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2012年6月23日 (土)

九段下の駅を越えて

6月20日に東京の地下鉄、九段下駅で

都営地下鉄と東京メトロのホームの間の壁に穴が開いた。

(毎日jpの記事へのリンク)
















『穴』の前で『利用者のために

都営とメトロは統合化するべきです。』

と吼え上げる、猪瀬東京副知事。 



0000inose

 

 

とりあえず

床屋に行こう

 









猪瀬さんの言い分としては

『都民は、メトロと都営の両方があるおかげで

乗り換えや料金で大変苦労している。

そこに俺が風穴を開けたった。』

  

という論調。












うるせえよ猪瀬お前、

地下鉄なんかない(自粛)の出身だろ?












とりあえず

テレビに出る時は床屋いけ。

虎刈りで気持ち悪い。













これから『東京地下鉄建設史』について語ってやる。

東京都がいかに卑怯な存在だったかを

明らかにしてやろう。















東京に初めて地下鉄ができたのは1927年(昭和2年)

上野ー浅草間だ。

これを掘ったのが東京地下鉄道株式会社

社長は早川徳治である。









早川はヨーロッパに遊学し

ロンドンの地下鉄に感動した。

『帝都にもこれを作ろう。』と決意する。




だから帰国して、その建設を運動するのだが、

東京市も、府も国も反応がない。








そこで早川は

『そんなら自力でやってやらあ』と男前なところを見せる。

民間に拠金を求め『東京地下鉄道会社』をつくる。



鉄道に関しては、かならず顔を出す、後藤新平

田園調布を造り『田園都市線』なる

日本初の近郊鉄道を造った渋沢栄一の応援を受ける。









ただ、お金はなかった。








従って銀座線は『列車限界』という

ぎりぎりの断面で建設された。


さらに、当時の地下鉄は『オープンカット』といって

道路の表面から掘り下げる建設方式なのだが

深く掘るとお金がかかる。



覆土を浅くしたために、

昭和20年の東京大空襲では大被害を受けた。

徹甲弾で破壊されたわけではなく、焼夷弾で壊れた。












そこまでして早川が開業を急いだ理由は

上野ー浅草間を開通させて

地下鉄の魅力を知らしめようとした、ということ。








そのうえで資金を集めようというわけだ。








彼は、浅草ー上野で終わるつもりは当然にしてなく

東京中に地下鉄網を作るつもりだった。

当面の具体的な計画としては

いまの浅草線のルートを通って品川まで行き

そこで京浜急行と相互乗り入れすることだった。




日本において、というか世界において

地下鉄と地上鉄道との相互乗り入れは1960年の

都営浅草線と京成電鉄が最初、とされているが

構想としては

50年前の早川の時代からあったわけだ。







人気は出た。



上野、浅草というのは当時の日本一の繁華街。

『5分乗るのに2時間待たされる。』というくらいの

大人気になった。










だけど、所詮5分だ。

  




当然、たいした儲けにはならない。

早川は行き詰まった。












この時登場したのが東京市である。(現在の東京都)

早川の成功を見て、

『地下鉄は金になる。』と思った。







いまさらなんだ、と思うのだが、卑怯なことに東京市は

国に申し出て『新宿ー築地』の区間に地下鉄の敷設免許を取った。

だが、東京市にも金がない。





鉄道建設史を見ると、この『金がない。』という台詞を

日本中で見ることになるのだが

それにしたって、その時に生きていたら

借金してでも東京の地下鉄に投資したのに。













猪瀬も思い知れと思うのだが

とにかく貧乏な東京市はあきれたことに、

地下鉄免許を民間会社東京高速鉄道』委譲して

株式の半分を売り飛ばしてしまう。






これを買い取ったのが東急電鉄の五島慶太

渋澤栄一から、田園都市鉄道を奪った男だ。











で、

 





こいつが経営していた東急は渋谷がターミナル。

東京市の免許は『新宿-築地』って書いてあるのに

始発駅を渋谷に持ってきた。










新宿だって言ってんじゃん。








このあたりのWikipediaの記述は

東急の社員が投稿しているんだろう。というくらいに

五島に偏りすぎだ。



日本の都市計画史で、いかにこの男が憎まれているかを

粛然として思い知れ。










で、

 



