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2008年4月の投稿

2008年4月29日 (火)

それぞれの昭和

『昭和の日』である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もともと昭和天皇の誕生日。

ちなみに、競馬の天皇賞がこの時期行われているのは

こういう理由があったのだよ。

平成も20年になるとこういうことがわからない人が出てくるんだろうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて私は昭和生まれだ。

39年生まれだから昭和ど真ん中といってもいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でもうちの両親も昭和生まれだし

今就職活動をしている大学生だって昭和生まれだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何しろ、昭和は60年以上あったので長すぎるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世界恐慌

太平洋戦争

高度成長

石油ショック

バブル景気

 

 

 

 

 

 

全部昭和だ。

天皇陛下という、一人の人間の寿命で時代を区切ることに無理が

あるのはわかるんだけど、それゆえに意味深だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昭和を代表する人は?(天皇陛下を除く)

というのは難問だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たとえば歌手なら誰だ?

美空ひばりか?

山口百恵か?

戦中派以前は知らないなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

答えは64年分あるのだ。

正解なんてありえない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも

戦前派と

戦中派と、

団塊の世代と

私らと

団塊ジュニアと

それ以降の若い衆は

『昭和生まれ』という点で共通している。

 

 

 

 

 

 

いずれ20年もしたら仲良く酒を飲めるようになる

かなあ?

 

 

 

 

 

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2008年4月27日 (日)

大垣快速

ゴールデンウィークである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自営業だから関係ないもん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

GWはともかく、私の地元は千葉なので

『帰省』ということをした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

免許を取る前は当然鉄道である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新幹線で帰ったこともあるが

毎回では学生の分際で贅沢である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一度、普通列車だけで帰ろうとして

えらい目にあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が学生のころ、地方には長距離普通列車があったのだが

東海道線には、もうそんなもんはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大阪から米原、大垣、豊橋、浜松、掛川と

小刻みな継投で愛知県を出るまでに6時間以上かかって

結局、掛川からこだまにのって帰ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だめじゃん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さらに節約するために

『大垣夜行』に乗ったことがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

岐阜県の大垣から東京までの快速列車。

 

 

いまは『ムーンライトながら』として季節運行されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大垣は関西からだと新快速でぎりぎりつける限界。

大垣を夜11時半くらいに出て東京に朝早くつくのが

『大垣快速』だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とにかく大垣快速は、特急運賃も寝台運賃も要らない

(車輌は全部普通車)ので18切符族をはじめとして

若人に大人気の列車だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が大垣快速に乗ったのは大学2年のころ

つまり19のころだったと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大垣に着くとすでに列車は入線していて

席がない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いや、みんなボックス席を占領して寝ているので

乗車人数の割りに空き席がないのだ。

(今のムーンライトはもっとすごい人気らしいが)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

15両ほどもある列車を1往復半して

やっと横になれるスペースを見つけたが

斜め後ろで、サラリーマン1年生らしい連中が

酒を飲みながら上司の悪口をして

実にうるさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1時間ほどたってやっと静かになった。

さらに、この列車快速なんだけど

途中駅をひどくはしょってくれる。

さらに、途中から車内アナウンスをしないようになって

眠れるように配慮してくれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やれやれと思って横になると静岡についた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここで、駅弁屋さんが現れたのである。

快速列車の中には車内販売はない。

そこでの登場なのだろうが、

停車時間は2分だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

15両分の車輌を駆け抜けていく。

 

 

 

 

 

『弁当ぉぉぉぉぉぉおおおおおおおう』と

ドップラー効果を感じるくらいの猛スピードだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いやほんと、ワゴンを押して

ホームの端から端まで駆け抜ける弁当売りには

目が覚めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局、ちっとも寝られないで東京に着いて

あれからもう『大垣夜行』には乗ってません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

若いうちじゃなきゃ乗られないよ。

 

 

 

 

 

 

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2008年4月15日 (火)

その街はどこまでか?

