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2012年3月の投稿

2012年3月31日 (土)

吉展ちゃん誘拐殺人事件の日

3月31日は『吉展ちゃん誘拐殺人事件の日。

昭和38年のこの日、台東区入谷の公園で

遊んでいた村越吉展ちゃん(4歳)が誘拐された。













自宅から歩いて5分もかからないような場所で

入谷というのは、上野と浅草の間。




我が家系の累代の墓もある下町で、

いまストリートビューでみても見事に下町だ。




別に下町であることを恥じるつもりはないが、

昭和38年当時は、

いまよりももう少し『三丁目の夕日』

っぽかったことは間違いがなくて

つまりまあ、下町だった。



吉展ちゃんの家の人間はもちろん、

近隣住民も遊んでいるガキに

関心も持たなかった時代である。















夕餉時になっても戻らないことに

異常を感じた両親は警察に通報する。




警察は、翌4月1日にかけて周辺を捜査し

31日午後に吉展ちゃんに接触した

30男の情報をつかむのだが

その後は停滞した。











マスコミは、今以上の勢いであれこれ報道して

さすがに邪魔なので「報道協定」というものが

結ばれた。



被害者の安全を最優先するために、

捜査の状況そのほかを一切報せない。

というもので、日本ではこの事件が最初だ。



















吉展ちゃん誘拐の二日後、犯人から電話が入る

ところがこの時も含めて警察は犯人との接触に

3回失敗する。







そして、4月7日の4回目の連絡で、

犯人は身代金の受渡し方法を指示する。



ところが警察は、

大捜査線を敷いていたにもかかわらず、

犯人は、まんまと身代金を奪われたうえに、

あっさり逃亡されてしまう







その金額たるや50万円。









警察はそれでも、吉展ちゃんの無事を信じて

公開捜査をためらっていたのだが、

実際にはとうの昔に殺されていた。

さすがに一週間経って犯人から連絡がないのは

おかしい、と

事件を再び公開する。

(無限回廊 吉展ちゃん誘拐殺人事件。)






















犯人は、当時30歳だった小原保。

 

 

20090622190017

ぼ・僕は短歌も作るんだな…








この男は、事件直後の早い時期に疑われていた

らしいのだが、

アリバイがある、ということで

逮捕にはつながらなかった。





ところが小原という男は、恋人と弟に

身代金の50万円を見せていた、

というのである。










あほや。












とにかく、これでふたたび嫌疑を深めた

捜査本部は重要参考人として小原を追求する。



そのときの録音テープが残っていて、

追求の内容は、小原が主張したアリバイの矛盾










追求しているのは『落としの八兵衛』こと

平塚八兵衛。

 

   

 

この録音の直後、小原は一気に犯行を自供。



なんと、誘拐の当日に

吉展ちゃんを殺害していた、という。

   


そして殺害後に

身代金要求の電話を架けていた、という

から畜生である。













ただし、裁判は少しもめた。

 
まず『身代金略取目的の誘拐事件』というのが

当時の日本の法律では想定されておらず

こいつを極刑に処してもいいものか。




さらに、

こいつはこどもの頃病気にかかっていて

足がやや不自由であり

生育環境が恵まれていなかったことは

間違いなかったらしい。

 

 

   

彼が要求した、身代金50万円は

5年後に起きた

『3億円強奪事件』と比べると、

涙が出るくらい慎ましい。

 

   

実際、この男は『犯行に計画性がなかった』

と訴えて最高裁まで争うのだが、

殺した後で身代金を要求しておいて

なに言ってやがる。











判決が確定すると、

こいつは独房で文鳥を飼った。

昔はそういうことが許されたらしい。

死刑囚というのは暇なのである。
                 



短歌も作った。


            

暇だったらしい。

                     

 

 

 

        

ところが、何をとち狂ったか、

こいつはそのご自慢の短歌を

『土偶』という同人誌に投稿した。

 



 

一応筆名だったのだが、

差出人住所が『東京拘置所』ではすぐにばれる

 

 

           
       

同人の中には

『殺人鬼の短歌を載せるのは反対だ。』という

まっとうな神経の持ち主もいたのだが

何故か押し切られて、

こいつの歌はその同人誌ばかりでなく、

単行本としても出版されている。














昭和46年、12月22日。

彼に『翌日の死刑執行』が告げられる。

そのとき遺された彼の辞世の歌がこれである







明日の日をひたすら前に打ちつづく鼓動を胸に

聞きつつ眠る












さすがにこの歌については、論評を控えておこう。

『鼓動を聞きつつ眠れる』なんて器用な人だな。




あ…
















では、『今日の二枚。』








大阪地検のFD改竄事件で有罪判決をくらって

不満を述べる佐賀被告。(読売の記事)


00000_saga_2           

『承伏できない。

(控訴しないことは)
事実と異なることを
納得することになる。』













起訴前の佐賀被告。

   

00saga_2   

事実と異なっているのは 
お前だ。







づら取れ、づら。

 

 

 

 

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2012年3月30日 (金)

値段の理由

3月30日は、

ゴッホのひまわりが馬鹿みたいな値段で取引された日。


バブル真っ盛りの1987年、安田海上火災が4000万ドル

(当時のレートで58億円。)で購入した。


475pxvincent_willem_van_gogh_127




これが60億円ですってよ

おくさん。








ゴッホに限らず、あの当時の日本人は

バブルに浮かれて法外な値段で美術品を買いあさって、

貧乏なヨーロッパ人から顰蹙を買ったりした。


この絵は、売ることもかなわず

損保ジャパン美術館に収蔵されている。















この時安田火災が買った、ゴッホのひまわりは

『絵画取引価格・ベスト30』の中で今日でも健在である。









しかし、60億円で23位ならトップ10は何だ、

というとこちら。

まず、10位から6位。


2012y03m30d_104532993_2





















ピカソとゴッホばっかりだな…











5位から1位がこちら。

1位のポロックは151,000万ドル(120億円)

2012y03m30d_104451700






















何なんだろうね、これ。


ポロックというのは天井から穴の開けたペンキ缶を吊し、

裸足でべたべた踏んだおっさんである。



ウォーホールの作品はシルクスクリーンで要するに印刷物だ。

古典的な、『魂を振り絞るような』作品制作を、

もっとも嫌ったのがこの人だった。















そんなこととは関係なく、

絵画にこんなキチガイじみた値段がついたのは


投機のせいだ。






土地と同じく、持っていれば値段が上がる。



今日でも、スーダン・ポンドや、ガンビア・ダラシに

投資しませんか?とかいって

引っかかる馬鹿がいるのが信じられないが

絵画はそういう意味で『確実な投資先』だった時代があった。














もちろん、中には

『こんな絵が買える俺ってすごい。』

と勘違いした田舎者もいた。


リスト4位『医師ガシェの肖像』を113億円で買い取った

大昭和製紙の斉藤了英という田舎者は、

田子の浦にヘドロを撒き散らかしながらできた

紙屋の馬鹿息子だった。








大王製紙と言い、紙屋なんてろくなもんじゃねえ。












バブルのおかげでゴッホを手に入れると、その絵の価値よりも、

『その絵を手に入れられる俺ってすごい』

という、すっとこどっこいな勘違いをして、

『俺が死んだら、棺にゴッホを入れて一緒に燃やしてくれ。』

と遺言してもう、こんなのが同じ日本人だと思いたくない。

























中学生になって、


『ものの値段は『原価』ではない。』


というのを知った時は少しショックだった。



『お前が丸太ん棒を削って爪楊枝を作っても、

労力に見合う対価を払ってくれる人はいないのだぞ、』

といわれると、ああそうかな、と。





だから、『鑑定団』は面白い。

画面越しに、素人がみても、明らかにだめだろう、

という品物にじいさんが自信満々に100万円とかつける。




当然1000円とかなのだが、

そのしゅんとなる様子には哀れを感じる。






かと思うと、鑑定士の先生が

『これは貴重なものです、』と言いながら、

『実は私も持ってません。譲ってください』

というのを聞くと、

その品物にマーケットは成立しているんだろうかと思う。




つまり、売りに出しても買う奴はいるのか?











ゴッホのひまわりも名作だとは思うんですよ。

『ひまわり』シリーズは連作で15作品あったとか聞くと

霊験が落ちるが、たぶん名作なんだろう。











しかし、それがあんた、ひとつ60億円ってすごい。

落ちぶれたとはいえ、タイガー・ウッズの年収が

75万ドルだそうだから、『1ウッズ/年』である。




ウッズ、すげえ。








































ちなみに3月30日は、

ロシアによるアメリカへの

アラスカ売却の日でもある。






アラスカがロシア領だった、というのは割と有名だと思う。

そうじゃなくても、ロシア人の領土に対する素早さは

目を見張るものがある。








ロシア人が『民族国家』を成立させたのは、

10世紀後半のキエフ公国、とされている。

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まだウラル山脈も

越えていない。









その後、ロシアは『タタールのくびき』と呼ばれる

モンゴル系のキプチャク・ハン国の支配下に置かれる。

独立を回復したのは14世紀後半。




16世紀にはシベリアの『ハン国』をすべて滅ぼして

東方への拡大を始める。














東欧や、北欧への進出は結構神経質なのに、

シベリアに関しては、いい加減で素早い。









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ロシア領の拡大。

(あんまり、いい画像がなかった。)











シベリアには直轄軍を送るのではなく、

毛皮を捕る業者をやらせた。


ミンクとかキタキツネとか、

そういうのを捕る。








そして、その会社は『露米会社』と言った。



ロシアの、太平洋への港は『ウラジボストーク』というが

意味は『東を征服しろ。』という物騒な意味。



ナホトカという港もあるのだが、そこにある入江は

『アメリカ湾。』





よほど東に行きたかったらしい。


そうして進出した街に宣教師を送り、

現地人に布教できたら、『領土化完成』ということになる。













だから、まともに統治するつもりはない。

ベーリング海峡は凍っていたから渡るのに苦労はなかったが、

食料の輸入を始め物資の輸送はコストがかかった。




毛皮を取り尽くした後のアラスカに魅力はなく、

クリミア戦争の敗戦で金がなくなって、

ロシアはアラスカを売り払った。




それが1867年の3月30日。














そのお値段たるや、720万ドル。



邦貨換算で100億円。

あんまり換算に意味はないと思うけど、

そのときアメリカ合衆国が支払った小切手がこちら。

800pxalaska_purchase_hires









意外とちゃちだな、という気がする。


この紙切れで

アラスカが買えちゃったのか…






















では、『今日の一枚。』














アラスカを買ったことは、アメリカの利益になったのか、

というと、間違いなく得をした。




アメリカ領になった直後、

アラスカではゴールドラッシュが起き、

石油が湧き、天然ガスが出た。


いまでもアラスカ州は全米で一番消費税が低い州、である。













さらに、戦略的にも大きな得をした。

冷戦下、アメリカはアラスカに多数のミサイルを配置した。



アメリカにとってアラスカは重要ではないが

IRBMで国土の中枢に核ミサイルが届いてしまうソ連からしたら、

たまったもんではない。




ミサイルの生存性を高めるためには

非常に重大で嫌らしい領土だった。










ソ連が対抗措置としておこなったのが、

『領土上空への立ち入り禁止。』



実効性はなくてハラスメント(嫌がらせ)でしかないのだが、

領空を侵犯した飛行機は民間機といえども、これを撃墜した。


大韓民国機撃墜事件









こんなことがあったから、アジア-ヨーロッパ便は

アラスカを経由せねばならず、

当時の航空機では航続距離が足りなかったので、

日本人は、全員給油待ちの間に

うどんを食わねばならないのだった。

00000_ankaredge













『AKASKAN SEA FOODS 』って書いてあるから、

アラスカなんだろうな。





日本人ばっかりだけど…    








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2012年3月29日 (木)

死刑の日

3月29日、3人の死刑囚の刑が執行された。

(読売新聞の記事へのリンク)












執行されたのは

『下関通り魔殺人事件』で死者10人、重軽傷者5人を出した

上部康明死刑囚(48)のほか


横浜市で一家3人を殺害した古沢友幸死刑囚(46)、

宮崎県で女性2人を殺害した松田康敏死刑囚(44)。





下関事件が派手だったので

なんだか、3人だ2人だというのがかわいく思えてしまうのだが

こいつら3人とも犯罪の様態は、酷い。








      

然るべく理由があって吊されたので

そのことに同情はしない。














『死刑反対の法務大臣』として有名だった、

千葉大臣が去年、任期末期に2人を吊した。




そのとき、彼女は刑場を公開した。

千葉大臣なりの意見の公開だったのだろう。

すでに参院選に落ちていたからやけくそだったのかも知れない。










しかし、あの画像は、

ちょっとショックを受けた。











『刑場』というのは法律用語。


そこでおこなわれる『刑』は、唯一『死刑』であり

その施設は『滞りなく首を吊す』ことに特化している。


(刑場公開 内装批評)














これほど機能的な建物があるだろうか、

というくらいの合理的なプラン。

なにしろ、主たる使用者であるはずの『死の受刑者』は

振り向くことさえ許されない。
    

 

    



トイレもないのだ。  

  
意味がないからである。

    

    


    

   




人間というのは首を吊したら、
  

 
そのまま大小便を垂れ流す。





    

 

 

   



従って、教誨室に入って以降、一切の水回りがない代わりに  

 
吊された後の部屋は、 

 
壁まで洗える完全防水だ。











   

      








このニュースの配信が、午前11時半だったことを思うと

おそらく、起床と同時に死が告げられたのだろう。





死刑囚というのは、純粋に『死を待つ人』である。

生産的なことはなにもしない。許されもしない。

期待されもしない。







唯一『死の宣告』がないのは日曜と祝日、そして盆と三が日。

それ以外は、呼び出しに怯えて暮らすのだそうだ。

ざまあみろ、としか思わないが、かつては、

前日、あるいは休日を挟んで2日前の言い渡し。

ということがおこなわれていたそうだ。











どっちが残酷なんだろう。











もちろん、それは罪に対する対価であって、

そこに同情を差し挟んではいけないのだが、



『よっ。明後日死刑ね。』といわれるのと。

『ほら、今日行くぞ。』と寝起きを叩き起こされるのと

どっちがいいだろう。













うん、死刑になるような罪を犯さないことだね。
















とにかくこれで3人消えた。




しかし、まだ確定死刑囚は100人以上いる。

『明日に怯える罪人が』まだ100人以上いて、

『明けない夜』を願っているのだ。















次は誰だ?











かなえも安心するなよ?



大阪府教育大附属池田小の殺人犯、宅間伸は

判決確定後1年で吊されている。





冤罪だと思えば堂々戦ってもいいけど、

死刑囚がみんな、独房の中で文鳥を飼って短歌を詠んで

優雅に過ごせると思ったら大間違いである。





貴様らの文章に価値を見いだす奴など、いないと思え。

 

 

 

 

    





















では、『今日の絞死刑。』























1968年公開の、大島渚監督『絞死刑』




現在では『死刑』は、同じ東京拘置所内の『新北棟』と呼ばれる
建物の中でおこなわれている。



これは、同じく小菅の『旧刑場』でのもの。







しかし、手続きその他は現在でもこんな感じだと思われる。

あ、タバコはもらえないらしいです。










そして、恐ろしいのは、刑場の内部はセットだけど、
空撮の画像は実写なのだ。



なんちゅうセキュリティか…
『教祖』を奪還しに来る団体だっていた時代なのに…

 

 

 

 

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2012年3月26日 (月)

名前をめぐるエトセトラ

大阪府泉佐野市で盛り上がる『名跡問題』。 



地元にも波紋を拡げているらしい。

そりゃそうだろう。

(読売新聞の記事へのリンク)














さらに、香川県高松市はJR高松駅を

「さぬきうどん駅」にする、という。

(読売の記事へのリンク)











『要潤が駅でうどんでも食うんでしょうか。』


『電車に顔写真をラッピングするらしいよ?』


『JR四国に

電化区間があったんですか?』


『予讃線と土讃線の一部が電化されてる。』


『むかし、四国出身の女の子が

『四国には電車が走っていません。』と自己紹介して

意味がわからなくて、周囲を唖然とさせた。』













『それにしても、高松ってのは確かにイメージの薄い街だ。』


『そんなこと言って大丈夫ですか?』


『瀬戸大橋ができる前は、四国との交通手段は

宇高連絡船だけだった。』


『1988年に瀬戸大橋ができると、

高松駅の乗降客数は、3/4以下になるんですよね。』


『高松ってのは、四国勤務の華だった時代があったんだ。

宇高連絡船だけしかなかった名残で

全国規模の会社の四国支店や、役所はみんな高松にある。』


『いまは違うんですか?』














『さすがに、支店を変えるような企業はあんまりいないと思うが

松山とかにシフトしてるところが多いんじゃないかな。』


『なんでです?』


『高松ってのは、車や鉄道では大阪から遠すぎる。

飛行機じゃ近すぎて、便数がない。』


『勝手な話ですねー。』


『そこで「讃岐うどん駅」だ。』


『そんな理由?』


『よっぽど困ってるんだろうなあ…』


『確かに高松を目的に観光しようとは思いませんね。』


『そもそも香川県の認知度が低いんだろう…』


『うーん…』


『……』


『うどん屋ったら、大阪もうまいでっせ。

十三のションベン横丁の出口にある

うどんなんか、酔うて食うたら実にうまい。』


『そら、酔うてるからや。

神戸もうまいぞ。モトコーにあったうどん屋なんかうまかった。』


『いまはないでしょ?』


『マスターが、シルバーグレイで七三で

ワイシャツでネクタイ締めて

もう、銀行員じゃないか、と思う風体で

銀行員みたいに礼儀正しいんだけど、うどん屋なんだ。』


『うまいんですか?』


『すごくうまい。』


『へー、行ってみよ。』


『いまはないんだよ。』


『銀行に戻ったんでしょうか…』



















『まあ、うどん駅とかうどん県はしゃれだそうですから。』


『でもそうなると、田舎者が、

「厚木駅を「シロコロ駅にする。」とか言い出すんだ。』


『シロコロの名前は、商店会連合会に仁義を通さないと

使わせない、とか

どうやったらそういう田舎者の発想ができるんでしょうね。』


『そもそも、「シロコロホルモン」は本厚木駅だ、とか

言い出しかねないよな。』


『…名前って、いい加減なもんですよねえ…』





























『私は、引退しますっ。』


『やめないで。あっちゃーん。』


『あ゛っぢゃーん…』


『ちょっと、まったぁーっ。』


『な、なによあんた。』


『勝手に名前を捨てるなんて許さないわっ。』


『え?あたしはグループを辞めるだけで

芸能界を引退するわけでは…』


『とにかく、あたしが今日から 

     
   
「新・前田あつ子」よっ。』
    

 

『…加勢大周?』


『あまりに話題が古いから、

ATOKも「かせたいしゅう」を変換しないわっ。』


『だから、あたしは芸能界を引退する訳じゃないの。』


『とにかく許さないわっ。

「新」を名乗ればヌードだってなんだって。』


『こんなネタを公開したらあっという間に炎上しそうね…』


『ふんっ。あたしたちを踏み台にして

女優になろうとしても無駄よ。』

 

『違うわっ。誤解よっ。』

                             
『おにゃん子出身の成功者は、

秋元先生の奥さんだけじゃない。』


『……』


『……』


『とにかく、ご飯食べにいこ?みなみ。』        
    

 

        
『うん…』
     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の加勢大周。』

 

 

 

 

 

 

 

全盛期。

 

 

 

 

 

晩年。

0000_kastaishuu


2008年に

大麻取締法で逮捕

芸能界を引退。








     

 

 

 

 

 

新加勢大周 改め 坂本一生

 

0000_shin_kase_2    

 

本家の加勢大周よりも

あっさりと落ちぶれて、

これは7年前、女性誌に載った

ヘアヌード。

 





まだ芸能活動を続けているそうだが、どうでもいい。 

  

『どうだッ。』っていわれても、  

ものすごくどうでもいいや。    

 

 

 

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2012年3月25日 (日)

警察手帳の偽造、承ります。

警察官が警察手帳を偽造していた、

というニュース。

(読売新聞の記事へのリンク)

 

      

大阪府警の40歳代の巡査部長がパソコンで

原本を作り、業者に依頼して手帳に仕上げて、

ネットで売っていた。

しかも1000万円以上の売り上げがあった、

というのだ。












さて、このニュース、

いくつかわからないところがある。







まず、売れるの?




