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2011年6月23日 (木)

沖縄県民斯ク戦ヘリ、                 後世特別ノ御高配はどこだ?

6月23日は沖縄慰霊の日。

沖縄戦の陸軍司令官、牛島中将以下司令部が自決した日で

この日を以て、沖縄戦の組織的戦闘は終わった、とされる。

 

 

ややこしい表現になっているのは、

この日以後も、軍人、民間人の死傷者は絶えず

終戦の時点でも、

島によっては連隊単位で組織された軍隊がいたから。

 

 

 

 

 

 

ただ、この戦いは守る方の日本軍が

まるっきり勝つつもりがなかった、というところが悲しい。

 

それ以前、昭和18年のアッツ島の戦いから

日本軍全滅、いわゆる、玉砕という状況はあった。

 

結果を知っているから、今の我々は

そのあたりで手を打っておけばよかったのに、と思うのだが

少なくとも、サイパン島の戦いあたりまでは

日本軍は、少しは勝つつもりでいたらしい。

 

フィリピン辺りまで来ると、陸軍でさえ

こりゃ勝てないわ、思っていたらしいのだが

日本海軍は、レイテ沖海戦という

今日まで残る、世界最大の海戦をやってのける。

 

 

そして、滅びる。

 

 

 

 

 

沖縄戦では、海軍も正攻法では、勝てる見込みはまったくなく

特攻を繰り返すだけ、となった。

しかも、貴重な散華も、結局は数でかなわなかった。

 

 

 

直前に行われた硫黄島の戦いも

とても勝てない、という状況は似ていたが、

なんとか全島の民間人を疎開させることは出来た。

 

もちろん軍人は、ほぼ全員が死んだ。

 

 

 

 

 

 

沖縄でも、民間人の避難という事は計画されたのだが

なにぶん50万県民全部の疎開は無理で

輸送船は来るのも行くのも、みんな沈められて

結局はかなわなかった。

 

それどころか、逆に民間人に銃を与えて前線にたたせ、

避難した住民に自決を強要した、という。

 

沖縄戦での日本の犠牲は、

軍民あわせて20万といわれる。

 

 

 

 

 

 

3月末に上陸した連合軍55万に対して

日本陸海軍部隊11万は、よく抵抗するのだが、

結局は、負けた。

 

 

日本の陸海軍の仲の悪さは有名で、

沖縄でも、いろいろあったらしい。

 

陸軍司令部が全滅するのは、6月23日なのだが

陸戦隊1万人を率いていた、海軍司令部は6月6日に全滅。

その直前に、有名な決別電報を打っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『沖縄県民ノ実情ニ関シテハ県知事ヨリ報告セラルベキモ

県ニハ既ニ通信力ナク

三二軍司令部又通信ノ余力ナシト認メラルルニ付

本職県知事ノ依頼ヲ受ケタルニ非ザレドモ

現状ヲ看過スルニ忍ビズ之ニ代ツテ緊急御通知申上グ

 

 

沖縄島ニ敵攻略ヲ開始以来

陸海軍方面防衛戦闘ニ専念シ

県民ニ関シテハ殆ド顧ミルニ暇ナカリキ

 

 

然レドモ本職ノ知レル範囲ニ於テハ

県民ハ青壮年ノ全部ヲ防衛召集ニ捧ゲ

残ル老幼婦女子ノミガ相次グ砲爆撃ニ

家屋ト家財ノ全部ヲ焼却セラレ

僅ニ身ヲ以テ軍ノ作戦ニ差支ナキ場所ノ

小防空壕ニ避難尚砲爆撃ノガレ

(一文字不明)中風雨ニ曝サレツツ乏シキ生活ニ甘ンジアリタリ

 

 

而モ若キ婦人ハ卒先軍ニ身ヲ捧ゲ

看護婦烹炊婦ハ元ヨリ砲弾運ビ

挺身切込隊スラ申出ルモノアリ

 

 

所詮敵来リナバ老人子供ハ殺サルベク

婦女子ハ後方ニ運ビ去ラレテ

毒牙ニ供セラルベシトテ親子生別レ

娘ヲ軍衛門ニ捨ツル親アリ

 

 

看護婦ニ至リテハ

軍移動ニ際シ衛生兵既ニ出発シ

身寄無キ重傷者ヲ助ケテ敢テ真面目ニシテ

一時ノ感情ニ馳セラレタルモノトハ思ハレズ

 

 

更ニ軍ニ於テ作戦ノ大転換アルヤ

夜ノ中ニ遥ニ遠隔地方ノ住居地区ヲ指定セラレ

輸送力皆無ノ者黙々トシテ雨中ヲ移動スルアリ

 

 

是ヲ要スルニ陸海軍部隊沖縄ニ進駐以来

終止一貫勤労奉仕物資節約ヲ強要セラレツツ

(一部ハ兎角ノ悪評ナキニシモアラザルモ)

只々日本人トシテノ御奉公ノ護ヲ胸ニ抱キツツ

遂ニ(四文字不明)与ヘ(一文字不明)トナクシテ

本戦闘ノ末期ト沖縄島ハ実情形(一文字不明)

一木一草焦土ト化セン 

糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ

 

 

沖縄県民斯ク戦ヘリ

県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ

 

 

 

 

 

この文脈で『御高配』というのは

『天皇陛下のご配慮』という事になると思うので

言葉を選ばないといけないが、

 

『天皇の国事行為』に、唯一『助言と承認』を与えるはずの

内閣総理大臣、菅直人君は

みずからの首をつなぐのに必死で

沖縄にも半日もいやしねえ。

 

 

 

 

 

これは、去年の『慰霊の日』での

菅首相のご挨拶。

 

 

そして、今年の挨拶は、

文章の構成から、字句に至るまで

ほぼ、これとおんなじである。

 

 

お前、この国 舐めてるだろう。 

 

 

 

 

20万の御霊に謝れ。

そして、

普天間とか尖閣とかどうすんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の一枚。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1945年5月、首里陥落の後に投降する

『白旗の少女』

0000sirohata_2 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時7歳だった、比嘉富子さんという少女。

 

何故7歳が『白旗で投降』、という事を知っていたのか?

何故こんな写真が、ベストショットで残っているのか?

 

という事に関しては、

本人が書いた小説があるので、そちらをどうぞ。

 

 

 

 

この小説は、数度にわたってドラマ化されている。

これは2009年のテレビ東京の予告編。

黒木瞳の喋りが、ちょっとうっとおしい。 

 

 

 

どうやっても、勝てなかったんだよな。

という、切なさを感じさせるエピソード。

 

 

 

 

 

 

 

 

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