余命1年日記

2017年7月20日 (木)

余命1年日記 -83- いつのまにか最終段階     2017年7月第4週(2017.7.20)

前回の日記に書いた Child - Puh スコア。

3段階で評価し、わたしはその最低のCランクである、

と書いた。

正直、病気を評価するたくさんの指標のひとつで

『悪いから注意しとけよ』くらいの

軽い意味合いだと思っていた。

ところが実はこの指標の示す意味というのは、

おそろしいものなのであった。

(「Child - Pugh 値」の検索結果)

 

 

 

Child - Pugh スコア(チャイルドピュー スコア)

というのは、『血液検査等の値に応じた点数による

国際的な肝臓機能障害の重症度分類』であり、

軽い順にA・B・Cの3段階であらわす。

それぞれ意味するところは以下の通りである。

 

 

<肝臓機能の評価>

肝機能の評価の指標には肝障害度またはChild-Pugh分類が用いられます。
肝障害度及びChild-Pugh分類ともA、B、Cの3段階に分けられます。
Aが最も肝機能が良好であり、Cが最も不良であることを示します。

肝障害度及びChild-Pugh分類における肝機能はおおよそ次のような状態を表します。

肝障害度A
Child-Pugh A

ほぼ通常の肝機能を保っており、自覚症状がない

肝障害度B
Child-Pugh B

肝機能は低下しており、肝障害の症状を時々自覚する

肝障害度C
Child-Pugh C

肝障害が重く、いつも自覚症状がある

 

 

ABCの評価は以下の表の5つの数値から総合して

判断する。

AからCの順序で、肝障害の程度が強いことを表す。

肝障害度分類では、下表のそれぞれの項目別に

重症度を求め、そのうち2項目以上が

当てはまる肝障害度に分類される。

例えば、肝障害度Bの項目が3項目該当して

いても、Cが2項目あれば肝障害度Cになる。

評価項目と配点は以下の通り。

 

 

ポイント(Child-Pugh分類) 1点 2点 3点
項目 脳症 ない 軽度 ときどき昏睡
腹水 ない 少量 中等量
血清ビリルビン値(mg/dL) 2.0未満 2.0~3.0 3.0超
血清アルブミン値(g/dL) 3.5超 2.8~3.5 2.8未満
プロトロンビン活性値(%) 70超 40~70 40未満

 

 

この表の評価項目を素人が理解する必要はないと思う。

少なくとも私は理解しようと思わない。

時間がないんだ。

この表に基づいて私自身の評点をF先生につけて貰った。

それがこれ。(赤丸の数値、程度)

(「Child - Pugh スコア  診療カリキュレータ」)

 

肝性脳症
  • ない
  • 軽度
    (1~2度)
  • 重度  
    (3~4度)
腹水
  • なし
  • 軽度
    (コントロール可能)
  • 中等量以上   
    (コントロール困難)
血清ビリルビン濃度(mg/dL)
  • <2.0
  • 2.0~3.0
  • >3.0○   
血清アルブミン濃度(g/dL)
  • >3.5
  • 2.8~3.5
  • <2.8 ○  
プロトロンビン時間延長(秒)又は PT-INR
  • <4
  • 4~6
  • >6  
  • <1.7
  • 1.8~2.3
  • >2.3  

 

 

これで計算すると、 

わたしのChild -pughスコアは10点。

堂々最低のCランクである。

 

 

で、

 

 

このCランクになったらどうなるかというと、

こんなことになるらしい。 

 

 

(肝臓機能障害 検討会報告書  厚生労働省)

『Child-Pugh分類C患者の3年目の累積生存率は

30.7%と低く、本基準の対象者の約7割が

3年以内に死亡していた。

・Child-Pugh分類Bの患者の51.3%は、

3年後に死亡またはChild-Pugh分類Cに

移行するなどして、悪化していた。』

 

『(分類Bの患者の3年後病態)

B→死亡:30.8%、B→C:20.5%、

B→B:35.9%、B→A:12.8%』

 

 

 (研修医マニュアル)

スコアが8~9点の場合には1年以内に死亡する

例が多く、

10点以上になるとその予後は約6ヶ月となります。

 

 

(肝臓機能障害  検討会報告書  厚生労働省)

『肝臓機能障害者の身体障害者手帳の交付から

死亡までの平均期間は、

肝臓移植を受けていない者は約 300~500 日。

また、平成 22年度から平成26年度までで、

肝臓移植を受けていない者の死亡割合は、

認定等級に関わらず、約 60%であった。』

 

『Child-Pugh 分類Bの患者は同分類Cの患者と

同様に、その病態が基本的に不可逆的であり、

Child-Pugh 分類Aにまで改善する例は

少ないことから、長期の療養を要すると考えられる。』

 

 

(ガン情報サイト オンコロ)

『手術適応はBまでで、Cと評価されると

肝移植もしくは緩和ケアの治療対象となる』

 

 

 

なんて救いのない文章だろう。

 

 

 

特に厚労省の検討会の記録は、一般に公開する

想定をしていないらしいので、

表現に容赦がない。

 

 

ふう

 

 