警官の制服であれば、

然るべく需要があるのはわかる。

力強く言い切ることではないし、

買うこともないと思うが

そういう気持ちはよくわかる。わかるのかよ。









そういうのを買う人は、

それを悪用しようとする人だと思う。

実際1月には、偽造の警察手帳を見せて

わいせつ行為をした男が捕まった、という。






へー、そんなんで信じちゃうもんかなあ…

















そして、この

『警察手帳を偽造してくれる会社がある。

というのも訳がわからない。





ちなみに、警察手帳というのはこんなの。






0000_techo1_4     

平成14年まで使われていた

旧式の警察手帳。

(警察庁HPから)

 

 

 

 

 

     

そして、現在の警察手帳がこちら。







0000_techo2    

 

日本って

オープンな国だなあ。

(これも警察庁HP)

 

 

 

 

 

     

二つ折りで本革製。

上部には身分証明書。

下部には合金製の徽章が入っている。


 

徽章には、所属警察名などが入る。

これの刻印には特殊技術が必要なのだが

ちゃんと請け負う業者がいて、

そのお値段たるや、徽章ひとつにつき

16,000円である。

(手帳一冊の値段ではない。)

(石忠彫刻展のウェブサイトへのリンク)













そもそもこんな商売が許されるのか?

とおもうのだが、いまのところ合法で、

リンクした読売のウェブ版ではわからないと

思うのだが、朝刊にはこんなことが書いてある。 

『(有印私文書偽造の)容疑では、

販売相手が悪用することを知っていないと

罪にならない。』






つまり、偽造するだけではもちろん、

いかに怪しそうな奴が買っていっても、

販売するだけでは罪にはならない、

というのだ。 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんですと? 

 

 

 

 

 

 

『…はい、なんでしょう…』

 

『奥さん、私こういうものですが…』

 

『あら、刑事さん?』

             
『はい、八曲署のものです。』

  
『また殺人犯が逃げ込んだとか?

もう、やだわ。こんな治安の悪い街。』

              
『お、奥さんっ。』

  
『待て待て待て待て。』

         
『ど、どうしてです?平日の昼間なのに

ネグリジェ姿。頭いっぱいのカーラー…

ぼ、僕はもうっ。』

  
『いやいやいや、あなたが警察手帳なんか

見せるから

利用して扉を開けたのよっ。

こんなの犯罪だわっ。』

  
『違います。』

  
『ど、どうしてよっ。

警察手帳を悪用したら犯罪よっ。』

『そうじゃないでしょう。あなたは、

私が「関西電気保安協会のものだ」といっても

扉を開けたはずですっ。』 

  
『…ぐっ…』

              
『あなたは権威に弱いんですっ。』

 
『で、でも。』

               
『そんな人にこそ、めくるめく

フェティシズムの世界へようこそ』

 
『日本語がおかしいわよ…』

 

『婦人警官の制服も

各種取りそろえています』  

 

Uniform_now02     

 

現行制服(冬)

 

 

 

『すごいわね。警察庁…』

 

『過去のバージョンの制服もあります。』

  

Uniform_old02      

 

 

 

 

 

『右端の人、バスガイドじゃない?』

































では、『今日の「猫まっしぐら」。』

 

 

 

 

 

 

        

猫ひろし、

カンボジアのオリンピック代表に選出。

(読売の記事へのリンク)

 

 

   
 

まあ、がんばれ…






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2012年3月24日 (土)

あの島をケイマンに

AIJ投資顧問の架空投資事件。

ケイマン諸島の会社で運用に失敗してすってんてん。

客から預かった千数百億円の資金が消滅、というニュース。

(読売の記事へのリンク)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

AIJが資金を運用した会社がある「ケイマン諸島」ってのは

いったいなんなんです?』

 

『えーと、タックス・ヘイブンって呼ばれてる島だな。』

 

『名前はよく聞きますけどね。

「タックスが天国」、なら税金がただなんですか?』

 

『「ヘイブン」は「天国」じゃなくて、「安い税金」ってことらしい。』

 

『税金を安くして、そのヘブンな国には

なんのメリットがあるんでしょう。』

 

『外貨がジャブジャブ集まるとか何とか

って、経済のことを俺に聞くなよ。』

 

『しかしこれを書かないと、後の話がさっぱり…

それはともかく、ケイマン諸島に進出している企業は

外国人ばっかりなんですね?』

 

『イギリス人もいると思うけど…

しかし、そこの国籍がなくても法人登記ができるんだと。』

 

『タックスヘイブンにすると、海外の会社が来てウハウハ、

とか聞きますが、進出する会社も

そんなにいいもんだったんですか…』

 

『そりゃもう、ウハウハだ。なにしろ、

金の出入りについてもうるさいことをとを言わない。』

 

『そうなると、…』

 

マネーロンダリングがやり放題だ。』

 

『麻薬とか、暴力団のお金の

汚い履歴を消すことができる、という。』 

 

『へー…』

 

『…あんまりうらやましくないですね…』

 

『でも、個人でもそういう会社に投資する奴がいるんだって。』

 

『なんでです?』

 

『節税対策になる、とか言うらしいが。』

 

『へー…』

 

『で、ケイマン諸島ってどこよ。』

 

『ここですね。』

 

『だからどこ?』 

 

『えーと、キューバの南にある島です。』

 

 

2012y03m23d_213728549

 

(クリックで大きくしてくださいね。)

 

 

 

『カリブ海の国は訳がわかりませんねー。』

 

『島ごとに宗主国が違うんだよな。

イギリス、スペイン、オランダ、フランス、デンマーク…』

 

『隣の島が違う国なんですね……イギリス領だけでも、

ジャマイカ、グレナダ、アンギラ、ドミニカ…』

 

『イギリスは戦後1945年に、カリブ海の植民地をまとめて

『西インド連邦』というのを作ろうとした。』

 

『へえ、そんな時代に珍しい。』

 

『だって離島ばっかりで石油が湧いて出るわけでもない。

役人や警官を派遣して学校や病院を作っても効率が悪すぎる。』

 

『植民地にしといて、勝手な話ですねー。』

 

『もう、カリブ海でまとまってやってくれ、と。』

 

『だけどあんた。

トリニダード・ドバゴとケイマン諸島は

2000kmくらい離れてるんですぞ?』

 

『構想が発表されると、自力で食っていける

ハバナとバミューダ、ホンジュラスが離脱。』

 

『ははあ…』

 

『1958年に独立しても、主導権を争って、

ジャマイカと、トリニダード・ドバコが離脱して分裂。』

 

『うーん…』

 

『ケイマン諸島やバージン諸島はイギリス領に戻って

基本的には観光地なんだけど

本国から見放されるような僻地だから

タックス・ヘイブンとしてよろしくやってくれ、と。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『しかしイギリス領で

タックスヘイブンとかにしてもいいんですか?』

 

『どういうこと?』

 

『だって、タックスヘイブンって言うと、

マネーロンダリングの悪の温床。

ビンラディンが生きていた頃には、

アル・カイーダの資金洗浄を嫌って、

アメリカが世界中のタックスヘブンをつぶして回ったでしょう。』

    

『そうだっけ…』

 

『ナウルなんか、そうですね…』

 

『ああ、あの国』

 

『燐鉱石が採れたあの国では、税金もなく、

逆に国民は年金がもらえたから「働く」という概念を持たず、

のほほんと暮らしていたんだけど、燐鉱山が尽きると、

国中をタックス・ヘイブンにしようとしたんですよね。』

 

『ところがたちまち、アル・カイーダとかが集まってきて、

アメリカに怒られて制度を廃止した、と。』

 

『まあ、アメリカは神経質になっていましたからねえ…』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『そこでな。』

 

『あ、ろくでもないことだ。』

 

『尖閣諸島をタックス・ヘイブンにしよう。』

 

『アメリカに怒られるって言いませんでしたか?』

 

『うん、だから表向きは非合法な組織はだめってことにしよう。』

 

『だけど、そういうところは、ゴルゴとか

キムジョンナムとかタリバンとか、

そういうアンタッチャブルな方々に

ご利用していただかないと

商売にならないでしょう。』

 

 

 

 

 

 

 

 

『じゃあ、択捉島。』

 

『その、「じゃあ」は

どっから出てくるんですか?』

 

『馬鹿野郎っ。』  

 

『ひっ。』

 

『北方領土は日本領だ。』

 

『もちろんです。』

 

『北方領土には、日本国の法律が適用される。』

 

『そりゃ、建前はそうですが…』

 

『馬鹿野郎っ。』

 

『ひっ。』

 

『北方四島に本籍がある人の戸籍原本は、

釧路地方法務局根室支局に保管されていて、

いまでも請求できて、当然有効だ。』

 

『ほう。』

 

『さらに、土地の登記簿も根室に保管されていて

相続の手続きなんかができる。』

 

『ということは?』

 

『法人の設立登記ができるんだよお…』

 

『あ…』

 

『しかも、露助が居座っているおかげで

日本国の法律は有効だけど執行できないから

違法にロンダリングったって

もう、しょうがねえよなあ。』

 

『こらこらこら…』

 

『つまり、山口組ウェルカム、と。』

 

『やめいっ。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の一枚。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちゃんと、こういう本もある。

0000_haven     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

著者の『スティーブ金山』という名前が

素晴らしく うさんくさかったので検索したら

ブログがありました。

 

プロフィール写真が、怪しさ満開。

 
  


   

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2012年3月23日 (金)

出歯亀の日

3月22日は『出歯亀事件の日』。

 

1908年(明治41年)のこの日、

豊多摩郡西大久保村の銭湯に行っていた

役人の妻、妊娠5ヶ月の幸田ゑん子が、

帰ってこない。

心配した旦那の通報で捜索がおこなわれると、

27歳の美人妻は姦淫されたあげく、

窒息死していた。

(Wikipedia 出歯亀) 

 

 

 

 

逮捕されたのが、当時35歳の池田亀太郎。

彼は、植木職人でとび職だったとされる。

女風呂を覗く常習犯で、実はこの事件日も

『洗い場の板戸の節穴。』から覗いていた、

とされる。

 

 

そんなところから覗けるかなあ、

と思うのだが、困ったことにこのおっさんは

のぞきの常習犯であるだけではなく

気に入った女性を追跡して、

湯上がりの状態で襲う、つまり強姦だが

そういうことの常習犯でもあった。

だから『性犯罪者』としてマークされていた。

 

 

 

ここまでで十分に、目立つ事件なのだが

逮捕された亀太郎の面貌が

およそひどいものであったが故に

報道は更に過熱する。 

 

 

極端な出っ歯だった、というのだ。

 

 

 

     

 

 

 

事件が起こったのが3月22日、

亀太郎氏の逮捕は4月4日。

 

 

『湯上がり美人妻の強姦殺人』

というニュースは世間の耳目を集め、

警視庁はメンツを掛けて捜査した。

 

犯人としての亀太郎氏の特定は相当に早い時期

だったらしい。

もっとも、亀太郎は6月の初公判で

供述調書をすべて否認。

真っ向から主張が相違する裁判となって、

さらに世間が注目する。

 

結果として亀太郎氏は無期徒刑

(現在の無期懲役)を食らうのだが、

ここまでの報道はひどいぞ。 

 

 

 

    

 

0000_debagame6_2 事件直後の報道 

『容姿端麗』はともかく

『円満なる主婦』は

    余計じゃないか?

 

 

 

 

 

そして。事件が起こった明治41年の主要紙の

大見出し。

0000_41th

 

 

 

 

(クリックで大きくなるけどさ。)

 

 

 

 

予審の段階で「出歯亀」という名前が使われ、

法廷でも弁護士が「出歯亀」と呼んだ。

 

衆目を集めた事件だったが故に、

こうやって、世間的に有名な事件となり、

いまでものぞき魔のことを『出歯亀』という

 

『出歯亀』というのは、

固有名詞だったわけですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

別件逮捕で取り調べをしたり、

今見ると信じられない捜査だが

新聞報道は、もっとひどい。

 

 

逮捕直後、まだ公判も開かれていない段階で

「大久保美人殺 出歯亀の自白 畜生に劣る

色餓鬼」4月4日の逮捕直後には、

「出歯亀逮捕談 忽ち顔色土のごとし 

鬼の首を取った心境。」

初公判には「出歯亀見物の雑踏」という

くらいである。

 

 

 

いかに、新聞がくだらないものか

ということがわかるだろう。

 

 

 

かなえだ  オセロだ  ということと

同じ事を全国紙がもっと愚劣で扇情的に

報じていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Wikipediaは『亀太郎は冤罪だった』という事

誌面の半分を費やしているのだが、

それもくだらない。

 

痴漢と殺人犯では、確かに大きな違いがあるが

Wikipediaの投稿者は、意図的に

戦前と戦後の刑法の違いをごまかしている。

 

こういう人権派気取りの馬鹿は嫌だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

亀太郎は無期徒刑の判決を食らうが、

5年後に仮釈放されている。

Wikiのえせ人権派は、

『ほら、無罪だったんだよ』とか吠えあげて

いるのだが、

 

この人の晩年は、そういった

支持者の全てをきれいに裏切って

素敵に馬鹿である。

 

 

 

 

0000_deba4_3     

昭和8年(1933年)に

亀太郎氏が再び

のぞきで捕まった時の

新聞記事。

 

 

 

 

 

 

亀太郎氏は、最初の殺人事件の後

5年で釈放されて、

それで、田舎にでも引っ越すのかと思いきや、

犯行前と同じところに舞い戻っている。

 

標記の記事で逮捕されているのも早稲田で、

最初の事件の場所大久保と、

ほとんど変わりがない。

近隣は、今以上に口さがなかったはずで

なに考えていたんだろう。

 

おそらく魯鈍だったと思うのだが

人権派のWikipediaは決してそういうことを

言わない。

さらにこの人はアル中だった形跡が濃厚

なのだが  そのことについてWikipediaは

沈黙している。

 

そして、世間がいかにアル中に偏見があるのか

ということについて

朝日や、読売の記者ごときが

いかに酷いことをしてきたか絶対に許さない。

本当に、絶対に許せない。

 

 

 

文句があるなら

受けて立つからかかって来やがれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の一枚。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『出歯亀』こと池田亀太郎の

顔はどのようなものだったのか?というのが

こちら。

 

 

0000_debagame2_2不思議なことに

今日遺されている亀太郎氏の

ほとんど唯一の肖像。

美男ではないが

それほどの出っ歯だろうか。

 

 

 

 

ちなみに、昭和3年。

『老痴漢。捕まえてみれば往年の出場亀』

という記事が出た時、

亀太郎氏は60歳であった。

還暦だ。

 

 

 

事件後に、ほぼ同じ場所に舞い戻ったのは

生活力のなさなんだろう。

 

猟奇犯人でも、

女なら阿部定みたいな生き方ができたかも

知れないが

この人は60まで土木作業員を努めて、

あげくにのぞきで捕まっている。

 

なんか、哀れを感じてしまう。

 

殺人が事実なら糾弾されても仕方ないが、

25年後ののぞき事件を全国紙で報じちゃう

あたり、マスコミも残酷だ。

出歯亀もかなえもオセロも、

全然変わってねえな。と思う。

 

お前ら、そんなに正義か?

 

 

 

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2012年3月22日 (木)

泉佐野市は『泉ピーチ市』になります。

関空開港を見込んで、無茶な起債で借金して

公共事業に投資したたあげく、バブルがはじけて借金まみれ。

 

早期健全化団体に陥った大阪府泉佐野市

なんと、『市の名前を売り出す』というニュース。

(読売の記事へのリンク)

 

 

 

 

 

 

 

『市の名前を売るなんて、前代未聞だ…』

 

ネーミングライツって奴ですか?』

 

『企業名だろうが商品名だろうが街の名前にできる。

「やずやのにんにく卵黄 市」でも、オッケーだ。』  

 

『泉佐野市って、そんなに貧乏なんですか?』

 

『 関空ができたら,りんくうタウンにたくさん企業が来る。

関空会社も含めて地元企業が大儲けしたら

税金や連絡橋の料金がジャブジャブ入る。』

 

『ははあ…』

 

『それに世界中の観光客がゲートタワービルに泊まったら、

タオルとタマネギの田舎町も大いに潤う。

という皮算用をしていたんだ。』

 

『ふたを開けたら?』

 

『バブルがはじけて、りんくうタウンは大コケ、

りんくうゲートタワービルはツインタワーにするはずだったのに

一本しか建たなくて、しかも倒産した。』

 

『Wikipediaをみると

「りんくうタウンは95%が完売。企業の進出ラッシュで

地元は大いに潤ってる」って書いてますよ?』

 

『嘘に決まってるだろうっ。』

 

『Wikpediaって、時々とんでもない嘘が書いてありますよね。』

 

『関空会社が赤字で、連絡橋を維持できないから

国に移管したら、固定資産税が入らなくなって

補助金をくれって言ったら断られて、もう大騒ぎだ。』

 

『バブルのせい、だとしたら気の毒な部分はありますけどね。』

 

 

 

 

 

 

 

 

『それでも街の名前を変えるなんて聞いたことがない。』

 

『豊田市は市制を敷いたあとで

名前が変わったんじゃなかったですか?』

 

『挙母(ころも)から豊田ね。』

 

『でも、いまはそんな程度の由緒さえないような、

DQN都市名があるじゃないですか。』

 

『合併すると、どちらかの名前をとるかで喧嘩になる。』

 

チェコスロバキアみたいに、名前のおかげで

分離しちゃった国もありますもんね。

そのおかげで、東西南北をつけたりカタカナにしたり…』

 

『しかし、変な名前の街の出身だと、

結婚披露宴の時とかに恥ずかしいだろうな。』

 

『新郎は南アルプス市に生まれ、

北海道にある東京インターナショナル大学第2社会学部を

優秀な成績でご卒業されたあと、ケチャップ銀行に入行…』

 

『新婦側の招待客がひくのが目に見えるようだ。』   

 

 

 

 

 

 

 

『ああいう、すっとこどっこいな街の名前をつけるときは

アンケートとかを取るんですよね。』

 

『そうそう、これが面白いんだ。』

 

2012y03m21d_154528650_3   

 

 

 

 

 

 

 

『2005年に成立した山梨市が、名前を決めるに当たって

市民にアンケートを採った結果がこれだ。』

 

『山梨市なんてありましたっけ。』

 

『歴史は古いんだ。1954年に2町4村が合併して

旧山梨市ができている。

それが拡大する時のアンケートがこれ。』

 

『だから、「新山梨市」とかがあるのか…』

 

『「やまな市」、がないのが惜しい。』

 

『県庁がある訳じゃないですよね?』

 

『山梨の県庁所在地は甲府市だ。

県名を名乗っていながら県庁がない市は

ここと、沖縄市と長野市と栃木市くらいだ。』

 

『どうも言葉に刺がありますね。』 

 

『それよりも、この結果を見ろ。

おそらく市内のこどもにアンケートしたんだろうが…』

 

『フルーツ市ってのは…』

 

『ワイン市くらいだったら面白いんだけどな。』

 

『何でもいいのよー。この街のイメージを名前にしてねー。

ほおら、特産は何かなー?

