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2011年12月11日 (日)

気仙沼線の日

12月11日は気仙沼線が全線開通した日。

昭和52年のことだ。

(Wikipedia 気仙沼線)

 

       

 

 

 

 

 

『古さびた前谷地の駅には「祝気仙沼線開通」の

飾りつけがなされ、ホームには鼓笛隊が並び、

着物姿のお姐さんたちが花束を運転手に渡したりして

華やかであった。……

 

四分ほど遅れて9時54分に発車し、柳津に着いたのは

八分遅れの10時25分であった。日の丸をの小旗を持った

町の人たちが、ホームの端から端まで、

まるで密植された植物のように生え揃って埋めつくしている。…

駅前から一斉に風船が放たれる。…

 

陸前戸倉を発車すると、右手に志津川湾が現れ、

線路は高い位置からリアス式海岸の景勝を見下ろすようになる。

車内に歓声が上がる。

 

いよいよ悲願八十年の志津川に着く。

気仙沼線の中心駅だけに大きな新駅である。

しかし、広いホームに立つ人の数は意外に少ない。

そのかわり、サッカーでもやれそうな広い駅前広場は

びっしりと人間で埋まっていて、

思わず口を開けて見おろしたところ五千人以下ではない。

一万人くらいかも知れない。……

志津川町は人口一万七千だからまさに町を挙げてである。…

花火が打ち上がり、風船が何百と放たれ、

少なくとも百羽以上の鳩が飛び立った。……

 

次の清水浜と、その次の歌津はいずれも小さな漁港であった。

家が少ないからホームを埋めつくすほどの人はいない。

その代わり手足を動かすことができるから、

いろいろなことをやってくれる。……

 

焦げ茶色に日焼けし海風に鍛え抜かれたおばさんたちが、

花笠をかぶって一列に並び片足をあげて踊る。

なんだか申し訳ない気がする。

しかしその顔は嬉々としていて、駆り出されの翳りは微塵もない。

 

短いスカート姿の、

バトンガールのような女子高校生のチームもいる。

この少女たちが、

どうしてあのおばさんたちのようになるのかと思う。

 

東京の新聞には、また赤字線が増えたと

批判的な記事が載っている。…

難しい問題ばかりだが、

私には、駅頭で妙な踊りを踊る

日焼けしたおばさんたちの顔だけが、たしかなものに思われる。』 

 

 

(ここまでの引用。宮脇俊三、『時刻表2万キロ』 最終章より。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、気仙沼線の被災状況。

 

 

 

 

陸前戸倉駅

0000togura_st  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

志津川駅

0000shizugawa_st  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歌津駅

0000utadu_st_3  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宮脇先生は、昭和52年12月11日、

開業の日にこの路線に乗って、その興奮を記録した。

 

 

 

 

この鉄道敷設の理由、

そして、開通に際しての沿線住民の感動の理由は

 

『気仙沼線、とくに志津川町民による鉄道敷設の陳情は

明治三十年頃から始まっており、悲願八十年と言われる。

なにしろ三陸地方は津波が多く、

とくに湾口がラッパ状に開いている志津川町では

津波のたびに交通が途絶えて食糧が不足し、

鉄道への願いはいっそう切実だったという。』 

 

だったそうである。

 

 

 

 

 

ただ、三陸地方は地勢が険しく、

建設の進行は遅々とした。

 

『我田引鉄』の政友会が政権を取ると、ちょっとは進むが

反対党の憲政会が政権を取ると進まない、という事情もあった。

 

戦争が始まると、それどころじゃなくなり、

戦後はもっとそれどころじゃなくなり、

前谷地から柳津まで、気仙沼から本吉まで

南北から手を伸ばしてきた全線が

ようやくつながったのが、昭和52年のこの日。

 

国鉄の赤字が膨らんで、新線建設が凍結される状況で

滑り込みの開業でもあった。  

 

 

それが、地震と津波でこの被害。

 

 

 

写真はかならずしも、現況ではないが

現在も、前谷地-柳津間、55km

気仙沼線の北側、四分の三は不通のまま。

 

被害が大きかったことはもちろんだ。

津波が来るから鉄道を敷いたわけで、

地図を見ると、この路線はトンネルと橋ばっかりである。 

 

 

それを乗り越えて津波が来やがった。

 

 

 

 

 

 

 

もうひとつ、再開できない理由があって

この沿線の町は高台に移転するかどうか悩んでいる。

 

復興には鉄道が必要、ということで地元は一致しており

本音はよくわからないが、JRも再開の方向ではあるらしい。

 

ただ、町が移転するとなると

ただでさえ、秘境駅みたいなところがあったのに

もっと使いにくくなる。

 

大体、津波の被害にあった場所に

そのまま再建するのは危ないだろう。

ということで、先に進まない。

 

 

 

 

 

こればっかりは、よそ者があれこれいう事じゃないなあ。

 

しかし、『時刻表2万キロ』の愛読者としては

『あれほどの興奮で迎えられた鉄道が、

復活できないのか。』

と、複雑な思いを持つのであります。

 

 

うーん…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の一枚。』

 

 

 

 

 

 

 

昭和63年3月28日、千城台駅を出発する

千葉都市モノレールの、開業一番列車。

0000chiba 

 

 

 

 

 

 

 

すっげーさみしい。

 

 

 

 

 

ホームに誰もいない。

 

そんなに歓迎されてなかったのか?

そうか。

そうなんだ… 

 

 

 

 

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ぼくは鉄じゃない」カテゴリの記事

コメント

「時刻表2万キロ」とてもロマンがありますね
気仙沼線、なんとか復活して欲しいですが
難しい課題があるんですね
早くに復活することを祈ります

千葉都市モノレールの、開業一番列車は
華々しい感じですが
意図的?でしょうか?
人がいないと少し寂しいですね^^;

投稿: れい | 2011年12月11日 (日) 11時03分

先週、仕事で戸倉に行ったばかりです。

陸前戸倉から歌津にかけて、南三陸町の気仙沼線沿線はずっと杉林が続いているのですが、トンネルや鉄橋の遥か上で、津波が被った位置まで見事に立ち枯れしているのが印象的でした。
被災地から離れて暮らしていると、恥ずかしながら、震災は遠い日の出来事と感じる事もありますが、建物の基礎だけが延々と続く風景を見ると、復興へ歩みは始まったばかりなんだと改めて感じます。

気仙沼線の早期復旧を心から願っております。

投稿: ハチワレ | 2011年12月12日 (月) 20時05分

れいさん、ありがとうございます。
勝手に引用して怒られそうな気がしますが
この人の文章はすごいです。
こういう、手触りのある文章が書きたい。
 
千葉モノレールのこの列車は、
始発だから、
たぶん朝の6時くらいだと思うんですよね。
そのせいもあるだろうし、
写真を撮った人の作為もあるんでしょうけど
この人の少なさは…
 
 
ハチワレさん、ありがとうございます。
地元を御覧になった方には
また特別の感慨があるんでしょうね。
 
路線を変えると、
トンネルも掘り直すのか?
橋も架け替えるのか?とか、
いろいろと難しそうです。
しかし早期の再開を祈って応援したいです。
 
そして、街の再建も。

投稿: natsu | 2011年12月13日 (火) 22時07分

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