この『強盗慶太』はとりあえず、地下鉄を新橋まで建設する。

早川の地下鉄も品質の上で褒められたものではないが 

五島の地下鉄はもっと酷くて安く上げた。

私有地を通ると、当時でもややこしかったのでカーブばかり。



しかも、駅のホーム長を三両分しか作らなかったから

あとから8両分に延長した銀座線は

あらゆる駅でホーム自体が曲がってしまった。







さすがに都内の一等地だから、いまでは

ホームドアもつけられているが、

昔は『ホームと扉の間に御注意ください。』なんて当たり前。

車掌席から、ホームの様子を確認するテレビがつけられたのは

銀座線が日本初で、たぶん世界初。





そのうちのひとつ、赤坂見附駅は変わった駅だ。

丸ノ内線と2層構造になっている。

営団同志だから大変に便利だ。

当然、連絡線もある。普段は使われないのだが

赤坂だから、二・二六事件のようなことが起こった際の

非常通路か?なんていわれている。














当時はオープンカット工法だから当然浅いところを通るのだが、

彼がごり押しした渋谷駅に至っては、

というくらいだから谷だ。







三宅坂、道玄坂、公園坂、とどれも下って

結構谷底にある街なのだが

『そんなとこに地下鉄通したら高いじゃん』

という目がくらむくらい頭の悪い理屈によって

銀座線は渋谷駅の手前でたかだかと高架を渡って

地下鉄のくせに、ビルの3階のターミナルに入る。














さらに五島慶太は早川の東京地下鉄道の乗っ取りを考えた。

お金のなかった早川の地下鉄もがんばって新橋までやってきた。




五島の地下鉄の免許は築地駅(建設されず)

までだったのだが

とりあえず、ごく近所の虎ノ門まで来た。




そこで、早川に、『新橋で相互乗り入れしないか?』と

申し入れる。



申し入れたばかりじゃなく、五島は

早川の地下鉄新橋駅のすぐそばに、

自分の会社の地下駅を作る。





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五島が作った

東京高速鉄道の新橋駅。

8ヶ月間だけ使われた幻の駅

 










とっとと先に行こう。








とにかく五島は、この罵倒ブログでさえ書くのを

はばかるような手段で早川の会社を買収。





写真の新橋駅はたった8ヶ月で廃棄されて

現在は、鉄ちゃんなら基礎知識以下の廃駅である。




大変に残念なことだ。









ところが、天網恢々、あ、そこもっと

ということで戦時体制になると、日本中の鉄道が

国の統制に置かれる。





五島の株式は国に買い上げられて、

東京高速鉄道は『営団地下鉄』となる。

五島は、確実に紙くずになるであろう株券を握りしめて

ひとり、幕夜に涙を流したという。









ざまあ。










従って、営団改め東京メトロの株式の

53.4%は現在も国が所有している。

そして、当初の『免許委譲』の経緯から

残り46.6%の株式の所有は東京都だ。













ところが、戦後になって東京市改め東京都が

『やっぱり俺たちも地下鉄やりたいなあ。』

といいだした。





自治体自営の大阪地下鉄(当時は赤字ではなかった)の

成功などを見て、うらやましかったらしい。



さらに、市区改正や震災復興事業で

さんざんに道路の拡幅をけちってきたくせに戦後になって、

『市電では市内交通を処理できない』

という当たり前のことに気がついたのだった。











ところが国からしたら面白くない。

営団地下鉄の競合路線を造られるのも腹が立つが

そもそも営団地下鉄にしたって、

『東京市が作りたい。』と言い出したものだ。

それを戦争のためとはいえ、国が半分引き取っている。










ええかげんにせえよ、と。







だから運輸省も建設省も大蔵省も冷淡で

『じゃあ、勝手にやれば?』と言う。

気持ちはわかるけど大人げないなあ。






しかし、東京も東京で戦後になったら金が出来たもんだから

がしがしと地面を掘り出したおかげで

いまでは都営地下鉄の路線総延長距離は109km。






いまや路線延長距離で言えば、

阪神、西鉄、京阪、東急、京王といった

大手私鉄をさえ上回る、

超巨大鉄道会社だ。

  



さらに全ての沿線が世界最高の人口密度だ。

収益が上がることは世界一である。 

それなのにこの会社は累積赤字2000億円以上だという。

よほど無能が経営していたのだろう。






あのラッシュで赤字かよ。     







とは都民ならずとも思うだろう?













そんな理由があって、営団地下鉄あらため東京メトロと

都営地下鉄は、大変仲が悪い。

東京メトロの銀座駅に、早川徳治の胸像があるのだが

都営日比谷線のホームに背中を向けて建っている。





































そこで、改めて冒頭のニュースを眺めて欲しい。

九段下の駅に営団と都営の駅が並んでいたのは

大昔からのこと。

そんな知識、鉄ちゃん検定10級以下だ。





東京メトロと猪瀬(寝癖)副知事は

『利用者のために統合を』と、

まるでベルリンの壁を倒したかのように吼え上げているんだが、

だから髪の毛をとかせ。





歴史的な経緯を考えたら勝手な話だ。

ということをわかっていただけましたか?







