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2011年11月15日 (火)

関門トンネルが、そこを通る理由

11月15日は関門トンネル旅客営業開業の日。

 

       

 

 

 

九州と本州をつなぐこのトンネルが

開通したのは昭和17年。

 

九州と本州をつなごう、という構想は明治時代からあった。

鉄道と都市計画にはかならず名前が出てくる後藤新平が、

鉄道院総裁だった時代に具体化した。 

 

 

 

 

ただ、このトンネルの特徴的なところは

着工が昭和11年。下り線の竣工が昭和17年。

上り線の竣工が昭和19年と、戦争ど真ん中なのだ。

 

関門トンネルは、軍事用に掘られた、

というのは言い過ぎだろうが、

急いで掘られた理由は戦争のためだ。

 

しかも、関門トンネルの開業自体は、昭和17年の夏。

貨物列車を先に通して、旅客列車は

半年後だったというところが

日本国の、てんぱっていたところだろう。

 

 

九州の人は怒るかも知れないが

この年譜を見たら残念ながらそう思う。

 

四国に、3本も橋を渡す国だから、

戦争がなくても九州への連絡路は、

かならず通っただろうと思うのだが、

このトンネルの歴史はちょっと特別だ。

 

 

 

 

 

 

ただ、今日は、それとは別の話をします。 

以前から、不思議に思っていることがある。 

 

なんでこんなに西側を通したんだろう。  

 

 

 

 

現在、本州と九州の間には、4本のトンネルがあって

在来線、新幹線、国道、人道に用いられている。

(在来線単線2本、新幹線複線1本、国道+人道トンネル1本) 

 

もう一本、高速道路があるのだが、これは橋。

合わせると、6本の『ルート』があるのだが

この鉄道トンネルだけ、ひどく西に偏しているのだ。

 

 

00000kanmon_2 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新幹線トンネルや、国道トンネル、関門橋などが

みんな壇ノ浦を通っているのに対して

鉄道在来線トンネルだけは、遙か西側を渡っている。

 

本州側の出入口は下関、九州は門司。

 

どちらも、『入口』という名前で頼もしいが

九州側の出入口である門司駅は、

昭和17年を境に名前が変わっていて

現在は、門司港駅。

 

 

0000mojikoueki  

 

 

かっこいい門司港駅

 

 

 

 

 

関門海峡はまっすぐ渡れば1km足らずなのだが

門司港からだと2倍以上かかる。

そのせいで、鉄道連絡線のルートは変えられた。

 

貨物列車は早くから、下関-小森江経路に変えられたのだが

下関-門司港の旅客航路は昭和17年まで続いた。

 

 

0000mojikoueki2  

 

 

青春の門

 

 

 

 

 

しかし、九州は、石炭と鉄の島。

なんとしても、鉄道でつなぎたかった。

 

しかし、地図を見ればわかるように

門司港と下関をトンネルで結ぶのは、遠すぎる。

 

どちらかを、諦めねばならない。

  

昭和11年の着工の時点では、

まだ危機感は薄かったらしいのだが

負け戦になると、アメ公が機雷をばらまいたおかげで

たった600mの関門海峡がわたれなくなってしまった。

 

だから、工事を急いだ。

そのため、地質の良い西側を選んだ、という説がある。

 

そうかなあ?

 

工事を急いだのは事実だが

それなら、トンネル開通のはるか以前に貨物航路が

門司港を見捨てた理由の説明にはならない。

地質と貨物航路は、関係ないだろう。  

 

地質や地形うんぬんを云うのなら、 

その後の路線すべてが、遙かに東側の

壇ノ浦経由になったことを説明できない。

 

戦前の段階では、いろんな大人の事情で、 

下関を通したかったのだろう。  

 

 

 

『下関を通すこと』、を前提にすれば

関門ルートは必然的に、門司港駅を無視することになる。

 

門司港だって、九州人にとっては

内地や大陸への大事な玄関口だったのだが、

悔しいことに下関は、市内に小瀬戸という水路を持っていて

日本海と瀬戸内の両方に港を開いていた。

しかも、東京から、朝鮮、満州に連絡してきた

歴史を考えたらかなわない。 

九州には長崎もあるから良いじゃない、と。

 

 

 

門司か、下関か、という選択肢にたった時

国鉄は門司を捨てた。

 

門司駅は、門司港駅となって枝線の盲腸線になった。

『門司駅』の名跡は、

新しく本州との接続駅になった5.5km南の大里駅に譲られる。

 

貴重な駅舎が、手水鉢なんかの備品共々遺されているのは

見捨てられていたからだ。

 

そのために、門司港駅は重要文化財になり

周辺の建物を移築して『レトロ地区』なんていうのを作って

観光名所になっている。  

 

 

 

 

 

ところが、戦争に負けた日本は

大陸はおろか、朝鮮半島への渡航路も失って、

大事にしたはずの下関の地位は、凋落してしまう。 

 

 

個人的なことをいえば、

九州には何回も行ったことがあるが、

下関に立ち寄ったことがない。

 

立ち寄るほどの魅力がないのだ。

 

壇ノ浦や、巌流島なら行ってみたいが、そこは下関市街じゃない。

 

下関の人に悪意を持っているわけでは、決してないのだが

むしろ、見捨てられた筈の門司港駅のほうが魅力的なのは

歴史って、残酷だと思う。

 

 

 

しかし、その後の歴史はもっと残酷だった。

 

昭和17年の関門鉄道トンネルは、

下関に立ち寄って、一応は門司駅を作ってくれたのだが

昭和33年の国道トンネルは下関市街を通らず

昭和50年の新幹線は、下関はおろか

大回りして、門司にさえ立ち寄らなくなった。

 

 

『関門トンネル』といいながら、

それが結んでいたのは

『下関』でもなければ

『門司』でも、なかった、

という事です。

 

 

 

 

ちょっと切ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の「気になる通り道」。』

 

 

 

 

 

 

 

関門トンネルは、歩いても渡れる。

0000kanmonn_tunnner  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人道トンネル780m。

 

 

地元の人はジョギングに使ったりするんだそうです。

好んでのことならともかく、

これが通学路だったら、ちょっと泣く。

 

 

 

 

 

 

おまけ。

 

 

 

 

 

三人が2本ずつ線を引くのに

できあがったら五角形、という不思議なCM。

 

すごく気になる。

 

 

 

5回見て、やっとわかりました。 

 

でも、カットを分ける理由がわからん…

 

 

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コメント

色々な事情と歴史があるのですね
今回の話もたいへん勉強になりました
ありがとうございます

最後のCM
何か違和感を感じさせるため?
なんなんでしょう@@

投稿: れい | 2011年11月16日 (水) 07時24分

関門トンネルは、九州への関門ではなかったとゆーことでしょうねぇ。

最後は、ハリとキメのラインは二重に大切?

なんだか最近、とみにいろんなことがむずかしく感じるようになってきました(涙)。
しかしお三方はきれいだな~。

投稿: fullpot | 2011年11月16日 (水) 09時16分

れいさん ありがとうございます。
ここに書いてあるのは、私の雑感なので
正解かどうかはわかりません。
ただ、ずいぶんルートが変わったな、と。
最後のCM、全然気がつかなかったんですが
なんの意図があるんでしょう…
 
fullpotさん ありがとうございます。
関門!うまい!
そして、最後のCM、
旨いことカットをつなぐなー、と
感心しました。
元もいいんでしょうが、さすがCM
しかも化粧品、うまく撮るなー、と
これも感心しました。
桃井かおりって、いくつなんだろう。

投稿: natsu | 2011年11月16日 (水) 22時22分

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