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2012年5月の投稿

2012年5月31日 (木)

電力不足にはボルタ・海水電池発電所だ。

『こんにちは。今日の「ニュース特集 噴飯本舗」は、

神戸市のポートアイランド、旧コンテナ埠頭からお届けします。

ここに、夏の電力危機を解決する新発電所ができたそうです。

ご案内をしてくださる、関 雷太所長です。』




『どうも。関です。』





『イいやあ、しかしすごい光景ですねえ。

数十基の巨大なガントリークレーンから、

たくさんの板がぶら下がっています。』


『ははは…』  



『所長、この板はなんですか?』


『1トンの鉛の板と、やはり1トンのマグネシウムの板が

交互に一万枚並んでいます。』



『ははあ、それで色が違うんですね。

これをどうするんですか?』


『クレーンでもって、このまま海に浸けるんです。』


『それで電気が起きるんですか?』 



『ボルタの電池ですよ。

中学校で習いませんでしたか?』



『……』



『……』



『…よくもまあ、毎日毎日ろくでもないことを…』 



『はい?』



『あ、いえ。それでこれでどのくらいの電気が?』



『これで、1万KWの電気ができます。』


『…計算してなんかいないくせに…』



『はい?』













『あ、えーと金属がイオンになって溶け出すことで、

電気が起きる、と。』



『ははあ、勉強しましたね。』


『しかしこんなにたくさん枚数がある理由は?』


『電圧を上げるためです。

枚数を増やしていけば、

下手なダムよりたくさん電力が起こせます。』


『はあ…』


『しかも、鉛とマグネシウムの板の表面積が広くて、

鉛とマグネシウムの距離が近ければ電力量が増えます。』


『金属板の枚数が多ければ、電圧もふえる。と。』


『逆に電圧を簡単に下げる方法もありますよ。』


『どういうことです?』


『遠くまで送電する必要がなければ、

直列にしなきゃいいんです。配線を変えるだけで

1000kwの発電所10基にすることも簡単です。』



『あ、変電所がいらないんだ。』



『ね?いいアイディアでしょう。』



『しかし長くは使えないでしょう。』



『2.3週間だったら持ちますよ。』


『…だから、計算してねえだろ?…』



『はい?』


『いえ、しかし、その程度の時間のために

こんな巨大な装置を作るなんて無駄なんじゃあ…』


『馬鹿野郎っ。』


ひっ。』


『関電の需給状況が逼迫して、でんき予報が

いよいよ危険になったら、じゃぶりと浸ければいいんです。

あくまでも緊急用ですよ。』


『ははあ、それで普段は海から上げておく。と。』


『そのための巨大クレーン群です。』


『しかしそれでもいずれは、駄目になるんでしょう。』


『そうなったら、表面を削っちまえばいいんです。

表面から溶けるんだから。』


『それでこんなに肉厚なんですね?』



『クレーンで陸に降ろしてサンダーがけすりゃあ、

また使えますよ。』 


『あ、そこでもクレーン…』


『表面を荒らして表面積を増やせば

次からは電圧も上がります。』













『……』


『どうしました?』 



『所長っ。私は感動していますっ。』


『あ、いえいえ。』


『いつもいつもいつもいっっっつも

ろくでもないアイディアを書き散らかしてきた

この日記が、初めてまともなことを…』 


『へへへ…』


『失礼な態度、すいませんでしたっ。』


『あ、いやあ…』
















『ただ、問題もありましてね…』


『なんです?』


『鉛は有毒物質で、

マグネシウムは可燃物なんてす。』


『へ?』



『雷とか落ちたら、

燃えちゃうかも知れないなー。』


『待て待て待て待てっ。』


『それさえ解決したらいいアイディアなんだけどなー。』


『所長っ。』


『しかも、マグネシウム1万トンなんていくらするんだろー…』


『どこ行くんですっ。』


『…うーん…』




























では、『今日の一枚。』













すでに、海水電池というのは実用化されている。




00000kaitei_lump

緊急用の

海水ライトと発信器。






漂流した海で、あなたを助ける。

救急ボートに積んで、避難信号を出します。



未使用の場合、耐用年数は20年以上。

すげえ。









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緊急用なら、こんなくだらないアイディアも『あり』じゃないですか?

決して未来に結びつかない技術けど。

 

 

 

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2012年5月30日 (水)

オリンピックとドーピングとステートアマ-2-

さて、昨日の続き。    

        

       

       

    

      

       

ドーピングというものがある。

  

   

   

薬物を摂取することで、

興奮させたり身体能力や筋肉を増やす。

最近は、風邪薬を飲んだり毛はえ薬をつけるくらいで

ドーピング、ということになったりして敏感だ。

   

 

薬まみれの生活をしている身の上からしたら、

『神経質に過ぎるんじゃないか?』とは思う。

    

まあ、オリンピック出場をを争う人くらいになると

薬ひとつで命に関わるそうだから、

あまり無責任なことは言ってはいけないのだろう。

       

         

        

        

         

   

   

   

   

       

       

       

かつて、『ステート・アマ』というものがあった。

   

       

   

つまり、『国家が応援する人。』

    

国際大会に出るような人には、

世界水準を超える練習環境を与え、

メダルを取れば家一軒、とか

国民平均をはるかに超える褒賞を与える。

      

    

   

       

今でもあるんだろうが、

代表的なのは、冷戦下の東側諸国だった。

例えば、東ドイツ。

   

   

2012y05m28d_125305159

       

1968メキシコオリンピックの

メダル獲得数。

東ドイツは5位。

   

(クリックで大きくなります。)

     

           

     

   

  

2012y05m28d_125431411_7

1972ミュンヘンオリンピックの

メダル獲得数。

東ドイツは、『開催国』の

西ドイツを抜いて3位   

   

(これもおおきくなりますよ。)

    

    

    

東ドイツというのは、小さな国だった。

西ドイツと比べると面積で半分弱、人口は1/4くらいしかなかった。

統合直前の1990年の人口は約1600万人である。

日本人は一億2千万人以上いるのに。

 

 

 

しかも東ドイツの歴史は、

『国民が逃亡する歴史』だった。

  

   

マーシャルプランで、じゃぶじゃぶアメリカの資金が入った

西ドイツとは建国当初から経済力の差があり、しかも、

みんな共産党なんか大嫌いなので

53年には大規模な暴動が起こってソ連軍が鎮圧する。

この年だけで33万人が西に逃げ

その後も大体、年間15万人くらいが西ベルリン経由で

西ドイツに逃げた。

  

1959年から、農場や商店・企業の『集団化』という名前の

私有財産の召し上げが始まると逃亡者は急増。

60年には年間20万。61年に入ると月間3万、

61年8月は半月で5万人が東ベルリンから西ベルリンに逃げた。

  

業を煮やした東ドイツ政府が

ベルリンの壁の建設を始めたのは1961年8月13日から。

しかし、この時までに、

東ドイツ国民の1/4が西に逃げていた。

   

   

しかも逃げたのは、

生産年齢にあたる若年から壮年までの連中であり

この国は人口構成がめちゃくちゃになる。

   

   

   

   

   

東ドイツは長らくオリンピックに参加せず

1956年のメルボルン、1960年のローマと

壁建設直後の1964年の東京オリンピックには、

独自の選手団を送らなかった。(※)

 

   

三色旗の中央に五輪マークをあしらった

『東西ドイツ統一選手団』として出場する。

  

150pxflag_of_german_olympic_team_19

  

統一ドイツ・オリンピック旗

   

       

   

ガキの頃は、なんとなく美談として教わっていたが

統一選手団の間に、強化選手を養成していたらしい。

青壮年がいないということは、その時ばかりか

次の世代の選手層も薄くするはずだ。

   

しかし、東京オリンピックのあとの

メキシコオリンピックでは、

開催国メキシコはもとより、

西ドイツをも上回るメダルを取っていきなり5位だ。

   

その次のミュンヘンオリンピックでは

開催国の西ドイツを圧倒して3位だ。

   

   

これが『ステート・アマ』である。

   

   

   

   

  

  

   

   

   

   

いや、まあ東ドイツで組織的に

ドーピングが行われていたかどうかは知らない。

もちろん、やっていた人はいた。

 

『お国や薬のおかげで勝てた。』ということを強調すると

当時のメダリストの人に怒られるだろう。

 

しかし、幼い頃から

徹底的な選別とエリート教育が行われていたのも事実だ。

  

ドーピングに関して

いまよりも、はるかに『甘い時代』だったということもある。

1956年のメルボルンオリンピック以前は競技直後の検査さえなく

メキシコオリンピック以前には

ドーピングによるメダルの剥奪の事例はない。

 

そもそも、

薬くらいで、人間そんなに変わるもんかいな、とも思う。

   

   

   

   

    

いや、ちがうな。

 

自らを省みると、

『薬が人間を変える。』というのは

事実かも知れない、と思うのです。

   

  

 

人間やめたい…

   

   

      

   

   

    

     

    

   

    

    

    

では、『今日の東京オリンピック。』

   

   

   

   

  

   

   

   

1964年の東京オリンピック開会式。

 

先頭のギリシアと、開催国の日本以外は

英語綴りのアルファベット順。

ドイツはDじゃなくて、Gのところで出てきます。

 

やっぱりイタリアの女の子、かわいいなあ。

      

   

 

   

   

   

   

おなじく閉会式。

これの入場行進は、ちょっと感動した。

     

思いっきりエンドロールまで入っているから

ひやひやするけどな。     

   

     

    

     

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※ 同じ『敗戦国』でも、西ドイツと日本は

  1952年のヘルシンキ大会から参加している。

  イタリアはムッソリーニを追い出して、一応『戦勝国』側に回ったため

  1948年のロンドン大会から参加している。

  

  東欧諸国の一部はロンドン、ソ連はヘルシンキから参加しているので

  政治的が理由があるにしても、あーめんどくせえ。

  

 

  明日から、いつもの愉快な『なつやすみ』に戻ります。

   

   

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2012年5月29日 (火)

オリンピックとドーピングとステートアマ-1-

ロンドンオリンピックが近づいている。

  

   

   

        

       

いろいろな競技で

『今回オリンピック出場。』あるいは

『残念ながら出場はかないませんでした。』

なんていっている。

     

    

  

27日は女子バレーの出場が決まった。

しかし、ずいぶん大変そうだった。

       

     

    

     

   

    

    

そりゃそうだよな。

『最低でも金』なんていえる馬鹿はごく少数で、

普通は、しずちゃんのようにびっくりするくらい痩せて努力しても

出場権にすら届かない。

 

   

Gomann

     

        

2位じゃ駄目なの

セット代5万円ちょうだい。

 

               

   

    

いや、それも大間違いだな。

このひっつめ頭のおばさんも、ずいぶん努力したんだろう。

   

    

オリンピック代表を争える段階ですごいんだ。

『日本のメダルはこんなに減って。』とか

いっている馬鹿新聞は、全競技をやって見ろ。

         

        

         

         

        

   

   

       

   

   

   

   

   

   

   

私はスポーツができない。

そもそもが苦手だったというのもある。

鈍いからだが、病気をして以来、

本気で左手が利かなくなった。

   

面白いくらいに反応が鈍い。

握力は5kgないと思う。

キーボードのタッチミスが増えた。

       

    

     

       

    

   

   

そうはいっても、スポーツを見るのは好きだ。

すごいなあ、人類。って思う。

   

     

   

   

   

   

     

オリンピックが終わるとパラリンピック

なんていうのがあって

こっちはちょっと、気が重い。

        

だって、足が利かない奴が

細い足を、うんとバンクをつけた車いすに乗せ、

肩から上はもりもりとした筋肉で

とんでもないスピードで走るのだ。

      

      

生命ってすげえ。

こんな進化ができるのか。

  

   

        

    

     

      

      

     

   

さて、次回確信犯的にドーピングの話をする。

健康の祭典。に対するへそ曲がりだと

思ってもらってもいいが

ステートアマってすごいよ?

