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2011年12月の投稿

2011年12月31日 (土)

ラストナイトベル・ラプソディ

『ご住職っ。除夜の鐘がつき終わりませんっ。』

 

『なんだとっ?』

 

『だって住職が「今年は二万回撞こう」とか

すっとこどっこいなこと言い出すから。』

 

『でも、ことしは東日本大震災。

死者・行方不明者の数だけ鐘を撞くっていいアイディアなのに…』

 

『とにかく、鐘を撞いている一休が

もう、ダンシングフラワーみたいにふらふらになって

撞木にとりついてます。』

 

『くそっ。あと何回だ。』

 

『あと1万回です。

でも、残り1時間ですから、1秒3回ですよ?』

 

 

 

 

 

 

 

『むう…なんとかしろっ、

今年は、「2万回除夜の鐘」ってことで

「行く年来る年」も取材に来る。』

 

『うちみたいな貧乏寺に…』 

 

『海外からも「ラストナイトベル」って事で

取材にくるんだ。なんとしても間に合わせろっ。』

 

『無茶ですよ。撞木の重さが20kg、

長さがXmありますから、固有周期は3秒です。

物理的に…』

 

『貴様、いま「Xm」とか言ってごまかしただろうっ。』

 

『だって、割と簡単に計算できる筈ですけど、

こういうので間違えたらすごい恥ずかしいじゃないですか。』

 

『とにかく、紅白歌合戦、トリの石川さゆりの

「津軽海峡冬景色」を16ビートで伴奏する勢いでやれっ。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『そこでですね。』

 

『あ、ろくでもないことだ。』

 

『なにも撞木は一本じゃなくてもいいはずです。』

 

『ああ?まあ…。』

 

『近隣から苦情電話が、がんがんかかってきていますが

こうなったら情緒もなにもありません。』

 

『うん、正直2万発はいい迷惑だよな…』

 

『そこで、撞木3本態勢にします。

おいっ。二休。三球っ。』

 

『あ、三球は字が違うんだ。』

 

『これで、一気に三倍さんばーい。』

 

『いや、そのCM。もう、みんな知らないよ?』

 

『高見山って何やってるんでしょうね…』

 

 

 

 

 

 

『…準備できましたっ。』

 

『よしっ。いまEXILEだ。一気に32ビートにあげろっ。』

 

 

 

ごわんっ。

 

 

 

『ああ、鐘が割れたっ。』

 

『どうして同時に撞くんだっ。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の2倍。』

 

 

 

 

 

 

 

 

1985年。マルハチ布団のCM。

 

高見山って男前だよね。

『にばい、にばーい。』って、なつかしい。

 

 

 

 

 

 

 

『あの鐘を鳴らすのはあなた』

デーモン閣下バージョン。

 

まあ、今年も、こんな感じです。

最後がこれかよ…なんて言われると、

ちょっと電信柱の影に行って小石を蹴りたくなります。

 

 

来年も是非よろしくお願いします。

 

 

 

 

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2011年12月30日 (金)

KEIRINグランプリと、競輪の未来はどっちだ?

KEIRINグランプリが行われた、というニュース。

(デイリースポーツの記事へのリンク)

 

 

 

 

 

ウェブ版の速報とはいえ、スポーツ新聞でもこの扱いだ。

一般の人はほとんど知るまい。 

 

私も知らなかったし、興味もなかったのだが

去年のこの日、スーパー銭湯の休憩室で

思わず、テレビ中継を通してみてしまったのだ。

面白かった。

 

 

 

 

名前の通り、その年の競輪日本一を決める。

それだけならどうでもいいのだが、

このレースの賞金は一億。

すごい。

 

 

サッカーのように予選リーグをやったり、

相撲のように15日もやったりしないで、一発勝負。

男前だ。

 

 

 

 

1レースの賞金一億というのもすごいが

このレースに出ているひとって、

そんなに、大もうけしている訳じゃない。 

 

年間の獲得賞金、上位9人が出場する。

今年の中継は前半を見ていないので

出場選手のプロフィールがわからないのだが

去年は、獲得賞金2千万とかいうひとが出ていた。

トップでも1億行くかどうか、という程度。

 

年収10億の野球選手やサッカー選手がごろごろいる時代だから

トップ選手がその年収、という慎ましさに泣けてくる。

 

それが一億。

 

すごい。

 

 

 

 

数千万の獲得賞金だって、私ごときから見たら

目もくらむような金額なのだが、

競輪選手って3300人もいるのだ。

 

多くないか?

 

 

 

 

 

プロ野球が、12球団の支配下選手で800人くらい。

相撲取りが、新弟子まで含めて700人ちょっとだ。

 

競輪なんて、そんなにファンの裾野が広い

スポーツではなさそうなのだが、それが3300人。

 

その世界のトップの獲得賞金が一億行くかどうかの中での

3300人だったら、末端の方は食えないんじゃないだろうか?

 

人の商売の心配をしている暇はないのだが

だからこそ、レース一発一億円、というのに

凄みがある。

 

すごい。

 

 

 

 

 

 

そしてさらに、このスポーツのすごいところは

選手生命が長いところだ。

 

今回、グランプリを取った山口選手は43歳なんだそうだ。

 

43?

 

鉄人衣笠が引退したのが40歳だぞ?

 

 

 

 

 

 

競輪って何となくうさんくさい、と言う人がいる。

 

出身地によって『ライン』があったり

ジャンがなるまで、ゆっくり列を作って走ったり、

あんなのいかさまじゃない?という人がいて

そう思われるのは競輪にも誤解されるところがあるんだろうな、

というのはわかる気がする。 

 

でも、まさか一億のグランプリレースでいかさまはするまい。 

と、思いたいんだけど

43で日本一になっちゃうって、

どんなスポーツなんだ?

 

 

 

 

 

そういうのも含めて

競輪がメジャーになれないところなんだろうな。

 

わかりにくいのよ。

 

そして、入りにくい。

 

 

 

 

 

 

競馬場はきれいになった。

女性を見かけることも珍しくなくなったんだけど

競輪場は行きにくい。

 

我が母校のすぐそばに競輪場があって、開催日には

朝から並んでいるおっさんの列があった。

 

この列に爆弾を放り込んでも、

日本の将来は1ミリも揺るがないだろうという

ダンディな皆さんなのだが、列がグレー。

無彩色なのだ。

そして、地味。

 

 

いまならあそこに並んでも見事に溶け込める自信があるが

あれは、入りにくい。

 

 

 

 

 

 

公営ギャンブル、とくに競輪は縮小の傾向にある。

 

儲けになるから自治体が手を出したのだが

いまでは赤字が出て、公営ギャンブルのために税金を使う

という、本末転倒な街がある。

 

博打とか風俗とか、そういううさんくさい部分があった方が

街は豊かになると思うんだけど、

受け付けないんじゃ仕方がない。

 

 

 

 

 

 

だけど、競輪グランプリは、単純に面白かった。

だから、こういう事を書きました。

 

 

でも、それなら明日競輪場に行くかというと、

たぶん行かない。

 

そんなもんかもしれない。

 

 

 

そして一億はうらやましい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の一枚。』

 

 

 

 

 

 

現役最高齢の競輪選手。

井狩吉雄さん。

御年、なんと60歳。

0000ikari  

 

 

 

 

還暦って

サラリーマンでも退職する年齢ですぞ 

 

 

 

 

まあ、猪木は68,ブッチャーは70で

リングに立ってるけどな。  

 

 

 

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2011年12月29日 (木)

アメリカ人はなぜ硬貨が嫌いなんだろう

アメリカが1ドル硬貨の発行を取りやめる、というニュース。

(朝日新聞の記事へのリンク)

 

 

 

 

 

 

1ドルって100円もしない。

 

今日のレートで77円だ。

そして、アメリカでの最高額面の硬貨が1ドルだ。

 

 

アメリカ人は100円玉さえ使わないのか。

 

 

 

 

 

 

へー。

 

ひとの国の硬貨の事なんて考えたこともなかったけど、

100円もしないドル硬貨が不人気で発行を取りやめる、

ということに、ちょっと驚いたのでした。

 

 

 

そう考えると500円玉ってすごい。

 

6ドルもするのだ。

韓国人が500ウォン玉を使って

釣り銭をかすめ取ろうとするわけだ。

 

 

なんで日本人は硬貨が好きで

アメリカ人は嫌いなんだろう。

 

 

 

 

 

 

すぐに思いつく理由としては、自販機がないということだろう。

 

日本のように、千円もするウィスキーやエロ本が

自販機で売られている国なんて無い。という話は、よく聞く。

 

うん、そうだよな、と思う。

 

 

 

 

 

しかし、100円さえしない1ドルを、いちいち札で払うのは

めんどくさくないんだろうか?

 

チップの国だから、

小銭が必要なシチュエーションもたくさんあると思うのに

どうしてだろう。

 

と思ったけど、チップの国だからこそ

硬貨じゃ舐められる、ということなのかもしれない。 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、この朝日の記事で不思議だったのが

『硬貨の発行をやめると政府の赤字が減る。』というところ。

 

兌換貨幣じゃないんだから

額面以上の費用で作っているはずはないと思うんだけど

Wikipediaをみたら、現在でも作られている

アメリカン・シルバーイーグルという銀貨は

銀の値段だけで1ドル以上するんだそうだ。

 

 

へー。

そりゃ、赤字だわ。

 

 

昭和天皇在位60年記念の10万円硬貨というのがあった。

硬貨だから、いまでも10万円として使えるんだけど

金の値段だけ見たら6000円くらいだ。

大蔵省も旨いことやるな、なんて不敬なことをいう奴がいた。

 

さらに、10万円硬貨の型を取り、金地金を鋳つぶして

10万円硬貨を偽造する、なんて

さらに不敬な奴が出てきたりした。

 

原価6000円で10万円になるんだから

採算はとれるわけだ。

 

 

 

硬貨の原価なんて発表されていないのでわからないけど

日本の場合6,000/100,000くらいの元値、だったらしい。

 

 

 

しかしアメリカの1ドル硬貨がそんなことなら、

鋳造するだけ赤字になるコインってのは貴重なような気がする。

 

いまのうち買っとくか?

円高だし。

 

 

 

 

そしてやっぱりわからない。

なんで、アメリカ人は硬貨が嫌いなんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日のお金。』

 

 

 

 

 

 

0000eagle  

額面以上の銀で出来ている

太っ腹な1ドル硬貨

アメリカン・シルバーイーグル 

 

 

 

 

 

 

0000george_2話がめんどくさくなるんで省略したけど

今回発行中止になるのは、

この歴代大統領シリーズ。

 

 

 

 

2007年から、年4人のペースで発行。

たぶん16代のリンカーンまでは間違いなく発行されると思うが

かわいそうなのが17代大統領のこの人。

 

 

0000johnson 

俺の記念硬貨は?って

みんなしらない上に不人気な

アンドリュー・ジョンソン大統領

 

 

 

 

 

おまけ。

 

 

 

 

いまのひとは、『500円が札だった。』っていうことを

もう知らないんだろうな。

 

0000500yen 

 

 

 

 

しみじみと懐かしい。

 

 

 

 

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2011年12月27日 (火)

ブラジル人がポルトガル語を話す理由。

ブラジルがイギリスを抜いて

『世界第6位』の経済大国になる、というニュース。 

(読売の記事)




   

近い将来、仏独も抜いて米日中に続く

世界4番目の経済大国になるのだ、という。


 

















 

ブラジルというと、南米にあって人口2億人。

外資を積極的に導入して経済も元気。  

来年にはサッカーのワールドカップも開かれるし

2016年には、夏のオリンピックもある。




 

1964年の東京、1988年のソウル、2008年の北京、と

『夏のオリンピック』は『先進国クラブ』への仲間入りだ。

だけど、公用語はポルトガル語。


 

なんで?

ブラジルがポルトガルの植民地だったから、

というのでは回答として30点だ。

 

あんな遠い国の言葉がなぜ、

2億人の公用語なのか?

ポルトガル語を母国語とするひとは地球で7番目も

たくさんいるのだが、9割がブラジル人だ。



 

もう、『ポルトガル』語じゃなくて

『ブラジル』語で良さそうなものだが、何故? 

というのが、今日のお話。
























ブラジルがポルトガルの植民地だった、

というのは事実。

ポルトガルは海上貿易に熱心で

たくさん冒険隊を出して喜望峰を発見。 

そこで、バスコ・ダ・ガマをインドに送り出して

胡椒を手に入れようとした。



 

ところが、ガマは馬鹿だったので

くそ暑いインドに持って行ったのは毛織物。

インド人がセーターなんか着るはずはないのであって、

鼻で笑われたガマは、2度目の航海で

山ほど鉄砲を積んでいった。

売るためではない。

征服するためだ。







ヨーロッパとアジアのゆがんだ関係は

この時代から始まる。

 

ポルトガルはインドのゴアを占領する。

そうして、航路の要地に砦を築いて

パトロール船を派遣し、

『カルタス』と呼ばれる

ポルトガルの通行証を持たない船を取り締まる。


ポルトガルはインド航路を独占した。













 

そうなると他の国は不満だ。


 

スペインは、コロンブスを西に向けて送った。

インドに行けるんじゃないか、と 


こいつもあんまり利口じゃなかった。

だって『地球が球』であるという前提で航海するなら

コロンブスの時代でも大体地球の直径はわかる。

しかし到達したカリブ海の島々は、

地球1/3周分くらいインドに届かなかった。


とりあえず、アメリカを発見、したのはいいとして。

終生、自分が『発見』した土地がインドである

と信じていたあたり

何考えてるんだ?お前。












しかし『発見』された土地は魅力で、

それじゃあ俺も、ということで

ポルトガルを始め、他の国も殺到。

 

『駄目だ、駄目だ。俺が先に見つけたんだもんね』

スペインがローマ教皇に訴える。

この時の法王が、いい加減な奴で

『そんなら、地球の東半分はポルトガル、

西半分はスペインのものとしたらどうじゃろう』と

日本人からしたら、いい面の皮の

トルデシリャス条約なんてのを作った。



 

従って、日本に最初に来た南蛮人は

てっぺん禿のポルトガル人、

ザビエルだったりするのである。















ところが、このトルデシリャス条約には

抜け穴があって、

『境界線』がほんのちょっとだけ、ブラジルにかかる。

 

0000torde_2  

 

 

 

 


さらに、ポルトガル人のカブラル、というおっさんが

すでにブラジルに到達していた。

『じゃあ、ここは俺のもんだかんね。』と、

ポルトガル人が入植し始めた。

 

その後、フランスやオランダとの間で、

あれこれ戦争があるのだが17世紀には

ポルトガルの支配が確立。







   

更にポルトガル本国では、

王様が無茶なモロッコ侵略をやって戦死。

大叔父のスペイン王がポルトガル王を兼ねる。

中南米は全て1580年から60年間、

事実上スペイン領となり

トルデシリャス条約の意味は薄れる。

 

この時期、ポルトガル管区の宣教師や奴隷商人が

大河を遡って、積極的に奥地に入った 

バンデイラと呼ばれる、この探検行で、

ブラジルはトルデシリャス条約の国境ラインを越える。 


 

さらに、ジャングルの奥地に行くには船しかない。

ポルトガルが占領したベレン、という街に

大河が流れ込んでくる。


『じゃあ、この川の流域は俺のもんだからねっ』
と、

さかのぼっていったら、そこは

ピンクのイルカはいるわ、ピラニアはいるわ

『うわあ、気持ち悪い。』と思ったが

その大河はアマゾン川であったので

流域全部あわせると、

とんでもないことになった。






これがブラジルの始まり。

 

 

 

ブラジル大使館の人の目にとまったら

抹殺されかねない『建国物語』だが、

薄目でぼんやり眺めたら、

そんなに嘘は言っていない。


しかし、これでは

ブラジルがポルトガル領になった説明にはなっても

ブラジル人がポルトガル語を話す理由にはならない。


母国に力がないと、

いかに支配者として偉そうにしていても

その言葉は定着しない








 

朝鮮半島で、若い人が日本語を使うように

なったのはごく最近だ。

日本語を流暢に扱うグンソク君なんて

ソウルオリンピック以前であれば非国民だったはずだ。


 

現にポルトガル領だったインドのゴアで

ポルトガル語を使う人なんて、いまや1割もいない。 

きちんと歴史のある母国語があれば、

植民地を支配する奴の言葉なんか使わない。

 

独立する時点で、ブラジルには、

土着語を持つ民族がいなかったのだ。







 

『未開だった』という意味ではない。


ヨーロッパ人が入ってくると、

こいつらが持ち込んだ伝染病のおかげで

現地で高い文明を築いていたインディオは

ばたばたと死んでしまう。


 

代わりに、インディオはヨーロッパ人に

梅毒をうつしてやってざまあみろだが、

とにかく病気のおかげで

部族によっては9割以上が死んだ。

こうなると植民地が維持できないので、

ポルトガルは、先ほどのパンデイラで

奥地から奴隷をさらってくると同時に

アフリカから黒人奴隷を連れてくる。


 

砂糖、金、ダイヤ、コーヒー。

ブラジルは宝の国だった。

人手はいくらでも必要だった。


ポルトガル人は混血を厭わない。

インディオや黒人とパコパコやる。

ここがイギリスやフランスの連中と違う。


 

もちろんイギリス人が植民地の女をレディとして

扱ったはずはなくて、やっぱりパコパコやりまくるのだが

ラテン系の連中は、

混血児も『マイファミリー』と包容する。
 

ここだけは、ポルトガルを褒めてやっていいと

思うのだが、白人、インディオ、黒人それぞれの

「純血」の他に無数の段階の混血児が生まれた。

おかげで、あの国は白黒抹茶ポポイノポイと

民族の祭典のようになってしまった。



 

こうなると、みんな自分のルーツがわからない。

隣のひとはもっとわからない。 

しかたなく使ったのがポルトガル語。

 

共通語はそれしかなかったからだ。









 

ブラジル人がポルトガル語を話す理由、でした。




だから、ポルトガル大使館のひとに知られたら

ただではすまないと思うのだが

心の目で読めば、

そんなに怒ることないじゃない。


















中国にマカオという町があって、

かつてポルトガルの植民地で、カジノの町だ。


 

橋下さんが、『マカオを見習え。』と

大阪にカジノを作ろうとしている。

別にカジノでも何でもかまわないが

『マカオを見習え。』というのは歴史を知らなさすぎる。 

あの人の年齢からして

返還前のマカオを知らないのだろう。

それはもう、ひどい町だった。



 

マカオなんて、香港の観光客が

半日ツアーでカジノと買春に来る町だったのだ。 

しかも80年代であれば、

中共の連中はまだ貧乏だから来やしない。


 

外国の観光客の、そのまたおこぼれで

世界最高の人口密度を養っていたのだ。

そんな街になりたいか?