『利用者のため』とか言うなら

初乗りダブルカウントの料金制度を変えてくれ。 

それで十分だ。

明日からできる。






そして、都営地下鉄はもちろん東京メトロも

どちらも『都』が大株主である以上

絶対にできはしない。






いいか。みんなで

猪瀬の寝癖根性を確認しようぜ。





そもそも、よその街から来た奴は

パスモなんか買わねえよ。

























では、『今日の三枚。』
















貧乏な東京の地下鉄と違って

1933年(昭和8年)に梅田-心斎橋間で完成した、

大阪の御堂筋線ははるかに立派である。

 

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開業当初の4駅は

8両停車できる長さで

上下線共通の巨大な

ボールト天井を持ち

その高さは10m近い

  

御堂筋建設と同時に作られた地下鉄は

東京の地下鉄よりも、

早川があこがれたロンドンの地下鉄よりも立派だ。

 

戦前の大阪の心意気と、豊かさを思い知る。

 

 

 

  

しかし、この写真を見て、

おや?と思ったあなたは正しい。

実はこの写真は1987年のもの。

 

よその街の人にはわからないだろうが

『天王寺行』の列車がここに止まっている風景は

いまはない。

 

 

 

 

 

  

梅田から南、難波方面の列車は

写真の、巨大ボールトのホームに隣接した

このホームから発着している。

 

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南行きホームと違って

天井の高さは

4mくらい。

 

 

 

 

写真左側にアーチになっている通路が見えるが

ここを通ると、さっきの旧御堂筋線ホームに出る。

 

 

0000umeda     

 

 

南行ホームが

なくなっている。

 

 

 

で、さっきの天井の低い南行きホームは

元々は谷町線の梅田駅ホームとして作られていたもの。

  

戦後の大阪は戦前の勢いはなくて

谷町線ホームの天井は低くなってしまった。

もちろんあれでも、ほかの街よりは立派なのだが、

谷町線の東梅田駅自身は、路線のルート設定の問題があって、

現在は御堂筋線の駅の約100m東にある。

 

 

 

しかし、大阪の地下鉄は全て市営であったから

はじめから乗り換えしやすいように、

こうやって隣接して建設できた。

  

そして、梅田駅の乗降客数が増加すると

安全のために隣接した壁をぶち抜いて

こうやって連絡した。

 

いまのようなかたちになったのは1989年のこと。

 

 

 

 

  

東京のローカルニュースのくせに得意げに

全国のトップニュースで扱い、

猪瀬・寝癖・副知事が

ベルリンの壁でも崩したかのように、

どや顔していることなんて、大阪では

20年以上前から行われているのだ。





むしろ東京で

メトロと都営のふたつの地下鉄がある方が不思議。













おまけ












爆風スランプ『大きな玉ねぎの下で』  

 

九段下の駅を降りて坂道を

人の流れ、追い越していけば、

黄昏時、雲は朱く焼け落ちて

屋根の上に光る玉ねぎ。

 

 

 

 

 

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ぼくは鉄じゃない」カテゴリの記事

コメント

どんな考え方を持っていらっしゃっても、
何をしゃべっているのか、わからない人は政治家ではありません
現与党政党にそんな人が多いから、よその国にバカにされるのです

1駅乗るために地下4階まで降りたりあがったり、
東京の人は気の毒です
歩くのが極端に遅いし、東京は苦手だあああああ

投稿: FREUDE | 2012年6月23日 (土) 22時06分

確かに言われて見ると心斎橋や淀屋橋などの天井は高かった気がします。

特に理由など考えた事がなかったので勉強になりました。

当時の東京は地下鉄に夢を見た良い時代でもあったんでしょうね・・。

感心と同時に表題を見た時点で玉ねぎオチが分かってしまった事に同じ世代の悲哀を感じてしまいました。

投稿: waruhiyoko | 2012年6月23日 (土) 23時43分

FREUDEさん ありがとうございます。
東京の地下鉄はわかりにくいです。
『田舎もんだからだ。』と言われたら
その通りなんだけど、
大阪みたいに通りと筋でぴしっとせい。と
やたらと深いしほとんど同じ場所にあるのに
名前が違うし、嫌いですねえ。
 
waruhiyokoさん ありがとうございます。
あっはっは。
やっぱり九段下の駅って言うと
玉ねぎですよねえ。
御堂筋線の駅を初めて見た時は
感動しました。
ただ乗降客が多いから、といって
中に会が作られて、本来の大空間がほとんどなくなってしまってるんですよねえ。
残念です。

投稿: natsu | 2012年6月24日 (日) 23時15分

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