これらの文章を総合すると、

Child-Pugh分類C患者の(指定後)3年目の

累積生存率はたった30.7%と低い。

しかも3年間ぬくぬくと生きられると思ったら

大間違いで、C判定を食らうと予後は6ヶ月。

肝臓移植を受けないと年間60%が死ぬ。 

 

 

実も蓋もねえ。

 

 

そんなら頑張って安静にして食事をしっかり摂って

きちんと薬を服んで、せいぜい健康を取り戻して

CからB、さらにAに成り上がってやるぜっ、と

思っても、

「 Bの患者とCの患者はその病態が不可逆で

分類Aまで改善する例は少ない」だってさ。

つまりCに墜ちたらもう、上に上がれないから

諦めろ、と。

 

 

そんならどうしたらいいのさ、と不貞腐れたら

「Cと評価されると肝移植もしくは緩和ケアの

治療対象となる」だって。

つまり肝臓移植が受けられないと緩和ケアしか

やることがない。

 

痛くないようにだけしてやるから、

おとなしく死んどけ。ということだ。

実際、肝臓が弱りすぎているから積極的な

治療をしたら、逆に死んでしまうのである。 

これが嘘ではない証拠に、前回話に出した 

PSE (部分的脾動脈塞栓術)の実施は放射線科の

H先生から、本日正式にキャンセルされた。

 

どうやら今回の入院直後の私の血液検査の結果を

よく見ていなかったらしい。 

『こんだけ悪いと、ちょっとね。まあ、

いつものパターンだと回復するんでしょ?

回復したらやりましょう。』

 

 

 

いつだよ。

 

 

 

検査結果くらい、ひとに新しい治療を薦める前

によく見といて欲しい。

 

新しい療法を薦められたら、「まだ先がある」

って勘違いするでしょう。

 

 

 

はあ

 

 

 

「1年」はなんとか越えられそうだけど・・・

 

 

 

 

 

 

 

残り19

  

 

 

気持ちの整理がつきません。

 

 

 

 

 

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余命1年日記 -82- PSE つぎのステップ    2017年7月第4週(2017.7.18)

最近また、腹水が出たりしてしんどかった。

6月7月とあわせて半月しかシャバにいない。

 

それに対して、いまやっているのが、投薬と

食事療法を組み合わせた内科的治療。

あと、時々穿刺である。 

 

これだけでは不十分ではないのか?という話。

 

 

 

腹水がでるメカニズムは、こんなことらしい。

肝硬変になると、アルブミンなどの

蛋白質を合成する機能が損なわれる。

 

血液中のアルブミンが少なくなると、

血管の中の血漿と外の体液との間での、

浸透圧の差が小さくなる。

そのため、血管の中の液体が外に出て行きやすくなり

亢進した門脈圧によって門脈から体液が

だだ漏れになっていく、というもの。

 

 

 

腹水がひどくなると腹が膨れ(水腫)

脚や手にむくみ(浮腫)ができる。

呼吸ができなくなる。歩くのが辛い。

身体中が痛くなる。動けなくなる。

 

足元が見えない。ものが拾えない。

急に振り返れない。階段がこわい。

外出ができない。

 

仰向けに寝てしまうと、起きられない。

体が屈めないから、へそが見えない。

ひとりで着替えができない。

身の回りのこともできない。

 

QOLもなにもあったもんじゃない。

(穿刺とは? なつやすみ)

 

 

そこで腹水を減らす必要が出てくる。

 

 

このうち利尿剤や穿刺は、

溜まった水を排出しようというもの。

いま採っている方法である。 

ただし、去年の夏のように腹水の発生が非常に

多い場合穿刺も利尿剤も間に合わず、利尿剤を

使いすぎると今度は腎臓が悪くなってしまう。

そもそも、穿刺では腹水は除去できるが、

腹水の発生量そのものは変わらないのだ。

 

これでは穿刺生活から脱出できんなあ、ということで

F先生とS先生が勧めてくれたのTIPS という方法。

門脈から肝臓を越えた大静脈にいたる短絡路を

建設することで、亢進した門脈圧を下げて

腹水の発生を抑制する。

(第二の見解  TIPS  なつやすみ)

 

これは結構熱心に薦められたのだが、

30-40%というかなり高い確率で肝性脳症という

おそろしい副作用を生じる危険があるという。

この副作用については私も少し味わったことがある。

(まず6月10日のこと なつやすみ)

 

今のところ腹水も深刻な状態ではないし、

そんなめんどくさい副作用があるなら

受けなくてもいいか、ということにしていた。

自由診療でお金もかかるし。

 

 

 

ところが以前、兵庫県立医大にTIPS の話を

聞きにいったH先生が今年6月からK病院に

移籍してくるのだという。さらにもうひとり

放射線科のK先生というひとが異動してくる。

K病院でTIPS などCTを見ながらカテーテルを

操作して手術するということがてわきるようになった。

そんなおっかないことようしよんなあ。

 

で、

 

前回の入院中、6月22日にH先生とK先生に

話を聞くことになった。 

最初にやはりTIPS のことを言われたが、

脳症などの副作用のために躊躇っている、と

言うとすぐに話を変えた。

 

『それならPSEという方法があります』

 

なに?

なんですぐつぎにまったく別のプランが

出てくるのか?