今日見た、朝日新聞の記事が頭に来たので紹介します。

(朝日新聞・千葉版の記事へのリンク)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

漁師町であった浦安が一変したのはTDRのおかげではある。

しかし、千葉にあるのに東京ディズニーランド』である。

 

 

 

 

 

 

そして新聞記事にこんな風に書かれちゃうのである。

 

 

 

『・・・新町・中町では、住民意識にも「東京意識」が垣間見える。

 「チバラギ」と揶揄(やゆ)された「千葉」、

  漁師町だった浦安とは違う、というわけだ。

 

  高級マンションに住む夫人は自らを「マリナーゼ」と呼ぶ。

  新町に「マリナイースト」という新興街があることと、

  東京都港区の高級住宅街白金や白金台に住む夫人を

  「シロガネーゼ」と呼ぶことを掛け合わせた造語だ。

  ネットでは市川市の行徳地区と一緒に

  東京都の24区目になろう、  という話が盛り上がっている。』

 

 

 

 

 

頭にきてかなり長文を引用してしまった。

なあにが、マリナーゼだ。馬鹿。

 

 

 

 

 

 

 

 

朝日新聞も遠慮のない書き方をするもんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

記事に『ネットで盛り上がっている』とある、浦安を東京へ

という話題がどんなもんか探したら2ちゃんねるの掲示板があった。

読むとさらに腹が立つのでリンクはしません。

読みたい人は探してみてください。

お勧めはしませんよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし『千葉都民』という言葉があるように、

都道府県境を越えて『東京』のイメージは広くなっている。

 

 

 

 

 

 

もちろん面としての東京も広くなっている。

 

 

 

 

 

 

 

たとえば、都庁は江戸にない。

新宿は文字通り甲州街道の宿場町で

江戸の西の境は四谷の辺りだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、面積や人口が増えているんならほかの町も同じだ。

東京を際立たせているのは、その入れ替わりの激しさだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今東京に住んでいる人で三代続いた江戸っ子など

1割、いや1パーセントもいないだろう。

 

 

  

 

 

 

 

「あたしってぇ、生まれてからずっと東京の人だしぃ」

とか言う連中の大半が、

 

 

 

 

 

『てめえなんかが江戸っ子だってんなら、

八丈島のウミネコのほうが

よっぽど由緒正しい江戸っ子でぃ』

と啖呵のひとつもぶつけてやりたいやつらである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

面としての東京は明治以降、

武蔵野台地を中心におおい広がったが

それと同時に人間の入れ替わりの激しさは、

地元への帰属意識の乏しい住民を生み出し、

イメージだけが先行する『東京』を拡散させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

韓国から観光に来て

『新東京国際空港』から

『東京ディズニーランド』しか見ないで帰っちゃった人は

 

 

やっぱり『東京観光』をしたことになるんだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

知り合いに、和歌山県出身と島根県出身のカップルがいた。

二人とも田舎ものの癖に、千葉出身の私を笑うのである。

 

 

 

 

今彼らは結婚して千葉ニュータウンに住んでいる。

ざまあみろである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかしお父さんが東京に通勤して

一日の大半を東京で過ごしていれば

意識としては東京人だろう。

 

 

 

 

 

 

でも子供は地元の学校で

「ぺーぺーべーべー」言っているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

お母さんにしても東京で働いている人もいれば

地元で働いている人もいるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

こういう学校のPTAというのはどういうことになっているのか?

 

 

 

 

 

 

地域コミュニティが崩れるわけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地域への帰属意識を失った子供たちは

大学生になって、あるいは就職して

東京へ行くようになってしまえば

もう『東京人』としての自分を疑わんないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなこと言い出したら日本人の3割くらいが

『東京人』になるぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そういう連中が冒頭のようなことを言い出すわけだ。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

腹立つなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まだいろいろ言いたいことがありますが

つづきがあればまた。

 

 

 

 

 

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