買いに来る方が役者が上
カリフォルニアからシュワルツネッガー知事が来て
新幹線に乗っていった、というニュース。
日本の『シンカンセン』を売り込もう、というわけで試乗にご招待。
前原国交相は代表選の集会をすっぽかし、
JRは臨時列車を走らせてまでの歓待ぶりである。
シュワ知事が乗ったのは最新のE5系。
こいつは320km/hで走れるんだが
試乗区間では大した速度は出せなかったらしい。
『とても静かで快適だった』との事だが社交辞令だろう。
口には出さないがきっと、こう思っているはずだ。
『あの鼻、変。』
鼻、長すぎる。
トンネルばかりの日本の新幹線は、騒音と衝撃の低減のために
こんな変な鼻をしている。
カリフォルニアの新線の計画は詳しくはしらないが
そんなにトンネルばかりじゃないだろう。
しかしまあ、
『シンカンセン』発祥の国のプライドにかけても
ぜひ、受注してもらいたいもんであります。
それにしても、最高速度320km/hかー。
速いなー。
『しんかんせんは時速210kmで世界一なんだぞー』
といっていた昭和の感覚からすると隔世の思いがする。
ちなみに、
210km/hなんて中途半端な最高速度にした理由は
最高速度200km/hだと、キリはいいけど
そこに到達するたびにATCが働いて停まってしまうから。
余裕を持たせて名目上210km/h。
それまでの日本の営業列車の最高速度は110km/hだったから、
そのスピードは日本人を驚かせた。
しかし世界はそうでもなかった。
少なくとも、驚かない素振りをした。
『シンカンセン』が本当にエポックメーキングだったのは
『大量旅客輸送』に徹底した事。
踏切のない専用軌道とATC。
『ひかり』『こだま』2種類の特急しか走らせず
単純なパターンダイヤで、貨物もない。
『高速旅客輸送』に特化したこの鉄道は、個々の技術よりも
その商業的な成功によって世界を驚愕させた。
少なくとも、500km圏くらいだったら
鉄道は飛行機と充分戦える。
これを実績で示した事ことは『鉄道なんて斜陽だ。』
と思っていた世界中を驚かせ、勇気づけた。
これにより世界中に『新幹線』が生まれる。
カリフォルニアの計画もそのひとつ。
しかし、速度の話に戻ると
困った事に、200km/hくらいでは
ヨーロッパの連中は驚かないのである。
鉄道の歴史は『スピードアップの歴史』だ。
スチーブンスンのロケット号が最高速度50km/h。
その20年後にはすでに時速100km/hの列車が存在した。
19世紀末、イギリスで歴史的なスピード競争が起きる。
ロンドン-エジンバラ間 650kmの区間で、
並行する鉄道会社同士が競争をはじめる。
もともと10時間で走っていたものが
最終的には7時間半を切るスピードで走るようになる。
さすがにこれでは事故が起きる、と
一度は競争を自粛するのだが
1890年にスコットランド北部のアバディーンという街に
つながる鉄橋が改修されたことで競争が再燃する。
ロンドン-アバディーン間 864kmは、
競争開始時点で12時間50分かかっていたものが、
5年後には8時間半で走るようになる。
『競争列車』は機関車2両に牽引され,ブレーキ車2両を連結、
純粋な『客車』は4両しかないという徹底的な編成。
『競争列車』の前には邪魔な汽車を一切走らせず、
『競争列車』のあとには痛んだレールの補修のために
半日保線作業が必要だった。
停車駅を省略するため
レールの横に溝を掘って走りながら給水し、
運転士は通路つきの特別な炭水車の中を通って交替した。
ロンドンを夜8時に出た『競争列車』はしまいには
アバディーンに朝の5時前に到着し、
もちろんそんな時間に到着しても、ホテルのチェックインも
食事もできないので旅客サービスもくそもないのだが
もう知ったことではなかった。
イギリス中がヒートアップしていた。
このときの列車の表定速度(停車時間も含んだ平均速度)は
115km/hにもなった。
1895年の話ですよ。
こんなキチガイじみたスピードレースは
イギリスだけでも他にもやっていた。
ドイツで時速200km/hの営業運転が始まったのは1903年だ。
だからヨーロッパ人は『新幹線の200km/h』には驚かなかった。
少なくとも、驚かない素振りをした。
実際は、悔しかったらしい。
『鉄道先進国』を自負し、
1955年に331km/hの世界記録を作っていたフランスは
日本の新幹線の2年半後
1967年に在来線での時速200km/h運転を実施する。
さらに、同じ年からTGV計画をスタートさせ、
1981年に時速260km/hの世界記録をひっさげて開業する。
動力車の配置から架線の張り方まで
ジャポネーゼスタイルは一切使わない、
という子供じみて、すがすがしい『世界一』だった。
『シンカンセン』 は世界共通語になったが
方式が統一されていないのは、
こうしたガキの喧嘩のような
意地の張り合いのおかげである。
いまや日仏2大方式のほかに、
日本の技術供与で作った中国まで
『これはわが国独自の技術』とか言い出して
カリフォルニアの『シンカンセン』を狙っている。
シュワ知事は、新幹線に乗ったあと
都内のスーパーでちゃっかりカリフォルニアワインの宣伝をして
今度は韓国の新幹線 KTXに乗りに行った。
速度と乗り心地を大いに誉めたうえで、
韓国にも入札への参加を呼びかけたそうである。
日韓のあとは中国にも行くのだという。
さすがは役者。
したたかである。
がんばれニッポン。
では『今日の一枚。』
買いに来た方が偉そうに見えるのは
どうしたことか?
代表選の前日に来やがって、
なんて思ってはいても顔に出せない。
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コメント
最後の画像、噴き出してしまいました!
こういう椅子に座る場合、男性はシュワちゃんのように座るのが美しいですね。菅さん、やばいですよ、この座り方は(笑)。
姪っ子が卒業旅行にフランスへ行ってきたのですが、フランスの人は姪っ子が、たどたどしいフランス語で話しかけると流暢な英語で返し、まあまあな英語で話しかけると流暢な(!)フランス語で返してきたんですって。
さすが、トリコロール魂と思いました。
投稿: fullpot | 2010年9月17日 (金) 21時52分
fullpotさんありがとうございます。
シュワちゃんは、『椅子の座り方』を
知っていますね。さすが役者。
日本人は、菅さんみたいに
浅く腰掛けちゃうんですよ。
見映えがしない。
同じ日に石原都知事とも会談してるんだけど
やっぱり座り方がだめでした。
あの偉そうなじいさんよりも偉く見える。
格が違う、と思いました。
投稿: natsu | 2010年9月18日 (土) 23時32分