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2010年9月16日 (木)

買いに来る方が役者が上

カリフォルニアからシュワルツネッガー知事が来て

新幹線に乗っていった、というニュース。

(産経ニュースへの記事)

 

 

 

 

 

日本の『シンカンセン』を売り込もう、というわけで試乗にご招待。

前原国交相は代表選の集会をすっぽかし、

JRは臨時列車を走らせてまでの歓待ぶりである。

 

 

 

シュワ知事が乗ったのは最新のE5系。

こいつは320km/hで走れるんだが

試乗区間では大した速度は出せなかったらしい。

『とても静かで快適だった』との事だが社交辞令だろう。

 

口には出さないがきっと、こう思っているはずだ。

 

 

 

『あの鼻、変。』 

 

 

 

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鼻、長すぎる。

 

 

 

 

トンネルばかりの日本の新幹線は、騒音と衝撃の低減のために

こんな変な鼻をしている。

 

 

カリフォルニアの新線の計画は詳しくはしらないが

そんなにトンネルばかりじゃないだろう。

 

 

 

 

 

しかしまあ、

『シンカンセン』発祥の国のプライドにかけても

ぜひ、受注してもらいたいもんであります。

 

 

 

 

 

 

 

 

それにしても、最高速度320km/hかー。

 

 

 

 

速いなー。 

 

 

 

 

 

『しんかんせんは時速210kmで世界一なんだぞー』

といっていた昭和の感覚からすると隔世の思いがする。

 

 

ちなみに、 

210km/hなんて中途半端な最高速度にした理由は

最高速度200km/hだと、キリはいいけど

そこに到達するたびにATCが働いて停まってしまうから。

 

余裕を持たせて名目上210km/h。 

それまでの日本の営業列車の最高速度は110km/hだったから、

そのスピードは日本人を驚かせた。

 

 

 

 

 

しかし世界はそうでもなかった。

少なくとも、驚かない素振りをした。 

 

 

 

 

 

『シンカンセン』が本当にエポックメーキングだったのは

『大量旅客輸送』に徹底した事。

 

踏切のない専用軌道とATC。

『ひかり』『こだま』2種類の特急しか走らせず

単純なパターンダイヤで、貨物もない。

 

 

『高速旅客輸送』に特化したこの鉄道は、個々の技術よりも

その商業的な成功によって世界を驚愕させた。

 

 

 

少なくとも、500km圏くらいだったら

鉄道は飛行機と充分戦える。

 

これを実績で示した事ことは『鉄道なんて斜陽だ。』

と思っていた世界中を驚かせ、勇気づけた。

 

 

 

これにより世界中に『新幹線』が生まれる。

カリフォルニアの計画もそのひとつ。

 

 

 

 

 

 

しかし、速度の話に戻ると

困った事に、200km/hくらいでは

ヨーロッパの連中は驚かないのである。  

 

 

 

鉄道の歴史は『スピードアップの歴史』だ。

スチーブンスンのロケット号が最高速度50km/h。

その20年後にはすでに時速100km/hの列車が存在した。

 

 

19世紀末、イギリスで歴史的なスピード競争が起きる。

ロンドン-エジンバラ間 650kmの区間で、

並行する鉄道会社同士が競争をはじめる。

もともと10時間で走っていたものが

最終的には7時間半を切るスピードで走るようになる。

 

さすがにこれでは事故が起きる、と

一度は競争を自粛するのだが

1890年にスコットランド北部のアバディーンという街に

つながる鉄橋が改修されたことで競争が再燃する。

 

ロンドン-アバディーン間 864kmは、

競争開始時点で12時間50分かかっていたものが、

5年後には8時間半で走るようになる。

 

『競争列車』は機関車2両に牽引され,ブレーキ車2両を連結、

純粋な『客車』は4両しかないという徹底的な編成。

『競争列車』の前には邪魔な汽車を一切走らせず、

『競争列車』のあとには痛んだレールの補修のために

半日保線作業が必要だった。

停車駅を省略するため

レールの横に溝を掘って走りながら給水し、

運転士は通路つきの特別な炭水車の中を通って交替した。

 

ロンドンを夜8時に出た『競争列車』はしまいには

アバディーンに朝の5時前に到着し、

もちろんそんな時間に到着しても、ホテルのチェックインも

食事もできないので旅客サービスもくそもないのだが

もう知ったことではなかった。

 

イギリス中がヒートアップしていた。

  

 

このときの列車の表定速度(停車時間も含んだ平均速度)は

115km/hにもなった。

 

1895年の話ですよ。

 

 

 

こんなキチガイじみたスピードレースは

イギリスだけでも他にもやっていた。

ドイツで時速200km/hの営業運転が始まったのは1903年だ。

だからヨーロッパ人は『新幹線の200km/h』には驚かなかった。  

 

少なくとも、驚かない素振りをした。

 

 

実際は、悔しかったらしい。

 

 

 

『鉄道先進国』を自負し、

1955年に331km/hの世界記録を作っていたフランスは

日本の新幹線の2年半後

1967年に在来線での時速200km/h運転を実施する。

 

 

さらに、同じ年からTGV計画をスタートさせ、

1981年に時速260km/hの世界記録をひっさげて開業する。

 

 

 

 

動力車の配置から架線の張り方まで

ジャポネーゼスタイルは一切使わない、

という子供じみて、すがすがしい『世界一』だった。 

 

 

 

 

『シンカンセン』 は世界共通語になったが

方式が統一されていないのは、

こうしたガキの喧嘩のような

意地の張り合いのおかげである。 

 

 

 

 

いまや日仏2大方式のほかに、

日本の技術供与で作った中国まで

『これはわが国独自の技術』とか言い出して

カリフォルニアの『シンカンセン』を狙っている。

 

 

 

 

 

 

 

シュワ知事は、新幹線に乗ったあと

都内のスーパーでちゃっかりカリフォルニアワインの宣伝をして

今度は韓国の新幹線 KTXに乗りに行った。

速度と乗り心地を大いに誉めたうえで、

韓国にも入札への参加を呼びかけたそうである。

(NHKニュースの記事へのリンク) 

  

  

 

 

 

日韓のあとは中国にも行くのだという。

 

 

 

 

 

 

 

さすがは役者。

  

したたかである。

 

 

 

 

 

 

がんばれニッポン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では『今日の一枚。』

 

 

 

 

 

 

 

 

買いに来た方が偉そうに見えるのは

どうしたことか?

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代表選の前日に来やがって、

なんて思ってはいても顔に出せない。

 

 

 

 

 

 

 

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ぼくは鉄じゃない」カテゴリの記事

コメント

最後の画像、噴き出してしまいました! 
こういう椅子に座る場合、男性はシュワちゃんのように座るのが美しいですね。菅さん、やばいですよ、この座り方は(笑)。
姪っ子が卒業旅行にフランスへ行ってきたのですが、フランスの人は姪っ子が、たどたどしいフランス語で話しかけると流暢な英語で返し、まあまあな英語で話しかけると流暢な(!)フランス語で返してきたんですって。
さすが、トリコロール魂と思いました。

投稿: fullpot | 2010年9月17日 (金) 21時52分

fullpotさんありがとうございます。
シュワちゃんは、『椅子の座り方』を
知っていますね。さすが役者。
日本人は、菅さんみたいに
浅く腰掛けちゃうんですよ。
見映えがしない。
同じ日に石原都知事とも会談してるんだけど
やっぱり座り方がだめでした。
あの偉そうなじいさんよりも偉く見える。
格が違う、と思いました。

投稿: natsu | 2010年9月18日 (土) 23時32分

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