ブドウ?梨?おやおや、フルーツばっかりだねー。』

 

『そういう風景が目に見えるようだ。』

 

 

 

 

 

 

 

 

『こんな街もある。』

 

2012y03m21d_163854445   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2012y03m21d_154528650_2(クリックで大きくなります)

 

 

『これは?』

 

『市制移行を検討している、千葉県の大網白里町が、主に

町内の小中高校生を対象に採った新市名のアンケートだ。』

 

『これが結果?』

 

『これは少数意見。

全体としては6割ちかくが「大網白里市」だったんだけど。

得票2票とか1票になると、ひどいだろ?』

 

『「東千葉市」とか、「南千葉市」ってのは

プライドもなにもないですよね。』

 

『千葉と隣接してるけどな。

「千葉中央市」っていうのは四国中央市のパロディなんだろか。』

 

『「なのはな市」なんてかわいくていいじゃないですか。』

 

『それがいいっていうのは、よそもんの感覚だ。

その住所で暮らさなくちゃいけない

地元の人間の立場を考えてみろ。』

  

『…そうか…』

 

『それよりも、アミリー(網里)市、舞網(マイアミ)市、波乗り市

ビッグネッツ市…』

 

『ビッグネッツって?』

 

『大網じゃない?』

 

『あたまわりー。』

 

『そして、最高傑作は

”大網オーシャンブルー白里市”』

 

『まじめなニュースで、NHKのアナウンサーが

どんな顔して読むかと思うと…』

 

『殺人で指名手配された凶悪犯が千葉県で逮捕されました。

大網オーシャンブルー白里警察署前から中継です…』

 

 

 

 

 

 

 

 

『いやいやいや、そういう事じゃなく、

今回の泉佐野市の『名前募集』は

ネーミングライツとして、企業に売るわけでしょう。』

 

『まだ売るかどうかも決まってないけど。』

 

『そうするとまた、

訳のわかんないスポーツ用品会社とかが…』

 

『いや、仮に公募するとしても

これは「出来レース」だよ。』

 

『公募で「出来レース」?』

 

『だってお前、まさか外国企業には売れない。

できれば地元企業に買って欲しい。』

 

『泉佐野にそんな有名企業がありましたっけ。』

 

ピーチ・アビエーションさ。』

 

『あ…』

 

『 関空を拠点に路線を拡げるLCC、「ピーチ航空」。

関空復活の鍵を握る企業がここだ。』

 

『…うーん、それはわかりますが…

ここが買うとなると、新しい街の名前は?』

 

『泉ピーチ市。』

 

『うわあ,頭悪そう……』

 

『でもお前、ミスコンをやれば優勝者を

「ピーチ姫」と呼べる。』

 

『おお、そうか…』

 

『市長がマリオの恰好をして、

花束を渡すわけだ。』

 

『あ、それは面白いかも。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の一枚。』

 

 

 

 

 

 

 

『「佐野」っていう歴史ある名前を残せ、って意見が

出るんじゃないでしょうか。』

 

『そのときは「佐野・ピーチ市」。』 

  

0000_huyuhiko_2   

 

冬彦さん…

桃も花束もいらないわ

 

 

 

 

『…頭悪そう…』 

 

 

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2012年3月21日 (水)

フォークランド紛争の日

3月19日は『フォークランド紛争』が

始まった日。

1982年のこの日、アルゼンチン兵900人が

上陸した。  

 

 

4月1日には全島を占領。 

 

 

 

これを取り戻すべく、

イギリスは空母機動艦隊を派遣。 

3ヶ月間にわたってイギリスとアルゼンチンが 

この島を巡って争ったのが

『フォークランド紛争』

 

この時のイギリスの首相が、いま映画で有名な

マーガレット・サッチャー

 

2012y03m20d_090033476_2

『鉄の女』




     

うそ、ごめん。

実際はこちら、  

 

2012y03m20d_090140415_4
メリル・ストリープは

うまく化けてやがんなあ… 




      
    
     
       
    
    
     

      
      
フォークランド諸島というのは、ここ。

 

2012y03m20d_092257709


大西洋の南の端っこ

 

 

 

 

 

     

      
    
    
    
    
    
    
       
       
     
      
       
もうちょっと寄ると、こう。

0000forkland_island

アルゼンチン本土から700km

イギリスからは14,000km

 

 

 

 

             
       
       
        
      
         
        
        
        
        
       
       
       
        
       
           

こんな南海の孤島がイギリス領になったのは

割と最近で1833年のこと。 

 

 

汽帆船の時代は、給水・給炭港として

必要とされた。用途は捕鯨船の補給港。

        
イギリスも捕鯨国だったのだ。

 

 

 

 

 

 

そして南米の先端、マゼラン海峡のすぐそばに

あるこの島が、

戦略的な意味を持った時代があった。

 

 

『フォークランド紛争』というと

イギリスとアルゼンチンとの戦争だが

『フォークランド沖海戦』というのもあって、

これは第一次大戦での、ドイツ艦隊との戦い。
       

 

 

 

 

 

第一次大戦当時、

飛行機はまだ、『紅の豚』の時代で潜水艦も、

とても遠洋に出て行ける能力はなかった。

 

 

00000000000000000000000000000000000
飛びたい豚も

これじゃ飛べない

 

       
     
     
     

唯一、広域での通商破壊作戦が行えたのが

巡洋艦。 

 

 

 

巡洋艦は、文字通り

『大洋を巡る(めぐる)(ふね)』であった。

 

長大な航続距離を持ち、

戦艦よりも速く、大砲もある。

民間船であればとても太刀打ちできない。

 

 

第一次大戦開戦当時、

ドイツは、中国の青島に要塞と海軍基地を

持ち、そこに有力な巡洋艦艦隊を持っていた。

  

そして、南洋群島やニューギニア、ナウル、

サモアなど太平洋に広く勢力を持っていた。

 

 

 

 

 

第一次大戦での日本の参戦について、

『終戦後の利害を計算しただけだろう』

という説があって、対華21箇条要求とかを

見ていると弁解の余地はないのだが、

『ドイツ東洋艦隊を何とかしてくれ』という

ことをイギリスから頼まれたのは事実である。

 

 

 

 

 

参戦した日本は直ちに青島を陥とし南洋群島

なども攻略していく。        

 

ドイツ艦隊は、日本海軍と戦うだけの力は

ないので、日本参戦の報を聞くや直ちに退避。

 

巡洋艦エムデンなどの一部の艦隊は

インド洋に進出してイギリスを悩ませる。

主力艦隊は南太平洋を回って、

オーストラリア艦隊と戦ったりしながら、

マゼラン海峡を回って大西洋に出る。

 

 

 

そこで、イギリス艦隊と遭遇して海戦。

全滅した。

 

 

 

 

 

 

 

 

しかしフォークランド諸島が

戦略的な意味を持っていたのはこの時代まで。

 

第二次大戦では出る幕がなく、

戦後、レーダーと偵察衛星の時代になると

絶海の孤島の遠隔基地の戦略価値は

著しく低下した。

 

 

 

 

 

そもそも、イギリス海軍が変質した。

  

1947年のインド独立、1956年のスエズ動乱の

敗北でアジアへの影響力を失ったイギリスは、

世界規模の艦隊を維持する必要が

なくなっていた。 

 

      

さらに、第二次大戦後のイギリスは、もはや

『七つの海を制する世界艦隊』を維持する

体力がなくなっていた。

 

 

 

 

 

60年代から70年代、

『ゆりかごから墓場まで』という社会保障の

重みにイギリスは耐えかねていた。

 

高度な社会保障の一方で、高い税金や

無駄な公務員をたくさん抱えた非効率な政府。

 

経済面でも、アジアの新興国に破れ続けて

名門メーカーを国策で統合してもすぐに倒産

 

 

『英国病』と呼ばれた。

         
      
    
     
    
    
     
ああっ。まるで、いまの日本だっ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とにかく、『機動部隊なんか贅沢じゃね?』

という意見が有力になって、

『空母やめようか?』という議論が出る中で

かろうじて残されたのがフォークランド紛争の

主役、インビンシブル級空母。

 

 

00000_invincible



空母インビンシブル

 

 

 

 

 

 

      

     
    
    
    
    
    
    
    
      
      
     
      

アメリカのニミッツ級空母が10万トンという

時代に2,2000トン。

カタパルトもスキージャンプ甲板も持たない

(原設計)というのはいくら何でも中途半端だ。

 

そもそもこんな小さな空母で飛ばせる飛行機が

ないのでイギリスは飛行機から作った。

  

シーハリアーという飛行機で、

これはジェットエンジンの吹出し口の向きを

変えて、なんと真上に離陸できる。

そればかりか、ヘリコプターのように

ホバリングもできる。

 

 

 

 

実際の運用では、あんまりそういうことは

しないで、単純に滑走距離の少ない

STOL機として使われたらしいが

とにかく貧乏にあわせて空母と飛行機を

開発する、という世界の軍事史でも

あんまり例のない事をやる。

   

イギリス軍というのは、時々こういうおかしな

事をする。

フォークランドで勝ったから、

サッチャーはヒロインになれたが

負けていたら大笑いだ。

 

 

 

 

 

実際、フォークランドでのイギリス軍は

苦戦している。

 

 

 

 

  

イギリス軍は空母2隻を基幹とする機動艦隊を

送った。艦艇110隻、艦載機120機、というと

聞こえがいいが

損害も大きくて、6隻の艦船と30機以上の

航空機を失っている。   

 

フランス製のエグゾゼミサイルの一撃で

真っ二つになって沈んでいく

イギリス駆逐艦の映像が繰り返し流された

ものだ。

 

飲み会で酔っぱらって、『エグゾゼぱーんち』

なんてやっていたあの頃が懐かしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アルゼンチンの側の話をすると、

この島に上陸したのは 

『マルビナス(フォークランド)諸島は

俺たちのものだ』という共通認識が、

あの国にあったから。

  

実際、イギリス領になる以前、

この島はアルゼンチン領だった時代がある。

 

そうはいっても20世紀後半に、

いきなり軍事行動を起こしたのは

アルゼンチンの国内事情。

  

1976年に軍事クーデターが起きたこの国は

独裁政権の常で、経済がだめになって

国民の不満が高まっていた。

 

 

1981年に大統領になったガルチェリ

国内の不安をそらすために、

「ちょっとした戦争」をやろうと思った。

 

 

 

 

  

こういう話は古今東西を問わずよくある。

実際『マルビナス占領』の報が伝わると

国内は興奮に包まれ、軍事政権への不満は

消し飛んだ。

 

ここまでは、ガルチェリの思うつぼ。

その先の見込みについて、彼がどう考えていた

のかはよくわからないのだが

おそらくいきなり戦争になるとは

思っていなかったんだと思う。

 

 

 

安保理に泣きついて、 

非難声明と経済制裁くらいは食らうかも

知れないが、 

あとは  だらだらと外交交渉が始まるはずだ。

 

交渉のテーブルで景気のいいことを

吠えあげていれば 

国内の不満をしばらくそらせられる、と。

 

 

 

 

ところが、相手は『鉄の女』だった。 

 

 

 

  

サッチャーは即座に反攻部隊を派遣する決定を

下す。空母2隻、というのは要するに

イギリス海軍のすべての機動部隊である。

  

これを基幹とする第一陣50隻の戦闘部隊が

ポーツマスを出港したのが

占領4日後の4月5日。

 

兵力の逐次投入をしない、というのが戦争の

鉄則とはいえ、極南の果ての小島の奪還に、

全海軍をたたき込むというのは

恐ろしいおばさんである。

 

 

 

  

勝ったからよかったようなものの、

イギリスは苦戦した。

 

しかし国土防衛のために実力行使を辞さない、

という決然とした姿勢を示したことは 

国際社会におけるイギリスの評価を

高くした。

 

 

       

実際この戦争を指導した二人の指導者の明暗は

戦後、くっきりと分かれてしまう。

 

  

アルゼンチンのガルチェリはこの敗戦の直後に

失脚。さらにすべての名誉を剥奪されて

収監され、獄死。

 

サッチャーは、イギリス史上空前の支持率を

獲得し12年という長期政権を務める。

 

病気のためマスコミに現れることはないが  

2012年現在も存命である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これが日本だったらどうだろう、

と思うのだ。

 

 

  

長々とした前置きはいつものことで反省するが

イギリスが戦後、外洋艦隊を捨てたのは

アメリカに頼ったからでもある。

 

1982年の選択肢として、 

イギリスはアメリカに頼ってもよかったはずだ

 

 

ところが、そんなオプションが検討された

形跡がない。

もちろん、この戦争はまだ最近過ぎて

公文書の開示がおこなわれていないため、

謎の部分がある。

 

 

アメリカと緊密な連絡が行われた事は

間違いないと思うが、他国の軍隊を頼ったら、

占領4日後に

機動部隊を出撃させることはできない。

  

軽空母とはいえ、自前の機動部隊を持っていた

から迅速な出撃ができた、ともいえる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

尖閣諸島あたりにあの赤い国が上陸してきたら

日本自衛隊はこれを排除できない。

 

 

専守防衛を旨とする自衛隊は、

『強襲上陸能力』をまるっきり持っていない

のである。

  

九州で演習するために戦車を運ぼう、

というときに民間のフェリーを使っちゃう

軍隊なのである。 

  

昨年の震災の時に証明されたように、

自衛隊というのは使命に忠実で、

勇気が凛々としていることでは

ゆるぎなく頼もしいのだが、

これじゃあどうしようもない。

 

 

 

 

 

どうするんだろう。

 

 

 

 

 

『いきなり自衛隊を出したら刺激するから』 

とかいって、 

国際司法裁判所に訴えたりするんだろうか。

 

  

それも、相手にされなくて 

居着かれたりするんだろうか。      

 

 

 

ああっ。それじゃ竹島だっ。

 

 

 

 

 

 

 

 

最近の、尖閣近海のガス田や南沙諸島での

中国のやり口を見ていると、人ごとはない。

 

いかに10式戦車が優秀でも、

フェリーで運んでいたら

地上からの砲撃で、一両10億の、

あの戦車があっという間に何両も沈むぞ? 

 

 

 

さらに日本の場合、『まずは真意を聞くため

僕が北京に飛びましょう』なんていう

国会議員が山ほどいそうなところが怖い。

 

 

頼むぜ。もう。

 

 

 

フォークランド紛争は、 

まだ過去の出来事じゃないんだと思います。

 

 

 

 

 

  

ちなみに、

第一次大戦のフォークランド沖海戦の時

イギリス艦隊の旗艦だったのが

巡洋戦艦、インビンシブル

フォークランド紛争の時の空母の艦名も

インビンシブル

 

 

 

『無敵』という意味です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日のモンティ・パイソン』  

 

 

 

 

 

 

 

『 MINISTRY OF SILLY WALKS 』

 

 

 

『英国病』真っ最中、1970年代のロンドン。

 

変態と失業者が街にあふれる中を

クイーンズイングリッシュを使って

タイムスを買い、わかりやすい上流社会の

服装の紳士が出勤するのが 

『ミニストリーオブ シリィウォーク

(馬鹿歩き省)』

 

およそ役に立たない研究をしているくせに、

予算が足りないという役人と、

補助金ほしさにくだらない研究を持ち込む

学者を描いている。

 

『 SILLY 』は『CITY』、『WALK』は『WORK』に

掛けてあるんだろうけど、 

ういうパロディが

BBCで制作・放送されていた、というのが

あの国の侮れないところだと思う。

 

 

 

頼むぜ…

 

 

 

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2012年3月20日 (火)

あの人の判決

『さあっ、4月26日です。

今日は、ここ東京地裁前から生中継をお送りします。』

 

『注目の日ですな。』

 

『現役政治家として、初めて検察審査会の議決で

強制起訴されている、あの被告に判決が下ります。』

 

『有罪なら今後の政局にも大きな影響が。』

 

『しかし、元秘書の供述調書の証拠採用が

却下されたことで、あの人サイドは

最近妙に強気で、生意気ですよね。』

 

『とにかく、その判決が今日下りるわけですよ。』

 

 

 

 

 

『わがJNKでは、真っ先に判決をお伝えするために

「無罪の人」として、ウサイン・ボルトさんを

フィーチャーしています。』

 

『無罪の人?…』

 

『ほら、判決が下りると「勝訴」とか「無罪」って書いた

半紙を掲げて走ってくる人がいるでしょう。』

 

0000_muzai   

 

無罪の人

 

 

『…ああ、あれ。なんであんなことするの?』

 

『裁判は傍聴できるけど、テレビ中継はできないんです。

写真も撮れないから「法廷画家」なんてのがいるでしょう。』

 

『この人、絵、下手だな…』

 

『判決が下りたときに、真っ先に伝える人が要る、と。』

 

『それが職業、ってのもなんか変だなあ。』

 

『養成機関とかあるんでしょうか?』

 

『あんまり、「輝かしい青雲の志」じゃないな…』

  

『襟首つかんで、「美大にまで行って

お前が描きたかった絵はこれか?」って

言ってやりたいです。』

 

『案外満足してるんじゃないかな…』

 

 

 

 

 

 

『判決が言い渡される、東京地裁522号法廷から、

テレビ撮影が許されている正門前まで約100mです。』

 

『ボルトには、10秒を切って欲しい。』

 

『赤坂テレビは、例によってワイナイナを

準備しているらしいですが…』

 

『はんっ。長距離ならともかく、100mじゃ勝ち目はないわっ。』

 

