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2012年6月12日 (火)

会社のトイレをすべて和式にして踏ん張れ

野村ホールディングスの株主が株主総会で

『会社のトイレをすべて和式にせよ。』と訴えるのだという。

(ロイターの記事へのリンク)

 

 

 

 

 

 

『「オフィス内の便器は全て和式とし、足腰を鍛錬し

株価四桁を目指して日々ふんばる旨

定款に明記するものとする』と提案、なのだそうだ。

 

理由については、「今が『ふんばりどき』であり、

和式便器に毎日またがり、下半身の粘りを強化すれば、

かならず破綻は回避できる」。なのだそうだ。

 

 

 

 

 

く・くだらねえ…

 

 

  

 

 

 

 

       

      

野村證券のような大きな会社の株主総会に出席ができ

しかも10以上の案件を総会に提出するそうなので

生半可な金持ちではない。

    

馬鹿だとは思うけど、金持ちの心情なんて

私のような貧乏人には

なんだかよくわからない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

まあ、この人の主張はどうでもいい。

しかし、『踏ん張る』のはともかくとして、

『洋式トイレ』が世界標準のような

扱いなのは許せない。

 

 

野村ホールディングスの話なんかどうでもよくて、

今日はトイレの和式と洋式のお話。

 

 

 

 

 

 

  

 

いまは、オフィスだけじゃなく

ホテルやデパートでも洋式便所が当たり前。

学校でも洋式便所じゃなくちゃ嫌だってことで

わざわざ和式便所を洋式に取り替えているという。 

 

住宅でも洋式便所が圧倒的で

お父さんは座っておしっこをすることを強制されて

まだ朝には俺だって、と思いながら

あれはつらいよ?

 

 

 

 

  

 

 

 

 

椅子式の洋式便座は

ギリシア、ローマ文化だけのローカルルールだった。

  

蹲踞してうんこする『和式』の方が

むしろ世界的には標準だったのである。

 

 

 

 

 

 

 

今だって、

知らない人と同じ座面に腰をかけなければいけない、

洋式便所は嫌だ。という人がいる。

 

特に女性に多い。

だから、割と世間一般の理解を得られる話題だと思うのだが…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

椅子式の「洋式便所」と、蹲踞式の「和式便所の

地理的な境目は、トルコのアナトリア半島にある。

トルコなどのアジア系の人は蹲踞、

これがギリシア・ローマ圏だと頑固に椅子式だ。

古代文明、プレ・ギリシア時代から変わらない。

   

      

その後、ヨーロッパを征服したゲルマン人も

便所に関してはローマ式を引き継ぎ

ヨーロッパ中世都市は『洋式便所』だった。

  

 

  

 

ただし、中世初期の時点で高層化していたアパートでは

洋式便所、といったところで排水がない。

 

おまるのようなものに大小便をし、

そこが満杯になると窓から外に撒いた。

 

 

 

きたねえなあ。と思うのだが

一応ルールがあって、

『S'il vous plaît noter les frais généraux』

(頭上にご注意!)

と叫ばないといけない。

 

どういう意味か、というと文字通り。

その当時、ヨーロッパでは空からうんこが降ってきた。

 

  

地上に降ってくるうんこを避けるために

男性はマントをまとい、

地上に溜まったうんこを避けるために

女性はハイヒールを履いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そもそもヨーロッパ人は便所を作らない。

ベルサイユ宮殿にはほとんど便所がなかった。

 

   

『エチケット』というと、

いまは『マナーの中でのルールや気遣い』という

意味になるんだろうが、もともとは『札』という意味だ。

 

ワインのラベルも『エチケット』という。

なんで『札』がルールになったのか、というと

ベルサイユ宮殿にいた貴族や貴婦人が

立ち小便や野糞をしたからである。

  

トイレがないから、庭園の植え込みでやる。

匂いがするし庭木が枯れる。

庭園係はたまったもんではない。

  

 

