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2011年11月16日 (水)

ロボの日

11月16日は『昭和天皇誤導事件』の日。

桐生鹵簿(ろぼ)誤導事件』ともいう。

 

 

 

なんだそれは?というのも当然で、

今日、振り返られることはあんまりない。   

 

 

 

 

 

要約すると、

『昭和天皇の車列の誘導を間違えちゃった。えへ。』

ということで、それだけ。

歴史的な意義も、それ以上のことはない。  

 

 

『鹵簿』(ろぼ)というのは陛下の車列のこと。

古語だと、牛車だったり馬車だったりしたのだが、

昭和9年当時は自動車で、これの誘導を間違えた。

 

現代の視点でいうと、『だからなんだ』という話である。

 

 

でも、事件そのものには

今日にも通じる教訓がいくつかある。 

 

 

 

 

 

振り返ってみよう。  

 

 

昭和9年11月、高崎練兵場の大演習を観閲された昭和天皇は

せっかくだから、群馬県を見て回ることにした。

 

行幸は3日間。

当然ながら、行程のすべてを警察が警護することになった。

 

 

警護担当は地元の警官。

誘導の指揮を執ったうちの一人に、本多という警部がいた。

 

「行幸先導」は、半年以上前から、さんざんに訓練されていた。

本多警部は3日の行程のうち、11月15日の前橋の担当で、

無事にこれを務め上げる。

 

ところが、祝宴を張っていたところに電話があって

桐生を担当するはずだった別の警部が発熱したから

明日もやってくれ、という。

 

桐生での訓練に参加していなかった本多警部は

固辞したらしいのだが、結局は引き受けさせられた。

 

 

当日の鹵簿は、本多が乗った『先導車』と

陛下や侍従を乗せた車列で、あわせて8台。

 

ところが本多は『緊張のあまり』、当日の道順を間違え、

左折するべき交差点を直進してしまう。

 

ここまでで重大な間違いが、いくつかあるんだが

とりあえず事件の全部をご紹介する。

 

本来最初に来るべきであった、桐生西小では

「陛下一行が行方不明」と、大騒ぎを起こした。

 

逆に、30分後に来るはずだった桐生高工では、

到着予定時間の遙か以前から

全校生徒を、正装着帽の上で整列させて準備していた。

もっとも、その時に校長は、「まだ30分も前だから。」と

校長室で茶を飲んでいた。

 

到着30分前に全生徒を整列させてた神経も信じられないが

それを眼下に見ながら茶を飲んでいたというのは

しょうがねえな田舎者は、と思う… 

 

直前まで茶を飲んでいた、この田舎校長は

校外で警護していた警官の『最敬礼』、という

号令を聞いて、慌てて、窓の外を見た。

 

そこには、陛下の車列が迫りつつあったので

校長は、モーニングをひっつかむや

こけつまろびつ階段を駆け下り

玄関に佇立したのは

御料車から陛下が降りたのと、ほぼ同時。

 

かろうじて『陛下を待たせる。』という

松本復興相なら激怒するであろう事態が回避できた。

 

それだけで、許し難い出来事なのだが、それだけなら

これは、『地方行幸』の中での小さな事故。

大多数の当事者が、当時はそう思っていた。 

 

 

 

 

 

 

ところが、天皇が東京に帰る日、

誘導の責任者だった本多警部が自殺を図ってしまう。  

しかも、還幸の御召列車の汽笛を合図に喉を突く

というドラマチックな演出つきだ。

 

このつまんない事件は、そのおかげで、全国ニュースになる。 

 

 

 

事件そのものの顛末は、かような次第。

 

自殺を図った本多警部は、

本人にとって、幸か不幸か一命を取り留めた。

結果だけ見たら、どうという事もない。

しかし、この事件は当事者である、

本多警部の意図を超えて異様で、極端な広がりを見せる。

 

 

まず、総理と文部大臣が陛下と国民に謝罪し

行幸の担当者は譴責、減俸といった、履歴に残る処分を受けた。

 

桐生市民は、さらに恐懼した。

事件の6日後、同じ時刻に桐生全市はサイレンと共に

全員皇居に向けて最敬礼し、不敬を恥じて黙祷した。

 

野党の政友会が文部大臣の責任を問うて

帝国議会で政府を非難したりもした。

 

そして、自殺を図った本多警部は世間の注目をあび

時節柄、『忠臣』『硬骨漢』『至誠の人』と

大いにもてはやされた。

 

あほらし。

 

 

詳しい結果はWikipediaをどうぞ。 

 

 

 

しかし、それならば、どうしたらよかったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

まず、なんで予行演習もしていない男を

当日の責任者にさせたのか?

 

担当者が急病になる、こどもの腹が痛い、嫁の機嫌が悪くなる、

ということはあり得る話だ。

 

家族のことなら、ぶっ飛ばしてもいうことを聞かせろ、

という時代だったかも知れないが

緊急事態に備えて、同じ訓練を施した

予備スタッフを揃えておくのは当然のことだろう。

 

前日の深夜になって

「ごめん、明日出てきて」っていうあたりが

群馬県の負けだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして更に、本多警部が間違った時

後続の車列は

無視してもよかったんじゃないか?

