« 討ち入りのあるべき姿と、赤穂の塩 | トップページ | また壊れた »

2011年12月15日 (木)

南極点を目指した3人の男たち

12月14日は、南極点到達の日。

(Wikipediaの記事へのリンク)

 

 

 

 

 

 

 

1911年のこの日、ノルウェーの探検家、アムンゼンが

記録に残る限りでは人類初めて、南極点に到達した。 

今年は100周年。

 

 

何故12月?と思うのだが、南半球の季節は日本と逆。

更に緯度の高い南極は5月から8月くらいは真っ暗になるから

アタックは、この時期に行われる。

 

 

 

 

 

1910年の10月にアムンゼンが南極大陸に上陸した時

極点を目指す男が、あと二人いた。

 

イギリスのスコットと、日本の白瀬矗。

 

 

 

スコットとアムンゼンの極点争いは有名で

それぞれがほぼ同時に出発したことを知っており、

更に母国にも伝えられていたので、

お互いの競争心は大変なものだった。

 

暴風の中、極点に到達したスコット隊の眼の前に

ノルウェーの国旗が翻っていた。

絶望したスコット隊は消沈して…

なんて話を、ガキの頃に読んだような気がする。

 

 

 

 

 

3人の中で、条件としてもっとも恵まれていたのは

イギリスのスコット。

この人は2度にわたって南極探検を行っているが、

一度目は700km手前で撤退。

 

もうここが南極点、って

言い切っちゃっても良さそうなところまで行くのだが、

正直者の彼は、2度目の挑戦をする。

既に母国での彼の名声は確立しており、

第二次遠征隊には8000人が応募した。

 

 

2度目の遠征隊の装備は

馬匹20頭、犬30頭、雪上車2台という

後の2隊に比べると比較にならない豪華版。

 

ただし、隊員39名の内

1/3が将官で、エンジニアと学者が1/3

下っ端は1/3しかいないという偏った編成。

 

国家とか、競争とか、学術研究という名前の見栄とか

いろんなものを背負い込んだ時点で、

この人は、負けるべくして負けた。

 

 

 

 

 

 

アムンゼンというおっさんは、その点金に苦労している。

 

北極が海だ、という事は既に知られていて、

ここを通ればヨーロッパとアメリカの航路が縮まるんじゃないか?

ということで、この時期

北西航路開拓、というのに大いに関心が持たれた。

 

アムンゼンは、

『ほたら、わしがやりまひょ。』という事でスポンサーを募り、

船と船員を用意してアラスカまで行くのだが

こいつの魂胆は、史上初の北極点到達だった。

 

ところが、アメリカ人のピアリーというひとに

先を越されてしまったので、急遽行き先を変えて南極に行く。

 

さすがにスポンサーに申し開きが立たないので、本国には、

『北極海航路開発の前に、ちょっと南極に行く。』

という豪快な言い訳を電報で打った。

 

乗組員が、真の行き先が南極だという事を知ったのは

大西洋のど真ん中。

 

土性骨の座った嘘つきで、それだけの根性があるから

先に南極点に立てた、といえる。

 

 

スコットが持ち込んだ馬は、寒さでみんな死に、

雪上車はオイルが凍って使えなかった。

 

犬ぞりに徹底したアムンゼンが勝ったのが12月14日。

 

 

 

 

 

 

 

白瀬矗は、金がないことにかけてはもっとも惨めで

公の援助は一切なし。

民間の募金を集めてボロ船を買って、改装。

 

アムンゼンやスコットとほぼ同時期に南極を目指して

ようやく出発するのだが、途中で

そりを引かせるための犬が寄生虫で全滅。

泣く泣く、半年間オーストラリアで過ごすことになる。

 

仲間割れとかがあって、苦労したものの、

体勢を立て直して南極に上陸したのは1912年1月。

 

既ににアムンゼンは南極点に到達しており、

上陸翌日に、スコット隊南極点制覇のニュースも伝わった。

 

そこで彼は、南極の地理観測と、

南極大陸での将来的な領土確保のための探査に切り替えた。

なーんて、書く奴がいるが

実はやっぱり南極点への未練は断ちがたく

アタック隊を出す。

しかし、南緯80度5分で撤退した。

 