 

なりたければ、俺は有権者じゃないからどうでもいいが

そんなことより、あの街の連中が

いま、猛烈な勢いでポルトガル語を勉強しだしている。

ブラジルが急成長したからだ。



  

ポルトガル本国に魅力がないから、

返還直後にマカオ人はポルトガル語を捨てた。















ところが、いまポルトガル本国は

相変わらずPIGS魅力がないがブラジルがすごい。 

利にさとい中国人は、

猛烈な勢いでポルトガル語を勉強しだしているという。

見習うなら、そっちを見習ったらどうだ?

おれはもう勉強なんか嫌だけどね。




































では、『今日の二枚。』

PIGS

ポルトガル、イタリア、ギリシア、スペイン

0000pigs 

 

 

 

 

 

 

 

 

ギリシアは落ちた、イタリアも駄目だ。

次はどこだ?

特等PIG

0000pig  

 

 

 

特等?…

 

 

 






   

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2011年12月26日 (月)

奇跡の理由

金正日の死去と金正恩の代替わりにあわせて

北朝鮮の各地で『超常現象』が起こっている、というニュース。

(産経ニュースの記事へのリンク)

 

 

 

 

なんと革命の聖地、白頭山の湖が凍り

夕方になると、西の空が真っ赤に焼けるのだという。

 

 

 

 

 

 

それって、夕焼けだよね。

冬になったら、寒いから湖も凍るでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかしながら、『大将様』にそんなことを言ってはいけない。

『王家』に奇跡はつきものである。

 

世界中のあらゆる王家に、そういった『奇跡』の伝説がある。

金さんちも、ようやくそういった『秘蹟』を顕せるようになったのだ。

 

 

 

いま現在も存続している王様の家だと

いろいろと都合が悪いので、フランスの王様の話をしよう。

10世紀のフランスの『敬虔王』ロベール2世は奇跡が使えた。

 

なんと、ホールに数百人の病人をあつめて

『えいやっ』、かどうかは知らないが、

気合一発でこれを直した。

 

フランス王の奇跡は、つい最近まで続いて

最後に秘蹟を顕したのはシャルル10世で1825年だ。

 

 

たかが夕焼けを赤くする程度のデブとは違う。

何しろ1000年の歴史がある。

おフランスを見習え。

 

 

 

 

 

 

 

ところが、1000年の間フランス王が

常に奇跡を垂れ流していたかというとそんなことはなく、

秘蹟を顕さない王様、というのもたくさんいた。

 

その上、最初は気合一発だったのが

やがて『王様、効きませんがな。』とか

不敬なことを言い出す奴が出てきたらしく

仕方なく王様も親切に、病人の患部に触って十字を切る

ということになった

 

そうなると、大量に処理することは出来ず

そうやって、王様に触れられても、

『えー?なんかもうちょっと。』とかさらに不届きな奴が増えた。

 

王様も、そんな奴切り捨てればいいのに、

『ほら、朝しか効かないから。それに疲れちゃって。』

とか言い訳をいい出す。

 

そのうえ、万病に効くはずだった霊験は次第に効果が薄れて

最終的には『瘰癧(るいれき)』という、

首の周りのリンパ病にしか通用しなくなった。

 

そんなおかげで、『王様の秘蹟』は

『月に一回、』と、なんだか

『粗大ゴミの収集日』のようなことになる。

 

さらに、『瘰癧の患者様、先着20名限り。』と

スーパー玉出の『1円セール』みたいに安くなる。

 

 

そんな『限定条件付き』の奇跡なんか

ありがたがらなくても良さそうなものだが

『限定』に弱いのは、今も昔も一緒。

結構ひとが来たらしい。

 

 

 

 

 

 

 

弱い王様だから奇跡を起こす

 

正恩君が弱いかデブかはどうでもいいが

ロベール2世は弱かった。

 

弱かった、という表現はよくないかもしれないが強くはない。

『中世のフランス王』というと、なんとなく、

もりもりとしたカツラをかぶって、毎日ワインを飲み

嫁さんをバラの風呂に浸からせているような

絶体権力者なのかと思ってしまうが、この人は違う。

支配地域はパリと、その周辺だけ。

 

 

パリから200kmしか離れていないブルゴーニュの殿様を

従わせるために10年以上も戦争をやった。

新幹線で1時間の地理範囲の王様だ。

 

さらにリンクしたWikipediaのページを見るとわかるが

この人は、王様になるときに親父さんと『共同王』になっている。

息子も『共同王』にした。

王位を世襲させることさえ怪しかったのだ。

 

 

 

だから奇跡を見せた。  

 

 

 

北朝鮮、初代の金日成は、

実態はともかく、一応抗日ゲリラだったらしい。

朝鮮戦争で、にっくき韓国を

ほとんど日本海に追い落としかけたこともある。

 

実績はあったのだ。

 

だから、跡を継いだ金正日は慎重だった。

権力掌握まで10年以上かけ、

その途中には、やっぱり様々な奇跡の伝説を喧伝した。

 

 

 

彼は、初めて握ったゴルフクラブを持ってラウンドしたら、

18ホールのうち5つでホールインワン、

残り全部バーディ以上、トータル36アンダーという

石川遼が座りションベンしちゃうような

スコアを叩き出したんだそうだ。

 

0000kim_the_greatest_golfer_2 

『もっとも偉大なゴルファーが

死んじゃった。』

 

 

 

そういう意味で、『強い王様』は奇跡を起こさない。

太陽王ルイ14世やナポレオン1世は奇跡を起こさなかった。

いいか悪いかはともかく、

行動そのものが奇跡だったからだ。

 

フランス革命の後のナポレオンの後の

評判の悪いルイ18世の後のシャルル10世なんて、

そんな王様知らんなあ、というおっさんが、

ひっそりと、首の後ろのぐりぐりを直していた

というあたりに、なにか哀れを感じてしまう。

 

 

 

 

正恩君もどうせ、ホラを吹くんだったら、

夕焼けを赤くするとか、そんなけちくさい事じゃなくて、

もっと大きな事をやればいいのに。

 

ゴルフは、御父君とかぶるからよくないかもしれないが

ボウリングで連続パーフェクト100ゲームとか

フルマラソン30分とかやってゼーゼー言ってくれ。

(危うく表現を押さえました。)

 

 

 

もっと具体的な奇跡もあるぞ。

瘰癧なんか直さなくていいから、

国中にご飯とスープを配ってやれ。

 

それも、『月に一回』とかじゃなくて、

毎日、だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の一枚。』

 

 

 

 

世界は、こうみているぞ。 

 Kawaii

 

 

 

 

 

 

 

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2011年12月25日 (日)

ソ連消滅と日本海海戦とミンスクとヴァリヤーグ

12月25日は『ソ連消滅の日』。

(Wikipedia ソ連崩壊)




 

 

 

 

『連邦』の消滅とはなにか、というと、

ソ連を構成していた国が、それぞれに大統領を選んで独立し

『ソ連やーめた。』と宣言したということ。 




 

 

 

もっとも12月25日はとどめ、というか

だめ押しの確認のようなもので

実際は12月8日に、ロシアのエリツィンが

ベラルーシ、ウクライナとともに『ソ連離脱』を宣言したほうが

ニュースの扱いとしては大きかった。 

 

0000soren  

1991年12月9日の

朝日新聞

 

 

YOUTUBEの記者会見でのゴルビーは、まだ素面だが

この日の夕方の記者会見では、

明らかに酔っぱらって斜めにいすに座り

『これだけ大統領が増えたんなら、

一人くらいいなくなってもいいだろう。』

とふてくされていたのを、はっきりと覚えている。 



 

さすがに、動画が見つけられないのは

いろいろと大人の事情があるのだろう。

怖いぞ、こら。 




 

 

 

日付の話はどうでもいいけど、

紙面の1/5をしめるほどの巨大な活字で、

『ソ連崩壊』と書いてあるのを見たときには驚いた。  


だって、あの国が消えて無くなるとは思わなかったのだ。

いい加減危なそうだな、とは思っていたけど、

まさか、ねえ。というのが

大方の日本人の正直なところじゃなかっただろうか。








物心ついたとき、ソ連の一番偉い人はブレジネフだった。

なんで「書記長」が一番偉いのか、未だによくわからないのだが

とにかくずーっとブレジネフで、

国民は何時間も行列しながらも、物資不足に文句を言わず、

そのくせ、世界一たくさん核ミサイルを持っていて、

その気になれば日本なんか征服できるんだ、と思っていた。



冷たくて動きが鈍いけど、おっかない。

鉛色のロボットのようなイメージが、ソ連。









日本海に面してウラジオストクという町があって軍港だ。

最近は外国人も観光できるらしいのだが

ソ連時代には、軍港はおろか町に立ち入ることもできなかった。




そこに太平洋艦隊がいる。





今日の『坂の上の雲』で、

バルチック艦隊は全滅するはずなので、ざまあみろである。



実際、日本海海戦以降、

ソビエト-ロシアの海上勢力はアジアから駆逐された。




ところが、1970年代末、

ここに『空母ミンスク』というのが配備されたことがある。

日本は戦慄した。










じつは40000トンの軽空母でしかなく、

いま中国が配備しようとしている

ソ連の中古船、60000トンのヴァリヤーグよりも遙かに小さい。




しかも、着発艦を同時に行うためのアングルドデッキを持たず、

カタパルトもスキージャンプ甲板もなかったので

お前、飛行機飛ばす気あるのか?

という程度の船だったのだが

これが日本海を回航されてくるときには

日本中のマスコミが、信濃丸よろしく生中継で報道した。




本屋には『ソ連、北海道侵攻』なんていうのをテーマにした

ペーパーバックが山と積まれていたのを覚えている。




ベレンコ中尉が、ミグ25に乗って

日本の防空網を軽々と破って侵入してきたのが1976年。

『ソ連、怖い。』というのは、手触りのある恐怖として

日本人一般に共有されていた。









この国は、しゃべらない。






仕方がないから、西側のマスコミは

公表された資料や映像を元に想像するしかなかった。 

ブレジネフが死んだ後、アンドロポフ、チェルネンコと

短命な政権が続いていくときも、日本のマスコミは

『えーと、葬儀委員長がこの人ですから次の権力序列は、』

なんていうことをやっていた。






いまでも『あの国』にやっている。










それだけ、『沈黙する国家』というのは怖いのだ。  



アフガンで負け、バルト三国が独立し、クーデターが起こって

なんかもう駄目なんじゃないか?とは薄々感じていたけど、

まさか大統領が

飲んだくれて『国家消滅』を宣言するとは思わなかった。










『ソ連崩壊』と相前後して、東欧の国ががたがたと崩れだし、

ユーゴスラビアなど、誰が敵だかわからないという

すさまじい内戦に入っていく。




ロシア自身も、アル中のエリツィンの時代は混乱を重ねたが、

プーチンが天然資源を叩き売りして、金を儲けて復活。




それで、また大統領をやろうとしたら、

国民は嫌な顔をしているという。






民主主義って大変だな、と思うが

あの国も見習ってくれ。





もちろんロシアもな。


































では、『今日のミンスク。』

















いま話題の中国の空母だが、

もとはソ連の空母ヴァリヤーグ。 

0000varyag 

ふっふっふっ








『カジノにするから』という理由でマカオの企業が買収。




池上彰は、『私はこのニュースを見て、中国が

「空母を実戦配備しようとしている」って気づきました。』

なんて言っている。














ところが、日本に恐怖を与えた空母ミンスクも

『遊園地にするから』という理由で中国に売られているのは

いまの日本人は、ほとんど知らないと思う。

0000minsk_2

 

 

 

 








しかしそこは、約束通りに

ちゃんと遊園地だったりするのだ。 

 

0000minsk2 

他ではあり得ない

『空母の案内図』

 

 

 


ここに行った人のブログがあって、

とても面白いので、どうぞ。

(ガイドブックには載らないディープな観光地を探索!)








もちろん、骨までしゃぶるように研究した上で

『実用にならない。』と判断したんだろうが

ちゃんと遊園地にするとは… 










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2011年12月24日 (土)

もーろぞふー、こーてきてー

『ちょっと待って。モロゾフに行く。』

 

『なんだよお。プレゼントかあ?』

 

『ちゃうねん。おかあがな?「俺が神戸に行く」

ちゅうたら「モロゾフ買うてきて」っていう訳よ。』

 

『買うたったらええがな…』

 

『でもな?』

 

『うん?』

 

『「もろびとこぞりて」のメロディで歌うねんで

「もーろーぞふー、こーてーきてー」』

 

『…浮かれとんなあ…』

 

『おばはんも、クリスマスイブには舞い上がるんかな…』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『なあ、おっちゃん。そこの酒屋の安藤さんやろ?』

 

『ほーほほほー。ワシはサンタじゃよ。

メリークリスマス。』

 

『でもヅラのうしろから、茶髪が出てんで。』

 

『わたーし、ほんとーにサンタクロース。』

 

『でも日本語じゃん。…』

 

『わたーしは、スウェーデンからきまーしたね。』

 

『せやったらスウェーデン語喋ってや。』

 

『……』

 

『……』

 

『ほーっほほー。

後でぶっ飛ばしてあげマース。』

 

 

 

 

 

 

 

 

『ご住職様。なにやってらっしゃるんですか?』

 

『掃除じゃよ。今日はクリスマスイブじゃそうだから

寺は静かなものよ。』

 

『もうじき初詣で忙しくなりますよ。』

 

『…静かじゃな…』

 

『…ええ…』

 

『……』

 

『住職っ。千手観音とあやとりするのは

やめて下さいっ。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今年の「サンタ実況生中継」。』 

 

 

NORAD tracks SANTA 

日本時間24日午後4時から。

 

 

 

 

 

 

 

 

もう二枚。 

 

 

 

Go_santa  

行くぜっ

 

 

 

 

 

 

 

痛い痛い痛い。

0000tiger 

 

 

寅年は

来年でしょう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2011年12月23日 (金)

ライト兄弟とモジャイスキー

12月17日は、ライト兄弟が初めて飛行機で空を飛んだ日。

1903年にノースカロライナで12秒飛んだ。

(Wikipedia ライト兄弟)

 

 

0000wrighit  

オービル、飛んだわ。

 

 

 

 

 

 

 

ところが、ロシア人はこれを『世界初』と認めない。

ロシア人は『飛行機の発明者はモジャイスキーである』

と信じている。

 

誰だ?その毛深そうな名前のおっさんは、というのも当然で

この人が作ろうとしたのは『蒸気飛行機』。

 

今日の技術の本流につながることはなく、

進化の枝道の、変な三葉虫みたいな存在である。

 

 

0000mojaモジャイスキーの

飛行機を記念した

ソ連の切手。

CCCPの文字が眩しい。

 

 

 

なんとなく、成功者であるライト兄弟が偉くてもじゃは誰?

という雰囲気になるのだが、今日はそういった話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

動力飛行機を作ろう、というのは

ライト兄弟の独創ではない。

同時代にも、エアロドーム号のラングレー教授など

強力なライバルがいた。

 

ただし、ラングレー教授は、目新しい技術にこだわった。

このひと自身は天文学者なのに、

なんで飛行機なんか作ろうと思ったんだろう。

 

マンリーという兄ちゃんに作らせたエンジンは、

星型五気筒エンジンという、当時としては新鮮なもの。

50馬力以上が出せた。 

 

0000manley 

マンリーの『スター・エンジン』。

 

 

 

陸軍から資金をもらっていたから、

スポンサーや世間をうならせる必要もあったらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

対してライト兄弟のエンジンは、

直列4気筒サイドバルブ12馬力という

仕様もスペックも貧相なもの。 

 

0000engine_2 

ザ・無骨

 

 

 

『動力』飛行機であることに歴史的な意味があったのだが

この兄弟は、あまりエンジンの出力を重視した形跡がない。

 

 

 

 

 

 

Wikipediaでは、この兄弟の成功の理由を

『技術的工学的に着実な手法を取った』事としている。

 

例としてあげているのが風洞実験。

『飛行機が飛ぶ理由は翼の断面の形だ。』ということは

リリエンタールも気がついていたらしいのだが

この兄弟は、それを実験で証明しようとした。

 

風洞、というほどのこともない扇風機の前に

断面形を変えた翼を吊し

自転車屋だけあって、チャリンコのホイールと重りを使った

自作の揚力計を使って、数十種類を比較し、

それを基に翼断面を決め、そして成功した。

(もっとも扇風機の風速での空気の挙動と、

遅いとはいえ飛行機のそれが同じはずはなく

スケールもまるで違うからライト兄弟の成功は

幸運な偶然だとも言われている。)

 

 

自分の目で見たものしか信じない、

というのは偉いと思う。

ラングレー教授から比べると、

はるかに保守的なエンジンを使ったのもそのせい。  

 

 

 

 

この兄弟は相当な頑固者だったらしい。

 

すでにダイムラーさんやベンツさんが、

ガソリン自動車を作っていたから

この程度の出力の小型エンジンなら、

既製品がありそうなものなのだが、

こいつらは自作にこだわった。

 

 

 

 

 

自分の目で確かめたから偉い。

信頼性があるものを使ったのが偉い。

と言われると、 

そうかもしれないけど、なんか違う。

  

 

それが、今日の本題。 

 

 

 

 

 

つまり。

 

保守的なのがいいんだったら、ロシア人以外が

モジャイスキーの成功を褒めないのはどうしてだ?