      

もちろん良くはない。

でも、そんな時代があったのだ。ということ。

    

      

      

      

     

     

    

    

    

     

        

     

   

   

   

では、『今日のパラリンピック.』

     

       

        

         

       

         

      

       

なんだろうね、この明るさと元気さ、

00000beijin

      

   

   

 

すごい腕だ。     

    

    

   

   

    

    

     

    

    

      

     

北京・パラリンピックの『座りバレー』

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まさか、勘違いする人はいないと思いたいんだけど、

ここまでの人はドーピングの人ではないですよ?

       

    

    

     

     

     

    

    

手が利かないのと近視となにが違う。という皆さん。

それは正しいんだけど、

近視で乱視で手足が萎えている人は

どうしたらいいの?  

   

   

 

 

 

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2012年5月28日 (月)

超小型車の時代

政府が音頭を取って、

一人から二人乗りの『超小型車』の普及を目指す、というニュース。

(5/27 読売新聞の記事へのリンク)











現在の軽自動車は660ccで四人乗りなのだが、

これとは別に125ccで一人または二人乗りの車の規格を作る。

それをもとにメーカーに開発を促し

とりあえず自治体が観光地でレンタルするなどして

公道を走る実験を行い、制度を整えて一般の販売を目指す。

高齢者などの交通弱者解決の切り札にしたい、だそうだ。



   

読売はこのニュースにご執心で、経済面でも取り上げており、

『車離れの若者にも』といっている。

















   

実をいうと、

軽自動車以下の『超小型車』というのはすでにある。

街中で、ゴルフ場のカートみたいな車をじいさんが運転して

てろてろと走っているのを見たことがないだろうか。


 

200pxmitsuoka_motors_micro_car



こんなの











ミニカーとかマイクロカーと呼ばれるカテゴリーの車で、

エンジンは50cc、あるいは同格の出力のモーター。

一人乗りで税金は安く、車庫証明もいらない。

一般に任意保険も安い。



規格としては1963年からあったが

石油ショック後に注目され、メーカーが乱立するブームとなった。



ところが1985年に道交法が改正されて

普通免許が必要になると、急速に人気が落ちる。



そもそも、所詮50ccなので、

3輪あるいは4輪のボディを乗せると極端に非力である。


現在も市販されている『タケオカ・ミリュー』

カタログスペックで最高速度60km。最大登坂能力18度だ。

だから高速道路は走れないし、一般道を走るのも怖い。

スーパーの地下駐車場の車路などで

たまにとんでもない勾配の坂道があるが

下手をすれば登れない。




そのくせ道交法では『普通自動車』なので








歩道を走ってくるんじゃないっ。









かつては国内だけで10社以上のメーカーがあったらしいが

現在も製造・販売をしているのは1社だけだ。















そういうことを踏まえて改めて今回のニュースを眺めて欲しい。

何しろ読売は、27日の朝刊1面トップがこの記事だったのだ。

ここにある『意図』はなんだろう。




いろいろなものの『きっかけ』にしたいのだろう。




『高齢者向け』が大義名分だから、

安全技術の博覧会のようになる。






アクセルとブレーキを踏み間違えようが、

当たり屋が30人同時にダイブして来ようが、

てんかんになろうが、ぽっくり逝こうが絶対に自動で止まる。  

万が一事故になっても運転手を押しつぶす勢いで

四方八方からエアバッグが飛び出し、

ぶつかった相手をも弾き飛ばすようなエアバッグが出てくる。

全方位にカメラがつき、スピードメーターも燃料計も、ナビも

全部ヘッドアップディスプレイになり、

あらゆる警告音は3段階で音量が調節ができて、

信号待ちで眠ったら、わさびガスが出てくるんだ。






ただし、全部オプションで、別料金で。





電気自動車も作られるだろう。

小型化が絶対条件だから、

航続距離の点では厳しいかも知れないが

有料電気ステーションの

社会的ストックに投資する為の

錦の御旗にさせられるような気がする。






ホイールインモーター自動車、なんていうのも

これで実用化するかも知れない。

車輪ごとにモーターをつけちまえ、というのがこれ。

構想としては戦前からあるが、市販車としては実現していない。

トランスミッションがいらなくなるから小型化と軽量化には最適。

車輪ごとに違う動きができるので4WDの概念が根底から変わる。

真横に動いたり、その場でくるくる回ったりできる。

2項道路(※1)ばかりの日本の都市でもこれで大丈夫だ。



セグウェイまで許可しようという狙いはなんだ?













しかし、『マイクロカーの失敗の原因』を

何一つ解決していない。






免許は必要に決まっているし、限定免許を作るにしても

視力検査も怪しいような年寄りが

教習所に通って免許を取りに行くだろうか?



ドラえもんをCMにかり出しても免許を取らない若造が

教習所に行くだろうか? 














そもそも若造が車を買うのは

デートに使いたいからだ。




言い切っちゃうのもどうかと思うが、

バイトして無理をして中古車を買ったり、

中免を取ってタンデムできるバイクを買うのは、

隣に乗せたい人がいるから、あるいは

いたらいいなあ、ということだ。


一人乗りの車なんか買うか?







税金を安くするのはいいとしても、

保険会社が新規に年寄の保険を引き受けるだろうか?

仮に引き受けるとしても割高になるだろう。


若者の保険料というのは、もとから

若ければ若いほど高い。






田舎ならともかく、都心部で路上駐車前提の車を

販売するのが許される時代ではない。

軽自動車でさえ、都市部では

1990年に車庫証明(※2)が必要になった。


車庫証明が必要だとして、戸建てならともかく

アパートで年金暮らしの人が駐車場を借りるだろうか?

そして、駐車場を借りたところで雨の日にそこまでいって

ミニカーに乗り、スーパーの袋を抱えて帰ってくるだろうか?






交通弱者は都心にもいる。





橋下さんが大阪の市バスの赤字に怒っているが

あれを全廃、あるいは民営化して減便したら、

280万都市の真ん中で買い物に行けない年寄りが出てくることは

残念ながら確実なのである。








保険や駐車場については、

福祉のことだけ考えたら、『シェアリング』という方法もある。

しかし、貧乏人 交通弱者相手の商売に 

独立採算のめどが立つはずはないので

行政の保護が必要だ。



許されるのか?












うがった見方をすれば、『交通弱者』云々は言い訳で

狙いは輸出ではなかろうか。





若者が減って、もう国内市場の伸び代はない。

だから老人をターゲットに、ということなのかも知れないが、

ただでさえ新車販売の4割が格安の軽自動車で

さらに安い車を作っても、国内市場にうまみはない。




いま、世界で一番たくさん車を買うのは中国人だ。

あの国の連中は見栄っ張りで

70年代まで『北京の朝の風物詩』といえば、

交差点を押し渡ってくる自転車の波だったくせに

いまや高級車もどきを買う。



しかし、まだ安い層はいくらでもいる。





トヨタやホンダがインド市場に投入している車は

80万以上するのだが、

インドで一番売れているスズキアルトは40万だ。

インド国産のタタ・ナノは30万だ。

でも、まだ高い。それ以下なら買う層は確実にいる。



それ以外ブラジルなど

中産層が猛然と車を買い始めている国もある。



社会資本が貧しい国だとガソリンエンジンを積むしかない。

しかし125ccならバイクのエンジンがそのまま積める。

三等国仕様なら空冷のままで十分だ。

国内のバイク販売は壊滅状態だから

救世主になるかも知れない。







おしゃれな電気自動車としてなら、

むしろ先進国で売れるような気がする。


実際、ヨーロッパでも小型車の共通規格化が

検討されている。


ヨーロッパでは、

都心部への車の流入を抑制している都市が多いが

そんな街でも許容されるかも知れない。



スポーツチャリンコが世界中でブームになったように、

おしゃれミニカーの市場は、きっとある。


何より、以前紹介したように

超小型車に関してはヨーロッパの方が先輩で

かっこいい車が山ほどあったのだ。 












なんかいろいろと考えてしまう記事なのです。

注目していきましょう。























では、『今日の一枚。』














世界一小さな車、として有名なピール・P50という車。

 

P50



一人乗り

50cc 4馬力








1962年から65年まで生産されました。

これはその当時の一台。

『大人一人と、買い物袋を。』がキャッチフレーズ。



徹底的な小型化と軽量化のために

いろんなものが省略されている。 

写真を拡大するとわかるけど、

この車は右側にドアがありません。

イギリスは左側通行なので左にしかない。

ついでにバックギアもないので、

自力ではバックできません。



1963年の価格は199ポンド。

現在の値段で20万円弱


010年から復刻版が作られているらしいので

広い土地を持っている人は買ってみたらどうでしょう。

(復刻版は、日本はもちろん、イギリスでも公道は走れません。

オリジナルは何故かイギリスではいまでも走れます。)






これも、以前紹介したけど

The Bruce Weiner Microcar Museum



ミニカーの時代ってのは、確実にあったわけです。

なにより、かっこいいなあ。










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※1 建築基準法42条2項に定める道路。   

   『道路ってのは幅4mないと駄目なんだけど、そんなこといってると

   日本中の長屋や町屋が違法建築になっちまうから、

   道路と見なしてやるよ。』というありがたいお達し。  

   ビフォーアフターなんかで、ぼろぼろの骨組みでも補強して

   使うのは、骨格をばらすと、改築あるいは新築ということになって 

   敷地を削って道路をひろげないといけない場合があるから。   

 

※2 軽自動車の場合、保管場所届出といって

   厳密に言うと車庫証明とは違う。

 提出が必要な地域は都道府県によって定められているので

   県警や公安委員会で確認しましょう。

 

 

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2012年5月26日 (土)

酒は飲んでも外じゃ駄目。

福岡市が、市職員と教職員1万6千人に、

1ヶ月間の『禁酒令』を出した、というニュース。

(西日本新聞の記事へのリンク)

