゲン。

浮腫が減った。

30日、内視鏡検査。

破裂した場所からの再出血なし。

31日、血液検査

利尿剤の効果が出ている。腹が柔らかい。

しかしまだヘモグロビン値が低い。

発熱39℃。

インフルエンザが怖いから念のため隔離。

1日、熱下がる。隔離はそのまま。

2日、来週血液検査をして、貧血が改善して

いたら退院。

3日、隔離解除。

 

あとは、貧血の改善。

来週血液検査をして、ヘモグロビンが順調に

回復していれば退院、ということに

なるでしょう。

 

せっかく初めて来た病院に入院したのに、

前半はしんどくて、後半は隔離になって、

まだちっとも歩いていない。

いつもあたらしい病院はうろうろ観光するのが

楽しいのに。

観光?

 

 

 

 

 

残り- 193

  

 

 

歩こう。

 

 

 

 

 

 

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2018年2月 2日 (金)

余命1年日記 -107- まだ入院        2018年 2月第1週( 2018. 2. 2)

最近の記録

 

  1月11日    K病院退院

  1月22日    吐血、下血 

  1月23日    救急搬送

      神戸労災病院入院

   2月 2日    (いまここ)

 

 

 

入院してます。

今度はまた静脈瘤破裂です。

ふう

入院の隙間に退院してるな。

あたりまえか。

 

ずーっと病室で寝てると、

大雪も寒波も関係ない。

インフルエンザのせいで

ベッドの回りのブース内禁足状態なので

いま神戸で雪が降ってるかどうかもわからん。

 

あの雪がみんな融けたら

・・・・・・

べつに何も起きないな。

たぶん

 

しんどいから寝ます。

また書きます。

 

 

 

 

 

残り- 192

  

 

 

やべえ、もう2月だ。

 

 

 

 

 

 

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2018年1月11日 (木)

余命1年日記 -106- 膝の水を抜く    2018年 1月第2週( 2018. 1.10)

最近の記録

 

  1月  9日    血液検査 

  1月10日    整形外科受診

      レントゲン撮影 膝の水を抜く

                        (いまここ)

 

 

膝に水が溜まった。

右膝が痛い。

先週の後半から、立ち上がって歩くために

右足に体重をかけると痛くてベッドに

尻餅をついてしまう。

 

段々ひどくなってくるので、9日の昼頃に

その日の朝の血液検査の結果を報せに

来てくれたF先生に相談してみた。

先生は『わかりました』と言いつつも

『膝の痛みというと整形外科なので、あした

診察を受けてください』という。

 

さらに、

『血液検査の結果は良好なので退院していい』

という。『退院して明日改めて外来で

整形外科に来てもいいですよ?』と言われたが

いたい足を引きずって往復するのもしんどいし

高額療養費保証制度のおかげで、

二日くらい入院を伸ばしても、

入院費の一日あたりの増額は

食事代金620円程度でしかない。

行き返りにタクシーを使うことを考えたら

得ですらある。そんな訳でまだ入院している。

『日本の医療財政危機の敵』とは私のことだ。

 

10日、うつらうつらして寝ていた。

整形外科に呼ばれたのは4時過ぎだった。

研修医と言われても疑いを持たないような

若い先生に触診してもらう。

歳を取ると、タクシーの運転手とか医者などの

『歳上の職業』に就いている人が

どんどん若くなる。

レントゲンを撮ってくると

『膝に水が溜まっている』と言われた。

よく聞く言葉なのでどういうことか、と聞くと

関節の炎症によって間接液が溜まるんだと。

激しい運動をする人がなるようなイメージが

ある、というとそれには答えず『痛風や雑菌が

感染した場合も水が溜まります』と言われた。

まことに人をよく見ている。

膝に太い針を刺されて水を抜く。

太めの注射筒一杯の黄色い液体が取れた。

 

『感染症だと、また入院してもらわないと

いけないのでこれからこれを検査に出します』

『じゃあ、その結果が出るまで

退院できないんですか?』と訊くと

『いや、結果が出るまで一週間かかるし、

この色なら大丈夫でしょう。

退院していいですよ。』と

わかるようなわかんないようなことを言う。

 