ということです。 

 

 

 

 

蒸気飛行機』と聞くと、今日の人間は

素っ頓狂なものに思ってしまうが、 

もじゃ先生の時代、

ガソリンエンジンはようやく誕生したばかり。

信頼性という点で、蒸気機関とは比較にならなかった。

 

 

 

更に『蒸気飛行船』というものが

既に空を飛んでいた。

 

売れないインディーズバンドの

アルバムB面収録曲のような、

この奇妙な代物を発明したのは

ジファールというフランス人。

 

1853年の事だ。

 

気球というのは、それだけでは単に浮かんでるだけ。

プロペラつけて、行きたいところにいこうぜ。

という発想は、発明直後からあった。 

 

しかし、ジファール先生の時代には蒸気機関しかない。 

そこでそれを積んだ。

 

『空に浮かぶ蒸気機関』というのは

もじゃ先生の時代、すでに存在していた訳です。

 

 

 

 

 

 

そういう順番を踏んで眺めていくと、

蒸気飛行機というのも

そんなに突拍子のないことでもない。

 

蒸気飛行船の先進国フランスでは

タンブル兄弟という人たちが

やっぱり蒸気飛行機を作っていた。 

従って、フランス人は

『飛行機発明の父はタンブルである。』

と思っている。

 

 

 

 

図体に比べて出力が低いのが蒸気機関。

 

世界最初の実用蒸気機関である、

ニューコメンのエンジンは

100tの大きさで100馬力しか出せなかった。

 

蒸気機関の出力を上げる方法は簡単で

圧力を上げて速く動かしちまえばいい。

 

ピストンエンジンというのは往復運動をするのだが、

行きは蒸気だが帰りの圧力を大気圧に任せていた

ニューコメンエンジンはパワーがない。

しかも、いちいち水を噴射して

シリンダーを冷やしていたから、かったるい。 

行きも帰りも高圧の蒸気を吹き込めばいいんじゃね?

とは、ワット先生も、もじゃ先生も気がついていた

 

そうはいっても、当時のロシアでは未熟な鉄しか作れなくて

そんな高圧エンジンなんか危なくて作れない。 

そこで外国から小型の蒸気エンジンを輸入した。

 

それでも、まだ馬力が足りない。

飛行船と違って、飛行機はプロペラで空気を足掻いて

翼で浮かばなければならない。 

エンジンの出力がないのに

燃料の石炭と釜焚きの人間を乗せないといけない。

 

『重い。どうしよう…』という問題に対しての答えは一つ。

『翼を大きくする。』

 

翼面加重を下げる、

というのは間違いではないと思うけど

冒頭の切手のようにでかくなると、

もはや翼は支柱から

ケーブルでつり下がっていることになる。

  

浮かび上がったら、吊り下がっているだけの翼は

空中分解するとしか思えないので

お前、飛ぶ気があったのか?

 

もじゃ先生は、どうもやることが極端だ。

そんな、やけくその過程の中で

翼は巨大化し、テニスコートくらいの広さになった。 

 

 

 

 

 

 

かといって、

もじゃ先生は実証を無視した人ではない。

むしろ慎重に進めた。

 

軍から援助をもらって20年にわたって研究するのだが

国産エンジンじゃ無理。

少将にまで昇進していたのだが

『そんなら一人でやってやらあ』と

借金して、個人で『蒸気飛行機』に挑戦する。

なかなか男前な決断だ。

 

『国費研究』の制約が外れると、エンジンを輸入。  

更にそれを模型飛行機に乗せ、数十回の試験を行った。

蒸気飛行機の模型飛行機ってのがよくわからないが…

 

それで、『これでいける。』と確信するや、

人間が乗れる機体の制作に乗り出し、

蒸気エンジンを4基搭載した実機を作る。 

 

 

 

 

彼の挑戦は1884年に行われた。

ライト兄弟の20年前だ。

 

プロペラで滑走するだけの出力が無かったので、

斜面に設置された木のそりの上を滑らせた。

 

ちょっとは浮いた。らしい。

その後、大きく右に反れて機体は大破。

 

結果を見れば、大失敗。

 

世界は、モジャイスキーの『実験』を無視した。

確かに、今日につながる要素は皆無なんだけど

技術を積み上げるのは悪いことなのか?

 

 

 

 

 

 

この人は、発想もプロセスも堅実だった。

蒸気機関があり、蒸気飛行船があったから、

蒸気飛行機もできるんじゃね?と思っただけで、

つまんないくらい、堅実だ。   

 

 

そして、成功者であったライト兄弟が

飛躍した発想をしていたか?というと、

こいつらだって保守的だ。 

 

実際彼らは、その発想が固まりきっていた故に

敗北する。

 

 

チャリンコ屋だけに『チェーン駆動』にこだわり

『エンジン出力』を軽視したライト兄弟の飛行機は

やがて市場で淘汰される。

 

彼らも最後の勝利者ではなかったのだ。 

 

 

 

 

うーん…

 

 

 

 

『常識』を積み上げた先に成功がある、という人がいる。

『斬新な発想』こそが栄光だ、という人がいる。 

 

ところが 

『斬新さ』にこだわったラングレー教授のエアロドーム号は、

ポトマック河に、真っ逆さまに落ちてデザイア。 

 

常識を踏み外さなかったはずの

ライト兄弟とモジャイスキーは道が分かれた。

 

 

 

モジャイスキーは、

壊れた巨大飛行機を前にして途方に暮れ

『すまんが買い取ってくれんかのう。』と

皇帝にお願いするのだが、あっさり断られた。 

 

男前な決断はどこに行った?

 

 

 

ライト兄弟は、飛行機がものになるまで

操縦の練習を重ね、

その後は全米やヨーロッパ中を回って

デモ飛行をおこなって売り込みを図る。

 

一時はうまく行きかけたのだが、

やがて他のメーカとの競争に敗れた。

 

 

 

 

 

 

 

発明者が落ちぶれていく様を見るのは、

とても小気味がいいが

この人たちを見ていると、

成功の理由ってなんだろう、と思うわけです。

 

本屋に行くと、『ビジネスで成功する秘訣はこれ!』

みたいな本が山と積まれているのだが、

1000円くらいの本でわかるほど、

そんな簡単なもんじゃないよなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の二枚。』 

 

 

 

 

 

 

 

蒸気飛行船

0000rapyuta_2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エアロドーム号。

0000earodome1903  

 

 

 

 

 

 

どちらが飛べそうか、というと蒸気飛行船のほう。

実際、エアロドーム号は飛ばなかった。 

 

 

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2011年12月22日 (木)

クリスマスイブ・ラプソディ

『じんごのべー  じんごのべー  じんごのおーざうぇえええ…』

 

『ちょっとお、ここで吐かないでよ?』

 

『ママぁ、もう一杯。』

 

『マーさん、飲み過ぎじゃない?』

 

『いいんだよお……ウィスキーが好きなんだよお……

もうすこし、喋ろうよう……』

 

『マーさんのお家、お嬢さんがいるんじゃなかったっけ?』

 

『…うん。』

 

『帰らなくてもいいの?』

 

『いいんだよお…』

 

『10年くらい前だったら、マーさんもばりばり仕事してて

部下の山田さんが、まだ飲みたそうにしてても、

「イブだけはケーキを持って帰らなきゃいかん」って

すぐに家に帰っちゃったじゃない。』

 

『はんっ、その娘も「パパ、ことしはデートだから遅くなるね。」

とか、言っちゃってよお…』

 

『それでやけ酒なのね。

うふふ。お嬢さん、いくつになったの?』

 

『まだ16だよう。そんな青い尻の時分から、

ふらふらふらふらふらふらふらふらと、だあ…』

 

 

 

 

 

からんからん

 

 

 

 

『いらっしゃあい。

あらあ、山田さん。いまあなたの噂してたのよ。』

 

『あ、まだいいかな…?』

 

『ほら、マーさん、山田さんよ。

あらあら彼女なんか連れて、かわいらしい…』

 

『あっ、珠子…』

 

『おとおさん…』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『皆さん、本日は

「クリスマスなんか吹っ飛ばせ。

てめえら日本人だろ?

写経で婚活ホーリーナイト。」にようこそ。』

 

『初めまして…』

 

『こちらこそ…』

 

『皆様の文机には、ご本尊の千手観音様の千本の小指から

赤い糸が一本ずつ伸びて絆っております。』

 

『まあ…』

 

『いやあ、こういうイベントは、初めてで。

おや?あなたは下書きなしですか?…』

 

『ええ。私はすでに婚活イベント50連敗ですから。

かんじーざいぼーさーつーぎょうじんはーらーみーたーじ…』

 

『……』

 

『……』

 

『おやおやあ?どうしましたか?ここわあ。

そんなに暗い顔をしていると、高野山ちぇーっく。』

 

 

 

がらがらがらー

 

 

 

『ああっ。ご本尊の千手観音が倒れたっ。』

 

『住職がそんな長い裾を引きずって歩くから

赤い糸を引っかけちゃって。』 

 

『なんて運命的な…』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『あの、この宝石。君にあげるよ。』

 

『碧緑色で、とてもきれい。』

 

『黙って、その石を指につけてくれ。』

 

『…はい。』

 

『それで、君の手を僕の手の上に重ねてくれ。』

 

『…幸せだわ。』

 

『いいかい?』

 

『…はい?…』

 

『いくよ。』

 

『……』

 

『……』

 

『バルス!』

 

『え?え?ちょっと待って。…』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の一枚。』 

 

 

 

 

未来の意味

0000of_the_day  

 

 

 

 

 

 

 

 

『幸せを分けるイヤホン。』

盛装しているところを見ると、本当に幸福だったらしい。

 

糸で幸せがもらえるんなら、欲しいともさ…

 

 

 

 

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読み返してつくづくと思う。

俺は、クリスマスイブが大嫌いなんだな、と。

 

野暮だと思うけど、

『バルス』の意味がわからない人はラピュタを観よう。 

 

 

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2011年12月21日 (水)

ロウ原紙とボールペン原紙と私。

いつのまにやら、12月も下旬だ。

 

世間は、年賀状の準備など始めているらしい。

と思ったらプリントゴッコは今年、

事業を終了してしまった。

 

 

 

 

 

 

 

ふーん。

あれはあれで、味があったけどね。

 

 

 

 

 

プリントゴッコとは、ペンで描いた原画を、

ぴかっと光るフラッシュで原紙に焼き付けて

その『原紙』を印刷する、というもの。 

 

 

『焼き付けた原紙』の上にインクを置いて、

それを印刷する。 

0000printgokko 

 

 

 

 

 

 

本体の生産は、数年前に終わっていた。

しかし、今年になってインクや

フラッシュバルブ、原紙などの

消耗品の生産と供給も止められた。 

(理想科学 プリントゴッコ事業終了のお知らせ)

 

 

 

我が家のどこかにも、プリントゴッコの本体が

あるはずだが

もう使えないわけだ。

 

いまはみんな、パソコンで原図を作って

プリンターで刷るのだ。

よく考えたら、うちにだって3台も

プリンターがある。

 

 

 

仕事はないのに…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ということで、

今日は『アナログな印刷技術の思い出』を

語ろうと思う。

 

私がリアルタイムで体験した、

すごく狭い時空での

印刷への欲求を後世に伝えたい。 

 

まあ、そんな嫌な顔をせずに聞いてくれ。

 

 

 

 

 

 

 

かつて、『印刷』というと『謄写版印刷』で

『ロウ原紙』を使って『わら半紙』に刷る

という時代があった。

 

ほら、ここまででわからない単語がいくつも

出てきたでしょう。

 

 

 

 

 

まず『謄写版印刷』とはなにか、というとこちら。 

0000gari 

 

 

 

 

 

 

  

『プリントゴッコ』も 

原紙に絵を焼き付けて印刷するという意味では

同じだ。

 

だから、プリントゴッコを知っている人は

謄写版印刷が、ある程度理解できると思うのだが

それはまあ、インキ臭い代物だった。

 

 

 

 

しかし、自分の文章を一般に知って貰うためには

この手段しかない、という時代があった。

 

しかも、その時代は長かったのだ。 

 

 

 

 

 

印刷のための『ロウ原紙』に『鉄筆』でガリを切る。

 

また、わからない単語が出てきた。

『ロウ原紙』というのは

パラフィン紙などの上に油を引いたもの。

ロウかどうかは知らないが、

とにかく水も油も通さない。

 

 

 

 

これに鉄筆で文字を書いて傷をつける。

傷がついた原紙は、

その部分だけインクを通す。

 

謄写版、というのはそのための装置。

網戸より、うんと細かい網を張った木枠が

蝶番でぱたぱたする。

その網の片面に傷をつけたロウ原紙を貼り付けて、

下にわら半紙を敷き、反対側から

ローラーでインクを刷る。

 

鉄筆というのも、

もう通じない言葉だと思うのだが、鉄の筆だ。

 

針よりも危なくないけど、

ちょっと痛いからやめてよ、という程度に、

先を丸めた筆で文字を書く、ということを

『ガリを切る』といったのさ。

 

 

 

 

 

ロウ原紙を、石版の上に敷いて

その上でガリを切るのだが

その石はスレートだ。

 

ほら、またわからない。

硯に使う石で、鉄平石。

神戸の『うろこの家』に張ってある石もそうなんだと。

 

なんだか年寄りの繰り言みたくなってきたが

この上でガリを切る。

 

 

 

 

昔は、どこの学校の事務室でも、左翼の細胞でも、

同人誌を出すような惰弱な部活でも、

出版を扱う集団には

かならず『ガリ切りの名人』というのがいた。

 

たかが文字を書くのに、なにが『名人』か?というと、

まず、当然達筆でなければならない。

左翼の場合、セクトごとに書体が違っていたから

それはもう厳しかったらしい。 

 

 

 

 

 

そして、ロウ原紙というのは薄い。

 

コンドームのごとく薄いので、

少し力を入れると

『え、破けちゃったの?』という事になる。

1行目で破けるならともかく、

徹夜明けの300行目で破けたりしたら、

バイクを盗んで走り出したくなる。

 

破けなくても誤字などがあっては大変だ。 

一応修正液というものがあって、

ヨードチンキのように茶色くて

ヨードチンキみたいな匂いがして、

お前、もうヨーチンなんじゃないのか?

という代物なのだが

これが見事に全く穴をふさがない。

 

 

『穴が塞いだかな?』と思って刷ってみると、

一文字分まっくろにインクが漏れて、

『だから駄目だって言ったじゃない…』

という事になる。

 

 

従って、達筆で誤字がなく、適度な筆圧でけっして破かない、

という、『ガリ切りの名人』は、どこでも大変に重宝された。  

 

 

 

 

 

『ロウ原紙』は戦前からあって、

この時代は半世紀以上続いたのだが

1970年代、この『原紙界』に革命が起きる。

 

『ボールペン原紙』の登場だ。

 

ボールペンでガリが切れる。

もう、ごく普通の100円ボールペンでいいわけです。

石版も要らない。

 

  

 

 

それだけなら、どうという事もなさそうなのだが

原紙が厚くなった。 

『そんな乱暴にしたら破けちゃう…』

という事がなくなった。 

 

 

分厚くなったことは、いくつかの利点をもたらした。

 

まず、用紙の大型化だ。

ロウ原紙の頃は、B5か、大きくてもB4。 

なぜか3昔くらい前まで、日本の出版物はB版だったのだ。 

これがA3になった。 

 

 

 

 

そして、この時、修正液も長足の進化を遂げる。 

 

なんと、字が直せるのだ。 

 

えーと、あの。

穴が塞がるようになったわけです。

 

これだって大変だ。

今までの薬瓶みたいな茶色から、

濃いマリンブルーになったその液体は、

ちゃんと穴を塞いで更にその上から字が書ける。

 

うん、修正液なら当然だよね。

 

 

 

 

更に『プリントゴッコ』がそうだったように、

写真を焼付けることも原理的には可能になった。

(もっとも、とんでもない光量が必要なので

素人には難しいが。)

 

 

 

しかし、イラストくらいなら描けるようになった。 

 

字を書くのも危うい、というロウ原紙の時代には

イラストなんか描けるのは、よほど

セクトのトップの愛人にしか許されなかったから、

大変な民主化である。

 

 

 

 

 

そしてさらに画期的なこと。

 

ボールペン原紙は

印刷機にかけることができた。

 

原紙の端っこにパンチ穴の開いた厚紙があって、

これをセットすると、

小型の輪転機にかけることができる。

分厚くなったことは、原紙の耐久性を飛躍させた。

 

今はどうか知らないが、新聞を刷るのと同じように

原版が回りながら印刷する輪転機の

小型版というのがある。

もちろん、大きさは1/10以下だが…。

 

元々の用途は、タイプの転写原紙

(そういうものがあった)

の印刷用だったらしいのだが

ボールペン原紙がこの規格にあわせたために

一気にガキどもが群がるようになった。

 

まるで、猿にマスを教えたようなものである。

 

 

 

今日の文章は、いつになく下品だわ…

 

 

 

 

 

 

今まで、「ガリ切り」のことばかり言って、

印刷のことを言ってこなかったが、

謄写版印刷というのは、じつは難しい。

 

特にロウ原紙は難しい。 

ローラーにペンキをつけてごしごしするのだが

強くすると、あふれてしまう。  

下手くそがやると、黒い縁がついた、

「不幸の手紙」のようなものを量産してしまう。 

 

 

かといって、力を加減すると写らない。 

 

ガリ切りを女の子がすることもあって

それはもう、女の子の原稿だから大切に扱うのだが

そういうガリは例外なく筆圧が低いので

とても刷りにくい。

 

だからといって、強くすると

なにぶんコンドームのごとく薄いので、

破けてしまって、

それが青春だよ。

 

 

徹夜明けの朝に、破れた原稿を見られて

『え、大丈夫って言ってたのに…』

なんていわれて、いろんなところが

固くなったりする。

 

 

 

 

従って、刷るのにも名人芸がいる。

しかし、いかに『ガリ切り』と、

『刷り』の名人がいても、

一分あたり10枚がせいぜい。 

それが、この輪転機を使うと

10倍くらいになった。

 

グーテンベルグもびっくりである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『量が質を担保しない。』ということは毎朝、

読売新聞を開くたびに思い知るのだが、

たくさんの人に読んで欲しい、と思うのは

なにか文章を書く以上、みんなそうだと思う。

 

 

いまでも、『ボールペン原紙』というのはあると思う。

謄写版もあると思うし、

謄写版でボールペン原紙を刷ることも可能だ。

 

むしろ、小型輪転機を自由に扱えるガキの方が

珍しくて、勝手に生徒会室入り込んで、

輪転機と、わら半紙を使ってごめんなさい。

 

もう時効だから許してね。

 

 

 

うわあ、長くなったなあ。

本当は、『活字と私。』ということで更に、

和文タイプから活版印刷、そしてワープロまでの

個人的な歴史を書こうと思ったんだけど

疲れちゃった。

 

いずれまた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の一枚。』

 

 

 

 

 

 

ロウ原紙。

0000rougenshi 

 

 

この箱が懐かしい 

 

 

 

『ロウ原紙』で検索すると、ざくざく出てくる。

こんなものに郷愁を持つ人がいるらしい。

 

これが『ボールペン原紙』だと見事に出てこない。

今でも売っている会社はあるのだが、

数でいうと、ロウ原紙の圧勝。

 

 

みんな、苦労してこなかっただろう… 

 

しなくてもいいけど…

 

 

 

 

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もうひとつ印刷について書いています。

(グーテンベルグの日)

 

 

 

 

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2011年12月20日 (火)

コザ暴動とジョンストン島

12月20日は『コザ暴動』の日。

(Wikipedia コザ暴動)

 

 

 

 

 

 

長引く米軍統治下で、様々な矛盾を抱えていた沖縄。

嘉手納基地を抱えたコザ市で

1970年のこの日に起きたのが『コザ暴動』。

 

 

 

ベトナム戦争に全面介入していた米軍は、

沖縄を後方基地にしていた。

 

大量の米兵が往来し、基地経済でコザは潤う。

その一方で米兵による犯罪も多発した。

被害者が日本人の場合でも、

米兵犯罪者の捜査に地元警察が関与できないことは、

現在もひどいが、当時はもっと不当な状況で、

住民の不安と不満は高まっていた。

 

さらに米軍が、サリンやVXガスなど、

後にオウムで有名になる殺人化学兵器を大量に、しかも

秘密のうちに沖縄本島に保管していたことが判明。

 

その撤去を求める一万人規模の集会が行われたのが

コザ市に隣接する美里村で、1970年12月19日。

ただしこの集会は、暴動など起こさずに終了する。

 

しかし、散会した後コザ市内に移動していた参加者や

集会とは無関係であった地元住民ら、

多数の日本人がいた繁華街で

酔っぱらった米兵の車による人身事故が起きる。

これをきっかけに、暴動が発生した。

 

 

住民側は数千人が参加したといわれる、

これが米軍のMPや軍人に投石などを行う。

一部は嘉手納基地ゲートまで進み武装兵が出動するという

空前の騒動となった。

 

 

深夜に始まった暴動は朝までに沈静化する。

端緒の一つとなった毒ガスは、

ジョンストン島に移動された。

 

 

 

ジョンストン島……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴモラの故郷である。

 

 

0000gomola 

 

大阪城に襲いかかる

古代怪獣ゴモラ

 

 

 

 

 

 

 

 

うん、あの…

 

 

なんで『コザ暴動』が、いきなりゴモラの話になるのか?