 

いやまあ、事前に検討してくれたのだとは

思うが、こうも淀みなく次善の案が出てくると

なんだかH先生が手練れのセールスマンである

かのように感じる。

『名医の条件』の中には、トークのテクニックがある、

と間違いなく思う。

 

 

 

『PSE =部分的脾動脈塞栓術』とは、脾臓が

肥大して機能が亢進して血小板や白血球を壊し始めたり

腫瘍が取りついたり、わたしのように脾動脈が

繋がった門脈圧が亢進して、腹水が止まらなくなった

やつの脾臓にカテーテルを差しこんで、

脾動脈に金属のコイルとゼラチンをぶちこんで

脾臓の2/3くらいを干し殺してしまえというもの。   

 

大命題である『腹水の減少』を実現するために

門脈圧を下げようとするならば、

門脈に流れ込む動脈のうち、比較的太い血管

である脾動脈の血を減らしたらよかろう、と

思うんだけど、そのために脾臓を小さくしよう

としたときに、じゃあ摘出するか?でも、

残せるもんなら残したいなぁ、ということで

摘出しないでカテーテルを突っ込んで、血管に

金属のコイルとゼリーをぶちこんで、脾臓の

2/3を干し殺そう、というわけだ。

 

目薬を差すために、2階を建て増すところから

始めるような面倒くささ。

ようこんなもって回った考え方出来るなあ。

 

 

ふう

 

 

これによって期待される効果は門脈圧の低減。

そして門脈圧を減らすことで、門脈を通らないで 

無茶苦茶な短絡路をつくって、そこが静脈瘤になって

破裂しやがるのを防いだり、門脈から浸みでた

腹水で身体が動かなかったりするのを防げる。

腹水の生成を止めることはできないが、

量を減らすことはできる。

腹水とのつきあいが楽になる。  

 

気になる副作用としては、

・腹部の疼痛(数日で引く) 

・胸水(すぐに引くってば)

・だるさ

などがあるという。

しかし、TIPS のように脳症などは生じない、という。

(「肝性脳症」の検索結果)

 

 

説明が雑だなあ、と思うだろう。

 

だってわかんねーもん。

 

建築屋として幸せな社会生活を過ごしてたら

PSE もTIPS も一生絶対出会わない単語だぞ。

入院中だから、ケータイでちまちまちまちま

検索して調べて書いているんだ。

頼むよ。脳症で脳みそが溶けてるんだ。

 

プロの文章をどうぞ。

(「pse  部分的脾動脈塞栓術」の検索結果)

(血管内手術を受けるかたへ 大船中央病院)

(「門脈圧亢進症」の検索結果)

 

脾臓を潰すんだったら、摘出したらどうだ?

というあなたへ

(部分脾動脈塞栓術か脾摘か)

 

この文章のなかでChild-Pugh スコアというのが

出てくるが、これが前回出てきた

『肝臓の弱り具合を調べる三段階の指標』である。

(「Child - Pugh Class」の検索結果)

 

私は堂々最低のCランク。

『CランクはPSEの適用除外』って思いきり

書いてあるんだけどいいんだろうか。

 

ちなみにこのChild-Pugh  Class-Cというのは

結構重篤な状態らしい。

『Class-Cに適応する治療=臓器移植、緩和ケア』って

移植ができなければ、痛くないようにしてやるから

死んどけっ、てことだろう。

 

 

あらま

 

 

あしたF先生に訊いてみよう。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

残り21

  

 

 

暇だから毎日こんな調べものをしてます

 

 

 

 

 

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2017年7月15日 (土)

余命1年日記 -81- 悪循環         2017年7月第3週(2017.7.14)

6月後半から7月上旬までしんどかったです。

体もつらかったが、気持ちがついて

いかなかったです。

別に深刻な病状に進んだわけでもないのに、

何を辛そうな顔をしていたんだろう。

 

しかしなにか、この

追いかけられるような心持ちがして、あまり

詳しくは言いたくないけど、

夜明けの4時頃に街を歩き回ったりした。

 

理由のひとつは、将来に対する不安だ。

 

焦っているんだろうな。

去年の夏に『あと1年』といわれて書き始めた

この日記の毎回の末尾にあるカウンターは

残り30日を切った。

 

このまま平然と『1年ライン』を踏み越えて

いくと思う。

もっとも1年前、F先生が重々しく余命宣告を

したときは、いくら穿刺しても大量に利尿剤

を投与しても腹水がすぐにたまってしまうから

F先生が泣きをいれたのだ。

いまではなんとなくこの人のキャラクターが

理解できるようになったから、

先生のあのときの気持ちがわかるが、

一般論としても、救急で入院して

2ヶ月目くらいで主治医に『あんた死にます』

って言われたらびびるぜ?

 

しかしF先生の頑張りによって、

冬くらいには腹水を薬でコントロールできる

ようになった。

春になると『1年以上いきますよ』といって 

くれるようになった。 

(2017年3月22日の日記)

 

もちろんいまでも水は出る。

今回の入院もそうだ。

そのほか肝硬変の合併症である静脈瘤破裂を

2回やっている。

数えたわけではないが、この一年間では

退院している期間より

入院している期間の方が長い。

 

しかし意外と人間、しぶといぜ?