ふたたび膝に注射して鎮痛剤を打って終了。

術後6時間経ったいまでもまだ痛い。

 

さて、この膝の水と痛みは

肝臓のせいなのだろうか。

感染症なら関係ないかもしれないが

痛風は関係ありそうだ。

いずれにしても身体が弱ってきてるんだろう。

痛いところが次々に出てくる。

 

ベッドに戻ってきて、明日の退院に備えて

こまごま買ってきたお菓子の整理をしていると

F先生が来てくれた。

 

ここでケースワーカーを交えての5日の

打ち合わせできちんと聞けなかったことを聞く

『立ち眩みの対策の方はこれでいいのか?』

ということ。このまま退院してもまた倒れる。

先生は困ったような顔をしながら、 

『2.3週間入院すると、退院する時には

体力も肝機能の数字も改善はしますが、

入院する前の水準に戻れなくなっています』

以前も聞いた話だな。

『だから、普通の方法だとこれが精一杯です』

 

『普通じゃなくてもいいです。』

じつは週末からの5日間、膝が痛くて鎮痛剤を

もらっていたのだがK病院の看護師さんは皆

真面目なので『6時間開けないと駄目です』

『一日4錠までです』となかなかくれない。

『そういうのはもういいんだから』と

説得しても、くれない。と、

苦情を言うとF先生はもっとわからない顔を

しているから、

『だからQOLの改善、向上と言う中には

大きな要素として「痛みの軽減」ということが

あるわけでしょう』

『ええ』

『薬を服み過ぎることで多少不都合が生じても

目前の痛みを治すことを優先してください』

『・・・』

『「何十年後の健康」なんて

どうでもいいんですよ、もう』

これには沈黙していたが、

『論文の2.3本も書くつもりで、用量なんか

無視して強力な薬を下さい』と言うと

『倫理委員会に怒られますよ』と笑った。

こういう冗談に怒らないのがこの人の

いいところだ。

 

先生はやっとわかったような顔をしてくれたが

『でもいま使っている鎮痛剤は本当に強力

なんですよ』

『は?』

『用量を守らないで使ったら、

弱っているnatsu さんの肝臓は

すごいダメージを受けます・・・』

 

あ、そうか。

 

 

 

 

 

 

残り- 169

  

 

明日は退院 

 

 

 

でも、覚悟くらいは伝わったかな。

『もう少しなにか考えておきますよ。』と

言ってくれたし。

 

 

 

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2018年1月 5日 (金)

余命1年日記 -105- 退院できたら    2018年 1月第1週( 2018. 1.5)

『今日は回診が遅いな』と思っていたら、

夕方の4時頃にF先生がケースワーカーのOさん

という人とやって来た。

これから退院後の生活指導について話を

したい、と。

 

具体的に言うと『アルコール専門

病院に行きませんか?』ということだ。

今回の入院の原因が立ち眩みであり、

その原因が直前の飲酒である、と

周囲の人たちに考えられているということ。

そしてその再発防止のためには、アルコール

専門病院に通った方がいいのではないか?と。

 

去年、脳死も生体も移植が不可能である、

ということがはっきりした時、自分の気持ちが

変わった。

 

 

もう、いいよ。

そういうのは。

 

 

つかれた。

今回の入院に関してはそんなことはなかった。

 

 

もう、いいんだ。

 

 

何を言っても言い訳にしか聞こえないな。

 

そこで勧められたのが専門病院への通院だ。

しかしは私は15年前から10年くらいの期間、

会社の産業医に勧められて、こういう病院に

通っていたことがある。

こういう病院のスタッフというのは

『疑うところ』から人を見る。

医者はもっとひどい。

『お前らがしたことを思えば疑われても当然』

と言われても仕方がないが、結局医者と喧嘩

して病院に通うのをやめてしまった。

更に父親が乗り出してきて『監視』と称して、

猛烈なマウンティングをやった。

追跡する、会社の出口を見張る、

携帯にGPS機能を持たせて一日中監視する。

『金を持たせない』として、現金、通帳、

商品券などあらゆるものをさらっていって

干渉、支配しようとした。

同様のことを嫁の実家にもやられた。

あらゆる人が『こいつ飲んでる』という視線で

向かってくる。

 