といわれたら、ごめんなさい。

 

12月20日がコザ暴動の日、ということに気がついて調べていたら、

この島の名前が出てきたわけです。

なんか聞いたことがあるな、と。

 

そうしたら、ウルトラマンのゴモラだったわけですよ。

『ですよ。』って言われても困るか…

 

 

 

 

 

 

 

しかし、Wikipediaに書いてあるゴモラの設定はむちゃくちゃだ。

 

『ジョンストン島に生息していた恐竜ゴモラザウルス…。

万博に展示するため

麻酔弾によって生きたまま捕獲されて空輸。

しかし空中で麻酔が切れて暴れだし六甲山に落下。

そのショックで本来の力と闘争本能を取り戻す。

そうして地中を移動し、大阪市内に棲みつく。

科学特捜隊と戦って手傷を負うが大阪城を破壊。

ようやく現れたウルトラマンと最終決戦を行い

スペシウム光線でとどめを刺された。』

 

なんじゃ?そりゃ…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まじめな話に戻ろう。

 

 

 

 

ジョンストン島というのは実在の島で、アメリカ領。

 

ハワイから1500kmも離れているという絶海の孤島で

太平洋戦争前に米軍の基地が置かれる。

 

戦後は、ミサイルによる高々度核実験や

軍事衛星の打ち上げ基地として用いられた後、

化学兵器の貯蔵施設が設けられた。

つい最近まで使われていて、撤去が完了したのは2004年。 

 

グアンタナモ収容所と同じくらいの、

『アメリカ現代史の恥部。』なのである。

 

だから『怪獣の出身地』として、妙なリアリティがあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最盛期には数百人が住み、

民間機の定期路線もあったというが、

基地が無くなった現在は無人島。 

 

そういう扱いを沖縄にするなよ?

 

 

 

 

 

 

 

まあ、キムさんちの話のおかげで、全国ニュースに

今日、『コザ暴動』が取り上げられることはなさそうだな、と。

例によって、へそが曲がったので書きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の「三世で終わった家系たち」。』 

 

 

 

 

 

 

ナポレオン1世

0000napoleon_1 

 

 

うん、こいつは有名だね。

 

 

 

 

 

 

 

 

ナポレオン2世

0000napoleo_2 

 

ほら、

もう2世でわからない。

誰だ?おまえ。

 

 

 

 

 

 

ナポレオン3世(左) 

0000napoleon_3_2  

普仏戦争で降伏して捕虜。

ふんぞり返るビスマルクと

しなだれるナポレオン3世。

 

『三世』といいながら、

こいつはボナパルトの直系ではなくて甥。

 

ただし、『名字がナポレオン』であることを

最大限に利用して、皇帝にまで昇り詰めた。

 

そして、三世をもって『ナポレオン王朝』は終焉。

これ以降フランスには、王様も皇帝もいない。

 

 

 

 

 

 

 

もう、一家

 

 

 

 

 

源頼朝

0000yoitomo 

 

 

鎌倉幕府 初代将軍

うん、こいつも有名だ。

 

 

 

 

 

 

二代将軍 源頼家 

0000yoriie 

 

やっぱり2世でわからなくなる。

だから誰だよ、お前。

 

 

 

 

 

 

三代将軍 源実朝を殺した奴が隠れていた

鶴岡八幡宮の大銀杏。

0000sanetomo 

 

たぶん実朝その人よりも

大風で折れちゃった

この樹のほうが有名だ。

 

 

 

 

源さんちは、こいつで正統が絶えて、

これ以後、幕府は頼朝の嫁、

政子さんの実家の北条家が、執権として支配する。

 

 

王朝の終焉って、結構、あっけない。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

0000rupinこいつも三世だけど

ちょっとかっこいいから、紹介したくない。 

 

 

 

 

 

 

おまけ

 

 

 

 

破壊された大阪城の上で

ゴモラをぶちのめすウルトラマン。

 

よくよく考えたら、こいつは寝起きをたたき起こされて

六甲山に落とされただけだ。

 

古代恐竜の生き残りなら、

ワシントン条約もびっくりな希少生物である。

 

 

それを石垣にたたきつけるわ

しっぽをちぎるわ

角は折るわ

スペシイムるわ…… 

 

 

 

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2011年12月19日 (月)

金正日の死をめぐる、それぞれの思惑と困惑

 

『橋下さんは悔しがってるんじゃないでしょうか?』

 

『せっかく大阪市役所に初登庁する日なのに。』

 

『その日のうちに東京に出かけて、各政党をまわって

「維新旋風が国政を動かす?」みたいなニュースで

今日の新聞紙面は埋まると思ったでしょうに…』

 

『…水戸黄門も、今日が最終回なんだよね…』

 

『間が悪いことにかけては、

鳩山さんが辞めた日に宇宙から帰ってきた

野口さんみたいなもんですね。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『あいごー。まだ御遺体を生きたごとくに保存する

エンバーミング法の準備できてないハムニダ。』

 

『でもあれ、どうせ縮んでしまうスミニカ。』

 

『なんですぐ発表するか?

武田信玄は病の床で「我が死を一年秘するべし。」

と遺言したニダ。』

 

『そんな、イルボンの大名なんか知りません。

でも大丈夫。ついにテポドン3号が完成したんです。』

 

『おお…』

 

『核実験の準備も進んでます。

あの三男、太るばっかりでちっとも風格がつかないから

待ってても仕方ありません。』

 

『ちょっと太りすぎだよなあ…』

 

『南が慰安婦問題でイルボンと揉め、

漁船越境事件で中国と揉めている

今のタイミングに発表した方がいいですって。』

 

『逆に我が国は、中国やロシアだけじゃなく

アメリカとも外交チャンネルを開きつつある…』

 

『軍を掌握するためにも、でかい花火をひとつ…』

 

『うっへっへっ…』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ふっふっふ、来たな。』

 

『さあ、「金正日の死を予言した」、という証拠とやらを

見せてもらおうか。』

 

『まあ待て。』

 

『外務省や「あの国」の当局者にも予想できないほどの

急病だったらしいじゃないか。

そんな予言者がいたなら、約束通りニュースにしてやらあ。』

 

『この近畿銀行の貸金庫に

去年に予言した私の手紙が保管してある…』

 

『また、微妙な銀行を…。はやくしろっ。

天下の読捨新聞の記者様が来てやってるんだっ。』 

 

『まず、この銀行のクラークに、この貸金庫が

去年の12月から開けられていないことを証言してもらおう。

立売堀君っ。』

 

『へえ。この泡田様の金庫は、去年から誰も開けとりません。

そりゃあもう、わてが太鼓判押しまっさ。』

 

『ふむ、それでは立売堀君、

このキーで「き=6」の金庫を開けてくれ給え。』

 

 

かちゃ

 

 

『手紙でんな…』

 

『記者君。読んで見給え。』

 

『「金正日は2011年12月17日に死ぬだろう。2010年12月31日」…』

 

『どうだ。わかったか?

ワシは一年前に、あの男の死を予言していたんだっ。

すぐにこのことを、貴様のところの一千万部の新聞で

全世界につたえろっ。』

 

『このナンバーの金庫の中には、その手紙しかありまへんで。』

 

『く、くそっ…』

 

『さあ、どうだ。すごいだろうっ。』

 

『わかったっ。その代わり、

このことは、よその社には教えないでくれ。

すぐに写真班をよぶっ。独占インタビューにさせてくれっ。』

 

『ふははははは…』

 

 

 

 

『…あのー。泡田ハン…』

 

『なんだ?』

 

『貸金庫代、はろてくださいや。』

 

『だから、こいつのところに売り込めれば…』

 

『……』

 

『……』

 

 

『せやかて、その金庫とあわせて

365カ所も借りといて

3ヶ月も払わないのは殺生でっせ…』

 

『ば、馬鹿っ。い、立売堀っ。』

 

『…はっ…』

 

『……』

 

『…あー、インタビューはいつからにするかね?』 

 

『……どういうことだ?』

 

『へえ、泡田ハンは365個の金庫を借りてはりますねや。』

 

『てめえっ。立売堀っ。』

 

『それじゃ365日分の予言を

別々の金庫にっ…』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の一枚。』

 

 

 

 

 

偉大なる総書記様が冷温停止状態になりましたっ。

0000kita  

 

 

 

 

 

 

あなたはご無事でしたか…

 

 

 

 

 

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『立売堀』は『いたちぼり』って読んでね。

『チボリ』だとかっこいいけど、

『いたちぼり』は大阪の下町で問屋街なんだ。

 

 

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2011年12月18日 (日)

こどもと俳句と銅閣寺と私

『では、「今日の俳句」。

今日は読売新聞の「KODOMO俳句」からご紹介します。』

              

『無許可で引用するくせに出典を書くと、

余計怒られるような気がします。』

 

『まず最初の句。

「かみのけを きいろくそめた いちょうの木」。』

 

『何年生の作品ですか?。』

 

『たぶん女の子だと思うんですが小学校一年生の句です。』

 

『さすがに、ひらがなばっかりですな。』

 

『でも、添削くさいと思いませんか?』

 

『またそういうことを…』

 

『「きいろくなった いちょうの木」、だったらわかるけど

「きいろく染めた」っていう表現は

小一には無理じゃないかなあ。』

 

『まあ、イチョウの黄葉とと髪の毛を結びつけたんなら

そこを褒めてあげましょうよ。』

 

『……』

 

『……』

 

『お母さんがヤンキーだとか。』

 

『やめいっ。』

 

『親戚中黄色い髪をしているから、

あたしも大きくなったらって…』

 

『…素直に読もうよ。』

 

 

 

 

 

 

 

『では次の句。小学校四年生の女の子の句。

「アキアカネ さいきんみない 迷子かな」。』

 

『うわ、うそくせえ。』

 

『だろ?九つか十の奴が「さいきんみない」って。』

 

『あんた物心ついて

まだ4.5年しかたってないでしょうに。』

 

『しかもアキアカネって。

これが、「赤トンボ 今年は来ないな 迷子かな」

くらいだったら、小四らしくてかわいいのに。』

 

『選者も「近年、水田の減少とともにアキアカネがいなくなって…」

って書いているあたり、これは子供の発想じゃないって、

わかってると思うんですよね。』

 

『「トンボが迷子」、って表現がオリジナルなら、

そこは評価してあげたいけど。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『高校の時の古文の教師が嫌な奴でな。』

 

『生徒が先生のことを「教師」って呼ぶときは、

ほんとに嫌な奴ですね。』

 

『修学旅行中に俳句を10句作って提出しろってのよ。』 

 

『うわ、めんどくさ。』

 

『そこで同級生のH君が作ったすばらしい俳句がこれだ。』

 

『覚えてるんですか』

 

『銀閣寺ぎんぎんぎらぎら銀閣寺。』

 

『……』

 

『さらにもう二句。

「金閣寺きんきんきらきら金閣寺」

「銅閣寺どうしてないのか銅閣寺」。』

 

『あたまわりー。』

 

『教師は怒ってたけど、教室は大爆笑だ。

芭蕉の「松島や」って句と何が違うって

擁護する奴まで出てきた。』

 

『あんたでしょう。』

 

『でも、あの「松島や ああ松島や 松島や」って

実は芭蕉の句じゃないらしいよ?』

(Wikipedia 松尾芭蕉)

 

 

 

 

 

 

 

『で、今回の話の結論は何です?』

 

『ないよ。そんなもん。』

 

『…まあ、いつも無いかな?』

 

『昨日書いた事情で、パソコンが壊れてネット環境が悪い。

いつも以上に機嫌が悪いから当たり散らしてるだけだ。』

 

『読売が相手なら、大新聞の沽券に関わるから

この鼻くそブログの喧嘩も買わないでくれるでしょうけど、

子供を相手にするのはやめましょうよ。』

 

『子供だってわかってるさ。』

 

『そうですかね…』

 

『添削されたら悔しい。

しかも、見破られるような下手くそに添削されたら、

うんと悔しくなって、

もっとたくさん本を読むから』

 

『だから見破ってやるんだ、と。』

 

『そう。』

 

『つまり、まっすぐに育たないとこうなる、と。』

 

『うん。』

 

 

 

 

 

 

 

『最後は微妙な句だ。

小学校四年生の男の子の作品。  

「さかあがり 世界が回り ここに立つ」。』

 

『これ、小四のオリジナルなら、かっこいい視点ですよね。』

 

『でも、こういう発想の短い詩って、

戦前くらいに一度、流行ってるんだよな。』

 

『そういう意味で、添削なら、おもしろくも何ともないです。』

 

『小四が三好達治や西脇順三郎を読んでいたら

いろんな意味で怖くて嫌な奴だけど…』

 

『少なくとも、友達はなさそうな気が…』

 

『うん。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の一枚。』

 

 

 

 

 

0000doukaku   

 

 

 

じつは『銅閣』は存在する。 

 

 

 

 

 

変な突起は避雷針

ではなくて

祇園祭の鉾をかたどったもの。

 

 

 

お寺の中にあるけど、建物自体は

ホテルオークラの創業者、大倉喜七郎のおとん、

喜八郎がつくった祇園祭見物用の別荘。

 

 

金持ちってすげー

 

 

 

 

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ネット環境がかような具合で皆様のところへの訪問が滞っております。

気長に見守ってやってくださいませ…

 

 

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2011年12月17日 (土)

また壊れた

我が家には3台のデスクトップパソコンがある。 

基本的に私しか使わない。

しかし。ここで『へー。』と感心してはいけない。

 

 

 

 

そのうち2台は壊れているのだ。

 

 

 

ここで感心してほしい。

 

 

自宅で仕事をするために、

最初に買い求めたパソコンは日立のもので、

買って3ヶ月でぶっ壊れやがって修理センターに入り、

その後も入退院を繰り返して、

保証期間中だったのがまだ幸いだったが

ついに去年の秋に画面が動かなくなった。

 

 

代用として借りていた

DELLのパソコンを買い取って使っていたのだが

使えないソフトとかがあるので買い換えた機械が

14日に壊れた。

 

 

 

享年1年と1日。 

 

 

保証期間が明けた翌日。

舐めてんのか?NEC。

 

 

 

なんか動きが悪いな、

マウスに反応しなくなるときがあるな。

いやにフーフー温風を出すけど、熱があるのかしら、と

今から考えると、一応前兆はあったのだが、

修理に出す金がない。

 

 

『うそうそ、気のせいよ。

あなたは強い子、頑張れるよね。』

なんて心の中で励ましながら使っていたら、

『ハードデスクの調子が悪いので

直ちにバックアップをして修理に出しなさい。』

というメッセージが出た。

 

『えらいこっちゃ。』

と思ってバックアップを始めたのだが、

これがまあ、時間がかかる。

 

熱が出た子の、額のぬれ手ぬぐいを換えてやる母のように

夜通しDVDを入れ替えても、一晩では半分も終わらず、

メッセージの口調がだんだん強くなって、

『もう、次には起動しなくなるかもよ…』

なんて捨て台詞を残して、

バックアップが、まだ終わらないうちに息絶えた。

 

 

 

もうやだ。

 

みんな、びんぼが悪いんや…

 

 

 

 

 

従ってこれは、DELLのパソコンで書いている。 

安心の3台体制だ。

 

 

全然、意味がねえ…

 

 

 

一応トラブルシューティングを調べようと思って

買ったときの取扱説明書を引っ張り出したら、

表紙では、干される前の山本太郎がにっこり笑っていた。

 

 

『そんな昔に買ったっけ。』と

保証書を調べたら、保証期間は1年。

領収書を調べたら、ご購入日は12月14日だ。

だから舐めんてんのか?太郎。

 

 

 

 

はずれの機械ばっかり引くなあ。

変なソフトをコピーしたりはしていないはずだ。

仕事がないから、そんなにメモリーを使っていたわけでもない。

 

実際、入院続きのパソコンを作っていた日立は

パソコン製造から撤退したから、

使い方のせいだとは思いたくないのだ。

 

 

自分で書いていて寂しくなるが

とにかくNEC君は来週から修理センター行きとなる。

 

 

 

やだなあ。

いくらかかるんだろう…

 

 

 

 

ということで、愚痴とご報告なのでした。

 

 

 

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そして、これだけ危機感のない報告文もないな。

当事者意識がまるでないあたり、我ながら見事だ。

 

そして、こんな文章ばっかり書いてきたから、

いろいろ駄目なんじゃないかと思います。

 

 

 

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2011年12月15日 (木)

南極点を目指した3人の男たち

12月14日は、南極点到達の日。

(Wikipediaの記事へのリンク)

 

 

 

 

 

 

 

1911年のこの日、ノルウェーの探検家、アムンゼンが

記録に残る限りでは人類初めて、南極点に到達した。 

今年は100周年。

 

 

何故12月?と思うのだが、南半球の季節は日本と逆。

更に緯度の高い南極は5月から8月くらいは真っ暗になるから

アタックは、この時期に行われる。

 

 

 

 

 

1910年の10月にアムンゼンが南極大陸に上陸した時

極点を目指す男が、あと二人いた。

 

イギリスのスコットと、日本の白瀬矗。

 

 

 

スコットとアムンゼンの極点争いは有名で

それぞれがほぼ同時に出発したことを知っており、

更に母国にも伝えられていたので、

お互いの競争心は大変なものだった。

 

暴風の中、極点に到達したスコット隊の眼の前に

ノルウェーの国旗が翻っていた。

絶望したスコット隊は消沈して…

なんて話を、ガキの頃に読んだような気がする。

 

 

 

 

 

3人の中で、条件としてもっとも恵まれていたのは

イギリスのスコット。

この人は2度にわたって南極探検を行っているが、

一度目は700km手前で撤退。

 

もうここが南極点、って

言い切っちゃっても良さそうなところまで行くのだが、

正直者の彼は、2度目の挑戦をする。

既に母国での彼の名声は確立しており、

第二次遠征隊には8000人が応募した。

 

 

2度目の遠征隊の装備は

馬匹20頭、犬30頭、雪上車2台という

後の2隊に比べると比較にならない豪華版。

 

ただし、隊員39名の内

1/3が将官で、エンジニアと学者が1/3

下っ端は1/3しかいないという偏った編成。

 

国家とか、競争とか、学術研究という名前の見栄とか

いろんなものを背負い込んだ時点で、

この人は、負けるべくして負けた。

 

 

 

 

 

 

アムンゼンというおっさんは、その点金に苦労している。

 

北極が海だ、という事は既に知られていて、

ここを通ればヨーロッパとアメリカの航路が縮まるんじゃないか?