イギリス人のスコット隊でさえ全滅したのだから

あの時代に撤退したのは勇気が要ることだったと思う。

そこは、もっと評価してあげていい。

 

我々の世代だと、この人のことを『白瀬中尉』と教わった。

これだけ偉大な人が、何故中尉どまりなのか?と思うが

この人の行動は、計画時点では陸軍に全く理解されず、

帰国した後でも、軍から祝福を受けることはなかった。

 

更にこの人は、

周囲と調和できない事にかけては呪われたかのようであり

渡航時点から部下に反抗され、

オーストラリアに着いても喧嘩をし

撤退後も部下と喧嘩しながら帰国してみると、

後援会の連中が寄付金を使い込んでいた。

 

酒はおろか、茶もお湯さえも贅沢だ、という人で

自分に厳しいのは勝手にすれば、であるが

人望はなかったらしい。

 

今でこそ『しらせ』と言えば、南極観測船の名前で、

この人は日本中から尊敬されているのだが

こんなおっさん親戚にいたら、ちょっとやだ。

 

南極から帰国した後も、撮影したフィルムを抱えて

全国を講演してまわって借金返済にあたり

20年かけて、ぜんぶ返した。 

 

苦労人ではある。

 

85才で死ぬのだが、死因は栄養失調。

食うに困るほどの貧乏はしていなかったはずだが

贅沢は敵だ、ということが行き過ぎると

こういうことになるらしい。

 

 

 

恵まれた条件で、冒険をスタートさせたスコットは

南極点には到達したが、

帰り道で悪天候の中、身動きが取れなくなって死亡した。

 

この人も、幸せな死に方はしていない。

 

Wikipediaに、この人が死の間際に書いた日記、

というのが載っているのだが、

死を前にして、指先が利かなくなりながら

へろへろになっていく文字で、

家族の幸せを神に祈っている。

 

0000sct  

 

R スコット、とサインした後に

神様へのお願いを書いているあたり

ちょっと泣かせる

 

 

 

 

 

 

 

 

成功者であるはずのアムンゼンはどうだったか?

 

彼は無事に帰国して数々の栄誉を与えられるのだが、

それに満足できず

飛行機による人類初の北極点到達なんて事をやった。

 

そこでやめときゃいいのに

更に飛行船でもやってやる、と出かけて遭難して死んだ。

 

 

 

 

 

 

 

この人たちをみると

冒険というのは麻薬のようなものなのかな、と思う。

 

平和な晩年を過ごしたいなあ、と思うのであります。

 

 

 

無理か…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の二枚。』

 

 

 

 

 

 

 

白瀬が南極渡航に使った開南丸。

0000kainannmaru 

 

 

 

 

 

 

 

 

下から見上げたアングルで、

すごく大きな船に見えるが199トン。

アムンゼンが使ったフラム号の半分以下である。

 

 

 

 

 

 

 

船の『200トン』というのが、見当がつかなかったので

検索していたら、出てきたのがこの船。

0000hamayuri  

 

 

 

 

 

 

津波で建物の上に乗り上げた観光船『はまゆり』 。

これが200tなんだそうです。

 

 

へえ、大きいじゃないの、と考えるか

津波で運ばれちゃうくらいの大きさなのか、と考えるか

不幸な200tだな、と思うか。

 

 

 

 

にほんブログ村 その他日記ブログへ    

 

 

 

 

|

« 討ち入りのあるべき姿と、赤穂の塩 | トップページ | また壊れた »

こんな難しいテーマもうやらない。」カテゴリの記事

コメント

今回はまたとても勉強になりました
いつもありがとうございます

冒険家というのは、昔憧れた覚えがあります
ですが、現実世界では
ギャンブルのようなもので
生きていくためには到底真似出来ないですね

投稿: れい | 2011年12月15日 (木) 18時46分

れいさん ありがとうございます。
 
冒険ってギャンブルですよねえ。
それでも、白瀬やスコットは
『幸せな失敗者』なんだと思います。
 
たいていの敗北者が
名前も残さずに
死んでいったはずですから…

投稿: natsu | 2011年12月18日 (日) 18時08分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/453502/43375351

この記事へのトラックバック一覧です: 南極点を目指した3人の男たち:

« 討ち入りのあるべき姿と、赤穂の塩 | トップページ | また壊れた »