吉展ちゃん誘拐殺人事件の日
3月31日は『吉展ちゃん誘拐殺人事件の日。
昭和38年のこの日、台東区入谷の公園で
遊んでいた村越吉展ちゃん(4歳)が誘拐された。
自宅から歩いて5分もかからないような場所で
入谷というのは、上野と浅草の間。
我が家系の累代の墓もある下町で、
いまストリートビューでみても見事に下町だ。
別に下町であることを恥じるつもりはないが、
昭和38年当時は、
いまよりももう少し『三丁目の夕日』
っぽかったことは間違いがなくて
つまりまあ、下町だった。
吉展ちゃんの家の人間はもちろん、
近隣住民も遊んでいるガキに
関心も持たなかった時代である。
夕餉時になっても戻らないことに
異常を感じた両親は警察に通報する。
警察は、翌4月1日にかけて周辺を捜査し
31日午後に吉展ちゃんに接触した
30男の情報をつかむのだが
その後は停滞した。
マスコミは、今以上の勢いであれこれ報道して
さすがに邪魔なので「報道協定」というものが
結ばれた。
被害者の安全を最優先するために、
捜査の状況そのほかを一切報せない。
というもので、日本ではこの事件が最初だ。
吉展ちゃん誘拐の二日後、犯人から電話が入る
ところがこの時も含めて警察は犯人との接触に
3回失敗する。
そして、4月7日の4回目の連絡で、
犯人は身代金の受渡し方法を指示する。
ところが警察は、
大捜査線を敷いていたにもかかわらず、
犯人は、まんまと身代金を奪われたうえに、
あっさり逃亡されてしまう
その金額たるや50万円。
警察はそれでも、吉展ちゃんの無事を信じて
公開捜査をためらっていたのだが、
実際にはとうの昔に殺されていた。
さすがに一週間経って犯人から連絡がないのは
おかしい、と
事件を再び公開する。
(無限回廊 吉展ちゃん誘拐殺人事件。)
犯人は、当時30歳だった小原保。
ぼ・僕は短歌も作るんだな…
この男は、事件直後の早い時期に疑われていた
らしいのだが、
アリバイがある、ということで
逮捕にはつながらなかった。
ところが小原という男は、恋人と弟に
身代金の50万円を見せていた、
というのである。
あほや。
とにかく、これでふたたび嫌疑を深めた
捜査本部は重要参考人として小原を追求する。
そのときの録音テープが残っていて、
追求の内容は、小原が主張したアリバイの矛盾
追求しているのは『落としの八兵衛』こと
平塚八兵衛。
この録音の直後、小原は一気に犯行を自供。
なんと、誘拐の当日に
吉展ちゃんを殺害していた、という。
そして殺害後に
身代金要求の電話を架けていた、という
から畜生である。
ただし、裁判は少しもめた。
まず『身代金略取目的の誘拐事件』というのが
当時の日本の法律では想定されておらず
こいつを極刑に処してもいいものか。
さらに、
こいつはこどもの頃病気にかかっていて
足がやや不自由であり
生育環境が恵まれていなかったことは
間違いなかったらしい。
彼が要求した、身代金50万円は
5年後に起きた
『3億円強奪事件』と比べると、
涙が出るくらい慎ましい。
実際、この男は『犯行に計画性がなかった』
と訴えて最高裁まで争うのだが、
殺した後で身代金を要求しておいて
なに言ってやがる。
判決が確定すると、
こいつは独房で文鳥を飼った。
昔はそういうことが許されたらしい。
死刑囚というのは暇なのである。
短歌も作った。
暇だったらしい。
ところが、何をとち狂ったか、
こいつはそのご自慢の短歌を
『土偶』という同人誌に投稿した。
一応筆名だったのだが、
差出人住所が『東京拘置所』ではすぐにばれる
同人の中には
『殺人鬼の短歌を載せるのは反対だ。』という
まっとうな神経の持ち主もいたのだが
何故か押し切られて、
こいつの歌はその同人誌ばかりでなく、
単行本としても出版されている。
昭和46年、12月22日。
彼に『翌日の死刑執行』が告げられる。
そのとき遺された彼の辞世の歌がこれである
明日の日をひたすら前に打ちつづく鼓動を胸に
聞きつつ眠る
さすがにこの歌については、論評を控えておこう。
『鼓動を聞きつつ眠れる』なんて器用な人だな。
あ…
では、『今日の二枚。』
大阪地検のFD改竄事件で有罪判決をくらって
不満を述べる佐賀被告。(読売の記事)
『承伏できない。
(控訴しないことは)
事実と異なることを
納得することになる。』
起訴前の佐賀被告。
事実と異なっているのは
お前だ。
づら取れ、づら。
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