ということで、この時期

北西航路開拓、というのに大いに関心が持たれた。

 

アムンゼンは、

『ほたら、わしがやりまひょ。』という事でスポンサーを募り、

船と船員を用意してアラスカまで行くのだが

こいつの魂胆は、史上初の北極点到達だった。

 

ところが、アメリカ人のピアリーというひとに

先を越されてしまったので、急遽行き先を変えて南極に行く。

 

さすがにスポンサーに申し開きが立たないので、本国には、

『北極海航路開発の前に、ちょっと南極に行く。』

という豪快な言い訳を電報で打った。

 

乗組員が、真の行き先が南極だという事を知ったのは

大西洋のど真ん中。

 

土性骨の座った嘘つきで、それだけの根性があるから

先に南極点に立てた、といえる。

 

 

スコットが持ち込んだ馬は、寒さでみんな死に、

雪上車はオイルが凍って使えなかった。

 

犬ぞりに徹底したアムンゼンが勝ったのが12月14日。

 

 

 

 

 

 

 

白瀬矗は、金がないことにかけてはもっとも惨めで

公の援助は一切なし。

民間の募金を集めてボロ船を買って、改装。

 

アムンゼンやスコットとほぼ同時期に南極を目指して

ようやく出発するのだが、途中で

そりを引かせるための犬が寄生虫で全滅。

泣く泣く、半年間オーストラリアで過ごすことになる。

 

仲間割れとかがあって、苦労したものの、

体勢を立て直して南極に上陸したのは1912年1月。

 

既ににアムンゼンは南極点に到達しており、

上陸翌日に、スコット隊南極点制覇のニュースも伝わった。

 

そこで彼は、南極の地理観測と、

南極大陸での将来的な領土確保のための探査に切り替えた。

なーんて、書く奴がいるが

実はやっぱり南極点への未練は断ちがたく

アタック隊を出す。

しかし、南緯80度5分で撤退した。

 

イギリス人のスコット隊でさえ全滅したのだから

あの時代に撤退したのは勇気が要ることだったと思う。

そこは、もっと評価してあげていい。

 

我々の世代だと、この人のことを『白瀬中尉』と教わった。

これだけ偉大な人が、何故中尉どまりなのか?と思うが

この人の行動は、計画時点では陸軍に全く理解されず、

帰国した後でも、軍から祝福を受けることはなかった。

 

更にこの人は、

周囲と調和できない事にかけては呪われたかのようであり

渡航時点から部下に反抗され、

オーストラリアに着いても喧嘩をし

撤退後も部下と喧嘩しながら帰国してみると、

後援会の連中が寄付金を使い込んでいた。

 

酒はおろか、茶もお湯さえも贅沢だ、という人で

自分に厳しいのは勝手にすれば、であるが

人望はなかったらしい。

 

今でこそ『しらせ』と言えば、南極観測船の名前で、

この人は日本中から尊敬されているのだが

こんなおっさん親戚にいたら、ちょっとやだ。

 

南極から帰国した後も、撮影したフィルムを抱えて

全国を講演してまわって借金返済にあたり

20年かけて、ぜんぶ返した。 

 

苦労人ではある。

 

85才で死ぬのだが、死因は栄養失調。

食うに困るほどの貧乏はしていなかったはずだが

贅沢は敵だ、ということが行き過ぎると

こういうことになるらしい。

 

 

 

恵まれた条件で、冒険をスタートさせたスコットは

南極点には到達したが、

帰り道で悪天候の中、身動きが取れなくなって死亡した。

 

この人も、幸せな死に方はしていない。

 

Wikipediaに、この人が死の間際に書いた日記、

というのが載っているのだが、

死を前にして、指先が利かなくなりながら

へろへろになっていく文字で、

家族の幸せを神に祈っている。

 

0000sct  

 

R スコット、とサインした後に

神様へのお願いを書いているあたり

ちょっと泣かせる

 

 

 

 

 

 

 

 

成功者であるはずのアムンゼンはどうだったか?

 

彼は無事に帰国して数々の栄誉を与えられるのだが、

それに満足できず

飛行機による人類初の北極点到達なんて事をやった。

 

そこでやめときゃいいのに

更に飛行船でもやってやる、と出かけて遭難して死んだ。

 

 

 

 

 

 

 

この人たちをみると

冒険というのは麻薬のようなものなのかな、と思う。

 

平和な晩年を過ごしたいなあ、と思うのであります。

 

 

 

無理か…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の二枚。』

 

 

 

 

 

 

 

白瀬が南極渡航に使った開南丸。

0000kainannmaru 

 

 

 

 

 

 

 

 

下から見上げたアングルで、

すごく大きな船に見えるが199トン。

アムンゼンが使ったフラム号の半分以下である。

 

 

 

 

 

 

 

船の『200トン』というのが、見当がつかなかったので

検索していたら、出てきたのがこの船。

0000hamayuri  

 

 

 

 

 

 

津波で建物の上に乗り上げた観光船『はまゆり』 。

これが200tなんだそうです。

 

 

へえ、大きいじゃないの、と考えるか

津波で運ばれちゃうくらいの大きさなのか、と考えるか

不幸な200tだな、と思うか。

 

 

 

 

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2011年12月14日 (水)

討ち入りのあるべき姿と、赤穂の塩

12月14日は『赤穂浪士討ち入りの日。』

(Wikipedia 元禄赤穂事件)

 

 

 

 

 

 

 

吉良上野介がいじわるしたから

浅野内匠頭がキレた。 

 

そこで、殿中で刃傷、という名の致傷事件を起こした。

江戸城中での狼藉である事も許せないが

勅使というのは天皇の名代で、その式典を血で汚した。 

 

五代将軍綱吉は激怒した。

浅野は即日切腹。

 

 

ここまでの処分は、わからんでもないのだが

吉良にはおとがめなし。

 

むしろ、『お怪我は大丈夫かな?』といった

慰めの言葉さえ下しおかれる。

 

さすがに江戸町民も『そいつぁ、おかしいだろう』

という事を噂し始めるのだが、

まだ『世論』というのが成立する時代じゃない。   

 

 

しかし、町衆の期待は相当なものだったらしく

結果として、刃傷事件から1年半後に

赤穂浪士は吉良上野介の首を取る。 

 

ざまあ。 

 

とまあ、ここまでが、

世間に流布するところの『忠臣蔵』のあらすじ。 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、それでよかったのか?

というのが、例によってへそ曲がりな、この日記のテーマ。

 

浅野が切腹しても、吉良が殺されてもどうとも思わないが、

上野介も、赤穂浪士もうすこし、

粋な納め方があったんじゃないかと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

吉良家というのは『高家』といって

くそくだらない礼儀作法を教える家だった。

 

『勅使は天皇の名代だから、

畳の縁はウンゲン縁でなければなりませんぞ』等と言って、

内匠頭に江戸中の畳職人を借り上げさせたりする。 

 

賄賂なんか取っていなくても、

仕事の内容は、売春婦以下のくだらなさで、

しかもこの家系は室町時代から、そんなことばっかりやっている。

 

 

歴代のくず、

気合いの入った人間のくずだ。

 

 

 

こういうことを書くと、吉良家側の人は怒るかも知れないが、

私が、故識古典の知識を振りかざす奴を憎むことは

それはもう、新妻がゴキブリを憎む以上のものがある。

ちっとも同情しない。

 

 

かかって来やがれ。

 

 

 

 

 

 

従って、江戸詰の吉良の家臣は弱い。

それはもう、びっくりするくらい弱い。

ざまあみろ、というくらいに弱いのだが、

 

この卑怯者たちは多少知恵が回りやがって

国許から、腕が立つ奴を集めた。

 

有名なのは、たとえば清水一学。

  

吉良家は官位は高かったが、所帯が小さく

大した連中は集められなかったのだが

息子を養子に出していた山形の上杉家からも応援を頼む。

それで、数十人の手練れを集めた。

 

更に、上野介自身も危機感を持っており

とっとと隠居して、

息子が殿様をやっている上杉家に避難するつもりでいた。

 

赤穂浪人の過激派がいても、まさか他家の大名領、

しかも山形までは攻めて来るまい。ということ。 

 

 

 

 

実際、その構想は、ほとんど実現していて、

上野介は『年末に江戸を離れるから、よろしく』と

旧知の友人を集めて2日にわたって茶会をした。

 

それが12月14日。

 

満足した上野介は、酔っぱらって深い眠りにつく。

もう、これで安心だ、と。

 

赤穂浪士の噂は聞いていたが、

まさかこの泰平の時代に騒乱は起こすまい。

来週には、米沢に行くのだ。

 

家臣にも油断があった。

腕を頼って集めたはずの清水一学も、新貝弥七郎も

眠りについていた。 

 

 

 

その14日の深夜に、

完全武装の47人の男達が雪崩込んだ。

 

 

 

圧勝である。 

 

 

 

 

 

攻城戦、というのは意外に少数で守れる。

西南戦争での熊本城は、3500人の鎮台兵で

20000人の西郷軍を70日にわたって守り通した。

 

ただし、それは充分な準備と戦意があってのこと。

 

いくら腕が立つ奴を集めても、

夜に布団に入らせたら駄目である。

 

何人かは勇敢に応戦したらしいのだが

寝起きで、鎖帷子を着込んだ連中に戦いを挑んでも

なぶり殺しだ。

 

 

 

 

 

結果を知っている奴が、あれこれ言うのは可哀想だと思うのだが

油断しすぎじゃないか?

 

昼日中に討ち入りをすることはない。

危機管理として、『腕の立つ奴は不寝番』という事を

徹底すべきではなかったのか?

 

如何に勇敢でも、

寝間着で戦ったら負ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

赤穂浪士の側の狙いも、よくわからない。

 

首領は大石内蔵助。

ただし、この人は武力蜂起に慎重で

まずは、『御家再興』を図った。

 

結果を知っているから、荒唐無稽と思ってしまうが、

本人は真剣だったし、応援する人もいた。

 

 

 

 

ただし、赤穂の浅野家は5万石でしかない。

独力での政治工作は、ほぼ不可能だった。

 

しかし、浅野家は広島に本家がいて

そこは40万石の大大名だった。

しかも、刃傷事件の裁定をおかしいと思う人は各方面にいて

内蔵助を応援した。

 

内匠頭に息子はいなかったが、弟に大学という人がいて

学識もあって家臣にも信頼がある。

だから、内蔵助はそこに賭けた。

 

『御家再興』はリアリティのない話ではなかったのだ。

 

 

 

さらに、内蔵助は見込みのある浪人が他家に

再就職することを責めなかった。

むしろ斡旋した、と言う。

 

かならずしも『忠臣』の論理で動いていた人ではない。

 

 

 

 

ただ、浅野家というのは豊臣系の外様大名で

綱吉の頃は、外様が幕府を恐れることは子猫以下だった。

 

刃傷事件から1年半後、

浅野大学は広島本家に預かりとなり

長らく主不在で捨て置かれていた赤穂城に

幕府譜代の永井氏が入城する。

 

御家再興の途は絶えた。 

 

これで、内蔵助も武装蜂起を決めた、というのだが…

 

 

 

 

 

 

 

 

江戸時代というのは、やたらと武士がいた。

人口の一割が武士、という時代で

幕府は、なんとかこいつらを減らそうとした。

 

家康は、関ヶ原や大阪の陣で、

自分に刃向かった大名を取り潰し

家光の時代まで、ほとんど言いがかりのような理由で

外様の大名を潰していく。

 

従って、街には失業武士があふれ

由井正雪が反乱を起こそうとしたりする。

 

武士が余っているから、

綱吉の時代でも、他家に再就職するというのは

よほど優秀じゃないと不可能で、

腕は立つけど根本は馬鹿、という浪人を数十人も抱えて

内蔵助も、こまったなあ、と。

 

唯一の方途が『御家再興』だったのだが

それが途絶えたから蜂起した、と。

 

 

でも、どうしても武士である必要は

なかったんじゃないか?

 

 

 

 

 

 

 

 

商売をやればよかったのに。

 

応援する人はいたんだから、元手はできただろう。

『浅野浪士は何かやる。』と噂されていたから、

江戸では商売がやりにくかったかも知れないが、 

よその街でなら『浅野屋』なんて言う屋号で

商売をしてもよかったんじゃないか?

 

 

 

 

堀部安兵衛が、店先で、

『あ・こ・う・の塩っ。』

とか叫んだら、受けたと思う。

 

 

 

 

 

商人じゃなくても、

それだけの団結力があれば

未開の原野を開拓してもよかったのに。

 

まだ、日本中にフロンティアがあった時代なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

仇を殺して、自分たちも切腹。 

 

世間的には受けたから、

いまでも年寄りは忠臣蔵が大好きだ。

 

当時の世間も敏感に反応したために、

綱吉の態度は一変。

死罪こそ命じたが、切腹という名誉を与えられた。

 

そしてにっくき吉良の息子義周は配流となって罪人扱いだ。

 

 

しかし、下手をすれば、

広島の浅野本家に累が及ぶ危険もあったはずだ。

 

 

戦闘に勝つことは間違いなかったが

トータルの政治的なことを考えたら、

博打としては危険に過ぎたんじゃないだろうか。

 

 

そして、少なくとも粋じゃない。

 

 

 

どうすればよかったんだろうね。

 

 

『就活』なんていう事で、

あれこれと馬鹿どもが、いろんな新聞に得意そうに

『こうすれば就職確実』なんてことをを書き散らかしている。

 

馬鹿。

 

『赤穂浪士討ち入りから見た、再就職の作法』

なんていう記事があったら面白いのに。

 

それはつまり、

『文句を言う奴には討ち入る。』

ということで、すごく痛快でウォール街なのだが、

そこまで根性のある新聞はないらしい。

 

 

面白くねえ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の一枚。』

 

 

 

 

 

 

 

 

兵庫県の赤穂市には、お城の遺構があって、

石垣と堀しか残っていないのだが、本丸広場には

御殿の間取りが、実寸で描かれている舗装がある。

 

0000akoujou_2 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わかりにくいけど、この舗装に間取りが描いてある。

 

 

『内匠頭はここに座っていたのか。』

なんて思うと、楽しい。 

 

殿様と、お女中の役に別れて

『ほれ、いいではないか。』なんていって

鬼ごっこするのも、とても楽しいんだけど

すごく広いから、ちょっと死ぬ。

 

 

 

 

どうでもいいけどこの写真、

天守台の上から撮ってるよね。

 

立ち入り禁止じゃないのか?

 

 

 

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2011年12月13日 (火)

パンダと毛皮と猫ON猫

販売目的でパンダの剥製を陳列した、として

都内の中国人を逮捕、というニュース。

(毎日新聞の記事へのリンク)

 

 

 

 

 

 

 

 

ふーん。

剥製の取引も駄目なのか。

 

まあ、それを認めちゃうと密猟者が出るからね。

 

 

 

 

 

 

 

パンダの存在が、世界に知られたきっかけも毛皮だった。

割と最近で、19世紀半ばのこと。

 

フランス人宣教師が、中国の奥地の農家で

カーペット代わりに使われていたパンダの毛皮を見つけ、

『こりゃあ珍しい。』と、買い求めて母国の博物館に送った。

 

 

 

 

 

ヨーロッパ中が爆笑した。

 

『こんな動物いるはずないじゃん』、と 

 

 

 

しかし、多少目端の利く奴がいて、

『ひょっとしたら本物かも。』と中国に入ってパンダを探した。

 

そして、ついにアメリカの軍人で探検家という人物が

生きたパンダを捕まえた。

そいつをアメリカに送るのだが、輸送中にパンダは死亡。

ついでに本人も死んだ。

 

遺志を継いだ嫁さんが再びパンダを捕まえて、

アメリカに送ったのが1936年。

 

既に日中戦争が始まっていたから、

この夫婦はスパイではないかとも言われている。

 

そうじゃなくても、

いまなら夫婦共々ワシントン条約違反で

PETAに殴り殺されても、文句は言えない。

 

 

 

しかし、『生きたパンダ』を眼の前にしたら

欧米の学会も認めざるをえなかった。

 

 

 

それ以降、中国は日中戦争、国共内戦に文革と

パンダどころじゃない時代が続いて、

まともに保護と繁殖に乗り出したのは1970年代後半から。

 

それ以前にはおおっぴらに密猟があったし、

おおっぴらじゃなければ、いまでもこうやってある。

 

なかなか大変だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

毛皮があんな柄じゃなければ珍しがられなかったのに。

 

パンダにも、アルビノというのがいるはずだが、

そうなるとただの白熊だ。

さみしいだろう。

 

色黒なパンダっていないんだろうか。

 

 

 

 

恐竜は、あんな鉄錆びた色をしていなかったんじゃないか

という話がある。

 

化石では、毛皮の色がわからない。

ひょっとしたら、

パッションむらさきだったりしたんじゃないのか? 