こんなことを15年以上続けたら

人間、おかしくなる。

 

今日の話はみんな言い訳にしか聞こえないが、

そんな訳でアルコール専門病院には通いません

と答えた

 

あれは辛い。

 

とにかくあの医者やケースワーカーの連中と

付き合うのは無理。

あいつら七代裔まで祟る。

と言うと、

F先生は大変困った顔をして、アルコールが

止められないと急速に衰えるだけですよ。

といった。

 

そうして

『困ったら病院には来て下さいね』

とも、言った。

 

 

 

 

残り- 164

  

 

寒かったけど雪は降りませんでした 

 

 

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2018年1月 1日 (月)

余命1年日記 -104- あけましておめでとうございます    2018年 1月第1週( 2018. 1. 1)

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

 

こうして新年の挨拶ができてうれしいです。

 

 

病院にいます。

 

去年も入院してたんだよな。

2年連続で年末年始を病院で過ごしています。

去年の元日は家に帰れたのにな。

今年は外出日に倒れてF先生が怒った

おかげで三が日の外出はなし。 

だから帰宅した日の夜からTV三昧。

大晦日もワンセグを点けっぱなしにして、

紅白のあと2355 0655で年越し。

 

そのあとも朝までとろとろとTVを眺めてたら

いつのまにか朝。

『初日の出生中継』とかやっているから、

『そうだ。病院から初日の出がみえるかな』

と最上階の東側に行ってみるとこの病院、

東側の窓が殆ど病室の中にある。

さすがに他人の病室に入るわけにいかないので

どうしたもんか。と、見ると

廊下の突き当たりに避難バルコニーに

出るためのガラスの扉がある。

よし、ここだ。と思って近づいていくと

遠くで警報音がする。

よく見ると壁際に赤外線センサーがある。

 

共用廊下にセンサー張るなよ。

火事でも起きて病室の患者がみんな逃げたら

センサー鳴りっぱなしになるぞ。

夜中に3階のバルコニーに勝手に出るやつが

おるんかいな。と思ったら俺がそうだった。

(余命1年日記 -76- 肝性脳症)

まあ、入院して脳症になったら、

そんなこともあるよね。

 

しかし、警報がなるとすぐナースステーション

から看護師が出てきてせ見つかった。

何をしているかと当然のように訊かれたが、

『初日の出を・・・』というのも恥ずかしいので

『いや、まあ』と不得要領に答えて逃げ帰った

これじゃ、ベッド荒らしの未遂犯だ。

しかし自分のベッドに戻ると、

今度はうちの階の看護師が来て『natsuさん

さっき3階のナースステーションから、

違う階の患者なのに3階をうろついてます。

って電話がありましたよ』と苦情を言われた。

病院こえー。

 

くそ、正月早々たった7時間でケチがついた。

 

 

しかし、ひまだなー。

雑煮食べたい。初詣行きたい。お酒のみたい。

退院していたとしても、たぶん今と同じように

ごろごろしてTV 見ているだけだろうけど

『できるけどやらない』というのと、

『外に行けないからできない』というのは

大違い。気分の問題だ。

 

それよりも入院中に『立ち眩み』の問題を

なんとかしなくてはいけない。

外出してもその都度倒れていたら、やっぱり

なにもできないのだ。

安静にしているうちに、なんとか対策に目処が

立たないものか。

 

外を歩きたい。

まだ足が利くうちに、旅行がしたい。

 

 

ふう

 

 

 

 

 

では、2018年K病院の元日メニュー。

 

(朝食)

・だし巻き玉子

・白味噌雑煮

・牛乳

・フルーツ

 

(夕食)

・たら松風焼

・付け合わせ

・和え物

・含め煮

 

雑煮は『白玉』と言いつつ白玉粉ですらなく、

小さな麩の玉。

これが大根の銀杏切りと一緒に白味噌の味噌汁

に入る。個人的にはこれは『雑煮』と

認めたくない。

しかし、K病院の正月料理はおそらくこれで

おしまい。すでに1日の夕食で

日常のメニューに戻っている。

味はイベントの有無に関わらず不味い。

 