『ここで野糞をするな。』ということを

もう少し上品なフランス語で

書いた立札が、いまの

『エチケット』の語源になった。

  

  

 

 

 

 

 

 

 

 

  

繰り返すがイスの『洋式』と蹲踞の『和式』との境目は

ギリシアと、トルコ文化の境界だった。

   

従って、現在はトルコ領土であるアナトリア半島西部

(イズミール地方)はかつてギリシア文化圏であり

そこでの遺跡は椅子式だ。

   

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ところが、同じトルコでも違う町では和式だったりするのだ。 

これでは、進歩とかかっこいいとか衛生的だとか

そんなことが、なんにも関係がないことがわかりますね。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

さらに、ヨーロッパの都市は、

19世紀はじめ、コレラが流行った時に

あまりの不潔さのために壊滅しそうになった。

  

そりゃそうだ。

さすがに窓からうんこを投げ捨てることはやめていたが、

産業革命が起こって街中にスラムが出来ていた。

当然、下水はない。

 

伝染病も起きる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

うんこを飲み水に混ぜるな。

という当たり前のことに気づいたのが

スノウというイギリスの医者。

ヨーロッパでは、19世紀に競って公共下水道ができる。

   

下水道ができたことで、いままでおまるだったヨーロッパの便所が

水洗になった。

ヨーロッパの住宅は伝統を大事にするんだ

なんていうことを言う。

  

 

しかし、水洗便所にはあっさり敗れていて

100年くらい前に大改修している。

 

給湯器が普及した時には既に改装ができなかったので

ヨーロッパのアパルトマンというのは

悪名高くお湯がぬるいのだそうだ。

(住んだことがないから知らん。)

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

対して日本の便所、といえば汲み取りだ。

 

日本は遅れている。というやつは

ちょっといい料理屋に行ってご覧なさい。

  

女性用トイレは知らないが、男であれば、まず

小便器と大便器は分かれており

小便器のストールには、ちぎりたての杉の葉が敷いてあった。

  

もちろんその上に小便をするのだ。

そうすると、杉の葉の青々しい香りで匂いが抑えられる、

しぶきが跳ねない、音がしない、といった理由があって

三重に効果がある。

  

 

 

 

それ以上に

『この便所の手入れは誰がするんだろう。』

と思ったら無駄に贅沢な気分になれる。 

 

葉っぱを片付けるトイレ掃除の人は

たまったもんではないだろうが

まだそんな風に職業に貴賎があった時代だ。

 

 

 

 

で、まあ高級な家の人はこのスタイルだった。

お殿様とか天皇陛下なんかは、

画然と大小を行う場が分かれており

大を行う場所は畳敷きで8畳くらいあって当然蹲踞だ

 

8畳間の真ん中に金隠しと穴があって、

その前には、香炉と脇息がある。

 

大をする直下の場所にも杉の葉が敷かれており

さらにそれは焼灰が敷いてあって引出しになっている。

一度ごとに交換され、ひり出されたそれは

御典医の診察に供されて健康がチェックされる。

     

   

   

   

杉の葉を敷き詰めた便所、というのは

今でもいちびった料理屋なんかに行くとあるかもしれない。

大便器の場所以外に小便器スペースがある家、というのは

昭和30年代くらいまでは普通だった。

  

ところがこれが、家が狭い時代になると

『大小便兼用便所』というものになってくる。

 

なんのこっちゃ、というと、

便器の前後に段差がある。

つまり、大をする時には『上の段』で蹲踞するが

立ち小便するときは『下の段』でに立つ。

 

和式便所で立ち小便をやると、

しぶきが飛び散ってしまうので高さを稼ぐために

こんなことになった。

  

今でも古いビルに行くとこういうスタイルの便所がある。

酔っ払って便器で踏ん張って、

足がしびれて立ち上がろうとした時にふらつくと

下半身満開で下の段に倒れこむ。

  

 

 

 

 

 

 

むう。

  

   

 

 

 

   

   

   

田舎の家に行くと、もっとワイルドだぜ?

