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2011年12月 4日 (日)

『坂の上の雲』に関しての70年代的感想

12月4日から、『坂の上の雲』の最終シリーズが始まる。

(NHK『坂の上の雲』公式ホームページ)

 

 

 

 

 

 

 

足かけ三年という、『連続テレビドラマ』史上空前にして

おそらくは絶後の、気の長さ。

 

これだけ、放映期間が長いと

事故で死んじゃったり、病気で死んだり、

不祥事を起こしたりする奴がいないのか?と、

人ごとながら心配してしまうが、

さすがはNHKの選んだ出演陣、

一人の脱落者も出さないのは、大したものである。

 

テレビドラマの方は、これから1ヶ月、

じっくりと楽しませて貰おう。 

 

 

 

 

 

 

 

 

小説の方の『坂の上の雲』を、はじめて読んだのは

20年くらい前だっただろうか。

 

文庫本でも8巻もある大作なのだが、

1日1巻の割で一気に読んだ。

そして、今日に至るまで何十ぺんとなく読んだ。

 

 

 

 

 

 

司馬遼太郎の筆力に圧倒されたのもあるが

私が、この戦争についてなにも知らなかったことも事実だ。

 

新鮮だった。

 

 

 

 

なにしろ日本が勝つのだ。

 

我々が、学校に行った時分には 

日本というのは弱くて、負けて負けて負け越して

しかも、日本は悪者で、

あらゆる都市が焼き尽くされていたのは天罰だと。

そう、教え込まれていた。 

 

  

旅順で勝ち、奉天で勝ち、そして日本海で勝つ。

後述するように、いろいろと複雑な思いは抱くのだが

日本が勝てば、単純に嬉しい。  

 

 

 

 

 

 

 

 

私が義務教育を受けたのは70年代。

しかし、『この戦争』を、まともに教わった記憶がない。

 

小学校、中学校の先生は熱心で、

いまでも尊敬できる人たちなのだが

この戦争について触れてはくれなかった。

 

高校の教師は、もっといいかげんで

『明治以降は、各自よろしく』という感じ。

近現代史は入試に、出なかったのだ。

 

しかし、それ以上に世間の雰囲気があった。

 

ベトナム反戦、ラブアンドピース…

世代にもよるだろうが、あの時代、

ガキどもは、いまよりも、はっきりと、『左側』にいた。

 

 

 

 

 

そこに、この小説である。

『日露戦争は、祖国防衛戦争であった。』

言い切ってしまうこの小説は、新聞に連載された。

 

連載されたのは産経新聞。

期間は昭和43年から昭和47年。

 

70年安保の、ど真ん中だ。

 

 

 

 

 

 

 

いい度胸である。

 

よくもまあ、あの時代に、というか、

安保にぶつけるかのように、この小説を連載するか?

と日本中が思った。

 

『さすが産経、ウルトラ右翼。』、と。

 

 

いまでも新聞にはそれぞれ『立ち位置』というのがあるのだが

40年前の、あの時代の新聞社は、そういう体臭を隠さなかった。

 

だから、司馬遼太郎は、あの小説を連載できた。

私が、中学生くらいの時

『司馬遼太郎なんて右翼だから読むな。』と

したり顔で言う、大人が複数いた。

 

その一方で『怒りの葡萄』のスタインペックは

とんでもない左翼だから、読むな、というひともいた。

もちろん同一人物ではない。

 

そういうバランスのいい教育を受けていても

受け取る側がへそまがりだと、この日記のように腐り果てる。

 

 

 

 

ただし、勘違いするひとがいてはこまるのだが、

私はここで『自虐史観』の話をするつもりはない。

 

歴史にはいろんな見方がある、ということを学んだ。

それが、新鮮だった、ということ。

 

 

 

ただしそれは、司馬本人の不安でもあった。

 

 

 

司馬遼太郎自身、この小説が映像化されることを

拒絶し続けていたらしい。

 

思想性を帯びる、と。

 

 

戦争映画と言えば、勧善懲悪であり

ニッポン頑張れの『トラ・トラ・トラ』であり

肩を組んで軍歌を歌うのは、従軍経験のない中途半端な

年寄りばかりだった時代だ。

 

自身の労作が、とても冷静に評価される時代ではない

と思っていたのだろう。

 

司馬遼太郎自身は、太平洋戦争末期に陸軍に徴集され

弱体の戦車科に配属された。

だから、この人は実体験を元にして旧軍を痛烈に批判している。

 

この小説の後書きでも、それ以降の文章でも

『日露戦争以降、日本軍と日本帝国は変質した。』

ということを繰り返し言っている。

 

けっして、右翼でも民族主義者でもない。

 

そうは言っても、何故司馬遼太郎が、この時期を選んで

こんな挑戦的な小説を発表したのかは、

本人が書いた後書きを読んでも、私にはよくわからない。

 

 

 

 

 

 

 

しかし、『司馬史観』と呼ばれる、バランス感覚が評価された。

いまでは、司馬遼太郎の『坂の上の雲』といえば国民的小説だ。

こうやって、NHKのドラマにさえなった。  

 

 

『坂の上の雲』という小説は、いまや

日露戦争に対して何か言う以上、 

否定するにせよ、肯定するにせよ、

かならず触れなくてはならない

基本書典となった。 

 

それだけの迫力がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、我々は

あの時代、酒を飲んで、肩を組んで軍歌を歌う

おっさんと付き合わねばならなかった。

 

日本中に護国神社というものがあり、

そこには『日露戦役戦没者慰霊碑』といった

他を圧する、巨大な石碑が建っていた。

 

もちろん、そういうものを侮辱するような事はしなかったが

なんとなく頭を下げるのを遠慮する。 

 

そんな時代だったのだ。

 

 

 

我々の世代は、そういったものを、意識しない程度の質量で、

『重たくて疎ましい。』と思っていた。

 

『思想』として蒸留されるほどのことはなく、

ただ、漠然とした、『気分』として

『日露戦争』に触れるのはめんどくさい、という雰囲気があった。

 

もっとも、それは『時代』であって、

朝日が偉いとも、産経がいい度胸、だとも思わない。

 

 

 

 

 

そういう意味で、司馬遼太郎は

すさまじい根性を持っていたと思う。 

そして、結果として評価されている。

 

あのまま、歴史が真っ赤に染まっていれば司馬遼太郎など、

火野葦平以下の評価しか受けなかっただろう。 

 

 

 

 

歴史の評価なんて、本人の努力とは別の所にある。 

 

こうやって、国営放送がこのドラマを映像にしたのは

民族の成熟なのだと信じたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の70年安保。』

 

 

 

 

 

 

『坂の上の雲』の連載が始まった

昭和43年に起きた、『新宿騒乱事件』。

 

左翼による計画的暴動。

ベトナム反戦が表向きの理由だが、世間は、いい迷惑で、

こんな事ばっかりやっていたから左翼は支持を失っていく。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1970年に発売された、『軍歌集・陸軍編』

0000gunnka  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『正調』 日本軍歌集 陸軍編

 

 

だから、そういう時代だったんだよ。 

 

 

 

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