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2012年7月の投稿

2012年7月31日 (火)

少年ライフル魔事件の日

7月29日は『少年ライフル魔事件の日。』 

(Wikipediaの記事へのリンク)













1965年のこの日、当時18歳だった片桐操という男が

神奈川県座間市の、射撃場でもない、ごく普通の雑木林で

空気銃を使って雀を撃っていた。



『こどもが銃を撃っている。』
と通報されて駆けつけた警官が

『なにをやっている。手に持っているものを見せろ。』と言うと片桐は

『その態度が気に食わなかった』という理由で

至近距離から発砲。一人を殺害、一人に重傷を負わせた。





ここまででも相当に変な奴だが

こいつは警官の服やピストル等の装備を奪って

街に降り、『発砲事件があった。協力してくれ。』と

一般の車に飛び乗り、その後、自分が追われていることを知ると

さらに車を乗り換えて神奈川から渋谷に行く。





渋谷区北谷町にあった『ロイヤル銃砲火薬店』に

店長と家族、店員の4人を人質に立てこもる。

そうして、ビールを煽りながら、百発以上を乱射し、

十数人を負傷させたあげく取り押さえられた。















北谷町、というのは現在の渋谷区神南1丁目。

神南だからNHKのすぐ傍で渋谷消防署の向かい。



ロイヤル銃砲店は現在はなく、雑居ビルになっているが、

渋谷消防署の建物は当時のものである。



事件後改修工事が行われたが、

それまでは当時の弾痕が外からも見えたという。




へー。 












こいつが殺したのは、結果的には一人で

未成年でもあったことから一審では無期懲役になる。




しかし、犯行の様態があまりにも悪質であったことと

法廷で『銃への魅力は今なお尽きない。

再び多くの人に迷惑をかけないように死刑にしてほしい』

とうそぶいたために、『こいつには矯正の余地がない。』

として死刑にされた。 






享年25。





















で、ちょっと調べただけでも、

こいつも変だが家族が相当に変なのである。

ついでに社会そのものが変だった。 






1947年に生まれた片桐は

幼い頃から銃がすきであった。

それだけなら、まだ変な奴じゃないが

中学3年の時に、息子の銃器好きを知っていた父親が

4000円も出して玩具の銃を買い与えている。



昭和36年の4000円だからたいしたもので

裁判記録が『玩具の銃』としか書いていないから

詳しくはわからないのだが、おそらく空気銃だろう。 









私がガキの頃、昭和4、50年代でも

空気銃というのは割と気軽に買えた。

しかも強力だった。




ハンダで『銃弾』を整形して空き缶をぶち抜いて遊ぶガキ

とかが新聞に載ったりした。 

片桐が雀を撃っていた『空気銃』にしたところで

現実に人を殺傷する能力があったわけだから

怖い時代だったなぁ。







さらに、こいつには姉がいたのだが

この人も変な奴で、片桐の中学卒業を前に

40000円のライフル銃と照準器を買い与えている。



昭和37年の40000円だから たいしたもので

軽く大卒初任給を上回っていたはずだが

なに考えてるんだ?






さすがに15歳が実銃を持つ事は

当時でも違法だったのだが、あろう事か、

この馬鹿姉は自分の名前で所持許可証を取った。

だからなに考えてるんだ?






しかも片桐は、姉の名義のライフル銃を持って射撃場に出かけ

射撃を楽しんでいたという。

明らかに中坊が、女の名義の銃を持ってくるのだ。 

怪しまれないのか?




しかもこいつは、実銃を撃ったスコア

(当時はレーザー銃なんかないから

標的に弾痕を打ち込んだ紙)を持ち帰り

父親に批評してもらっていた、という。

だから、なに考えてるんだ?







こいつの家には、高校に進学できる程度の

経済環境はあったらしいのだが

銃を撃ちたいがために自衛隊を受験する。

『右向け左』にこんなやつおったな。



そして、落ちた。


相当にショックだったらしい。

しかし、犯行前後、特に犯行時の行動を考えると

あきらかに精神の平衡を失った人で、

60年安保直後で人手不足の自衛隊が

こいつを落としたのは、まこと慧眼といえる。








こいつには、父のほかに義母、兄と二人の姉がいた。

長姉と父が変な奴だったのはすでに述べたとおりだが

兄も父と一緒に『酒くらいつきあえ。』と誘ったそうだ。


15歳に。


片桐は『酒やタバコは、成長の害になる。』

といって口にしなかったそうだ。

それなのにこいつは、ロイヤル銃砲器店に立てこもるや

店員にビールを持ってこさせて、

それを煽りながら銃を乱射した。




成長の限界、である。








自衛隊に落ちた後、自動車修理工を経て

国内貨物船の住み込みコック(見習い)になる。



自動操船で船員がいなくなり、

そもそも国内タンカーという存在がなくなっているので

いまはこういう仕事はないと思うのでそれも不思議だが

月給は2万円だった。

大卒初任給が3万円だった時代だ。

見習の給料としては多かったと思うのだが、どうだろう。


それはともかく63年11月に就職した彼は

翌年4月、18歳の誕生日に40日の有給休暇を取った。






これもわからない。




こんにち、就職しても40日の有休を取ろうと思ったら

数年以上の勤続年数が必要なはずだ。





よほど、人手が足りなかったらしい。 






しかし、こいつは休暇中、銃の試射と手入れに明けくれ

結局は復職せずに冒頭の犯罪に及ぶ。













だからといって、

『殺人者を育てたのは社会と家庭だ。』

というつもりは決してない。






むしろ、そういうことで犯罪を免責してはいけない

というつもりでこの文章を書いている。











その一方、

昨今騒がれている『いじめ事件』にしても

それが表に出ないのは学校や教委の保身の体質だけではなく

間違いなく『地域の力。』がある。



加害者家族が直接に加える影響力もあるだろうが

地域社会が

『こどものやんちゃくらいで、街の名前に泥を塗るなよ』と

有形無形の圧力を加えていることも事実なのだ。




だから、大津市民を見たらうんこぶつけていい。




加害者が誰であるかは、地域の中では

間違いなく明らかになっているはずなのだが

こんなことをしていたら間違いなく『次』が起きるぞ。















そうはいっても、

なによりも責められるべきは犯人で

この事件であれば、片桐だ。


そこを曖昧にしてはいけない。







こんな馬鹿が出るおかげで、モデルガンに規制が加えられ

サバイバルゲームが白い目で見られるようになるのだ。




そして、この馬鹿は、やっぱり個性として

なにか根幹的な部分が決定的に欠けていたようにも思う。

















彼が教誨師に託した遺書の末尾にあった辞世の句(?)

 

『天気晴朗なれど心波高し。』









あほや。




















では、『今日のライフル魔実況中継。』



















片桐の立てこもりと、逮捕の際の映像。

 

 

逮捕後のふてぶてしい表情が憎らしい。

18歳がタバコ吸うなよ。








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今日の反省。

いつも以上に主題がわかりにくいですね。

 

 

 

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2012年7月30日 (月)

オリンピック解説者にはこんな人こそ

『今日、7月31日は、ロンドンオリンピック女子サッカー予選

なでしこジャパン対 南アフリカ戦の様子をお伝えします』

 

『もう日本は戦わんでのええんとちがうんか?』

 

『すでに勝ち点の合計で、なでしこの予選リーグ突破は

決まっています。』

 

『せやったら解説なんかいらんのと違うか?』

 

『そういうことで今日の解説は、

元阪神タイガース

川藤さんにお願いします。』

 

『せやから、なんでわしやねん。』

 

『女子サッカーってのは、メジャーになってからまだ

年数が浅いんです。』 

 

『せやろなあ。』

 

『だから、同じ元日本代表選手がいっつも解説に来ていて

テレビ慣れしてきたせいか

どんどん化粧が濃くなっていくんですっ』

 

『お前、そんなん言うたら可哀想やろが。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『川藤さんは、この試合はどのような展開に

なると予想されますか?』

 

『そんなもん、お前、

澤ががーっといくやろ?』

 

『はい。』

 

『それで、センターに、ばーっとパスをだして

大儀見が、だーっとシュートやっ。』 

 

『なるほど、スェーデン戦ではシュートを放っても

「あーっ」という場面が何度もありましたもんね。

ではこの南アフリカ戦。点差はどうなると?』

 

『せやから、お前。大儀見と、宮間と川澄と澤と

がーっと行って、ばーっとゴールして

どわーっと行って4-0やがな。』

 

『大変エモーショナルな解説ありがとうございます。

さあっ、いよいよキックオフですっ。』

 

『よっしゃー。行っとけーっ。』

 

『川藤さん、うるさいです。マイクが拾ってます。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

  

  

『いいか?われわれBS331ではオリジナルな視点で

日本選手団を応援する、という視点で

「がんばれ前畑」キャンペーンを行う。』

 

『なんですか?それ。』

 

『あらゆる競技で、日本選手の名前を連呼するんだっ。』 

 

『がんばれ北島。とか?』

 

『がんばれ法華津、とか。』

 

『ああ、日本最高齢の五輪馬術の人。』

 

『いま一番危機なのが

「メダル確実」といわれながらエース内村と田中、

主将の田中祐もミスをしている体操だっ。』  

 

『跳馬なんか一瞬で終わるから

いまうちのアナウンサーが全員で

選手名を連呼する練習をしていますっ』

 

『ほうっ。』

 

『内村、田中、加藤くらいだったら呼びやすいんですが

山室ってのがどうも呼びにくくて…』

 

『それはお前、選手のせいとちゃうやんか…』 

 

『あ、川藤さん、まだいたんですか?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ありがとうございます。今日の解説は

川藤さんでした。』 

 

『おうっ、たのしかったで。』

 

『明日は「指相撲 68kg級男子決勝」

解説は舞の海秀平さんでお送りします』

 

『役にたつんかいな。その解説。』

 

『あなたに言われたくありません。』

 

『むう。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

では、『今日の「前畑がんばれ」。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1936年ベルリンオリンピックのフィルム映像と

日本への実況中継。

 

いまから見ると、何とももっちゃりした水着なのだが

この人は、この前のロサンジェルスオリンピックでも

銀メダルを獲得しており

日本における記念碑的なアスリートである。

 

 

 

そもそも、俺なんか200m泳げないと思う。

 

  

むう。

 

 

 

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2012年7月29日 (日)

開会式で日本はこうすれば良かったのに

オリンピックである。

28日には打ち合わせがあるから図面を描いていたのだが

開会式が始まったら見てしまうではないか。

 










イギリスには、なるほどいろんなスターがいるのだな

というアトラクションも面白かったが

やっぱり入場行進はたのしい。

世界にはいろんな国があるのだなあ。



ユニフォームを見るだけでもたのしい。

しかし、200以上も参加国・地域があって

日本は95番目だから、

危うく見逃しそうになった。














『ということでだな。』


『…また、ろくでもないことだ。』


『日本の国名の英語標記を「Z-JAPAN」にする。』


『X-JAPANじゃないんだから…

そんなことをしてなんの意味があるんです?』


『オリンピックの入場行進は、

先頭がギリシアで、最後尾が開催国。

それ以外は国名・地域名を

仏語または英語で表記した場合のアルファベット順だ。』


『今回は英語順でしたね。』


『東京オリンピックの時なんか、大選手団を送り込んだ

アメリカ(USA)の次がソ連(USSR)

ベトナムを挟んでニッポンだったから

すごい盛り上がった。』


 

 

『「ベトナムであります。」っていうアナウンスがさみしいですね』


『で、いまのところアルファベット順の最後は

ジンバブエだから「ZIM」だ。

「Z-JAPAN」にすれば間違いなく最後尾前で目立つぞ。』


『だけど、国号を変えちゃ駄目でしょう。』


『馬鹿野郎っ。』


『ひっ。』


『日本の国号の呼び方が決まってない、

というのは有名な話だ。』


『ああ、ニッポンとニホン…』


『「ニッポンにしよう」って閣議決定はあるんだけど

強制力はない。

そもそも憲法が、「にほんこくけんぽう」だ。』


『ややこしいですね。』


『だから、「日本国」と書いて

「Z-JAPAN」と読む事にすれば。』


『なんでそうやって、勢いよく頭の悪い方向に行くんだか…』


『ZIPANGUでもいいぞ?』














『でも最後じゃ、待ちくたびれまっせ。』


『じゃあ、「Aa-JAPAN」。』


『「A-JAPA」じゃないんですね。』


『アフガニスタンがいるから「AF」で先に行かれちまう。』


『開会式直後にこんな馬鹿らしいことを調べてるのは

世界70億の人類でわれわれだけでしょうね。』


『いまは、電気の通じない三等国でもケータイで

オリンピックが見られる時代だからなあ。』


『そもそも、そこまでして先頭に行きたいもんですか?』


『馬鹿野郎っ。』


『ひっ。』


『世界的建築家に、

アルヴァ・アアルトというおっさんがいたが

こいつの本名はヒューゴ・ヘンリック・アアルトといった。』


『じゃあ、なんで?』


『イニシャルを「A-Aa」にすれば

建築家名鑑で先頭に来て目立つ。

注文も来るだろう、ということだったらしい。』


『じゃあ、あんたも事務所名の先頭に

「AAA」とか「あああ」とかつけなさいよ。』


『そ、そんな二番煎じみたいな事…』


『違うでしょ?』


『……』


『アアルトが名建築家になったのは

名前のせいじゃないって事でしょっ。』


『くっ…』



















では、『今日のニッポンとニホン。』









日銀は、「にっぽんぎんこう」

0000_10000yen

そういえば、最近

万札なんて手にしませんわ










日大は、「にほんだいがく」


0000nichidai





文理学部哲学科

だそうです。 











個人的に意外だったのが、これ。


0000_jr

JR西日本は

「じぇいあーる・にしにほん」 









ところが、『JR時刻表』を発行している

交通新聞社(むかしの鉄道弘済会出版)は、こうだ。

0000_nippon









まあ、『ニッポン』の方が勢いがあっていいから

オリンピックの声援では

そっちの方が多いんだろうな。









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2012年7月27日 (金)