   

  

   

   

   

自宅で飲むのはいいが、友人の家では駄目。

宴会ではウーロン茶にしなさい。

結婚式は仕方ないけど、上司と相談するように。

今のところ罰則はないけど、

違反したら市長から呼び出しが来るぞ、と。

   

    

     

   

    

   

   

   

   

   

野暮な話だなあ。

       

   

   

   

一応理由としては市職員による飲酒運転や、

飲酒した上での暴行事件などの不祥事が絶えないから、

なのだという。

      

もちろん飲酒運転なんかは論外だし、

九州は酒に寛容な土地柄だ、

といったことはあるのだろう。

  

   

しかしそれなら、

『僕もやめるから職員の皆さんも一ヶ月我慢してくれ。』

というスローガンで十分だ。

マスコミに公表して、役所のHPにでも載せればいい。

   

   

頭の悪い学校の校則みたいに

『○○しちゃ駄目』って細かすぎるし、

市長から呼び出しがある、なんてのは

野暮の極みだ。

   

   

   

 

ちなみにこの市長屋台課長を創設した人物でもある。

どうも、パフォーマンスが過ぎるな。

 

橋下さんが受けているから、おれも。っていうような気がする。

   

この福岡の市長が

どこまで橋本さんを意識しているかは知らないが、

橋下さんの食えないところは『君が代・日の丸』にしても

遵守しないと罰則だぞ、っていう条例と規則を先に作り、

『君が代・日の丸の是非論』を巧妙に避けているところだ。

   

ところがこの福岡の市長の場合は、

『飲酒による事件が増えてるから、

市民の皆さんもわかってくれますよねえ』と情緒に訴えて

そういう手続きを後回しにしている。

だから、パフォーマンス臭さが際立つ。

   

 

 

もういいよ、そういう『政治スタイル』。  

 

屋台課長はこの一ヶ月、屋台に行く事が禁じられるのか?

   

仕事なのに…

 

酒飲まなければいいのか?

       

       

       

       

       

        

       

    

   

   

   

『あの、超福岡日報のものですが…』

   

『ああ、なんだあ?人が気持ちよく飲んでいるところに…』

   

『あなた、福岡市役所の方ですよね。

以前取材でお見かけしましたが…』

   

『そうだよう。そうですとも。』

    

『いま、禁酒令が出てるんじゃないんですか?

それなのにスナックで飲んだりして。

私は正義のマスコミとしてこのことを市民の皆さんに…』

   

『ここは、俺のうちなんだよう。』

   

『はい?』

   

『ここのママは、正真正銘 俺の母親だ。

同居している実母がスナックをやってたっていいだろう。

自宅で飲んでるわけだから、なんの問題もない…』

   

『し、しかし…』

    

『そうだっ。この人は本当にママさんの息子だぞっ。』

   

『あ、あんたも市役所の人でしょう。

見たことがあります。』

    

『俺も、ママさんの息子さ。』

   

『ば、馬鹿な。あんたの方はどう見ても60近いでしょう。』

  

『ママさんだって、ああ見えて75だけどな。』

   

『ええっ?』

   

『しかし俺は実の息子じゃなくて養子さ。

今日、役所で養子縁組の手続きをしてきたんだ。』

   

『また、そんな嘘を。

あれは認可されるのに時間がかかるでしょう。』

   

『いや、その人のいうとおりだ。

戸籍係の俺が言うんだから間違いないっ』

   

『あんたも市役所の人か。』

    

『なに揉めてんのよ、

三人ともあたしのかわいい息子たちよ。』

   

『じゃあ、ママ。俺たち帰るよ。』

   

『はあい、じゃあ二人で8千円ね。』

   

『なんだよう、ママ。親子じゃないか。

つけといてくれよ。』

   

『なによっ。そんなこという子はもう親子じゃないよ。

養子は離縁さっ。この用紙にサインしなっ。』

   

『ああ、いいとも。』

    

『はあい、ありがと。また来てね…』

  

『ごっそさん。そのときはまた養子縁組するから

戸籍謄本取っといてくれよ。』

   

   

    

からんからんからん

    

     

   

『ああっ。

あいつら親子になるつもりなんか

ねえんじゃねえかっ。』

    

  

   

    

     

      

     

     

     

    

    

     

     

     

     

     

では、『今日の一枚。』

    

      

     

     

     

以前も紹介した、キャリー・ネイションさん。

Carrynation

         

   

  

宣伝用のポートレートなんだけど   

すごい迫力

   

           

        

       

   

禁酒運動のアジテ-ターで、酒場や酒店に

まさかりを持って入り込み、棚の酒瓶を割って回る、

というパフォーマンスで有名になった。

   

   

   

    

   

   

   

1919年から1933年まで、アメリカは全土で禁酒法を施行した。

ビールといえばドイツ。第一次大戦の敵国ドイツに打撃を与える

という政治的な理由もあったが、

アメリカという国には禁酒法を認める精神的風土がある。   

   

キャリーのパフォーマンスも、一部の熱狂的な賛同者を集め

このおばさんの後ろについて、賛美歌を歌いながら

酒場に乗り込んだそうである。     

     

       

       

しかし、『禁酒法時代』がもたらしたものは、

スピーク・イージーと呼ばれるもぐり酒場と

悪質な密造酒と、マフィアと、ギャングどもの抗争だった。

   

    

   

禁酒も健康もそりゃ、『御説ごもっとも』だけど、

行き過ぎると面白くない。

社会の針がどちらかに振り切ってしまうのは怖い、

と思うのです。

     

   

   

さて、明日はなににへそを曲げようか。

    

   

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予約投稿の手続きを間違えて、いつの間にか公開になってました。

もうちょっと手を加えるかも知れません。

  

  

  

       

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酒鬼薔薇の日

5月24日から27日は

酒鬼薔薇某と称する少年(当時14歳)が

男子児童(当時11歳)を殺害した上でクビを切断し

自宅に持ち帰った上で通ってた中学の校門の前に置いた。

遺体のクビが「発見」されたのは27日早朝である。

 

 

 

 

  

この兄ちゃんは97年2月からこの日まで

四人の男女児童に対して、金槌で殴るカッターで刺す、

靴紐で絞殺するなどの犯罪を犯し、

二人を殺害。二人に重傷の被害を与える。

 

       

15年前のことだ。

 

 

        

しかも、この馬鹿の憎たらしいところは

自らの犯行を誇示するような「おてがみ」を

死体の口にくわえさせ、さらに

新聞社に送りつけていたことである。

  

 

Sakakibara       

一連の『犯行文一覧』

一番大きな字の文には  

『SHOOLL  KILLER』

と書いてあるが

ShoollはSchoolの

スペル間違い。

 

 

 

 

こういう文章でスペルを間違えたら

死ぬほど恥ずかしいとは思わないんだろうか。

 

 

 

  

てめえ、○一郎、お前が社会で更正できると思うなよ

と思うのだが、

そんなこと本人のほうがよく知っているのかも知れない 

 

 

せめて、馬鹿は馬鹿だと自覚して欲しい。 

そうしないと廻りが迷惑だ。   

 

 

 

 

 

 

 

で、この人は一ヶ月の警察での勾留のあと

家庭裁判所に送致され、

一時医療刑務所に入ったこともあるが

最終的には中等少年院を見事に卒業して2004年に社会復帰。

 

2005年からは身近に着く保護司もいなくなって、

基本的には自由、なのだそうだ。

 

 

  

 

もちろん、影に陽に彼を監視する人はいるだろう。

この事件はセンセーショナルだったこともあって、

この人も、改姓して 暮らしているらしい。

戸籍はどうか知らないが、社会的にはおそらく偽名だろう。

 

    

実際、改名は仕方がないかな、とは思うのだが

その一方でこの馬鹿の両親は

この殺人鬼と戸籍的な縁を切ったくせに

実名を秘して、手記も出している。

(リンクはしません)

 

だけど、よく考えて欲しいのだが    

『手記を出したらウハウハじゃないか?』   

とそそのかした馬鹿がいて、実際そんな本を書いたわけだが

読む気もしない。 

 

 

  

表向き収益を被害者家族に、と申し出ているらしいが

受けとっては貰えない。

 

 

こんなものが本になるのか、

日本の出版社って真底馬鹿だ。 

  

加害者の情報は無駄だ、ということを連打し続けることが

マスコミのレゾンデ-トルだろう。

少なくとも、加害者サイドの人間は無口であるべきだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

で、今日書きたいのはそんな事じゃなかった。

 

まず、生首をさらされた中学校は

神戸市立友が丘中学校、といって

至極普通の公立校である。   

 

学校全体のプランを見れば、『校門はここしかない。』

と思えるので、場所は移転していないと思うのだが、

きもちわるっ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、この少年がいま現在どのよう状況にいるか。というと

2004年とされる退院後については、よくわからない。

 

 

犯行が1997年、そのとき14歳だったから

異例といえば異例の長期保護である。

 

今年30だ.。

 

 

 

 

 

 

 

実際、『14歳が犯人。』というのはかなりショックで

一ヶ月勾留されていた須磨警察署には、人だかりができた。

 

 

マスコミが注目した事件になったのだ。

その当時、月見山で仕事をしていたので

ほぼ毎日須磨警察署の前を通った。

すごい人だかり。

        

 

 

 

テレビ用の本気カメラがあり、

スタジオでしか見たことがないようなスチールカメラがあり、

固定されていなくても、みんな手にしているのは

レンズだけで俺の給料が吹っ飛ぶんだろうな、

という高級機だった。

 

 

そして、カメラを持っていない人間は黒っぽいスーツに

白いシャツを着てマイクを持っている。

あるいは、手に手帳(まだそういう時代だった。)をもって

なにやらメモをしていた。

 

 

 

だけど動きなんかあるはずがない。

1ヶ月勾留されても、14歳の少年犯罪であれば、

捜査情報の取り扱いは厳重だ。

 

 

いまでもWikipediaに、この少年は冤罪ではないか?

なんていう馬鹿なことを投稿する人がいる。

本人が争っていないんだから間抜けな話だが

『人権派』とかという連中の中には理屈が通らない人がいる。

 

 

だから情報は漏れない。

3時に東京と中継がつながっても

新しい情報なんかあるはずがないのだ。

 

あの人たちは1ヶ月、なにをやっていたのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

須磨警察署というのは、神戸を東西に横断する

大開通の西のはてにあり、

ここから1km行くと月見山の駅にぶち当たってしまうので

通過交通は処理できない。

 

 

だから、普段はそれほど交通量があるわけではない。

 

 

しかしこの一ヶ月は違った。

だんだんに人数は減っていったのだが

この人たちは暇なのか?花形なのか?

なんだかよくわからなくなってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

逮捕直後に、この『少年』の氏名、顔写真といった情報が

雑誌で流されたこともあって

この人の個人情報は、いまでも割とあっさりと

ネットで入手できる。

 

 

 

例えば、彼の誕生日が1982年7月7日の七夕の日で

蟹座、九紫火星うまれである。

というがごとき情報がすぐにわかる。

 

 

この占いによると、この日に生まれた人の適職は

裁判官や検察官などの司法関係。だそうだから

実に

占い師というのがくだらない詐欺師か、

ということがよくわかりますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の二枚。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遺骸が回収され、現場検証を受ける

神戸市立友が丘中学校、正門。

2012y05m25d_212542683     

 

 

1997年の映像。

物々しいですな。

 

 

 

 

       

 

そして、現況。

280pxschool_gate_in_junior_high_sch    

 

 

 

 

 

 

建て替えろよ。

 

 

 

 

 

 

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2012年5月25日 (金)

ゴルフの日

5月24日は日本初のゴルフ場がオープンした日。









オープンしたのは六甲山。

1903年に開かれた神戸ゴルフ倶楽部。


現在でも続いているのだが、お高級というか排他的で

会員の紹介がないと入ることもできない。

一見さんお断りくらいならほかのゴルフ倶楽部でもありそうだが

夏休み期間中の休日は何故か女性はプレイできない。


土日であれば、ラウンドだけで一人2万4千円。

グリーンフィー2万円以上というなら、これも

ほかのゴルフ倶楽部でもありそうな話だが、

コンペのあとにパーティーをやって飯を食って、

一泊して行き帰りに車を使ったら一人5万ではすむまい。

とんでもない施設である。







日本最初のゴルフ倶楽部が神戸に作られたのは

外国人や、関西の財閥の偉い人がいたから。


実際、いまの六甲ゴルフ倶楽部では、キャディになるには

外国語ができなくてはならず

関西では有名なお坊ちゃん学校の学生がバイトをするのだ、

ということがWikipediaに書いてあるのだが

その昔は『球童』と呼ばれて小僧扱いだった。



六甲山は市街から至近の距離にあるが

真冬には雪が降るので閉鎖される。

そのせいか芝生が育たないので

砂でグリーンを作った。




完全に植民地仕様である。









ゴルフなんて何年やらないだろうね。

お金がかかるのである。



個人が払うことはないのかも知れないが

もうそんな時代じゃないよなあ。


もちろん弊社事務所ではかような冗費は許さないので

ゴルフなどしない。










もちろん私が、ゴルフがへたくそだ。ということもある。



しかし、これでも建設業に身を置いている以上、

勤め人時代には『ゴルフをやれ。』と言われたことがある。


『…やらないか?』ではなく『…やれ』なのだ。



仕方なく打ちっ放しなどにいった。

ところが球が当たらない。










ゴルフというスポーツはティグランドから

短いホールで150m 長いホールだと500mくらいさきの

カップに向けて球を打つ。


人情として1打目でなるべく距離を稼いで

2打目で少し近くまで寄せ、3打目くらいでグリーンに乗せて

あとはパットで処理したい。


ところががそんな目算が立つ人ということになると

ボギー、あるいはダブルボギーペースということになって、

素人なら相当にうまい。








私の場合まず球が当たらない。

ゴルフのクラブというのは無暗とたくさんある。



なんであんなにたくさんあるんだろう。

いい加減、ゴルフを知っている人に

怒られそうな話ばかりなのだが

格安店でも、ワンセット16本10万円って、ハードルが高いぞ。






一応理由があって、遠くに飛ばすクラブは長い。



なんだろう、この頭の悪い説明。

ゴルフの説明でこんな馬鹿らしいところから入るのが、

この日記の心意気だ。



多少、工学修士らしい説明をすると

ゴルフというのはスイングのヘッドの運動エネルギーを

インパクトの瞬間でいかに球に伝えられるかが胆だ、

ということなんだと思う。


語尾の腰がいきなり砕けているのは

そんな難しい事が実現できなかったからである。









ともかく遠くに飛ばすクラブは

長くてヘッドが重ければよろしい。


それを素早く回転させてパキョ-ンと飛ばしたら

遠くに飛ぶ。






もちろん、あんまりヘッドが重いと早く振れないし、

軌道が安定しない、といった理由があって、

必ずしも重たいクラブは流行る訳ではない。



いまは金属製のヘッドが普通なので

びっくりするくらい軽かったりする。



しかし、昔は遠距離を飛ばすクラブのヘッドは木であった。

だから、いまでもクラブのヘッドが

まるんとしたかたちをしているものをウッド、という。



ウォールナットのクラブ、というと

ゴルフファンは興奮するらしいが、要するに『クルミ』である。

パーシモンというともっと興奮するらしいが

なんのことはなくて、『柿』である。

プロゴルファー猿が使っていたのも、確か柿の木だった。








ウッドにも何種類ものクラブがある。

一番長いのがドライバー。

3番ウッドはスプーンという。



ところが、だから、ドライバーなんかまともに当たらないのだ。

シャフトが,長くてヘッドが重いからただでさえふらふらする。




当たれば気持ちいいだろうな、とは思うし、

打ちっ放しなんかでまぐれで当たったリすると

実際、すごく気持ちがいいのだが

本番で当たることは、まずない。










ゴルフをやれ、といった先輩たちはまじめで優しくて、

設計部のコンペなどに誘ってくれた。


『このコースは易しいよ。』なんていわれたが

そんなことは関係ない。


フェアウエイに

球が落ちることなどないのだ。



第1打がまぐれで当たっても、

ぎゅうんと曲がって斜面に突き刺さる。

ゴルフというのは4人くらいでパーティーを作って移動するのだが

第2打目以降は、球が一番飛んでいない奴から先に打つ。

とっとと追いつけ、というわけだ。


従って、ティグラウンド第1打を打つとすぐにダッシュ、

という体制をとらねばならなかった。



しかも2打目は坂の上だったり下り坂だったり

とんでもないラフの中だったりしたので

2打目で追いつけることはまずなく、

クラブを数本もってダッシュするのである。



『アンプレアブル』っていうルールを教えてくれたら良かったのに…













クラブには何種類もある、と書いた。

ウッド以外にもたくさんクラブがあってこれはアイアンという。

我ながら、書いていて読者の人が怒らないだろうか、という

危機感を持たないでもないのだが、ここは大事なところだ。

耐えてくれ。君もつらいだろうが僕もつらい。



アイアンは文字通り昔は鉄だったのだが

いまはチタンとか何とか、かっこいい金属になっている。


これは一般的に1番から9番まであり、

番号が少ない方が長い。

そして、球が当たるところ(フェイス)の角度が垂直に近い。

番手が大きくなると短くなって、フェイスが開く。



つまり、1番アイアンだと遠くにまっすぐ飛ばせるが

9番アイアンだと、距離は飛ばないが高く飛ぶ。ということになる。


距離を変えることは、コース戦略上不可欠のことであり、

高く上げることは、ラフの草やバンカーの砂を

逃げやすく狙ったところにぴたりと止められる、

ということになる。



すごい人だと、バックスピン、なんていって

『ありゃあ、オーバーしちゃったねえ。』なんていう球が

ぎゅうんと戻ってきたりして、アイアンってすごい。



バンカー脱出用のサンドウェッジなどは、ドライバーの半分の長さで

ソウルの角度は45度近くある。








ところが私ごとき「とうしろう」にとって重要なのは

弾道の軌跡でもコース戦略でもなく、

『当たるかどうか』ということであった。



ここまでの説明でどこまで伝わったか不安なのだが、

ゴルフクラブはシャフトが短いほうが命中率が高い。


たぶんクラブを振った時の軌道が

短いクラブのほうが安定するのだろう。

同じぶれの角度でも、短ければ被害は小さい。




いや、止まっている球を打つ競技で

『命中率』とかいっている時点で

決定的に間違っているのかも知れないが、

プロでも、ティーショットのミスで予選落ちする、という世界だ。


ごめんなさい、一緒にしたらいけません。









しかしながら、そういう経験を踏まえて

私が選んだ選択肢は、ミドルホールのティーグラウンドに

5番アイアンを持って現れる、

という方法であった。


『おおい、ドライバーなしで届くんか?』といった

ヤジが飛んだのは最初の1・2回。

一度実力を見せつければ、みんな沈黙する。

気の毒がって…





もちろん5番だって飛ばない。

当たったとしても飛んでいくのは明後日の方角だ。



しかし、1番ホールというのは当日回るパ-ティだけではなく

コンペの全員がいる。

自意識過剰かも知れないがここで

ティーアップした第1打を空振りするのは恥ずかしい。


実は何回かやっている

狙ったわけではなく、本当に全力なのだが

3回目以降は笑ってさえくれなくなった。













で、まあへたくそ自慢はいいとして

とにかく、身内以外とはゴルフなんかするまいと思っていた。



ところがこんな私にゴルフ場の仕事が回ってきた。

ゴルフ場のクラブハウス、ということになると

花形の設計物件なのだが、当然そんなものは任せては貰えず

附属の宿泊施設の改修と、レストラン棟の新築だった。



それでも、月2回の定例会議には

専務以下の重役の皆さんが出席される。



そしてある時、この専務がとんでもないことを言った。       

『皆さんは、当然うちのコースを

回ったことがあるんだろうね。』









ないよ。








もちろん、そんなこと直答できないから営業課長と

現場所長の顔を見ると二人とももぞもぞしている。



二人ともないらしい。



1年半の工事期間中、

常に温厚だった専務がこの時は色をなして

『うちで仕事をする以上、

うちのコースを回らないとは…』

とまでいった。





そりゃまあ、もっともである。





ただし、営業課長に頼み込んで

『偉い人の組』からははずしてもらった。




当日編成されたパーティーは、お施主さんの専務とゴルフ場長

営業課長と、統括所長の『偉い人組』

そして、『現場を請け負う建築会社の所長』と『設備会社の社長』、

そして設計の設備設計担当と、私だ。







群を抜いてへたくそなのが私だ。





ゴルフ場の経営会社の人間がうまいのは当たり前、

建設会社の営業課長というのも、ゴルフは仕事のうちだ。



地場の建設会社や設備会社というのも

ゴルフは仕事のうち、

そして、唯一私より年下だった設備の子も

北大阪ではちょっと聞こえた設備施工会社の3代目で

ゴルフは英才教育を受けているのだった。









もう、泣きそう。






そもそもコースが、なんじゃこれは、である。



ティーグラウンドから見上げるような高みの

フェアウェイに打ち上げたり、

100mはありそうな谷を越えろ、なんていう。

泣きそうな思いでグリーンにたどり着いてみると、

これがあんた、できの悪いポテトチップスのように

三次元曲面でうねっている。




馬鹿なことをいっちゃいけない。

こっちはドライバーはおろかパターだけでラウンドしたほうが

スコアがいいんじゃないかと思っているのだ。



そんな奴に、崖とか谷とかクリークとか越えろ、と。

コツンと当てたらそのまま谷底に落ちるくらい

芝を短く刈りやがって。

いやがらせか?(嫌がらせです。)


