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2010年5月20日 (木)

阿部 定の日

5月20日は阿部定が逮捕された日。

 

 

 

阿部定という女性が愛人の首を絞めて殺し、

彼の局部、つまり さおと玉を切り取って

懐に入れて逃走。

 

事件が起きたのは二・二六事件があった昭和11年の5月18日。

前代未聞の猟奇事件に世間は驚倒し、新聞は

『金玉を持った美人殺人鬼が帝都に潜伏』と書きたてた。

 

逮捕されたとき定は、偽名で宿泊していた宿屋で

ビールを飲んでいた。

女性単身客のチェックに訪れた刑事に

『あなた方がお探しの阿部定は私でございます』

と言い放ったという。

 

『阿部定逮捕』のニュースはたちまち号外となって

国中に知らされた。

そのとき開会中だった、帝国議会は臨時に休憩をし

議員たちは奪い合うように号外を読んだそうである。

 

だから二・二六事件の年なんだってば。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう70年以上前の事件なんだが、

今でも『アベサダ』といえば、『ああ、あの』と

通じるくらいには有名な人だ。 

 

映画『愛のコリーダ』はこの事件がモデルです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不思議な人物ではある。

 

 

Wikipediaに『逮捕直後の阿部定』という写真がある。

 

250pxsada_abe_2

 

そんなに『美人』だろうか。

 

 

 

手錠、腰縄を受けていないのもおかしいが

新聞記者らしいのに囲まれて 笑っている。

憲兵らしいのもいるがこいつも笑顔だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

阿部定は1905年に東京に生まれた。

父は畳屋だが人を何人も雇う、腕のいい職人だったそうで

経済的に困窮していたわけではなかった。

 

本人によると、15のとき知り合いの大学生に強姦され、

それから男遊びを始め、父の怒りを買って

17のときに芸妓として売られてしまう。

 

 

このあたりの

人生の急降下っぷりが良くわからない。

強姦されたのなら確かに気の毒だが、

2年後に芸妓として売り飛ばされる?

『芸妓』=『売春婦』という訳では もちろん無いが

彼女はそういう仕事もしたらしい。

 

その後いろいろあって、

30のときに、事件の相手となる石田吉蔵と出会う。

たちまち不貞関係にいたる。

 

 

 

 

 

もちろん すぐにばれて、二人は逃走。

関東各地を逃亡したふたりは

最後は東京の荒川区に来て最期の変態をかました。

 

 

尾久の宿屋に泊まった彼らは 夜通し、

ここにはとても書けないような痴態を繰り返すのだが

定は戯れに(本人談)行為の最中に吉蔵の首を絞めると

大変よかった、と。

 

 

しかし、それを繰り返すうちに

吉蔵が苦しみだし、さらに首に索縄痕が現れたため

定は薬局に走り、鎮痛剤としてカルチモンを買う。

 

 

多くの資料が、これを『鎮痛剤』としているのだが

要は、睡眠薬である。

 

 

定はこれを、吉臓に30錠与えた。

『カルチモン』30錠といえばそれだけで十分な致死量である。

無知か?故意か?

 

 

そのうえで

『俺が眠ったらお前はまた首を絞めるだろう。』

『そのときは、苦しまないように殺してくれ』

という話を聞いて、その通りにした。

 

 

もちろん、本人が死んでいるのだから

真相はわからない。

 

 

殺害後、定は吉蔵の金玉とさおを切り取って

逃亡することになる。

 

 

 

 

 

 

 

これ以上詳しい事件の詳細はこちら

 

 

 

 

 

 

 

 

裁判は大人気だった。

傍聴人は数百人を数えた。

裁判の過程はもとより、本来秘密厳守であるべき

捜査調書もだだもれであった。

 

 

『アベサダ』裁判は世間の注目を浴び、

彼女の『人気』は大変なことになった。

 

戦後、これが彼女の人生を狂わせることになる。

 

 

 

 

 

 