正月らしいイベントはおわりだけど、3日まで

病院はおやすみ。

 

あーあっと。

 

 

 

 

 

残り- 160

  

 

ことしもよろしくお願いします 

 

 

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2017年12月26日 (火)

余命1年日記 -103- クリスマスディナー                   2017年12月第5週( 2017.12.25)

最近の記録

 

12月20日    K病院 入院 

12月25日    (いまここ)

 

 

メリークリスマス

病院なんかにいるとクリスマスも有馬記念も

関係ないけどな。

 

でもクリスマスとかハロウィンとか、

賑やかなイベントが、自分と関係ないところを

通りすぎていくのを見送るのはやっぱり辛い。

 

昨日今日と、ちょっとつらいことがあって、

それ以外にもいろいろあって、

一日、呆然としていました。

 

 

はやいなあ。

 

 

では24日K病院のクリスマスディナーメニュー

 

・付け合わせ 野菜のピクルス

・クリスマスサラダ 

・ハーブチキン

・ゼリー

 

付け合わせの『野菜のピクルス』とは

ほうれん草とおぼしき青菜の酢漬け。

今年のクリスマスサラダは、ブロッコリーと

カリフラワーとニンジンの千切りを

白胡麻とドレッシングで合えたもの。

この二品には星形に薄く切ったニンジンが

クリスマスツリーのオーナメントよろしく

散らしてある。

 

どうだ、クリスマスだろう。

 

『どうだ』って言われても困るな。

そして残りの一品『ハーブチキン』。

これがうまかった。

長く病院食を食べているが久々のヒット。

串こそないが焼き鳥のような肉に強く塩胡椒が

あててある。

『ハーブチキン』と言うからには

それ以外のスパイスも使ってあるのかと

思ったが ごめん、俺の舌と鼻じゃわかんねえ

 

って、これ

焼き鳥の『とり塩』だよ。

串が抜いてあるだけじゃねえか。

焼き鳥なんてしばらく食べてないから

うまかったぞ、こんちくしょう

 

 

毎年クリスマスディナーを実況してる

場合じゃないな。

ちなみに去年のメニューはこんなの。

(病床のメリークリスマス)

 

 

 

では、メリー

 

 

 

 

 

 

 

 

残り- 153

  

 

来年はどんなメニューかな! 

 

 

 

いや、来年見られるかなあ。

 

 

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2017年12月24日 (日)

余命1年日記 -102- メデューサの頭                   2017年12月第4週( 2017.12.23)

最近の記録

 

12月20日    K病院 入院 

12月23日    (いまここ)

 

 

結局、今回私が入院した理由としては、

血液検査の結果が悪いのと腹水が増えたという

『いつもの理由』である。

ところが今回はそれ以外の理由があって

それが不意に起こる立ちくらみ。

これでぶっ倒れて救急搬送されてきた。

で、

腹水や立ち眩みの原因が、

肝硬変とともに起きる門脈圧亢進症。

根っこのところで、

全部繋がっているという話。

 

立ちくらみを頻発するようになって個人的には

まず低血圧を疑った。

ところが実際の血圧はそうでもない。

実は今回の私の立ちくらみの原因は、

ホルモンのバランスが崩れたためなのである。

 

肝臓の機能が弱くなると女性ホルモンが

分解できなくなって体内に溜まる。

その分相対的に男性ホルモンが少なくなる。

そうなると男性ホルモンに反応して作用する

交感神経系の機能不全をもたらす。

 

たとえば立ち上がる時などに適切に血管を

収縮させて血液を上に上げてやらないと

いけないのだが、これができない。

従って脳みそに血液が行かなくて立ち眩む。

酷いときには、立っていられなくて座り込む。

もっと酷いときには気を失って倒れて入院する

もっともっと酷いときには倒れて鼻を折る。

私が今いる段階である。

立ち眩みの原因が肝硬変だと思わなかった。

 

この門脈圧亢進症がすすむと上腕、肩、胸など

にクモの巣状に赤い斑点があらわれる。

(クモ状血腫)

なかなか気持ち悪い。

 