『バー・メッカ』の日。

7月27日は『バー・メッカ事件』の日。





0000mecca




何とも昭和なロゴ

隣の温泉マークの店が気になる









1953年のこの日、新橋にあった、バー・メッカで

死体が見つかった。


この事件の犯人はすでに全員処罰が終わっている。

だから従犯の連中の名前は控える。

事件そのものも、すごくつまらない。









主犯は当時24歳の正田昭。

証券会社の社員だった彼はノルマのために

叔母に契約をもらった。


そこまではよくある話だが

あろうことか叔母の金を使い込んでしまって

進退が窮まった。





知り合いの証券ブローカーであった、当時40歳の被害者を

バー・メッカに誘い出して殺害したのがこの事件。


バー・メッカにとってはいい迷惑だが、

この事件の共犯者のひとりが

このバーの従業員だったのだ。













殺害して強奪した金額は41万円。

いくら昭和28年とはいえ、

こんなもんで殺された被害者は浮かばれない。


いや、被害金額の多寡にかかわらず浮かばれないが。 













しかし、このつまんない強盗殺人事件が

昭和史に残ったのは別な理由がある。


この犯人は、たこ殴りにして撲殺した上に

首に電気コードを巻いた死体をメッカの天井裏に隠した。



『隠した』というのも馬鹿らしくて

血が滴るその死体から落ちた血液が

客の背広の肩に落ちてうぎゃあ、と。



昔の三流ドラマでグラスになにか落ちてくるから

天井を見上げたら血痕がっ、

というのは、この事件がモデルである。













こんな間抜けな犯人はいないと思うのだが

犯人の正田は慶応大学卒。


別に慶応出が偉いとも思わないが

父は弁護士で、母は日本女子大卒の学校教師で

3人の兄姉も大学出。

当時としては水準以上の生育環境だった。


それ故かどうか、

こいつの性格はねじくれ曲がった。









逮捕直後の犯人の正田。

(ここでやっとWikipediaの記事へのリンク)


0000shoda




ばっちりとポマード

服装なんかも

気を使ってはいる。 








この男は変装のためにコンタクトレンズを使っていた。


昭和28年のコンタクトレンズだから捜査陣も惑わされた。

メッカの従業員だった少年はすぐに捕まったのだが

彼が供述した『正田』という男は、

強度の近視で眼鏡をかけているはずなのだ。


しかも、よく似た容貌の自殺体が京都で見つかり

正田の家族に見せると『本人です。』といって

よよよ、と泣くではないか。



彼は共犯者の逮捕後、

2ヶ月以上逃げた。








逮捕された彼は、無実を主張する。

それはどんな凶悪犯でも同じ事だが、奴は、

『小生は、ただナット・ギルティを主張するだけです』

と言うあほくさいセリフを吐いて世間の失笑を買った。



服装といい、逮捕前の行動といい

意識してのことだとはいえ相当に派手だった。

従って、戦後の退廃した若者文化を象徴する

として『アプレ・ゲール犯罪』なんていわれる。








しかし、こいつにそんな律儀な無常観など無かった。

こいつが身を持ち崩したきっかけは、

昭和20年に知り合ったダンス教師の女性に熱を上げたせい。


昭和20年のそういう女性であれば

需要元がわかりそうなものだと思うが…


彼女との交際のために、髪型、服装、ダンスなどに熱を込め、

デート資金のために賭け麻雀をやり続けたこの男は、

年譜を見る限り、哀れでしかない。








むかしは強盗殺人というのは死刑であったので

彼も1963年に死刑判決が確定する。


するとこいつはサルのように小説を書き始め

紙の無駄、という意味ではサル以下だが

いくつかの作品は、現在も目録にある。


興味があったら、図書館で立ち読みしてください。











1969年死刑執行。

40歳。













美男かどうかは評価が分かれるだろうが

昭和20年代であれば相当にもてたと思うのだ。

髪型といい、服装といい、コンタクトといい

その時代としては最先端の努力を払ってもいた。


それが24で捕まって40で死刑。

ほとばしるリピドーをどこまで使えたのか?




あわれだなあ。













では、『今日の一枚。』











昭和26年。メニコンが作った日本最初のコンタクトレンズ。 


0000menicon_no1







庄司さんって誰?













これ一枚、いくらしたんだろう。







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2012年7月26日 (木)

ザビエルの日

7月22日はザビエルの日。












1549年のこの日、鹿児島にこの人がやってきた。

目的は宣教。(Wikipediaの記事へのリンク)



16世紀、ローマカソリック教会は危機にあった。

イギリスの王様は離婚を認めてくれない、といって

カソリックをやめちゃうし 

ドイツでは、ルターというおっさんが免罪符に文句をつける。

『金で、天国へのチケットを買うなんて邪道だ。』と





うん、いやまあそうなんだけど

そんなの神社のお守りと同じじゃん。




とかいって、売り続けるんだけど、

ルタ-という人はドイツ人なだけあって理屈っぽく

95か条もの文句を書き連ねて教会の扉に張り

論戦を挑発した。









まるで、この日記じゃないか。







しかし、影響力のないこの日記とは違って

ルターの主張は、かなりの支持を得た。

アルプス以北のゲルマン諸国ではカソリックに属しない

プロテスタントの宗派が続出する。









とにかくバチカンは危機感を持った。

その対策のひとつがイエズス会。

ヨーロッパ以外にカソリックを布教しよう

ということだ。



イエズス会の創立はバチカンの肝煎りではない、

とWikipediaさんは言うのだが、

王様がカソリックの信者であったスペインやポルトガルの

植民地に積極的に布教したのは事実。


ザビエルは、イエズス会の創立メンバーの一人であり

チーフ格の宣教師となった。

『宣教師』というのは文字通り『宗教を宣伝する人。』である。

インドから東への布教を担当した。



ずいぶんアバウトな担当分けだな、と思うのだが

かれは日本到達の7年前に当時すでに

ポルトガル領だった、インドのゴアに到達。





そこで実績を重ねるうちに、

極東に『日本』という国があることを知る。

ゴアにはヤジローなる人物が渡来しており

話をしてみるとなかなか賢い。


それじゃあ、一丁いってみるか、ということで

東アジアに出るのだが、まだマカオはポルトガル領じゃない。

仕方なく中国の広東省に立ち寄って日本に来る。






だから、彼が乗ってきたのは

中国のジャンク船である。














日本に来た彼は

主に北九州と山口で布教活動をする。


京都に上って、足利将軍にも会うのだが

あまりの落ちぶれっぷりにあきれ果てて

土産物を渡さなかったために、布教は許されなかった。


再び山口に戻った彼は、そこを拠点に布教をし

2年半日本に滞在して中国に行き、そこで没する。













死後60年経って聖人に列せられ、キリスト教の常として

遺骸はばらばらにされて、足の指は生地に、

腕はローマに、二の腕はマカオに、耳はリスボンに

肋骨は東京に、そして残りはゴアに安置されているそうな。
















で、まあ。ザビエルといえば

ハゲの代名詞である。








なにが『…である。』なのか? 

キリスト教の聖人をかような具合にいっては怒られる。



あれは、天然自然のハゲではなくて

『トンスラ』という、高位の聖職者にしか許されない

特殊な髪型だったのだぞ?


日本では、いまでこそ髷を結うのは相撲取りだけだが、

ちゃんとヒエラルキーがあって

しかも大銀杏を結えるのは関取以上だけだ。

むかしは月代がそれるのは侍以上。

頭頂部をそる、というのは世界共通の

かっこいい髪型だったのだぞ。という人がいる。







でも、変。





街中で、『あ、見てみて、あの人ザビエル。』

といえば、それは

『徳のある聖職者。』という意味ではなく、

『てっぺん禿げ』という意味である。












どうして、こうまんべんなく敵を作っていくのか、

と思わなくもないのだが

男のハゲには2種類ある。


まず、額から徐々に後退していくタイプ。

砂漠の周囲のステップやサバンナが

やがて砂に飲み込まれていくように

徐々に禿げていく。 


おばあちゃんには気づかれないが、

同窓会では驚かれる。



『サハラ砂漠型』と言ってもいいだろう。















もうひとつがてっぺんから禿げるタイプ。

この間まで碧の黒髪が生えていたのに

いつの間にか枯れ果てていく。


『あなたがいれば、ああ、あなたがいれば。』

と言っても

『えー?超むりー。

その頭じゃ結婚式の記念写真撮れないしぃ。』

と言われてしまって、うつむきながら孤独に耐える。



都心部が枯れ果てる、と言う意味で

『東京砂漠型』と言ってもいい。


 

 



『真っ先に雨に気がつく。』という意味で

『歩くアメダス。』とも言う。

うそ、ごめん。言わない。



で、このてっぺんから禿げるタイプの通称が

『ザビエル』だ。








で、まあ、彼が髪を剃っていたのか

実際にハゲだったのかどうかは

現代に至っても謎、なのだそうだ。


正式のトンスラは『天使の輪』のように髪の毛を残す。

だからてっぺんだけじゃなくて、

側頭部や後頭部もざっくりと剃る。


ハートに十字架が刺さった有名な肖像画は

トンスラじゃない。と言う人は多い。

ただのハゲじゃないか?



0000zabiel




どきっ






ただ、トンスラにしても、日本のちょんまげにしても

現代から見たら変な髪型ではある。 


そして、自分では調えられないということも共通だ。


日本では江戸時代には『髪結い』という職業が成立し

腕のいい人は現代と同じで『カリスマ髪結い師』として

高給を取っていた。


だから。『髪結いの女房』といえば

稼ぎのいい嫁さん、ということで

その旦那は遊んでも食えるということで、

ろくでなしということだ。










どうも今日は、いつも以上に落ちないな。


『ザビエル』と聞いて、即座に『禿げ』と思ったのだが

さすがに年齢的に笑えなかったりするのだ。





あ、あたしの事じゃないですよ?





この年齢まで来たら、後はたぶん大丈夫。


















では、『今日の厩火事。』











先代圓楽。『厩火事』-1-







『厩火事』-2- 





ザビエル、どこに行っちゃったんだろう。






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圓楽さん、若いなー

 

 

 

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2012年7月25日 (水)

毒カレーの日

7月25日は『和歌山毒カレー事件の日。』

(Wikipediaの記事へのリンク)















1998年のこの日、

和歌山市内の小さな街の夏祭りで出されたカレーに

ヒ素が混入されていた。

67人がこの『毒カレー』を口にし

数十人が中毒。4人が死亡。








逮捕され、死刑判決を食らったのが

当時47歳の林眞須美である。


このおばさんは、逮捕前から

自宅に集まったマスコミに水をぶっかけるなど、

ある意味派手なパフォーマンスで嫌われた。




00000masumi



ほらほら

あんたらも

涼しいやろ?
 






で、こいつの自宅にはヒ素が入った缶があって

旦那にもヒ素を盛り、旦那の方も詐欺の常習犯で

こいつらの知り合いの」複数の男性がヒ素中毒になっている。



李下で冠を作ってるようなものだ。  
















当然、事件直後から疑われていた。


ただし、こいつには他人から見てわかりやすい動機

たとえば金銭略取などの計画はなく、

『普通こんなもんで人を殺すか?』ということと、

結局はヒ素混入の目撃証言がないことなどから

意外なほど裁判は長引いた。


地裁高裁最高裁と、全て死刑判決を食らっているのだが

11年もかかっている。






そしてさらに意外なことに

いまでも、この事件を『冤罪だ』という人がいる。







『林眞須美さんを支援する会』 


この会の設立者は、いまは亡き三浦和義さん。















まあ、争うのは自由だし、

誰が設立者でもそこに偏見を持っちゃいかんよな。


ただ、

『鑑定には多数の疑問点があり』というなら

そこら辺をもっと要領のいい文章でまとめてくれ。


プレゼンがへたくそな奴は、

百万歩譲って正義があるとしても

絶対に負けるぞ?







