ベルリン封鎖の日
6月24日はベルリン封鎖の日。
1948年のこの日、
米英仏が共同占領していた西ベルリン地区に対し
その周辺地域を占領していたソ連が、
電気、道路交通、鉄道の全てを停止。
西ベルリンを封鎖した。
そこで米英空軍はベルリンに大空輸作戦を行った。
ざまあ露助はあきらめて11ヶ月後の翌年5月に
封鎖解除。
そのかわり、東西ドイツの分裂は決定的になり
直後に西ドイツ、半年後の11月に東ドイツが
成立して、これ以降40年以上分裂状態となる
というのが、大体のあらすじ。
事実は事実として、
ここまでの大騒ぎになったのは何故だろう?
というのが例によってへそ曲がりなこの日記だともさ
背景をもう少し詳しく見ていきましょう。
第二次大戦で敗れたドイツは
米ソ英仏の4カ国の共同統治下に置かれた。
戦後にドイツが失った領土
ドイツ自体が4カ国統治。
ベルリンはソ連統治区域の中での
さらに入れ子の4カ国管理区域
現実には東西の分割統治だったのだが、
建前は共同管理で
ベルリン市に関しては『4カ国共同管理』
というのが1990年のドイツ統一まで、
法律上は維持される。
(壁はあったけど。)
だから、終戦の時点で戦勝4カ国は、
ドイツを分割させるつもりはなかった、
とはいえる。
『分割統治』というと、どきっとするが、
このこと自体はほかでも例があって第二次大戦では
オーストリアもそうだった。
(オーストリアは1955年に統一して独立を回復)
戦後の日本にも
分割統治の案があった。
しましまの近畿地方は
どうなっていたんだろう。
いまでこそドイツはEUの屋台骨。
選挙で落ちちゃったサルコジさんのかわりに
メルケルさんが、
頼りないギリシアやスペインやイタリアなんかを
背負っているかのように見える。
しかし、終戦直後の戦勝国の思いは違った。
『もうやだ。こんな国。』と
2度も世界大戦を起こしやがって、と
戦争に関してはそれぞれに言い分があるだろうが、
特にフランスとイギリスはこりごりしていた。
フランスは過激で、仏独国境の鉄炭鉱地帯を
占領して自分のものにしようとした。
カール大帝後のフランスの1200年は
ほぼ、ドイツとの喧嘩の歴史と言いきっても
いいのだが
『気持ちはわかるが、さすがにそれはやり過ぎだ』
ということで諫められ、
『じゃあ、国際管理にしてくれよ。』
ということでECSCになった。
これが、EEC,ECを経て
いま、EUになっている。
チャーチルは、ドイツの戦後処理に関してこう言った
『無能なデブにしておけばいい。』
第一次大戦のあとの戦後処理で過酷な賠償金を
課したため、ドイツ国民は恨みを抱いて、
ヒトラーを生んだ。
もうさんざんだ。あんなちょびひげ。
だから、『経済的な自立は許すが、
軍事的、政治的に生意気なことは言わさん。』と。
『デブ』とは『経済的な自立』の比喩で
『無能』は『まだ、そんなことないもん』
ただ、『言わさん』、と偉そうにいったところで
イギリスにはもうそんな力はなかった。
世界史の教科書でこんなメモを見たことが
ないだろうか。
東欧の勢力分割に関する
チャーチルとスタ-リンの秘密メモ。
(国名 勢力比(英)/(ソ))
ルーマニア 10/90
ギリシア 90/10
ユーゴ 50/50
…
現実の政治がこの通りに行かなかったことは
ご存じの通りだが、
イギリス国家の根性のなさはチャーチル本人さえ
考えられなかったくらいに情けなかった。
このメモの中で『イギリス90%』と書かれている
ギリシアでは、1944年にドイツが撤退してから
すぐに内戦が始まるのだが、
イギリスは共産主義者を止めらない。
ほかにも1947年になるとパレスチナも大変だし、
インドも大変だし、もう海外のことなんて知らん。
『七つの海を支配した』大英帝国は
もっとも大事にしていた地中海の権益さえも
維持できない。
ついにこの年、イギリスはアメリカに、
ギリシア、トルコへの
軍事支援の停止を通告する。
トルーマンは驚いた。
まさかそこまで
イギリスが衰えていると思っていなかったらしい。
『戦争が終わった。』と言うことでアメリカ国民は大喜びで
復員して結婚して、家を買って車を買って
せっせと赤ん坊を作っているのだ。
こないだまで味方だったスターリンは悪い奴なんだ。
といっても、みんな結束してはくれない。
トルーマンはルーズベルトよりは
スターリンへの警戒心が強かったらしいが、
まさかベッドから出て、もう一度銃を持て、
とは、とても選挙民にいえない。
『しょうがねえなあ。』
ということで取り急ぎ始めたのが『マーシャルプラン。』
ヨーロッパを中心にお金を配ろう。というもの。
経済に弱いと、こういう乱暴な解説が出来る。