 

だから焦るのだ。

なにかしないといけない。

しかし、仕事は去年の秋にあのK氏の屑仕事を

切ってから、ある程度継続するような仕事は 

請けていない。

そりゃそうだろう。毎月入院する男に仕事を 

依頼するやつはいない。

いまは、単発の図面修正などをするくらいだ。

 

どうしよう、おまんまが食えるのか?

父親だって86歳で歩くのがしんどいと 

言うんだから、最悪乱雑な部屋で

『二人で孤独死』ということがあり得るのだ。

 

悲観的に過ぎるか?

 

でも私は、自分の運の強さを

全く信じていない。

運命の神様に誉めてもらったことが

一度もない。

 

 

 

 

 

さらに、カウンターが0になること自体には

大した意味はない。

しかし、0になったからといってはつらつに

元気になるはずはない。

おそらくは、いまと同じように 

『退院しちゃあまた入院して』ということを

繰り返すはずだ。

そのサイクルは、永遠に同じ調子で

繰り返されるはずはなく、次第に弱っていく。

実際、今回の入院では肝臓や腎臓の回復に

時間がかかった。

F先生は『生き残っている肝臓の部分が

ダメージを受けて弱ってきましたかね。』とか

おっかないことを言う。  

『どのくらい生き残ってるんですか』

と訊くと

『定量的なことを調べることはできません』

というから

『じゃあどうやって』とさらに訊くと

『血液検査や肝生検なんかから3段階の指標を

出して(名前聞いたけど忘れた)

肝臓の弱り具合を評価します』だそうだ。

 

 

 

ちなみにいま状態の、私の肝臓のその指標を

出してもらったら

『最低ランク』であった。

 

 

ふう

 

 

 

 

 

 

 

残り24

  

 

 

あせる。

 

 

 

 

 

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2017年7月13日 (木)

余命1年日記 -80- 6月下旬から7月上旬の備忘録  2017年7月第3週(2017.7.13)

今週の記録。

 

6月22日   退院

   23日 再入院

      24日 退院

   29日     外来

7月   6日 外来

           入院 穿刺3L

      (いまここ)

 

 

この日付の期間、

体も気持ちもしんどかったです。

 

まだしんどいけどゆっくり書きます。

 

 

 

 

残り26

  

 

 

話すことがたくさんあります。

 

 

 

 

 

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2017年6月21日 (水)

余命1年日記 -78- 脳症予防法 TIPS      2017年6月第4週(2017.6.20)

今週の記録。

 

6月08日 外来 入院 穿刺3L

   10日 穿刺3L

      はばたき振戦 徘徊

      12日 血液検査

       脳症の件でF先生面談

   11日

   |   穿刺なし

    22日

    12日 血液検査

    16日 外出 免許更新 下剤

    17日 帰院 下剤中止

    19日 血液検査 抗生剤    

    20日 抗生剤

      (いまここ)

 

間を開けたから振り返るのも大変だ。 

2017年6月の入院中の毎日の様子。

6月08日から入院。

穿刺と血液検査を行った日付は上記この通り。

 

この間の一番のトピックは、

なんといっても10日と11日の脳症騒ぎ。

実際、腹水のほうは穿刺して安静にしたら

8日の週には、さほど辛くなくなった。

わかりやすい身体だ。

だから10日の段階では、もうしばらく安静に

したら退院だろう、と思っていた。

14日が誕生日だから、それまでに一度

外出許可をもらって免許の更新に行きたい、

とは、F先生に伝えてあった。

 

ところが外出するなら念のため、と

慎重なF先生が、わたしを真っ直ぐ立たせたり

腕と指を真っ直ぐ伸ばさせたりしたら、

俺の身体ってば、まんまと振戦しやがった。

おまけに朝方呆けて徘徊するし、呆けて

「ベッドあらしが出た」と騒ぎ立てた。

 

我ながら怖かった。

 

以前も書いたように脳症の原因は、血中の

アンモニアである。

これが増えると呆ける。

アンモニアがどのくらいの数字になったら

呆けるのか、というのは

はっきりしないらしいのだが、

原因であることは間違いない。

したがって、脳症にならないためには、

血中のアンモニアを増やさなければよい。

 

・・・?

『呆ける真の原因』に正面から取り組まずに、

派生症状であるアンモニアの発生を押さえる

だけでいいのか?

 

まあ、私はいまひとつよくわかっていないが、

体内でのアンモニアの発生を押さえる方法は、

以下の二つ。

1.腸管の中に未消化の食物滓を

 留めておかないこと。

 (処方)→下剤によって滓を流して

          アンモニアの生成を防ぐ

 (危険)→下痢をしやすくなる。

2.アンモニアを発生させる細菌を減らす

 そのため、抗生剤を服用する。

 (処方)→抗生剤によって細菌を殺して

          アンモニアの生成を防ぐ

 (危険)→下痢をしやすくなる。

 

どちらも下痢をしやすくなるのが欠点だが

16日から下剤、19日から抗生剤の

服用を始めた。

下痢の様子を見ながらまずは重ならないように

短期間ずつ行うこととした。

 

服用を始めると下痢はした。てきめんに。

とくに外出から帰ってきた17日に催して

きやがって、ちょっと漏らしちゃった。

 

実際に服用を続けるかどうかは、服用後に

血液検査を行って、アンモニアが減っているか

どうかによって判断する。

安くない薬だから効果が薄ければやめる、と。

 

現在、この段階である。

 

 

 

また以前TIPS の話を聞きにいった

兵庫県医大のH先生が、6月にK病院に

移籍してきた。

また、実際に手術を担当する放射線科の先生も

移籍してきた。TIPS をK病院で行う態勢が

整うのだという。

 

腹水で、こんなにしょっちゅう入院するなら

TIPS についてもう一度考えてみたらどうだ?

