スキーの日
1月12日は、スキーの日。
1910年のこの日、オーストリアのレルヒ少佐なる人物が
日本陸軍にスキー術を教えた。
スキーを教えるレルヒ先生。
ストックじゃなくて杖だね、
しかも一本だ。
1910年というと、ほんの百年前。
それ以前の日本人はどうしていたかというと、かんじきだ。
日本というのは豪雪地帯だ。
雪が降る国は珍しくないが、
市街地に2mも 3mも つもる国は、あまりない。
しかも、よその国と比べると遙かに南で、どかどか降る。
長野オリンピックというのは、
日本でスキーが発明されてもよかったのに…
北国には、武田信玄、上杉謙信と
名だたる武将がいたのだが、
彼らが天下を取れなかった理由の一つが、雪だ。
『信長様っ。あれに見える赤備えの武者どもは…』
『おお、あれこそ武田の「すきー部隊」よ…』
『ものすごい速さで近づいて参りまするっ。』
『なに、この日のために揃えた三段構えの種子島。
火縄をつけいっ。』
『ああっ、雪で湿って火がつきませぬっ。』
『むう…しかし、こんなこともあろうかと、
柵の手前に、こぶをたくさんつくっておる。
きっとこけるに決まっておるっ。』
『駄目ですっ。
見事なターンでモーグルを超えてきますっ。』
『むう。16世紀にそんな単語はないわっ。』
『山本勘助が見事なエアリアルをっ。』
日本中にスキー場があるが、六甲山ならともかく
ちょっとしたスキー場に行くには列車かバスがいい。
運転手がたまらないのだ。
勘弁して下さい。
学生の頃、雪の碓氷峠越えをやって死にかけたことがある。
慎重に走ってもチェーンがずれるし、
あの時は泣きそうになった。
その代わり、チェーンをはつけるのは上手くなった。
素早いチェーン装着の方法というのは
実は、面倒をしないでタイヤを外してしまうことだ。
そのうえで、チェーンを巻く方が、ずっと早い。
そんなシチュエーションに追込まれるのが幸福だとはいわないが
『えーと、チェーンの巻き方は、
まず広げたチェーンの上に車を移動させて…』とか言う奴を
知恵袋や、発言小町で見かけることがあるが
馬鹿かと思う。
おかげで、F1のピットクルー並みに
タイヤの着脱が早くできるようになった。
シュプール号、というのにも乗ったことがある。
いまは、もうないそうだが、『スキー列車』ですね。
むかしはたくさん走っていた。
といいつつ、私が乗ったのはすでに末期だった。
しかし、ほんのちょっと贅沢して寝台車に乗った。
ところが、これが三段寝台だ。
いくら20年前とはいえ、
定期列車では、すでに使われていなかったはずである。
私自身、三段寝台に乗ったのは、あれが初めてで最後だ。
いまでは『寝台車=個室寝台』だが、
むかしはそういう列車があったのだよ。
なんで、そんな列車が出来たか、というと
客をたくさん乗せるためだ。
いまの人は、二段寝台も知らないだろうが、
いまの個室寝台が一車両20人くらいしか乗せられないのに比べると
三段寝台は3倍以上の収容力がある。
しかし、その時の『シュプール号』は、がらがらだった。
あんな乗車状況であれば、
全員を下段にしてくれてもよかったのに…
ひどい乗り物だった。
『三段寝台』というくらいだから、ベッドが3段だ。
天井の高さの内法は3mないし、床もあがっているから
それぞれの寝台の高さは非常識に低い。
最上等は下段だがそれでも、腹筋して起きると頭を打つ。
それでも窓があるからまだましで、中段は狭所恐怖症には無理。
最上段に至っては、丸天井に圧迫されて墜ちそうになる。
もちろん、墜ちたら、ただではすまない。
そのくらい高い。
はしごで登るんですぞ。
しかも、2m以上ある。
とてもじゃないが酔ったら乗れない。
旅行気分が吹っ飛ぶ、という代物であった。
『スキーの日』の話なのに
見事に『スキー』の話をしていないあたり、
私が本当に『スキー』が嫌いだったんだなあ。
と思っていただけたら、ほぼ正しい。
ちゃんとスキーがしたいな…
では、『今日のシュプール号。』
三段寝台車の最上段。
酔っぱわらないと眠れないし、
酔っぱらうと、ここまであがれない。
そもそも、とんでもなく狭い。
ベッドの幅員が85センチだということを考えたうえで見て欲しい。
そうすれば、天井の低さも理解してもらえませんか?
ひでえ…
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