この人が事件の実際や動機について一切しゃべらないので

この事件は、深刻な割に陰影が薄い。



無実を主張するなら、それはそれで構わないのだが

それならきちんと話をしろ、と思ったら

こんな本を出していた



0000doku




林眞須美 著

家族との書簡集

読む気も起きん 








もう、こいつ。吊していいと思う。 











では、『今日の一枚。』












林眞須美旧宅 跡


冒頭の写真でマスコミに水をかけ

高級車で外出していたこいつらの家は

事件の2年後に放火され、家屋は撤去された。


0000masumi3














敷地面積120坪

夫婦共々収監されていためか、

維持できなくなったらしく敷地は競売にかけられた。



666万円という悪魔の数字で、坪単価3万円。

地縛霊込みとしては

破格の値段で売りに出されたのだが応札はなく

価格を1/3にして地元の自治会が買った。 

(共同ニュースの記事へのリンク)


いまは地元の人たちが利用する

公園になっているのだそうだ。




ふーん… 






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おまけ







シルエットロマンス 



 


この曲のタイトルを引用することで

なにが言いたかったんだろう。

 

 

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2012年7月24日 (火)

大停電の日

7月23日は首都圏大停電の日。

(Wikiediaの記事へのリンク)









1987年のこの日の午後1時半から夕方まで

東京、神奈川を中心に広域で停電が起こった。



昼休み明けから急速に伸びた電力需要に

送電系統が対応できなかったのだと。













1987年というと、すでに関西に来ていたから

個人的には、あんまり記憶はない。


しかし、つい最近じゃねえか、という気はする。


私の時間尺度では

『1987年はごく最近。』なのである。

 















しかし、昔って停電って多かったよね。


これはさすがに年代を限定するかも知れないが

家には必ずローソクがあった。


昭和40年代だと、首都圏では停電というのも

半年に一度くらいだったらしいのだが

記憶としてはもっとあった気がする。





少なくともテレビはよく止まってたな。


0000shibaraku

これは最近の画像らしいが

そういえば小鳥だったな。








これが沖縄だと、こう。 

0000shibaraku2

なるほど、トロピカル







で、まあテレビのことはともかく

停電ってよくあった。


だからいい、というつもりはもちろんない。

停電は社会の貧しさの象徴でしかない。


いまでも三等国に行くと、夕方に停電があって

ホストファミリーのクミコさん(在住15年、年齢不詳)が

『あー、この国では珍しくないのよー。気にしないでねー。』

といったりするが、うるせえよ田舎もの。










1987年の大停電はクーラーをはじめとする

電力需要の急増に送電システムが対応できなかったのだという。



電力網って、意外に脆弱だ。










私がガキの頃、

1970年代だと、クーラーなんかないかわりに

『夏の甲子園の決勝戦の日には需要が増えて

電力が危ういので、テレビはみんなで見ましょう。』

とかいっていた。




すげえ、弱い。







だから『原発万歳、大飯原発ウェルカム』って

いってるんじゃないですよ?


テレビ程度で電気が危うくなるんなら

昼間のテレビなんかやめてしまえばいいんだ。












しかし、去年の震災直後の時点では

日本中の原発が止まるとは思わなかった。


いずれ止めるにしても『経過期間』があるだろう、と。









大飯原発に関して、永田町で

『さいかどーう、はーんたいっ。』とか言って

デモをする人は、あれでは弱い。

少なくとも、ハンディマイクを使っているのは自己矛盾だろう。 



チャリンコをこぎながら発電機を回して

それで叫んでこそ迫力倍増だ。


夜になって首相官邸をサーチライトで照らしてみろ。

(違法です。捕まります。)















しかし、停電はいかんよな。



予告もなく停電して、パソコンのデータが消えたら

ナメクジウオのごとく背骨がない我が事務所の屋台骨は

一瞬にして砕け散る



もちろん病院だとか命に関わる施設もある。

スカイツリーのエレベーターが途中で止まっちゃったら

どんなパニックが起こるのか楽しみだ。心配だ。









『でんき予報』と『大飯再稼働』に頼ってる

この夏のニッポンは間違ってるよな。













では、『今日の一枚。』












『大停電』というのは日本や発展途上国だけではなく

先進国でもちょいちょい起こっている。


2003年にはニューヨークを含む北米中西部で

8月のくそ暑い時に

丸1日以上に及ぶ大停電が起こった。


0000ny1993


車のライトだけの

サマータイムの午後8時の

マンハッタン






帰宅困難者数百万人。

死者4人。経済的損失は数千億円。








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2012年7月23日 (月)

問題はオスプレイじゃなくて              普天間なんじゃないのか?

アメリカ海兵隊が運用する予定のMV22オスプレイ

日本に搬入された、というニュース。

(読売の記事へのリンク)








0000mv22




発艦するオスプレイ










0000mv222



水平飛行中の

オスプレイ







直径が12m近くある巨大なローターを

このように角度を変えることで

垂直に離着陸でき、水平にも飛べる。








長大な航続距離を持ち、巨大な積載量が可能で高速が出せる。

この飛行機の最高速度565km/hというのは

零戦とほぼ同じである。



0000zero_fighiter

え?

そうなの?







で、これを、『回転翼と固定翼の両方の特性を…』とか

いう奴がいるのだが、これは固定翼機じゃない。


巨大なローターを二つ持ったヘリコプター、だ。

この飛行機のローター直径11.6mというのは

零戦の4倍近い。


飛行機が飛ぶのは翼の先端で空気の渦が出来るから。

だから先端がぐりぐりと動いて、しかもローターで

翼を覆い尽くしてしまうようなこの飛行機は

翼で飛んでいるわけじゃない。











しかし、仕組みが複雑なものは

機械でも建築でも失敗することが多く

この飛行機は、開発中から重大事故を重ねた。





アメリカ軍がこれを運用したいのは、

垂直に離着陸できるから、でもある。


飛ばすのは飛行場でも空母でも揚陸艦でもいいが

降りるのは戦場だ。飛行場はない。


日本がこれをいやがっているのは、

この飛行機が危険だ、ということだ。

だから、整備のために搬入された岩国は大反対だ。


でもね?










よその国の兵器じゃねえか。








いままで、米軍の兵器の事故率がどう、とか

気にもしなかったでしょう。









22日には、日本も持っていない米軍の主力戦闘機

F16が太平洋で墜ちている。



300pxf16_june_2008


青森から

アラスカに飛べるって

どんな飛行機だよ





なんて間が悪い、と思うが

事故が起きても兵隊が死ぬんなら覚悟の上だろう。




でも、市街地に墜ちたらこまる。











オスプレイにしても、

問題の本質は運用されるのが

狭い普天間だからじゃないのか?









あのせまっくるしい普天間だからいかんのだろう。


現に普天間基地では、オスプレイが代替する予定の

米軍の大型ヘリ、CH53Dが

沖縄国際大学の敷地に落っこちる、という事故が

ほんの8年前に起きている。



290pxokinawa_intl_univ2



かろうじて建物直撃は逃れた







だから問題はオスプレイじゃなくて

普天間なんでしょう。


オスプレイじゃなくて、安全な飛行機だったら、

しばらく普天間でもいいのか?

とは、ならないだろう。


どうして、そういう本来の話をしないのかなあ。







むー







鳩山さんが余計なことを言わなければなあ。

でも、間に合ってなかったか?









とりあえずの危険、を排除したいんだったら、

離着陸のために廃船予定のタンカーでも

浮かべといたらどうだ?


広い甲板があればいいんだろう。











あ、それは空母か?
















では、『今日の一枚。』













日本軍はプロペラの方向を変える飛行機は

持っていなかったが

もっと不思議な飛行機を持っていた。




前進プロペラと上部ローターを持ったオートジャイロ。


0000kagou




カ号観測機








主翼を持たないこの不思議な飛行機は、離陸時だけ

エンジンでローターを動かして非常に短距離で離陸できる。





飛行場なんかない野戦での着弾観測用に開発されたのだが

戦争が煮詰まってくると陸軍は

陸軍の小型空母あきつ丸にこの飛行機を乗せて

対潜作戦を行う。 





300pxakitsumaru


陸軍が空母持ってるなんて

変な国だなあ。 





もちろん空母もろとも沈められた。





戦争はいかんけど事故もいかんよな。 








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おまけ




この動画の後半で、実戦での活躍?が紹介されています 

http://youtu.be/n3QxBMmIOmw

 

 

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2012年7月22日 (日)

月面第一声

7月21日(日本時間だと20日)は月着陸の日。 

(Wikipediaの記事へのリンク)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アポロ11号の月着陸船イーグルが、

月に到達したのが1969年の、この日。

 

 

 

 

 

 

 

その時の様子がこちら 

 

 

 

さすがに1969年なのでリアルタイムには覚えていない。

 

 

 

 

しかし、この時アームストロング船長が発した台詞は

有名である。

 

 

『I'm, ah... at the foot of the ladder.

The LM footpads are only, ah... ah... depressed in the surface

about, ah.... 1 or 2 inches,

although the surface appears to be, ah... very, very fine grained,

as you get close to it. I

t's almost like a powder.

(The) ground mass, ah... is

very fine.I'm going to step off the LM now.』

 

 

(あー、いま梯子から降りるとこ。

着陸船はちょ-っと砂に沈んでるかなー。

月の砂ってば、超粉みたい。いいかんじよー。

じゃあ、ちょっと降りてくるね。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この後、この有名な台詞が言われる。

 

That's one small step for (a) man,

one giant leap for mankind. 

 

『これは一個の人間にとっては小さな一歩だが

人類にとっては大きな一歩だ。』

 

 

 

 

 

 

 

 

頭の悪い翻訳文に関しては責任をとるが

録画を見ると、割と事務的というかあっさりしゃべっている。

 

『That's …one giant leap for mankind.』

 

なんていう台詞は、月面に降り立って

地球を見晴るかして、うんと見得を切ってから

思い入れたっぷりに言っても良さそうな

ものだと思うのだが

ずいぶんそそくさとしている。

 

 

 

 

 

この台詞について、アームストロング船長本人は

『その場でとっさに浮かんできたもの』と言っているが

嘘だろう。

 

 

 

あまりに急いだために、『 a 』を抜かして

『man』は『人類』なのか?『人間』なのか?。いやいや、

あれにはアームストロングの深い意図があったんだ、と

いまでもあれこれ推察されている。

 

 

 

 

本人に聞けよ。

まだ生きてるんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうも作文くさいと思いませんか?

 

 

 

 

 

 

中学校の頃、、英語の先生が

われわれにこのアームストロング船長の台詞を

プリントで教えてくれた。

 

アルファベットも怪しいガキに教えても意味はないのだが

『That's …one giant leap for mankind.』

という台詞は印象的だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世界初の宇宙飛行を果たしたガガーリンのひと言は

『地球は青かった。』だった。

 

 

もっともこれは宇宙空間で発せられたものではなく、

地上に帰還してからのものだという。

何種類かの翻訳が伝わっているが、

全て過去形なのでおそらくそうだろう。

 

 

しかし、これも素直に出る台詞だろうか? 

 

 

 

 

  

『うわー超すげー、きれーきれー。』

  

とかじゃなくて

『地球はみずみずしい色調にあふれて美しく…』とか

『これはマンカインドにおいて偉大なる…』とか

そんな台詞がいえるもんかなあ。

 

 

なんか二人とも嫌な奴だ。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ビームストロング船長。これ、ご依頼の脚本です。』

 

『おお、今度の火星有人探査。

着陸の際の際のセリフだな?』

  

『セリフだけじゃありません、

仕草まで仕切った演出のト書き付きです。』

 

『世界史の教科書に残るんだぞ?』

  

『そりゃ感動間違いなしです。』

 

『よし…えーとまず着陸船のハッチから夕日に浮かぶ

オリンポス山を見ながら見得を切って、「絶景かな…」?』

  

『ここでちょ-んと拍子木が、入ります。』

 

『拍子木?』

  

『副船長のレディ・ガガーリンが拍子木を持って行くんです。

薄いとはいえ大気はありますから

うちの局のマイクなら拾いますよ?』

 

『ハッチから飛び出すと、高く舞い上がり

「前方抱え込みひねり3回転半で着地。」って…のは?』

  

『火星の重力は地球の半分以下です。』

 

『それを俺にやれ、と?』

  

『その後にセリフです。』

 

『うん。』

  

『火星は朱い。人類は偉大な一歩を刻んだ。』

 

『パクリじゃん…』

  

『なお、この中継はコカ・コーラ、マクドナルド…』

 

『あ、提供クレジット?』

  

『サムスン、ヒュンダイ、LG…』

 

『ああ、そういう時代なのか…』

  

『この生中継の模様はTwitterでもリアルタイム更新中…』

 

『火星から地球まで電波が届くのか?』 

  

『さっき僕つぶやきましたもん。

届いてませんか?』

 

『地球まで片道5分かかるからなあ…』

  

『あ、来ました来ました。』

 

『火星なう?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もっともこの時代は、アメリカとソ連が

宇宙開発を競い合った時代だった。 

 

 

 

『次の10年が終わるまでに、俺たちは人類を月に送って

安全に連れて帰るぜ。』という

1961年のケネディの演説。

  

この時から開始されたアポロ計画は7回の月着陸を

成功させている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ソ連が月探査をあきらめたわけではなく

有人探査機を打ち上げるN-1ロケットを開発する。

  

220px2_n1_on_pad    

 

 

裾が広いのは

ソ連のロケットの特徴

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、アポロを打ち上げたアメリカのサターンⅤ。

 

220pxksc69pc442    

 

 

ほらね

 

 

 

 

ただし、N-1シリーズは4回の実験が全て失敗。

金がかかりすぎるので、ソ連は有人月探査をやめた。

(無人探査機はいくつか成功させている。)

 

 

アメリカにしたところで1972年のアポロ17号が最期で

それから40年、月に人間を送っていない。

 

 

 

 

結局、国家の面子でしかなかったのか?

  

面子であればこそ、

あんなかっこいい台詞が言えたのか?