『どうでもいいけど、現役選手が

そういうアルバイトみたいな事をやってもいいんですかね…』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『さあっ。午後3時になりました。』

 

『判決が言い渡されている頃だな。』  

 

『…おや?誰か出てきましたよ?』

 

『あれは、あの国に帰化したマラソン選手っ。』

 

『手には、紙が掲げられていますっ。』

 

『おいっ。ボルトはどうしたっ。』

 

『ボルトも、ワイナイナも出てきませんっ。

猫まっしぐらですっ。』

  

『くそっ…』

 

『紙にはなんて書いてあるんでしょう…』

 

『死刑判決…

死刑と書いてありますよ?』

 

『馬鹿な。あの人への求刑は禁固3年だぞ。』  

 

『個人的には無期懲役くらいでいいと思いますが…』

 

『おいっ。あいつにインタビューしろっ。』

 

 

 

 

 

 

 

『…ハア、ハアハア…』

 

『おいっ、きみ。これはなんの判決だねっ。』

 

『ああ、これはあの「かなえ被告」への判決ですよ。』

 

『え?あいつの判決、13日じゃなかったか?』

 

『熱が出た、とかで延期になっていたんです。

どこまでも裁判員の人に迷惑をかける女ですよ。』

 

『それで、死刑なのかっ?』

 

『はい。主文言い渡しが後回しになりましたから。』

 

『よしっ。こっちのほうが大ニュースだ。』

 

『え?そうですか?そんな軟弱な…』

 

『おい、猫君。スタジオに来てくれるか?』

 

『もちろんです。』

 

『しかし、判決要旨とかの情報がないと、

速報以上の価値はないんじゃあ…』

 

『へへへ…そういうだろうと思って、

かなえ直伝「性の奥義書」を手に入れてきました。』

 

『なにっ。』

 

『見せてくれっ。』

 

『なんであんな くされま○こが、月150万円なんだっ?』

 

『へへへ、見せてもいいけど、 

独占出版の契約をしてくれますか?』

 

『も、もちろんだっ。』

 

『見せてくれっ。』

 

『へへへ…』

 

『おおう…』

  

『あ、ボルトが出てきました。』

 

『いまさら?…』

 

『いまさらって事はないでしょう。』

 

 

 

 

 

 

 

 

『ハアハアハア…』

 

『おいっ。どうだったんだっ。』

 

『おー。ワイナイナ、来てないねー。私、勝ったねー。』

 

『判決はどうだったんだっ。』

 

『私、裁判長が入ってきたからすぐスタートしたよ。』

 

『…うん。』

 

『だから、ワイナイナに勝ったね…』

 

『だから判決は?』

 

『聞かなかったねー…』

 

『てめえっ。また、フライングかっ。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の「性の奥義書」。』

 

 

 

 

 

 

 

 

インド、カジュラホーにある寺院群のミトゥラ像。

ミトゥラ、とはセックスのこと。 

 

0000_india2   

 

 

いやん 

 

 

 

 

 

 

 

 

壁を埋めるセックス。 

0000_india         
    

 

 

 

 

 

ばかん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

壁ばかりか、建物を埋めるセックス。     

0000_india3       

 

 

 

 

 

うふん

 

 

 

 

 

 

いまから1000年前くらいに

建てられたそうです。

 

 

人間なんて、らららーららら、らーらー…

 

 

 

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2012年3月19日 (月)

ミサイル・ラプソディ

『用件を聞こうか…』

 

『うむ。 あの国が血迷って打ち上げようとしている

「人工衛星」という名のミサイルを許すわけにはいかん。』

 

『…撃ち落としたらいいだろう…

PAC3やイージス艦を展開するんじゃないのか?』

 

『…ははは、まだ準備だよ。

いろんな可能性を想定して「頭の体操」として

シミュレーションしているだけだ。』

 

『そっちの計画が始まらないと、準備のしようがない。』

 

『…ははは、あの国のテレビ放送にうろたえて

軍隊を準備したら、なんか恥ずかしいじゃないか。』

 

『そっちの軍事行動で、俺の作戦が制約されるなら断る。

誰かに遠慮しながら仕事をするのは俺の流儀に反する…』

 

『ま、まってくれっ…』

 

『それに、そちらが外れた場合の保険という扱いも気に入らない。

この依頼は引き受けられないな…』

 

『わかった。待ってくれ、ミスター・G。』

 

『俺にフリーハンドが与えられない限り、この仕事はなしだ…』

 

『わかったっ。自衛隊は何もしないっ。』

 

『え?いいの?』

 

『なあんにもしない。

どうせ、あの国がまともに打ち上げられるはずがないんだ。』

 

『いや。配備くらいしようよ…』

   

『だって、外したら恰好わるいじゃん。』

 

『そっちかよ…』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『それで、ミスターG。

ミッションに関してはひとつ条件がある。』

 

『…なんだ?』

 

『打ち上げたあと、上空で破壊するのではなく、

エンジンを点火して離陸した直後を狙って欲しいのだ、』

 

ヴァンガードミサイルの失敗のように 

世界に見せつけてやるんだな?』

 

 

220pxvanguard_rocket_exlodes        

 

スプートニク打ち上げの

2ヶ月後、1957年12月。

アメリカの威信をかけて

打上げようとして大失敗

 

 

 

 

 

『もちろんそれも狙いだが、ロケットだけじゃなく

推進剤もろとも基地を破壊して欲しいのだ。』

 

『……』

 

『不可能だろうか?』

 

『自分達でやれよ…』

 

『はい?』

 

『時間も場所も予告してきてるんだ。

トマホーク撃ち込んで事前に壊しちまえよ。』

 

『だって、日本は専守防衛なんだもん。』

 

『イスラエルだったらやるぜ?』

 

『あの国は、日本はもとより、韓国もアメリカも、

そういうことができないことを知り抜いて

こういういたずらをやるんだよ。』

 

『…まあ、ね…』

 

『臭いニオイは元から断たなきゃだめ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『この仕事は高くつくぜ…』

 

『あのー、それで。ミスター東郷…』

 

『いやな予感がするな… 

なんだ?…』

 

『報酬は復興国債でもいいかなあ。』

 

 

000golgo     

 

 

 『なにっ?』

 

 

 

 

 

 

『この国債を持っていたら、

3年後に金貨30万円あげるから。』

 

『……』

 

『……』

 

『こんな危険なミッションの報酬が

たった3億なのか?』 

 

『…ミスター東郷からも

「がんばろう日本」っていうメッセージをくださいよ。』

 

 

0000_kokusai2       

 

 

国債買ってください

 

 

 

 

『この画像は怒られるんじゃなかったのか?』

 

『国債はともかく、借金のくせに「がんばろう日本」って

言い換えるあたりが腹が立つんですよ…』

 

『…テポドンの歌でも歌ってろ…』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日のニンジン』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『そもそも、俺はどこの国の人間でもない。

現金以外は信じないんだっ…』

 

『もちろん、人参もつけるっ。金時ニンジンだぞっ。』

 

 

0000_kintoki  

 

関西でお雑煮といえば、これ。

 

 

 

『こんなの、安いぜ…』

 

『じゃあ、これ。』

 

0000_mandorake      
  

 

マンドラゴラ

 

 

 

 

 

『採れるのか? 

日本で、マンドラゴラが採れるのか?』

 

『……』

 

『……』

 

『とにかく自分たちで換金して、現金で払えっ。』

 

 

 

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2012年3月18日 (日)

エンサイクロペディア・ブリタニカと赤髪連盟

友人シャーロック・ホームズを、とある日に訪ねたことがあった。

すると、ホームズは妙齢の女性と話し込んでいた。

頭髪が碧色だったのを覚えている。

 

「おや、もしかして仕事中だったかな。私は奥で待つとするか。」

 

「まあ待ちたまえ。この紳士は長年、僕のパートナーでして。」

女性は、申し訳程度の会釈をしつつも、私を疑わしげに見る。

 

 

「恐縮ですがミクさん、もう一度、聞かせてくださいませんか。

友人であるワトソン博士が初めの辺りを聞いてませんし、 

あなたの口からできるだけ伺っておきたいと思うからです。」 

 

 

私は友人を倣って依頼人の素性を想像するべく観察してみた。

しかしながら、何も見えてこなかった。 

どこをどうしても、ごく一般的なコスプレ娘である。  

ややだぶついた灰色のノースリーブのベスト。

 
くたびれた感じの黒いミニスカートをはき、

腿までの長いストッキング… 

 

 

そうして観察しても、結局わかるのは、

燃えるように碧色の髪と悔しげで不満そうな表情だけだった。   

 

私の視線に気づくと

シャーロック・ホームズは笑いながらかぶりを振るのであった。 

 

「いや、なにもわからない。  

この方が過去、手先を使う仕事をしていらっしゃらないこと。 

フリーメイソンの一員でいらっしゃること。 

中国にもいらっしゃったこと。――  

これだけははっきりとわかるのだが、後はわからない。」 

 

 

ホームズの台詞を聞くと、  

ミク氏は椅子からすっくと立ち上がり、 

新聞を片方の人差し指で押さえたまま、 

目をわがパートナーの方へ向けた。 

 

 

「ど、どうしてそのことをご存じなんですか、ホームズさん。」

ミク氏は驚きのあまり、言葉を口に出す。

 

「袖です、あなたの。右の袖周りが大きいでしょう?

右手を使って仕事をしていない、ということです。」

 

「ああ、さすがに評判の通りだ。一目で素性を言い当てる。

恐ろしい観察眼の持ち主だ、と。

そのうえ 困った人の相談にちゃんと乗ってくれるとも聞きました。

是非私の相談を訊いてください。」

「たいへん賢明です。」 ホームズはミク氏にそう答えた。

 

 

「これです。これが事の始まりだったのです。 

自分自身でご覧になって下さい、ホームズさん。」

 

 

 

私は新聞を受け取り、次のように読み上げた。

 

碧毛連盟に告ぐ―米国ペンシルヴァニア州レバノンの

故イズィーキア・ホプキンズ氏の遺志に基づき、

今、ただ名目上の尽力をするだけで

週四百ポンド支給される権利を持つ連盟員に、

欠員が生じたことを通知する。 

碧髪にして心身健全な21歳以上の市民は誰でも資格あり。

 

 

私は、この奇怪極まる広告を二度読み返した。

「……意味がさっぱりわからん!」

口をついて出たのは、こんな叫びだった。

 

 

ホームズはくすくすと低い声で笑い、

椅子に座ったまま身体を揺すった。 

 

 

 

 

『赤髪連盟の話を思い出さないか?』

 

『なんだっけ…』

 

銀行の隣にあった、儲からない赤髪の親父がいる質屋から

地下トンネルを掘って、

金貨を盗み出そうとした怪盗ジョン・クレイの事件さ。』

 

『ああ、あれか。夜中にピストルを持ってこい、

というから驚いたよ。』

 

『ふふふ。あのときクレイは

質屋の店員として潜り込むのには成功して

トンネルを掘り始める。』

 

『うん。』

 

『ところが無趣味な親父が一日中店にいるのが邪魔だった。

何とか親父を店から外に出したい。』

 

『それで「赤髪連盟」を思いついたんだったな。』

 

『アメリカの赤毛の大富豪が「赤髪の遺伝子を残すために」 

というんで、その莫大な遺産を 

すばらしい赤髪の持ち主に金を寄付したい。』

 

『クレイの仲間に見事な赤髪がいたんだったな…』

 

『そうさ、そいつが面接官になって

広告のおかげで集まった数千人の赤毛を面接した。』

 

『でも、本命は赤毛の質屋で決まりだった。』

 

『…北から南から髪の毛が赤いという男がみんなシティへ

てくてくと行進していくんでさあ。わら色。レモン色、

オレンジ色、アイリッシュセッター色、レバー色、粘土色

ありとあらゆる色合いの赤毛がおりました…

って言ってたな…』

 

『赤毛だけでもそれだけの種類があるんだなあ。』

 

『そうさ。だからこの「赤髪連盟」という

冗談みたいなシチュエーションがリアリティを持った。』

 

『ヨーロッパ人っていったいなんだろう…』

 

『そして、この貧乏質屋はめでたく採用されて、でも、

採用って言ったって店にいないようにするのが目的だから、

やらせる仕事がない。しかたなく、

エンサイクロペディア・ブリタニカを筆写させた。』

 

『窓際族のいじめみたいだ。』

 

『でも、本人はまじめで、一週間かけて

Aの項目を移し終わるところまで行ったらしい。』

 

『一週間かけて

「A」が終わらないのか?』

 

『そうさ。だから、エンサイクロペディア・ブリタニカってのは

分厚い本の代名詞だったんだ。』

 

『日本でも、昭和40年代には

「百科事典を飾る家」ってのがあったな。』

 

『しかし、そんな間抜けな仕事に釣られる奴がいるんだなあ。』

 

『まったくだ…』

 

 

 

 

 

 

 

『……あの…』

 

 

『おお、これはミクさん。失礼しました。  

いらっしゃったことを忘れていましたよ。』

 

『私がご相談したいのも、まさにそのことなんです。』

 

『ほう…』

 

『その「碧髪連盟」の仕事も

エンサイクロペディア・ブリタニカのコピーなんです。』

 

『…ほほう。』 

 

『わ、私も何か犯罪に巻き込まれるんでしょうか?』

 

『それはラッキーですよ。』

 

『どういう事です?』 

 

『エンサイクロペディア・ブリタニカは 

書籍版の出版をやめて、 

すべてインターネットの  

電子版に移行するんです。』 

(ロイターの記事へのリンク)

 

『……』

 

『iPadでも持って行けば 

あっという間に 

AからZまでコピペできますよ。』 

 

『でもそれじゃあ、毎週もらえるはずだった4枚の金貨がっ。』

 

『……』

 

『……』

 

『あの、いいかな、ホームズくん。』

 

『なんだい?ワトソン博士。』

 

『そうやって、

「赤毛連盟」が青空文庫に入ってるからって  

まるまるコピペしたら、この日記のhtmlが 

めちゃくちゃになってるんじゃないのか?』 

 

『あっ、こらっ。』

 

『現在、鋭意復旧作業中です。

お見苦しいページがあるかと思いますが  

気長にお待ちください。』

 

『もとから内容が見苦しいじゃねえか…』

 

『こらっ。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の「赤毛の日」。』 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

毎年9月、オランダで開かれるRedhead Day。  

0000_red_hair_day 

 

かわいー

   

 

 

  

 

コナン・ドイルの小説とは関係なく、オランダの画家

バート・ローヴェンホルスト(っていう訓みでいいのかな)君が

心酔するクリムトロセッティ のような

赤い髪の毛の女性を描きたいなあ、

ということでモデルを募集したのが始まり。 

 

 

 

 

15人の募集に150人が集まった。  

そのときの記念写真。 

Rh2005 

  

2005年 

 

 

 

全員が緑色のTシャツを着ているのがいいね。

 

 

 

これが年々大きくなっていって、楽しい。 

Redheadday3_3 

 

 

2007年

 

 

 

 

 

 

2008_4 

 

 

2008年 

 

 

 

 

 

今年も開かれるそうなので

赤毛に自信がある人はいってみたらどうでしょう。

 

公式HPへのリンクを張っておきます。

(Roodharigendag へのリンク (中は英語です))

 

 

 

 

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2012年3月15日 (木)

フランスの原発依存率は何故高いのか? -3-

『フランスの原発依存率が3/4以上も
あるのはどうしてだ?』という話、第3回。 


 0000_denki2008     
フランスは3/4以上が原発なんだ
 

(クリックで大きくなるよ。)




    

 

 

 

     

たぶん、この回が最後になると思います。

 

 

 

 

 

  

3回も引っ張るつもりはなかったんだけど、

金も入らない文章なのに、

あちこちの統計を調べたりして

結構大変なのである。









とっとと結論に行きましょう。 

    

 

 

 

 

 

 

 

   
 

戦後のフランスは、

『世界から孤立して安全保障を図る』

という決断をとった、ということだと思う。

 

 

 

     

フランスでは石炭も石油も天然ガスも取れない

ウランもそれほどとれる訳じゃないんだけど、

政治で左右される石油と比べれば、遙かにいい

 

 

 
 

フランスは、フクシマの時に

唐突に日本のテレビに出てきたアレヴァ社を

国策企業として育てて、

地球上のウランを集める体制を作った。

               
    

しかし、そこまで『独自』である理由は

なんだったのか?

そこにフランスの原発依存率が高い理由がある

 

  

そして、誰から『独立』したかったのか?

