10式戦車でなにがやりたいのか?
陸上自衛隊の富士総合火力演習が行われた。
今年からUSTREAMで実況していたらしいが
知らなかった。
せっかくなので、去年の演習の様子を。
かっこいー。
これだけの火力があれば、
マッカーサーの上陸など
許しはしなかったものを。
8月30日はマッカーサーがコーンパイプ
くわえて厚木飛行場に降り立った日でもある。
『日本戦車は弱かった』ということは
第二次大戦までについては、
みんなそう思っている。
司馬遼太郎はそう言っていた。
『日本陸軍の失敗』はたくさんあるが、
そのうちのひとつが
これほど筆の立つ人を
弱体の戦車科に配属しちゃったこと。
結果として
司馬遼太郎は大きな戦闘に参加することは
なかったのだが
装甲をやすりで削ったりしながら
常に自分を包み込む『死の機械』について
考え続け、
戦後、筆を尽くして日本戦車を罵倒する。
いわく
装甲が弱い。
大砲が短くて威力がない。
なにより数が少なくて話にならん、と。
それらはすべて正しいのだが
全部の原因は『日本が貧乏だったから』
ということにつきる。
数がたくさん揃えられないのはもちろん
サイズの大きい戦車が作れなかったのは
道路も鉄道も港湾も貧弱だった日本では
大きな戦車を作ったところで
輸送ができなかったからだ。
輸送しようと思ったら
道路は崩れ、トンネルにはぶちあたり、
橋は落っこちてしまう。
港で荷役しようと思っても
何十トンも吊れるクレーンはない。
この呪縛は、戦後日本が初めて開発した
61式戦車でも同じで
小型化をするために中途半端なものに
なってしまった。
よわいよっ
朝鮮戦争で日本駐留の米軍がいなくなって
しまったために急遽作られたのが
警察予備隊で後の自衛隊。
とりあえず米軍のお下がりを貰ったが
自前の戦車が必要だ、といって作られたのが
61式。
共産革命と中ソの上陸がまじめに心配された
時代で治安維持も重要な要素だったから
『全土に展開できること』が重視された。
そのために幅3mの鉄道の車両限界に
あわせるという、『列車に乗せるため』の
当時でも無茶な要求が出されて
こんなものになった。
その後、冷戦が進むと戦車の威力は増大。
戦車で大事なところは大砲と装甲だから
世界中の戦車はどんどんと、大きく
重たくなっていっった。
そこで日本は『機甲部隊を全土に展開する
こと』をあきらめて74式戦車を開発する。
かっこいい
基本的に『北海道限定』ということで作られた
この戦車は
初めて世界水準に達するとともに日本車らしく
可変油圧サスペンションなどの高度な仕掛けを
持ってた。
こいつの お披露目の時
全速力で走りながら、主砲をぶっ放す74式に、
外国の観戦武官が腰を浮かして目をむいた、
という。
その後開発された90式も基本的には
同じコンセプトで
北海道に集中して900両をそろえる、と。
50トン越えちゃいました。
この広い北海道に800両の戦車を貼り付けた
のが冷戦時代の自衛隊。
血迷ったソ連軍が上陸してくれば
殲滅してくれる、と。
守備側が800両の戦車戦なんて
ここはクルスクかアルデンヌか、と。
堂々戦車戦を戦ってやる。というのが
ついこの間までの自衛隊の基本戦略。
『将軍たちは、常に前の戦争の準備をする』
という有名な台詞があるように
自衛隊は戦前には持てなかった機甲戦力を
目指して戦車を育てた。
でも冷戦も終わったし、
74式も更新しなきゃいけないし、
せっかくなら、
今時の『かしこい戦争』に対応できるような
新式戦車を作りたいなあ、と。
それでもう、『北海道限定』の縛りを
はずそうじゃあないか、と。
それでできたのが『10式』。来年度から
実戦配備が始まる。
44トンになりました。
90式が50トンを超えていたのを44トンに
しました。
主砲は120mmで同じだから、
これはすごいよ。
とにかく、小型化しました。
ここで、やっと今日の話題。
『戦車』って必要か?
90式は、名前が示すように1990年に
兵器になったのだが
当時の日本はバブルで泡まみれで
800両くらい あっという間にそろえてやるぜ
っ、といっていたのが『バブルがはじけて』
できなくて
定数800両のうち90式は341両しかない。
残りは74式で、いくら何でも40年前の型の
この戦車が
過半数以上あったら北朝鮮を笑えない。
あたらしい中期防では
『戦車自体、800両から600両に減らす』
といっている。
その場合でも10式戦車を360両作ることになる
2013年度の調達価格は一両あたり9.5億円だ
そうだが、決してたかいなー。
それはともかく、軽量化したとはいえ、
この戦車で
日本全土をカバーできるんだろうか?
