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2012年1月24日 (火)

フィルムのない映画館

映画がフィルムではなくなる。 

という話が読売の『耕現学』というコラムに載っていた。

 

 

 

 

 

 

画像がデジタル化され、画質は向上、3Dだなんだと進化した。

それとともに、DCP(デジタルシネマパッケージ)という

技術が一般化して、もはやフィルムを使わない映画館が

6割近くになるのだという。

 

 

 

 

 

 

 

昔の映画館には、『封切館』『二番館』『三番館』といった

ヒエラルキーがあった。

 

何が『封切り』か、というと

新作のフィルムを最初に公開するから。

 

フィルムの封を切るから『封切り』。 

昔の映画の用語には、風情があったね。

 

『二番館』というのは、新作のうち評判のいい奴を

もう一度掛ける。

 

『三番館』というのは、もはや新作、旧作に関係なく

館長が趣味で掛ける。

『三番館』ではあんまりなので、『名画座』ともいった。

 

もちろん、それ以外にはポルノ映画専門館とか、

ホモ映画館とか、アウトカーストなクラスもあった。

 

 

 

 

 

学生時代、

友人に連れて行ってもらった自由が丘の名画座のラインナップが

 

『遊星からの物体X』

『エクソシスト』

『キャリー』

『エクソシスト2』 

というめちゃくちゃなものだった。

 

寝らんなかったってば。

 

 

 

 

 

 

 

映画は、昭和前半の最大の娯楽だ。

神戸だったら新開地。

 

映画館が集まる地区はその時期の街の最大の繁華街だった。

 

逆に言えば、映画館がある一画は

『ここは戦前にはさぞや。』という、不思議な風格、というか

雰囲気があった。

 

 

ところがテレビの登場でこれが変わる。

『電気紙芝居』と揶揄されたテレビは

昭和30年代後半に映画を抜き去る。

 

皇太子(今上天皇)御成婚、東京オリンピック。

時代も後押しした。

 

 

 

 

 

 

 

時代から抜き去られた映画はどうしていたか、

というと呆然としていた。

 

当時の関係者に怒られそうだが、

観客の一人として眺めていた限りでは、そうだ。

 

私が大学に入って関西に来たのは、昭和50年代初めだが

その頃の新開地は怖かった。

 

具体的に何をされた、という話はしたくないが

まず人がいない。

昼もいないし、夕方、盛り場が一番盛る時間になっても

人がいない。 

 

 

それでも映画館は、やっていた。

当時の学生は『ぴあ』とか『エルマガ』なんかで、

映画をチェックする。

 

しかし当時は、神戸駅にも元町駅にも周辺に映画館はなく

三宮に少数と、後は新開地に老舗がたくさん、

という状況であった。

 

7館くらいあったと思う。

新開地では、新作から旧作まで、結構ラインナップが揃う。

 

しかし、女の子を誘っても来てはくれないのであった。

本人はともかく、『親が駄目。』なんだそうだ。

 

『今日どこでデートしてきたの?』

『新開地で映画。』

 

という会話が家であると、次からは来てくれないのである。

いまの新開地は、そういったイメージを払拭しようと

いろんな事をやっているので、あれこれいうと怒られるだろう。

 

当時の新開地にゆかりのある人にも怒られるかも知れないが、

ほんとにそんなことがあったんだぞ。

 

 

…泣いてなんか、ないやい…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして昭和50年代後半、

かろうじて生き残っていた『町の映画館』に

とどめを刺す出来事が2つ起こる。

 

 

一つは、『ビデオの普及』だ。

昭和50年代後半、日本中に『貸しビデオ屋』ができた。

 

 

当初は、『ソフトの解放』に慎重だった配給会社は

貸しビデオへのコンテンツの提供を嫌うのだが

いまのコンビニ以上に立ち並んだ『貸しビデオ屋』は

やがて、とてつもないダンピング合戦を始め

『5泊6日200円』とかに行き着いていく。

 

 

こうなったら、

地方の『名画座』は生き残れない。

 

 

