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2012年6月21日 (木)

曽根崎心中と大坂と

6月20日は『曽根崎心中』の日。

(Wikipediaの記事へのリンク)

 

 

 

 

 

 

 

『曽根崎心中』というのは、

近松門左衛門が書いた人形浄瑠璃の演目。

6月20日はいまから400年前にこれが初演された日。

 

有名な題目なんだけど、正直ストーリーを知らなかった。

人形浄瑠璃なんて見ないもんね。

ということでWikipediaで勉強しました。

 

 

  

 

 

 

ちゃんとしたストーリーを知りたい人は

ちゃんとしたWikipediaでも見てもらいたいんだけど、

ちゃんとしてないのかよ。

 

 

 

 

 

 

あらっぽく私が解釈した内容は、こう。 

 

曾根崎新地の遊女お初は、醤油問屋の手代にして将来は

その大店を継ぐことが決まっている徳兵衛と恋仲になる。

へっ、

遊女と二代目で恋仲もないだろうが。

とにかく、恋仲ながらなかなか会えずにいたふたりは

旅先で偶然に出会い、

お初は徳兵衛をさんざんに責め立てる。

 

 

『おまいさん、どうして文のひとつもおくれでないかい。

あんまり不実じゃないかいな。』

 

 

こういうことを発言小町に書くと、

『そうだぜ、お初レッツゴー。』

『酷いぞ徳兵衛、女の敵。』

というコメントが立ち並ぶので

情けない徳兵衛は

『わかったお前を嫁にとろう。』って

女郎屋でプロポーズするなよ。

 

 

 

 

そこで徳兵衛はあれこれ悩むのだが、

その間に醤油屋の店主である叔父が

縁談を調えてしまう。

 

江戸時代の25歳で、店を継がせようという若者だから

嫁の世話をするのは、お節介だとは思えないのだが

徳兵衛はこの時になってやっと、

お初の存在を明らかにして

結納を取り消して欲しいと頼む。

 

 

 

叔父は激怒して大坂から出ていけ

結納金も返せ、と

21世紀的にも非常に妥当なことをいうのだが

徳兵衛は結納金が返せない。

 

 

 

 

 

なんだろうね。このへたれ。

 

 

 

 

 

 

で、

 

 

 

 

 

継母に結納金分のお金を借りたところ 

ジャイアンみたいな知り合いの九平次という男が登場。

『お、なんだ。金もってんじゃん。貸してくれよ。

三日で返すからさあ。』ということを

『ごめん借金があったどうしても金が…』と言い換えるという

典型的なサギに引っかかってしまい、貸したあげく返ってこない。

 

 

 

 

ここで、徳兵衛は死を決意する。

 

 

 

 

 

なんて素早い現実逃避。

ちょっとは戦え徳兵衛と思うのだが

彼のタナトスへの想いはとまらない。

 

しかもお初を道連れにして、だ。

もうやだ。この醤油屋。

 

 

 

 

 

 

この戯曲を『江戸文化の精髄』

『近松文学の傑作』とか言う奴がいるんだけど

それなら一緒にがらんどうの文楽劇場で話をしよう。

 

 

どんな古典も馬鹿な作品は馬鹿だ。

 

 

 

古典に意味があるのは

歴史の審判に耐える、

という覚悟がある場合だけだ。

 

 

無能っ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

えーと、まだこいつら死んでなかったな。

 

 

そこでこの醤油屋はお初のいる売春宿に行き

ひそひそ話をしていたところ、

売春宿だから次々と客が来る。

次にあがって来たのはにっくき九平次だった。

 

 

『あ、あんた隠れて。』

 

 

というお初の機転で、醤油屋は床下に隠れたのはともかく

耳をそばだてるなよ。

っていうか、恋人来てる時に客を取るなよ。

 

 

 

  

 

 

耳をそばだてていると九平次は

徳兵衛から金をだまし取った経緯を得々と話して

にえええええええ、憎らしい。

 

 

 

床下から埃だらけで這い出した徳兵衛は

『今晩死のう。』とお初に言って

『露の森』なるところに行くのだが

この醤油馬鹿が最期まで煮え切らない。

 

 

あれこれ言ってこのやりとりが

浄瑠璃での見せ場なのだが

『もう、うるさいわね。』と

お初が男前なところを見せて首を掻ききり

しかたなく徳兵衛も死んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

文句があるならかかってこい。

浄瑠璃文化400年の歴史をかけて文句を言ってこい。

 

 

 

文句が来たら全力で謝る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この二人が出会った曾根崎というのは、

『曾根崎新地』といって現在は『北新地』ともいう。

大坂はもとより、日本随一の高級飲み屋街だ。

江戸時代は高級売春街だった。

 

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東西の境目は

梅田新道と四つ橋筋

南北の境目は

曾根崎川(蜆川)と堂島川

 

 

 

 

 

 

蜆川というのがわかりにくいと思うが

いまの国道2号線の少し南側にあった川。

このあたりは『埋田』というくらいで、

低湿地なので昔はやたらと運河や排水路があった。

 

 

『新地』と言うくらいだから、このエリアは埋立地で

新開地で、いわゆる大坂の『番外地』だった。

このエリアの北側に作られた大阪駅は

実は開業当初は大阪市ではなかった。

 

 

そうはいっても遊里、しかも中之島に近い。 

『天下の台所』大坂の中之島には

日本中の藩の蔵屋敷が立ち並んでいたので、

このエリアは各藩の武士が公金で遊ぶ

高級売春窟だったのだ。

 

醤油屋のくせにそこに立ち入れた

徳兵衛という男の身の上を思いやって欲しいし、

近所にできてしまった大阪駅のおかげで

いまも繁栄、してるのかなあ。

 

まあ、行かないから知らないけど

北新地のことを思いやると、なんとなく

『へー』と思うと思います。

 

 

へー。

 

 

としか思わないけどさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日のお初天神。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お初、徳兵衛が心中した『露の森』は

いまは露の森神社という、小さな神社になっている。 

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そういや昼間に

行ったことなんかないな

 

 

 

  

 

 

大阪人には『お初天神』と言った方が通じる。

ここへの参道は『お初天神通』といって

北新地とは対照的に庶民的な飲み屋街である。

 

 

 

 

 

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でも、客層は

北新地と同じだと思う

 

 

 

 

  

 

 

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文中『醤油問屋』に対して不適切な表現があったかも知れませんが

千葉出身者としての誇りにかけて言わせてもらうと

醤油は大好きです。

 

 

だからなんだ?

   

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ふざけんなよ、こらあ」カテゴリの記事

コメント

新地って大阪じゃなかったんだ・・。
またひとつ賢くなりました。

へー

へー

投稿: waruhiyoko | 2012年6月21日 (木) 15時11分

waruhiyokoさん ありがとうございます。
新地は大阪であって、
大阪じゃない、っていう
ところだったみたいです。
 
ただし、行政区画上は
大阪だったあたりややこしいです。
(大阪駅は開業当初は大阪市では
ありませんでした。)

投稿: natsu | 2012年6月22日 (金) 17時46分

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