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2012年2月16日 (木)

どこがわからないかな?

『「教科書と画用紙。大きさの比べ方を考えてください。」

…小学校1年の算数の時間。次々と手があげられる中

手を上げられないでいる子供に、学生ボランティアの

20歳の女子大生が優しく声をかけた。

 

 

「どこが分からないかな?」…』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どこがわからないかが、

わからないんだよっ。 

 

 

 

 

 

 

この鼻くそみたいな文章は、例によって読売だ。

「教育ルネッサンス」というコラムで、

署名記事なので名前を挙げないと

相川さんに失礼だろうから書く。

 

奥田祥子という女だ。

 

 

 

 

 

 

馬鹿か?おまえは。

 

 

 

 

 

 

 

         

このコラムには「20歳の女子大生」の実名と学校名も載っている。

しかし、これから書くであろう罵詈雑言のことを思うと

将来のためを思って堪えてやる。 

 

おれも、大人になったなあ……

 

 

 

 

             

 

それはともかく『○○学園大学こども学部』という、

冗談みたいな名前の学校に所属しているこの学生は

本気で先生になろうとしているんだろうか。

  

『どこがわからないのかな?』というせりふは

教師が絶対に言ってはいけない言葉だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わからないところが,わからないんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

それを、

 

 

『なんで分からないの?』

『どうして分からないの?』

『なんでこんな点数なのよ。』といわれて、子どもはグレていく。

 

 

 

 

 

そういうせりふはよくない、ということは

この『こども学部』も一応教わっているらしいが

気を使ったつもりのせりふがこれ。

 

 

          

『どこがわからないのかな?』

 

 

 

 

それがわかんねえんだろ?

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、この読売のコラムは、

教育欄の1/3を占める長文なのだが

  

『それなら、どういう訊き方をすればよかったのか?』

ということには触れていない。

  

『お兄さん、お姉さん感覚で触れ合える

学生ボランティアが増えるのは結構ですなあ。』という

能天気な結論をみちびく導入部にしたかっただけで、

この問いへの答えや、

あるべき誘導の仕方についてはどうでもいいらしい。

 

 

 

 

 

 

 

ここで、ボランティアのねーちゃんが子供に聞くべきは

『どっちが大きいと思う?』という質問だ。

 

 

  

おそらくこどもは、小さな声で、

『画用紙…』

と答えるだろう。

 

 

 

             

そうしたら、大きな声で、

『そうよ、見たらわかるわよね。』といって

教壇の先生の所へ連れて行こう。

 

 

 

おそらく教師は、

『えー?そんなのは算数の答えじゃないなあ…』と

鼻で笑うだろうが、そのせりふが終わらないうちに

その教師を右ストレートで殴れ。

 

  

黒板が砕けで脳漿が飛び散る勢いで、

殴り飛ばしてかまわない。

 

 

 

 

 

 

おそらく、教科書的に理想的な正解は、

『定規で、各辺の長さを測る。』とか

『小さな紙片でそれぞれを丁寧に覆い、その枚数を比べる。』

とか、なんだろう。

  

小1には、そういった『対象の抽象化』は難しい、というのなら

『画用紙と教科書を重ねてみる』ということなのかもしれない。

 

 

 

だけど見りゃわかるじゃねえか。

 

 

 

         

もちろん、

測定の方法をどう具体化するか?

                   

いかに第三者に納得させられるか?ということは重要なスキルで、

それを得ることは、

大人の階段を一歩登ることになるんだろう。

 

 

『大きさ』という概念を紙片とか、別の『単位』に置き換えることは

数学的にも何か重要な進歩を得ることになるのかもしれない。 

 

 

 

 

 

しかし目の前に、明らかに大きさの違う二つの物体を置かれ、

『どうやって比べたらいいでしょう。』って言われて、

歴然と『見りゃわかるだろ?』と思うんだけど、

そんな答えじゃ駄目だよなあ。

  

ああ、みんな手を挙げてるなあ。

 

なんか知らないおばさんが来て

『どこがわからないの?』とか聞いてくる。

  

うるさいなあ…恥ずかしいなあ…

あああ…いやだなあ。

 

ということで算数嫌いの子供が増えていく。

 

 

 

 

そっちのほうが大問題じゃないのか? 

 

 

 

 

             

優しく訊けばいいってもんじゃねえや。

そもそも、小1から見たら

20歳はおばさんなので『お姉さん』ではない。

 

いとこの子供に『おばちゃーん』といわれて

世界中の女性が、ムッとするのだが

それは、こどもが続柄を正確に理解しているから、ではなくて

彼ら、彼女らが

『第2次性徴を超えたら、大人のひと。』と見ているだけのこと。

                

正規の教員だって下手したら20代なので区別できない。

単に、『知らないおばちゃん。』である。 

『学生ボランティア』をありがたがっているのはだれなのか?

 

    

少子化の時代、東京都下であれば、

ひとクラス15人なんて言う学校が珍しくない。

                          

それでも、学級の中に教師以外の手を入れるのは

賛成できないこともないのだが

それで入ってくる、20歳の『こども学部』が

こんなマニュアルトークしかできないんでは

 

  

百害あって、邪魔なだけだ。

 

 

建学の精神にのっとって、主体的に判断し,行動しろっ。 

 

馬鹿野郎っ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の「沈黙の子ども」。』

 

 

 

 

 

 

 

       

公共広告機構のCM、『黒い絵。』

http://www.youtube.com/watch?v=SNv4hBbu8K4&feature=share&list=PL3E430CF39675C871

 

 

病院の先生の愛想笑いは、子どもの心を開かないし、

マニュアルの中に正解は、ない。

 

 

 

 

 

 

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コメント

うわ~今日の内容は、おばさん、痛いです(笑)。学校で、これがわからんと? みたいな風にあしらわれ、情けない思いをかかえて教育実習に行き、「どこがわからんとー!?」と叫びそうになりました。今は、見てわからんと? と、不思議そうな顔で家族のあれやこれに言われます……。でも、直感でわかることは直感でよろし、という教育も必要なんではなかろうか。直感って、大事です。直感の間違えを検証する方法を授けるのが教育かも、なんて、今日は思いました。

投稿: fullpot | 2012年2月16日 (木) 08時00分

わーん、ごめんなさい。公共広告機構のCMをばかにしていた私は、ばかです(涙)。
改めてみたら、いいですねぇ、このコマーシャル。ほかの子どもたちの絵が、いわゆる「政治的に正しい子どもの絵」なのもジョブが効いてます。なんだか涙が出てきました。

投稿: fullpot | 2012年2月16日 (木) 08時07分

fullpotさん ありがとうございます。
 
『どこがわからないの?』は
ガキの頃は自分が浴びた質問で
大嫌いでした。
 
学生になって塾講師で暮らしていましたが
そのときは
『まあ、まずなんて考えた?』と
訊くようにしていました。
 
結局役に立ったのかどうか
よくわかりません。
 
ACのCMにはほかにも傑作がありますよ。
『魔法使いの少年』なんて、泣きます、

投稿: natsu | 2012年2月19日 (日) 10時26分

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