対象は戦勝国だけではなかった。
だから、ドイツは交付対象地域になった。
西側諸国だけでもなかった。
東欧諸国にも呼びかけた。
実際、チェコスロバキアは閣議で『援助受け入れ』を決定し、
パリ16ヶ国会議に代表団を送るのだが
あわててスターリンが止めたために不参加になった。
東ドイツは、まだ独立国ではなかったから
参加の選択肢はなかったが、
結局は西側諸国だけに行われたこの援助が
東西ドイツの分裂を決定づける。
マーシャルプランが始まったのは1947年。
この当時、ドイツは東西で同じ通貨を使っていた。
建前上同じ国家なんだから当然なんだけど、
すぐに東西ドイツの経済格差が現れてくる。
そのうえ、ライヒスマルクの印刷所をソ連が
押さえてしまって、マーシャルプランに
対抗してお札を増刷したため
東ベルリン市内でのお金の価値が西の半分以下
に下落する。
『ベルリンの壁』建設以前だから東西の交通は自由だ
おなじライヒスマルクなんだけど、
東西で価値が違うとなれば、
西から東にものを持って行って換金する、という
担ぎ屋のようなことをやれば大儲けだ。
ベルリン市内ではインフレが起こった。
そうじゃなくても、東にすんで西で働く人、
あるいはその逆なんていくらでもいた。
人間もお金も動く。
『高きから低きへ。』は水に限らずお金もそう。
しかし、せっかく苦労して議会を説得して
4億ドルも送っているアメリカからしたら
たまらない。
そこで1948年6月21日に米英仏は、その管理区域で
ドイツマルク(西ドイツマルク)への
通貨切り替えを実施した。
そうなるとソ連地域はたまらない。
紙くずになったライヒスマルクが大量に流入してきて
猛烈なインフレが起こった。
ソ連も、その管理区域で通貨を切り替えるのだが
それとともに始めたのがベルリン封鎖。
あ、やっと戻ってきた。
分裂国家というのは、いまでも
キプロスや朝鮮半島、中国と台湾のように
いくつかあるのだが
どれも戦争がきっかけだ。
それがいいことだとは思えないが、
当事者には覚悟があったと思う。
ただ、東西ドイツ分裂というのは
この芝居じみた『ベルリン封鎖』から始まった。
ソ連は輸送機を撃墜しなかったし
『連合軍はバターの数まで計算して輸送した。』とかいうが、
1年近くにわたった封鎖作戦では燃料が足りなくて、
市民は西ベルリンの街路樹を引き倒して薪にした。
ベルリン大空輸の舞台となった、
テンペルホーフ空港はいまは公園になっている。
テンペルホーフ空港
ターミナルビル
空港っぽくない建物だなあ、という感想は正しくて
これは、ヒトラー時代に作られた、
『第三帝国の帝冠様式。』
このナチス丸出しの飛行場に米英軍の輸送機が
こうやって列を作っていた、という皮肉。
荷物を降ろす
米軍のC-47
では、『今日の一枚。』
ベルリン封鎖の経緯自体は面白くない。
プロパガンダばかりで、今日でも実情が
よくわからない。
もっとも有名な写真。
アメリカの輸送機を見上げる西ベルリン市民。
嘘つけ。と思わないか?
みんなの服がよそ行きなのだ。
1948年って昭和23年だから、
同じ時期の東京なら
浮浪児とルンペンが山ほどいたはずだ。
それがこの写真では、
パーマをかけた女性がジャケットに
ミニスカートでパンプスを履いている。
看板に登っているガキだって
サスペンダーつきのズボンにワイシャツ。って
そんなの七五三の服だっ。
ベルリン封鎖の本質は、こういう
ふざけたプロパガンダ合戦にあったんだと思う。
この11ヶ月で、
相当数の飢餓者や病人やがいたはずなのだが
公表されているのはこんな写真ばかりである。
大人って汚い。
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コメント
縦縞部分の近畿地区は今、
横縞なかたがたが占領しているそうです
大人って汚いです
特に靴が汚かったので、この写真の頃の私は
ガード下で靴磨きをしておりました
「おじさん、靴を磨かせてくれよう!」
投稿: FREUDE | 2012年6月24日 (日) 22時25分
FREUDEさん ありがとうございます。
うまいっ。
靴磨きの人は、いまでも大阪駅の
地下街にいます。
ただし、地下道でやられたら迷惑なので
1980年代の大改装の時に
間口1間ほどのブースをもらっています。
学生の頃、といっても
もう昭和50年代でしたが
縦走のガード下に傷痍軍人がいました。
さすがに戦後20年以上経っているので
お金を上げている人はいませんでしたし
毎日『出勤』していたみたいなので
お金はあげませんでしたが、
最初は驚きましたね…
投稿: natsu | 2012年6月26日 (火) 23時25分