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2012年6月29日 (金)

ロンギヌスの槍の日

6月28日は『アンティオキアの戦い。』で

十字軍が決定的な勝利をおさめた日。

(Wkipediaの記事へのリンク)

 

 

 

 

 

またややこしいところをついてきたなあ、

といわずに聞いてください。

 

 

 

 

 

アンティオキアというのは、いまのトルコ南部にある街。

 

いまでこそ遺跡しかないが

ローマ時代にはコンスタンティノープルから

中東へのメインルートにある街だった。

 

7世紀にイスラム教が成立して、

1089年にトルコに占領され、直後に起こったのが十字軍で、

激戦になったのがこの攻囲戦。

 

 

なにぶんとんでもない城塞なので

ここでの攻防戦が、第1回十字軍の重要な決戦になった。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

十字軍(クルセイダーズ)というのは、11世紀から

200年にわたって起こされた『エルサレム奪還戦争。』

数え方にもよるが大規模なもので7回もある。

 

 

主唱したのはローマ教皇だった。

つまりバチカンのカソリック法王。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キリスト教が、ローマ帝国公認になってからしばらく

キリスト教会の一番偉い人はローマ皇帝だった。

 

西ローマ帝国が滅びるとコンスタンティノープルの

東ローマ皇帝が一番偉くなって、偉そうにする。

 

その後、東西教会は聖像破壊運動

そのほか神学上の、信者ではない人間には

わけがわからない理由によって仲違いした。 

 

バチカンの法王は、西ヨーロッパ世界全体の教皇だと

思っているのだが、東ローマ皇帝からしたら笑止であって

馬鹿にされるので悔しい。

 

そこで、西ヨーロッパを征服したカール大帝

『キリスト教世界の保護者』となるべく

『ローマ帝国』の皇帝冠を与えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな書き方をしたらカソリック世界の人に

殺されてしまいかねないので

カールの戴冠の伝説を書いておこう。

 

『800年12月25日の午前中のミサで、

ペトロの墓にぬかずき、身を起こしたカールに、

教皇レオ3世は「ローマ皇帝

(神により加冠されし至尊なるアウグストゥス、

偉大にして平和的なる、ローマ帝国を統治するインペラートル

;serenissimus Augustus a Deo coronatus,

magnus pacificus Imperator Romanorum gubernans Imperium)

として帝冠を授けた。』

 

 

 

 

 

 

ただし、カール大帝個人の超人的才能で統合された

ゲルマンでの彼の『帝国』はたちまち分裂。

フランク王国を庇護者として東ローマに対抗しようとした

カソリック教会も困ってしまう。

 

 

 

 

 

ローマ皇帝冠は右往左往したあげく、

なんとなく『ドイツの一番えらいひと。』という地位に納まる。

これが神聖ローマ皇帝。

うわあ、大丈夫かな、こんな表現。

 

 

その一方、王様も頼りない。

 

『中世ヨーロッパ』というと

王様がもりもりしたカツラをかぶり、

壮麗な宮殿で貴族をかしずかせていたのかと思うが

10世紀くらいには全然違った。

 

王様よりも、騎士というか貴族というか諸侯というか

そういう連中の方が強かった。

王様だってほかの王様の家来だったりしたので

今日的なフランス、イギリス、という国家自体が

まだ成立していない。

   

 

 

 

 

  

 

  

十字軍までの中世ヨーロッパというのは

そういう意味で『権力の空白期間』にあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その一方、教皇は神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世に対して

『カノッサの屈辱』を食らわせたりしている。

 

 

 

それからも、ヨーロッパでの教皇権と皇帝権との対立が続く中、

東ローマ皇帝アレクシオスが

『イスラムの奴がうるさいから、ちょっと助けてくれよ。』

という。

 

 

 

  

申し出を受けたのはウルバン2世。

 

この人は『カノッサの屈辱』で対立したハインリヒと争った

グレゴリウス7世の弟子で、跡を継ぎ

勢いを盛り返したハインリヒとまだ戦っていた。

(カノッサ事件の決着は1122年のヴォルムス協定。)

しかも、反教皇派が立てた対立教皇なんかとの争いもあった。

 

もちろん政治的な意味合いもあったんだろうが

アレクシオスからの救援依頼はうれしかったらしい。

  

『これでローマ法王が一番だと知らしめてやれる』と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いってみれば、

東ローマ皇帝は本家の兄嫁である。

 

しかも、いままでさんざんに

『あー気が利かないわねー。』

『だから分家の嫁は。』

とか、ねちねちねちねち言われていたのが

『助けてくれ。』だって。

  

 

 

 

超いい気持ち。

 

 

 

 

ウルバンは興奮した。

彼はヨーロッパ中に煽動使を飛ばして

諸侯ばかりか庶民までを煽る。

『エルサレムを救え。』と。

 

 

『神、それを欲し給う』と。

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

で、

 

 

十字軍の背景はもういいか。

いいかげん疲れちゃった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

表題の『ロンギヌスの槍』というのは

『キリストを殺した槍。』

 

 

 

 

 

 

十字架にかけられたキリストを刺した最後の槍、

ということでキリスト教徒とラノベ読者には有名だ。

 

ロンギヌスというのは

キリストに最後に槍をつけたローマ軍の兵士の名前。 

 