  

 

ロケットまで作るくらいだから、ソ連にも

『予定された月着陸船の船長』

というのがいたはずで、

彼は(彼女かも知れないが)、

『月面第一声』について、あれこれ悩んでいたはずである。

 

 

 

  

なんていう台詞だったんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

では、『今日の一枚。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本人で初めて宇宙にいったのは、毛利さんではなく

ソ連と『宇宙ステーション訪問』の協定を取り付けたTBSの

社員だった秋山豊寛という人。

 

 

 

 

 

 

 

この人の宇宙第一声がこれだ。 

 

 

0000_aikiyama    

地球との交信中に 

不意に入ってきた 

東京からの中継。 

日本語に反応してしまったらしい

 

 

 

 

     

まあ、テレビマンらしい、というかなんというか。

 

 

そうしてこうやって、

その台詞をネタにして本にしちゃうあたり

マスコミって怖い。

 

 

 

 

 

 

 

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おまけ 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2012年7月20日 (金)

ワルキューレ作戦の日

7月20日は『ワルキューレ作戦の日。』

 

 

 

 

 

  

 

 

 

1944年のこの日『狼の砦』と呼ばれていた

総統本営でヒトラーを暗殺し

それをきっかけにして連合国との和平を探ろう。という

ドイツ軍最大のクーデター作戦が行われた。

(Wikipediaの記事へのリンク)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヒトラー臨席の秘密会議に鞄に仕込んだ爆弾を持ち込み

会議室を吹き飛ばしたこの作戦は、

実行された、ほとんど唯一の

『ヒトラー暗殺事件』である。

 

 

0000varcure  

 

死者6人

 

 

 

作戦の中身や経過は

ちゃんとしたWikipediaでも読んでください。

だからちゃんとしてないのかよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、あのちょびひげは生き残った。

 

というのが今日のお話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『独裁者が最期まで生きる。』のは当たり前じゃないか?

という人もいるだろうが、なかなかそうでもない。

 

 

 

 

 

 

むしろ、官邸で砲声が聞こえるところまで来ても、まだ

政権を失わなかったヒトラーの方が

世界史の上では例外だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ナショナルジオグラフィックスの『ヒトラー暗殺計画』

 

実行犯はシュタウフェンベルク大佐という人物。

北アフリカ戦線で負傷し、右手と左手の指二本、

そして左眼を失った。

 

 

        

手塚漫画で、隻眼のエキセントリックな軍人

というのが出てくるが、おそらくモデルはこの人。

 

 

      

 

ナチスに対しては肯定的だったが

ヒトラ-への個人崇拝には批判的だったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第二次大戦の枢軸国、

ドイツ、日本、イタリアの指導者は開戦当時は、それぞれ

ヒトラー、東条英機、ムソリーニであった。

 

 

 

 

 

 

『 TOJO 』というと、いまでもアメリカでは大悪人。

 

実際にこの人は独裁者で、

行政の総覧者である総理大臣でありながら、

統帥権の管轄者、参謀総長を兼務している。

 

  

『政府からの統帥権不可侵』とやらを名目にした

5・15と2・26はなんだったんだ?

 

 

 

 

 

昭和16年に成立した東条内閣、というのは

このおっさんが、首相、内相、陸相、文相、商工相、軍需相と

六つも兼務していたものだから

歴代内閣でもっとも閣僚が少ない。(※)

 

 

 

 

0000tojo    

たった9人 

それなのに最後列の奴は 

顔も写っていない。  

 

 

 

 

 

 

     

いまの野田内閣がこんなにたくさんいるから、 

無駄に閣僚が多いなあ、と思ってくださいよ。

 

 

 

0000nody_2    

 

 

      

ちなみに

いまの内閣ですよ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

しかし、独裁者『TOJO』だって、

戦争に負けて本土空襲が始まったら排除された。

まだ日本は健康だった、と言える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イタリアのムソリーニはもっと惨めで

第一次大戦の戦勝国としてヒトラーよりも格上にいたはずが

ドイツの尻馬に乗って第二次大戦に参戦したら、     

バルカンで負け、北アフリカで負け、

        

戦いもしないうちに海軍はタラントで負け

『もう降伏する。』と言ったらドイツから

世界初の誘導ミサイルフリッツXを食らって

戦艦を沈められてしまう。

 

 

 

    

軍隊が全滅してシチリア島に連合国が上陸すると

腹心だったはずのバドリオと、軍隊と、王様と、ファシスト党と、

要するに国中から不信任を受けて捕らえられた。

 

 

    

彼は、『光よりも速い粒子が見られる場所。』として

有名なグラン・サッソに幽閉されるのだが

オットー・スコルツェニー大尉によって『救出』されるも

逃げ切れなくて、愛人とともに吊される。

 

 

 

 

0000kurara        

         

1945年、ミラノ市内で、国民に 

死を確認させるために吊された   

ムソリーニと、愛人のクララ。    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

権力者の死、というのは

必ずこうやってさらされる。

 

 

 

 

悪趣味と言えば悪趣味だが、

ラジオでこのことを知ったヒトラーは慄然としたという。

 

 

      

ちなみにムソリーニがこうやって吊されたのは4月29日。

ヒトラーが自殺する前日である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヒトラーの死は、一応1945年4月30日だとされている。

その日までは目撃証言があるので間違いはないが

彼はその遺体を焼却して『ソ連には渡すな』と厳命した。

  

 

 

実際この人の遺骸は公表されていない。

ガソリンをかけて焼かれた。というのが公式コメントなのだが

骨くらい残るだろう。

  

 

 

    

だから、戦後長い間、この人は南米で生きている

という噂が流れ続けた。 

           

  

00000hitler_2     

 

アルゼンチンで撮影された、 

とされる1970年代のヒトラー 

 

 

 

 

 

 

      

『ヒトラー生存説』には、ほかにも根拠があって

『ヒトラー救出作戦』が

実際にいくつか行われているのだ。

 

 

    

もっとも有名なのが、彼の死の4日前、

ドイツで一番有名な女性パイロット

ハンナ・ライチェが行った『ベルリン強行着陸』。

 

 

220pxbundesarchiv_bild_183b02092_ha        

大男のドイツ人に 

囲まれているせいもあるが 

実際に小柄で150cmもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すでにソ連軍に包囲されたベルリンに奇跡の操縦で着陸し

ヒトラーの総統官邸で3日間過ごした彼女は、

ヒトラーの死とされる2日前に重囲のベルリンを脱出する。

  

 

彼女は戦後すぐに捕らえられて

ヒトラーの最期について追求されるのだが、

官邸にいた女性たちとの思い出、

エヴァ・ブラウンやゲッペルスのこどもたちとのことしか

話さなかったそうである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

今日の話に結論はない。

  

 

ワルキューレ事件の1944年にヒトラーを殺したとしても、

すでに2000万人のユダヤ人が死んでいた。

 

 

ドイツ自身としてもその時点で

有利な講和が出来たわけでもなさそうだ。

 

 

 

 

     

 

東西分裂は避けられたかな?

 

 

 

   

でも、もっとややこしい『東方問題』を抱えて

戦後に入っただろう。

 

 

いずれにしても『IF』に意味はない。

そして、今回の話を

『民主党分裂騒ぎ』に結びつけると思ったら

大間違いなのである。

 

 

少なくとも『脱出』した奴が、

『政策』以外のことをあれこれ言うのは卑怯だよな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

では、『今日のワルキューレ。』

 

 

 

 

 

 

 

 

  

個人的には『ワルキューレの騎行』といえば

これだなあ。

1979年の映画、『地獄の黙示録』。

 

           

いま見返しても、

なんだか難しい映画だ…

 

 

 

 

 

 

 

おまけ  

 

 

 

 

 

    

モンティ・パイソン

70年代のイギリスに潜伏するヒルターさんと、お友達 

 

 

 

 

 

 

 

 

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※一応昭和以降、ってことにしてください。

 名目上、総理大臣が全閣僚を兼務した

 『一人内閣』っていうのがいくつかあるんだけど、

 こうやって、ひな壇に並んだ記念写真が残っている内閣では

 東条内閣が最小。

 

 

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2012年7月19日 (木)

動物だったら当選するんじゃないか?

アラスカのタルキートナという街で、

猫が市長になっているというニュース。

(ロイターの記事へのリンク)













『日本でも、「猫駅長」とかいませんか?』


00000tama

にゃー





『馬鹿野郎っ。』 


『ひっ。』


『タルキーナのスタッブス(猫)市長は

堂々選挙で選ばれたんだっ。

あんな田舎鉄道の宣伝と一緒にするなっ。』


00000_neko_3



にゃー







『選挙で選ばれたんですか?』


『そうだとも。』


『なんで猫が…』


『15年前の選挙で、出馬した候補者を

「ろくなやつがいねーなー。」と

思った住民たちが、

ジョークのつもりで投票用紙に猫の名前を書いたら

あっさりと他の候補を破ったんだって。』 


『……』


『……』


『素敵な街ですねえ。』


『塩っ気の効いた話だなあ。』
















『さあっ、民主党の崩壊を受けて行われる

「1票の格差なんか関係ねえぜ。やけくそ総選挙2012」

日本は一体どのように変わるでしょうっ?』


『支持率も落ち、続々と離党者があふれたノディが

やけくそで解散しましたからね。』





ピロローン、ピロローン…





『あ、さっそく開票速報が入ってきたようですね。』


『どこでしょう。』


『えー、ただいま岩手4区で当確が出ました。』


『あそこは小沢さんで決まりでしょう。』


『岩手4区、当確は「小沢 クロ」さんです。』


『はい?』


『ですから「小沢クロ」さん、だそうです。』


『一郎さんじゃなくて?』


『…ええ。』


『誰ですか?それ。』


『小沢さんちの飼い犬みたいですね』



00000ozawa_kuro



クロ、という名前は

メタファーか?








『「小沢 クロ」
っていう風にネットに書くと

あらぬ勘違いをする勝谷さんが殺到しませんか?』


『いや、そう思うんならやめようよ。』


『だってほんとうにそういう名前の

犬を飼ってるんですよ。』


『…うーん…』


『しかし、なんで犬が…』  


『あの選挙区のひとたちは小沢さんに逆らえない。

だから投票用紙に「小沢」、とまでは書くんだけど

その後を「クロ」って書いちゃったんだろうなあ…』


『……』


『……』


『しかし、犬じゃあ候補者として資格がないでしょうっ。』


『馬鹿野郎っ。』 


『ひっ。』


『選挙区に3ヶ月以上住んでいて

生活の実態はあるっ。』


『だからなんです?』


『「練馬じゃ当選できないけど埼玉なら楽勝よね」

といって、トイレはコンビニを使ってて

家の水道は使ってなかった、っていう

「元・美人市議(笑」より遙かにましだっ』



0000_baka_2



なによ、姑に嫌われてるのよ







『し、しかし供託金は誰が…』


『それは、鳩さんが…』


『あ……』



















『はあい、バラク。なにを悩んでいるの?』


『次の大統領選挙、どうやったら当選できるだろう…』


『あら、簡単よ。』


『おお、ミシェル。いい方法があるなら是非教えてくれ…』


『副大統領候補に、

うちのボーを指名したらいいのよ』


265pxbo_official_portrait







オバマ家の愛犬

ボー











『おお、これなら当選しそうだ。』  


『だけどね?ひとつだけ忠告しておくわ。』


『なんだい?』


『ホワイトハウスだけは敵に回さない方がいいわよ。』



















では、『今日の一枚。』











かような次第で、自民党はタルキートナ市長、

スタッブス君の顔をフィーチャーしたポスターで

戦うことにしました。


0000_gakki2





























もう、これでいいような気がしてきた…






念のため、本物。


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もうね…

いい歳なんだから…

 

 

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2012年7月17日 (火)

原爆誕生の日

7月16日は原爆誕生の日。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1945年のこの日、アメリカが世界初の核実験を行った。

  

300pxtrinity_test_fireball_16ms 

 

 

トリニティ実験

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヒストリーチャンネル。

『マンハッタン計画。』

 

 

 

原爆の仕組みや

アメリカがこの計画にかけた規模の大きさなどよくわかる。

 

『なるほど、これは負けるわ。』と思う。

原爆投下機の機長、ポール・チベッツ

『水爆の父』エドワード・テラーなど

既に故人となった悪魔たちのインタビューも見ることが出来る。

 

 

 

 

そして、見事なくらい、

アメリカの立場から描かれている。

 

 

 

 

 

  

『アメリカは正義のために原爆を作り、使用した。』

『日本軍は節度がなく卑怯だった。いつまでも降伏しない。』

『日本の北半分をソ連に占領されるのを救ってやったのだ。』

 

って、書き写していても腹が立つ。

 

 

  

『広島に落とされたウラン型原爆の

ウラン235は一発分しかなかった。

実験などせずに、すぐ広島に投下するしかなかった。

そうせざるをえなかったのだ。』

 

  

そうしなくて良かったんだよ。

 

 

 

 

 

 

広島に落とされた

ウラン型原爆は終戦の4ヶ月前に完成。

長崎に落とされたプルトニウム型原爆

実験が成功し、完成したのが昭和20年の今日。

 

終戦の1ヶ月前。

 

 

 

  

トリニティ実験に用いられた原爆。

 

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白いのは

補修用のガムテープ

 

 

 

 

そこまで急がなくても良かっただろう。

 

 

 

 

広島原爆の死者は14万人(±1万人)。

長崎原爆の死者74000人。

 

 

 

 

 

この映像の最後に出てくるのがオッペンハイマー事件。

  

マンハッタン計画を主導した科学者が二人いた。

所長のオッペンハイマーと、

この動画にも出てくるテラーである。

 

原爆の完成と 日本への投下を目の当たりにして、

オッペンハイマーは『科学者は罪を知った。』

と言い、対してテラーは

『なんだ、こんなちっぽけなものか。』

と言ったそうな。

 

 

 

オッペンハイマーは、核兵器の国際管理を訴え

テラーは水爆の開発を訴えた。

 

赤狩りの嵐の中で、オッペンハイマーのほうが負けて

公職追放になる。

 

 

 

 

 

 

 

ただし、これを個人のキャラクターの話にしてしまうと

途端に小さな結論になってしまって面白くない。

 

 

テラーは確信犯の悪魔だが

別にオッペンハイマーが偉いとも思わない。

 

奴の原爆が広島・長崎の無辜の市民

21万人以上の命を奪ったのだ。

 

 

 

戦後、米ソはどうせ撃っても当たらない

核兵器の生存性を高めるために

無駄にその数と威力を競った。

 

水爆の登場は必然ではあった。

 

 

  

テラーの勝利とオッペンハイマーの敗北は

家族が共産党員だったという事実よりも、

国家としてのアメリカの結論だ。

 

 

 

 

特にアメリカは、原爆で4年、水爆ではたった1年で

ソ連に追いつかれたことに恐怖する。

その後、イギリスフランス中国インドパキスタン…

『核の独占』が崩れていくのを恐れている。

 

 

 

 

北朝鮮なんか、ロケットも飛ばせないあの国が

核兵器をもっても、正直あんまり怖くないと思うのだが

やたらと神経質なのは、彼等がまだ

『恐怖の均衡が平和をもたらす。』

という50年前のドグマから逃れていないだけである。

 

 

 

 

 

 

 

 

この動画の最後で 

 

『1945年の原爆投下以降、

戦争による死者は急減しました。』

 

The Making of the Atomic Bomb 』という著作で

ピューリッツァー賞を獲った、、

リチャード・ローデスというおっさんが語っているのだが

それは、はっきりと間違いだ。

 

 

『恐怖の均衡』で平和が守れなかったことは

もう、みんな知っている。

 

 

だからといって、『絶対平和。憲法9条大好き。』なんて

田嶋陽子みたいなことは言わないが。 

 

 

だけど、自分のところの兵隊を殺すことに

一番神経質なのはアメリカじゃないか。

 

 

 

 

ふう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の一枚。』

 

 

 

 

 

トリニティ実験で使われたのと同じ原爆で破壊された

長崎の浦上天主堂。

 

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この廃墟を作ったのは誰だ?そして、

この廃墟を撤去させたのは誰だ?

