これ式の苦労
まずは、こちらのリンクを読んでください。
元関脇 高見山の東関親方の引退によせて書かれたコラムだ。
私が子供の頃の人気力士だったから
なつかしく思いながら読んだのだが、
今日の日記に取り上げたのには
別の理由がある。
これを読んだとき何か引っかかるものがあって、
読み返してみて、気がついたのが
『これ式』という表現だ。
『このくらい』、という意味で『なんのこれしき』とかいう風に使う
あれだ。
なんでこんな書き方してるんだろう。
と思って、よく見ると
このコラム、文字数きっちりに書かれているのだ。
リンクを貼ったネット版では、
なんのこっちゃわからんと思うのだが、
読売新聞をおとりの方は
朝刊の一面左下の編集手帳の欄を見てください。
コラムの枠は毎日同じで決まっていて
たいてい一文字や二文字分は空いているのだが
今日はぴったりだ。
というか、今日に限っては一文字分足りなかったらしい。
ワードでも変換しない『これ式』という書き方は、
その苦心の表れなのだろう。
私なら知らん顔して『 、 』(読点)を削ると思うのだが
それをしないあたりに
なにやらプロの意地というか凄みのようなものを感じた。
こういう一面のコラムというのは、
編集部の中でも一番の文章上手が書くんだろう。
まあ、365日一人で書いているわけじゃないだろうし
ネタ出しとかは、
ほかの編集部員の助けを借りてるのかもしれないが
日刊紙で同じ枠に収めるというのは、
毎日たまらん神経を使うんだろうな。
という苦労の一端を垣間見た気がします。
なんとなく読んでたコラムだけど、
プロってすごいわ、と思った次第です。
でも読者にそんな風に思われた、って知ると
編集手帳子はくやしがるかもしれません。
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