F先生が言うから22日に話を聞くことになった

その先生がTIPS の手術の際に必要だとして、

私の身体の血管の走行を調べたいのだという。

21日に血管に造影剤をぶちこんで、

CT撮影をする。

 

それとは別に、病状自体は安定しているで、

今週中に退院しなさい、と。

しかしこの度、K病院では週末金土日の退院が

できなくなった。22日をのがすと週明けの

26日になる。

とっとと出てけ、というわけで

若干慌ただしいが、22日に退院します。

やっぱり患者の入院期間を短くしようと

してるんかな。

 

 

 

 

残り49

  

 

 

今朝はすごい雨。

 

呆けてるから、カウンターの数字が

めちゃくちゃになってたよ。

 

 

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2017年6月11日 (日)

余命1年日記 -75- まず6月10日のこと  2017年6月第2週(2017.6.10)

昨日は、

病気についての大事な話がありました。

まずは、6月1 0日のことを取り急ぎ。

 

 8時朝食

その後ベッドでに仰向けに寝て、ケータイを

見ていたが、ベッドのブースを覗いていた

じいさんがいる。

たちまち『不審者だ』と思い

ナースコールした。

警察だ何だと騒ぎ立ててまわった。

その後、病棟の関係者に経緯を説明した。

 

 16時頃、F先生が来る。

分厚い専門書を抱えて、

暗い顔で時折これをひもといている。

穿刺は12日なのに診察だろうか。

 

『来週外出ということになると、どうしても

気になることがありましてね。』という。

そうして、片足で立ってみろ、

手のひらが指が反るくらい拡げ、水平に並べて

保持してみろ。という。

意図を図りかねていると、

『これで時間が経ったときに、

揺れて止まらなくならないかを見ています』

 

その後F先生は、言いにくそうにしながら

『脳症の検査です。』

『え?』

『手のひらが揺れて止まらなくなるようなら、脳症を発症しています』

(はばたき振戦)

 

自分はどうか、と見てみると、

右の薬指のあたりが揺れている。

 

『揺れてますかね・・・』

『・・・少し』

『脳症ですか?』

『・・・』

『・・・』

『でも最近は日々の言動でも。』

 

むう。今朝の騒ぎを思い出す。

『でも、まだ軽症ですよ』といって、

F先生はしきりに慰めてくれた。

脳症には治療法もある。とも言ってくれたが

脳症の入り口を入ったのは確からしい。

 

その後しばらく話をした後、12日に穿刺する

といって、F先生は分厚い専門書を抱えて

帰っていった。

 

脳症かあ。

まだ、実感がわかない。

そうはいってもラストステージなんだろうか。

 

F先生の専門書は分厚かったけれど、

下ろし立てのように真っさらだったのを、

心の支えにするか。

 

 

 

 

 

残り59

 

 

まだ、帰ってこれる。

 

 

 

 

 

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でも、

 



 

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2017年5月13日 (土)

余命1年日記 -72- 足踏みの日々        2017年5月第2週(2017.5.13)

今週の記録。

 

5月  8日 穿刺 4L alb

      10日 穿刺中止 

      12日 穿刺中止

       (いまここ)

 

10日の朝に行った、血液検査で腎臓に関わる

数字が悪かった。 

(ex.クレアニチン 1.3mg/dl) 

 

腹水が辛くてしようがないので、

連休前から徹底的な除去を始めた。

具体的には、利尿剤と穿刺だ。

 

ところが腹水を出すように利尿剤を用いたり、

穿刺して腹の中の水を出してやると、

その分腹の中の水が減る。

それは大変結構なのだが、そのまま定着すか、

というとそうはならない。

今回の例で言えば、4月27日から5月8日までの

10日間で、腹水(16L)16kgを抜いた。

その減少が定着したか、というとわたしは

この10日間で、たった2kgしか減らなかった。

 

わたしの腎臓は、穿刺だけで16kg、

体重減少分の2kgを差し引いても14kgもの水を

『腹水あるいは尿』として

必死で作っていたわけだ。

 

そりゃ腎臓も悪くなる。

 

腹水を減らそうと、

一週間で3万円かかる、Sという薬をはじめ、

ぎりぎりを狙って大量の利尿剤を

投入していたのだが、

ちょっと限界を越えてしまった。

 

なにしてんだか。

 

このまま穿刺すると

腹水が悪化するので中止しよう、と。

いつか聞いたような話だが・・・。 

 

 

 