    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     

話は、第二次大戦にさかのぼる。

第二次大戦でのフランスは、

実にあっさり負けた。

国民はもとより、軍や政府の中枢の当事者が

びっくりするくらいあっさりと負けた。
    

 

      
 

イギリスとの打ち合わせのために、

ド・ゴール少将を

ロンドンに遣わしていたのだが、

彼が『さて』と腰を上げたところで

本国が負けた。

 

 

 

 

 
 

負けただけじゃなく、

ヴィシーという田舎町に引き込んで

植民地の管理だけする、という。

         
 

ド・ゴールは誇り高い男であった。

彼は激怒した。

         
     
   

00000_de_gaulle_2
ド・ゴールのドってのは

貴族の印。

フォンならブラウン

ファンならメ-ヘレン



 

         

        

『俺がフランスを救う。』と亡命する。

              
       
     


亡命政府を名乗るのは、さすがに正当性が

ないので『自由フランス軍』なる組織を作って

全世界のフランス植民地に

『俺と一緒に戦わないか?』と呼びかけて、

実際にナチスと戦った。

 
        

     
       
ただし、呼応したのは西アフリカの植民地だけ

彼の『自由フランス軍』に呼応した中には、

フランス人だけではなく植民地の現地人もいた

 

 

 

 

 

          

戦後のヨーロッパの凋落を恐れた

チャーチルは面白がって応援したが、

ルーズベルトは、ド・ゴールを嫌い

ノルマンジー上陸作戦から彼の

『自由フランス軍』を仲間外れにしようとした

         

激怒したド・ゴールは『パリ解放』の際に

連合軍の指揮官であるアイゼンハワーに無断で

進軍する。 結果オーライだったが

アイゼンハワーにも嫌われた。

 
       
       

とにかく、ド・ゴールはアメリカが大嫌いに

なった。

 

 

 

 
       
    

    
    
      
    
    

一国の戦略、政策の起源を

個人の個性や恨みつらみに帰してしまうことは

結論を小さくしてしまう。

                                  
        
                 
でも、フランスの戦後史は、

この人とゴーリストと呼ばれる

彼の信奉者の個性を無視すると、

個人的にはもう、訳がわからないのだ。

(ゴーリストとは、ド・ゴール主義者のこと。

「東大一直線」のへたくそな漫画家とは関係はない。)

    
     
       

 

 

 

 

 

         
    
     

    
     
    
    
    
    
 

戦争が終わってもフランスは大変であった。

なにしろ本土が戦場になったのだ。

 
          

           
      

ナチスの進入から追い出しまで、

激戦の最前線が国土を往復した。


     
      

      
      
    

本国は疲弊し尽くしている。

そして、かつてイギリスと覇権を競いながら

拡げた世界各地のフランス植民地も

大変だった。

 
       
     

『自由フランス軍』に参加したのは地理的に

フランスに近い西アフリカの地域だけでしか

ない。 ほかの地域は、応援したくとも

輸送手段を持たない。 

                               
      

ベトナム、カンボジア、ラオスのように

日本が占領した上で独立させてしまった地域も

あった。

 

 

 

       

          
     
      

        
戦後
のフランスは、

『植民地帝国』の崩壊を防ぐために戦う。 

            
        

        
インドシナ紛争、スエズ動乱、

アルジェリア戦争、

『帝国の崩壊』を防ぐ戦いは20年に及ぶが

        
結果として、

フランスはそのすべてに敗れる。
     
    
       
     
       
     
       
   

 

 

インドネシア紛争とは、戦前のベトナム支配を

復活させようとしたフランスと

ベトナム人の戦い。

結果としてこれがベナム戦争の第一の

段階になる。 

アルジェリア戦争というのは、地中海を挟んで

フランスの対岸にあるアルジェリアの

独立を巡る戦争

 

 

 

 

        
     
       

       
    
      

そして、

植民地帝国としての英仏の敗北を

決定づけたのがスエズ動乱。

 

 

 
       

スエズ動乱、というのは

スエズ運河を巡るエジプトとの紛争。

   

     
     
      
スエズ運河を掘ったのはフランス人レセップス

イギリスはエジプト王をだまくらかして

残りの半分の権利を奪う。
               

          

       
       
英仏は、運河とその両側の『運河地帯』を

99年の期限で、エジプトから借りている

のだが、それが1968年に切れる。

       
       
        
エジプト大統領、ナセルが

『そろそろ打ち合わせをしようぜ。』

言い出しても英仏は、

『租借期限を延長しようよ』動かない。

 

 

 

ナセルも短気な男で、

エジプト本国で、政変が起きると

イギリスを牽制するためにソ連に接近した。

         

怒ったイギリスは、アスワンハイダムへの

援助を取りやめてしまった。

 

 

激怒したナセルは1956年7月に

『スエズ運河国有化』を宣言して

接収してしまう。  
                
           

英仏も激怒して、

何とか取り戻そうとするのだが、

まさか19世紀じゃあるまいし、直接軍隊を出す

のはまずい。

 

 

                  

そこで、イスラエルをそそのかしてエジプトに

戦争を仕掛けた。
       

だから、この動乱のことを

『第二次中東戦争』ともいう。英仏も海空から

参戦した。

 

 

                   
    

中東戦争というのは、

大きなものだけで4回あるのだが、

軍事的にはすべてイスラエルの勝ち。
       
この時も勝ち進んで、

イスラエル軍は運河地帯の手前まで行く。 

 

           

    
    
    
     
ここで英仏が、

『まあまあ、イスラエルさんもエジプトさんも

お待ちなさい。』

と仲裁のふりをした勧告をする。
              

            
『運河から離れなさい。

そこに『国際監視団』という名の英仏軍が

入る、と。

     
     

    
             

 

 

 

 

             
     

     
ナセルは拒絶した。
       
      

      
      
       
            

 

 

 

              
そこでイギリスは、運河のけ出口である

ポートサイドに空挺部隊を投入する。

 

      
根性だけで支えていたエジプト軍は

総崩れになるのだが、ここまでの事態の推移に

アイゼンハワーが激怒した。

 

 

 

      
       

      
      
どうも怒りっぽい人が多くて困るが

アメリカはこの戦争について、

英仏イスラエルのどの国からも

事前の説明を受けていなかった、という。

 

                 
       
      
       
イスラエル建国で、

ただでさえアラブ人の反米感情が強まっている

ソ連が中東に影響力を持ったらどうなる

1956年は俺の大統領選挙だぞ。と
      
       

 

 

 

 

          
しゅんとなった英仏はスエズから撤退。

スエズ運河はめでたくエジプトのものとなって

ナセルはエジプトはもとより

第三世界のヒーローになった。
       
      
       

                           

政治的に敗北したイギリスでは

内閣が吹っ飛んだ。フランスは同じ年に

アルジェリアでもえらい騒ぎが起きていて

収拾がつかなくなった。 
       

 

 

この時  ド・ゴールは政治の中枢にいなかった。

政変で引退していたのだが、この動乱の敗北と

アルジェリア戦争の激化によって担ぎ出され、

この年に首相。
         

さらに憲法を改正して大統領権限を強化。

現在まで続く第五共和制の

最初の大統領になった。



      
      
  
       
       
       

 

 

 

 

 

          
      
       
       
       
      

一連の戦いの経験から、ド・ゴールは

『独自の安全保障』を目指す。
             

 

               
      
      
        
       

具体的にいうとアメリカに頼らない。

ヨーロッパにも頼らない。

この人とその一派はNATOの前身EDCの構想を

つぶしている。

      

 

 

 

 

    
       
       

そして重視したのが、

『独自の核戦力の保有。』

           

 

 

            
      
     
     

     
     
     
       
フランスの原子力開発は早くて、

1952年に最初の原子炉が完成していて、

日本より10年以上早い。

             
            

           

     
       
さすがに自力での核兵器開発は

ためらっていたのだが、

スエズ動乱で、自分達がはっきりと

アメリカの風下にいることを自覚して

開発を加速させる。
       
       
       
       
     
               

 

                     
      
       
         
最初の原爆実験は1960年。

              

まだフランス領だったアルジェリアの

サハラ砂漠で行われた。

独立を巡る内戦中の国で核実験をやる、という

のは恫喝でしかないと思う。

 

 

 

 

 

 

         
   
     

   
    
      
    
その一方、冷戦の深刻化を口実にアメリカは

ヨーロッパへの関与を強める。
        

1958年には『中距離核ミサイルのジュピター

を置かせてくれ』とNATO加盟国に打診する。

 
       
     

      
トルコなどは受け入れて、これがキューバ危機

の遠因になったりするのだが、

フランスは

『置かせてやってもいいけど何くれる?』

と訊いた。  

 

 

 

         

     
『原子力潜水艦をくれてやる』と

アメリカが言うと、

ド・ゴールは『ジュピターミサイルの

「核のボタン」も欲しいなあ』と答えた。

                  
            

               
      
         
つまり、核戦争開始の権限をくれ、と。
       
     
         

         

『それは嫌だ。』と拒絶したら、

あれこれ揉め事があって、1966年にフランスは

NATOの軍事機構から脱退。 

フランスがNATOに完全復帰したのは

つい最近で2009年。
           

 

 

          
      
     
    
     
      
     
つまり40年以上、

独力で自国の防衛をやっていた。
    
   
     
             

 

 

                
      
外国軍に駐留してもらって、しかもその基地を

どこに置くかで右往左往している、

どこかの国とは大違いである。 

      
それがいいことなのかどうかは別の問題だけど

 

 

 

 

 

            
    

     
      
アルジェリアで原爆実験を行ったフランスは

アルジェリアが独立しちゃうと、南太平洋の

ムルロワ環礁で200回以上の核実験を行う。




       
いまやフランスは、

米ロに次ぐ世界第三位の核兵器大国である。
          

 

                 

     
      
     
フランスは、原子力空母を持っていて、

潜水艦ならともかく原子力空母というのは、

アメリカ以外ロシアもイギリスも中国も、

そのほか一切持っていない。

 

             
     

       
そして、その艦名は、

『シャルル・ド・ゴール』という。

 

300pxcharles_de_gaulle_r91_underway      

 

ふっふっふ

 

 

 

 

             
   
         
ド・ゴールが、

アメリカに喧嘩を売ってまで手に入れた

『核のスイッチ』はフランス大統領官邸である

エリゼ宮の地下深く、

『ジュピター』と呼ばれる部屋にある…
       
      
       
       
       
       
 

 

 

            

なんだか、出来すぎた三題噺のようだ。

 

 

 

 

 

私が書くと核問題もバナナのたたき売りの台詞

みたいになるな。

         

 

 

 

 

 

 

               
ともかくフランスは独自の安全保障を求めた
         

 

 

            

核兵器の独自開発もそうだが

原子力発電の推進も、

同じ発想のもとにある。
               

 

 

 

            

フランス本国であまりウランが採れないことは

前回書いたとおりだが、

それならば、とアレヴァ社を育てて

世界中のウラン鉱山の権利を買った。




したたかだ。

 

 

               
         

日本のように輸入原油やLPGによる

火力に頼っていたら、

中東で戦争が起きたら一巻の終わりである。



実際フランスは、産油国が一方的に原油価格の

値上げを通告した第一次石油ショック

混乱以降、安全保障の意味から、

原発依存率を、こうやって非常識な水準にまで

高めていく。

 

        

したたかである。
            

 

 

 

 

          

そして原発を持っているということは

核兵器の材料を自前で調達できる、

ということでもある。
          

 

 

         

したたかだなあ。
          

 

 

 

 

 

 

 

          
と、ここまでが私なりに解釈した

『フランスにやたらと原発が多い理由』

である。
           

           

足りない点や誤りがたくさんあると思います。

ご指摘をいただけたらありがたいです。
          

 

 

 

 

 

            
では、次回

『それなら日本はどうなんだ?

核兵器を持たないくせにこんなに原発を持って

いる国は、今のところ日本だけだぞ』

で、お会いしましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日のムルロア環礁

 

 

 

   
         

 

0000_murroa_2  
















1971年、 大気圏内での核実験を禁じた

部分的核実験禁止条約に参加していなかった

フランスが、ムルロア環礁で行った核実験

のもの、とされる写真。

ここに限らず、米英仏はビキニ環礁などの

南太平洋で、計算する気も起きないけど、

おそらく広島原爆数千発に相当する核実験を

行っている。





『自然に存在する放射性物質』の大半が

この時代に、米ソ英仏中といった連中が

おこなった核実験で撒き散らかされていること

を忘れてはいけない。

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ちなみに余談だが、ムルロア環礁は
東半球の

フランス植民地としては珍しく

ド・ゴールの『自由フランス軍』に参加している。

実際の軍事行動はなにもしていない。

何か生意気なことをしたら、日本海軍がひねり潰して

いたからである。

 

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フランスの原発依存率は何故高いのか? -2-

『フランスの原発依存率が3/4以上もあるのはどうしてだ?』

という話、第2回。

 

 

0000_denki2008


フランスは3/4以上が原発なんだ…




(クリックで大きくなるよ。)

 

 

 

 

Wikipediaさんによると、 

『フランスは、石油、石炭、天然ガスなどはないかわりに

ウランは世界第7位の埋蔵量。

発電量が増えるのは当然じゃないか。』 

と書いてある。 









嘘である。







2012y03m13d_133405959







































(クリックで大きくなります。総務省統計局HPから) 

 

 

 

 

 

 

 

 

石油や石炭が ひとんちより少ないのは確からしいが

『ウランがウハウハ 』というのは、はっきりと、嘘だ。

 

 

 

だってほとんど採掘してないでしょう。

 

 

 

 

 

 

そして埋蔵量が『世界7パーセント、』というのも、

日本国は認めてはいないらしい。   

 

 

 

 

 

 

0000_energy_2

























(クリックで大きくなります。総務省統計局へのリンク)

 

 

 

 

 

 

 

フランスのウラン埋蔵量は確かに日本よりも上だが、

世界7%というのは、嘘だ。

と、わかりますね。

 

 

 

 

 

 

そして、フランスに比べたら、アメリカや中国もすごいね。

オーストラリアすごい…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それなら、奴らはどうやってウランを手に入れている?

というと、外国で掘っている。 

 

輸入といえばそうなんだけど、

オーストラリアやカナダの鉱山の採掘権を持っているのだ。

 

 

 

 

 

 

『フクシマ』のあと、

『汚染水の処理はあたしたちが。』という

変なおばさんが出てきただろう。

 

 

 

あれは、フランスのアレヴァという会社で

原発関連設備の世界メーカーだが

世界第三位の、ウラン採掘会社でもある。

 

 

 

2012y03m14d_170051769  

 




















当たり前だけど、利益の見込みがないと

猫砂だって出したくないよね。

 

 

 

メジャーマスコミがそういうことを報じない。ということ自体を

どうして報じない?

 

 

地面からあふれるようにウランが沸いてくるから

『しょうがねえなあ。』といって原子力発電を始めたという

Wikipediaの記述は嘘っぱちだ。

 

 

 

 

 

 

それなら、あの狭苦しいヨーロッパで

何故フランスだけが、

突出した原発大国なのか?

 

 

 

急迫する真実を待て。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『昨日の一枚。の解説。』














ヨーロッパでは、ルール、ザール、アルザス。という

独仏国境地方がヨーロッパの争乱のもとになる。

石炭や鉄鉱石が取れるから。 

 

歴史的な言い分はそれぞれにあるので、

こんな乱暴なくくり方をすると怒られてしまうが

この地方を巡って両国が戦争をし続けてきたのは事実。










1870年の普仏戦争で

アルザス地方はプロイセン(ドイツ)の領土になる。



そんなことを知らないフランツ少年は

いろいろ道草しながら、

いつものように遅刻知って登校してみると、

村の大人たちがみんな学校に来ていた。



びびって席につくと、いつもは厳しいアメル先生は

優しくて、しかも教室の後ろには

村の大人たちもいて、泣いている。



アメル先生は予定の授業を終えると

『明日から、ここはドイツになります。

フランス語での授業はこれが最後です。』

といって、しばらく沈黙したあと黒板に描いた。





0000_vive_2 







Vive la France!







Vive la France! (フランス万歳。)』と

 

 

なんてきれいなナショナリズムだろう。


山崎某に食わせてやりたい。とも思うが、

独仏の地理的な距離の近さを思うと

時代がかった昔話だなあ、とも思う。

 

 
















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では、次回。

 

 

今度こそ、『フランスは墜ちた。ド・ゴールの屈辱』を

お送りします。

 

 

 

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2012年3月13日 (火)

フランスの原発依存率は何故高いのか? -1-

3.11を契機に原発のあり方が、改めて問われている。 

特集番組が組まれ、各国の電力事情などを教えてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

たとえば、アイスランドは地熱発電が盛んで、

全世帯に温泉が供給され、

地熱発電の比率は国内発電量の2割を超える、という。

 

 

 

 

だから、日本もがんばれ、と言っているのだが

 

そうか?

 

 

 

 

 

日本も温泉が多いけど、

国立公園とか既存の温泉宿のおやじとかが

『温泉が枯れるじゃねえか。』と文句をつけやがって進まない。

 

そんな温泉宿にはセシウムを投げてやろうと思うのだが、

それにしても少ないよな、というのが大体の趣旨。

 

 

 

 

日本が潜在的な地熱エネルギーを生かしていないことは

事実だが、しかし こういう

『ほら、あの国を見習え。』

みたいな論じ方は嫌いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アイスランドと日本では人口も経済規模もまるで違う。

 

比較するのは卑怯じゃないか?

 

 

 

 

 

 

 

CIAによる『世界の電力生産量2009』をどうぞ。

 

この統計では日本は4位。

アイスランドは76位で日本の1/60。

 

0000_denki_cia   

  

(クリックで大きくなります。)

 

 

 

これをもとに計算すると、

アイスランドの地熱発電の総量は

福島原発にさえ及ばないことがわかる。

 

 

 

 

 

印象をごまかすのはやめようぜ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

勘違いされてはいけないのだが

私の話の趣旨は常に

『マスコミ的な正論にへそを曲げる。』ということに尽きる。

 

 

地熱も太陽光発電も大いにやってくれたらいいと思うのだが

世論を誘導しようとするあたりに腹が立つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さらに、日本は原発依存率が1/4以上でひどいという。

対して、

ドイツでは2020年までに、すべての原発を廃止すると決めた。 

メルケルさんは大いに男、じゃないや、女をあげたわけだ。

 

 

ほら見ろヨーロッパすばらしい、

とか言う奴がいるわけだが、

 

 

 

そうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

説明がいるな。 

    

 

隣国フランスの原発依存率は77パーセントもある。 

0000_denki2008  

 

(電気事業連合会HPより。)  

(クリックで大きくなります)  

 

 

 

なんで、こんなに国によって違うんだろう。

 

というのが、実は今回のシリーズのテーマなんだけど、

さすがに1日では書けないので

おそらく不定期に何回かに分けると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さっきの話にもどると、

 

いくらドイツが原発をやめても

『フクシマ的な災害』を防止するつもりなら

あんまり意味がないような気がするのだ。

 

 

 

 

 

 

何故か?

 

 

 

フランスの原発の分布図。

 

0000france  

 

 

 

 

 ATOMICA

 公表したフランス原発

 2007/2008

 (クリックで大きくなります)

 

 

 

 

 

 

そして、ドイツとフランスは隣同士。 

 

 

 

  

Scale  

 

 

左のスケールに注意して

見てください

東京-福島が約250km

(クリックで大きくなります)

 

 

 

この地理範囲なら

ドイツの脱原発は欺瞞じゃないか?

とは思いませんか?

 

 

 

 

 

国境のすぐそば、

『ねえ、ちょっと』っていうところにも原発がある。

 

水際に作らないといけないので、

海や川沿いの立地になるんだが、北仏にも結構多い。 

 

ドイツだけ、『うちの国はクリーン。』という理屈は

なんか変だ。

 

 

 

 

 

 

偏西風があるから、フランスの原発で事故が起きたら

ドイツなんてどうなるのか?

 

 

そして、そんなことであれば、

 

『どうして国よって

こんなに原発依存率が違うのか?』

 

というのは疑問じゃありませんか?

 

 

 

 

 

フランスの原発依存率が多い、とは漠然と知ってはいたけど

3/4以上だとは思ってませんでした。

 

2番目にあげた主要国別の電力源の表を見ると

フランスの原発依存率は突出している。

 

 

なぜだ?

 

 

 

 

続きます…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の一枚。』

 

 

 

 

 

 

最後の授業

0000_vive_2  

 

 

 

Vive la France!