学生の頃、3泊ほどさせてもらった農家があるのだが

便所が母屋から離れている。

 

一日中遊んで酒をご馳走になって、さあ寝ようか

ああ、トイレに行こうと思って外に出ると目が覚める。

 

ところが真っ暗だ。

街中みたいに街灯があったり車や電車が走っていたり

コンビニがあったりするのとは違って、

本気の暗闇だ。

 

 

それでも目を馴らして便所まで行き

さらに真っ暗な中で泣きながらスイッチをつけると

20燭光くらいの黄色い明かりの中に

穴に渡された、2本の足場板が見えるのだった。

そこにまたがってせよ、と。

  

一気に酔いが覚める。

  

 

 

 

『なんで素掘りの穴なんだ?』と訊くと

『穴がいっぱいになったら隣の場所に掘るのだ。』と

当然のように言われてしまった。

 

なんだか、野戦陣地の仮設便所のようである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

椅子式の洋式か、蹲踞の和式かは

下水の方式とも深く関係する。

  

コレラのおかげで下水道を整備したヨーロッパでは

高層アパートでも水洗便所が普通になった。

 

ところが日本はそうはいかない。

下水道整備の前にコレラ菌が発見され

治療法が確立してしまった日本では

下水道の整備は後回しにされた。

  

 

それでも、日本の住宅は平屋だったから良かった。

江戸は当時世界最大の都市で、

最高の人口密度を誇っていたが

町家は、ほとんど平屋である。

 

 

想像してもらうとわかるが和式のぽっとん便所で

高層建築だったら、とても面白い成り立たない。

 

 

 

 

 

 

 

 

この事情が変わったのは、戦後の団地の登場。

 

「団地」という言葉は

日本中に『団地妻』を産みだすくらい

日本人のライフスタイルに影響を与えたのだが、

その内の一つが水洗便所。

  

多くの書籍が、『ステンレスキッチン』こそが団地妻誕生の理由だ、

といって、それはそれで間違いではないのだが、

昔は便所だってひどかった。

 

 

 

 

 

   

   

何しろ汲み取りだ。

 

 

ここまで書いたところで、

まだみんな汲み取り便所の

恐ろしさを分かってはいないだろう。

汲み取り便所ということは、

週に一回バキュームカーが来る。

とても、臭い。

    

   

しかし、恐怖の本質はそこではない。

汲み取り便所ということは、常に便器の下には

なみなみとうんこが満たされているのである。

  

そうなるとどうなるか、というと、虫が出る。

わかりやすくいうとウジが出る。

ちょうど6月の今頃なんて、ウジの頃だった。

   

流石に詳細な描写は避けるが扉を開けたらびっくりするよ?

さらに、そういう次第であれば

成虫のハエの数は今とは比較にならず

ちゃぶ台の上に吊るされた『ハエ取り紙』に触れてしまうと

決して取れないネバネバを取るために、

数十匹のハエの死骸とともに

悶え苦しまないといけないのであった。

  

 

 

水洗便所では、この恐怖がなくなった。

当時の水洗便所は圧倒的に和式で

高置式水槽という危険なシロモノだったのだが

それでも清潔さは比類ない。

  

水洗になれば洋式にするのもそんなに手間ではない。

和式便器の上に洋式便座を模した

『洋式便器もどき』がうれたりした。

 

  

Images

   

   

これは『洋式便器なのに

和式便器のように蹲踞できる台』

   

   

   

  

 

 

 

さらに、日本で水洗式便所が遅れた理由は

もう一つある。

  

人糞を肥料にしたからだ。

これを日本の貧しさだ、という馬鹿がいる。

ヨーロッパはそんなことしなかったのに、とか

キ○ガイみたいな解説をする奴がいて、

こんな奴はデニス・ムーアに食わせてやりたい。

 

 

人糞肥料は窒素空中固定法ができる以前には

圧倒的に有効な施肥法だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

   

