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2012年3月21日 (水)

フォークランド紛争の日

3月19日は『フォークランド紛争』が

始まった日。

1982年のこの日、アルゼンチン兵900人が

上陸した。  

 

 

4月1日には全島を占領。 

 

 

 

これを取り戻すべく、

イギリスは空母機動艦隊を派遣。 

3ヶ月間にわたってイギリスとアルゼンチンが 

この島を巡って争ったのが

『フォークランド紛争』

 

この時のイギリスの首相が、いま映画で有名な

マーガレット・サッチャー

 

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『鉄の女』




     

うそ、ごめん。

実際はこちら、  

 

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メリル・ストリープは

うまく化けてやがんなあ… 




      
    
     
       
    
    
     

      
      
フォークランド諸島というのは、ここ。

 

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大西洋の南の端っこ

 

 

 

 

 

     

      
    
    
    
    
    
    
       
       
     
      
       
もうちょっと寄ると、こう。

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アルゼンチン本土から700km

イギリスからは14,000km

 

 

 

 

             
       
       
        
      
         
        
        
        
        
       
       
       
        
       
           

こんな南海の孤島がイギリス領になったのは

割と最近で1833年のこと。 

 

 

汽帆船の時代は、給水・給炭港として

必要とされた。用途は捕鯨船の補給港。

        
イギリスも捕鯨国だったのだ。

 

 

 

 

 

 

そして南米の先端、マゼラン海峡のすぐそばに

あるこの島が、

戦略的な意味を持った時代があった。

 

 

『フォークランド紛争』というと

イギリスとアルゼンチンとの戦争だが

『フォークランド沖海戦』というのもあって、

これは第一次大戦での、ドイツ艦隊との戦い。
       

 

 

 

 

 

第一次大戦当時、

飛行機はまだ、『紅の豚』の時代で潜水艦も、

とても遠洋に出て行ける能力はなかった。

 

 

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飛びたい豚も

これじゃ飛べない

 

       
     
     
     

唯一、広域での通商破壊作戦が行えたのが

巡洋艦。 

 

 

 

巡洋艦は、文字通り

『大洋を巡る(めぐる)(ふね)』であった。

 

長大な航続距離を持ち、

戦艦よりも速く、大砲もある。

民間船であればとても太刀打ちできない。

 

 

第一次大戦開戦当時、

ドイツは、中国の青島に要塞と海軍基地を

持ち、そこに有力な巡洋艦艦隊を持っていた。

  

そして、南洋群島やニューギニア、ナウル、

サモアなど太平洋に広く勢力を持っていた。

 

 

 

 

 

第一次大戦での日本の参戦について、

『終戦後の利害を計算しただけだろう』

という説があって、対華21箇条要求とかを

見ていると弁解の余地はないのだが、

『ドイツ東洋艦隊を何とかしてくれ』という

ことをイギリスから頼まれたのは事実である。

 

 

 

 

 

参戦した日本は直ちに青島を陥とし南洋群島

なども攻略していく。        

 

ドイツ艦隊は、日本海軍と戦うだけの力は

ないので、日本参戦の報を聞くや直ちに退避。

 

巡洋艦エムデンなどの一部の艦隊は

インド洋に進出してイギリスを悩ませる。

主力艦隊は南太平洋を回って、

オーストラリア艦隊と戦ったりしながら、

マゼラン海峡を回って大西洋に出る。

 

 

 

そこで、イギリス艦隊と遭遇して海戦。

全滅した。

 

 

 

 

 

 

 

 

しかしフォークランド諸島が

戦略的な意味を持っていたのはこの時代まで。

 

第二次大戦では出る幕がなく、

戦後、レーダーと偵察衛星の時代になると

絶海の孤島の遠隔基地の戦略価値は

著しく低下した。

 

 

 

 

 

そもそも、イギリス海軍が変質した。

  

1947年のインド独立、1956年のスエズ動乱の

敗北でアジアへの影響力を失ったイギリスは、

世界規模の艦隊を維持する必要が

なくなっていた。 

 

      

さらに、第二次大戦後のイギリスは、もはや

『七つの海を制する世界艦隊』を維持する

体力がなくなっていた。

 

 

 

 

 