判決は懲役6年。

殺人事件の判決としてはずいぶん軽い気がする。

しかも皇紀2600年の恩赦で刑期を一年残して出所。

 

模範囚だったそうだが、それよりも

世間の『アベサダ人気』は強烈で、無数のファンレターが来た。

映画出演のオファーも来たという。

刑務所の周りには『姿が見えるかも』ということで

弁当持参で見物人が集まった。

日本は もう戦争やってたんだけどねえ。

 

 

 

 

出所後は刑務所長らの勧めもあって偽名で生活する。

当時のマスコミは今日から考えられないくらい えげつなかったから

偽名で暮らすことは仕方ない、と思うのだが

なんとこのひと 偽名のまま結婚してしまう。

 

当然戸籍を取り寄せたらすべてがばれてしまうので

内縁の妻である。

 

 

 

 

内縁の妻の権利は、当時は非常に弱かったとはいえ

これは結婚詐欺ではなかろうか。

 

戦後、雨後のタケノコのように大量発生した三流雑誌が

定の居所を突き止めると、取材が殺到。

だんなは『俺の嫁は、あの阿部定だったのかぁ』

という、当然だが間抜けなせりふを残して失踪。

 

 

 

 

その後は、劇団に参加して自分の事件を題材にした

大衆劇をやったり、

銀座の料理屋で仲居をやったりした。

『私が、あの阿部定でございます。』といいながら

お酌をして回るという悪趣味な店である。

大変な人気だったという。

 

 

晩年については良くわからない。

資料によってだいぶ違うのだ。

 

没年もわからない。

一説によると埼玉の老人ホームに

『私があの阿部定よ』と言うおばあさんがいて、

1995年になくなったそうである。

 

事実なら90まで生きたことになる。

単にぼけていた別人のような気はするが。

 

 

 

したがって彼女の戸籍は、まだ存在する。

年金がもらえるような職業履歴ではなさそうだが

そういったものはどうなるのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、切り取られた吉蔵のイチモツ。

証拠物件としてアルコール漬けにされて警察に保管してあったが

見物人が殺到。

関係者以外見られないことになった。

男が他人の金玉を見て何が楽しいのかと思うが

そうなると、法務大臣の紹介状まで持ってきて

『見せてくれ』と頼み込むやつがいたそうである。

 

 

裁判が終わるとホルマリン漬けにされて

東京医大に保管された。

現在もそこにある。

 

 

戦後すぐの時代には

金を取って公開されていた、と言うから

もう、なにがなんだか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、気になる大きさのほうは

 

『ごく普通』であったそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なにが?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では『今日の四枚』

 

 

 

 

 

 

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アベサダ

 

 

 

 

 

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ナベサダ

 

 

 

 

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ナベアツ

  

 

 

 

 

 

 

 

   Img20090926

 

きんどーさん

 

 

 

 

 

 

ごめん、つながんなかった。

 

 

 

 

 

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コメント

大きさ「普通」でしたか
色々と勉強になりました

最後の四枚 
きんどーさんが最高です

投稿: レイ | 2010年5月20日 (木) 13時49分

くくくく……
あかん、笑いがとまりません。

ナニを切り取った阿部定のオンナゴコロもわかりませんが、

なんでだんなさん失踪したんです?
そのオトコゴコロ、わかります?

世の中、わからないことだらけです。

投稿: fullpot | 2010年5月21日 (金) 10時26分

レイさんありがとうございます。
ええ、『普通』でよかったです。
『アベサダ』→『ナベサダ』は
良かったんですが、
きんどーさんまでつながらなかったのが
残念です。
 
fullpotさんありがとうございます。
世界では他にも殺してから
局部を切り取っちゃったひとはいます。
持ち歩いて逃げたのはこのひと以外、
あまりいませんが。
だんなさんの気持ちはわかるんですが
失踪することは無いですよねえ。

投稿: natsu | 2010年5月22日 (土) 16時02分

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