もうね、はっきり言って社会的立場というものがある。

見栄を張る、という意味ではなく

一応は、元請け会社の設計部の担当社員だ。


腹の底はともかく『先生』といわれてしまう立場なのだ。

現場では、『お願いだからそういう言い方をしないでくれ。』

といって、定例会議なんかでは徹底してもらったのだが

刈り出された社長とかは知ったこっちゃない。



ラウンド前は、

『いやあ、今日はいい天気でようございましたな。』

なんてっていたのに、ホールを重ねるごとに無口になる。

気持ちはわかる。





でもこっちはもっとつらいのだ。



最初は私以外全員ダボとかで、足並みをそろえていたのが

インに入ってこっちを構わなくなったのは、

むしろありがたかった。




全力で接待ゴルフができる男、というのが私だ。

そして、接待する側から見たら、

これほど扱いにくい男もいない、

というのがこの私だ。



スポーツには誘わないでね。













もうゴルフなんてしない。

タイガー・ウッズが出て来た時に、

『ああ、こいつになら明日のゴルフ界を任せられる。』

と思ってクラブを置いた。



いまは石川遼君がいるから更に安心である。












もちろん、口ずさむ曲は『さよならの向こう側。』だ。






















では、今日の『さよならの向こう側。』


















このシーンのあとに百恵さんは

ステージ中央にマイクを置いて、芸能界をあとにします。


 

きれいな人だなあ。










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2012年5月23日 (水)

俺たちの明日はどっちだ。

5月23日は映画『俺たちに明日はない。』のモデルとなった、

ボニー・アンド・クライドが殺害された日。

     

     

  

   

       

 

   

   

1967年と割と昔の映画なので、知らない人も多いと思う。

実際、この二人がやった犯罪というのは

それほどたいしたものではなくて強盗と殺人だ。

  

累計13人を殺した大量殺人者ではあるのだが

殺人に思想性がない、という点では

昨日紹介した津山30人殺しと同様に

すがすがしく馬鹿である。  

   

いや、思想性のある殺人犯はもっと困るけど…

    

  

   

   

   

   

しかしこの人たちの犯行は派手だった。

マシンガンを持ったクライドが銀行に侵入、

ボニーは盗んだフォードV8で待機して、

一撃を終えると二人で逃走する。

 

当時のアメリカでは州境を越えてしまうと

警察の捜査が及ばない。

しかも、フォードV8は当時世界一大型の車だったから、

警察が追いつけるはずはなかった。

   

単純な強盗犯なのだが、彼らは意外に捕まらなかった。

  

    

 

州境を越えて捜査ができる連邦捜査局、いわゆる

FBIを作ったのはこの二人だ。

といわれたりする。

   

    

    

   

事件の痛快さと、

襲ったのが銀行や富裕な商店だったことから

一種の義賊のような扱いを受け、

マスコミ的には大人気だった。

   

     

   

   

この二人は、一時クライドの兄貴夫婦と一緒に行動する。

更に仲間が増えて

一種のギャング団のようなものを組織するのだが

人数が多くなると仲違いするのが集団の常。

 

兄貴のバックは射殺され、兄嫁も捕らえられる。

こいつが二人の行動についてしゃべり倒したために、

次第に追い詰められる。

   

 

    

しかも悪いことに、この二人組は、

警察官をショットガンでなぶり殺しにしていた。

警察というのは、身内に犠牲者が出ると

法律の許容範囲を超えて復讐に燃える。

   

   

   

   

   

  

   

彼らの『活動歴』は1932年3月から

翌年の夏まででしかなかったのだが

彼らを決定的に有名にしたのは、

その最期であろう。

   

怪我をしていたクライドのほうをかくまって

田舎に隠れていた二人だったが、その行動は

警察とFBIに筒抜けだった。

   

待ち伏せされていた二人は、恢復して移動しようとした時に

警官とレンジャー部隊の自動小銃で蜂の巣にされる。

      

     

      

     

       

   

   

   

     

さて、ボニーとクライドの写真。

    

220pxbonnieclyde_f

        

1932年のものとされる写真。

美男美女とまでは言わないけど

まあそこそこ、という風情。

ただし、ボニーの身長が150cm

だったことを考えると

アメリカ人としてはどうか?

       

     

   

  

ボニーは、カフェのウェイトレスだった。

『お金がなかったら今度でいいよ。』というような

気っぷのいい姐ちゃんだったらしい。

    

クライドは少年時代から強盗を行う、犯罪常習者だった。

彼は、客としてボニーが勤めるレストランに来る。

   

     

 

惚れたのはボニーのほうだった。 

しかも猛烈な片思いで、

読むのも恥ずかしくなるような詩を遺している。

   

 住み慣れた家を出て 町へ行った
 その目まぐるしい喧噪の中で遊ぶために
 無情なところとも知らずに
 町は田舎の少女を取り込んでいく

 少女は甲斐性ある男に惚れ込んだ
 チャイからやってきた殺し屋
 死に物狂いで愛した男
 男のためなら死んでもいい

    

盲目になったのは恋のせいか?

映画を見ると、この姉ちゃんも

ピストルやマシンガンをぶっ飛ばしていて

まともな人格ではないのだが、

一体何だろう。

   

   

   

    

    

     

     

     

     

   

    

     

    

   

では、『今日のボニーアンドクライド。』

  

  

    

      

       

     

     

この二人が殺害された直後の映像

というのが遺されている。

 

ボニーはハンドルを握りながら死に、

クライドは車外で横たわっている。

   

車に積まれていた武器、として

5丁の自動小銃と複数の拳銃が並べられているが

二人が携行する武器としては過剰ではなかろうか?

   

    

     

     

  

   

   

ここで、やっと映画『俺たちに明日はない。』

    

この映画、原題は単に『Bonnie and Clyde』というのだが

これに『俺たちに明日はない。』という邦題をつけた人は

誰なんだろう。

   

若干、説教くさいが、世界恐慌直後の狂騒と、

禁酒法時代急速に勢力を伸ばしてきた武装ギャング団。

といった世相を切り取っている。

   

そして何より、およそ計画性のないこの『逃走劇』に見る

二人の刹那的な生き方を示してはいる。

   

   

   

 

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2012年5月22日 (火)

八つ墓村の日

5月21日は『津山30人殺しの日。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1938年(昭和13年)のこの日、

岡山県苫田郡(現在の津山市加茂町。)で

当時21歳の都井睦男なる人物が猟銃・なた・日本刀で

30人を殺害、重軽傷者3名を出す、という

個人としては、日本犯罪史上空前の大量殺人を犯す。

 

 

 

 

 

映画、『八つ墓村』のモデルである。

 

2012y05m21d_185122356   

 

 

 

 

 

山崎努はともかく、はちまきに懐中電灯をさして

彼が近隣の村を襲ったのは午前1時半。

 

 

まず、養育してくれていた祖母のクビを切り飛ばし、

それから、夜明けに欠けて30人以上を襲い、

ほぼ、全員即死、というすさまじ犯罪をやってのける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この兄ちゃんは結核で、

徴兵検査で丙種(事実上不合格)になり

いまで言うヒッキーになるのだが、

家にそこそこ財産があったために働かなくても良かった。

  

 

ニートともいえるのだが、今日のニートと違うところは、

こいつは夜這いを繰り返していたのである。

ニート=童貞と思ったら大間違いである。

 

 

地主の息子でも金持ちでも

亭主持ちが夜這いを受け入れるか?と思うのだが、

戦前の岡山は、そういうところはいい加減だったらしくて、

このニートと関係を結んでいた女は

たかが200戸の集落の中で10人前後もいた。

  

もちろん、大いに噂になった。

田舎とは恐ろしいのである。

 

 

 

 

 

この殺人は、そういう事への恨みや田舎であるが故の

うわさ話のうるささに耐えかねてのことだったらしい。

 

 

一応遺言状が残っていって、

『僕はこどもの頃から賢くていい子だったのに、

肺病になって、20歳以上の西田某に童貞を奪われて、

あれこれうわさ話をされて、くそ田舎だから、

みんなが俺を見るよう。あああ、もう俺はだめだああ。』

  

と、この人は精神の平衡を失っていたのだなと思うのだが

人物関係を立体的に考える気力が起きないくらい

くだらない遺書だ。

 

 

 

 

しかし、このくらいで人は死ぬのだ。

しかも、何人かうち漏らした奴がいるらしい。

  

村人が気づき始めると林に入り、

その場でもう一通の遺書をしたため、

ブローニング猟銃を胸に当てて自殺した。

       

時刻は朝の5時。

その兇行時間は、たったの三時間半である。

 

 

  

 

それで、30人…   

 

(遺書全文が載っています。 無限回廊 津山30人殺し)

 

 

 

 

 

 

この事件は胸焼けがするな。   

八つ墓村って、こんな映画だったっけ。

 

 

大体書いても途中で飽きちゃって公開しない文章、

というのが結構ある。

それだけ厳選してこの程度かよ?

といわれると、ちょっと電信柱の影で

小石をけりに行きたくなるがまあ、この殺人事件はもういいや。

飽きちゃった。

 

 

 

 

 

 

『八つ墓村』の舞台になっている

石垣の家は『広兼邸』といって、実在の家である。 

 

Cce20120522_00000_2    

 

 

 

 

natsu画

 

 

 

  

       

実際に上に上がってみるとそれほどの豪邸ではないのだが

山の中にあることを考えたら、

井戸を掘るだけでもとんでもない財力である。

      

天守閣でも建てられそうな石垣といい

なんでこんな立派な家が建ったか、というと

鉱山の持ち主だったのだ。

 

 

この家は、同じ岡山でもずっと西側の吹屋というところにある。

 

 

吹屋はかつて日本一の銅の産地で

副産物であるベンガラ(酸化第二銅)で

真っ赤に染め上げられている街として有名だ。

 

 

320pxfukiya01s3200     

 

 

朱くても

色街ではない。

 

 

 

 

いやまあ、色街の機能もあったと思うのだが、

吹屋というのは小さな街だ。

   

尾根筋の300mほどが街なだけ。

 

 

春をひさぐ一角もあったはずだが、

それよりも誇り高く金持ちで、

ここを基盤にした商店は後に住友財閥を作る。

 

 

 

    

 

ベンガラは、装飾だけではなく、木材の腐敗防止

金属のさび止め、陶器や絵画の絵付けの染料、と

それだけで多様な用途があり、吹屋は豊かな街であった。

    

高々とした広兼邸は、その象徴だったらしい。

しかし、足許には観光バスが10台も停まれるような平地があるのに

高々と20mも築きあげた石垣の上の家は

それほど広くない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まさにこの事件のロケ地として適当であった、か?

     

そこまで考えてなかったか?