これが臍の周りの血管を押し広げると

『メデューサの頭』という、

血管が盛り上がったさらに気持ち悪いものが

できあがる。(メデューサの頭)

大半の画像が『メデューサを退治してその首を

高く掲げるペルセウスの像』なのだが

いくつか人間の腹を写してあるものがあって、

臍を中心に放射状に不気味に盛り上がった血管

の一群がそれ。

 

私はまだ『メデューサの頭』はできていないが

クモ状血腫ならば『胸にある』と、

六甲アイランド病院のA先生とK病院のF先生に

言われた。2名一致だ。くそ

 

さらに、今苦しんでいることとして

『全身の皮膚の痒さ』ということがある。

これも肝硬変、門脈圧亢進症と関係がある、

という。

『どんな理由で痒くなるんです?』と

F先生に訊くと

『諸説あって・・・』と答えなかった。

A先生は『皮膚近くの血管が押し広げられる

ことで皮膚を刺激して痒くなる』と言っていた

これも『諸説』のひとつらしいが皮膚の痒みは

門脈圧亢進症と関係があるわけだ。

 

さらに以前『身体が膨れて乳房ができた』と

書いたが、これも体内に女性ホルモンが貯まる

ことによる、という。

(メタモルフォーゼ)

 

そのほかもちろん腹水や浮腫も肝硬変と関係が

ある。血が止まらないし倦怠感もひどい。

自分ではわからないが黄疸もでている。

全部肝硬変と門脈圧亢進症のせいだ。

 

もう水虫になったのも、目が悪いのも

犬が吠えるのも肝硬変のせいだ、

とか言い出しそうだが

これほど異なる場所の異なる症状がある原因が

根っこはすべて同じ。

個別の症状に対応して投薬などの処置をしても

真の原因を取り去ることはできないから

再発するぞと言われても。

 

こうした他覚的な身体所見、

倦怠感、クモ状血腫、女性化乳房、皮膚掻痒感

黄疸、腹水、浮腫、肝性脳症といったものは

『肝硬変の典型的身体所見』として、

一般向けサイトにもかならず出てくる。

だからそれが出たから、といって騒ぐのは

とんだ笑い者かもしれないが、

それならどうしたらいいのか?

 

『立ち眩みが危険だから』といわれて

こうして入院していても『原因が肝硬変』では

退院しても危険は低減しない。

なんで入院してんの?俺。

 

ほかの身体的変化も同じことで、

身体が膨れてユニクロのXLのシャツでさえ

パッツンパッツンになって不経済でかなわん、

と思って飯を抜いて痩せようと思っても

少しだけ体重は減るけど体型は変わらない。

痒くてしょうがないから皮膚科でもらった

塗り薬を塗り込むんだけど、それは

蚊に刺された場所を爪でバッテンする程度の

効果しかない。

 

肝臓移植ができない以上、いまできることは

こうしてでてくる合併症によるQOLの低下を

防ぐために、対症療法をするだけだ。

 

わかっていたつもりだったけど、

立ち眩みの原因さえ門脈圧亢進症で、

メデューサの頭と同じ原因だとなると、

なにしてんだろうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

残り- 151

  

 

望みのない『もぐらたたき』だなあ。 

 

 

 

なにやってるんだ。 

 

 

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2017年12月22日 (金)

余命1年日記 -101- 入院してます                   2017年12月第4週( 2017.12.22)

最近の記録

 

11月22日    六甲アイランド病院 退院 

12月20日    転倒 救急搬送

                        K病院 入院

12月22日      (いまここ)

 

 

11月下旬に退院してから、ずーっと寝てた。

しんどかった。

動きたくない。

いままでもあった『身体の中の澱』の

ような、身体の動きを重く鈍くする、

薄汚い『なにか』が溜まっていく。

外に出るたびにそれが身体のなかに生まれ、

帰ってから3時間も経つ間にそれが、うんと

汚ない色の微細な粒子に分かれて、

体内の底の方に沈んでいく。 

身体が重くなって歩けない。

また腹水がでて腹が苦しい。靴が履けない。

まるで2016年の夏ようだ。

これを一ヶ月続けた。

 