 

 

 

  

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2012年7月15日 (日)

キプロス紛争の日

7月15日は第2次キプロス紛争が起きた日。

(Wikipediaの記事へのリンク)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      

 

キプロス、というのは東地中海の島国でこんな場所にある。

 

 

0000kyplos   

 

東地中海の島国

北にトルコとギリシア 

 

 

 

 

    

日本だって島国だ。

  

広い順にいうと、本州、北海道、九州、四国となっていて

ここまでは日本人なら全員正解だろうが

5位と6位はちょっと難問。

5位が択捉島で6位は国後島なのだ。

へー、沖縄だと思ってた。 

        

7位に沖縄本島、8位佐渡島、9位奄美大島、10位対馬

となって、へー淡路島はトップ10に入れないのかー。

(Wikipedia 日本の島一覧) 

 

 

 

 

 

キプロスの面積は9250平方キロで

四国の半分。

  

面積でいえばキプロスより小さな国はいくつかあるのだが

この国は朝鮮半島のように『分断国家』なのだ。

       

かつては南北ベトナムや東西ドイツのように

分断国家はいくつもあったのだが、

いまやここと朝鮮半島と中国くらい。

そういった国のなかでもキプロスは群を抜いて小さい。

         

日本が認めているのは南の方のキプロス共和国

  

こんな、といっては失礼だろうが

正直こんな小さな国が何故?

というのが今日のお話。

 

 

 

 

 

 

  

で、場所を見てもらえればわかると思うが、

古代は、この島はギリシア文明圏であった。

  

ギリシアが衰えるとローマ帝国が支配。

ローマは衰えた後、しばらくごたごたするのが

近世までオスマントルコが支配にはいる。

        

そういう歴史を経たおかげで、近世の住民比率は

ギリシア:トルコが3:1である。

  

今も変わらない。

 

 

 

 

 

 

 

    

近世にはいってこの島に目をつけたのがイギリスだ。

エジプトやスエズ運河、さらにインド、アジアにつながっていく

東地中海はイギリスにとって死活的な戦略的重要性をもった。

  

イギリスは地中海の支配に熱心で

1713年のユトレヒト条約で地中海の出口ジブラルタルを確保。

ナポレオン戦争直後の19世紀には

これも地中海の要衝。マルタを支配する。

     

イギリスによる

キプロスの領有は1914年のベルサイユ条約。

 

むしろ遅い、と言えるのだが

早いうちから目はつけていた。

  

イギリスが支配したいのだが19世紀まで宗主国はトルコだ。

だからこの時点で多数のトルコ人がいる。

人口でいうとギリシア系よりも少なかったのだが

19世紀までは支配者だった。

        

ところが第一次大戦でトルコは負けてしまった。

イギリスはこの島を割譲するように要求して自国領にする。

 

今でもキプロス島には、イギリス軍の基地と発電所があるのだが、

そこはイギリス領。

  

日本の米軍基地は、あくまでも日本での借地であるので

アメ公が生意気なことをしたら、日本警察は

銃殺してでも鎮圧してかまわないのだがキプロスは違う。 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

イギリスが行ったのが、ギリシア人とトルコ人の分割統治。

       

イギリス人の憎らしいところは植民地を支配するにあたって

現地人の違いをことさらに取り上げて差別をつけたこと。

  

こういうことを世界中でやったんだ。

こいつらは。

許すか?

だからイギリス人と大津市民を見たらうんこ投げていい。

        

そうやって、現地人同士の仲を悪くさせれば

イギリスへの不満が集中することはなかろう、と。

 

 

 

  

人口比でいうと少数のトルコ系に対して

優遇政策を行った。

  

奴らが世界中でやったのと同じことで

宗教や民族の異なる集団を離隔して差別を煽った。

       

多数派に所属させることが正義だとは言わないが、

こいつらは民族教育なんて何も考えてはいないのだ。

 

 

    

どの国、どの国と

いちいちあげるのも馬鹿らしいので世界中だ。

 

 

 

 

 

インドでは、ヒンズー教徒とイスラム教徒の対立を煽ったために

インドとパキスタンは分裂。

今でも、お互い核ミサイルを持って対立するくらいに仲が悪い。

 

 

  

イギリスはパレスチナ(当時の植民地名)でも

ユダヤ人に対して独立を認める

『バルフォア宣言』を発する一方

アラブ人国家の独立を認める

『フセイン・マクマホン協定』

フランスとの勢力分割を定めた

『サイクス・ピコ協定。』という

全ての民族にいい顔をしようとして

内容がすべて矛盾するという、

世界外交史に残る恥辱を犯している。

 

 

Wikipediaには生意気な言い訳が書いてあるが

ホロコーストの恐怖から解放されて、移民制限を無視して、

あふれるように移住してきたユダヤ人の波に

パレスチナの維持ができなくなって、イギリスが撤退したのは

第二次大戦終戦のたった2年後の1947年である。

         

イスラエル独立をめぐる、嘘をつき続けたために

今でもこの地域は世界のホットスポットだ。

  

てめえこの始末。どう付けるんだよ。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キプロスでも、

トルコ系とギリシア系の対立を煽ってぬくぬくと支配する。

          

そこに起こったのが、1956年の『スエズ動乱。』

エジプトのナセルが「スエズ運河国有化」を宣言するや、

運河に重大な利益をもっていたイギリスとフランスが

イスラエルを誘って出兵。

  

世界中から批判を浴び、

アメリカからも見放されて、ほうほうの体で逃げ果てる。

      

インドは独立しちゃったし、

パレスチナも手に負えない。

ギリシア、トルコへの軍事援助をやめるのが1947年。

  

イギリスにとってキプロスの戦略的価値はなくなっていた。 

キプロスの住民はどうか、というと

イギリスの『分断統治』のおかげでギリシア・トルコ両民族は

民族意識に目覚める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ギリシア人は、ギリシア本土への併合(エノシス)を訴え

トルコ人は、ギリシア系からの分離・独立(タクシム)を訴える。

  

ギリシア系の一部が武装すると、

トルコ政府は国内のギリシア人を弾圧。

1954年9月、イスタンブールのギリシア人街が襲われた。

 

 

 

 

 

  

隣国どうしが仲が悪い。というのは

日本の場合を見ても韓国中国台湾と

あまり褒められたものではないのだが 

ギリシャとトルコの仲の悪さは特筆すべきものがあって

この国の近現代史は、ほぼ、お互いの国との喧嘩だ。

         

もう、はっきりいって、この紛争の経緯を追うのは

大変なのだが1964年に入ると、

キプロス全土が内戦状態になる。

これが第一次キプロス紛争。

  

ただし50年代から抗争はあった。

だからスエズ動乱に敗れると

イギリスはさっさとキプロスをあきらめる。

キプロスの独立したのが1960年8月である。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

独立はしたものの内戦を押さえらえないので

『自国ではキプロスの治安が維持できない。』として

PKF(UNFICYP)の派遣を国連に要請する

       

現在もいる。

もう50年だ。

 

 

 

 

あまり乗り気ではなかったらしいのだが

 

初代大統領に任じられたマカリオス3世は

ギリシア正教会の大主教。 

         

なぜ坊主で3世なのか?

坊主のくせに世俗権力の最高位の大統領なのか?

というのは、この事件の本質にもつながるのだが

あんまり本筋と外れるからやめとこう。

 

  

マカリオス3世は就任当初は

トルコ系住民に対して宥和政策を取った。

         

人口比以上に国会議員や役人を配分したりしようとした。

ところがそんな人為的な操作が定着するわけはなくて

すぐにトルコ人優遇政策を修正。

たちまち抜き差しならない民族対立に陥る。

  

そればかりか、ギリシア本国では

軍事独裁政権が成立。

東地中海の安定を重視する米英は、これを支援した。

 

 

 

 

 

マカリオスは面白くなかった。

民族対立の中でなんとかエノシスの主張を押えていたのだ。

 

 

 

それなのに本国の独裁政権を許すのか?

 

 

ああ、そうかよ。ということで

この坊主はソ連に接近した。

 

  

しかし、これは、米英の逆鱗に触れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

戦後のイギリスの落ちぶれ方というのは半端じゃなくて

スターリンに認めさせた

『イギリス90%』だったはずのギリシアでさえ

言う事を聞かない。

   

逆にトルコの方が従順で

中距離核ミサイル、「ジュピター」の配備などについては

ボスポラス以西のあらゆる国よりも協力的だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

米英は『マカリオス排除』を決めた。

  

キプロス軍のギリシア人部隊に支持を与えて

大統領官邸を襲撃させた。

  

これが1974年の7月15日。

『第二次キプロス紛争』と言われている。

     

まー、長い説明。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

        

この時クーデター軍は大統領官邸に突入するのだが

マカリオスは、間一髪で脱出。

  

キプロス島内のイギリス軍基地に逃げ込んで

自らの生存をラジオを通じて声明する。

       

クーデター軍は、この報を受けて崩壊。

 

 

 

 

 

  

さてどうなることか、と思っていると

今度はトルコ軍が上陸してきた。

  

名目は『トルコ系住民の保護』。 

これがよくわからない。

       

明らかにだれかの支援があってのことだと思う。

キプロス島にはイギリス海軍の基地があるのだ。

  

いくら落ちぶれたとはいえ、ロイヤルネイビーが

トルコ軍の上陸部隊を見逃したのはおかしいだろう?

 

 

 

 

 

 

 

      

上陸したトルコ軍は、

まるで予定されていたかのように

首都ニコシアを境にキプロス島北部の1/3を占拠した。

  

現在でもその状態にある。

 

 

 

220pxcyprus_districts_named_3

濃い赤が『トルコ軍占領地域』

薄い赤が『キプロス共和国』

緑色はイギリス領(基地ではなく領土)

 

 

      

『トルコ軍・キプロス進駐』は

かような理由でなんとなく予定調和みたいな

感じがあったのだが

ギリシア本国は緊張した。

 

  

ギリシア政府は全土に総動員令をかけた。 

トルコとの開戦も辞さず、というわけだ。

 

一応軍事政権だ。

面子もある。

  

ところが軍隊がこれに従ってくれない。

ギリシアのことだから汚職もあったが、

独裁への反発も相当にあったらしい。

どこが軍事独裁か?

