死刑の日
3月29日、3人の死刑囚の刑が執行された。
(読売新聞の記事へのリンク)
執行されたのは
『下関通り魔殺人事件』で死者10人、重軽傷者5人を出した
上部康明死刑囚(48)のほか
横浜市で一家3人を殺害した古沢友幸死刑囚(46)、
宮崎県で女性2人を殺害した松田康敏死刑囚(44)。
下関事件が派手だったので
なんだか、3人だ2人だというのがかわいく思えてしまうのだが
こいつら3人とも犯罪の様態は、酷い。
然るべく理由があって吊されたので
そのことに同情はしない。
『死刑反対の法務大臣』として有名だった、
千葉大臣が去年、任期末期に2人を吊した。
そのとき、彼女は刑場を公開した。
千葉大臣なりの意見の公開だったのだろう。
すでに参院選に落ちていたからやけくそだったのかも知れない。
しかし、あの画像は、
ちょっとショックを受けた。
『刑場』というのは法律用語。
そこでおこなわれる『刑』は、唯一『死刑』であり
その施設は『滞りなく首を吊す』ことに特化している。
(刑場公開 内装批評)
これほど機能的な建物があるだろうか、
というくらいの合理的なプラン。
なにしろ、主たる使用者であるはずの『死の受刑者』は
振り向くことさえ許されない。
トイレもないのだ。
意味がないからである。
人間というのは首を吊したら、
そのまま大小便を垂れ流す。
従って、教誨室に入って以降、一切の水回りがない代わりに
吊された後の部屋は、
壁まで洗える完全防水だ。
このニュースの配信が、午前11時半だったことを思うと
おそらく、起床と同時に死が告げられたのだろう。
死刑囚というのは、純粋に『死を待つ人』である。
生産的なことはなにもしない。許されもしない。
期待されもしない。
唯一『死の宣告』がないのは日曜と祝日、そして盆と三が日。
それ以外は、呼び出しに怯えて暮らすのだそうだ。
ざまあみろ、としか思わないが、かつては、
前日、あるいは休日を挟んで2日前の言い渡し。
ということがおこなわれていたそうだ。
どっちが残酷なんだろう。
もちろん、それは罪に対する対価であって、
そこに同情を差し挟んではいけないのだが、
『よっ。明後日死刑ね。』といわれるのと。
『ほら、今日行くぞ。』と寝起きを叩き起こされるのと
どっちがいいだろう。
うん、死刑になるような罪を犯さないことだね。
とにかくこれで3人消えた。
しかし、まだ確定死刑囚は100人以上いる。
『明日に怯える罪人が』まだ100人以上いて、
『明けない夜』を願っているのだ。
次は誰だ?
かなえも安心するなよ?
大阪府教育大附属池田小の殺人犯、宅間伸は
判決確定後1年で吊されている。
冤罪だと思えば堂々戦ってもいいけど、
死刑囚がみんな、独房の中で文鳥を飼って短歌を詠んで
優雅に過ごせると思ったら大間違いである。
貴様らの文章に価値を見いだす奴など、いないと思え。
では、『今日の絞死刑。』
1968年公開の、大島渚監督『絞死刑』
現在では『死刑』は、同じ東京拘置所内の『新北棟』と呼ばれる
建物の中でおこなわれている。
これは、同じく小菅の『旧刑場』でのもの。
しかし、手続きその他は現在でもこんな感じだと思われる。
あ、タバコはもらえないらしいです。
そして、恐ろしいのは、刑場の内部はセットだけど、
空撮の画像は実写なのだ。
なんちゅうセキュリティか…
『教祖』を奪還しに来る団体だっていた時代なのに…
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