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2010年12月 8日 (水)

真珠湾攻撃と、戦争の終わり方。

12月8日は真珠湾攻撃の日。

 

 

 

山本五十六率いる連合艦隊が

アメリカの太平洋艦隊の根拠地、ハワイの真珠湾を奇襲。

 

アメリカの太平洋艦隊の主力戦艦8隻のうち

4隻を撃沈、4隻を撃破。

さらに基地の航空隊350機も破壊。 

 

 

大勝利だったわけで、泥沼の日中戦争に飽いていた

日本中を興奮させた。

 

昭和23年に自殺しちゃう、陰陰滅滅な太宰治も日記で

『まっくらな私の部屋に光の差し込むように強く鮮やかに感じた。』

と書いたくらいであった。

 

 

 

映画『トラ、トラ、トラ!』の予告編。

 

 

『トラ、トラ、トラ』だからかっこいいけど

『オラ、オラ、オラ』とか『そりゃ、そりゃ、そりゃ』だったら

こんなに人気は出なかったと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『真珠湾』以降の日本軍も圧勝する。

西太平洋からアメリカ軍を追い出し、

シンガポールを占領し、

さらに、セイロン島を空襲してイギリス海軍を

ケニアまで追いはらった。

 

 

 

しかし、山本以下の日本海軍がどこまで

『勝利のシナリオ』を描いていたのか、よくわからないのだ。

 

 

 

 

山本に関して有名な挿話がある。

開戦の直前、万が一開戦、となった際の見込みについて

近衛文麿に訊かれた時のもので

 

『それは是非やれと言われれば

はじめの半年や一年の間は

ずいぶんと暴れてごらんに入れる。

しかしながら(その先は)まったく自信が持てぬ。』

 

戦争の行方を正確に予言した、とともに

山本は、陸軍の無謀な開戦論に反対していた、というのだ。

 

 

 

 

 

後世の、彼の評価を高くしている台詞なのだが

そんなに偉いか?

 

結局この人も、

『戦争の終わり方』について発言はしなかったのだ。

 

『聯合艦隊司令長官』という『現場の長』として

そう言うしかなかったのかもしれない。

 

『半年は持たせるから、後は政府でなんとかしてくれ』

というメッセージでもあったんだろう。

 

でも、

『戦争の始末』について総理大臣が相談しているのに

あんまり冷たい、とも思う。

 

 

 

 

 

 

そもそも、真珠湾攻撃での

『空母による、敵艦隊根拠地への攻撃』というのは

山本の独創ではない。

 

前例がある。

実際に実行された作戦で『タラント攻撃』という。

 

1940年にイギリスが行ったイタリア海軍への奇襲攻撃。

イタリアの戦艦3隻を撃破する、という戦果を上げた。

 

 

 

 

 

第2次大戦でのイタリア軍というのは、陸海空3軍そろって

びっくりするくらい弱かった。

 

昭和40年代初めに、ドイツを旅行した日本人が

タクシーの運転手に『お前は中国人か?』と訊かれて

憤然として、『おれは日本人だ』と答えると

『おー、日本は大好きだ。

今度は、イタリア抜きでやろうぜ。』

といわれた、という話がある。

 

 

 

 

 

イタリア海軍の活動は、大戦中、終始不活発に終わるのだが

装備に関しては一流で、規模も英米日に次いで

世界第4位であった。

 

アフリカやスエズ運河の鼻先に

そんな大艦隊があってはたまらないので

イタリア海軍の根拠地にイギリスは攻撃隊を送る。

それが『タラント攻撃』。

 

 

 

 

 

 

しかし、戦果の割には攻撃隊の規模はささやかで

空母一隻、攻撃機はたったの30機だった。

 

しかもその雷撃機は『フェアリー・ソードフィッシュ』という

木製帆布張りの複葉機、という時代物。

イギリス軍は、レーダーなんかでは日独はおろか

アメリカをもしのぐ技術力を持っていたのだが

変なところで保守的で、この『おばあちゃん』が大好きだった。

 

『タラント』の前も後も、イタリア海軍はろくな活動をしなかったので

あんまり教科書に出てくるような戦いではないが

おおいに注目して、研究させたのが山本だった。

 

 

 

 

 

 

それで立案したのが真珠湾攻撃。

この人らしい、といえるのは『タラント』より

うんと規模を大きくしようぜ、と考えて実行したこと。

 

直線距離で6000kmも離れているハワイに

ほぼ、日本海軍の全力、空母6隻に攻撃機350機という

『タラント』の10倍の規模で行われた、この攻撃は

確かに男らしい。

 

子供っぽいとも言える。

 

 

 

 

しかしまあ、ハワイとその後の勝利を考えたら

あれだけ勝っていれば

もうちょっと『落としどころ』があったんじゃないか、と思う。

 

『シンガポール陥落』のあたりで講和を探っていた、

という話もあるが、

少なくとも正式な外交ルートには乗っていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、『負けた戦争』について、

結果を知った上であれこれ言うのは卑怯ではある。

 

 

それなら、勝った戦争はどうだ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

NHKで『坂の上の雲』をやっている。

 

