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2008年1月17日 (木)

1月17日

阪神大震災から13年。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

個人的にも、あれをきっかけにいろいろあったので感慨深いのだが

今日は、あの一日を振り返ってみたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3連休が明ける日だった。

仕事が立て込んでいて、休日出勤していたのだが

16日は休んで家で飲んだくれていた

 

 

 

 

 

なかなかというかまったく寝付けず、

横になったのは午前5時くらいだった。

 

 

 

 

 

当時TVをつけっぱなしで寝る癖があったのだが

ちょっとでも寝よう、と思って画面の時刻をみると

5時45分だった

地震の起こる1分前だ。

TVでは早見優が英会話を教えていた。

 

 

 

 

 

 

 

最初の揺れは震度3か4くらいに感じた。

関西では地震が珍しかったので

「おっ、神戸にしちゃ でかい地震だねえ」

余裕こいて揺られていると

どーんと来た。

あとはもうベッドの上を跳ねまくった。

よく下に落ちなかったと思う。

 

 

 

 

 

ちなみに当時いた兵庫区は

震度7である。

 

 

 

 

 

部屋中の荷物がシャッフルされて

床に広がった。

窓の外を見ると、神戸駅の高層ビルにスパークのような

光がバチバチと走り回っていた。

 

 

 

 

 

部屋の外に出てみると、

非常照明だけでなく、なぜか全館の照明が煌々とついて

普段でもありえない明るさになっていて、

不思議な感じだった。(すぐに消えたが)

 

 

 

 

 

 

とりあえず、顔見知りにあって、互いの無事を確認すると

部屋に帰って、寝た。

 

 

 

 

 

 

1月17日の朝6時である。

真っ暗な中で右往左往しても仕方ないと思ったのだ。

 

 

 

 

 

 

変に度胸が据わっていたともいえるが、

被災地のど真ん中にいながら、

被害の大きさがさっぱりわからなかったということもある。

 

 

 

 

 

実際住んでいた建物は、

柱が折れていて危険(半壊の判定を受けた) だったのだが

知らない、ということが強いこともある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてその証拠に、午前8時になると

スーツに着替えて、会社に行こうとしたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

刷り込まれた日常ってすごい、っていうか

想像力があるのか、という話だ。

 

 

 

 

 

 

 

しかし創造力が無いのは私だけではない証拠に、

寮から出て駅に向かっていくと向こうから

「おーい、T君だめだよ。電車動いてないよ

といって、同じくスーツにコート姿の顔見知りの所長がやってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

結局、兵庫から元町まで大回りをして歩いていったのだが、

途中不思議な光景を見た。

 

 

 

 

 

JR神戸駅前の駐輪場に

管理人のおじさんが普通に座っていたことである。

 

 

 

 

 

 

 

電車も動いていない状況で今日に関して言えば

駅前の有料駐輪場を使う人は

こんりんざいありえない、と思うのだが

 

 

あのおじいさんも、『日常』から逃げられなかったのだろう。

 

 

誰も来ない駐輪場で座って外を眺めているおじいさんは

ちょっとシュールだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私も2時間ほど歩いてやっと、事の重大さに気づいた。

 

 

神戸を代表する石造建築の第一勧銀はぺしゃんこにつぶれており

中国銀行(※)はファサード(建物の正面部分)だけ残して崩れ、

ファサードも傾いていた。

 

 

 

 

 

※中国銀行・・・Bank of Chinaのほうではなく、

          中国は岡山に本店がある銀行 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それまでも火事や崩れた建物に驚いていたが

第一勧銀のつぶれっぷりには驚いて

自分の身長くらいある『第一勧銀のかけら』が転がる

栄町通で呆然としていると、

「T村さーん」と呼ぶ声がする。

 

 

 

 

 

 

 

事務所の女性でIさんである。

家族以外の知り合いに会えたのがうれしかったのか

私が知るはずのない、友達の消息など

涙目で語っていたのだが、ふと前を見ると初めて気がついたように

「中国銀行が、

ドリフの家みたいになってる!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1995年1月17日午前10時の神戸市中央区で

これだけナイスなボケをかましたのは彼女だけだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これから長い一日が始まるのだが、皆さんも飽きたと思うが

私も疲れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

続きがあればまた

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

あんまり長文はいかんですね。

 

 

 

 

 

 

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

悪夢でした。私のすぐ横にテレビが飛んできてました。家具が倒れてなんとか下に降りようとしたら階段がつぶれてて、やっとこさドアの横の隙間から外に出ると辺りはすんごいことに。。。我が家は全壊でした。カスリ傷程度で家族は無事でしたが、近所で生き埋めになって助け出された方や亡くなった方は多数います。今もかすかな地震でもあの時を思い出しますね。

投稿: つおい虎さん | 2008年1月17日 (木) 22時06分

つおい虎さん、ありがとうございます。
うちは全壊にはならず、
怪我もしなかったので、
そのてんは恵まれていたと思います。
しかし、何年たっても忘れられない一日
ですよね。
また書こうと思います。

投稿: natsu | 2008年1月18日 (金) 23時36分

私はずっと東京に暮らしているので、当時もTVでしか被害を見ていません。
幸い、当時の(関西の)知り合いも全員無事でしたし。
だから大震災が「実体験」として自分の中にないんですよね・・・
でも、natsu さんのおっしゃる「刷り込まれた日常」から離れられないって感覚、判る気がします。多分、私も「スーツ組」でしょう。

投稿: tokua | 2008年1月19日 (土) 07時56分

僕達の世代は阪神大震災を知りませんその時僕は2歳ですから・・

こんなすごいことになっていたんですね・・

極限状況の中で「日常」から逃げられなかった人たちにちょっと感動です

投稿: ヤン | 2008年1月19日 (土) 21時16分

tokuaさんありがとうございます。
日常ってすごいです。
あの日、私以外にも支店に来た人が
何人かいましたが大半がネクタイを
してました。
ヤンさんありがとうございます。
そのとき2歳って、若いですね。
もう今では地震のときの痕跡を
神戸で見つけるのは難しいですからね。

投稿: natsu | 2008年1月21日 (月) 22時10分

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