 

 

 

 

 

 

 

 

では、次回

『フランスの核戦略-第2回- ド・ゴールの決断』

お会いしましょう。 

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけ、『今日の「インド乗用車」。』

 

 

 

 

 

 

 

 

インドで流れている、日産マーチのCM。

ボリウッドスター総動員。だそうです。

 

 

 

『出演者がエキストラだとしても、無茶やるな。』とか

『CMなんだから 屋根の上で踊りまくるのはどうだろう。』とか

『そもそも、このヒロイン美人か?。』とか

いろいろ思うのだが、

おもしれえ。

 

 

日本じゃできないかなあ… 

 

 

 

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(たぶんほんとに書きますよ。鋭意執筆中。カミング・スーン。)

 

 

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2012年3月11日 (日)

『空気』の記憶

3.11直後からテレビ画面を埋め尽くした

『商品広告ではないCM 』たち。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これを見ると、個人的には1年前の空気を思い出す。 

 

 

世界に称賛された、冷静で秩序ある行動をとりつつも、

次々と明らかになる被害の大きさにに驚き、

動揺し不安に思っていた

あの頃の日本を覆った『不思議な空気』の感覚を思い出す。

 

 

 

被災地にいた方には、また別の想いがあるのだろう。

テレビなんか見られなかった、という人も多いと思う。

 

 

だから、これを見ての感慨は個人的なものです。

 

 

 

 

 

 

ご冥福としあわせをお祈りします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけ。

 

 

 

 

『阪神大震災直後に流れていたACのCM 』

 

 

阪神大震災当日、1月17日の夕方には、

住んでいた地区の電気が復旧した。

 

部屋中に散乱した荷物から、

真っ先にテレビを掘り出して点けて見た。

 

阪神高速の倒壊現場や、広がりつつある火災など

被災地の真ん中にいながら、

見ることができなかった映像に息をのんだ。

 

 

 

 

 

 

その深刻なニュースの合間に流れていたのが

この脳天気なCM。 

 

 

『もー、日本全国ポイ捨て禁止っ。』って…

 

 

中野浩一も増田明美も、悪くはないと思うのだが

震災後、数百回は見たであろうこのCMには辟易した。 

この二人が出る番組があると、いまでもこのCMを思い出す。

 

 

いま見直してみたら、やはり画面の向こうから、

17年前の空気が沸き返ってくるような気がする。

 

 

 

 

 

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仁科亜希子の顔を見て、PTSDを起こしちゃう子とかいないだろうな…

 

 

 

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2012年3月10日 (土)

『がんばろう日本』を国債募集のCMに使うな。

なんのことか?というと、これ。 

 

 

0000_kokusai_2 

 

 

 

 

 

 

 

『あしたは3.11 だ。

日本中が、この「がんばろう日本」というセリフで

埋め尽くされるだろう。』

 

『ええ…』

 

『「絆」にしても、この言葉にしても

「作られた」っていう感じのセリフで、

あんまり好きになれないけど…』

 

『しかし、明日はこのセリフの大合唱でしょうね。』

 

『しかし国債募集の広告にしちゃうのは

ものすごく違和感がないか?』

 

『まあ、ね…』

 

『いっそこのくらいの事をやればいいのに』

 

0000_kokusai2    

 

『あのですね?』  

 

『なんだ?政治家の肖像権なんか認めないぞ。』

 

『このブログのアクセス履歴に何回か

「mof (財務省).go.jp」っていう人がいたのを忘れたんですか?』

 

『「milt(国交省).go.jp」っていう人もいたな…』

 

『役所のパソコンから見てくれてるんですね。』

 

『出世に響かないといいけど…

一応財務省のHPへのリンクもはっとこうか…』

 

『…小心者…』

 

 

 

 

 

 

 

 

『でもな?』

 

『あ、まだろくでもないことを…』

 

『この財務省のウェブサイトもひどい。

国債募集の広告のくせに、一番肝心な利率の話が

トップページには出てこない。』

 

『…探すのに苦労しました。

えーと、3年物で0.05%だそうです。』

 

『0.05%?』

 

『わかりやすく言うと、

50ミクロンですね。』

 

『すくなっ。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『大体、このウェブサイトが、

「国債を買ってくれた人には感謝状進呈。」とか

「金貨、銀貨をもれなくプレゼント。」とか

そういうところを前面に出しているのが気に入らない。』

 

『金貨貰えるんならいいじゃないですか。』

 

『しかし、対象者は3年以上国債を売らない人限定。』

 

『投機屋を相手にしないってのはいいことでしょう?』

 

『しかし貰える金貨は、1000万円当たり1万円。

100万しか買わない貧乏人には1000円銀貨だ。』

 

『すくなっ。』

 

『…1/1000ってことは、えーと100ミクロンだ。』

 

『単位の使い方で随分印象が変わるもんですね…』

 

『我が家の家計では、100万円も買えないがな…』

 

『そんな利率なら義捐金として寄付したほうが

役に立ちそうですけど…』 

 

『日本国に金がないのはわかるけど、

「がんばろう日本」っていうセリフを

こういうところでは使って欲しくなかったなあ…』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の1枚。』

 

 

 

 

 

 

 

 

0000denko2_2

 

うわー、はらたつ。

 

 

 

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(註:すべての画像は無許可で引用しています、って書いたら

やっぱり怒られるかな。)

 

 

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2012年3月 8日 (木)

鉄路かバスか?

東日本大震災で被災した鉄道。

もうめんどくさいからバスで復活させないか?

というニュース。

(読売の記事へのリンク)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東日本大震災で被災した、気仙沼線、山田線、

大船渡線のそれぞれの一部は

一周年たったいまでも運休している。

 

以前も書いたが、津波を浴びた場所に

そのまま再建するのか?

街が移転するんじゃなかったのか?といった

事情で話が進まない。

 

 

しかもいまになって,JRは

『あの辺は赤字線ばっかりだからなー』と

言いだしている。

 

201203054097501n_2 

 

 

 

 

 

 

(1日・1kmあたりの輸送密度。 

4000人が特定地方交通線の目安で廃線の対象基準だった)

 

 

 

 

かつて国鉄は『営業係数』というものを

毎年発表していた。

100円稼ぐための経費はいくらか?という数字

昭和56年度の悪い順の営業係数がこちら。

ちなみにこの時のベスト1は山手線で66。

 

 

深名線(北海道)2901
白糠線(北海道)2872
美幸線(北海道)2804
万字線(北海道)2773
漆生線(福岡県)2651
室木線(福岡県)2540
胆振線(北海道)2432
富内線(北海道)2276
湧網線(北海道)2156
興浜北線(北海道)1997
上山田線(福岡県)1982
相生線(北海道)1866
渚滑線(北海道)1761
宮原線
(大分・熊本県)1728
小松島線(徳島県)1680
岩内線(北海道)1663
香月線(福岡県)1542
興浜南線(北海道)1536
日中線(福島県)1447
宮之城線(鹿児島県)1426
士幌線(北海道)1411
倉吉線(鳥取県)1400
糸田線(福岡県)1385
勝田線(福岡県)1286
魚沼線(新潟県)1283
標津線(北海道)1283
山野線
(熊本・鹿児島県)1148
三江線
(広島・島根県)1086
瀬棚線(北海道)1069
名寄本線(北海道)1066
三木線(兵庫県)1041
角館線(秋田県)1036
大隈線(鹿児島県)998
池北線(北海道)987
越美南線(岐阜県)961
日高本線(北海道)940
天北線(北海道)887
丸森線(宮城県)873
志布志線
(鹿児島・宮城県)847
只見線
(福島・新潟県)844
松浦線
(長崎・佐賀県)843
飯山線
(長野・新潟県)840
木次線
(島根・広島県)813
阿仁合線(秋田県)757
広尾線(北海道)751
幌内線(北海道)747
二俣線(静岡県)734
岩泉線(岩手県)728
北条線(兵庫県)721
松前線(北海道)719
佐賀線
(佐賀・福岡県)692
足尾線(栃木・群馬県)677

 

係数最悪の深名線の場合、

100円の収益のために2900円をかけなければ

ならない訳で

『国鉄、けしからん。』

という世論を醸成することになった。

 

 

実際、この『営業係数』は国鉄がJRになるときの

『廃線判断』に使われた。

 

 

 

 

 

 

しかし、よく考えて欲しいのだが、

いくら深名線の駅員が怠け者だったとしても

山手線の駅員の1/5しか働かなかったわけではない。

路線の建設費や維持費、人件費などが織り込まれて

実態とはほど遠い数字が一人歩きしていたのだ。

1日数本の列車が

年間数億円の赤字を生み出すわけがない。

 

 

 

 

もちろん、赤字線を許せ、

というつもりはない。

 

 

 

 

しかし、あまりにも実態を離れているよな、

ということで、JRになってからは

この『営業係数』の発表というのは

行われなくなった。

 

営業主体が変わったから比較する意味がない、

というのが公式コメント。

 

 

 

実際は、公表なんかしたら、

JR四国は全線赤字線である。

 

 

 

 

 

だから、今回、読売の記事が『輸送密度』を

公表してきたあたりに作為、というか

誘導を感じる。

 

『どうせ赤字線だから、

鉄道なんて生意気よ。』

という雰囲気を感じませんか?

 

 

 

 

 

読売新聞の言うことは信じない、というのが

我が家訓なので、私みたいなへそまがりは

だまされないが

世間の紳士淑女はだまされちゃうじゃないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、思惑の話はさておき

鉄道とバスのどちらがいいのか、ということを

考えてみよう。

 

実はこれが、よそ者が口を出すには荷が重い

話題なのだ。

 

 

 

 

 

 

まず、バスならば小回りがきく

 

鉄道だと、駅の間隔は最低でも2kmくらいに

なるが、バスなら手を挙げたら停まれる。

労使関係がうるさい時代だと、国鉄は

空気を運ぶ列車でも、運転士と車掌の二人を

乗せないと運転できなかった。

 

実際国鉄のローカル線が

営業係数2000とかの大赤字になったのは、

『赤字→減便→さらに赤字』

という悪循環を繰り返してきたからだ。

田舎に行くと、2時間に1本という路線が

珍しくなかった。

 

 

そこに行くと、バスであれば運転間隔も停留所も

細かく設定できる。 

本来の鉄道の路線を外れて、

病院や役場、学校などを回るルートを

決めることもできる。

 

 

 

 

 

 

 

その一方、

バスの輸送力などたかが知れている。

 

 

ローカル線にも客が乗る。

一番のお得意さんは学生で、登下校の時間には

客があふれる。

 

もう一つは工場の従業員。

東京だと鶴見線。大阪だと桜島線なんてのが

その代表。

 

鶴見線はテレビとかで妙に有名になってしまい

桜島線はユニバーサルスタジオの専用線に

なってしまったが

いまでも和田岬線なんかは

三菱の工場群の通勤専用線だ。

 

  

0000_wadamisaki  

 

 

和田岬線の平日ダイヤ

朝の9時10分から

夕方の5時15分まで列車がない

 

 

 

 

 

 

 

さすがに通勤専用線。

従って、日曜日はこうだ。 

 

 

2012y03m08d_135558190

 

 

 

 

 

 

1日2本。 

 

 

 

 

 

 

こういう風に、朝だけどかっと人が乗るけど

昼間は素寒貧というふうに

輸送需要が急変する場合、バスでは対応できない。

 

 

 

 

 

かつて、ローカル線に『レールバス』というのが

導入されたことがある。

バスがレールを走るのだ。

理由はいま東北の復興に際して

JRが言っている事と同じで、

鉄道なんかもったいないじゃんということで

全国のローカル線が導入した。

ガソリンカーとも言った。

 

 

全滅した。

 

 

いや、まだ生き残っているところがあるかも

知れないが、バスの車体では需要の急変に

対応できないのだ。

 

鉄道なら一両の容量がバスの倍はあり

さらに連結することができる。

 

 

 

 

 

輸送力、という点で言えば

バスは鉄道にかなわない。

 

そして小回りがきくという点では

鉄道はバスにかなわない。

 

 

 

 

 

 

 

 

その一方、被災自治体がなんとしても

鉄路を残そうという理由もわからなくはない。

 

鉄道の廃止だと全国ニュースになるが

バスに転換してしまったら、その減便や廃止などは

地方ニュースにすらならないのである。

 

 

 

 

 

 

かつて、国鉄が滅びるとき

赤字ローカル線の切り離し、ということを行った。

誰か(実質的には地元自治体)に引き取りませんか?と。

 

当時でも大反対が巻き起こったことなので

国は慎重に事を進めた。というよりも

舐めてかかった。

 

『言うことを聞いて第三セクターを作ったら

転換交付金をやる。』

『未成線に関しては、

完成までの工事費を国で持つ。』 

信じられないくらい甘い条件だが

それでも引き受ける奴なんかいないだろう、と。 

 

 

 

 

国鉄の営業係数を信じる気はしないが

まさか、手を挙げて運営する自治体はいるまい。

と思ったら、

1984年に真っ先に手を挙げたのが

今回大被害を受けた三陸鉄道で

意外なことに初年度から黒字をあげた。

 

国鉄時代の統計では収益の

7倍の経費がかかると言われていたのが

黒字になった。

これ以降日本中に『第三セクター』が乱立する。

 

 

 

 

 

しかし30年経ったいまでは、

その三陸鉄道も赤字。

 

というか日本中の

第三セクターのすべてが大赤字である。

 

補助金で食っている。

 

 

 

 

 

 

 

読売の記事が言っているBRT というのは

過去の日本でも例がある。

 

 

BRTというのは、

鉄道の路盤をそのままバス専用道にしようと

いうもの。

北海道の白棚線などは今も現役の

バス転換路線である。

 

 

もちろん欠点があって、まず道路にした場合、

幅員が狭い。

国鉄の場合、レールの軌間は1067mm、

車両がぶつからないための『列車限界』は

幅3mなので道路より狭い。

道路法が定める『道路の最小幅員』は4mである。

 

 

従って、『廃線跡』というのは

バスとして需要がなければ、

ほかに転用できない。

使い道がないのだ。

 

日本中に廃線跡というのがあるが

経済的にウハウハな有効利用がされていないのは

サイズが中途半端だからである。

 

 

 

 

 

それなら鉄道として残すべきか?

私の立場は、何となく鉄道寄りなので、

残せるものなら残してあげたらいいと思ってしまう。 

 

しかし、今回被災自治体が

鉄路での復旧を要望している理由のひとつが

『鉄道ならば、三陸を縦貫する列車を

走らせられる』と言っているらしいのだが、

これはおかしい。

 

気仙沼線の全通が1977年。

三陸縦貫鉄道北リアス線の、普代-田老、

南リアス線の吉浜-釜石の開通が1984年。

仙台-久慈間全線を通して走る列車の登場は

1997年。

需要がなくて、

震災直前には定期列車はなかった。

 

 

 

建設が遅れたのは地元の責任ではない。

一時的とはいえ『第三セクターでも黒字になる』

ということを実現できたのは、

日本の鉄道史に大きな影響を与えた。

 

しかし、黒字は維持できなかった。

『マイレール意識』が高かったはずの三陸でも

自力での鉄道の維持はできなかった。

 

 

 

 

『三陸全体の広域鉄道』というが

そもそもそんな需要はなかったということだろう。

 

ローカル線の『ローカル』は『地方』

という意味もあるが

本来は『ローカルトリップ』ということで

あるはずだ。 

つまり、線区内の移動。

 

そのレールが東京につながっている事は

夢であり希望かも知れないが 

現実に毎日乗っているのは学生と、

病院通いのおばあちゃんなのである。

 

 

 

 

 

 

どうも、今日の話は落としどころがなくて

困っている。

私自身に腑に落ちる答えがないのだ。

 

だから今回の話に結論はない。

 

 

よそ者が決めつけるようなことを書いては

いけない気がする。

 

 

 

しかし、ここまでの文章の温度で

感じ取っていただけるものがあると思う。

いろいろとめんどくさそうだな、

ということだけでも

感じてもらえたらいいと思います。

 

3.11直前にこんなニュースが流れてくる

あたり『誰かの意図』を感じてしまうのだが、

1周年だから、考えないといけないことでも

あるんでしょう。

 

 

 

 

ただひとついえることは、

早くやろう、ということだけです。

 

 

 

 

 

バスなんか通したら、改めて線路なんか

敷かないだろう、

という心配は、すごく正しいと思うのだが

時間が経てばバスさえ維持できまい、

という気もするのだ。

 

 

 

 

鉄道は地域の血液だ。

 

地元は、見栄を張っているだけのような

気がする。 JRも3年後くらいにひっそりと

『廃線のお知らせ』を

乗せそうなところが信用できない。

 

しかし、いつまでもほおって置けば

『交通弱者』はおろか

沿線に誰もいなくなる、というのは

悲観的に過ぎる想像だろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の一枚。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鉄道も走りたいし、道路も走りたい、という

鵺のような要求をかなえる魔法の乗り物、

DMV

(デュアル・モード・ビークル)

0000dmv  

 

 

 

 

 

写真のように線路を走るときは、

台車についた車輪で走る。

アスファルトの上ではタイヤを下ろして走る。

 

 

鉄路を維持しつつ、こまめなサービスができる。

路線を延伸することもできる、

ということで、ほぼ全線ローカル線の

JR北海道が試作したのがこの車両。

いずれ全国のローカル線にも売り込みたい、と

 

 

構想としては大昔からあったが

この実験車両が作られたのは2004年。

現在までに導入した鉄道会社、皆無。

 

 

 

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2012年3月 6日 (火)

ささやきスマホは電気羊の夢を見るか?