アマゾンには、ピンクのイルカがいるのだ。

 

といわれると、まあそうかな、と。

 

実は、恐竜ががみんな白黒のぶちだったら、ちょっと楽しい。

 

0000darumesian    

 

 

 

 

 

 

 

『ジュラシックパーク』が、『101』だったかもしれない。

 

 

 

 

 

 

始祖鳥だって

あんなに荒鷲な色じゃなくて

らりほうな色彩だったんじゃないか? 

 

0000inko_2  

 

 

 

 

 

 

ハシビロコウみたいに地味な鳥だけではないぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

更に、海洋生物は

もっと派手な色彩だから、

ひょっとしたら三葉虫なんか、

すごく、すっとこどっこいな色だったかも知れない。

  

0000umiushi  

 

 

 

 

 

 

 

うーん。

こんな色だったら、食うのは嫌だな。

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の二枚。』

 

 

 

 

 

 

 

 

猫 ON 猫 

0000cat_on_cat 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いま、この猫が大人気。

なんだそうです。

 

 

 

 

ふーん

Cat4  

 

 

 

 

 

 

知らないわよ。

 

 

 

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2011年12月11日 (日)

気仙沼線の日

12月11日は気仙沼線が全線開通した日。

昭和52年のことだ。

(Wikipedia 気仙沼線)

 

       

 

 

 

 

 

『古さびた前谷地の駅には「祝気仙沼線開通」の

飾りつけがなされ、ホームには鼓笛隊が並び、

着物姿のお姐さんたちが花束を運転手に渡したりして

華やかであった。……

 

四分ほど遅れて9時54分に発車し、柳津に着いたのは

八分遅れの10時25分であった。日の丸をの小旗を持った

町の人たちが、ホームの端から端まで、

まるで密植された植物のように生え揃って埋めつくしている。…

駅前から一斉に風船が放たれる。…

 

陸前戸倉を発車すると、右手に志津川湾が現れ、

線路は高い位置からリアス式海岸の景勝を見下ろすようになる。

車内に歓声が上がる。

 

いよいよ悲願八十年の志津川に着く。

気仙沼線の中心駅だけに大きな新駅である。

しかし、広いホームに立つ人の数は意外に少ない。

そのかわり、サッカーでもやれそうな広い駅前広場は

びっしりと人間で埋まっていて、

思わず口を開けて見おろしたところ五千人以下ではない。

一万人くらいかも知れない。……

志津川町は人口一万七千だからまさに町を挙げてである。…

花火が打ち上がり、風船が何百と放たれ、

少なくとも百羽以上の鳩が飛び立った。……

 

次の清水浜と、その次の歌津はいずれも小さな漁港であった。

家が少ないからホームを埋めつくすほどの人はいない。

その代わり手足を動かすことができるから、

いろいろなことをやってくれる。……

 

焦げ茶色に日焼けし海風に鍛え抜かれたおばさんたちが、

花笠をかぶって一列に並び片足をあげて踊る。

なんだか申し訳ない気がする。

しかしその顔は嬉々としていて、駆り出されの翳りは微塵もない。

 

短いスカート姿の、

バトンガールのような女子高校生のチームもいる。

この少女たちが、

どうしてあのおばさんたちのようになるのかと思う。

 

東京の新聞には、また赤字線が増えたと

批判的な記事が載っている。…

難しい問題ばかりだが、

私には、駅頭で妙な踊りを踊る

日焼けしたおばさんたちの顔だけが、たしかなものに思われる。』 

 

 

(ここまでの引用。宮脇俊三、『時刻表2万キロ』 最終章より。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、気仙沼線の被災状況。

 

 

 

 

陸前戸倉駅

0000togura_st  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

志津川駅

0000shizugawa_st  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歌津駅

0000utadu_st_3  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宮脇先生は、昭和52年12月11日、

開業の日にこの路線に乗って、その興奮を記録した。

 

 

 

 

この鉄道敷設の理由、

そして、開通に際しての沿線住民の感動の理由は

 

『気仙沼線、とくに志津川町民による鉄道敷設の陳情は

明治三十年頃から始まっており、悲願八十年と言われる。

なにしろ三陸地方は津波が多く、

とくに湾口がラッパ状に開いている志津川町では

津波のたびに交通が途絶えて食糧が不足し、

鉄道への願いはいっそう切実だったという。』 

 

だったそうである。

 

 

 

 

 

ただ、三陸地方は地勢が険しく、

建設の進行は遅々とした。

 

『我田引鉄』の政友会が政権を取ると、ちょっとは進むが

反対党の憲政会が政権を取ると進まない、という事情もあった。

 

戦争が始まると、それどころじゃなくなり、

戦後はもっとそれどころじゃなくなり、

前谷地から柳津まで、気仙沼から本吉まで

南北から手を伸ばしてきた全線が

ようやくつながったのが、昭和52年のこの日。

 

国鉄の赤字が膨らんで、新線建設が凍結される状況で

滑り込みの開業でもあった。  

 

 

それが、地震と津波でこの被害。

 

 

 

写真はかならずしも、現況ではないが

現在も、前谷地-柳津間、55km

気仙沼線の北側、四分の三は不通のまま。

 

被害が大きかったことはもちろんだ。

津波が来るから鉄道を敷いたわけで、

地図を見ると、この路線はトンネルと橋ばっかりである。 

 

 

それを乗り越えて津波が来やがった。

 

 

 

 

 

 

 

もうひとつ、再開できない理由があって

この沿線の町は高台に移転するかどうか悩んでいる。

 

復興には鉄道が必要、ということで地元は一致しており

本音はよくわからないが、JRも再開の方向ではあるらしい。

 

ただ、町が移転するとなると

ただでさえ、秘境駅みたいなところがあったのに

もっと使いにくくなる。

 

大体、津波の被害にあった場所に

そのまま再建するのは危ないだろう。

ということで、先に進まない。

 

 

 

 

 

こればっかりは、よそ者があれこれいう事じゃないなあ。

 

しかし、『時刻表2万キロ』の愛読者としては

『あれほどの興奮で迎えられた鉄道が、

復活できないのか。』

と、複雑な思いを持つのであります。

 

 

うーん…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の一枚。』

 

 

 

 

 

 

 

昭和63年3月28日、千城台駅を出発する

千葉都市モノレールの、開業一番列車。

0000chiba 

 

 

 

 

 

 

 

すっげーさみしい。

 

 

 

 

 

ホームに誰もいない。

 

そんなに歓迎されてなかったのか?

そうか。

そうなんだ… 

 

 

 

 

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2011年12月10日 (土)

三億円事件の日

12月10日は『三億円事件』が起こった日。

(Wikipediaの記事へのリンク)

 

 

 

 

 

 

昭和43年のこの日、東芝府中工場に運ぶ従業員のボーナス

三億円を積んだ現金輸送車が、

白バイ警官を装った男に、車ごと奪われた。 

犯人はまんまと逃げおおせて、7年後に時効成立。

 

 

私ごときが解説する必要もないくらい、有名な事件である。

 

 

0000sannokuenn_2 

 

ふっふっふっ

 

 

 

 

『億』という単位の強盗事件は、これ以前にはない。

5年前に起こった『吉展ちゃん誘拐殺人事件』

身代金が50万円だったから、文字通り桁が違う。

 

犯人の社会的な階層も違っていたのだろうが

大卒初任給が3万円台だった時代である。

世間も、驚いた。

 

 

 

 

この事件は、発生から時効まで、その騒ぎを

リアルタイムに 体験しているので、よく覚えている。

 

 

ガキの頃は、体育帽を白にして、つばを後ろに回し

『三億円犯人。』なんてやったもんである。

 

 

長じてから建設会社に入り、

現場でヘルメットをかぶるようになると

インカムのようなものをつけて

『三億円犯人。』なんてやったもんである。

 

 

 

三つ子の魂って、アホだ。

 

 

俺だけか?

 

 

 

 

 

 

 

しかし今や、

会社の100億でカジノに行くバカボンがいるご時世だ。

金額で言えば、それほど驚かない。

 

ダルビッシュの入札価格が60億円だそうだから、

たったの『0.05ダルビッシュ』である。

 

もっとも、

私の月収は『1マイクロダルビッシュ』くらいだから、

ちくしょう、金欲しいなあ。

 

 

 

 

 

 

捕まえようとした側の記録、というのは

たくさん残っているのだが

あたりまえだが、犯人側の記録はない。 

 

単独犯か複数犯かもわからない。

 

 

 

あの時代に、バイクと逃走用の車を3台も用意する、

というのは、単独犯の仕業だと思えない。

しかし、複数犯だとしたら犯人グループが、

3億円の金を前に、沈黙を守れたとも思えない。 

 

神戸の元町で起きた『五億円強奪事件』

2人組の犯行だったのだが、犯人の一人が

別件で逮捕されて自白したために全容がわかった。

(ただしそいつは時効、もう一人は自殺した)

 

 

 

 

単独犯だとすれば、相当に頭のいい人物だと思うのだが

宝くじに当たった人間が、例外なく

『増えた親戚』と、『顔も覚えていない友人』に

むしり取られて不幸になってしまうように

周囲に知られないとは、到底思えない。

 

一体どうしたんだろう。

 

 

 

 

使ってこそ金だと思うが、どこかに預けたんだろうか?

 

いま、銀行の金利なんて鼻糞ほどもつかなくて

『超頑丈なたんす預金』でしかないのだが

バブルの頃は、普通預金で金利6%なんて時代があった。

 

ならしてみて2%の金利がついたとしても、

7年間で1割ちょっとしか増えない。 

 

商売でも始めたんだろうか。

 

 

 

『ビリオン屋』なんて屋号で商売をやっていたら面白いな、

というのを、今日の落ちにしようと思ったんだけど

そういうブランドが、ごろごろ出てきてびっくりした。

 

 

 

 

そんなに手広く商売をしているのか。

 

 

 

 

なんていうと、怒られそうだから止めておこう。

 

 

 

0000sannokuenn_3 

 

へい、らっしゃい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では『今日の二枚。』

 

 

 

 

 

 

2年前のジンバブエのお札。

0000jinbabue 

 

100トリリオンは

えーと、100兆ドル

 

 

とんでもないインフレのおかげで、こんなお札が出来た。

公定レートで2万5千円くらいだったらしいのだが

闇レートでは、鼻紙以下。

 

(プリントしてもいいけど、いまはデノミが行われてお札が変わってます。

そもそも日本じゃ使えないしな。)  

 

 

 

 

 

 

インドの『0ルピー札』

0000_0rupi 

 

 

 

 

 

賄賂を要求されたら、こいつをそっと握らせて

そのまま逃げちゃえ、というフェイクのお札。

 

ばれたらよけい危ないんじゃないか?という気がするが

3億円事件の現金輸送車が、こんな札を

積んでいたらどうなっただろう。

 

事件なんか起こらずに、

そのまま東芝の工場に着いちゃって

ボーナスとして配られたら面白かったのに。

 

 

 

 

 

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『ビリオン』は10億です。念のため。

 

『モンタージュ写真』なんていう言葉を知ったのも、

この事件からだったな。

ただし、このヘルメットの少年は、

真犯人でもなんでもないんだそうです。 

へー。

 

 

 

 

 

 

 

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2011年12月 9日 (金)

今年の流行語は『あの言葉』じゃないのか?

今年を表す『創作四文字熟語』が発表された、というニュース。

(住友生命のウェブサイトへのリンク)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『優秀作品は、なでしこジャパンの活躍を顕した

「才足兼美」(才色兼備)だそうです。』

 

『へー…』

 

『あとは、今回の地震での『帰宅避難者』を表現した

「帰路騒然」(理路整然)、とか。』

 

『この辺の「東京発想」が腹が立つ。』

 

『ホームレスに哀れを恵んでもらっても、

「あら、乞食が殊勝で生意気ね」とか言うのが新聞です。』

 

『あの文章は本気で腹が立ったからな。』  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『節電の夏で「電考節夏」とか。』

 

『電光石火?』

 

『「日本の夏、節電の夏。」なのは

今年に関しては、意味がわかりますけど。』

 

『「でんこぶっとばす」、で

いいんじゃないか?』

 

 

0000denko11_2  

 

 

いや、それ

四文字熟語じゃないし

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ほかには愛円義援。一松懸命』 

 

『合縁奇縁なんて、今の若い奴、わかんねえぞ…』

 

『なんか、よそよそしいラインナップですよね…』

 

『それはお前、こういう「発表」には、作為があるからさ。』

 

『…作為?』  

 

『大体今回の「創作熟語」にしても、

先日の「流行語大賞」にしても、

この言葉が出ないのはおかしいだろう。』

 

 

0000nejisiki_2  

 

 

 

メドはどこだ

 

 

 

 

 

 

『これだけ、有名な台詞なのに、

流行語大賞では「ラブ注入」。』

 

『日本人舐めてんのかって思ったね。』

 

『なんか。いろんな大人の事情を感じます。』

 

『先週の「流行語大賞」が「思惑満載」なのはしってたけど、

今回の「創作熟語大賞」でも、見事に無視されているあたりで

腹が立った。』

 

『長生きできませんな。』 

 

『この、釜キャラの所属事務所が

意外に強い力を持っていた、ということも驚きだったけどな。』

 

『定着すると思いますか?』

 

『E電以下で消えていく方に百万点。』

 

『僕は「まるもり と一緒に消えていく。」に、三千万点。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の「今年の漢字」。』

 

 

 

 

 

 

 

 

『来週「今年の漢字」が発表されるらしいです。』

 

『やっぱり、こうあるべきだよな。』

 

0000kanji   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たぶん『絆』とかうそ寒い言葉が選ばれるんだろうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2011年秋、引退してやっと、お遍路を始めた、菅前総理。

0000kahn  

 

 

 

 

 

『メド』なんか忘れたかのごとき

すがすがしい笑顔が、とても嫌。

 

 

あんたが辞めても、

まだ立ってねえぞ、メド。

 

 

 

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今日の反省

 

怒りにまかせて文章を書くのは止めよう。

公開する前に読み返そう。

歯を磨こう。

宿題やろう。

こういうことを書くから、

真面目じゃないって怒られるんだって、思えってば。

 

 

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2011年12月 8日 (木)

真珠湾とプロパガンダ

12月8日は真珠湾攻撃の日。

今年は70周年。

(Wikipediaの記事へのリンク)

 

 

 

 

 

 

 

真珠湾攻撃をめぐる日米の様子。

 

NBCホノルル放送の、『ディスイズ…ノードリル。リアルウォー。』 

っていう淡々とした音声に実感がある。

 

それぞれの議会で演説する、東条英機とルーズベルトと

どちらの演説が上手かは、いうのも残念。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本海軍の ほぼ全力、空母6隻に艦載機350機が

アメリカ太平洋艦隊の根拠地、ハワイの真珠湾を襲った。  

 

これで、アメリカ太平洋艦隊の戦艦8隻は全滅。

 

 

 

大勝利だった。

 

 

 

この戦争の結果を知っているから、後世の人間は

 

『空母を取り逃がした。』

『石油タンクを空襲しておけば。』

『沈めたはずの戦艦だって

6隻は現役に復帰したから、あんな攻撃無駄だった。』

 

なんて、賢しらにいう奴がいるが

日米の生産力の差なんて、政府も

山本五十六もわかりきっていたはずで、

時間が経てば、数倍の力で復活してくることは想定のことだった。

 

 

とりあえずアメリカを止めておけ、と。 

 

この作戦は、とにかく勝ちは勝ち。

 

ただしこれから、3年8ヶ月に及ぶ、

地獄の太平洋戦争が始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

この攻撃は完全な奇襲で

当事者もびっくりするくらい完璧に成功したから、

アメリカをうろたえさせた。 

 

その証拠に、アメリカの太平洋艦隊司令長官キンメルは

直後に更迭されている。 

 

しかし、一瞬うろたえたアメリカは一枚上手で

この攻撃で、勝利を確信していた。

 

ルーズベルトは、この攻撃のおかげで

対日参戦が出来ることにガッツポーズし

半年後に、原爆開発計画を発動する。

 

 

 

 

 

 

 

 

さらに、アメリカの恐るべき所は

日本が宣戦布告をしなかったことを取り上げて 

『リメンバー・パールハーバー』の

大キャンペーンをやったこと。

 

これにより、モンロー主義を引きずって

参戦をためらっていた世論を

一気に第二次大戦に引き込んだ。

 

更に、中国もイギリスもオランダもオーストラリアも

単独で日本と戦う力はなかったから

アメリカが、明確な戦意を示したことは重大だった。

 

日本は広大な地域を占領したが、

そこでの支持を得ることも出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

『リメンバー・パールハーバー』には

『ニッポンがだまし討ちした。』という意味がある。

 

『ちゃんと戦ってれば、

イエロー・モンキーなんかに負けなかったんだからねっ。』

という、負け惜しみにしか聞こえないのだが

そう言わせてしまったのは、日本国外務省のミス。

 

アメリカに対する『最後通牒』を、

事前に手交出来なかったのだ。

 

ワシントンの日本大使館の館員が

暗号電文の解読と浄書に手間取ったから、とされている。 

 

真珠湾の攻撃開始から一時間後に

最後通牒を受け取った、国務長官コーデル・ハルは

それを届けた駐米大使の野村吉三郎を、口を極めて罵った。

 

 

 

 

 

Wikipediaは、よほど外務省シンパの人が投稿しているらしくて

この駐米大使館の失態に寛容だ。曰く、

 

『どうせ暗号は解読されていたからいいじゃん。』

『宣戦布告しない戦争なんて、いまでもあるもん。』

『前日にパーティーがあったことは確かだけど、

みんな酔っぱらっていた訳じゃないからね。』

と、うるさい。 

 

 

 