それでも、ビデオの機械を買うのには、

まだ若い衆に抵抗もあった。

『おうちビデオ』なんていう

軟弱なデートが成立するのにもまだ時間が必要だった。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、もう一つ巨大な波がおそう。

町中の映画館を滅ぼしたもの。

それは『シネコン』だ。

 

 

 

むかし、『大店法』という法律があった。

旧来の市街地の商店を守るために

新規に出店する大規模店舗は許さないぞ、という法律で

こいつのおかげで、郊外にショッピングモールができた。 

 

昭和50年代末以降だ。

 

 

0000ion

 

『直進、29km』って

そんな豪快なこと

いわれても…

 

 

 

大店法のおかげで

旧市街地に出店できなかったショッピングモールは

郊外に進出した。

 

そこは、のびのびと田舎であったので、

ショッピングモールは馬鹿みたいに広く

有り余った床面積の一角に作られたのが、

『シネマ・コンプレックス』であった。

 

 

 

『大店法』は『旧来の市街地』を守るはずだったのが、

客を郊外に誘導して、中心市街地から遠ざけ、

かろうじて生き残っていた映画館さえ

シネコンによってとどめを刺した。 

 

今日、何か「TPP」の交渉とかに

通じるところがあるような気がする。

 

 

 

 

 

 

 

いまさら、シネコンの説明なんて必要ないだろうが

100席前後の小さなハコをたくさん集めたから

コンプレックス(複合体)。

 

そして実は、『シネコン』というのが

1フロアの中にある、

ということに気がついていますか?

 

最近では、『都心のシネコン』の中には、

複数のフロアを占める例があるのだが基本的には同じフロアだ。

 

トイレや、もぎり、売店なんかを共用にできる。

避難設備なんかを考えても、同じフロアの方がいい。

 

そして、それよりも大きな理由は

『シネコンだと同じフィルムを共有できる』

からである。

 

 

 

 

たとえば、『タイタニック』みたいに人気の映画だと、

7つもあるハコのうち5つが『タイタニック』同時上映

だったりしたことがなかっただろうか?

 

『20世紀フォックスに、それだけの金を払っていたのか。』

と考えてもいいが、フィルム5本を買っていたわけではない。

 

一本のフィルムを5つの『ハコ』に流していたのだ。

 

その方法は原始的で、

映写室を跨いでフィルムが走っていた。

 

 

 

 

 

 

シネコンの設計、というのは担当したことがないが

竣工物件を見せてもらったことは、ある

 

映画、というのは映像、音声などの調節が難しいらしく

我々が見学したときも、まだ引き渡し前なのに

既に『試写』をやっていた。

 

その時、設計担当の大先輩からいわれたのが

『おう、あれがフィルムや。』という台詞。

見れば、天井のあたりに35mmのフィルムが流れている。

 

『あれが隣の部屋にいくんや。』というから、見たら。

確かに、隣の上映室との間にちいさな穴がある。

 

『あのフィルムに触ったら指が落ちるで。』

ともいっていた。

確かにすごいスピードで流れていった。

 

 

 

 

 

 

 

だから、シネマ・コンプレックスが誕生した理由のうち

一番大きいのは、フィルムが共有できることだ。

 

あのとき、『タイタニック』を見ていた人は

舳先に立つディカプリオを数秒の時差で見ていた訳だ。

 

『タイタニック』のように確実に当たる映画なら、

同時にたくさん掛けることもできるが

前評判が怪しい映画だと、ハコごとに上映映画を絞る。

 

シネコンの場合、一つのハコは100席から200席という

キャパシティーなので、そういう融通が利く。

 

そういう弾力的な運営ができることは

劇場の経営の不安も軽くする。

 

なにも、自由が丘の名画座のようなラインナップを

そろえられるような小屋主ばかりでは、なかった。

 

『コンプレックス』であることには、ちゃんと理由があった。

ポップコーン売り場が共通であることだけではなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『貸しビデオ』と『シネコン』の登場は

町の映画館にとどめを刺した。

 

メジャーどころの作品の配給を受ける体力がなくなる。

多くが廃業してマンションになった。

 