兵器なんて、使わないに越したことはない。
だから、いまでも世界最強の90式を更新して
配備される10式は、それだけで
『抑止力』になると思うけど、
それでいいのか?
10式戦車の展示走行
(今回の演習のものではありません)
かっこいー。
でも、新開発の戦車の主砲が従来の90式と
同じ、とはどういうことか?
重量を減らして、いままでと同じ大砲を抱える
ということの無理はわかるけどね。
しかし、
これ以上強力な武装が主流になったら
どうするつもりか?
冷戦終了後、世界の新式戦車の開発競争の
スピードは落ちた。
10式は、その中で注目の登場なのである。
これが将来の世界戦車のスタンダード
なのだろうか。
大丈夫か?
いまのところ、
日本への強襲上陸できる能力を持っている
のは、ロシアと韓国と中国くらい、と要するに
北朝鮮以外の全部なのだが
まあ、ここ10年くらいは戦車戦をやるほどの
喧嘩することはないだろう、と思う。
だから、北海道限定の縛りをはずしたのは
いいんだけど
離島に上陸されちゃった時に、空挺部隊が
エアボーンできる軽戦車、とかそんなのも
必要だよねえ。
街中でゲリラ、っていうのは日本では
考えにくいんだけど
化学防護車や野外炊具車なんていうのも
もっとたくさん要る。
『防衛』とは戦車だけではないぞ。
『炊飯1号』くん
欲しいけど、貧乏だから数がそろわない、
というのならば帝国陸軍とかわらない。
勘違いしないで欲しいのは
戦車が要らない、といっているのではないと
言うこと。
10式戦車が指し示す、
将来の防衛のスタイルがよくわからない
『北海道にソ連軍が来たらたたきつぶす』
という冷戦時の決意と配備は
それなりに勇ましかったが
『全土に展開できる10式戦車』で
なにをやりたいのかよくわからない。
かっこいいだけでは困る、と思うのだ。
では『今日の三枚』
司馬遼太郎も乗っていた、97式戦車
事実上これが第2次大戦中の日本の主力戦車。
通称『チハ車』
ソ連の戦車、T-34
写真のスケール以上に実際の寸法は
違っていて
チハよりもT-34の方が5割方大きい。
ドイツのタイガー戦車。
なるべくみんな、人間が乗っている写真に
しました。
この3車種が同じ戦場で相まみえる事は
なかったけども
出会っていたら大きさや威力は当然、違う。
スケール感を比べながら見てください。
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コメント
「マッカーサーの上陸など許しはしなかったものを」
吹き出しました
素晴らしいセンスですね
戦車って単純にかっこいいですね
子供の時にプラモ作ってましたが
今からでも面白そうです
「タイガー戦車」!
何かの映画で見ましたが
べらぼうに強かったです
投稿: レイ | 2010年8月30日 (月) 20時19分
チハたんは、開発当時はそれが世界の主流だったので、別に弱かったわけじゃありません。
ソ連は異常でしたが、それでも1942年におけるT34の総数なんてたかが知れてました。
ドイツも50ミリ砲の3号戦車が主力だったし。
技術な工業力より砲兵と戦車科の対立ってのが大きかったようですよ。
それと、現在どこも120ミリ砲以上の戦車砲は作ってません。
50トンや60トンクラスで水平にぶっ放せるのは120ミリ、125ミリクラスが限度だからです。
それに最近は砲弾の改良で口径を増やすことなく威力を増すことが可能ですから。
投稿: ぬくぬく | 2010年8月30日 (月) 21時45分
レイさんありがとうございます。
戦車かっこいいですよねえ。
去年の『そうかえん』の動画
防衛省のHPにあったんですがほれぼれします。
タイガー戦車と書くとなんだか魔法瓶のようですが
めちゃくちゃ強かったらしいです。でも負けた。
ソ連と戦車戦をやらなくてよかったですな。
プラモは根性がないので続かなかった記憶があります。
プラモ屋のショーウィンドウに展示してある
『作品』を毎日眺めてました。
ぬくぬくさんありがとうございます。
確かに97式も機械としては優秀だった
らしいですね。
でも、戦車の歴史は砲と装甲の
追いかけっこです。
APFSDS弾が登場した時、
この競争は終わるかと思われましたが
終わりませんでした。
日本は砲をそのままに車体を小さくする
という選択をしましたが、そうであれば
車体をそのままに砲を大きくする、
ということも可能なはずです。
大丈夫でしょうか?日本。
投稿: natsu | 2010年9月 1日 (水) 22時44分