結果として、ルーズベルトはこんなキャンペーンを始めた。

 

0000remenber_2 

 

 

 

星条旗は逃げない。

真珠湾を忘れるな。

 

 

 

 

 

 

 

『外交』って、なにか交渉で成果を得ることだけではなくて

こんなふうに敵に付け入らせたら、駄目だと思う。

 

駐米大使の野村は、戦後公職追放になるが、

松下幸之助に見込まれて日本ビクターの社長になり

公民権が復活すると参議院議員になった。

 

タイプが間に合わなかった駐米大使館員の

井口参事官や奥村書記官は、戦後、

外交官の最高位、外務次官にまで登りつめている。

井口の息子も外交官で、特命全権大使を拝命した。

 

本人がどう思っていたか、知りたくもないが

それぞれの戦後は栄達に包まれている。

 

 

外務省が、この時の不手際を認め、

『ごめん、ちょっと悪かった。』と、

ふて腐れながら謝ったのは、呆れたことに1994年。

 

舐めてんのか、お前ら?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本のプロパガンダがどんなものだったのか、

というと お粗末な次第。

 

『日本を中心としたアジア新秩序』という

大義らしきものを作って、傀儡と面従腹背の

アジア代表を集めた『大東亜会議』を開くのは

真珠湾攻撃から2年後の昭和18年末。

 

いいかげん、負け越してきた頃だ。

 

 

 

0000sensou3中央が東条英機

得意の絶頂、ではなく

この写真の2週間前、

学徒出陣の壮行会で

檄を飛ばしている 

 

 

いくらなんでも、遅い。

 

 

 

 

 

戦争はよくないことだとは思うけど、

やるならやるで、もっとうまいやり方があったと思う。  

 

駐米大使館の失態だけじゃなく

山本五十六はミッドウェーで、

真珠湾の成功を台無しにするような敗戦をして

その後、自殺しにいったとしか思えないような

最前線視察をやって戦死した。

 

軍も政府も、玉砕や特攻や住民自決までやらせて

あそこまで粘ることはなかったのに。

国中を焼かれて、

原爆を落とされるまで、負けを認めなかった。 

 

 

 

 

 

 

勝っているうちは、止められない。

負けが込むと、さらに止められない。

というのはパチンコも戦争も同じだ。

 

 

そして、やっぱり日本って宣伝が下手だ。

 

 

なにも世界中と戦わなくてもよかったのに。

 

アジアの、どこの国も味方に出来なかった時点で、

日本に勝ちはなかったのだなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の真珠湾。』

 

 

 

 

 

 

真珠湾攻撃を記録した『カラー映像』

 

 

 

 

 

 

 

貧乏な日本が、貴重なカラーフィルムで

映像を残したのは宣伝のため。 

0000sinjuwan 

 

開戦一年目の

国策映画

 

 

 

この映画の特撮監督は、ゴジラシリーズの円谷英二。

YOU TUBEの画像の一部も、この映画のもの。

どこまでが特撮かわからない、というすばらしさ。

 

ただし、配給まで一年もかかっていては駄目で、

昭和17年末といえば、既にミッドウェーで負け

ガタルカナルで絶望的な負け戦が始まっていた。

 

 

 

 

これも、リメンバー・パールハーバーキャンペーンのひとつ。

戦時公債の募集ポスター。

0000remenbetr 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

出っ歯に眼鏡は、日本人を表す記号表現。

『平和』を掲げながら、背中からナイフを刺す卑怯者。

 

何故日本人がナチスの鍵十字をつけているのかは、

えーと、悪い奴のシンボルっていう事なんだろうなあ。

 

 

 

 

 

 

対して日本のポスター。

0000sensou2  

 

飛行機の油になるので

ヒマを育てよう。

 

 

ヒマってなんだ?と思ったら、こんな草だそうです。

 

 

うん、日本負けるわ。 

 

 

 

 

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2011年12月 7日 (水)

平清盛と福原京

来年の大河ドラマは『平清盛』だ、という話。

(NHKの公式ホームページ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『こけるだろうな。』

 

『そうですか?』

 

『大河ドラマには、

「信長以前の物語はこける」、という鉄則がある。』

 

『実際、戦国以前という事だと、

50回の歴史で義経と将門と清盛しかいないんですよね。』

 

『平安貴族なんて人間のくずだ。』

 

『またそういうことを…』

 

『だけどこいつは、11歳で官位を貰って、殿上人だ。

しかも、19歳で肥後守っておかしいだろう?

あの腐れた時代には、中央政府が

機能していなかったって事だよな?』

 

『まあ、土佐日記なんてのも、女と ひらがなと高知県を

馬鹿にした話ですしねえ。』

 

『あんな奴、怨霊に祟られてもちっとも同情できない。』

 

『でも、清盛が主人公なら、神戸が舞台になりますよ?』

 

『ああ福原宮?』

 

『清盛が都を置こうとした…』

 

『でも遺構なんか何一つないぞ?』

 

『ないですねえ…』

 

『「神戸 福原」で検索したら、

あらゆるアプリが

君をソープ街に連れて行こうとする。』

 

『それはそれで面白いですけどね。』

 

『あの街に、カメラを持ったおばさんが山ほどやってきて、

本来の目的でやってきた、おっさんに

「あら、あんた止めときなさいよ。」とか言って。』

 

『ソープ嬢にも「あら、あんた辞めときなさいよ。」って。』

 

『……』

 

『……』

 

『…殴られるな。』

 

『そうですか?』

 

『ここで、真面目なお知らせです。

福原のソープ街をひやかしに行っても安全ですが

カメラはしまいましょう。

撮影なんかもってのほかです。

本気で殴られる危険があります。』

 

『客引きのおっさんなんか怖そうですもんねえ。』

 

『客引きは100%暴力団だが、

彼らが素人に手を出すことは、まずない。

怖いのは客で来る奴とソープ嬢だ。』

 

『ああ…』

 

『「女のため」に金とリピドーを溜めてやってくる連中と

「金のため」に春をひさぐ女は、

写真を撮られることを極端に嫌う。』

 

『まあ、家族に知られたらただじゃ済まないですね。』

 

『ストリートビューが、客引きのおっさんを全員消しているのは

ある意味素晴らしいぞ。』

 

『殴るのは犯罪ですが、殴られても文句は言えない、と。』

 

 

 

 

 

 

 

『遺構らしいものといえば、兵庫の清盛塚と

湊山小学校にある「雪見御所の碑」くらいだが…』

 

『小学校じゃ、ふらっと入るわけにもいきませんしねえ。』

 

『入った所で小学校だしな。

でも、とんでもない坂の上だから景色はいいぞ。

「清盛もこの景色を見たのか」と思えるかも知れん。』

 

『ああ、地形は同じですもんねえ。』

 

『いや、全然違う。』

 

『へ?』

 

『海が埋め立てられてるのはもちろん、

本来足許を流れていたはずの湊川は

付け替えられて位置が変わっているし。』

 

『ちょっとは宣伝しましょうよ。』

 

『俺がへそ曲がりなのは知ってるだろ?』

 

『知ってますよ。』

 

 

 

 

 

 

『清盛も愛用したという

平野にある湊山温泉はおすすめだけどな。』

 

『でも、名建築だった

天王温泉はなくなっちゃいましたもんねえ。』

 

『路地の奥にあって、駐車場がなかったのが敗因かなあ。』

 

『客よりもたくさん従業員がいたせいかもしれません。』

 

0000tennouonsen2 

検索すると、

写真がざくざく出てくるんだけど

ろくな奴がないのは立地のせい。

 

 

 

『なんで清盛は神戸に都を置こうとしたんでしょう?』

 

『京都はいやだけど、

あんまり遠くに行くと影響力が落ちる。

瀬戸内は平家の地盤だし、兵庫はいい港だ、

という事らしいが。』

 

『あのまま、あいつが頑張ってくれてたら、首都だったのに。』

 

『そうなれば褒めてやったのに。』

 

『ねえ…』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の天王温泉。』

 

 

 

 

 

 

 

天王温泉の現在。

0000tennnouonnsen 

 

 

 

 

 

 

 

なんだか史跡のようになっているが

十年前まで風呂屋だったのだ。

もちろんエッチな風呂屋ではない。

 

 

 

 

 

 

すぐ近所には『湊山温泉』というのがあって

こちらは、現在も営業中。

0000minatoyamaonsen 

 

 

 

 

 

 

 

ここには駐車場もあるのだが

やっぱり路地の奥なので、車庫入れには

かなりのテクニックが必要。

 

 

朝からやっているので、朝に行くと

ご近所のお年寄りが 入っている。

 

『入っている』どころではなく、大人気で

『じじいが湯に入っている。』のではなく

『じじいの間に湯が入っている』

というくらいの密度だったりする。

 

 

でも、おすすめです。 

 

 

 

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2011年12月 6日 (火)

フェラーリ事故とリミッター

東名高速でスピードを出しすぎた、フェラーリをはじめ

十数台が事故、喪失額は数億円。(読売)

 

 

 

 

 

 

00000zamaa   

 

ざまあ 

 

 

 

 

 

 

 

 

『この不景気な世の中、なんて心温まるニュースだろう。』

 

『しかし、巻き添えにあった車もいるらしいから、

いい迷惑、ではありますね。』

 

『でも、やっぱりスピード違反だっただろう。』

 

『大体150km/hくらい出していたらしいと。』

 

『150km/hで制御できなくなるとは、

とんでもない下手くそだ。

昔は、東名を200km/hで走ってくる馬鹿がいたぞ。』

 

『でも、混雑しているでしょう。』

 

『パッシングしながら、走ってくるんだよ。

しかも、右ウィンカーを出し続ける。』

 

『右ウィンカー?』

 

『たぶんいまの人には通じないと思うんだけど、

「追い抜くから、どけ」って言う意味だ。』

 

『腹立ちますねえ。』

 

『サービスエリアでぶん殴ってやろうかと思っても、

速いからな。

こっちが海老名で停まる頃には東京に入ってやがる。』

 

『むう…』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『しかし、こんな事がニュースになると、

また、中途半端な正義感を垂れ流す厚労大臣あたりが

「スポーツカーなんて社会の毒」とか言い出しかねませんね。』

 

『「社会の無駄」なのはいいけど、

無駄だから、楽しいんだけどなあ…』

 

『…うーん…』

 

『最近の車には、

「スピードリミッター」ってついているんだろうか?』

 

『なんですか?それ。』

 

『むかしの車は180km/h以上の速度が出せなくなるように

燃料をカットするリミッターがついていたんだ。

(輸出仕様車は別)

 

『どうなるんですか?』

 

『知らない。』

 

『え?…』

 

『俺が乗ってきた歴代の車は、

そんなスピードは出せなかったからな。』

 

『むかしの車は、遅かったですよねえ…』

 

 

 

 

 

 

 

 

『さらに、むかしの車は馬力にも自主規制があった。』

 

『255馬力以上は出せない、という。』

 

『いまは、そういう規制がなくなっている上に

昔でも、輸出仕様は別だ。』

 

『嘘つきですねえ。』

 

『……』

 

『……』

 

『でもな。』

 

『はい?』

 

『今回の事故にしても、

スポーツカーが全力を出せる道路なんて

日本にはないわけだ。』

 

『ドイツには、速度無制限のアウトバーンが…』

 

『いまではアウトバーンにも速度制限がつけられたし、

環境税って事で有料道路になった。』

 

『ヒトラーもびっくり…』

 

『スポーツカーなんて、無駄と言えば無駄なんだけどね。』

 

『でも、こんな馬鹿どもがいるようなら

規制しろっていう動きが出るんじゃないでしょうか。』

 

『そのあたりの世間の雰囲気に迎合して、

エコカーだ。

ハイブリッドだけどスポーツカーだ、

なんていうのは自己矛盾で、

自らを否定することになると思うんだけどなあ。』

 

『ちょっとはチャールズんとこを見習え。って思いますよね。』

 

『まあ、車が売れなくなって

トヨタがドラえもんをCMに出してまで

買ってくれって時代だから、

規制とか、政治の流れにはならいだろうが…』

 

『それはそれで、

問題があるんじゃないですか?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の自動車。』 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガチャピントラック

00000gachapin_car  

 

 

 

 

 

 

 

かわいい。

けど、

この車に煽られたら、すごい腹立つ。

 

 

 

 

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2011年12月 5日 (月)

マリー・セレステ号の日

12月5日は『マリー・セレステ号』発見の日。

(Wikipediaの記事へのリンク) 

 

 

 

 

0000mary  

 

アルコール運んでたんすよ

 

 

 

 

 

イギリスの貨物船だったこの船が

無人のまま漂流されていたのが発見されたのが

1872年の12月5日。

 

積荷は無傷なので、海賊ではない。

当時、暴風雨はなく、この船も

帆や、舵などは失われていなかった。

 

忽然と、乗員だけが消え失せていた。

 

 

 

 

 

 

 

『人間消失事件』の典型として

いまでも、子供向けのオカルト本に載るような事件だ。

 

 

『人間消失事件』というのは珍しくない。

 

牧場で手を振っていたおっさんが

衆人環視の中で足許から消えた、とか

『水をくんでくる』といった少年が

新雪の平原で足跡も残さず消え失せた。とか

たくさん、ある。

 

バミューダトライアングル、なんていう所では

飛行機も船も、ごろごろなくなっているらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

マリーセレステ号事件は

有名になって、小説にも映画にもなった。

脚本がたくさんある。

 

 

その時使われたエピソードのひとつが

『朝食がそのまま残されていた。』というもの。

 

脚本によっては、『スープが温かいままだった。』という。 

 

なるほど…。

 

この事件の原因はUFOだの四次元だのミュータントだの

興味がある奴にとっては大騒ぎだ。。

 

平和だなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ここが、店主と客がいなくなった、ラーメン屋か?』

 

『…はい…』

 

『どういう状況だったんだ?』

 

『作っているマスターと、客が一人いなくなっています。』

 

『…むう…』

 

『カウンターの中には火にかけたままの、スープの寸胴鍋。

そして、カウンターには食べかけのラーメン。』

 

『…ほう…』

 

『しかも、そのラーメンは、

まだ『バリカタ』だったそうですっ。』

 

『食ったのか?』

 

 

 

 

 

 

 

 

食事をそのままに、ひとがいなくなる。という事件は

つい最近でも起きた。(象印副社長誘拐殺人事件)

 

幸か不幸か、この事件に関しては

遺体が出たので『殺人事件』と断定されたが

朝食中に拉致されたらしく、食堂には

摂りかけの朝飯があったのだという。

 

へたをすれば、21世紀の『マリーセレステ号』事件に

なっていたかも知れない。

 

 

 

 

UFOや四次元を信じた方が、

人生は楽しくなるような気がするけど、

実際の結末は、こんな『事件』だったりするんだろうな… 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の「世界の朝食」。』

 

 

 

 

 

 

マリー・セレステ号には『朝食』が残されていた、

という話は与太話だと思うが

外人がのびた麺が好き、というのは事実だ。

 

 

 

 

たとえばイギリスには

『スパゲッティの缶詰』というのがある。 

0000supagettexi  

 

 

 

 

 

 

 

缶の値段のほうが高いと思うんだけど

ゆでて、ミートソースに和えた奴を缶詰にした。

 

 

 

どう考えてもぐずぐずに延びる。

 

 

 

どうやって食うんだろうと思ったら、

イギリス人は、このぐずぐずを

パンの上に乗せてトーストして朝飯にするのだ、という。

 

 

 

炭水化物 ON炭水化物。

 

 

 

 

うへえ。まずそう。

 

なにを考えているんだ、と、よく考えたら

日本の『天ぷらうどん』も似たようなもんだった。

 

 

0000twnnpura   

 

 

 

 

 

 

 

 

小麦粉ON小麦粉。

 

 

 

 

 

 

000miki  

だから、

ごめんなさいって

言ってるじゃない。

 

 

 

 

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うん、見事に脈絡がない。

そして、タンパク質と炭水化物を間違えてるし…

 

 

 

 

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2011年12月 4日 (日)

『坂の上の雲』に関しての70年代的感想

12月4日から、『坂の上の雲』の最終シリーズが始まる。

(NHK『坂の上の雲』公式ホームページ)

 

 

 

 

 

 

 

足かけ三年という、『連続テレビドラマ』史上空前にして

おそらくは絶後の、気の長さ。

 

これだけ、放映期間が長いと

事故で死んじゃったり、病気で死んだり、

不祥事を起こしたりする奴がいないのか?と、

人ごとながら心配してしまうが、

さすがはNHKの選んだ出演陣、

一人の脱落者も出さないのは、大したものである。

 

テレビドラマの方は、これから1ヶ月、

じっくりと楽しませて貰おう。 

 

 

 

 

 

 

 

 

小説の方の『坂の上の雲』を、はじめて読んだのは

20年くらい前だっただろうか。

 

文庫本でも8巻もある大作なのだが、

1日1巻の割で一気に読んだ。

そして、今日に至るまで何十ぺんとなく読んだ。

 

 

 

 

 

 

司馬遼太郎の筆力に圧倒されたのもあるが

私が、この戦争についてなにも知らなかったことも事実だ。

 

新鮮だった。

 

 

 

 

なにしろ日本が勝つのだ。

 

我々が、学校に行った時分には 

日本というのは弱くて、負けて負けて負け越して

しかも、日本は悪者で、

あらゆる都市が焼き尽くされていたのは天罰だと。

そう、教え込まれていた。 

 

  

旅順で勝ち、奉天で勝ち、そして日本海で勝つ。

後述するように、いろいろと複雑な思いは抱くのだが

日本が勝てば、単純に嬉しい。  

 

 

 

 

 

 

 

 

私が義務教育を受けたのは70年代。

しかし、『この戦争』を、まともに教わった記憶がない。

 

小学校、中学校の先生は熱心で、

いまでも尊敬できる人たちなのだが

この戦争について触れてはくれなかった。

 

高校の教師は、もっといいかげんで

『明治以降は、各自よろしく』という感じ。

近現代史は入試に、出なかったのだ。

 

しかし、それ以上に世間の雰囲気があった。

 

ベトナム反戦、ラブアンドピース…

世代にもよるだろうが、あの時代、

ガキどもは、いまよりも、はっきりと、『左側』にいた。

 

 

 

 

 

そこに、この小説である。

『日露戦争は、祖国防衛戦争であった。』

言い切ってしまうこの小説は、新聞に連載された。

 

連載されたのは産経新聞。

期間は昭和43年から昭和47年。

 

70年安保の、ど真ん中だ。

 

 

 

 

 

 

 

いい度胸である。

 

よくもまあ、あの時代に、というか、

安保にぶつけるかのように、この小説を連載するか?

