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2011年4月28日 (木)

バウンティ号の日

4月28日はバウンティ号事件が起きた日。

(Wikipediaの記事へのリンク)

   

 

 

 

 

 

1789年のこの日、

太平洋で行動していたイギリス海軍の戦艦で

叛乱が起こった、というもの。

 

 

 

 

『船員の叛乱』というだけなら、よくある話で

どうということもないのだが、

この事件が変わっているのはその後の経過。

 

 

パンの木輸送作戦、という間抜けな命令に従事していた

バウンティ号の皆さんが叛乱。

船長にも問題があったらしいのだが

抗命罪というのはどこの国の軍隊でも死刑なので

逃げ込んだのが、ピトケアン島という無人島。

 

 

 

どこだ?それは。という質問はもっともで、ここ。

 

 

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 ピトケアン島を中心とした世界地図。

 

 

 

 

最寄りの島まで5300kmという『絶海の孤島』。

こんな所に逃げ込んじゃったあたり、

よっぽど報復が怖かったのかと思う。

 

 

 

 

日本にも、あちこちに『平家の落人集落』というのがある。

田舎なのはもちろん、

そんな高いところに、とか そんな離れ小島に、とか。

 

『平家の落人』、というと何となく

『悲運の御落胤』というイメージがあるらしいのだが、

要するにただの負け犬だ。

 

子孫がかわいそうだから、

そんなところまで逃げなくても、と思うのだが、

そんなに怖かったのか?源氏。

 

00genji

 

こわくないよ

 

 

 

 

 

 

 

 

それはともかくバウンティ号の皆さんのうち

ピトケアン島に逃げ込んだのは男ばかりの9名。

 

それだけでは死んでしまうので

タヒチ島に立ち寄って現地人の女12人と、男6人と

鶏、豚、食糧を積み込んできた。

 

この島を選んだのは偶然だが、結局彼らはここに居着くことになる。

 

もちろん、イギリス人の男9人とタヒチの男6人が

女12人を前に冷静でいられるはずはなくて

18年後に偶然立ち寄ったアメリカ船がこの島を『発見』した時

そこにいたのは、イギリス人水夫、ジョン・アダムス

タヒチの女10人。

そして、こどもたち23人だった。

 

 

うわあ、アダムス、絶倫。

 

 

 

 

 

アダムスは無学だったが聖書だけは持ってきており

彼は『こどもたち』にそれを教えた。

 

したがって、いまでもピトケアン島の皆さんは

英語とタヒチ語の混成語(クレオール)を話す。

 

『いまでも』といったが、

『いまでも』この島にアダムスと仲間の子孫はいて

その人数は45人(2004年) 

 

 

 

 

 

 

 

この間、『東京島』っていう映画があったよね。

あれは、アナタハン島事件っていう

別の事件の下敷きがあるんだけど、

『絶海の孤島に男がたくさんで女が少し』という状況は似ている。

 

まるっきり女がいなければ、あきらめもつくし

違う方向に行くのかもしれないけど

『ちょっとだけいる』っていうのは、罪だ。

 

 

 

 

 

 

そうかあ、そういう状況になったら俺なんか負けるよなあ。

『ウエシマ作戦』とかやって

『どうぞ、どうぞ』ってやってもだめなんだろうなあ。

 

 

この事件を元にした映画とかがあって

アダムスを英雄のごとく描いていたりする脚本もあるのだが

要は強姦魔だ。

 

いま現在も、アダムスの子孫はいるらしいので

言葉は選ばないといけないが

先祖が馬鹿でも、君が立派ならいいじゃないか。

 

プラスでもマイナスでも血統にこだわる奴なんか大嫌いだ。

 

 

 

 

テレビで、『ピトケアン島』という存在を知って

びっくりしたのはもう10年以上前か。

 

そして、よく考えたら『ウエシマ作戦』って

『最後は自分がやる』んだよな。

 

 

 

 

 

 

ずるい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では『今日の二枚。』 

 

 

 

 

 

 

 

 

映画『東京島』での、木村多江。

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眼が怖いが実際に起こった事件はもっと怖い。 

 

 

 

 

 

昭和19年から25年まで、実際に起きた事件。

 

企図せずに、女ひとりと、男32人が無人島に同居する

アナタハン島事件で生き残った、比嘉和子さん。

(この写真は救出時で28歳。)

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彼女を取り合った、かどうか

真相は藪の中なのだが

32人の男のうち

9人が死んだ。

 

 

 

 

命をかけて争うような女かどうか

という以前に、

セックスのために命をかけるなよ。

 

 

 

 

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(9月2日追記:

コメントを頂いて一部文章を修正しました。

23人のこどもたちが、全員アダムスの子供ではない、

という、ご指摘は正しいと思います。

申し訳ありませんでした。

 

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コメント

TVでピトケアンの事をやっていたので、この記事に辿りつきました。
反乱が起きたのが4月28日だったのですね。ちょっとトリビアで3へぇです。

でも落ち着いて下さい。島の子供達はアダムス一人の子供ではなく、叛乱リーダーのクリスチャンや他の叛乱水兵達とタヒチ女性の間との子供ですよ。アダムス自身の子供もいたでしょうが。
タヒチ女性も個々人ではいろいろな事情があったようですが、ちゃんと恋愛関係の上で叛乱水兵達に付いていった人も大勢いるようです。
タヒチという狭い島社会で暮らしていたので、海を越えた遠い異国から来たというだけで、その男性が魅力的に見えたでしょうしね。

アダムスは最後に残った男性ということで、他の女たち全員とその子供達を統率する使命感にかられ、「ピトケアン島の父」という象徴的な形で残された子供達全員の父になった、という形式的なものだったのではないでしょうか。

TV番組の中でも、アダムスの子孫ではなく、叛乱リーダーのクリスチャンの子孫として紹介されていた人達もいましたよ。

投稿: | 2011年9月 2日 (金) 18時04分

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