  

海軍と空軍の大半が命令を拒絶したために

ギリシアでは軍事政権が崩壊している。

 

 

 

 

 

 

 

 

    

だけど、これもよくわからないのだ。

 

  

ギリシアの軍事政権が国家経営能力がなくても

米英は、地政学上の重要性を重視して

ギリシアを許してきていた。

      

1960年代には南ベトナムとかろくでもない国家があって

西側諸国の支持を得ていたのだが、その理由は、

『逆らわなかったら、いいんじゃね?』

というもの。

  

国民の幸福経済教育権利福祉といったものは

知ったこっちゃない。

独裁者がいようと国民が餓死しようと構わない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうはいっても、東地中海で

ギリシアとトルコが

戦争を始めたらたまらん。

  

という判断だったらしい。

 

 

 

 

      

この騒動は、ある意味『ギリシア一人負け』のような

経緯で今日に至る。

 

 

 

 

 

 

なんでそうなったんだろう、

というとさすがに殺されかねないのでさらっとね。

 

     

たとえば場所で言えばトルコの方がソ連に近い。

   

250pxturkey_orthographic_projection

 

 

 

 

 

      

ここの地政学的な意味はアメリカはもちろん、

トルコ自身がよく理解していた。

 

 

 

  

トルコという国は第二次大戦以降

西側諸国に協力的で、

NATOの最初期の加盟国だったりする。

         

トルコが、ここにアメリカの中距離核ミサイルの

ジュピターを配備した時、

フルシチョフは髪の毛が抜けるくらい

緊張した。

  

圧倒的に近いのだ。

 

    

核戦争において、敵が反撃できないうちにたたきのめす

というのは最大に重要な要素で、

トルコなんかにミサイルを置かれたら

10分でモスクワに届いてしまう。

        

これが遠因となって、キューバ危機が起こる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

イギリスの影響力の低下は

アメリカでさえ呆れたくらいで

中欧諸国は、全く維持できなかった。

  

イギリスに体力があれば

この地域の歴史も変わったかも知れないが

結局米英はギリシアを見捨てた。

 

 

 

 

  

キプロス紛争に関して、なんだか

『世界の果ての出来事』のような気がするのは

そんなことかも知れない。

 

     

ほとんど東側諸国の影響範囲外で行われていた紛争なのに

米英の反応が極端に鈍いのだ。

  

クーデター9日後の7月24日にギリシアでは文民政権が成立。

1ヶ月後の8月16日にトルコ軍は進軍を止める。

      

キプロス島北部は『独立』して『北キプロス・トルコ共和国』

という国家を僭称している。

世界中で、この『国家』を承認しているのはトルコだけだ。 

         

もちろんこれでいいとは、誰も思っていなくて

統合を目指すキプロスと分離を目指す『トルコ占領地域』は

統一選挙の実施などを探っているのだが実現していない。

            

その一方、『トルコ占領地域』とキプロス共和国

の間では『住民交換』が行われていて、

第2次キプロス紛争以前は混ぜ混ぜに住んでいた

ギリシア・トルコ両民族はほぼ地域的に純化されている。

 

 

 

 

 

  

大人って汚い。

 

 

 

 

 

 

 

さて、

長々と書いてきたが、

ここまでの話を踏まえて考えて欲しい。

  

『キプロスはヨーロッパだろうか?』

そして、

『トルコはヨーロッパだろうか。』

 

 

 

 

 

 

  

ここまで書いたところで、日本共産党西宮支部の杉山君は

『なんで自分に喧嘩をふっかけてくるおっさんがいるのだろう。』

という理由に気がつくかどうか?

お前さんはこの問題についてなにも理解していない。

 

 

 

 

 

          

馬鹿なら馬鹿で黙ってろ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トルコの宿願は

『ヨーロッパになること』だ。

NATOが出来るとまっさきに加盟した。

  

クルド人問題を抱えるトルコは

ソ連と対立したくなかったはずだが

それでもアメリカの核ミサイルを置いた。

  

ECが出来EUが出来ると

トルコは加盟申請を出し続けるのだが

それを許さなかったのがギリシアとキプロスである。

 

 

     

まあね。

 

 

  

この2ヶ国はすでにEU加盟国だったのだ。

当然トルコを許さない。

 

 

 

 

 

 

トルコのイスタンブールは2020年の夏のオリンピックに

立候補しているらしいが、無理だろう。

聖火を採るのにチャッカマンを使われそうな気がする。

  

そうはいっても財政危機でユーロが怪しくなって

ギリシアはへろへろだから

トルコのヨーロッパ加盟は実現するんじゃないか?

という人がいる。

 

        

無理だろう。

  

EU加盟=ユーロ導入でもないし

ユーロが弱くなっているのに

あえて弱い国を加えるメリットはない。

 

 

 

 

 

 

さらに、ヨーロッパでは

排他主義を主張する政党が勢力を得ている。

具体的には『イスラムいやだ。』ということ。

        

EU加盟=国境の自由でもないのだが

トルコがシェンゲン協定に加盟したら

イスラムの労務者が山ほど入ってくるぞ

という人がいる。

 

 

 

 

 

  

別にそれでも構わないじゃないか、と思うのだが

いやだという人はいる。

         

とりあえず2020年のオリンピックで

石原『どうせもう勃たねえよ』慎太郎。

を破ってくれたらうれしい。

  

あいつが、眼をしばしばさせて

『え?落ちたの?』といったら

すごくうれしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

       

『え?そこ?』という結論なのだが、

なんとしても重たいのだよ。

 

 

 

 

       

そこら辺、日本共産党西宮市議会議員、杉山某が

まるっきり理解していなくて、

貴様それでも政治家か?と襟首を

ねじ上げてやろうかと思う。

  

勉強しろ、杉山。

 

 

 

 

 

 

 

 

    

 

では、『今日の二枚。』

 

 

 

 

 

 

      

ニコシアの壁

 

00000000000000nikocia     

 

 

 

 

 

 

 

 

キプロスの首都、ニコシア

(現地名はレフコシャ)には

かつてのベルリンのように壁がある。

(写っているのは非武装地帯との間の壁) 

         

70年代には、越境しようとすると銃殺されるという

結構本気の壁だったらしいのだが

いまでは交通も自由で、

象徴のようになっているそうです。

 

 

 

 

 

 

  

だから日本人もたくさん旅行していて

旅行記が読めてありがたい。

  

トルコ支配地域の北部ニコシア市街にあるという表示。

 

0000eirocypros     

 

表記がトルコ語なので

見事に読めないが

レストランや教会では

ユーロが使えますよ

ということらしい。

 

 

         

EVKAFというのはキプロスにあるイスラム系の銀行。  

 

 

 

 

 

 

 

 

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2012年7月14日 (土)

フランス革命の日

7月14日は『パリ祭』

 

 

 

 

1789年のこの日、パリ市民がバスティーユ監獄を襲撃、

王制に対して実力で立ち上がった。

 

00000basti

   

バスティーユには、

山ほど兵器がある

と聞いていたので

襲撃しました。

 

 

 

  

 

翌年のこの日には、革命政府によって

『革命の勝利」と『正当性』を訴えるべく、

はなやかな式典が行われた。

 

Wikipediaさんによると、「パリ祭」の起源は

こっちの独立記念式典、を祝してのことだという。

 

ふーん…

  

 

この時点では、貴族であり第2身分でありながら

共和制のシンパであった、ラ・ファイエットと

仇敵であったルイ16世がともに

憲法への忠誠を誓ったりする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とにかくフランス市民が

武力蜂起したのがこの日。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただ、武力蜂起するまでには前段階があった。

 

フランスはお金がなかったのだ。

国家の歳入に対して支出はその倍ちかく。

 

なんだかどこかの国のようだが

しかもじいさんのルイ14世が、

戦争と贅沢が大好きだったから金がない。 

 

 

当時のルイ16世は財政改革をやろうとはした。

しかし、金持ちの貴族や贅沢な嫁が

次次に大臣を罷免したもんだから手がなくなってきた。

 

そして、7月14日当日においては危機感を持っておらず

当日ベルサイユにいた彼が 『バスティーユ襲撃』の報を

受けたにもかかわらず、その日の日記には

『Rien』(なにもなし)と書いた。

 

 

で、結局この王様は、バスティーユから3年半後に

ギロチンにかけられている。

 

 

この人を弁護する気はないのだが

ひとつだけ、偉大な功績を挙げておこう。

もちろんこれも大金がかかったが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アメリカ独立の支援である。

 

 

 

 

この人の発意ではない。

アメリカの理想に共感して私兵を投入した人もいたが

それもフランス国家の意思ではないだろう。

 

 

 

 

基本的に戦争って、

そんなにきれいなものではない。

 

  

フランスはルイジアナやカナダに勢力を持っており、

交易によってネイティブ・アメリカンと共存していたが

イギリス植民者は違う。

 

  

自ら開墾するつもりだから土地戦争については容赦ない。

フランスは、フレンチ・インディアン戦争などで

大いに敗れた。くやしい。

 

  

そこにアメリカ入植地がイギリス本国と戦う、という。

敵の敵は味方だ。

よっしゃー、いっとけワシントン。

という具合でフランスは財政面でも、海陸軍などにおいても

具体的な援助を実施。

 

 

 

 

 

 

ニューヨークには自由の女神がいる。

新大阪にも天王寺にも自由の女神がいて、

日本中にフェイクの女神が建っているんだと思うが

ニューヨークのほうは 

フランス人が、独立100周年を祝って寄贈した。

 

 

フランスが、アメリカ独立戦争を支援した規模は

結構半端ではなくて

国家収入が5億ルーブルだった時代に

13億ルーブルを支出した。

  

 

 

 

当然国家は立ちゆかない。

 

 

 

 

フランス革命後の220年間、

フランスとアメリカが常に仲良しだったか、というと

そうでもないのだが、現在でも

アメリカ人は女神像がフランスとの友情の印

だということを知っている。

 

 

国家を傾けてまでやった、アメリカへの支援は

長い目で見れば、大成功の投資だった。

 

 

 

しかし国は傾いた。 

 

 

 

嫁さんが毎週3着のドレスをしつらえ、

毎日薔薇を浮かべた風呂に入ってるんだから

『ええかげんにせえよ、マリー。』とかいえば

よさそうなものなのにそれもしない。

 

 

政府による財政改革に失敗したルイ16世は

増税を考えた。

これもどこかの国で聞いたような話である。

 

 

身内に甘い奴がどうするか、というと

外側にいる奴から搾取する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

国民は、当時、坊主(第1身分)、貴族(第2身分)、

それ以外(第3身分)に別れていた。

 

すでに第3身分には精一杯に税金がかかっている。

ちょっとほかの身分にも負担してもらおうか、

ということで、各身分から代表者を集めた

『三部会』というものを開く。

  

 

よくよく考えたら、こんなもの開かなかったら

王様の身分は安泰だったのだ。

3年半後にギロチンにかけられるなんて

この時は思ってもいなかっただろう。

 

しかしフランス、というかゲルマン国家では

『大事なことはみんなで話し合って決めよう。』

という伝統があったために、ルイもこれを無視できなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

議題の焦点は増税だ。

 

すでに第3身分にはこれ以上増税できないので

坊主と貴族に課税しようとする。

 

そうすると反対する奴がいる。

『増税の前にやることはあるはずだ。』という

奴らが騒ぎ出した。

   

さらにもめたのは議決方法。

第3身分は議員数でいうと

第1、第2身分の合計を上回るのだが

そもそも30倍近い『一票の格差』があり、

さらに坊主や貴族が『身分ごとに一票にしよう。』

といういじめをした。

 

 

 

 

 

議決方法でもめているんだから、あらゆる議題が進まない。

  

 

 

 

 

『増税反対』はまだいいとしても、社会に身分差別がある。

そして、『一票の格差』がはっきりと存在する。

まるで日本じゃないか?

 

 

 

 

 

 

 

フランス革命を主導した第3身分は

あらかじめ組織されていたわけではない。

 

革命の担い手は常に変遷し、

フランス革命後のこの国は

ブルジョア主導の第1共和制からジャコバンの恐怖政治

ナポレオンの帝政から、パリ・コンミューンまで

世界史の要素を

ぎゅっと詰め込んだような100年間を過ごす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まあ、日本でももうちょっと早く

政治が回ってくれてもいいと思うけど

その担い手は、あの人やあの人でいいんだろうか?

 

 

 

なんかちがうなー。

少なくともあいつじゃないよな。

あいつでもない。

 

うーん…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の二枚。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

意外に知らない、自由の女神の後ろ姿

0000ushiro_2

  

  

へー、

女神ってば、

お団子頭だったんだ。

 

っていうか

そのかんざしはなに?

 

 

 

 

 

 

 

大阪、新御堂筋から見える自由の女神。

Shinmikuni

  

 

パチンコ屋の看板 

 

   

やっぱり大阪じゃあ狭いなあ。

もうちょっと、前に海があるとか

見晴らしが良くないと…

 

 

 

 

 

といって淡路島の世界平和大観音みたいなのも困るが…

 

0000_awaji_kannnon

 

 

 

 

 

 

 

 

これはひどいよな…

  

 

 

 

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2012年7月11日 (水)

宇宙人の日

7月8日は『ロズウェル事件』の日。

(Wkipediaの記事へのリンク)











1947年のこの日、アメリカ南西部ニューメキシコ州

ロズウェル基地で宇宙船の残骸が見つかった。







 

1cb4570_1230985082125




















『RAAFがロズウェル基地に着陸する

空飛ぶ円盤を捕まえた。』んだって。

という、1947年7月8日の地元紙の表紙。







RAAFというのはアメリカ空軍でも海軍でもない。

陸軍でもない。あえて探せば

『オーストラリア空軍(Royal Austrarian air force)』あるいは

『イギリス陸軍航空隊(Royal army air force)』なのだが、

そんな事考える以前に

このニュースは嘘である。






だって、なんでニューメキシコに

オーストラリアやイギリスの空軍がいるんだ?



いたっていいけど、

こんなニュースがそこをソースにして流れてくるはずはない。
















この時墜落した『宇宙船』の中にいた、

とされる宇宙人。

1cb4570_1230987140794    

 

 

     

ヒト、かなあ?