しかし真面目な話、

移植など、つぎのステップに進むためにも

腹水をなんとかしないといけない。

しかし、そのためには

腎臓の回復を待たないといけない。

そうなると、

薬と穿刺のペースを落とさなければない。

要するに、ひと休みだ。

腹水が続いてまともな日常生活が送れなければ

以前話題になったTIPS についても

視野に入れて考えなければならない

 

時間がないのに。

 

先月からの不調の理由には、

まずこの腹水のつらさがある。

そのほかに、精神的に弱りきっていたことも

あります。

 

 

 

12日、穿刺しようとすると、どうも

腹水の溜まりかたがすくない。

多少は取れるけど、とても4Lなんて無理。

どうしよう。

 

エコーを撮ると、内蔵の隙間がせまい。

えい、めんどくさい。ということで

12日の穿刺もなし。

週末だから、土日はなにもなし。

 

 

どうもなんだか、足踏みばかりです。

 

 

 

 

 

残り87

  

 

 

まだ、4時間。

 

もっと簡単に、

起きたことだけでも書いていきます。

 

 

 

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2017年5月 9日 (火)

余命1年日記 -71- 備忘録          2017年5月第2週(2017.5.09)

この二週間の記録

 

 

4月27日 外来 穿刺 2L

5月  1日 外来 穿刺 4L alb

        4日 救急搬送 穿刺 3L 

      この日から入院

        6日  穿刺 4L      

        8日  穿刺 4L  alb

       (いまここ)

 

 

 

 

 

 

残り91

  

 

 

まだ死ねるか。

 

 

 

 

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2017年4月15日 (土)

余命1年日記 -70- 母の一周忌  4月第3週(2017.4.15)

2016年4月13日、母が死にました。

きょうは、そういった話をします。

(この話は、以前書いた「末期の水」

シリーズのうちのひとつです。)

 

 

 

 

母が死んだのは、その日の朝だったらしい。

『らしい』というのが悔しい。

わたしは『その瞬間』に間に合わなかった。

 

毎日病院に行っていながら、なぜ肝心の

『今際の際(いまわのきわ)』に間に合わないのか。

ということを思い出そうとしたとき、

とても不愉快なことを思い出す。

 

親父のお陰で、俺は病院にいけなかったのだ。

 

 

『母の死の2日前』俺は打ち合わせにいっていた。

以前書いたK氏の仕事である。

 

だから、図面やファイル、書類などを持っている。

『2日前』に来ていた私は、その日泊まり込む

つもりでいた。

だから帰るつもりはなかった。

ところが親父は違ったらしい。

『ほら、一緒に帰るぞ。』という。

 

『一緒に帰るか?』ではなく、『一緒に帰ろう』でもなく、

50過ぎた息子の意思など無視して『帰るぞ』である。

てめえだけ帰れ、と思って無視していると、

この馬鹿、図面と書類が入った袋を持って

行こうとする。

それを持っていかれちゃ困る。  

取り返そうとするが、こいつ馬鹿だから  

すごい虜力だ。すでに腹水が

ひどくなりつつあった私はかなわない。

 

おまけに病棟の真ん中でそんな騒ぎが起きても

神戸市中央市民病院内科病棟は仲裁に来ない。

ナースステーションと一続きのカウンターで

ありながら騒ぎがおわってからでてきた。

そして、一方的に俺を責めた。

出ていかなければ警察を呼ぶ、と。

それでも『親の死に目』に会わせないのも

可哀想かと『病院がつける警備員の同行』を 

条件に面会が認められた。

それ以降私ががこの病院に行くと、

妙に如才ない警備員がいつのまにか出てきて、

脇を押さえた。

馬鹿親父が袋を盗って騒ぎを起こしたとき、 

親父の馬鹿を制止せずに無視したのは

いまでも許せない。。

母の治療でも最後の1ヶ月間、家族への説明と

矛盾した投薬をしたおかげで、

決定的に容体を悪化させた。

 

みんな、神戸市中央市民病院には行くなよ。

あそこの連中は平気で嘘をつく。

あそこに行くと、殺される。

 

 

この事件のあと義姉がわざわざ神戸まで来て、

『natsu さんは中央市民病院で騒ぎを起こして

出入り禁止になってます。どうせもう死ぬんなら、

治療しないでくれ。とF先生に言いに来た。

 

中途半端に余分に生きると、見たくないものを

見ることができる。

 

 

 

『なんで、荷物を持っていこうとした?』と

あとになって聞いたとき、

『あの荷物はnatsu が大事そうにしているから、

持っていったら、困るだろー。

俺に逆らわずに家に帰ると思ったんだー。』だと。

 

こどもだ。

気違いだ。

 

しかも、この内容を不思議な光を湛えた瞳で

まっすぐに見つめて話されたときには、

背筋が寒くなった。

 

母が危篤になったせいで、

父の精神状態が変わったわけではない。

 

父との同居は、この時ですでに20年。

嫁が出ていって、離婚裁判に勝手に興奮して

『俺が酒をやめさせる』かなんか言って、

神戸にやって来て以来だ。

以来20年。アッチェルしながら続いている。

 

たとえば、うちの部屋は比喩ではなくボロボロである。

トラブルの度にこの馬鹿が、挑発するからだ。

ふすまやボードには穴が開き、建具はすべて壊れている。

これも、理由を言わせると、

『この家はnatsu のものだから、黙って壊させておいた。

落ち着いたら気がつくだろー。』だそうだ。 

気違いだろう。

憎しみが増すだけだ。

 