NTTドコモが3月から、スマホに話しかけるだけで

電話やメールなどの操作ができたり、

情報検索をしてくれる新サービスを始める、というニュース。

(NTTドコモ 報道発表資料)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『どういうこと?』

 

『スマホに向かってしゃべると、通話ができるらしいです…』

 

0000_ntt_3    

 

 

 

 

 

 

 

『これで相手に呼び出しコールができるわけなのか?…』

 

『そうです。』

 

『キーワードで反応しないのかね。』

 

『…というと?』

 

『「助けてー!」って叫んだら…』

 

『「警察ですか?消防ですか?」って

訊いてくるんじゃないでしょうか?』

 

『……』

 

『……』

 

『だめじゃん…』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『メールもできるらしいですよ?』

 

『どうやって?』

 

『「○○さんにメール。○時に打ち合わせをお願いします。」

って、しゃべるとメールが作成されるらしいです。』

 

『それじゃあ……』

 

 

 

 

 

 

『奥さんにメール。残業で遅れます。っと…』

 

『嘘ですよー奥さん。』

『これから3軒目や。』

『財布の埃までのむでー。』

 

『お、おいっ。やめろ。

ああっ、文字入力されてるっ。』

 

『きょーばっしはー、ええとっこでっせー…』

『キャバクラも行きまっせー。』

『はははっ。送信だ送信っ。』

 

『やめろっ。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『しかしまあ、今回NTTが力を入れているのは

そこじゃないらしいです。』

 

『ほう…』

 

『わからないことを音声で訊いたら、

NTTのサーバーがその内容を検討して、

それに答える最適なアプリを紹介してくれる、

「しゃべってコンシェル」という機能らしいです。』

 

『「レストランを探して」って訊いたら…』

 

『近くのレストランの一覧や、評価、メニューなんかを

調べるサイトを教えてくれる、と。』   

    

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『コンシェルって?』

 

『ホテルのコンシェルジュをもじったんでしょうね。』

 

『語呂があわなかったんだなあ…』

 

『センスがないですよね。』 

 

『それに、この質問坊やが。「レストランを調べて」って、

妙に偉そうなしゃべり方なのが気に入らない。』

 

『あ、そっちですか?…』

 

 

 

 

 

 

 

『ひざまずいて足をお舐め。とかいってみろよ。』

 

『「ひざまずいて足をお舐め」っと。』

 

『…悩んでるな…』

 

『そりゃそうでしょう…あ…』

 

『どうした?』

  

『「日本橋久松町で足を舐める店を検索しています。」って…』

 

『探せるの?』

 

『「久松警察署をご案内します。」って…』

 

『舐めるの?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『前に自動翻訳電話、ってのがあったな。』

 

『もう、サービスを始めてますよ。』

 

『しかし、こういった、「音声サービス」の実用化には

もう少し時間が掛かると思ったんだけどな。』

 

『NTTは音声認識サービスを推して来るみたいですね…』

 

『でも あの自動翻訳は、電話としては

実用のレベルに達してないらしいじゃないか。』

 

『犬がテヘペロしている間に、

音声認識サービスでシェアを拡げるつもりじゃないですか?』

 

『いずれ、音声で作動する端末が出てくるだろうとは

思ってたから、そのこと自体には驚かないけど。』

 

『…ええ…』

 

『思ったよりも商品展開のスピードが早いな、と。』

 

『通信速度はまだまだなんでしょうけどね…』

 

 

 

 

 

 

 

 

『twitterなんかも、音声認識サービスを

始めるんじゃないか?』

 

『話すだけで、つぶやきが世界中に広がる?』

 

『その名も「ささやいたー」。』

 

『別に末尾に「…er」をつけなくてもいいと思います。』

 

 

 

『満員電車なう…』

『なうむぎゅううう…』

『あ、満員の丸ノ内線にせんだみつおなう。』

『銀座なう。』

『なう…』

『なう…』

『なう…』

 

 

『なうなうなうなう、うるさいぞ。お前らっ。』

『おやじうるさいなう。』

『しんじゃえなう。』

『なう。』

『なう。』

『なう。』

 

 

 

 

 

『うるさいでしょうねー。』

 

『でもこういうサービスは必ず出るよ?』

 

『まあ、コミュニケーションツールは

手軽な方向にシフトする、というのが歴史の流れですよね。』

 

『ブログがホームページを駆逐し

いまツイッターやフェイスブックがそれを淘汰しつつある。』

 

『回転が速すぎますよねえ…』

 

『そうさ。だからまだNTTが、もたもたしている間に

「音声ツール・ネットワーク」を作っちまえ。』

 

『ザッカーバーグになれますかね…』

 

『なれるなれる。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『最近多発する「つぶやきサイト殺人事件」。特集です。』

 

『一昨日は、一晩中「発言小町」につぶやき続ける姑に

ぶち切れた嫁が、姑と義理の姉を刺し殺す事件がありました。』

 

『心温まるニュースですね。』

 

『先日は、暗い夜道で

「なんか、眼の前に変に意識したおばさんがいて

歩くスピードを変えたり振り返ったりして怖いんだよー」。

といっていた青年が痴漢扱いされて

警官30人が出動する大騒ぎになりました。』

 

『現場に到着した警官は、両者を見比べて、

即座に青年のほうを釈放したそうです。』

 

 

 

 

 

 

『この、音声つぶやきサービス、

「ささやいたー」の功罪について

コミュニケーション論が専門の梅村先生にお話を伺います。』 

 

『まあ、アバウトに言うとやねえ…』

 

『はあ…』

 

『声が届くんなら、直接会話しろ。

ってことと違うんか?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『大統領選挙、投票所なう。』

 

『投票だん。』

 

『プーチン大統領うぃる。』

 

『出口調査なう。』

 

『まだ投票がウェルダンじゃないひとは

選挙なうなのでシャルウイ投票!』

 

『もう。それ省略になってないなう。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の一枚。』 

 

 

 

 

 

 

 

この立候補者の中で、

プーチンが勝つのはわかりきっていたはずだ。 

 

0000_russia_2012

 

 

 

 

 

(クリックで大きくなるよ)  

 

 

禿はプーチンしかいない。

勝つのは当然じゃないか。

 

『ハゲフサ理論』を知らなかったとは言わせないぞ?

 

こんなもん『出来レース』だ。

不正選挙だ。

  

 

ということに、あの国がなるかどうか…

 

 

 

 

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2012年3月 5日 (月)

こどものために二重国籍

まずは、これを読んでください。

(読売新聞 ヨミドクター) 

 

 

 

 

 

日本人では、母として初の宇宙飛行士となり

41になって第二子を出産した山崎直子さんのインタビュー。

 

 

 

 

何か不自然なところを感じないだろうか?

 

タイトルで言ってしまっているので、

結論を引っぱっても意味がないのだが、

私が引っかかったのが、ここの部分だ。 

 

 

0000yamazaki 



(クリックで大きくなります。)

 

 

「はい、アメリカで産みました。

いろいろ考えたんですけど、アメリカで生まれれば、

子どもが成人するまで日米の二重国籍が認められるということが、

一番大きな理由でした。というのは、私たちが

ビザの問題ではすごく苦労しているからなんです』



 

 

 

 

 

馬鹿か、お前は?

 

 

 

 

 

 

 

多少解説がいるな。

国籍というのは地球のどこかで生まれる以上、必ずついて回る。

日本だと『血統主義』といって父母いずれかが日本人でないと

原則として日本国籍は認められない。

 

ところがアメリカは『出生地主義』といって

アメリカ国内で生まれた子供であれば、

父母が外国人でもアメリカ国籍を得る権利がもらえる。

 


Yahoo知恵袋なんかだと、国籍と市民権を勘違いしてる人が

得意気に解説してたりしていて笑止なのだが、

原則としては旅行者でももらえる。



アメリカ国内でひりだしてしまえば

親は強制送還されるが、こどもには認められることがあった。

 

 

 












表現が上品じゃないが、こんな制度になっているのは、

イギリスの法律が大陸法と異なっていたのもあるが、

アメリカが『移民の国』だから。 

肌の色や言語、宗教、民俗習慣では  

アメリカ人の定義、なんてできないのである。 

対して日本は、『単一民族』でよそ者を嫌うので血統主義である。 

 

 

 

そこで、こういう『日米二つの国籍』というガキが生まれる。 

 

もちろん日本は、二重国籍を認めていないので、

22歳を超えた時点で多重国籍を持つ者は

どちらかを選択しなくてはいけない。 


  

山崎さんが『子どもが成人するまで』といっているのは

つまりそういうことだ。

 

 

 

 

 

 

国籍ってなんだ? 


      

 

     







地球上に生まれて暮らす以上、かならずどこかの国民である。

国籍があれば、

教育福祉保険衛生といった公共サービスが受けられる。

投票や言論、自由であることといった権利も主張できる。

 

 

そのかわり、

納税や勤労、兵役という義務も果たさなければならない。

『兵役逃れ』のために日本国籍を主張する人までいる。

(山崎家は、知らん)

 

       

      

 

 

現実にはそうはいかなくて

『無国籍者』という人がいる。 

           
     

           
『ふっ。俺に興味を持つなよ。』なんて

ゴルゴな人もいるが、

『無国籍者』の大半は、内戦や貧乏など、政府の無能によって

所在が把握できなかったり、

公共サービスが与えられなかったりする人たちだ。

 

      

日本が、未成年に限って『二重国籍』を認めているのは

『無国籍』になることで、教育や医療などで

不利益を受けるこどもが生じないようにするためだ。

 (ただし、日本国籍を選択しただけではアメリカ国籍を

放棄したことにはならない)

べつに山崎某のガキの進路を案じてのことではない。

 

 

 

 

 

 

 

テストの点数はいいんだろうが、

法律の趣旨というか、

法の精神をまるっきり理解していない。

 

 

 
          

さすがに宇宙で着物を着ちゃう女である。 






ナショナリズムというものを、

これほどまっすぐに勘違いしている人が

日本人女性の代表として宇宙で寿司を食うなよ。 

 

0000_nihon     

ISSの中で、着物を着て

野口さんと寿司を握る山崎某

ザ・国辱

 
          

 

 

      

これを載せる読売も悪い。
 

 

 

 

研究者として、彼女や旦那が二つの国の間で

ビザの取得などで苦労したのは事実なんだろう。

 

こどもを授かったときに、 

『同じ苦労をさせたくない。』と思うのは勝手だが 

それは、こどもを二重国籍にする理由にはならない。

 

 

 

 




国籍は贈り物じゃないんだ。
        

 

 

 

『親からの愛情』、みたいな
 

のほほんとした文章になっているのが、ものすごく腹立つ。 



またこれで、数少ない女性読者を敵に回したと思うが
 

国籍は親が選んで与えるようなものじゃないんだ。

 




 

 

そして、この読売の記事を

おせんべかじりながら読んでいるおばさんの大半が

『へー、旦那さんはアメリカ人じゃないのに

こどもはアメリカ人?へー…』 

と言っているに決まってるということは覚えておけよ。 

 

 

 

馬鹿野郎っ。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の一枚。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そういう意味で、山崎某のこどもと、全く逆の境遇で

生を受けたひとがいる。

 

 

 

つまり、『二重国籍』がとれたのに、 

周囲がそうならないように粋な計らいをしたしてくれた、 

という不思議な経歴の持ち主が、この方。 

 

0000_pricess_margriet
        
       
      

 

 

 

      

オランダの  

ベアトリクス女王の妹君  

マルフリーテ王女










      

 

1943年、ナチスに占領されたオランダから、

王位継承者のユリアナ王女(当時)が亡命していた。  

 

彼女はカナダでめでたく懐妊される。 

そのときのこどもがマルフリーテ。 

 

 

 


 

 

ここで問題になったのが、

『生まれてくる姫の国籍をどうするか?』ということ。        
  

 

母国オランダは『血統主義』だが、

亡命先のカナダは『出生地主義』だったのだ。

 

 

 

このままでは姫君が二重国籍にっ。 

 

 

 

  

 

別に、二重国籍でも構わないような気がする。

 

二重国籍だと王位継承権を失う、というが 

オランダ人もそこまで野暮じゃなかっただろう。

 

 

 

 

 

ところが 

この時、カナダ政府は粋な決定を下す。 

『オタワ市民病院の産科病棟を一時的に治外法権にする』と。
 

 

「The maternity ward of Ottawa Civic Hospital

was temporarily declared to be extraterritorial. 」

(Wikipediaから抄録)

一種のしゃれだと思う。

 

その証拠に、引用したカナダ政府の声明のどこを見ても、

オタワ市民病院の産科病棟を

一時的にでもオランダ領にする、とはひと言も書いていない。

 

単に、治外法権 (extraterritorial.)とする、としていただけ。 

オランダ、カナダ以外の第三国が介入することはないから 

こんなもの、ただのしゃれである。 

 

 

 

 



両国民も好意的に受け止めた。
 

 

ユリアナ王女は戦後帰国すると、

カナダに毎年10000個のチューリップの球根を贈った。  

 

オタワでは、いまでも5月にチューリップフェスティバル 

というのが開かれる。

 

 

 

 

 

しかし改めて、この人やチューップフェスのことを調べたら

あらゆるサイトが、すべてこの『オタワ市民病院の治外法権』

の話を載せているのに驚いた。 

 

戦後、イギリスの法改正によって再び彼女の国籍は 

奪われそうになったから、  

リンクしたWikipediaの記事を読むと、この人の一生は 

国籍騒ぎだけか?という気さえしてくる。

 

 

 

写真で見るように、かっこいいおばさんで、

大学在学中に旦那さんと知り合い、23歳で結婚している。

 

 

 

 

 

 

国籍ってなんだろうね?
      

 

 

         
      

 

 

 

 

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2012年3月 4日 (日)

ひな祭り・ラプソディ

『あーちゃん。

おじいちゃんがこおんなかわいいお雛様を

送って来てくれたわよお。』

 

『…おひなまさ?』

 

『おひなさま。 あーちゃんは女の子だから

桃の日にはこれを飾るのよ。』

 

『おひなまさをかざるとどうなるの?』

 

『素敵なお嫁さんになれるの。』

 

『お母さんみたいに?』

 

『そおよう…』

 

『40で?』

 

『なによ…』

 

『……ふっ。』

 

『笑ったわねっ。鼻で笑ったわねっ。

いくら3歳だって許さないわよっ。』

 

『ふえええーん…』

 

『……おじいちゃまからビデオメッセージが入ってるわ。

一緒に聴いてみましょう。』

 

カチャリ…

 

『いまどき、ビデオの擬音に「カチャリ」なんて使うと

歳がわかるわよ?』

 

『ねえ、あんたほんとに3歳なの?』

 

『ふえええーーん…』

 

 

 

 

 

『やあ、あーちゃんに美咲、お雛さまは届いたな?』

 

『ほら、あーちゃん、おじいちゃんよ。』

『じいじー』

 

『あーちゃんは、初孫だからな。じいちゃんも奮発して、

人形のキューカンパーの三段飾りだ。』

 

『まあ、そんな高級ブランド…』

『きゅうかんぱあ?』

 

『美咲。まさかお前が孫を産んでくれるとは思わなかった。

お前が本厄を迎えても、

鉄女とか歴女とか文系サークルヒロインを目指し始めたときに

我々はあきらめたんだっ。』

 

『な、なによっ。』

『ぶんけいひろいんって腐女子のことー?』

 

『ああ?うん。ばあさんも一言いいたいそうだ。』

 

『あら、おばあちゃん、起きられるのかしら?』

『だって、ばあばのところに帰らないじゃないー。』

 

『…ええ?なんだって?違うよ、

ドミノの黒いほうの人をだましてるのは

練炭のデブ女じゃないんだ…』

 

『ぼけてるんだか、正しいんだかよくわからないわね…』

『1年たったらみんなわすれるわよー。』 

 

『やっぱり話はできないようだ。

しかし、このひな人形はばあさんも好きなはずだっ。』

 

『…おばあちゃん…』

『ばあばー。』

 

『しかし、美咲には一言謝っておかねばならんっ。』

 

『あら、何かしら…』

『じいじがあやまることなんかないのようー。』

 

『お前がこんなに婚活に苦労したのは我々のせいだっ。』

 

『あ、あら…』

『おばちゃんと一緒に「ごくつぶし」っていってたくせにぃ。』

 

『親としての反省点は、3月3日にすぐに

お雛さまを仕舞わなかったことにあるんだと思う。』

 

『ああ、そういえば、いつも2週間くらいそのままになってわね…』

『だから40までお嫁に行かなかったのー?』

 

『あーちゃんにはそんな苦労をさせたくないっ。』

 

『…ふ、ふんっ。』

『ママ、くろうしたのねー…』

 

『そんなわけで、だ。』

 

『な、なによ…』

『なによう…』

 

『この3段飾りは、

テープの再生が終わり次第、

自動的に消滅するっ。』

 

 

『ええっ?』

『きゃー。けむりー。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ただいまあ…』

 

『あ、お帰り。ちょっと見てよこの荷物。』

 

『うん、母さんがお雛さまを送ったって メールしてきてる…』

 

『ええ。なんか宅急便が来てるわっ。』

 

『「七段飾りを送りました。

安田家の総領としてぜひ飾ってください、」だって。』

 

『じょじょじょ、冗談じゃないわよ、

この2DKに七段飾りを送るなんて非常識よ。

発言小町に訴えてやるっ…』

 

『まあまあ、この荷物、七段飾りにしちゃあ小さくないか?』

 

『…そういえばそうね…』

 

『開けてみよう…』

 

『…あ、うん…』

 

『なんだ、こりゃあ…シートとメガネだけだぜ?』

 

『お義母様からの手紙がはいってるわっ。』

 

『えーと、「お送りしたのは3D映像を映すフィルムです。

同梱のメガネをかけると、飛び出す七段飾りが

楽しめます。」だって。』

 

『…あのさあ。』

 

『お、すごい、飛び出すぞ…』

 

『でも、こういう風にフィルムに、赤緑で絵を描き分けて

フィルターで覗いて3Dにするなんて

40年前くらいからあったわよ…?』

 

『違う違う違う。このフィルム、有機ELなんだよ。』

 

『へ?それなんだっけ?』

 

『最新の薄型テレビに使われている素材さ、

だから、動画も流せるらしい。画質もすごいぞっ。』

 

『ええー?』

 

『すごいだろう。お前も見てみろ。

これなら6帖間でも七段飾りが楽しめる…』

 

『おおっ。立体だわっ。』

 

『体験ソフトが入ってるな。

「三人官女は見た。お内裏様を殺して!…承知しました」。』

 

『おおっ。ぼんぼりが飛びだすっ。』

 

『甘酒がほとばしるっ。』

 

『菱餅が飛んでくるっ。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日のスパイ大作戦。』

 

 

 

 

 

 

 

『当局は一切関知しない…』

『なお、この録音は自動的に消滅する…』

 

うわー、なつかしい

 

でも、こんな複雑な依頼内容、

絶対にいっぺんじゃ覚えらんない。

 

 

メモ取ってもいいっすか?