 

 

 

 

 

このニュースが、いまリアルタイムで流れてきたら

100%信じないと思う。



















ロズウェル事件もそうだが、

ニューメキシコ州というのはUFOの特異点で

宇宙人まで見つかっている。

 

0000gray2   

 

 

 

    

おそらく世界一有名な

宇宙人の写真。

 

 

 

 

 

 

 

1950年に 西ドイツの『ノイエ・イルストリアリテ』という

イエローペーパーに掲載された

『捕らえられた宇宙人。』



何故西ドイツなのか?という時点で嘘で、

この写真自体はエイプリルフールの冗談記事。


発表直後に掲載誌がばらしているのだが

あまりのインパクトの強さに、

いまでもこの写真を本物だと思っている人がいる。















それ自体は悪いことだと思わない。

実際私はUFOとか

うさんくさい話が大好きだ。



これだけ宇宙が広いんだったら、

かならず人類以上の知性を持った生命体はいると思う。










でもこれじゃないよね。

0000gray2_2   

 

後ろのおばさんがすごい気になる。

宇宙人自体は合成写真です。







1950年代、というのはUFO目撃談が多い。

ロズウェル事件もそうだが冷戦の狭間で

まぬけな兵器が開発されていたことも確からしい。



ロズウェル事件に関してのアメリカ政府の公式コメントは

『ソ連の原爆実験を偵察する観測気球』だったのだ、

という。







まあ、日本の『風船爆弾』だって

実験中に捕獲されていたら、

『ジャップには神様が。』ということに

なっていたかも知れない。




1940年代のアメリカでは全翼機なんていう

不気味な形の飛行機が開発が進められていた。

 

0000yb35   

ノースロップYB-35

 

 

 

この型の飛行機は戦略爆撃機B-2として

ごく少数だが現役機なので知られてはいる。



しかし、1950年前後ならば『空飛ぶ円盤』型の

秘密兵器が開発されていたとしても

不思議ではない。









だから冷戦時代はUFO.あるいは宇宙人の目撃証言が多い。

そして、その映像は100%嘘だと思っていい。

やおいなんかが騒ぎ出したのは1970年代。

ヨーロッパよりも20年遅れている。

もうちょっと夢のある、宇宙人はいないもんかなあ。



















『ということでだな…』


『ろくでもないことですね?』 


『石原さんが「東京で尖閣を買う」といって

寄付金を集め出したらこんどは「国が買う」だって。』












『…あー良純か?あの島どう使ったらいいと思う?』



『父さん、そんなときはタウンページだよ。』



『なんのページを見るんだ?

音声認識の時代にこんな小さな字…』



『武装したければ、「地対艦ミサイル」の

項目を見てね。○○製のミサイルが載ってるよ?』




『いや、もうちょっと平和な手段で。』




『乗員消失、のページならマリーセレステ・ソサイテイ

キャトル・ミューテーションならこのページさ。』




『キャトル・ミューテーション?』




『牛の内臓を抜き出している、という事件が

最近頻発しているんだね。』




『それはお前、「生レバー」目当ての

日本の業者だっ。』

























では、『今日の一枚。』




















これは戦前の雑誌に載った宇宙人。

(有名な写真なのに初出がわかりません。)

0000mason_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     

写真の上にエッチングの絵を貼り付けているあたり

いま見るとかわいい嘘だが

初めて見た時は夢に見たよ?






だから、ワオキツネザルとか、

いまでも苦手だ。

 

00000wao  

   

わお

 

 

 

 

 

  

 

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2012年7月 9日 (月)

即決、「一票の格差」の解消法

『ということで、「一票の格差」の解消法だが。』

  

『こういう始まり方をする時は、

たいていろくでもな話ですよね。』

        

『馬鹿野郎っ。』

  

『ひっ。』

       

『いいか?この間の消費税増税法案での採決は

記名投票で、あの青票、白票を係の人に

手渡すやり方だっただろう。』

  

『…ええ。』

        

『でもな?あの投票の集計は別に

票の枚数を数えていたわけじゃない。』

  

『そうでしたっけ?』

        

『計量器、という機械で

木片で出来た票の重さを量って

それを票数に換算していただけだっ。』

  

『そういえば、演壇の上で、

おじさんとおばさんが票を受け取って機械に乗せてましたね』

        

『だからな?』

  

『あ、ろくでもないことだ。』

         

『あの木票の大きさを、

「1票の格差」に合わせて

削っちまえ。』

  

『はい?』

       

『田舎議員の票なんか半分以下に削っちまえっての。』

  

『うわあ…』

        

『だけどお前。定数是正が出来ないと解散も出来ない。

小沢一派が唯一たのんでいるのは、そこを見込んで

「しばらく総選挙はないから、影響力は維持できる。」

という憲政の常道にもとるキ○ガイの論理だけだっ。』

  

『まあ、1票の格差の是正がないと

解散なんか許さないですよね。』

         

『だから、「1票の価値に合わせて白票、青票を削る」。』

  

『でも、記名投票ばっかりじゃないですよ?』

        

『そうかい?』

  

『争点のない法案だと、

「起立多数。本案は原案通りに可決されました」

なんていうシーンを見た事がないですか?』

       

『だから、そういうのもみんな記名投票にする。』

  

『牛歩戦術やり放題じゃないですか?』

         

『それ以前に、何回も演壇に上がらせたら

死んじゃう議員がいそうだけどな。』

 

 

 

 

 

 

 

 

  

国後島を訪問した、

大統領にはなれない・どうせ俺は2位ポジションだよ

メドジェーエフが、日本の挑発的な言葉を連発。

(読売の記事へのリンク) 

        

 

1956年に合意された日ソ共同宣言において

同意されている『2党返還論』対してさえ、

島は返さねえよ、という生意気さ。

            

 

ふざけんな露助、

もう一度日本海で「TSUSIMA」の

屈辱を味あわせてやろうか?

 

 

 

 

   

 

『大体ロシアが国後島の開発なんかに

本腰を入れるはずはないよね。』

        

『エリツィン時代には日本領時代のインフラさえ

維持できなかったという体たらくだ。』

  

『港湾機能は60年前のままです。

道路網も60年前以下です。

今から15年前に、鈴木宗男がムネオハウスを作りました。』 

         

Dscf03701        

ムネオハウス

(と書いてあるわけではない)

 

  

 

「しかし、国後島でメドベージェフが思わず言ったように

「最近まで舗装道路さえなかった。」というのは事実だった。』

             

 

800pxfurukamappu        

国後島最大にして

唯一の都市。

古釜布の現況。

 

 

   

『腐った挙句に放射能をダダ漏れさせていた

原潜を処理させてあげたのは日本の援助なんだがなあ…』

  

『メドベージェフにしたって、日本人と喧嘩を売ってまで

極東に投資する気はありません。』

       

『そうかな。』

  

『天然ガスでも出れば別ですけどね。

国内しか向いていない政治家がいかに馬鹿かということです。』

            

 

『政治家が内向きになると恐しく

くだらない ということだよな』

 

 

『それ以前にこんなこと書いたら

おっかないですよ。』

  

『だだだ、大丈夫かなあ。』

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

『いやあ、もう。選挙区なんか無視して

1票の格差のない投票制度、というと

全国民の皆さんに選んでいただける。

全国全体比例区の実施しかないですよね?』

  

『なんだよ、それ。』

          

『選挙制度の根幹的な解決になるということです。』

 

『つまり全国区って事だな?』

  

『ええ、1947年から1980年まで参議院で行われてました、』

            

『金がかかる。タレント議員と労組しか出てこない。

この制度が機能しなかった反省から

比例区が出来たんだろう。』

  

『この当選メンバー、濃いっすよね。』

             

『参議院の全国区選挙ってのは12回しかないんだが

このメンバーを見たら、

いかにくだらない連中しか当選していないか

わかるだろう。』

  

『青島幸夫。藤原義江の奥さん、しかも、宮田輝まで。』

             

『だから参議院全国区ってのは

「人気投票」だったんだよ。』

  

『こいつら、ほとんど死んでませんか?』 

            

『ふっふっふっふっ。

現在も政治活動をしているのは江田五月と

石原・もう勃たねえよ・慎太郎。だけだ。』 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

『あ、先生ちょっと待ってください。』

  

『なんだね?「青票受取係」君。』

           

『先生の票。不自然に重いんですよね…』

  

『え゛?

いやいやいやいや、そんな事は…』

 

  

がりっ

 

  

『わあっ。なにすんだ。

神聖なる青票を奥歯でかむなんて。』

  

『おうおうおうおうっ。

てめえイカサマしてやがったな?』

  

『は、ははは。なにを言うんだ。そ、そんなこと…』

  

『ぬかしやがれべらぼうめ。』

   

『ひっ。』

             

『じゃあ、この青票の木片に仕込んだ

鉛の板はなんだってんでえっ。』

  

『くっ…』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の二枚。』

 

 

 

 

 

       

 

 

 

B03000008920     

 

      

 

1960年

『さいころ無宿』

 

なぜサイコロを

抱えてるんだろう。

 

 

 

 

    

実をいうと

賭場でさいころをガリッとかじり

『おうおうおうっ』って言う場面を捜したんだけど

意外なほどなかった。

 

 

 

 

 

0000usotsuki      

 

 

わかりやすい嘘つき、

というかここまで堂々としていると

むしろ、気持ちいい。

サルコジさんのかさ上げ台

 

 

 

 

 

  

 

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念のため追記:

 

青票、白票の『計量器』は、実際には重さを量ってはいません。

枚数を数えてるだけです。

でも、こういうふうにしてやればいいのに…

 

あ、そうか。

『格差』の分だけ、余計に枚数をあげて

『厚み』を変えればいいのか…

 

 

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2012年7月 8日 (日)

黒船の日

7月8日は黒船来航の日。

(Wikipediaの記事へのリンク)

 

 

 

 

 

 

 

1853年のこの日、アメリカが誇る最大の戦艦

サスケハナ号を含む4隻の黒船が浦賀沖に現れた。

 

 

ただし、蒸気船は2隻で、

しかも補給能力がなかったから戦闘航行以外は帆走する。

 

 

汽帆船、というやつだ。

 

200pxkurofune     

サスケハナ号

ちゃんとマストがあって帆がはれる 

 

 

 

 

そうは言っても世界最大の蒸気船で

木造だったが、黒く塗装した鉄板を貼っていた。

 

 

 

戦闘艦も2隻だけで随伴艦は

木造、帆走の小型船だったのだが

こちらも黒く塗装されていたために、

4隻とも『黒船』と呼ばれている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

率いていたのがこのおっさんである。

  

200pxmatthew_calbraith_perry_2   

 

 

ペリーじゃ 

 

 

  

なんでこんなに偉そうな顔つきなんだろう、と思う。

 

ちなみに、

いやに黒々として不自然な髪の毛だな

と思ったあなたは正しくて、

これはカツラだそうです。

 

 

 

 

 

  

 

ペリーが日本に来た理由について

Wikipediaなんかではアメリカの東洋進出のため

と書いているが、

もっと大きな理由は

捕鯨船の保護と補給港の確保。

  

『白鯨』なんかを読むとわかるが、

19世紀のアメリカは世界最大の捕鯨国だった。  






しかも肉を竜田揚げにして食うわけではなく、

文楽の人形のためにひげや骨まで使う日本人とも違って

脂を取るだけ。

 

石油ランプが一般化するまで

これがアメリカの夜を照らしていた。

  

だから『白鯨』に出てくるのはシロナガスクジラではなく

頭にたっぷり脂を貯めたマッコウクジラだったわけです。
   

 

そんな連中に

『日本人、鯨を食べて残酷ねー』

とか言われても片腹が痛いぜ。



 

 

 

 

 

 

 

実際19世紀半ばでは、アメリカは太平洋に

捕鯨船以外の利害関係を持っていないのだ。

  

カリフォルニアが州に昇格したのがペリー来航の3年前。

ハワイはまだ独立国でアメリカ領になるのは40年後。

米西戦争でグアムとフィリピンを手に入れるのは46年後だ。

 

アメリカ大陸横断鉄道パナマ運河

パナマ地峡横断鉄道さえまだなく、

東部の人間がカリフォルニアにやってくるには

大草原の小さな家よろしく、馬車で来るしかなかった。

  

実際、直後に起こった南北戦争のおかげで

アメリカは日本のことなんかどうでもいいや、という時代が続く。

 

 

 

 

 

 

もっともペリーは、浦賀に来る前に小笠原諸島に立ち寄って

ここがアメリカ領であるとの宣言をしている。

  

英語でこの島を「ボニン・アイランズ」というが

これはペリーよりも50年くらい前に来たイギリス人が

日本人漁夫に『この島はなんだ。』と聞いたら

『無人(ぶにん)の島じゃ。』と答えたからだ、

という話をなんかで読んだな。
     

 

なんだか

『この動物はなんだ?』と訊かれて

『知らねえよ』と答えられたので名前がつけられた

『カンガルー』みたいである。 
    

 

  

嫌われてたんだなあ、ヨーロッパ人。

 

  

しかし、『無人島らしいぞ。』という話が伝わると、

一部のアメリカ人が移住し始めた。

ペリーの『領有化宣言』はその延長にある。




 

 

 

しかしこのことは日本を刺激した。

幕府が測量隊を送ったりした。

  

アメリカも、この島を維持する意思はなかったらしくて

明治になって日本政府があらためて領有を宣言すると

割とあっさり引き下がっている。
    

 

明治9年(1876年)の時点ではまだハワイもグアムも

アメリカ領ではなかったから維持する能力もなかった。

 



 

 

  

しかし、あの時アメリカに占領されていたら…

と思うと慄然とする。

 

 

あの島もあの島も、主張し続けないと

いずれなくなってしまうのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それはともかくペリーである。

 

 

幕府は迷った。

  

アヘン戦争で、清があっさり負けたことは知っていたし

オランダ商館を通じて

『近々、ペルリなるおっさんが来るらしい。』

ということも知っていた。
    

 

その一方、

『今まで、ロシアとかイギリスとかいろいろ来たけど

四の五の言って交渉を長引かせたら帰ったじゃん。』

と甘く考えてもいた。
    

 

ロシアのレザノフに冷たくしたおかげで

北海道にロシア兵が上陸した露寇事件があったりして

北日本中の大名に動員をかけているのだが

喉元すぎれば、だったのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

だから、ペリーが浦賀に現れた事自体には驚かなかった。

しかし、このおっさんの態度が強硬なことには驚いたらしい。

  

『我が国の窓口は長崎だ。そっちに行ってくれ。』

『いま、将軍が病気で大変なんだ。』

  

といっても聞いてくれない。

しまいには、

 