病気の原因なり、悪化の理由を他人のせいに

するつもりはないが、

この強烈な個性の照り返しを20年浴び続けると

家族が皆不幸になる。

 

少なくとも、俺に関して精神的な安定など、

望み得ないことが分かるだろう。  

だから、退院が近づくと憂鬱だ。

 

 

 

 

母が死んだ。

死因は、腎不全。

息子は、私のほかに兄貴がいてこいつは

不肖の弟に比べると、ずっと立派で 

ちゃんと地位と職業を作っている。 

こどもは3人。私にはいないから、母の孫は

3人。

享年83

 

 

 

 

 

母は40代に乳ガンに罹っている。

抗がん剤や放射線治療を行ったらしい。

伝聞形なのは、わたしがガキすぎて

母の治療について、理解していなかった

からである。

結局それらの治療では、思わしい効果が

得られなかったらしい。

 

最終的な手段として、乳房摘出がされた。

いまから40年前、『部分摘出』ということが

できなくて『全摘』ということになった。

あれは気の毒だといまでも思う。

 

ただし、あの時代の常識からみて、

手術後40年以上、ガンの再発はなかったわけだから

手術としては大成功。

ただし、わたしはまだ小学生だったし、 

兄貴は中学に上がっていたか?

不安があったはずだ。

さらにホルモンのことなどわからないが、

体調の不安も大変だったらしい。

 

だから、手術後は、

『あたしは長生きできないんだから』が口癖だった。

『うちの母は、ガンで早く死んでいるからね』も

口癖だった。

 

ははのははつまり、わたしのお婆ちゃんは

肝臓がんで七十歳台で死んでいる。

ところがお婆ちゃんの没年齢を越えて、

母が長生きすると、

『うちの家系は体が弱くて』に変わった。

 

しかし、長く生きられるのは、嬉しかったらしい。

彼女が80になったときに、『80は「なに寿」というのか?』

と聞くから、『さんじゅ』と答えた。

怪訝そうな顔をしているから、手のひらに

『傘寿』と書いてやると、嬉しそうになんどか

なぞった。

 

 

 

 

私自身に関して言うと

親不孝だった。

いつわたしが、酒に戻ってしまうか、ということを

心配させ続けた。

知り合いもいない神戸に閉じ込めることになった。

私の仕事が安定しないため、心配をかけた。

 

もっとも、母も

おとなしく不幸に耐えるようなキャラクターでらなく

マシンガントークで言い返してきた。

特に人を疑うことにかけては、天下一であり

よく喧嘩した。

その一方、父がその異常なキャラクターで

家族を支配したとき、顔を歪めて、しかし

なんとか従っていた。

 

 

 

母は、昭和9年(1934年)浅草に生まれた。

私が生まれてから

『あたしぁね、三代続いた江戸っ子だよ。

あんたたちみたいな千葉生まれの田舎もとは

違うんだからね。』と

実の息子に言っちゃうのである。

てめえが千葉に嫁に来たんだろう。

 

この、『千葉に嫁に来たら田舎でびっくりしてがっかりした。』

という話は繰り返し言っていた。

うちの前のバス通りが、ゆるやかな上り坂に

なっているのだが、その坂のことを

『あんまり急な坂で、なんかすごい田舎に来たな、

と思うとがっかりした。』と言っていた。『急坂=田舎』というのがなんかリアルだな、と思った。

 

彼女は10歳の時に、東京大空襲にあっている。怖かったそうだ。

家族に不幸がなかったのはなによりだが、

店はなくなった。

浅草近辺からも一族は、皆離れてしまったらしい。

『大きな店だった』と自慢するが一昨年くらいに

ストリートビューを見せてやったとき、

場所の特定に苦労していたから、どうだろう。

 

子供の頃は、春と秋の彼岸に墓参りをした。

母の家の墓があるのが、上野と浅草の間の

稲荷町。母は必ず、上野から浅草まで歩いた。

我が家があった千葉からでていた、私鉄の

京成の東京がわのターミナルが上野。

母の家の墓が在るのが、上野と浅草の間の稲荷町。

 

墓参りをすませると、母は毎回浅草まで脚を伸ばす。

仲見世を冷やかして観音様に参り、

決して入らない花屋敷のジェットコースターの音を聞く。

六区の辺りまで行って、毎年『変わったねえ』

と言う。

そうして、黙って土産を買ってくる。

土産は、薬研堀の七味唐辛子と、

舟和のいも羊羮と黒白の餡ころ玉。

 

毎回こう。

頑固なくらいである。

 

 

『母と歩いた記憶』を手繰ってみたら、これが出てきた。  

 

大阪で独り暮しをしていたころ、一緒に車で来て

信貴山に夜中に車で行って夜景をみたり、

神戸に来て直ぐのころ、遊びに来たので

六甲山に夜中に行って夜景をみたりしたのに。

 

夜景ばっかりだ。

 

 

昭和40年代の空気と共に、この墓参りの記憶が

真っ先に出てきた。

 

もっとたくさん一緒に歩けばよかった。

 

 

 

 

 

残り115

  

 

 