立ち上がるのに物凄く力が必要になり、

立ち上がっても貧血が起きる。

玄関を出ようとして、玄関の三和土に

座り込んでしまうことが続いた。

 

そうなると、今度は立ち上がれない。

以前の『鼻骨骨折事件』がこわい。

そもそもマンションから200mの範囲しか

動けなくなった。その範囲の医者、コンビニ、

たこ焼屋、ラーメン屋しか行けなくなった。

 

ところが20日、勇を鼓して距離300mの

ダイエーに行ってカップ麺とか買って帰ったら

足下がふらついて、すぐに倒れた。

起き上がれないから、アスファルトのうえで

のたうっていたら通りがかりの若いにいちゃん

が、救急車を呼んでくれた。

私の名前がわかると救急隊の隊員は、

躊躇なくわたしが乗った救急車をK病院の

正面玄関に付けたので、今私はここにいる。

一緒に救急車に乘って来たのは、カップ麺の

入ったトートバッグだけだった。

 

 

 

 

 

 

残り- 150

  

 

もう、1ヶ月だ。 

 

 

 

なにやってるんだ。

 

 

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2017年11月21日 (火)

余命1年日記 -100- 退院前の日々                   2017年11月第4週( 2017.11. 21)

最近の記録

 

11月16日    血液検査 

11月18日    入浴

                        父来院 整形外科受診

11月20日       血液検査

11月21日   (いまここ)

 

退院の日が決まった。

破裂した血管をゴムで締めて血を止め、その後

再出血もないから先週末あたり、

そろそろ退院かな、と思ったら、

例によって肝臓の回復が遅く

22日に血液検査をして問題がなければ

23日の木曜日退院、ということになった。 

 

これも、20日の検査結果でA先生は

退院させてもよさそうな顔で『20日からの

週で退院しましょう。』と言ってくれたが、

もうひとりのS先生が『肝臓の回復が遅い。

あんた来たときヘモグロビンが6g/dlしか

なくて(正常値は13.5~17)死にそうで、実際貧血で

ぶっ倒れて右目の回りを痣で真っ黒にして

いたでしょう。』という。あれは痛かった。

『22日に検査するからそれまで寝てなさい』

と、わが医師団の意見は別れた。

もちろんA先生にしても、自説というほどの

ものを強く主張する訳ではなく、っていうか

治った患者にもう興味はないんだろうな。

回診の時も話題かなくなった。

退院は23日。勤労感謝の日なんだけどね。

 

患者としての扱いということで言うと、

退院が決まったら、先生に限らず

看護師の皆さんの扱いも軽くなるなー。

食事のトレイは朝まで引いてくれないし、毎回

箸がないし・・・

 

しかし『検査待ち』ということになった

21日は、のびのびと暇だ。

 

 

13階の風呂に入る。

一応、患者なら予約なしで誰でも入れる

大浴場なのだが二人しか入れない。

もっとも他の患者が入っているのを

見たことがない。

 

風呂から出てすぐ向かいのロビーに行く。

六甲アイランド病院の13階には健診センター

という施設があり、企業の、あるいは個人での

健康診断が受けられる。

企業の健康診断がある時は、人が集中するので

この病院にしては広いロビーがあって、

武骨な長椅子が6脚ある。

 

私が行った時は、患者というか客は

誰もいなかった。入り口のお姉さんに断って 

ロビーに入る。

いい天気だなあ。

『カーテン開けてくださいね』とお姉さんが

開いてくれた景色をみる。

六甲アイランドはマンションばかりで、

私のベッドがある9階でも見張らしは悪いが、

さすがに13階はよく見える。

外は寒いんだろうけど、黄色い午後の陽を

いっぱいに浴びたロビーは暖かい。

 

退院してうちに帰り、かび臭くて狭い

ユニットバスに入ることを考えると気が滅入る

 

 

18日にもこの浴場に入った。

この日、入院の時に頼んだ荷物をもって

親父が来た。いい親だと思うだろう。

ところが9日に頼んで18日に持ってきた。

つまらない用事でも10日がかりなのである。

更にこの男、肩を骨折したのだ。

これも医者にいくのに10日かかった。

こっちは入院をしているから、

ケータイを使って怒鳴りあげてやっとである。

自転車に乗っていてこけたのである。

足腰が利かないから、自転車を使った、と。

 

な?間違ってるよな?