 

 

 

 

 

    

ただし、この街は銅の産地として明治時代まで大いに栄え、

街の規模としては過分な小学校を建てた。 

  

 

0000_hukiyasyou    

 

     

かっこいい

 

 

 

    

さすがに人口が減って今年閉校されてしまった。

まだ学校をやっている時代に何度か訪れたことがあるのだが

平然と玄関まで行けたのは、平和だったからかか?田舎だからか?

あふれ出る、品格の故か?

 

 

 

リニューアル工事をした上で2018年に郷土資料館として

再オ-プンするそうなので、是非行きたい。

 

 

  

吹屋についてはいくらでも書けるなあ。

いずれ、稿を改めてまた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の八つ墓村。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

映画『八つ墓村』予告編

 

 

寅さん以外の渥美清は新鮮だ。

 

 

 

 

 

 

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2012年5月21日 (月)

翼よ、あれが金環日食だ。

『本日は、このスピリット・オブ・銭湯留守号に

乗機いただきましてありがとうございます。』

     

『いやあ、楽しみですなあ。』

『どーもくん・ツインクル号よりもどきどきします。』

   

『当機は、ここ鹿児島空港を離陸した後

9000mまで上昇。

下界のくずどもが天気がどうの、と心配している

貧乏人の上空を飛び越えて、

7時13分の金環日食を楽しんでいただきます。』

   

20120512

    

   

国立天文台HPより

クリックで大きくね。

  

  

   

   

『西から東に進むんですね。』

『不思議だねえ。』

   

『そこです。鹿児島上空で雲の上に出た当機は

一気に音速を突破して時速1700km/hまで加速。

これは地球の自転速度と同じですっ。』

    

『あん?』

『だからなんだ?』

   

『地球の自転速度で大圏コースを回れば

いつまでも金環日食をご覧にいただけますっ。』

    

『相変わらずやくたいもないことを。』

『入院しても弱りませんね。』

  

『一気にマッハ2まで加速したら、あとは

金環日食思いのままです。』

    

『マッハ2まで出せる民間機なんてあったっけ。』

『コンコルドは引退しちゃいましたもんねえ。』

 

 

 

 

  

 

 

 

   

     

      

      

『大体皆さん、

今回の日食が日本だけで盛り上がっているのは

不思議だと思いませんか?』

   

『まあ、ね。』

『日食だったら他の国でも…』

   

『今回の日食の特徴は、観測時間帯では

日本で始まって、あとは太平洋を横断していくんで

よその国は興味がないんですっ。』

  

     

2012y05m20d_205542464_2

   

  

  

  

  

  

今回の日食の移動ルート。(北海道大学のウェブサイトから。)

   

      

『ああ、なるほど。』

『こりゃあ、他の国は興味ないわ。』

   

『当機は鹿児島空港を出ますと、このルートに沿って、

一気にセントルイスまで直通。』

   

『ええっ?』

『成田で降ろしてくれるんじゃなかったのかっ?』

    

『5月20日は、リンドバーグが大西洋を横断した日。

このスピリット・オブ・銭湯留守号も一気に太平洋を横断して

10時間にわたって、いやって言うほど

金環日食を見せつけてあげますっ。』  

      

           

 

『いや、もう飽きる飽きる。』

『パスポート持ってきてないし。』

   

『ではっ。アフターバーナー着火っ。音速を超えますっ。

皆さん、ソニックウェーブに備えて、

前の席に手を掛けて頭を下げてっ。

耐ショック姿勢をとってくださいっ。』

   

『いやああああああ。』

   

   

   

   

   

    

    

    

    

    

       

       

       

     

      

    

    

     

   

では、『今日の金環日食。』

    

       

    

     

     

   

    

   

        

   

     

   

21日は6時頃におきました。

別に目覚ましを掛けていた訳じゃないけど、

何となく廻りがざわざわしてな。

  

そして、やっぱりせっかくだから金環日食をみよう。

いや、見たい。と思ったわけです。

   

でもなんの準備もしていない。

『直接見ちゃだめ。』って

あちこちの放送媒体から言われているけど

気合いで見たら確かに欠けている。

  

そんな姿を見かねてくれたのか隣の家の方が

日食グラスを貸して下すった。

わー、すご-い。

欠けてるよ、ちゃんと左下から。

       

           

    

       

もちろん私も観測しようとした。

そのかわりなんの準備もない。

  

従って、最大食の時点での映像がこれだ

 

Ca3g00642

  

ちっとも痩せている様子が

見えてません。

肉眼で見ると日食なんだけど

フィルターもなにもない。

露出も露光時間も  

カメラのまま、という

ノーガード写真です

        

    

ほぼ太陽。

でも、いつもより少し黄色くて

暗くなっていた。

   

  

           

  

Ca3g0061334

        

木漏れ日をいれたら

欠けている様子がでるぞ。

なんて言われて、

パンチング・紙を作ったんだけど

そうでもない。

        

    

 

 

Ca3g0056

     

     

      

これは。朝6時。食の開始直後の写真。

  

  

  

Twittwerとかを見ていると、みんなきれいに撮ってて

うらやましいなあ。       

     

    

 

   

   

    

   

   

 

 

2012年のあなたは、予想通りですか?

 

俺は違うなあ…

   

   

   

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2012年5月20日 (日)

ゴールデンリング・ラプソディ

『いいか、いよいよ明日の朝は金環日食だ。』

  

『…はあ…』

      

『われわれ、DAKARA列島観光協会は、

前回の皆既日食の汚名をそそがねばならん。』

   

『…汚名?…』

    

『2009年の日食の時には6分半の日食観測のために

テント泊でも40万、とかべらぼうな値段を取った上で大雨だ。』

    

『いや しかし、天気のことはどうにも…』

『責任のとりようがありません…』

   

『馬鹿野郎っ。』

  

『ひっ。』

    

『そんなこと言っているから、今回の金環日食では

誰もうちの島に注目しないんだろう。』

  

『そりゃ、東京でも見えるんですもん。』

『神戸でも見えるよ。』

   

『そこなんだよなあ…』

   

『いいじゃないですか。』

『観光振興とか忘れて、今回はわれわれも楽しみましょうよ。』

  

『…………うん』

     

  

      

   

   

   

    

   

   

 

 

 

 

 

 

   

  

『さあっ。「ゴールデンリングを焼付けろ」の時間ですっ。』

  

『どういう仕組みなんですか?』

  

『金環食の時は太陽の中心を月が通るために

指輪のような奇跡の造形が現れますっ。』

   

Kinkan

   

   

   

    

   

    

   

   

    

   

  

『で、これをどうする、と?』

 

『この形を日焼けさせるんです。』

  

『はい?』

  

『金環食での光量は1/1000しかありません。』

   

『それじゃ日焼けなんかできないじゃないか。』

  

『そこでご用意下のが「集光レンズ・ダイヤモンド君」です。』

 

『虫眼鏡じゃん。』

    

『だって、金環食になるのは、神戸では30秒。

短い時間で露光するためにはレンズが必要です。』

  

『待て待て待て待て。』

  

『どうしました』

    

『だって、太陽の下に虫眼鏡置いたら

とか木とかみんな焼けるだろ?』

 

『日焼けは、個人的な感受性がありますがあなたの場合

一時間、3000秒でよく焼けることが確認できました。』

  

『うん、肌が弱くってさあ。』

  

『だからこの集光レンズで光を集めたら30秒で同じ効果.。』

  

『いや、その皮膚とフィルムや感光紙を

同じ発想でかんがえるのはやめてくれないかなあ。』

      

『でも、うまくすれば「ダイヤモンドリング」の

日焼けが残るかも知れませんよ?』

        

Diamonde

   

      

こういう日焼けがあったら、

うらやましいかも知れない。

  

  

     

『いやいや、リング部分、つまり生きている太陽のところからの

直達日射量は同じだ。

そんなでかい虫眼鏡で集めたら死んでしまう。』

   

『1000倍の光量を補うために通常なら2cmの口径の

太陽を焼き付けるために、レンズの口径は30倍の60cm。』

    

『だから、死んじゃうから。』

   

『いいからそこにねろっ。』

    

熱湯風呂だって、実際はちっとも熱くなくて、

出川とかの芸人が歌舞伎のように記号的な演技をするから

熱そうに見えるだけで実際にあんた60cmの凸レンズなんて。』

   

『むこうで、ダチョウ倶楽部の皆さんがすでに肌を焼いている。』

  

『どーぞどーぞって、

譲り合ってるじゃないかっ。』

   

『行くぞっ。』

  

『いやああああああああ。』

  

 

 

 

 

 

 

 

 

   

   

    

 

 

 

 

 

  

    

『か、管理人さんっ。じゃなかった。

きょ、響子さんっ。』

   

『は、はいっ。』

   

『あ、ああああ、あのっ。』

   

『はいっ。』

   

『ぼ、僕のために味噌汁作ってくださいっ。』

  

『はい、惣一郎さんのために作っておいたものですけど…』

   

『……しまった。』

  

『……?』

    

『響子さんは鈍いんだっ。』

    

   

   

    

   

   

『あんたたち, もう金環日食終わるわよ?』

   

『ああっ、管理人さん、

あのあのあのゴールデンリングをあなたにっ。』

  

『ふふふ…』

  

『あ、ごめんなさいっ。』

    

『いいのよ、金環食なんか

世界のどこかに行けば毎年見られるわ』

(Wikipedia日食)

   

『あ…』

    

『だから、来年オーストラリアでプロポーズしてくれたらいいのよ』

   

『ちょ、響子さんっ。』

  

『いいのよ、ゆっくりで…』

 

『…はあ…』

 

『だって五代さん、

告白するのに7年もかかってるじゃない』

     

     

      

     

      

     

    

      

      

      

     

   

    

        

では、『今日のめぞん一刻。』

  

 

 

 

 

 

 

CRめぞん一刻の秘密リーチアンド、あたり画面。

 

もう、なにがなんだか…

単純に面白いけどね。

 

 

 

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2012年5月19日 (土)

天一坊の日

5月18日は『天一坊事件』の首謀者

天一坊改行なる人物が獄門、処刑された日。

   

  

  

  

 

 

 

   

    

     

    

   

       

暴れん坊将軍8代吉宗は、

紀州候だった時代には私生活でも相当に『暴れん坊』で

『心当たりのある』こどもがいたらしい。

     

それを知って、『天一坊』なる人物が

『自分は将軍の御落胤であり、近々然るべく対面を果たして

いずれ大名になるのだ。』と言って浪人を集め出した。

   

   

   

     

もちろん安定期の江戸幕府がそんなことを認めるわけはなくて、

天一坊は江戸南町奉行、大岡越前守の審問を受ける。

 

 

  

  

  

   

   

   

   

    

『そのほうが、天一坊なる人物であるか?』

  

『左様にございます。』

       

『さすがに「こってり顔」であるな。

密かに浪人を集め私党を作ろうとしているなどと聞くぞ。』

   

『滅相もございません。』

   

『しかし、多数の浪人と接触した上で、

「俺はもうすぐ大名になる。飲め飲めみんなおごりだ。」

とか、ずいぶんな景気だったそうじゃないか。』

    

『いえ、左様なことは…』

     

『ふんっ。この証人を見たら、言葉を失うわ。』

      

『…証人?』

  

『佐衛門少殿、佐衛門少殿っ。

こちらにいらしてください。』

 

『…?』

       

水戸の飲み屋で一度あったことがあったよなあ…』

    

『いえ、存じ上げません…』

   

『おうおうおう、てめえは覚えてなくっても

この桜吹雪に見覚えがあるだろうっ。』

  

『あっ、貴様は遊び人の金さん…』

  

『そうともさ。』

  

『あなたは一体…』     

    

『俺かい?