60年代から70年代、

『ゆりかごから墓場まで』という社会保障の

重みにイギリスは耐えかねていた。

 

高度な社会保障の一方で、高い税金や

無駄な公務員をたくさん抱えた非効率な政府。

 

経済面でも、アジアの新興国に破れ続けて

名門メーカーを国策で統合してもすぐに倒産

 

 

『英国病』と呼ばれた。

         
      
    
     
    
    
     
ああっ。まるで、いまの日本だっ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とにかく、『機動部隊なんか贅沢じゃね?』

という意見が有力になって、

『空母やめようか?』という議論が出る中で

かろうじて残されたのがフォークランド紛争の

主役、インビンシブル級空母。

 

 

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空母インビンシブル

 

 

 

 

 

 

      

     
    
    
    
    
    
    
    
      
      
     
      

アメリカのニミッツ級空母が10万トンという

時代に2,2000トン。

カタパルトもスキージャンプ甲板も持たない

(原設計)というのはいくら何でも中途半端だ。

 

そもそもこんな小さな空母で飛ばせる飛行機が

ないのでイギリスは飛行機から作った。

  

シーハリアーという飛行機で、

これはジェットエンジンの吹出し口の向きを

変えて、なんと真上に離陸できる。

そればかりか、ヘリコプターのように

ホバリングもできる。

 

 

 

 

実際の運用では、あんまりそういうことは

しないで、単純に滑走距離の少ない

STOL機として使われたらしいが

とにかく貧乏にあわせて空母と飛行機を

開発する、という世界の軍事史でも

あんまり例のない事をやる。

   

イギリス軍というのは、時々こういうおかしな

事をする。

フォークランドで勝ったから、

サッチャーはヒロインになれたが

負けていたら大笑いだ。

 

 

 

 

 

実際、フォークランドでのイギリス軍は

苦戦している。

 

 

 

 

  

イギリス軍は空母2隻を基幹とする機動艦隊を

送った。艦艇110隻、艦載機120機、というと

聞こえがいいが

損害も大きくて、6隻の艦船と30機以上の

航空機を失っている。   

 

フランス製のエグゾゼミサイルの一撃で

真っ二つになって沈んでいく

イギリス駆逐艦の映像が繰り返し流された

ものだ。

 

飲み会で酔っぱらって、『エグゾゼぱーんち』

なんてやっていたあの頃が懐かしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アルゼンチンの側の話をすると、

この島に上陸したのは 

『マルビナス(フォークランド)諸島は

俺たちのものだ』という共通認識が、

あの国にあったから。

  

実際、イギリス領になる以前、

この島はアルゼンチン領だった時代がある。

 

そうはいっても20世紀後半に、

いきなり軍事行動を起こしたのは

アルゼンチンの国内事情。

  

1976年に軍事クーデターが起きたこの国は

独裁政権の常で、経済がだめになって

国民の不満が高まっていた。

 

 

1981年に大統領になったガルチェリ

国内の不安をそらすために、

「ちょっとした戦争」をやろうと思った。

 

 

 

 

  

こういう話は古今東西を問わずよくある。

実際『マルビナス占領』の報が伝わると

国内は興奮に包まれ、軍事政権への不満は

消し飛んだ。

 

ここまでは、ガルチェリの思うつぼ。

その先の見込みについて、彼がどう考えていた

のかはよくわからないのだが

おそらくいきなり戦争になるとは

思っていなかったんだと思う。

 

 

 

安保理に泣きついて、 

非難声明と経済制裁くらいは食らうかも

知れないが、 

あとは  だらだらと外交交渉が始まるはずだ。

 

交渉のテーブルで景気のいいことを

吠えあげていれば 

国内の不満をしばらくそらせられる、と。

 

 

 

 

ところが、相手は『鉄の女』だった。 

 

 

 

  

サッチャーは即座に反攻部隊を派遣する決定を

下す。空母2隻、というのは要するに

イギリス海軍のすべての機動部隊である。

  

これを基幹とする第一陣50隻の戦闘部隊が

ポーツマスを出港したのが

占領4日後の4月5日。

 

兵力の逐次投入をしない、というのが戦争の

鉄則とはいえ、極南の果ての小島の奪還に、

全海軍をたたき込むというのは

恐ろしいおばさんである。

 