そんな体で自転車に乗っても転ぶに

決まっているし、踏ん張れないから重大な結果

が待っているに決まっている。

 

『転ぶ』と言うことに関しては、最近私も

ひどいのだが、やな親子だなあ。

 

更にこの人、医者にいくのを頑なに拒むのだ。

自転車で転んだあと医者に行くのに

10日かかったように、なぜか嫌がる。

費用を惜しんでのことではない。

ギプスも要らないこんな骨折の処置、

1割負担のあの男には痛くもなんともない。

 

じつは18日に病院に来たときも

騒ぎがあったのだ。

『右肩を骨折した』というのになにも装けて

いない。『どーした』って訊くと、

『ギプスはしなくていいんだって』と

嬉しそうだ。ギプスはいいけど、なにか腕を

固定するために包帯を胸から巻いたり、せめて

三角巾くらいするだろう、と重ねて訊くと。

『外してうちに置いてきた』という。

この野郎、と思って『ごこで処置して貰え。

ここは病院だぞ』と言うと拒否する。

診察を受けろ、と言ってるんじゃない。

痛くもなんともない。包帯でも三角巾でも

費用だって数百円だ。

それを拒否する。しかも身体を曲げ全身で

『医者は行かないんだー』という。

埒が明かないから最後は少々乱暴な手段を

取った。猫のように首根っこを掴んで、

診察室に連れていった。

こどもだ。

帰りは外来時間外になって、タクシーがおらず

六甲ライナーの駅のそばまで送ってやったが

別れ際、『もう、絶対来ないからな』と

涙を溜めて言い捨てた。

 

うん、退院するんだけどね。

 

 

しんどいから認知症のことは考えたく

ないんだけど

帰ればまた、こいつと一緒に暮らすんだよな。

 

 

 

 

 

 

 

残り- 119

  

退院したくなくなってきた。

 

 

 

 

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2017年11月14日 (火)

余命1年日記 -99- 私はどうやって静脈瘤を破ったか     2017年11月第3週(2017.11. 14)

最近の記録

 

10月31日    血液検査 退院

11月08日    吐血、下血

                        六甲アイランド病院入院

11月14日       (いまここ)

 

 

最近は、うちにいても寝てばかりいます。

そとに出掛けることもありません。

『世界一動かない鳥』として有名な

ハシビロコウの中の少し元気な奴の方が

はるかに積極的だろう。

 

毎日満員電車で通勤することもなく、

面倒な仕事も 残業もなく、嫌な上司もおらず

不機嫌な嫁も ばかなガキもおらず、

いつも毎日遊んでいる。

そういう人にわたしはなりたい。と

みんな思っているだろう。

わたしだってサラリーマン時代には

そう思ってたさ。

いまは嫁も子供もいないけどな。

 

しかしいざ、そういう境遇になってみても

ちっともうれしくない。

だからどこにも行かない。

コンビニに行くくらいだ。そうして8日の昼前

食事を買いにいったコンビニの帰りに

吐き気がきた。

 

帰り道にあるマンションの公開空地にある

ベンチに座ったら濃茶色の血を吐いた。

ごめんOさん、

でも雨が降ってたからすぐ流れたよ。

 

何が起きたかはすぐ理解できた。

静脈瘤破裂だ。

 

だから、帰ってから寝た。

いや医者行けよ、と思うだろう。

膝小僧をすりむいた訳じゃない。

血管に穴が開いたのが自然に治るわけはない。

しかも肝臓が悪くなってきて

血小板が少なくなっているのだ。

ほっとく馬鹿がおるか。 

 

もちろんわかっている。

わたしが静脈瘤破裂を起こすのは生涯3度目。

去年の6月、今年の3月に続いてのこと。

しかも前回の破裂の時は将来の静脈瘤の破裂と

大量出血を回避するために

その時破裂した静脈瘤だけではなく、

『危なそうな箇所』5箇所を事前に縛るという

予防的な処置を行ったはずである。

となると 、あの時『まだよかろう』と

見逃された静脈瘤が急成長したんだろうか。

わたしはいま『日本で一番破れやすい血管』を

もっている男である。『日本で一番』が

言い過ぎなら『本山南町で一番』でもいい。

そんな意味のないことを考える。

 