亡くなった日は、 

とても暖かい日でしたよ。

 

 

 

 

 

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2017年4月 9日 (日)

余命1年日記 -69- 断食からの回復  4月第3週(2017.4.9)

結局、私の『断食』は、4月3日で終わった。

3月30日から入院していたので、まる5日間である。

 

4月3日に胃カメラを飲んで消化菅に異常がない、

となって以降、重湯になった。

 

極限まで薄くした重湯を、

味噌がはるか遠く聞こえる薄い汁と共に頂く。

温かくないと飲めない。 

その『果てしなくお湯に近い二種類の汁』が

全メニューだった。

 

しかし、5日間完全断食だったのである。

残したりせずに、ありがたく戴く。

むしろ、中途半端に味覚中枢を刺激されたので

腹が減る。

 

 

 

「断食する人」はたくさんいる。

 

『断食=栄養の遮断』だとして、

単純にダイエットを目的とする人がいる。

『断食=徹底的な排泄』だとくして、

デトックスなどの効果を求める人もいる。

 

イスラム教徒は、ラマダンに1ヶ月間断食を行う。

キリスト教徒は、まもなく4月16日にやって来る

イースターの前には、肉食をしないという

ブチ断食をする。

こういう、宗教を理由にした断食もある。

 

『健康』のような能動的な断食であれば、

それを思い立つ理由もあるだろうし、

継続するための『心の葛藤』があるだろう。

 

『宗教』のような受動的な断食ならば、逆に

『理由』というのは『習慣』でしかない。

『葛藤』のようなものはない。

 

もっとも1ヶ月の断食、ということになると

それなりに心を奮い立たせる必要があるだろうが、

 

私の断食の場合、そんなもの+の方向にも

-の方向にも、どこにもない。

『消化菅の中で静脈瘤が破裂したから

しばらく休ませとけ』というのが断食の理由。

『美に対しての欲求』もなければ『宗教的高揚』も

なんにもありゃしねえ。

 

 

実際は、救急搬送されてきた30日から

断食が始まるのだが、

最初の数日はひたすら辛かった。

 

吐血こそしなくなっていたが、吐気と腹の底の

違和感がひどくて、とても食欲どころではなかった。

止血処置の直後から、血尿、発熱、貧血と

気になる症状が続いたため、

7日まで、いくつか検査を重ねた。

 

結果、どれも異常はなかった。

そこで4月7日に配管が解体されて、

3分粥になった。いま、この段階だ。

 

週末になると食欲まで出てきた。

今週の最後の回診の時、

F先生と全く違う話で盛り上がってしまい、

『週末は検査かなくて暇だから外出しよう。』

という話をし忘れて、看護師に頼んで

連絡を取ってもらったら

『食事制限があるやつが生意気言うな。』と

言われてしまった。

10日前には静脈瘤が破裂して、

死にそうになっていたのだ。

 

そりゃもっともだ。

懲りないやっちゃな。

 

ちなみに、このときF先生としていた

『大変盛り上がる話』は、本当に大変なので

あとで必ず話します。

 

『3分粥』というのは薄い粥。

米1に対して水5くらいの比率で炊く。

食べても米粒を感じないくらい、薄い。

 

もっとも『米臭い湯』でしかなかった重湯

と比べると3分粥のほうが、

 『粥』というだけあって、米っぽい。

こんなもん結婚していた時分でさえ作ったこと

なかったから戸惑う。

 

しかし、おかずの方はさらに戸惑うぞ。

ちょうど4月8日の夕食のメニューをす

もって帰ってきているのでご覧いただこう。

 

『2017/04/08/ 胃潰瘍食B

3分粥 300g

牛乳 

 

卵とじ

かつお和え

粉ふき芋

赤だし           』

 

しかし出てくるのは、小皿に盛られた

色違いのペースト。

掬って食べてみると、それぞれ『卵とじ味』

『かつお和え味』『粉ふき芋味』なのであった。

出来上がった料理を、それぞれフードプロセッサーに

ぶちこんだのだろう。

消化をよくする、という意味はありそうだが。

『歯触り』って、大事だなあ。

 

あと、『舌触り』とか、噛み応えとか、

食べる時の『味覚』以外の口の中の感覚全部。

この『フードプロセッサーペースト』では、

そういうものが全部失われる。

『味』は確かにするけど、『食べる』って

そういうことじゃない。

 

いま、私が食べている『胃潰瘍食B』では、

まだかろうじて料理ごとに個別に提供されているが

これが、全部の料理をいっしょくたに

ペーストしていても、栄養荷的にはもちろん、

ひょっとしたら、味的にも変わらない。

見た目にも気がつかないかもしれない。

『胃潰瘍食A』がそんなスタイルだったりして。

 

絶対食わねえ。

 

『料理のプロセッサーがけ』は意外だったが、

しかし、毎日決まった時間に管理されたメニューの

食事を摂るということは、体を健康にするらしい。

量も、毎日増やしてくれているようだ。

 

これから、『5分粥』『全粥』と変化していく

食べ心地とともに、

私の受け止め方の変化も記していきましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

残り121 

 

  

でも、刺身とか納豆とか、

歯応えが違うやつも食べたい。

 

 
 
 
 

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