 

 

  

勝ったからよかったようなものの、

イギリスは苦戦した。

 

しかし国土防衛のために実力行使を辞さない、

という決然とした姿勢を示したことは 

国際社会におけるイギリスの評価を

高くした。

 

 

       

実際この戦争を指導した二人の指導者の明暗は

戦後、くっきりと分かれてしまう。

 

  

アルゼンチンのガルチェリはこの敗戦の直後に

失脚。さらにすべての名誉を剥奪されて

収監され、獄死。

 

サッチャーは、イギリス史上空前の支持率を

獲得し12年という長期政権を務める。

 

病気のためマスコミに現れることはないが  

2012年現在も存命である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これが日本だったらどうだろう、

と思うのだ。

 

 

  

長々とした前置きはいつものことで反省するが

イギリスが戦後、外洋艦隊を捨てたのは

アメリカに頼ったからでもある。

 

1982年の選択肢として、 

イギリスはアメリカに頼ってもよかったはずだ

 

 

ところが、そんなオプションが検討された

形跡がない。

もちろん、この戦争はまだ最近過ぎて

公文書の開示がおこなわれていないため、

謎の部分がある。

 

 

アメリカと緊密な連絡が行われた事は

間違いないと思うが、他国の軍隊を頼ったら、

占領4日後に

機動部隊を出撃させることはできない。

  

軽空母とはいえ、自前の機動部隊を持っていた

から迅速な出撃ができた、ともいえる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

尖閣諸島あたりにあの赤い国が上陸してきたら

日本自衛隊はこれを排除できない。

 

 

専守防衛を旨とする自衛隊は、

『強襲上陸能力』をまるっきり持っていない

のである。

  

九州で演習するために戦車を運ぼう、

というときに民間のフェリーを使っちゃう

軍隊なのである。 

  

昨年の震災の時に証明されたように、

自衛隊というのは使命に忠実で、

勇気が凛々としていることでは

ゆるぎなく頼もしいのだが、

これじゃあどうしようもない。

 

 

 

 

 

どうするんだろう。

 

 

 

 

 

『いきなり自衛隊を出したら刺激するから』 

とかいって、 

国際司法裁判所に訴えたりするんだろうか。

 

  

それも、相手にされなくて 

居着かれたりするんだろうか。      

 

 

 

ああっ。それじゃ竹島だっ。

 

 

 

 

 

 

 

 

最近の、尖閣近海のガス田や南沙諸島での

中国のやり口を見ていると、人ごとはない。

 

いかに10式戦車が優秀でも、

フェリーで運んでいたら

地上からの砲撃で、一両10億の、

あの戦車があっという間に何両も沈むぞ? 

 

 

 

さらに日本の場合、『まずは真意を聞くため

僕が北京に飛びましょう』なんていう

国会議員が山ほどいそうなところが怖い。

 

 

頼むぜ。もう。

 

 

 

フォークランド紛争は、 

まだ過去の出来事じゃないんだと思います。

 

 

 

 

 

  

ちなみに、

第一次大戦のフォークランド沖海戦の時

イギリス艦隊の旗艦だったのが

巡洋戦艦、インビンシブル

フォークランド紛争の時の空母の艦名も

インビンシブル

 

 

 

『無敵』という意味です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日のモンティ・パイソン』  

 

 

 

 

 

 

 

『 MINISTRY OF SILLY WALKS 』

 

 

 

『英国病』真っ最中、1970年代のロンドン。

 

変態と失業者が街にあふれる中を

クイーンズイングリッシュを使って

タイムスを買い、わかりやすい上流社会の

服装の紳士が出勤するのが 

『ミニストリーオブ シリィウォーク

(馬鹿歩き省)』

 

およそ役に立たない研究をしているくせに、

予算が足りないという役人と、

補助金ほしさにくだらない研究を持ち込む

学者を描いている。

 

『 SILLY 』は『CITY』、『WALK』は『WORK』に

掛けてあるんだろうけど、 

ういうパロディが

BBCで制作・放送されていた、というのが

あの国の侮れないところだと思う。

 

 

 

頼むぜ…

 

 

 

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