 

 

 

 

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2012年3月 3日 (土)

トヨタの選択と集中

スバル、軽自動車事業から撤退。

(読売の記事)

 

     

 

 

 

 

スバルは富士重工業の自動車部門のブランドで、

元は中島飛行機

戦闘機や爆撃機を作っていた。

 

それ故に、戦後は飛行機の生産などできなくなって

在庫の爆撃機の尾輪を使ってスクーターを作った、

というのが、スバル創業の伝説。

 

 

 

なんだかできすぎた話だが、

同じく敗戦国の西ドイツでも、メッサーシュミットが

ミニカーを作ったりしている。

 

0000_1955_messerschmitt_kr200  

1955年 

メッサーシュミットKR200

ムツゴロウみたい

 

 

 

富士重工も1950年代に

国策であった国民車構想に応えて乗用車を開発した。

それが、引用した記事に写真付で出てくる『スバル360』。

1958年のことだ。

 

 

0000_360  

 

てんとうむし

 

 

 

 

360ccというのは、『国民車』を定着させるために

税金そのほかで優遇してあげよう、ということで

通産省と運輸省が作った『軽自動車』の枠。

 

 

いまTPPで文句をつけられている奴だ。

 

 

 

 

もっとも、オート三輪全盛の1950年代に

四輪の軽自動車を作ることができたのは

スズキとスバルだけだった。

 

大衆車、というカテゴリーがなかった時代、

小型なサイズの割に高性能だったことも併せて、

きらめくように眩しい存在であったらしい。 

 

『らしい』という伝聞形になっているのは、

さすがにリアルタイムではこの車を知らないのだ。

 

 

 

 

1970年まで生産されていたそうで、

累計生産台数39万台というのは

国内専用車であったことや、当時の日本の貧しさを考えれば

破格の生産台数だと思うけど

フォルクスワーゲン・ビートルの2150万台と比較すると少ない…

 

70年代に町中で見かけた記憶もあまりない。

走ってはいたんだろうが、

高度成長時代の中、急速に忘れられていったのも事実だ、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スバルは、スバル360の成功以降 四輪メーカーとなり

軽自動車は、自動車事業の主軸のひとつとなる。

 

もっともフルラインを作るだけの体力はなかったので

ほかには、ボクサーエンジンの四輪駆動車を作った。

 

ずいぶん、またニッチなところを狙ってきたなあ、と思うのだが、

インプレッサなどは、WRCラリーで大活躍である。

 

453pxpetter_solberg__2006_cyprus_ra  

ボクサーエンジンというのは

水平対向エンジンのこと。

 

世界でこの型式のエンジンを

作っているのは、スバルと

ポルシェとホンダだけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

例によって前置きが長くて申し訳ないが 

 

今回のニュースはいったい何だ、というと

スバルが軽自動車の生産を止める、ということ。

 

 

 

一企業の商品ラインナップの変更なんか

どうでもいいじゃないか、と思う。

 

 

しかし、これが全国ニュースになっている理由のひとつは

あの、『スバル360』のメーカーが…

ということらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、もう一つの理由は、

『軽自動車は大人気なのに、何故止める?』

という素直な疑問。

 

不景気のおかげで、低燃費と低価格が受けて軽自動車は大人気。

2011年の販売台数は、

普通乗用車(3ナンバー)が14万台。

小型乗用車(5/7ナンバー)が16万1千台

それに対して

軽自動車(4ナンバー)は18万6千台だ。

 

 

 

 

それなのに、何故…

というのが今回のニュースの意味。

 

 

 

 

 

 

 

『軽自動車生産中止』に付いての富士重工業のコメントは、

『経営資源の選択と集中を図るため。』とのこと。

 

なにを捨てて、なにを選択して集中するか、

というとこういうこと。

 

 

0000_sumber 

 

取捨 

 

 

 

 

 

0000_86  

 

選択

 

 

 

 

 

 

我が事務所は、トヨタからもスバルからも

仕事なんかこないだろう、と

割り切ってしまえば、こんなものだ。

 

広告で食っている新聞やテレビでは

決して書けない真実がここにある。 

 

 

 

 

 

 

 

実際、最後のサンバーをラインオフした大田工場は

中島飛行機以来の本社所在地で

B29の標的だったこともある由緒ある工場なのだが

この春以降、トヨタ86(ハチロク)用に切り替えられる。

 

 

 

 

 

その一方、スバルブランドの軽自動車は消えなくて

これはダイハツ工業に作ってもらう。(OEM生産)

 

なんだかわかりにくいが、ダイハツはトヨタの子会社

スバルもトヨタと提携しているのだ。

 

 

 

 

 

 

完成車を一から作れる民族資本のメーカーが

7つも8つもあるのは先進国では日本だけで、

中小規模のメーカーは

国策によって、いろいろと離合集散を繰り返してきた。

 

スバルの場合、

日産と提携し、海外ではいすゞと提携したがいずれもふるわなかった。

ところがバブルで復活して、そのとき調子に乗って

アルシオーネなんていうバブル車を作って大失敗して

自ら首を締めた。 

 

 

0000_alcyone2 

安物のアメ車みたいな 

アルシオーネのバックビュー

インテリアはもっと変。

 

 

 

もちろん、富士重工は私ごときが『中小メーカー』、

というのは畏れ多い大企業なのだが

自動車の生産台数でいえば、やっぱり真ん中よりも下だ。

 

 

 

 

 

 

 

従来までGMと提携していたのだが、

それをトヨタに乗り換えたのは2006年。

 

 

トヨタの戦略は、トヨタ本体としては

プリウスなどボリュームゾーンの乗用車と

レクサスブランドで高級車も作る、ということ。

 

 

その一方、軽自動車はダイハツ、

トラック・バスは日野、と振り分けた。

 

 

0000_contessa  

 

日野コンテッサ

 

 

 

 

 

いまは、バスやトラックの専業メーカーの日野自動車

いまから50年前、こんな かっこいい車を作っていたのだ。

 

日野自動車がトヨタ傘下に入るのは1966年。

コンテッサの生産中止は1967年だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこで、改めて今回のニュース。

 

 

 

トヨタとしては、もう軽自動車メーカーは要らない。 

子会社である、ダイハツに『経営資源』を集中する。

普通の乗用車も、プリウスでやる。

富士重工と同じ時期にいすゞ自動車とも提携関係を結んでおり

商用車も完璧だ。

 

(スバルといすゞは、トヨタとの提携以前から協力関係にあった。)

 

 

 

 

 

それなら、スバルを買った理由はなんだろう?

 

スバルから『軽自動車部門』を引きはがして

普通乗用車も作らせない。

と考えていた事は間違いない。

 

 

 

世界レベルのボクサーエンジンと

4WDの技術だけくれ、と。

 

 

それを求めた訳だろう。

 

 

 

 

 

 

何故か?

 

 

 

 

 

 

 

この車が作りたかったからだ。

0000_86_3   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

できればスバル得意の4WD技術を盛り込みたかったらしいが

大人の事情で断念した。

 

 

この車は、おそらく売れないだろうが

そのためにスバルを切り離すようなことはしないでくださいね。

いずれ本格スポーツカーを作ってください。

 

 

 

 

 

 

 

しかし、車一台作りたいがために、よそのメーカーと提携して、

伝統ある軽自動車から撤退させてしまう、というあたり、

ビジネスゲームってすごいね…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日もいすゞ。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いすゞ自動車は、かつてはこんなかっこいいCMで

乗用車を売っていた、

 

 

 

 

 

 

 

その後、2002年に乗用車から完全撤退。

2006年にトヨタと資本提携。

いまは、トラック・バスの専業メーカーである。

 

 

すっかり演歌になっちゃって…

 

『みなぎる力、ぶるんぶるんぶるん。』って…

 

 

 

 

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2012年3月 2日 (金)

第五福竜丸の日

3月1日は『第五福竜丸が被曝した日』

(Wikipedia 第五福竜丸)

 

 

 

 

 

 

 

1954年のこの日、南太平洋のビキニ環礁で

アメリカが水爆実験を行った。

この時、付近で操業していた日本の漁船、

第五福竜丸が『死の灰』を浴びた。

 

2004年までに、第五福竜丸乗組員23名のうち

12名が死亡。

日本にとって『ヒロシマ』『ナガサキ』に続く

第3の『核兵器による被曝体験』となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

そのときの水爆実験の写真がこれ。

(ブラボー実験)

 

0000_bravo  

 

 

 

 

 

 

 

アメリカは、1945年に原爆を開発してすぐさま日本に落とし

『核の独占』を実現する。

 

ところがソ連の核開発は急で、

アメリカは原爆ではアメリカの4年後、

水爆は1年後に追いつかれる。

 

焦った上に水爆実用化の技術で

ソ連に先行されている

と思い込んだアメリカが行ったのがこの実験 

 

15メガトンという破壊力は広島原爆の1000倍

アメリカが行った核実験では、

公開されている限りこれが最大である。

 

(地球最大の核実験は

ソ連のツァーリボンバーで、50メガトン)

 

 

 

 

 

 

水爆の威力の予測は難しいらしいのだが

計画前は4-8メガトンと思っていたのが、

爆発させてみたら15メガトンだった。

というのがWikipediaさんの言い分。

 

 

 

4メガトンの見積もりが

15メガトンになるかあ?

 

 

 

 

故意か過失かはよくわからないが、

この過剰な規模の核実験のおかげで

100マイル(1600km)避難させていた住民にも

死の灰が襲いかかった。

 

  

0000_bravo2_3     

死の降灰範囲

住民が避難した島も直撃

 

 

 

 

住民ばかりか、付近で操業していた漁船にも

被害が襲った。

そのうちの一隻が、第五福竜丸。

 

第五福竜丸は140tのマグロ漁船。

乗員は23人。

3月1日時点で450tのマグロを収穫していた。

 

彼らだけではなく、

前述した様に避難した島民と

付近を操業していた漁船の乗組員と

併せて数万人が被曝したとされる。

 

 

しかし、被爆した第五福竜丸は、

何故か救援をもとめることなく自力で航海し、

3月14日に静岡の焼津に帰港する。

 

 

 

 

 

 

 

 

第五福竜丸帰港を、直後に報じた記事を

読売新聞が公開しているので読んでみてください。

(読売新聞 昭和29年3月16日)

 

 

 

さすがは新聞社の公式サイトで、

拡大すると記事がちゃんと読めるだけの解像度

なのがすごい。

 

 

 

『乗組員には海軍出身者が多く、

核実験を目撃した自分達は、

米軍に撃沈されるだろう、と

無線も打たずに帰国した。』

というWikipediaの記事と、読売の記事とでは

だいぶ温度差があるのがわかると思う。

 

 

そしておそらく

『「大したことはない」と言って

警察にも届けず、記者らにも

「なにを騒ぐのか」といっていた…』

という読売の記述のほうが

正しいような気がするのだ。

 

 

もっとも、

(二人は入院したが、残りの21人が)

『”死の灰”つけ遊び回る。』

という見出しは悪趣味だが…

 

 

 

 

 

この時、

『遊び回っていた21人』に入っていたはずの

久保山愛吉さんが被曝後半年で死亡する。

 

彼の遺言、『原水爆による犠牲者は、

私で最後にして欲しい。』

という言葉は、日本の反核運動に火をつけた。

 

 

 

 

アメリカも、外国の民間人に被害が出たことに

慌てた。

 

マーシャル諸島の土人くらいだったら、

金を握らせて黙らせるつもりだったかも知れない。  

 

穿った見方をすれば、

被曝の影響を調べるチャンス、

だと思ったかも知れない。

実際、住民の健康状態のチェックは

今日まで行われている。

 

しかし日本人はやかましいから困ったなあ、

 

この国の恐ろしいところは行動が素早い事で、

事故の直後に

『核問題でジャップに生意気なことを 

言わせない為のアクション・プログラム。』

というのを作る。

 

 

 

それに従って、日本政府に金を握らせて

『責任を問わない』という密約を行った。

 

そして、

ジラード事件の1000倍以上の200万ドルを

『アメリカ政府の好意』として、

つまり『責任は認めないけど、

ほら俺って優しいからさあ…』という理由で、

気前よく払って補償問題を片付けた。

 

そして、

『久保山さんの死因は原爆症じゃない』

『第五福竜丸は立ち入り禁止範囲の中で

違法操業していた』とまで言い出して、

『僕のせいじゃないもん』という姿勢を貫く。

 

いまでも公式には謝っていない。

 

 

 

さらにリンクしたように、

この事件をスクープし、

『死の灰』という言葉を広めた読売新聞の

正力松太郎を丸め込んで

『原発推進キャンペーン』を始めさせた。

 

 

 

 

 

 

大人って汚い…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし『遊び回っていた』かどうかはともかく

第五福竜丸の船員が、少なくとも被曝直後には

事態をそれほど重大に考えていなかったのは

確からしい。

 

 

その証拠に、

彼らは現場海域からは離れたが

マグロはきっちり持ち帰った。

 

そして、船速5ノット(9km/h)という、

マラソン選手の半分以下のスピードで、

2週間かけて帰って来る。

 

 

 

阪神大震災の日の朝に、スーツに着替えて

出勤しようとした私には、何となくわかる。

彼らも『日常の囚人』だったのだろう。

 

腫れ上がるケロイドも怖いが

収穫を捨てることは、もっと怖かったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

第五福竜丸自身も、数奇な運命をたどる。 

死の灰をたっぷりかぶったのはこいつも同じで

測ってみたら放射能が観測された。

 

いまなら たちどころに撃沈されるだろうが、

5ヶ月間隔離されたあと文部省が買い上げた。

 

アメリカは廃棄を要求したが

日本側が研究のために引き取った、と

Wikipediaには書いてあんだけど、

第五福竜丸展示館自身のコメントでは

その辺のことは、さらっと逃げている。

 

『東京都は、遠洋漁業に出ていた木造漁船を

実物によって知っていただくとともに、

原水爆による惨事がふたたび起こらないように

という願いをこめて、

この展示館を建設しました。』だそうです。

 

アメリカとしては、

接収して自分で調べたかったのだが、

日本のことは、2年前に独立させちゃったから

そんなこともできない。

『調査』という名目で日本に管理させ、

船体の一部を『補修』の時にはがした。

被曝材のデータを

手に入れるつもりだったんじゃないか?

 

 

 

 

 

大人って汚い… 

 

 

 

その後は2年かけて除染・改装された。 

そして名前を変えられて、

10年以上東京水産大の練習船として

使われていた。

 

由来については知られていたはずなので

『残留放射線が…』とかいいだして、 

いまならご父兄も反核運動家も

黙っちゃいないだろうが

『海の男の卵』たちは、

結構おおらかだったらしい。 

 

 

そして、老朽化すると夢の島に捨てられた。

この船の歴史的な価値を

知らななかった訳はないと思うのだが

この辺も、大人の事情なんだろうか?

 

1967年に、都の職員によって『再発見』され

いまは、夢の島の第五福竜丸展示館

公開されている。 

 

 

 

ところが、築45年のこの展示館も

老朽化してどうしよう、

ということになっているのだそうだ。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本にとって『第三の被曝事件』であることは

間違いはない。

しかし、それだけではないんだと思う。

今回の原発事故の騒動の要素がすべて入っている。

 

 

今日の状況と重ねると、

いろいろと考えさせられる事件なんじゃ

ないでしょうか…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の一枚。』

 

 

 

 

 

 

 

 

第五福竜丸が持ち帰ったマグロを埋めた跡に

建てられた『マグロ塚』の碑。

 

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彼らが持ち帰ったマグロから、

微量の放射能が検出された。

マグロは市場に出ることなく、

埋設処分されることになった。

 

 

これは、埋め立てた場所に建てられた碑。

 

 

 

 

ケロイドに苦しみながら

船とともに持ち帰ったマグロは、

結局、売ることはできなかったわけだ。

 

 

 

むしろ『太平洋の魚は危ない。』という

風評が立って、魚介類の消費が激減した。

 

 

 

 

どこに捨てられたかというと築地市場で

2006年地下鉄工事に際して、

現場が掘り返されることになったために、

この碑は現在、夢の島の展示館の前に

移設されている。

 

この地下鉄工事の時、

『現場から放射能マグロが

出るんじゃないか?』ということで

『掘削反対』を叫ぶ連中との間で

一騒動あった。

 

 

 

結局、放射能は出なかったそうである。

 

 

どうも、いろんなものが重なって見えてくる…

 

 

 

 

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2012年3月 1日 (木)

雪が降るなら笠地蔵

2月29日は、関東地方を中心に東日本で雪。

 

神戸では、昼間コートも要らないくらい暖かかったから

『都内では凍った路面でこんな事故が…』なんていうのを、

全国ニュースのトップで言われると、意外な気がする。

 

 

 

 

 

雪が降るってわかってんだから、

チェーンが巻けない奴は運転するなよ…。

 

 

 

 

 

 

 

 

2010年、エジプトのカイロで雨混じりの雹が降った。

その程度の寒さでも凍死者が三人出たそうである。  

 

 

1969年には、『エジプトの歴史始まって以来初めて。』

という降雪があった。

 

『エジプトの歴史始まって以来』だから、これはすごいぞ。

皇紀2672年の日本よりも、

おそらくは10倍くらいの歴史の中での『初めて』で、

凍死者数十人という大災害になった。 

 

 

 

その時の積雪は3cmだったそうである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私も千葉生まれだから、

今回の関東での雪の騒動を、あまり笑う気になれない。 

 

関東地方は確かに雪が降らない。

雪はおろか、冬になると雨も降らない。 

 

 

 

 

私が通っていた中学校は高台の上にあった。

真冬の晴れた朝に西の空を見ると、

東京湾の彼方、水平線よりも遙か上に

富士山の八合目から上の部分が見えた。

 

七合目から下は、空気がよどんでいて見えないのである。

 

『今日は富士山が見えるかな?』と廊下から見渡すと、

ほぼ毎日見ているくせに、想像を超える上空に、

小さな小さな白い三角形が見えた。

 

 

いまは空気がきれいになっているから、

もう少し山裾まで見えるかもしれない。

関東地方のあちこちに、『富士見』という地名があるわけだ。

 

 

 

 

 

だから雪なんか降ったら大変だ。

校庭が白くなると、ガキどもは大喜びで雪だるまを作る。

 

ところが、降ったところでせいぜい数センチだから

雪だるまは、大きくなると茶色くなる。

 

校庭の土が表面に付いちゃうわけです。

 

で、こどもって馬鹿だから、お互いに大きさを競って

相手の雪玉が大きいと、キックして破壊する。

 

割れた雪玉の断面は、校庭の砂のおかげで

バウムクーヘンのようにきれいな縞模様になっていた。

 

 

 

 

踏まれていない雪面があると、

ちょっとした植栽の中なら入っていって足跡をつける。

傘の先で文字を書く。

 

処女地を犯す快感、

というのをこどもが覚えるのは、こんなことかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

『ということでな…』

 

『明日は、関東でも暖かくなるそうですよ。

ろくでもないことを言ってもだめです。』

 

『でも、ことしは豪雪だ。

まだ東日本では雪が降るかもしれん。』

 

『…まあ、ね。』

 

『笠地蔵をつくろう。』

 

『ほう…』

 

『もうすぐ 3.11。

豪雪でもすでに数十人の死者が出ている。

鎮魂のために、日本中のお地蔵さんに笠をかける運動、

というのをやろう。』

 

『珍しくまともなことを…』

 

『ふっふっふっ…』

 

『それだけですか?』

 

『そこで我々は、

「鎌倉の大仏・笠かけプロジェクト」を

 

『待て待て待て。』

 

『サブタイトルは「その時、大仏は泣いた…」』

 

『こういう中途半端にリアルなことを書くと

実行しようとする奴が出てくるからやめようよう…』

 

『だってあいつだけ野ざらしで

かわいそうじゃん。』

 

 

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背中から見ると

すごく寂しそうな鎌倉の大仏

 

 

 

 

『奈良の大仏は、大仏殿に納まってぬくぬくとして、

年末には「御身拭い」なんていって

きれいにしてもらってるのに…』

 

『鎌倉の大仏にも、大仏殿があったらしいですよ?』

(Wikipedia 高徳院)

 

『うそっ。』

 

 

 

 

 

『じゃあ、淡路島の「世界平和大観音」に笠を…』

 

『あれは触ると倒れるから

ほっときなさい。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の大観音。』

 

 

 

 

 

 

 

 

淡路島在住者が、『ああ、あれね…』と言って

かならず口を閉ざす世界平和大観音。

 

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プロポーションとか

いろいろと間違っている。

足許には博物館があった。

首の籠は展望台。

 

 

 

 

1982年 竣工。

1988年 オーナー死去。  

2006年 相続した妻も死去。施設閉鎖。

2007年 競売にかけられるが応札なし。

2008年 債権会社破産。

2012年現在 もう何が何だか…

 

 

 

本気で倒壊する危険があるらしいんだけど

こういう廃墟は、誰が『権利』を持っているかわからないので

手を出せずにいた。

 

さすがにいまは、行政も何とかしようとしているらしいんだけど

こんどは『誰が金を出すんだ?』

ということで話が進まない。

 

 

津波よりも確実な危険がここにある。

 

 

 

 

 

 

 

仏の顔に三度笠

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国定忠治ゆかりの寺にある、

三度笠に合羽姿のお地蔵さん。

 

 

 

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