寝ているとまだ体が楽だし、正直、この事態を

真面目に考えたくない。

しかし夕方また吐血し更に派手に血便が出た。

真っ黒に。

 

すごいな、本気の血便って。

いままでも検便で『潜血がある』って言われた

ことはあったけど『まあ、痔だろう』と思って

それは正しかったのだが8日のは真っ黒。

怖い。

ほとんど水状の真っ黒い液体が

尻から何回も出た。

『イカみたい』と、ふざける気すら起きない。

しかも今回は吐血と血便が

上下から同時にきた。

黒い液体が 消化管上端の喉と

末端の肛門から出る。

こんなことを夕方から数時間続けた。

 

催してもベッドから便器までの数歩が遠い。

からだが重くて動けない。

寝ていて軽く咳をしたら急にえづいてベッドの

上で吐いた。もう間に合わないので部屋の

プラスチックのごみ箱を抱えてそこに吐いた。

 

さすがにまずい、と思って

苦しんでいる息子を無視してすやすや寝ている

薄情な親父を叩き起こして救急車を呼んだ。

まだ9時なのに。

かばんに携帯の充電ケーブルだけねじこんで

救急隊のストレッチャーに乗せてもらう。

 

夜のマンションの廊下をがらがらと移動する

ストレッチャーの音を聴きながら近所の数百の

好奇の耳のことを、ほんのほんのちょっと

考える。搬送先の病院を探していた

救急隊の人が『いつも行っているK病院は

六甲アイランドのK病院と救急の当番制を

敷いていて消化器内科の急患は偶数日は

六甲アイランドに行ってくれ、だそうです。

いいですか?』と、聞く。

急患にそんな混みいったこと聞かないでくれ。

しんどいから。

 

救急車のなかでも血を吐きそうになって、

あわてた救急隊員からもらったビニール袋を

抱いて、そこに吐きながら病院に着く。

鼻を折って形成外科に来たとき以来だ。

すぐ検査。

どうせ静脈瘤破裂に決まってるんだから

すぐに内視鏡を突っ込んで破裂した静脈瘤を

縛ってくれたらいいのに、

検温、血圧、採血、レントゲン、CT、そして

何人もの先生からの問診、『どういう経緯だ』

『病歴は』『酒飲んだのか』『カツ丼喰うか』

『気分はどうだ』

 

悪いわっ

 

一通り処置が終わり、

血を抜いたり、輸血したり、注射されたり

身体中に穴が開けられ、輸血とか点滴とかの

心電図 とか、いろんなもんに繋がれて

ナースステーション横のHCUに入った時はもう

日付が変わっていた。

 

入院後2日間は、ひたすら気持ち悪くて唸って

ばかりいた。

腹の中に残っていた出血の残りの血が出て、

吐血して黒い便を出した。

やはり2日間は絶食絶飲。

当然 絶対安静。

大も小もベッドの上でやって降りてはいけない

 

 

つかれた

 

 

いまは、気持ちが悪いことは悪いが

吐くほどではなく、うんこの色の黒みが消え

絶食が外れて重湯から三分粥。(点滴はある) 

ベッドから降りて介助つきでトイレに

行けるようになり、いまはひとりでいける。

ベッドの上だけだった行動範囲も、

病室内、病棟内と拡がり、いまは『病院内』。

つまり無断外出しなければ病院の中はなら

どこに行ってもいい。

と、一歩ずつ人間に戻りつつあります。

 

15日に内視鏡を入れて異常がないかを確認し

食事がいまの三分粥から五分、七分、普通めし

と戻っていけば退院。

おそらく来週にはシャバに戻れるでしょう。

 

 

 

退院してもまた、ハシビロコウ以下の生活に

なったら意味がないんだけどな・・・

 

 

 

 

 

残り- 112

  

早く人間になりたい

 

 

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