俺は江戸北町奉行の遠山金四郎だ。

この桜吹雪が目にへえらねえかっ。』

      

『ひえええー』     

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ちょっと待ったー。』

   

『おや?これは御老中の橋下様。』

     

『公務員が入れ墨をしているなんて

許せないっ。』

     

『ああ…』   

『まあね…』

   

『しかも、お白砂で被告に対してクリカラモンモンを開帳して

被告に精神的圧迫を与えるなんて

論外だっ。』

      

Kinnsan

    

入れ墨裁判官   

   

 

   

『わかりました。それじゃどうすればいい、と。』

『クビですか?』

  

『配置転換します。』

    

『はい? 』

『江戸町奉行は南北二つしかないんだぞ?』

   

『だから遠山の金さんは南町奉行に。』

    

『『大岡越前守は?』

    

『あの人はクビです。』

  

『ええっ?あんな名奉行を。』

    

『だって「三方一両損」なんてぬるいことをやって

奉行所から出る一両は誰が負担するんだって事ですよ。』

   

『この件に関しては、大岡さんの自腹じゃないか?』

     

『ええ。でもね』

    

『…うん?』

 

『3両落とした左官屋が届けてもらったのに

「金は俺のもんじゃねえ。」と強情を言う。』

   

『うん。』

  

『拾ったほうも、「俺は善意で届けたんだからもらえねえ。」

とか言う。』

   

『意固地が服を着ているようなもので江戸っ子らしいじゃねえか。』

 

『それで、大岡越前の守が一両足してあわせて4両。

二人で2両ずつ分けろ。なに、俺も一両出して

お前らは本来の取り分の3両から一両減って、

みんな一両損だ。』

 

『わっはっはっは。これこそ、名裁判。大岡裁き、と。』

『いい話じゃねえか。』

『…ねえ。』

   

   

    

   

   

     

  

『一度きりなら美談だ、と思ってるでしょう。

だけどそんな実例があれば

日本中の貧乏人が必ず群がります。』

  

『あ。俺が3両落としました。 』   

『俺が届けたんだけど1両ください。ってコンビを組んで。』

 

『……』

 

『そうか、二人がつるめば

奉行からいつも1両余計に貰えるわけだ。』

『そいつぁ、大儲けだ。』

    

『だからそういう

野暮な奴が出てくるだろ?』

   

『あ、そうか。』  

  

   

   

   

   

 

   

   

   

   

   

   

  

   

   

   

   

   

では、『今日の三方一両損。』

   

   

   

   

   

   

   

   

   

   

『三方一両損』古今亭志ん朝

   

   

   

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お蔵出し企画、第三弾。

だいぶ書き換えました。

多くは喰わねえ。たったえちぜん。

   

    

   

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2012年5月18日 (金)

ダム爆弾の日

5月17日は『ルールダム破壊攻撃』の日。







1943年のこの日、イギリス空軍の爆撃機隊が

ライン川にあるダム群を攻撃し

メーネ、エーデルのふたつのダムを破壊した。


  

 

1955年の映画、『暁の出撃(Dam Busters)』。
     

     




Wikipediaだと『チャスタイズ作戦』として紹介されている。

投下された爆弾は、映画のほうが正しくて球形です。

     

     

  Mene_dam     

 

 

破壊されたメーネ・ダム

 

 

 

    





ドイツ最大の工業地帯がライン川沿いにある。

ここにあるダムは、発電、農工業用水と

多岐に利用されている。

 

 

ライン川は、アルプスに源を発し、

アムステルダムで大西洋に出るのだが

ドイツ領内では、ほぼ真っ平らである。

 

 

ここにあるダムを破壊すれば、

ドイツの産業に打撃を与えられるだけじゃなくて

下流に洪水を起こして、大騒ぎじゃないか?

と考えた人がいた。

 

    

バーンズ・ウォリスという人で

冒頭の映画だと、メガネを掛けた白髪の人。

この作戦で使われた『ダムバスター爆弾』や

要塞破壊用の巨大爆弾『トールボーイ』の開発などを行った。

 

 

一種のマッド・サイエンティストだと思うのだが

この作戦の成功が評価されて戦後ナイトに叙されている。





     

     



実際ダムってのはそうそう簡単に壊れる代物じゃない。

  

メーネダムでいうと堤体の頂部で幅員8m、

基底部の幅は32mもあって、

どう計算しても10t爆弾が必要だよなあ、でも

そんなもの運べる飛行機なんかないわ、ということで

空軍に相手にされなかった。

 

 

ところが、この人は執念深くて、いろいろ研究し

爆弾を水切りのように水面で反跳させて堤体にぶつけ

基底部で破裂させたら破壊できるぞ、という、

どういう信管なんだろう、という不思議な爆弾を作り上げる。

 

    

イギリス軍の面白いところは、こういう意表を突いた爆弾を

いきなり実戦に使用しちゃうところで、実際にこうやって使った。

(廃ダムを使った実験とかは行っている。)










ドイツはどうだったか?というと、

ダムの重要性はもちろん理解していた。

イギリス空軍の攻撃範囲にあることも承知していた。

  

しかし、水平爆撃なんか当たるはずはなく、

新型爆弾を作っているなんて思ってもいなかった。

むしろ、ダムに魚雷を撃ち込まれるかも知れない、

ということを心配して防雷網を張っていた。

 

 

イギリス空軍のガイ・ギブソン少佐と617飛行隊の

猛訓練の上での技量の奇跡はもちろんだが、

ドイツ軍もこんな攻撃、予想もしていなかったわけだ。












対して 












日本はどうか?というと、もっと雄大な計画を持っていた。

『パナマ運河破壊作戦』である。

  

日本軍の常として『怪力光線』とか『風船爆弾』とか

構想段階、あるいは実際に用いられても

嫌がらせ以下でしかなかった兵器や作戦と比べると、

この計画は本気だ。

 

   

なにしろ、パナマ運河破壊用の

800kg爆弾を運べる爆撃機を作った。

    

Seiran_2          

 

晴嵐 

 

 

 

 

ルールダム破壊に使われた爆弾が1トンだったから

800kgで十分にリアリティがある。

   

パナマ運河は、水平に造られているわけではなく

高さの異なる三つの水面でできている。 

その間は閘門と呼ばれる可動の水門で仕切られている。

 

 

300pxpanama_canal_gatun_locks_openi   

 

 

 

ガトゥン閘門

 

 

 

 

 

ダムと違って、これなら通常爆撃で壊せる。







もちろん、日本からパナマ運河までは

太平洋を横断しなくてはいけないので 

とてもじゃないが飛行機では行けない。

どうするか。




潜水艦で飛行機を運ぶ。





このあたりからだんだん訳がわからなくなってくるが、

日本軍の潜水艦は変わっていて飛行機が積める。

甲板の上からカタパルトで射出する。

飛行機にはフロートがついていて、

潜水艦の近くで着水して収容する。












第二次大戦での、日本潜水艦の評価は低い。

ドイツやアメリカのように通商破壊作戦に使うことが少なく

大型で音がうるさく、数も少なくて

戦局に影響を与えなかった、と。




ひどい。





発想が違うのだ。

ロンドン、ワシントンの軍縮条約で米英海軍に対して

圧倒的劣勢を強いられた帝国海軍は

潜水艦を決戦兵器の一つにしようとした。

 

 

艦隊決戦の際には最前列に配し、偵察・哨戒に任じる。

ソナーもレーダーも不十分な時代だったから偵察機を積む。

 

 

そして、

いざ敵艦隊が近づいたら魚雷をぶっ放して敵を混乱させる。  

 

 

日本の潜水艦の93式魚雷は雷速90km/hで射程22km

雷速を落とせばなんと40km先まで届く。

神戸から大阪、東京から横浜よりも先に届く。

 

 

もちろん当たらない。

相手の軍艦だって走っているのだ。

高速機動部隊なら50km/hで走る。

  

40km先の自動車に、リトルリーグ程度の球速のピッチャーが

球を投げるようなものだ。

狙っては当たらない。

 

 

だから、潜水艦が戦列を作って、一斉にぶっ放す。

一隻が同時に6本の魚雷を撃てるから、

数を撃ってびびらせれば敵を40km以内に近づけさせられない。

 

 

アメリカのアイオワ級の射程が38km。

戦艦大和級の主砲の射程が42kmだから

その距離なら、日本艦隊が一方的に打撃できる。

 

 

  

実に緻密な計算である。

 

 

 

 

残念なのは、

そんな機会が一度もなかったことだ。

  

しかし、そういう前提だから、日本の潜水艦はでかい。

   

日本の伊一五号潜水艦が3650tなのに対して

アメリカのガトー級潜水艦は2400tで二回り小さい。

(いずれも水中排水量) 

 

 

飛行機を積んだ伊号潜水艦はアメリカ本土爆撃を行っており

正規軍による本土爆撃を行った国は、

アメリカ建国236年の歴史で大日本帝国だけだ。

 

 

 

  

ただし、でかい日本潜水艦でも800kg爆弾を積む晴嵐は収容できず

日本は、パナマ運河破壊作戦のために

水中排水量6500tの巨大潜水艦伊四○○型を3隻作った。

 

 

   

本気なのである。

 

    

しかしながら、

潜水艦と飛行機がそろったのは終戦の8ヶ月前。

  

パナマまで行く燃料がなくて中国に取りに行き、

瀬戸内海は空襲が酷くて、訓練ができないので富山に移って

正式に訓練を始めたのが終戦の2ヶ月前。

  

もう、いい加減パナマ運河じゃねえよな、ということで

アメリカ海軍のウルシー泊地に攻撃目標が変えられて

出撃したのが終戦一ヶ月前。

 

 

当たり前だけど、間に合わなくて

8月14日に作戦中止が指令され、

伊号潜水艦は攻撃隊の晴嵐を海没処分にした。

 

 

護衛戦闘機なんかいないから、

敵だと思われたらたたき落とされてしまうので、

晴嵐の胴体には、日の丸ではなく

米軍機を示す星マークが描かれてた。












さて、成功と失敗の差はどこにあったのでしょう。














パナマ運河破壊を優先するのなら爆撃ではなく、

アメリカ籍の船を密かに買収し、船底に爆薬を積んで

運河の通過中に自爆させれば良かったのだ。

  

パナマ運河とその附属地帯は

つい最近、1999年までアメリカの租借地だった。というより

大統領が気に入らないと89年にパナマ侵攻をしちゃうくらい

事実上の植民地だったのだが現地人もたくさん働いていた。

そいつらにスパイを紛れさせてもいい。

  

国際法に違反してもかまわない、と

国籍マークを書き換えたんだろう。

  

卑怯に徹するつもりなら、

いくらでも方法はあったような気がする。

  

破壊工作だけならなにも、

潜水空母なんか造らなくても良かったんじゃないか?