これが一体アンティオキア攻防戦と

なんの関係があるのかというと

この槍が、攻城戦の時に城の地下から発掘されたのだ。

 

 

 

 

 

 

掘り出したのは、

ペトルス・バルトロメオなる人物。

 

キリストの死後1000年後に

完全な形で槍が出土するわけないだろう。とは

藤村新一旧石器時代の遺物をねつ造した男。)

ならずとも思うはずだが、

不思議なことにヨーロッパ人はそうは思わない。

 

  

いまでも、キリストの死体を覆っていた布で

レントゲンで映すと顔がっ、とかいう聖蓋布とかいう

『聖遺物まがい』が山ほどあるのだが

100%嘘である。

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヨーロッパ人の『聖遺物信仰』というのは

日本人の感覚とはかなり離れていて

例えば、ヨーロッパ中世の神学者で

教科書にも載っている、トマス・アクィナス、という人は

あまりに偉大であったために死ぬとすぐ髪の毛を切られて

丸坊主にされた。

遺髪を分けるためだ。

  

 

さらに、悲しみにくれる弟子たちは

師匠を大鍋に入れて、ぐつぐつと煮出した。

 

 

骨をとるためだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そもそも、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂自体が

聖ペテロの墓の上に建っているので

聖堂の下には、彼の骨があるのかも知れない。

 

 

そうやって、名前の通っている教会や修道院は

その聖人の聖遺物を所有している事は確からしい。

それは要するに、骨なんだけど

 

うーん… 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いまでは観光名物にしているところがあるが

むかしは、聖遺物を前面に出して争いごとを納めたりした。

  

争っている双方を街の広場に連れ出し、

ケースに入れた『ポータブル聖遺物』を持ってくる。

そうして聖遺物の前でそれぞれの主張をさせる。 

  

 

『聖遺物を前にしたら舌がもつれるだろう。』

という、『神明裁判』というのを行なう。 

 

 

 

 

 

 

心理的な圧力にはなったと思うが、

こんなもん自白の強要よりひどい。 

 

しかし、そうやって聖遺物の威力で争いごとを納めれば

教会にとっては教勢拡大になるわけであり

一般庶民にとっては

『おれも聖遺物が欲しい。』

ということになった、らしい。

 

 

思考のプロセスを

若干すっ飛ばしてるんじゃないか?

と、思うのだが西欧人の不思議なところは

明らかに嘘である『聖遺物』に

きれいに引っかかるところだ。

この、『聖遺物への欲求』は、結構笑えない。

 

 

例えば、キリストを架けたとされる

世界中の『十字架の遺物』を

正直に足し算していくと軽く10tあったりとか、

馬鹿じゃないの?と思うんだけど、  

 

これをエネルギーにしたのが

十字軍だった事は否定させない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実際、十字軍従軍をを煽った煽動使たちは

『エルサレムでいかにキリスト教徒がひどい目に遭っているか』

を説くのと同時に、

 

『中東に行けば、聖遺物がざっくざく。

なあに、イスラムの連中は興味がないから

つかみ取りですよ。』

と付け加えるのも忘れなかった。

 

 

 

 

 

 

 

実際、イスラムの連中よりもむしろ、

イタリアあたりのキリスト教徒の商人のほうは

聖遺物よりもお金に興味があった。

彼らは聖遺物を贋作する。

 

200年も続いた十字軍の期間には

そういうことがシステム化されて、コンスタンティノープルでは

『聖遺物を扱う専門店街』が出来た。

 

 

  

 

 

 

 

いまでも出回っている民間の聖遺物は、

すべて、この時代につくられた偽物だ。

 

 

 

 

 

 

 

ロンギヌスの槍にしても十字軍が

コンスタンティノープルに入城した際、実は

そこで、1本目が見つかっている。

 

 

 

 

なんじゃそりゃ…  

 

 

 

 

 

 

宗教というのはキリスト教に限らず、(以下自粛)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の一枚。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ロンギヌスの槍の発見は従軍兵士の意欲を高めたが 

『嘘じゃねえか?』と思う人は当時にもいた。

 

 

 

 

 

 

 

発見した、とされるバルトロメオは

神明裁判にかけられる。

 

さっきも出てきたが、彼が受けたのは

別のスタイルの神明裁判。

 

無茶なことをやらせて

それで無事なら『神様が味方してるんじゃないか?』

ということでその人の主張は正しい。とされた。

  

熱湯に手を突っ込んで指輪をとったり、

冷水に飛び込んで聖句を唱えたり…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この程度のことで偉大ならば、

出川やダチョウ倶楽部は

聖人に列してもいいと思うのだが

当然そんなことはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

バルトロメオは、

『燃えさかる板の間を走り抜ける。』

という、3D『阿含の火まつり』

みたいなことをやらされて

二週間やけどで苦しんだあげく、死んだ。

 

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神明裁判直後の

バルトロメオ。

手当てしてやれよ。

   

 

 

 

 

ちなみに彼が見付けた槍は、

所有者が二転三転したあげく、

現在はウィーンのホーフブルク宮殿にあるそうです。

 

まだ貧乏な画家だったヒトラーが

ウィーンでこの槍をみて天啓を受けた、という。 

 

 

 

にせもんに感動してるんだから

こいつもやっぱりにせもんだ。 

 

 

 

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