日露戦争は、朝鮮半島の支配権をめぐって

日本とロシアが戦ったもの。

 

日本人は『日本が勝った。』と思っているが

ロシア人は、そうは思っていない。

 

 

 

 

 

実際、陸戦では日本軍は満州でも旅順でも大苦戦した。

海でも苦戦した。

今はドラマで、ペテルスブルグでダンスを踊っている真之の親友

広瀬武夫は、旅順閉塞作戦で、もうすぐ死ぬはずである。

 

しかし結果的に、1905年の春になってようやく苦戦がみのる。

陸では奉天で勝ち、海では日本海海戦で勝ち

さらに、ロシア国内で血の日曜日事件をはじめ

第一革命が起こった。

 

だから、ロシアはやっと講和のテーブルに着いたのだが

これは、はじめから予定されていたことだろうか?

 

 

 

 

 

NHKのドラマは、題名そのままに司馬遼太郎の小説を

下敷きにしている。

 

奉天でも日本海でも、

当事者は『勝つ』とは思っていたらしいが

あそこまで大勝利するとは思っていなくて、

しかもほぼ時期を重ねて、決定的な勝利を得るとは

どんな下手くそなシナリオライターも

予想ができなかったはずだ。

 

すべての要素が、当事者もびっくりするくらい、

うまいこと重なったから、日本は勝てた。

 

『日本は勝利のシナリオを周到に準備していた。』

というのはまるっきりの嘘ではないと思うが

あんまり、それを強調すると、

戦死者を馬鹿にしているのか?という話になる。

 

 

 

 

 

また、小説ではほぼ一巻をさいて、

日本がヨーロッパに送った諜報工作員

明石元二郎の活躍を書いている。

『ロシア革命は明石が起こした』と言わんばかりの勢いだ。

 

さすがにそれは言い過ぎで、

『血の日曜日事件』に、明石は関与していないし、

明石がいなくてもロシア革命は起きただろう。

 

 

 

 

 

 

日本は、『終戦の周旋』をアメリカに頼んでいたが

それにしたって、あんなにうまくいったのは

偶然、とまではいわないが

多分にアメリカの読みが甘かったところにある。

 

周旋をしたのは『テディ・ベア』のルーズベルト。

甥っ子のフランクリン・ルーズベルトも大統領で

甥っ子の方は、

真珠湾奇襲で対日参戦ができることにガッツポーズし

半年後にはマンハッタン計画を発動する。

 

どうして親戚で、こんなに根性が違うのか、と思うのだが

テディの方のルーズベルトも、べつにお人好しではなく

ロシアの南下を許すくらいなら

朝鮮をくれてやっても

日本の方がましだ、と思っていたに過ぎない。

 

しかし、日露戦争後の日本は

満州に独占的な地位を築く。

 

アメリカは慌てて『機会均等』という、

要は『おれにも一枚噛ませろ』という主張をするのだが

折り合わず、

結局この対立が真珠湾攻撃につながっていく。

 

 

 

 

 

テディは日本を舐めていたのだなあ、と思う。

 

日本が大嫌いだった、甥っ子の方であれば

もうちょっと、日露戦争を続けさせて、

日本の体力を削ぎ、革命をあおって

ロシアの体力も削ぎ、

そのうえで、『力の真空地帯』になる満州に進出する

という悪魔のシナリオも、あり得たのだ。

 

実際、

身分不相応な満鉄の経営は講和直後に行き詰まり

アメリカの富豪ハリマンに買収される寸前までいった。

 

 

 

 

 

勝ったはずの日露戦争にしたって

勝利のシナリオなんて、あやふやだったということである。

 

 

そして、結果から理屈をつけて

あれこれ偉そうなことを言うのは卑怯だな、と

自身を振り返って思うわけであります。

 

 

 

 

 

 

 

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こんな難しいテーマもうやらない。」カテゴリの記事

コメント

ハワイにある、アリゾナ記念館(アメリカ海軍記念館)にある山本長官の紹介文を見る限り、少なくともアメリカ海軍は、山本長官の真珠湾攻撃は理解・評価していますね。
すなわち、「山本長官は、早期講和に持って行く為に、米国本土ではなく、端にあるハワイに狙いを定め、宣戦布告のあるはずだった時間の後に、騙し討ちにならないように真珠湾攻撃をさせた」と、はっきりと山本長官の考えを公明正大に記してあります。(駐米大使館の宣戦布告が三十分遅れた為に、当時は騙し討ちの格好になってしまい、山本長官は大変不本意だったと)
そして、昭和三十年代アメリカ人自身の著作で、「名将 山本五十六」、という本を本土で出版して、山本長官を正当に評価していました。

以上。
paper

投稿: 歩 | 2010年12月 9日 (木) 12時11分

歩さん、ありがとうございます。
真珠湾攻撃と宣戦布告分の交付が
遅れたのは、おっしゃるように
ワシントンの日本大使館が、全員
前日のパーティーで
酔いつぶれていたからです。
山本五十六に
だまし討ちの意識はなかったでしょう。
そのことが
彼の評価を下げているんだとしたら
残念です。

投稿: natsu | 2010年12月 9日 (木) 15時31分

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