目的に対して、手段を単純にして

それだけに先鋭化していく、という事ができたかどうかが

イギリスの成功と日本の失敗の

境目だったような気がする。

     

伊四○○型の航続距離は地球1周半だから

『ワシントン空襲』も『ロンドン空襲』も可能だったので、

そういう使い方も考えていたらしいのだが、

就役が昭和20年1月ではどうにもならない。

どんな使い方をしても猫だまし以下だ。 

   

そんな時期まで、

的外れな兵器の開発から離れられなかったのは

日本海軍というのが余程硬直した組織だったということか?

 

 

 

どう考えても人材と資金の無駄遣いだ。   






       

       






原発事故の処理とか

この夏の節電対策とか、新エネルギー開発とかで、

いまも、同じ事をしていませんか?















       

       



では、『今日のイ402。』










呉で修理中に終戦となり、米軍に接収されたイ402号。 

  

甲板の上のレールがカタパルト。

艦橋のでかいふたを開けると

二重に主翼を折りたたんだ晴嵐が出てくる。 

 

  

ディスカバリーチャンネルの映像らしいが

何故かロシア語に翻訳されているので

さっぱりわからない。

 

 

 

 

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お蔵出し文章第2弾です。

多少校正していますが、ひと月前は元気だったな。

 

 

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2012年5月17日 (木)

普天間基地とクラーク基地

5月15日は沖縄返還の日。

今年は40周年。

 

  

  

    

   

 

40年たっても解決しない課題は多いが

最大のものは沖縄に集中している米軍基地問題。

 

住民は、『県外に出ていって欲しい』と思っているのだが

もっとも話が進んでいた普天間基地でさえ、

鳩山さんの余計なひと言で問題がこじれてめどが立たない。 

 

 

 

 

ところが世界には『出てってくれ。』と言われて、

実際に出て行った米軍基地があって

それがフィリピンにあった、ふたつの基地。

 

フィリピンには海軍のスーピック、

空軍のクラークというふたつの米軍基地があり、

いずれも極東最大の規模を誇った。

 

 

 

 

ピナツボ火山の噴火でクラーク基地の機能が失われ、

反基地の世論に押されてフィリピン上院が

米軍基地の延長協定の批准を拒否したため、

1991年、両基地とも閉鎖された。

  

跡地はどうなっているか、というと

どちらも経済特区になっている。

 

そして、返還から20年たったこの基地の姿は

沖縄の基地問題を考える、いいお手本になると思うのです。 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

まず、アメリカという国は『出て行ってくれ。』と言われて

素直に出て行くような、かわいらしい国ではない。

 

1991年というのはソ連崩壊の年。

崩壊後も『エリツィンの10年間』ロシアは経済的な低迷にあえぎ

軍の予算も削られて老朽化した原潜が

日本海で放射能を漏らす、という有様。

 

中国もペレストロイカの影響で民主化を求めて89年に

天安門事件が起きたりする。

91年はその反動の時代で、国内は混乱し

まだ脅威といえる代物ではなかった。

 

その一方東欧では混乱が続き、

ユーゴスラビアなどはすさまじい内戦の時代に入っていく。

 

湾岸戦争、イラク戦争、アフガン紛争。

中東も忙しくなっていく。

 

米軍はアジアの戦力を減らすべく

再編成しようとしていた訳で

ピナツボ火山の噴火はきっかけだっただけなのだろう。

 

 

 

 

フィリピンというのは火山が多く、同じルソン島にある

マヨン火山など、しょっちゅう噴火しているから

『富士山より美しいコニーデ火山』として有名だ。

 

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ルソン富士

 

   

しかし、

『噴火で基地の大半が壊れちゃった』というのは

多少大げさにアナウンスされているような気がする。

 

 

 

 

 

 

どちらにしても『アジアの米軍を減らす』つもりだったのなら

沖縄をやめてフィリピンに集中してくれたらよかったのに、

と、日本人としては思ってしまうのだが

気前よく『思いやり予算』をくれる

日本のほうが都合が良かったという判断もあったらしい。

 

 

 

   

 

 

ところがいま米軍は海兵隊の配置を変えようとしている。

沖縄に集中していた海兵隊の一部をグアムや

オーストラリアに移そうとしている。

 

『沖縄への集中』をやめるのは県民感情を思いやってのことか?

というと、だからあの国にそんなかわいいところはなくて

中国軍が生意気に実力をつけてきたからである。

 

もちろんアメリカ自身は、中国に負けるなどとは

毛の先ほども思ってはいないのだが、

1500km先の空母を狙えるミサイルなんて言うのが登場したら、

一時的局地的に不覚をとることがあるかも知れん。

『パールハーバーはごめんだ』ということで

海兵隊を分散させようとしている。 

 

  

 

 

 

鳩山さんの『腹案』とやらは、こういった米軍再編の中で

普天間くらいよそに押し込める、と思ってのことだったらしい。

 

しかし、米軍のどのレベルの人と話をしていたのか知らないが

一国の総理大臣が『腹案』の段階で大見得を切っちゃったのは

明らかに軽率だった。

おかげ普天間問題の解決は、逆に遠のいてしまった。

 

その一方、フィリピンはミスチーフ礁の領有問題や

南シナ海の開発問題などで、尖閣よりも露骨に

中国の圧迫を受けており、

クラーク、スーピックを返還しちゃったことを後悔している。 

いまでは米軍との共同訓練など、協力関係を強めている。 

 

このあたりの話は、

沖縄の人の感情を逆撫でするだけかも知れないが

ひとつの教訓、ではある。

 

 

 

 

  

 

 

 

 

返還後20年たった両基地の様子はどうか、というと

港湾機能がしっかりしているスーピックのほうは

敷地が狭いせいもあって、

そこそこ埋まってきている印象らしいが

マニラから80km離れたクラーク基地跡は

広大な敷地をもてあましているそうである。

 

当然私は行ったことがないのだが

このふたつの『見聞記』が極端に違うのが面白い。

 

琉球新報の記事

2009年にクラーク基地跡を訪れた人の個人ブログ

 

『色眼鏡』というのは恐ろしいものだな、

と思う。

 

 

90年代には台湾企業が進出してきたが、

いま台湾は中国本土に工場を移す、という

脳みそが痒くなるような時代になって

代わりに韓国メーカーが来ているがまだまだ、なのだそうな。

 

リゾート観光地としても売り出そうとしているらしいが、

旅行の口コミサイトを見ると、

『あそこは、まあ怪しげなところだから気をつけてね。』

といった評判しか出てこない。

 

 

 

クラークのほうは空軍基地だから、立派な飛行場がある。

貨物航空のほうはそこそこ実績があったらしいが

いまや中国の深圳にその地位を奪われてしまった。

 

 

 

旅客空港としてもまだまだ。

 

マニラ国際空港の機能を移転しよう、という構想は

返還直後からあったらしいのだが

『遠い遠い。』ということで不評な関空-大阪より倍も遠い。

リニア鉄道なんか造れるわけがないので旅客は少なくて

ターミナルビルは、まだ米軍時代のものを使っている。

 

 

 

 

 

フィリピンは日本以上の島国で、

しかも鉄道嫌いのアメリカが統治していた所為もあって

国内の移動手段は、ほぼ全て空路である。

 

しかもAという地方都市からBという都市に行くのに

A-Bという直行便があるケースは少なく

A-マニラ-B、ということでマニラ経由になる。

 

だから、国内線のハブ空港となれば

それなりの価値があるんだろうが

マニラまで移動できないんじゃあね。

ということで、これから先どうなるんだろう。

 

このあたりの話は『関空の将来像』、とも

共通するところがありそうだ。

 

 

  

  

 

普天間の話でも同じである。

 

琉球新報は

『クラーク跡地は基地のインフラを活かして立派になった』

といっているわけだが、お前 普天間が返ってきても、

あそこを飛行場として使う気か?

 

 

跡地を住宅にして売り払ってしまえれば巨額の金が入る。

住民が増えれば税収も増える。

そういう選択肢もある。

 

代々木公園のように全部公園にしてしまう、という方法もある。

夢がある。

それも選択肢だ。

 

橋下さんが伊丹空港の跡地に

外国人特区みたいなのを作るとか言っていた。

兵庫だとリアリティがないが沖縄ならあるような気もする。

 

 

 

『返ってこない。』と嘆くのも大切だが

『返ってきたあと。』の夢を語ることで

大いに盛り上がってもいいんじゃないだろうか。

 

『ヤマトンチューは無責任なことばかり言う。』と

怒られるかも知れないが

少しは楽しいことも考えてください。

   

40年以上経って返ってきても、

その20年後の『地球の歩き方』に『気をつけてね。』って

言われるような街にだけはしないようにしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の730。』

 

 

 

 

  

 

いまから10年前に放送された、『復帰30年特集』

 

『県民希望の星』として具志堅用高が紹介されている。

あんなキャラクターになっちゃって…

 

 

 

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とりあえず、入院前に書いていた文章をひとつ公開します。

  

『○月○日は、○○の日』という書き出しの文章は

大抵事前に書いています。

今回のものは5月15日の沖縄復帰40周年に併せて

用意したんだけどタイミングを外してしまいました。 

 

でも、捨てるのももったいないので公開します。

よろしくお願いします。

 

 

 

 

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帰って参りました

たくさんご心配を掛けました。

 

 

  

昨日退院いたしまして

ようやくモニターの前に戻って参りました。

 

  

みんな、健康って大事だよ?

 

   

  

心配してくださった皆さん、ありがとうございます。

様子を見ながら、

徐々にいつもの間抜けな調子に戻して参ります。

   

 

メッセージをくださった皆さん。

ありがとうございます。

 

時間がかかると思いますが個別にお礼をさせてください。

本当にありがとうございます。   

 

  

 

   

ゆっくりと、いつもの調子にあげていきます。

  

ありがとうございます。

   

  

   

   

   

   

    

   

    

   

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2012年5月 9日 (水)

「なつやすみ」休載に関して。すぐに帰ってきます

いつも「なつやすみ」をご覧いただきまして、

ありがとうございます。

    

     

文責担当者のnatsuが入院中のため

更新が滞っております。

   

       

   

『「ででんででん。」とか言っていずれ帰ってくる』

と申しております。

本当に帰ってきます。

   

   

よろしくお願いします。

しんどいよう、…

       

        

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