 

行幸の車列は、いきなり天皇が乗っている訳じゃない。

3番目くらいの車に乗っていたらしいのだが、

当然、後続車両の関係者は、

「あ、こいつ間違えた。」という事に気がついていたはずだ。

 

気がつかないはずはない。

群馬への行幸ということで半年前から訓練し、

官民挙げて準備をしていて、そのルートは分単位で予告されてた。

 

 

だから、その瞬間、

本多を無視してもよかった。

 

 

 

車列を混乱させるのは畏れ多い、というのが

Wikipediaさんの主張だが、

しかし、そこは、所定のルートを通るべきだった。

 

予定外のコースを通って

テロにあったらどうするつもりだ?  

 

 

そうしなかった理由は、よくわからない。

『テロ対策』とかを考えたら、

今日でも通じる話だと思うのだ。  

 

『予定を滞らせたくない。』ということが最優先だったらしい。

 

緊急に本多さんを呼び出した件といい 

どうも、この田舎警察の考えは

『式次第を滞らせたくない。』ということに尽きていたらしい。

この辺りの田舎具合がいやだ。

 

 

 

 

 

 

 

もっとも昭和天皇は、行程がおかしいことに気がついていて

桐生高工に到着した時、玄関先に校長がいないことを察して

わざと時間をかけて下車したおかげで

この田舎学校の名誉をすくったという説がある。

 

ほんとか嘘かはともかく、

天皇に出来たのは、この程度でしかなかった、ともいえる。  

 

事態の異常は、天皇も自覚していたはずだし

本多警部自殺、というニュースは伝えられていたのだが

そのことに対しての反応は、

我々ごとき下々のものにはわからない。 

 

ただ、誤導を責めるようなことは一切言われなくて、

行事そのものは、当日も翌日も粛々と行われた。

 

『道間違えたから、責任感じて死んじゃいました。』

といわれても、どうしろっていうの?

 

 

『よくやった。』とは言えないだろうし…

 

 

 

 

 

 

 

 

なによりもうひとつ、

この事件のあとの社会の反応が嫌だ。

 

彼は重傷となって病院に収容されるのだが

生死定かならぬ時点で

『よくぞ、忠臣。』

『さすが、警官。根性がある。』とかマスコミがあおり立てた。 

死を賭した本多警部は全国のヒーローになった。

 

 

それゆえに終戦後、昭和天皇が「人間宣言」をして

その後、もみくちゃにされながら「全国巡幸」を行ったことに

彼は衝撃を受けたらしい。

『俺の生涯はなんだったんだ。』、と。

 

 

彼は、そのニュースを受けて、戦前にもらった

マスコミの記事や、励ましの手紙をすべて焼却した。 

 

自分を褒めてくれる文章を10年以上取っておくなよ、と思う。

正直、こんなじいさんが親戚にいたら

たまらないと思うのだが、責める気にはなれない。

 

手のひらを返した世間だってひどいと思う。 

 

 

 

 

 

 

世間的には注目されないけれど

今日にいろいろ教訓を残す事件じゃないでしょうか。

 

本多警部は事件後、警察を辞めて故郷に帰り

『天皇の人間宣言』までは、勤め人をしたが

その後隠棲し、昭和35年に68歳で死んだ。 

 

なんか、哀れを感じてしまう。

 

 

 

一生になしえた仕事が

『道案内を間違えた。』だけというのも

おかしいけれども、笑えない。

 

哀しい…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日のロボ。』

 

 

 

 

 

 

 

大正鹵簿(ろぼ) 

0000robo3 

 

 

 

 

 

 

大正天皇即位の礼での鹵簿。

牛かと思ったら、どうやら馬。

 

 

 

 

 

 

 

昭和鹵簿(ろぼ) 

0000robo  

 

 

 

 

 

昭和5年、関東大震災の復興事業完了に合わせて、

都内を巡幸する昭和天皇。

清洲橋を通る陛下の鹵簿。

 

 

 

 

 

 

 

 

ジャイアント・ロボ

0000robo2    

 

 

 

 

 

 

どうしても、この写真を載せちゃうあたり

我々の限界だと思う。 

 

 

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そんな時代もあったよね」カテゴリの記事

コメント

何ロボの話だろ?とワクワクしたらロボ違いでした。

流され安いたちなので、
当時なら
多分やっぱり、アッパレと思ってしまったかも。
冷静に分析されると、いろいろと切な可笑しいですね。


と思ってたらロボ登場♪
ちょっとだけ世代違いでしたわ

投稿: あー | 2011年11月18日 (金) 21時08分

あーさん ありがとうございます。
『ロボ』と言ったら
あの『ロボ』なんですよ。
我々の世代では。
 
確かに、あの時代の空気の中にいたら
本多警部を褒め称える側にいたりは
するかも知れません。
 
時代の空気って怖いですよね。

投稿: natsu | 2011年11月20日 (日) 11時15分

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