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2012年4月16日 (月)

天満橋・京橋駅物語-1-

大阪には、いくつかターミナル駅がある。

JRなら『大阪』。

だけど、大阪駅近辺には私鉄、地下鉄、貨物駅

併せて7つの駅があるが『大阪』を名乗っているのは

JRの旅客駅だけである。

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阪急梅田から 西梅田駅って 

よその街の人間には       

結構、難題だと思う。    

大阪の鉄道は、よほど国鉄が嫌いだったらしい。

       
    

       

ある程度大きな街だと、

ターミナル駅が複数ある、というのは珍しくない。

大阪駅の40年後に東京駅ができた東京では

当たり前だがターミナル駅の機能はもっと分散していた。

東海道線のターミナルは新橋、

東北本線のターミナルは上野だった。

中央線のターミナルは飯田町(現存せず)だった。

それでは不便だ。特に貨物が困る、

ということで作られた連絡線が山手線。

山手線の営業区間が『品川-新宿-田端。』で

まあるくなっていない、ということは基礎知識だ。(なんの?)

山手線が出来てしまうと、東京の私鉄はここの駅を

ターミナルにする。

国鉄のほうは、日露戦勝を記念して東京駅を作るが

品川、渋谷、新宿、池袋、上野。

東京の私鉄は何故か山手線を越えていない。

山手線は『万里の長城』と呼ばれ、

地下鉄との相互乗り入れ、という

いまでは世界中で当たり前のシステムを

推進させることになった。

1970年代以前、パリのリヨン駅で降りた人間が鉄道だけで

ほかの街に移動することは不可能だった。

フランス人は、日本の『私鉄-地下鉄相互直通運転』を見て

おおいに驚いたそうである。

ざまあ。

大阪の場合はどうか。

大阪=梅田は国鉄に接している。

しかし、梅田=キタに対するミナミの難波は

南海と近鉄のターミナル駅なのだが、

国鉄とは孤高に街中にある。

道頓堀、心斎橋という江戸時代から続く繁華街に面した

難波駅は、国鉄なんか相手にしていなかった。

JRにも『JR難波』という駅があるが、もとは湊町駅といって、

『新歌舞伎座に行って心斎橋でお買い物でもしましょうか。』

という人が利用することは、まずなかった。

遠いのである。    

関西本線に乗る人なら近鉄のほうが便利だし。     

南海電車は、新今宮という駅で大阪環状線と連絡する。

乗り継ぎ客は結構いるが、ここで降りると有名な釜ヶ崎だ。

1990年の西成暴動では駅ごと火が放たれた。

近鉄は阿部野橋というところにもターミナルを持っていて

ここも、国鉄と無縁を装っている。

実際、国鉄天王寺駅とほぼ同じ場所にあるのに名前が違う。

本当に国鉄が嫌いだったんだな、と思う。

このふたつの駅を結ぶ歩道橋は

ストリートミュージシャンから、ナンパや、違法な取引まで

とても面白い場所だったのだが、架け直されてしまうそうだ。       

この周辺は素敵にくたびれた下町だったのだが

駅の西側にはショッピングセンターができた。

近鉄阿部野橋駅には、2014年に日本一高いビルができる。

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阿部野橋駅近辺

天王寺駅とほぼ同じ場所。

通天閣も近いよ。

近鉄というのはでかい会社で、上本町というところにも

ターミナルがあって国鉄と無縁だ。

このあたりはよく知らん。

上本町のひとつ東には鶴橋、という駅があって

これはJR大阪環状線と交差している。

鶴橋は『焼肉の街』としてマスコミにも取り上げられるので

関西以外の人にもよく知られているかも知れないが

素晴らしく下町だ。

この駅は、近鉄が下で、JRが上を通っている。

これは実は大事で、鉄道においては、

『後輩が先輩をまたぐ。』というのが鉄則。

最近は、『後輩が地下に潜る。』ということもあるのだが

基本的に地面に近い順番に線路が敷かれたと思って構わない。

さて、反時計回りに大阪を回ってきて、次がいよいよ

京橋なのだが、ここでちょっと休憩させてください。

なんでこんな話を始めたか、というと

4月15日が『京阪電鉄の。天満橋-京都五条』間

開通というカレンダーに注目したからなんだけど、

まだ消化不良なんですよ。

航空写真を見ながら廃線跡をたどったり、

そんなことばっかりやって暮らせる人になりたい、

と思うけど、当面無理なので

乞う、ご期待。

では、『今日の天神橋駅。』

大阪の場合、国鉄の大阪環状線が

それほどの歴史と重要性を持っていなかったこともあって

私鉄は、結構好き勝手にターミナル駅を造っている。

これは阪急(開業時は新京阪電鉄)の

天神橋駅。

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デザインは神戸の商船三井ビルの設計者の渡辺節。

この建物がどこにあったか、というと天六。

今でこそ、大阪の下町の代表のようにいわれる街だが、

北大阪で発展した阪急は大川(旧淀川)の南

大阪市内にターミナルを持つのが悲願だった。

それがかなったのが、この駅。

梅田駅の開業よりも早い。(※)   

このいちびった建物は、そうした阪急の意欲の表れだ。      

そして、この建物は、つい最近まで使われていた。

1階は、阪急オアシスがあって、思い切りスーパーだった。

2階から上は事務所だったのだが、裏側に回ると

鉄道駅時代の高架線ホームが見えて、

『鉄道遺跡』として有名な場所だった。

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駐車場として使われていたらしいが

鉄道駅の痕跡をよく残している。

閉業後40年以上、この状態で置かれていたのだが

2012年現在、残念ながら解体されてマンションになってしまった。

この駅の北側には、新京阪時代の高架線を利用した

ボーリング場とかがあったのだが、これも、いまはない。

天六周辺についてはいくらでもしゃべれるので

いずれ、稿を新たにして書こうと思います。

   

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※天神橋駅の開業は1925年。

阪急梅田駅の開業は、1910年ということになっているのだが

この時は軌道(路面電車)としての許可。

専用鉄道敷地を持った鉄道線の駅としての許可は1925年。

国鉄高架化に伴って、国鉄線の北側に移動させられて

現在の位置に阪急駅ができるのは1934年。

こんなことどうでもいいじゃねえか、と我ながら思うのだが

こういう事にうるさい人がいて、恐ろしいのだ。

うわあん。

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コメント

この写真の風景に記憶があります。
駅だったとは、、、、
よい勉強になりました。

投稿: ぷく | 2012年4月17日 (火) 21時53分

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