と日本中が思った。

 

『さすが産経、ウルトラ右翼。』、と。

 

 

いまでも新聞にはそれぞれ『立ち位置』というのがあるのだが

40年前の、あの時代の新聞社は、そういう体臭を隠さなかった。

 

だから、司馬遼太郎は、あの小説を連載できた。

私が、中学生くらいの時

『司馬遼太郎なんて右翼だから読むな。』と

したり顔で言う、大人が複数いた。

 

その一方で『怒りの葡萄』のスタインペックは

とんでもない左翼だから、読むな、というひともいた。

もちろん同一人物ではない。

 

そういうバランスのいい教育を受けていても

受け取る側がへそまがりだと、この日記のように腐り果てる。

 

 

 

 

ただし、勘違いするひとがいてはこまるのだが、

私はここで『自虐史観』の話をするつもりはない。

 

歴史にはいろんな見方がある、ということを学んだ。

それが、新鮮だった、ということ。

 

 

 

ただしそれは、司馬本人の不安でもあった。

 

 

 

司馬遼太郎自身、この小説が映像化されることを

拒絶し続けていたらしい。

 

思想性を帯びる、と。

 

 

戦争映画と言えば、勧善懲悪であり

ニッポン頑張れの『トラ・トラ・トラ』であり

肩を組んで軍歌を歌うのは、従軍経験のない中途半端な

年寄りばかりだった時代だ。

 

自身の労作が、とても冷静に評価される時代ではない

と思っていたのだろう。

 

司馬遼太郎自身は、太平洋戦争末期に陸軍に徴集され

弱体の戦車科に配属された。

だから、この人は実体験を元にして旧軍を痛烈に批判している。

 

この小説の後書きでも、それ以降の文章でも

『日露戦争以降、日本軍と日本帝国は変質した。』

ということを繰り返し言っている。

 

けっして、右翼でも民族主義者でもない。

 

そうは言っても、何故司馬遼太郎が、この時期を選んで

こんな挑戦的な小説を発表したのかは、

本人が書いた後書きを読んでも、私にはよくわからない。

 

 

 

 

 

 

 

しかし、『司馬史観』と呼ばれる、バランス感覚が評価された。

いまでは、司馬遼太郎の『坂の上の雲』といえば国民的小説だ。

こうやって、NHKのドラマにさえなった。  

 

 

『坂の上の雲』という小説は、いまや

日露戦争に対して何か言う以上、 

否定するにせよ、肯定するにせよ、

かならず触れなくてはならない

基本書典となった。 

 

それだけの迫力がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、我々は

あの時代、酒を飲んで、肩を組んで軍歌を歌う

おっさんと付き合わねばならなかった。

 

日本中に護国神社というものがあり、

そこには『日露戦役戦没者慰霊碑』といった

他を圧する、巨大な石碑が建っていた。

 

もちろん、そういうものを侮辱するような事はしなかったが

なんとなく頭を下げるのを遠慮する。 

 

そんな時代だったのだ。

 

 

 

我々の世代は、そういったものを、意識しない程度の質量で、

『重たくて疎ましい。』と思っていた。

 

『思想』として蒸留されるほどのことはなく、

ただ、漠然とした、『気分』として

『日露戦争』に触れるのはめんどくさい、という雰囲気があった。

 

もっとも、それは『時代』であって、

朝日が偉いとも、産経がいい度胸、だとも思わない。

 

 

 

 

 

そういう意味で、司馬遼太郎は

すさまじい根性を持っていたと思う。 

そして、結果として評価されている。

 

あのまま、歴史が真っ赤に染まっていれば司馬遼太郎など、

火野葦平以下の評価しか受けなかっただろう。 

 

 

 

 

歴史の評価なんて、本人の努力とは別の所にある。 

 

こうやって、国営放送がこのドラマを映像にしたのは

民族の成熟なのだと信じたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の70年安保。』

 

 

 

 

 

 

『坂の上の雲』の連載が始まった

昭和43年に起きた、『新宿騒乱事件』。

 

左翼による計画的暴動。

ベトナム反戦が表向きの理由だが、世間は、いい迷惑で、

こんな事ばっかりやっていたから左翼は支持を失っていく。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1970年に発売された、『軍歌集・陸軍編』

0000gunnka  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『正調』 日本軍歌集 陸軍編

 

 

だから、そういう時代だったんだよ。 

 

 

 

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2011年12月 3日 (土)

ラッキー・タワー

『ニイタカヤマノボレ』を送信した、とも言われる

佐世保市針尾島の、旧海軍送信所の通信塔が

恋愛成就のパワースポットになっている、というニュース。

(読売新聞の記事へのリンク)

















『ニイタカヤマノボレ』は、

真珠湾攻撃を指令する暗号電文。

針尾島には海軍の通信所があった。



いまでも、その当時の巨大な通信塔が3本残っており

見る位置によって2本に見えたりする。



千住火力発電所の『お化け煙突』みたいなものだが

そこで祈ると、恋が叶う、というお話。



なんで通信塔が恋のパワースポットなのか?

脳みそが痒くなるような、話のつながりのなさだが

この通信塔は高さ140m。しかも3本。











いったい何故、こんなものが残っているのだろう。







残そうと思って残っている『廃墟』はない。




壊されないから、あるいは 

壊す金がないから残っているだけ。



歴史の偶然だ。 









たとえば、エジプトのピラミッドのてっぺんには

金箔を貼ったキーストーンがあったのだが

王朝が滅びると、あっさりと盗まれて、いまはない。 



ピラミッド本体の石も、だいぶ盗まれちゃって、

跡形もなくなっている奴がいくつもある。

クフ王のピラミッドが残っているのは、でかすぎたからだ。




軍艦島でも、碓氷峠の煉瓦橋でも、

残されたのは、貧乏と気まぐれと、ものぐさのおかげ。

後になってから、その価値に気がついただけ。















この、
針尾送信所は1922年に竣工した。



海軍の通信というのは、水平線の彼方まで

飛ばさねばならないので、電波は長波を用いる。

針尾島では高さ140mの通信塔を

1辺300mの正三角形状に3本建てて、間に架線をかけた。 


3本でひとつの通信施設なわけで、

こういう巨大送信所は、ほかにもある。







例えば船橋送信所

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丸い道路が送信所の跡














ただ、船橋送信所の通信塔は、鉄塔であったために

用が済むと、とっとと解体されてしまった。

いまは、地図を見て、『この丸い道路はなんだろう』と思うだけ。

中山競馬場に行くひとで、ここを偲ぶ人は、まずいない。















針尾島の送信所は、鉄筋コンクリート造だから

『めんどくせえや。』と、壊されなかった。 

現在も、海保の送信所として所管されているのは事実だが

衛星通信が実用化されて以降、基本的にただの筒だった。




地元の人には、『変な煙突』くらいに思われていたらしい。

ただし、びっくりするくらい巨大なので目立つ。

パワースポットにされてしまったのも、

そういった理由なのだろう。











ところが、こいつの竣工年の1922年というのは

関東大震災よりも前で、その時代に

これだけ巨大なコンクリート構造物があったというのは

ちょっと、海軍の心意気を感じる。






鉄で作る自信がなかったんだな、とも思う。






そうは言っても、海風にさらされて築90年なわけで、

中の鉄筋は錆び尽くしているだろう、と調べたら意外に頑丈で、

保存も容易。観光にも耐える。

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90年前のコンクリートとは思えない













現在では、

構造物としてはもとより、そんな歴史的な価値も認められて

来年をメドに、めでたく重要文化財に指定されるらしい。







恋愛スポット、うんぬんはどうでもいいけど

数奇な運命の塔だなあ、と思うのであります。




そして幸せな筒だ。



恋はどうでもいいが、願いは叶うかも知れない。


























では、『今日の新高山。』













ちなみに『新高山』というのは、現在の台湾の玉山

標高3952mのこの山は、戦前では富士山より高い

『日本一の山』だった。


0000yuisyann

富士山みたいに 

火山なのかと思ったら 

岩山だった。








そういえば台湾は 大理石の名産地でもある。













玉山は、台湾でも人気の観光地。

手軽に見物に行くには、阿里山鉄道が便利。 

これを敷いたのは戦前の日本で、木材を運ぶためだった。




戦後廃線になってもおかしくなかったのだが

玉山観光のおかげで生き残った。


0000shey

日本領時代に使われていた 

シェ―型機関車。 

釜が偏った不思議な汽車 






険しい山を登るために、スイッチバックに三重ループ線、という

鉄ちゃんならずとも、一度は乗ってみたい、この鉄道は、

険しいが故に、台風で木が倒れて、土砂崩れで路盤が埋もれて

2011年現在、運休している。

さらに、山岳道路の開通で復活できるかどうかも怪しいらしい。



滅びそうだとなると、いとおしいな。

がんばって欲しい。



この鉄道が、

玉山観光の唯一の手段だった時代については

宮脇俊三の『台湾鉄路千公里』が、たのしいです。








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市長辞め、知事に落ちたらまた市長

もう、タイトルの通り。

 

大阪府池田市長だったのに、任期のほとんどを残して辞め、

先日の大阪知事選に出馬して惨敗した倉田薫氏が

てめえが辞めたおかげで行われる池田市長選に

色気を示している、というニュース。

(毎日放送の記事へのリンク) 

 

 

 

 

 

舐められたもんだなあ、有権者。

 

 

 

 

 

あんまりプライベートなことは書きたくないのだが

かつて池田市民だったことがある。

いい街だ。

 

あそこの住民が、常識的な鉄槌を下すことを期待しよう。

 

 

 

0000kurata  

 

落選したから市長は僕

 

 

 

 

 

橋下さんのような、『俺を認めるのかどうか?』と

迫ってくる態度も暑っくるしいが、このおっさんのように

『ちょっと浮気したけど、やっぱりここがいいんだ。』

というのは、50年前くらいの日活映画ならともかく

21世紀の大阪で、ねえ。

 

 

 

 

『橋下流』に反発して、知事選に出たことまでは批判しない。

ひとんちの事だし、知ったこっちゃない。

 

でも、『落ちたから、また市長』っていうのを

あのインテレな街の住民が許すだろうか?

 

 

 

 

さすがに、支援者にも反対する人たちがいるらしいので

出馬するかどうかまだわからないのだが

出馬なんかしたら、ツイッター大炎上であろう。 

 

『貴様、選挙費用をどう考えておる。』と。 

 

貴様が辞めたおかげで行われる、

今回の市長選の費用もただじゃない。

とんでもない無駄金だ。

 

それを払って立候補するなら、ちょっとは認めてやるが

それはそれで犯罪なのだ。

 

 

 

 

 

なんだろうね、この常識のなさ。

 

これ以上書くと、すさまじい悪口に墜ちていき

自らのプライバシーを

だーだー垂れ流しそうな気がするので止めておこう。

 

頼むよ、池田市民。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の一枚。』

 

 

 

 

 

 

 

民草

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彼の目から見たら、民百姓など、

この程度に見えているのだろう。 

 

 

 

 

おまけ

 

 

 

 

谷亮子議員が、初登庁の時のヘアメイク代

52500円を『政治資金』として、

国民に払えと言って来やがった、というニュース。(読売)

0000tani_2  

 

 

自腹で払えよ。

 

 

 

このひっつめ頭が5万円。

いろんな意味で無駄、である。 

 

 

 

金と手間をなんだと思ってやがる。

 

 

 

 

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2011年12月 2日 (金)

「小学三年生」の休刊と私

「小学三年生」と「小学四年生」が休刊、というニュース。 

(読売の記事へのリンク)

 

 

 

 

 

 

既に、小学校五年生、六年生は昨年、休刊している。

『科学と学習』も休刊した。

雑誌で『休刊』というのは、要するに『廃刊』だ。

 

 

 

休刊の理由を、小学館は

『成長と変化が著しい小学生の

ニーズに合わなくなってきたため』という。

 

小学三年生も

全盛期には100万部も売れていたのだが

いまは3万部くらいなのだそうだ。 

子供の数自体も減った。

 

 

 

 

 

まあ、この最新号を見ると、苦労してるな、とは思う。 

 

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 なつかしいロゴ

 

 

 

 

 

 

私にはこどもがいないので、このロゴも久しぶりに見るな。

 

 

 

 

 

 

わくわくの最新号の目次はこちら。 

 

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クリックで大きくなるけど

小学館のページに行った方が

きれいだと思います。

 

 

 

 

 

 

見事に総花的。

 

 

クリスマスカードからゲーム機の歴史。

愛菜ちゃんから、マー君まで

たかが9つの、ガキの興味を食い止めるためでも、

これだけの話題を揃えないといけないらしい。

 

附録の充実も素晴らしい。5色ペンやステンシルにシール。 

編集部の苦悩が、あふれている。

 

 

いい大人が、編集会議で

『来月号は「おめかしカード」推しで』とか

やっているのかと思うと、楽しい。

 

 

それだけやっても、100万部が3万部になってしまった。

社名の元にもなっている本だし90年の歴史があるから

歯を食いしばって頑張ってきたけど、

もう駄目、ということらしい。

 

 

 

 

しかし、昔は100万部売れていたのだ。

うちでも買っていた気がする。

 

だけど敗北の理由を『時代のせい』とか、うそぶくなら、

また同じことを繰り返すぞ。

 

 

 

 

 

今の子は、ゲームだ、塾だと忙しいらしいが

子供って、そんなに広い世界で生きている訳じゃない。

 

子供なんて、むかしから、人見知りで、生意気で、

『うんこ』『ちんこ』というと大笑いする。

基本的に、びっくりするくらい馬鹿だ。 

 

そして100万部売れていた時代と比べて

子供の興味の対象が30倍も増えたわけでは決してない。

 

ニーズが多様なのは昔も今も変わらないと思うが

小学校三年生自体が『著しく変わった』訳ではない。

 

小学校三年生の平均年齢は、昔も今も9歳なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

『ジャンプなんか下品だから、

このくらいのを買っときゃいいのよ。』という、

大人の事情もあったと思う。

 

むかしのジャンプは今以上に下品だったし

漫画に対する世間の寛容も低かった。

漫画好き、ということで麻生さんがヒーローになったあたりで

からかわれていることに何故あの人も気がつかないんだろう。

 

『クール・ジャパン』だなんて、寒々しい。 

『このくらいの本なら、安心だわ。』と。

 

『小学○年生』シリーズが売れたのには、

そんな理由もある。 

 

兄弟が多い時代だから、男女5匹に与えるのにちょうどいい

という事情もあった。

床屋の待合には、かならずこの本があった気がする。

 

 

 

 

 

 

 

それなら、むかしのガキが喜んで読んでいたか、というと

個人的なことを言うと疑問だ。   

 

 

そういえば、三年生くらいから買わなくなった。

 

そんな本、子供っぽくて恥ずかしい、という

いかにもガキくさい理由があったように思う。

 

お仕着せの『小学三年生』よりも、

子供向けに翻案されたものであっても

ホームズや十五少年漂流記が読みたかった。 

 

子供ほど、背伸びがしたい。

実際の年齢以上に見せたがるのが子供で

年齢以下をよそをって、四十になっても『女子』とか

言い出すのは、おばさんなのだ。

 

 

 

 

 

  

きっぱりと『小学三年生』と言い切っちゃったあたりが

敗因だ、とは小学館も言っている。

 

でも『親が安心できる』という

ブランド力は圧倒的だったはずだ。

 

そこに安心しきったおかげで

背伸びしたいこどもたちのハートをつかめなかったのは

確かだったらしい。

 

 

かといって、方向が見えなくなって、

 

『ちょっとエルダーなアトモスフェアをまとった、

君にだけこっそり教える、この冬の

「大人の階段1000本ダッシュ」。』

 

とか、わけのわからない言葉使いを始めたら

雑誌に限らず末期症状で、この最新号でも

はっきりとその傾向が見える。

 

 

 

 

 

今月号のラインナップでいえば、

『メリクリ&あけおめステンシル』くらいは

かろうじて意味がわかるが

『遊便のすすめ』というのはなんだろう。

 

と思って、特集ページに進んだら、葉書や封書だけじゃなくて

切手を貼れば、しゃもじやうちわも、ポストから送れるよ。

ということらしい。

 

年賀状を意識しているのかも知れないが

この真冬にうちわが届いたら、嫌がらせだ。 

 

『ふろく特集てんこもり号』というあたりにも、なんか

やけくそ感を感じる。

 

 

 

 

流行らせようと造語を作るのは雑誌の悪い癖だ。

『流行ってる言葉』に乗り遅れまいとするのはもっと悪い癖だ。

 

世代によって言葉が変わるわけではない。

このくらいの年齢の子供って、世界が狭いから、

外から教えられない限り、案外、変な言葉を使わない。  

 

大変だなあと、人ごとながら思う。

そして結局は駄目だったわけだ。

 

つくづくと、『歳取ったなあ』、と思う次第であります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ということで、我が「エレメンタリー三年生」も

誌面の刷新を図ろうと思う。』

 

『どうするんですか?』

 

『雑誌でイメチェンといえば、お色気だ。』

 

『言い切っちゃっていいんですか?』

 

『老舗の雑誌で、そうやって失敗した例がいくらでもある。』 

 

『失敗しちゃ駄目でしょう。』

 

『うまくいった例もある。

そこで、「ミス小三」を募集しようと思う。』

 

『活字にすると、格好悪い名前ですねー。』

 

『だけど、講談社のミスマガジンなんていうのは

既に30年の歴史を持っていて、そのグランプリストたちは

このとおり、綺羅星のごとくだ。』

 

『斉藤由貴、細川ふみえ…そんな時代からやってるんですね。』

 

『だから、アイドルの登竜門にするんだ。』

 

『でも、うちの読者3千人ですよ?』

 

『読者投票が出来るようにする。』

 

『それはミスマガでもやってます。』

 

『それだけじゃない。

QRコードをつけてケータイで投票させるんだ。』

 

『それ、小学校3年生にはハードルが高くないですか?』

 

『さらに、登録して頂けると、候補の子の画像が

ケータイサイトからダウンロードできる。』

 

『…?』

 

『さらに、有料で水着…』

 

『やめろっ。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の一枚。』

 

 

 

 

 

 

よう、買わねえか?  

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「市バス一日券くれ」って

言ってみたい。

 

 

 

 

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