温帯モンスーンで土壌が豊かな日本の農業生産性は

ヨーロッパよりはるかに高い。

EU加盟国27カ国のうち人口で日本を上回る国はない。

  

以前も言ったように、

日本人が卑屈になるほどには、日本は狭くないのだが

平野が少ないこともあって、

人口一億二千万人以上を飼っているのは無茶だ。

   

それを可能にしたのは、日本の肥沃さ。

 

 

 

 

 

 

そして、人糞肥料をはじめとして、

灰を埋める、魚肥を埋める、といった

農地改良のための日本人の飽く無き欲求だった。

   

地味の乏しいヨーロッパで何故人糞肥料が忌避されたのか

よくわからないが、日本では近世城下町が成立した

16世紀末から、糞尿回収はシステム化されていた。

   

江戸の場合、糞尿回収は

いわゆる肥たごを両天秤に担いだ人が柄杓ですくって集め、

それを川船で集めて荒川から埼玉や武蔵野に送る。

  

こういった業者は、まあヤクザであり

『糞尿ビジネス』には巨大な利権があった。

 

  

江戸時代だけではなく、

戦前には鉄道による糞尿輸送というのも行われた。

現在の西武池袋線は創立時には『西武農業鉄道』といい、

そのために敷設された。

     

 

    

    

戦後、化学肥料が主流になってはいくが

トップメーカーのチッソは、

公害を垂れ流して水俣病を引き起こす。

   

   

  

 

 

 

日本で、人糞肥料が衰えたのは、ようやく1970年代。

化学肥料の普及もあるが、さらに大きな理由は寄生虫だ。

こういうことに日本人が神経質になり始めた。

 

今の子供たちも検便くらいはするだろうが、

おそらくぎょう虫検査のポキールなんていうのは、もう知るまい。

 

 

 

  

Pokile

  

起き抜けに肛門にシールを貼る。

寄生虫は何故か律儀に肛門の外に

産卵するので虫卵がわかる、と。  

 

 

 

 

 

昭和40年代のうちの小学校には、

畳2枚分くらいの大きさで『回虫がつくまで』というポスターがあった。

いわく、人糞に虫卵がついていてこれを撒くと野菜につく

人間が食うと、腹の中で大きくなるといったことが

イラストで書いてあったのだが

すごく嫌だった。

 

   

   

  

1970年代、日本の下水道普及率は2割台だったのだが

これ以降急速に伸びる。

『水洗=洋式』ではないことは繰り返し述べてきたことだが

水洗が洋式便所を可能にした、

ということも事実だ。

  

 

 

しかし、下水道の本管が来て、あるいは浄化槽設置に

手厚い補助金が出るのなら水洗にしたい。

せっかくなら、あなた洋式にしない?

そうよお父さん、そうしなさいよ。ということで

平屋でさえ、日本の家は水洗便所になっていく。

   

 

   

    

 

 

   

   

   

   

 

日本では『水洗便所』は遅れてきた技術であり

『団地妻』もとい『団地』とともに登場した洋式便所は

遅れてきたが故に、何故かハイカラだった。

  

正直、公衆便所で洋式便座に座るのは

私でさえ抵抗があるのだが、施工的な理由もあって、

いまや不特定多数が利用する施設では

便所のほとんど全てが洋式である。

  

もう少し『和式』を復権させてもいいと思う。

    

   

   

   

 

 

 

 

 

 

もっとも、冒頭のニュースの野村の株主は

「会社の商号を『野菜ホールディングス』に変更するよう求める」

とか言ってるそうなので

およそ、精神の平衡を欠いた人なのだろう。

    

   

馬鹿でも金持ちならいいよなあ…

   

    

  

    

     

    

    

    

    

    

    

   

    

   

では、『今日のデニス・ムーア。』

   

   

     

     

     

    

     

    

      

    

デニス・ムーア、デニス・ムーア

ふんふんふんふんっふふん   

   

 

 

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