天満橋・京橋駅物語-1-
大阪には、いくつかターミナル駅がある。
JRなら『大阪』。
だけど、大阪駅近辺には私鉄、地下鉄、貨物駅
併せて7つの駅があるが『大阪』を名乗っているのは
JRの旅客駅だけである。
阪急梅田から 西梅田駅って
よその街の人間には
結構、難題だと思う。
大阪の鉄道は、よほど国鉄が嫌いだったらしい。
ある程度大きな街だと、
ターミナル駅が複数ある、というのは珍しくない。
大阪駅の40年後に東京駅ができた東京では
当たり前だがターミナル駅の機能はもっと分散していた。
東海道線のターミナルは新橋、
東北本線のターミナルは上野だった。
中央線のターミナルは飯田町(現存せず)だった。
それでは不便だ。特に貨物が困る、
ということで作られた連絡線が山手線。
山手線の営業区間が『品川-新宿-田端。』で
まあるくなっていない、ということは基礎知識だ。(なんの?)
山手線が出来てしまうと、東京の私鉄はここの駅を
ターミナルにする。
国鉄のほうは、日露戦勝を記念して東京駅を作るが
品川、渋谷、新宿、池袋、上野。
東京の私鉄は何故か山手線を越えていない。
山手線は『万里の長城』と呼ばれ、
地下鉄との相互乗り入れ、という
いまでは世界中で当たり前のシステムを
推進させることになった。
1970年代以前、パリのリヨン駅で降りた人間が鉄道だけで
ほかの街に移動することは不可能だった。
フランス人は、日本の『私鉄-地下鉄相互直通運転』を見て
おおいに驚いたそうである。
ざまあ。
大阪の場合はどうか。
大阪=梅田は国鉄に接している。
しかし、梅田=キタに対するミナミの難波は
南海と近鉄のターミナル駅なのだが、
国鉄とは孤高に街中にある。
道頓堀、心斎橋という江戸時代から続く繁華街に面した
難波駅は、国鉄なんか相手にしていなかった。
JRにも『JR難波』という駅があるが、もとは湊町駅といって、
『新歌舞伎座に行って心斎橋でお買い物でもしましょうか。』
という人が利用することは、まずなかった。
遠いのである。
関西本線に乗る人なら近鉄のほうが便利だし。
南海電車は、新今宮という駅で大阪環状線と連絡する。
乗り継ぎ客は結構いるが、ここで降りると有名な釜ヶ崎だ。
1990年の西成暴動では駅ごと火が放たれた。
近鉄は阿部野橋というところにもターミナルを持っていて
ここも、国鉄と無縁を装っている。
実際、国鉄天王寺駅とほぼ同じ場所にあるのに名前が違う。
本当に国鉄が嫌いだったんだな、と思う。
このふたつの駅を結ぶ歩道橋は
ストリートミュージシャンから、ナンパや、違法な取引まで
とても面白い場所だったのだが、架け直されてしまうそうだ。
この周辺は素敵にくたびれた下町だったのだが
駅の西側にはショッピングセンターができた。
近鉄阿部野橋駅には、2014年に日本一高いビルができる。
阿部野橋駅近辺
天王寺駅とほぼ同じ場所。
通天閣も近いよ。
近鉄というのはでかい会社で、上本町というところにも
ターミナルがあって国鉄と無縁だ。
このあたりはよく知らん。
上本町のひとつ東には鶴橋、という駅があって
これはJR大阪環状線と交差している。
鶴橋は『焼肉の街』としてマスコミにも取り上げられるので
関西以外の人にもよく知られているかも知れないが
素晴らしく下町だ。
この駅は、近鉄が下で、JRが上を通っている。
これは実は大事で、鉄道においては、
『後輩が先輩をまたぐ。』というのが鉄則。
最近は、『後輩が地下に潜る。』ということもあるのだが
基本的に地面に近い順番に線路が敷かれたと思って構わない。
さて、反時計回りに大阪を回ってきて、次がいよいよ
京橋なのだが、ここでちょっと休憩させてください。
なんでこんな話を始めたか、というと
4月15日が『京阪電鉄の。天満橋-京都五条』間
開通というカレンダーに注目したからなんだけど、
まだ消化不良なんですよ。
航空写真を見ながら廃線跡をたどったり、
そんなことばっかりやって暮らせる人になりたい、
と思うけど、当面無理なので
乞う、ご期待。
では、『今日の天神橋駅。』
大阪の場合、国鉄の大阪環状線が
それほどの歴史と重要性を持っていなかったこともあって
私鉄は、結構好き勝手にターミナル駅を造っている。
これは阪急(開業時は新京阪電鉄)の
この建物がどこにあったか、というと天六。
今でこそ、大阪の下町の代表のようにいわれる街だが、
北大阪で発展した阪急は大川(旧淀川)の南
大阪市内にターミナルを持つのが悲願だった。
それがかなったのが、この駅。
梅田駅の開業よりも早い。(※)
このいちびった建物は、そうした阪急の意欲の表れだ。
そして、この建物は、つい最近まで使われていた。
1階は、阪急オアシスがあって、思い切りスーパーだった。
2階から上は事務所だったのだが、裏側に回ると
鉄道駅時代の高架線ホームが見えて、
『鉄道遺跡』として有名な場所だった。
駐車場として使われていたらしいが
鉄道駅の痕跡をよく残している。
閉業後40年以上、この状態で置かれていたのだが
2012年現在、残念ながら解体されてマンションになってしまった。
この駅の北側には、新京阪時代の高架線を利用した
ボーリング場とかがあったのだが、これも、いまはない。
天六周辺についてはいくらでもしゃべれるので
いずれ、稿を新たにして書こうと思います。
※天神橋駅の開業は1925年。
阪急梅田駅の開業は、1910年ということになっているのだが
この時は軌道(路面電車)としての許可。
専用鉄道敷地を持った鉄道線の駅としての許可は1925年。
国鉄高架化に伴って、国鉄線の北側に移動させられて
現在の位置に阪急駅ができるのは1934年。
こんなことどうでもいいじゃねえか、と我ながら思うのだが
こういう事にうるさい人がいて、恐ろしいのだ。
うわあん。
| 固定リンク
「ぼくは鉄じゃない」カテゴリの記事
- 21世紀の大八曲がり(2009.06.18)
- E電の失敗(2013.05.11)
- 東北新幹線延伸。(2010.12.05)
- スト権ストの日(2014.11.26)
- 九段下の駅を越えて(2012.06.23)
コメント
この写真の風景に記憶があります。
駅だったとは、、、、
よい勉強になりました。
投稿: ぷく | 2012年4月17日 (火) 21時53分