もう、地図を見て

『このあたりは映画館があるから、むかしは繁華街で…』

なんてことはできない。 

 

その後残った町の映画館は、

なんだかめんどくさい学生映画みたいのを上映するようになる。 

 

『分け入っても、分け入ってもブルーフィルム』だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

映画がデジタルになったら

どうなるのだろう。

 

読売の記事は

『デジタル対応のために、単館でも数百万の出費が必要

もう、映画なんてだめだよう。』

 

という具合で、気合いがないことに関しては

例によって鼻くそ以下だが

テレビやビデオの登場によって映画館が変わったように

映画館の形態そのものは『外圧』によって変わってきた。 

 

でも、不安なのはわかるが

映画館への欲求がなくなることは、ない。

 

 

 

やっぱり大画面で見たいし、

いまの映画の音響はすごい。

3Dは主力にならないだろうが、たまにはいい。

 

何より暗闇なのがいい。彼女の手が握れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だから、映画館はけっしてなくならない。

 

逆に、チャンスだと考えないか?

 

データとプロジェクターがあれば、映画が掛けられる。

町中に再び映画館が作れるかも知れない。

 

 

 

 

 

もちろん、フィルムのプリント代がなくなることで、配給会社が

どのくらい安くしてくれるのかはわからない。

逆にデジタル化に対応できない中小の配給会社には

つぶれるところがあるかも、という。

 

そういうこともあるかも知れないが、

その一方、フィルムじゃなくなることで、

『コンプレックス』にする必然性はなくなる。

 

スケールメリット、というものは無くならないだろうが、

映画館は100席×7ハコという常識が覆せるかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

映画は滅びないよ。

 

かつての大店法みたいな愚を繰り返さなければ大丈夫。 

 

 

いまは、映画の指定席、なんていうのは無いそうだが

うんと贅沢な一席があってもいいと思う。

 

デートのために指定席を取る、なんて

我々の世代では笑い話だったが、

ぐるっと一回りしたら逆に新鮮じゃないだろうか?

 

その一方、ネカフェ以下の席も作って欲しい。

 

映画なんて『非日常の空間』なんだから、

そういう『仮構の差別』があっていい。

 

2時間限り、入れ替えありの特等席だ。

そういうのがあっていい。

 

 

 

 

 

 

あるいは町中に、じいさんが集まる喫茶店のような感じで

映画館があってもいい。

 

『ほら、まーさん。コーヒー一杯で2回目は見らんないよ。』

という『映画館』があってもいい。

 

フィルムという呪縛が外れることで

映画が気軽になれるんなら、期待しようじゃないか。 

 

 

大丈夫、映画館は無くならないから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の一枚。』

 

 

 

 

 

 

 

東洋キネマ。 

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トーキー時代、昭和3年の建築。

 

ダダイズムの象徴として藤森輝信先生が取り上げた。

不思議な外観といい、何とも自由だ。

建物左側の列柱のバルコニーは

出演女優が挨拶するためのものだったそうだ。

 

映画が夢だった時代の、幸せな建物。

 

 

 

 

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そんな時代もあったよね」カテゴリの記事

コメント

映画館には独特の“後ろめたさ”感があって、映画館に行くというだけでどきどきしたものです。残念ながらそのどきどきが、現実のものになった試しはないのですが……。
映画館の指定席、今もあるようですよ。チケット購入の際に席を指定してくれと言われて、混雑しているとや館内に入ったら……
お客はその友人ただひとりだったという……カナシイです。

投稿: fullpot | 2012年1月25日 (水) 22時10分

fullpotさん ありがとうございます。
『後ろめたさ』ですか。
なるほど、女の人は違うな。
男はもう、映画なんかみてないですもん。
『うわーここ出たらどこに行こう。
なに食べよう。あ、手を握らなきゃ。』
って、もう、ね
 
そんな時代もございました。
ええ、いい時代でございましたよ。
ええ……

投稿: natsu | 2012年1月27日 (金) 22時23分

hi??

投稿: Jaisk | 2012年2月 5日 (日) 08時35分

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