『欧米人は、椅子に座って、

テーブルで話をするそうじゃないか。

オランダ人は靴を脱いで畳に座ってくれるが

君たちはそれができるのか?』とまで言う。

  

アヘン戦争は、清の皇帝がイギリスの公使に

中国式の拝礼を強制しようとしたことも原因の一つだ

ということを知らなかったはずはないのだが・・・

 

 

 

 

 

 

 

アメリカ側が、

『そんな屈辱は受けられない。

ここに来る前に立ち寄った琉球では

仲間由紀恵がびっくりしてたけど

ちゃんとテーブルがあったぞ。』というと。

  

『浦賀にはテーブルはないんだ』と

子供の言い訳のようなことまで言い出す。

 

 

 

 

 

 

  

 

しかしここまでの交渉は、ペリーの方が上手で、

彼は、日本派遣が決まると半年かけて日本を研究した。

 

 

その結論が

『ジャップは脅かすに限る。』

  

わざわざ喜望峰周りで

アメリカ最大の戦艦を送り込んだのもそのため。

奉行所の下っ端がやってきても、

相手にしなかったのもそう。

 

 

 

  

『しょうがねえなあ。』ということで日本側は

禅寺から中国風のテーブルと椅子、

そしてカーペットを借りてきて奉行所においた。

  

中国人は椅子に座るのだ。

琉球の王宮には中国の使節がくるから

あそこでは「テーブル問題」が起きなかったわけである。

 

 

臨時にしつらえられた応接所で

浦賀奉行に国書を手渡したぺりーが

『なんだよテーブルあるじゃん。』

と言ったかどうかは伝わっていない。



 

 

 

  

ただし、日本において、

玄関の式台というのはとても格式があるものであった。

  

式台、というのは玄関の上がり框の前にある

台のような石。(すげえアバウトな説明。)

 

 

ここに上がれるのは主人が許した賓客だけ。

京都御所では、沓が式台に当たっただけで

公卿とはいえ閉門を食らったものである。

  

しかしペリーは

式台から靴のまま座敷に上がって

そのまま帰っていった。

  

浦賀奉行以下の日本側も

羽織袴で椅子に座って応対した。

 

 

 

 

  

この滑稽で屈辱的な会談が、

日米交渉の第一回目だったのだ。

 

暗示的ですね。

 

 

 

 

 

 

 

合衆国水師提督口上書

800px_prli   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ペルリ提督の年齢が49になっているあたり年譜と合わないし、

容貌や服装なんかは、相当に誇張がある。 

しかし、それほど嘘を描いているようにも思えない。

 

 

  

だけど、 

変な椅子だなあ。

 

 

 

 

こんなしいたけの裏側みたいな椅子しかなかったのか?








 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

では、『今日の玉楠』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ペリー日本上陸を描いたハイネの絵。

300px1853yokohama_01_2   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私も勘違いしていたのだが、

この絵は1回目の来航の時の、久里浜上陸のものではなく

2度目にやってきた際の横浜上陸の時のもの。

 

黒船の数が違う。


 

 

  

で、画面右側にくろぐろと大きな樹があるが

この樹は現在もある。 

Tamakusuphoto01    

 

 

 

 

 

 

大桟橋の向かい側にある『横浜開港記念館』の中にあって

『たまくすの木(タブノキの美称)』だそうな。

  

ハイネの絵では幹立ちみたいだが株立になってるぞ

というのはこの樹が、開港直後と関東大震災後の火災で

2回焼けているから。
    

 

旧イギリス公使館の建て替えとともに移植されたが、

ほぼペリー上陸当時の場所

なのだという。


 

  

へー。

 

 

 

この樹の下で、フロックコートに右手を突っ込んだ

『ペリーポーズ』で記念撮影している奴は、

・・・いないだろうな・・・

 

 

 

 

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おまけ。

 

 

 

ペルリ水師提督の全身写真。

Main_200    

 

 

ぼ、ぼくは、 

フロックコートに右手なんか

突っ込んでいないんだな?

 

 

 

 

 

1年後の再掲、お楽しみいただきましたでしょうか。

大丈夫、夜には新編をだすから。

 

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2012年7月 6日 (金)

パンダの赤ちゃんの名前は絆絆(バンバン)

上野動物園のパンダが出産。

(読売の記事へのリンク)














 

『随分温度の低い紹介の仕方ですね。』

 

『だって興味ないもん。』

 

『またそういうへそ曲がりなことを言う…』

『こいつら、あれだろ?

去年日本中が地震で苦しんでいる時に

子作りしてたやつらだろ?』

 

『別にいつSEXしたって、いいじゃないですか。』

 

『しょうがねえな畜生は。』

 

『どうしてこう、野放図に敵を作っていくのかなあ。』






















 

『するてえと何かい?

こいつらの名前は震災にちなんで

「絆」とかいうのかい?』

 

『そうやって、日本中の「きずな」ちゃんを敵にするなってば。』

 

『だけどそうじゃねえか。

10年後にガールズバーで働こうとするときも

年齢詐称はできないんだぞ?』

 

『パンダの赤ちゃんってのは

音読みの漢字を重ねた中国風の名前にする、

っていうルールがありますけどね。』


 

『じゃあ、絆絆。』

 

『なんて訓むんですか?』

 

『バンバン』

 

『絆ってバンって訓むんだ…』

 

『絆創膏の「バン」さ。』

 

『そう訊くとありがたみが減りますね。』

 

『だから、バンバン』


『いちご白書をもう一度?』

 

『就職が決まって髪を切った時』


『もうだいぶ来てますね。と

床屋に鼻で笑われたよ?』










『絆っていう漢字はもう手垢がついてますよねえ。』

 

『じゃあよく似た漢字で「紐紐」。』

 

『なんて訓むんです?』

 

『チュウチュウ』

 

『チュウチュチュ?』

 

『夏の、お嬢さん…』

 

『ビキニ環礁って素敵よ。』

 

『刺激的ねー。』 

 

『くらくらしちゃーうー。』

 

『…あの、この危険な与太話は

どこで止めたらいいんでしょう。』


 

『チュウチュチュッ』












『石原さんは、「センセン」と「カクカク」にするとか

言ってましたが。』

 

『あいつも言葉のセンスねえなー』

 

『知事っ。上野動物園の「ホッキョクグマとアザラシの海」で

赤ちゃんしろくまが2頭生まれましたっ。』

 

『よしっ。そいつらの名前は

「クナクナ」と「シリシリ」だっ。』










『しかし、「絆絆」は

案外採用されちゃうような気がするんですよね。』

 

『もういい加減、そのへんの発想から離れても

いいと思うんだけど。』

 

『でも被災地の人はそう思ってないですよ?』

 

『そうかなあ。』

 

『そうですか?』

 

『頑張ろうKOBEなんてのは、

ルミナリエと1.17の時に聞くくらいでちょうどいいぜ?』









『それにしても訓みが、バンバンですから。』

 

『ああ、そこは弱点だねえ…』















 

では、『今日の二枚。』









おとなたちの騒ぎなんて知らないわ

0000shirokuma














ねえ

000000





















おまけ










いちご白書をもう一度







夏のお嬢さん





なんて懐かしい。




 

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2012年7月 5日 (木)

ロリコンの日

7月4日は『不思議の国のアリス』の出版の日。

(Wikipediaの記事へのリンク。)



1865年のこの日、ルイス・キャロルという人物が書いた

この本が出版された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「不思議の国のアリス」という物語は

懐中時計を見ながら、『遅れちゃう。遅れちゃう』と

走っていたうさぎを追いかけて井戸の底に飛び込んでいった

アリスが体験した不思議な話。

 

 

 

 

 

 

知らない人についてくんじゃないっ


 

 

 

 

 

で、 

 

 

 

井戸に落ちていくところの

スローモーションのような描写から、

体が大きくなったり小さくなったり鍵が合わなくて迷ったり、

お茶会をしていると枝の上で猫が笑っていたり

くるくるとした場面転換のおかげで

子供にも飽きさせない。

 

 

というか、この物語は、ひとりの少女のために書かれた。

 

 

 

 

このアリスというのは実在の少女である。

というのは有名な話。

Alice_liddell



実在のアリス。

Alice Liddell

1852-1932

これは7歳の時








随分上品な服装の女の子だな、というのは正しくて

この子はとんでもない上流階級の人間だ。


学生時代、ビクトリア女王の4男

レオポルドと交際して、結婚直前まで行った。

















それと、物語との関係があるのか?というと

この娘の家庭教師がルイス・キャロルだったのだ。





ルイス・キャロルという名前はペンネームで

本名はチャールズ・ドジスンという。


王子様とロマンスに落ちちゃうようなアリスの

家庭教師を任される人物だから

優秀であることはもちろん

志操堅固であることは当然であった。




しかし、こいつはロリコンだった。



冒頭のアリスの写真もこいつが撮った。


1850年代というと、

日本人は『写真で魂が抜かれる。』と

ビビっていた時代である。


写真一枚がとんでもなく高価で、

そもそも、今以上に撮影や現像やプリントに

専門技術が必要だった時代だ。



それをこいつはアリスと、その姉妹だけで数百枚、

ほかの少女を含めると数千枚の写真を撮った。







Wikipediaにはあれこれ言い訳が書いてあるが

要するに変態である。

 

250pxalice_liddell_2



アリスに植民地現地人風の

装束をさせたコスプレ写真。  

乳首が見えててキュート







アリスとその姉妹たちとボートで過ごした数時間のあいだの

与太話は、特にアリスのお気に入りとなって、

せがまれるがままにドジスンくんは自ら物語を筆写して製本し、

彼女に、クリスマスプレゼント、として手渡す。






うわあ、気持ち悪い。





手作りの本を送るやつなんて、今日はもちろん

19世紀でも相当に重たいぞ?






もちろんドジスンくんは大人であり、

ジュヴナイル小説で身を立てようとしていたから、

10歳のガキに渡したところで

どうにもならないことは百も承知で、

同じ原稿をロンドンの出版社に送っていた。



従って出版されて、今日我々でも読むことができる。

実際、夢を筆記したかのように

場面転換のタイミングなどは絶妙で、大ヒットした。






ただし、日本人には読みにくい。


この本の原本は割と手軽にいまでも読めるのだが

英語の早口言葉や故事成句、古典文学や絵画

当時の風俗についての知識がないとよくわからない、

んだそうです。


『お前の英語力が足りないからだ、』

と言われたらその通りなんだけど、

今の英語圏の人でも注釈なしに読めるかしら。


小学生くらいの時、初めてこれを読んで

当然翻訳版なのだが、本文よりも分厚く

注釈がついているので驚いた。










ドジスン改めルイス・キャロルくんは

人気作家となって、第2作として

『鏡の国のアリス』を出版する。


ただし、同じアリスでも『不思議…』のほうの

アリス・リデルは既に20になっていたので

このロリコン野郎は別のアリスを見つけて

その娘にこの物語を捧げている。


(比喩ではなく本当にアリス、という名前の少女だったので

こいつは、中身よりも名前が好きだったのかもしれない。)

 

220pxcameron_pomona_1872



20代のリデルさん

なによ、

あたしを忘れたってのね?













『鏡の国…』のほうは、

『不思議の国…』より以上に読みにくい。


そう思ったのは私だけではなかったらしくて、

この人は、この2冊の『アリス』以外は

ほとんど作品を発表していない。


この人は66歳で亡くなっているのだが

『鏡の国…』の出版が40歳の時で

『不思議の国…』の方は32歳なので

うわあ、変態。











ううむ。筆名を上げるためには

変態にもならねばならぬか…

 

Imagesca5orszx




本当だからねっ 








うん、変態になっても名前が上がるかどうかは

別問題だよな。

 

この写真を見てると、そう思う。

 

 

 

 

いや、変態はいいんだ。

変態を責めてるわけじゃないんだ。

 

 

ただ、この天は二物を与えず、というか

一物二価というか、


























では、『今日の二枚。』

 

 

 

 

 

 

 

先生が優しく教えてくれたので

20101006013744075_2



小学校で

姫はじめって













チェシャ猫

2012y07m04d_200742128_2



とっとろ

とっとーろー













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2012年7月 4日 (水)

ミニョネット号の日。

7月5日は『ミニョネット号難破』の日。

1884年のこの日、イギリスのヨット、ミニョネット号が遭難した。

(Wikipediaの記事へのリンク)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ミニョネット号事件、って

「声に出して読みたい日本語」ですよね。』

      

『日本語じゃないけどな。』

    

『で、なんでしたっけ。』

  

『緊急避難っていう法律の概念で引き合いに出される。』

 

『だから何よ。』

  

『「ファイト一発」と差し出す右手のたなごころ

そいつに全力でしがみついてきやがる君。

だけど左手でつかむ岩肌が割れ始めてるんで

右手放していいですか?』

  

『…あんまり一般性のない話ですね。』

     

『そんな状況の時には

右手放して助かっちゃえ」というのが、

緊急避難

 

『あの、法律の専門家から怒られると思いますよ?』

    

『そうかな?』 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      

『しかし、カルネアデスの板、とか

そういうことを言うんなら、

蜘蛛の糸を垂らしてもらったカンダタが

したから昇ってくる奴に

「おいっ、登ってくるな。」と叫んだのは

正当な行為じゃないんですか?』 

 

 

『アホか?』 

     

「そうですか?』

    

『日本人の感性としてはあれは許せないよ。

龍之介の幻想さ。』

  

『彼本人もわかっていて書いた形跡がありますが…』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『で、結局イギリス船籍のミニョネット号は、

イギリスからオーストラリアに向けて航行していたが、

1884年7月5日に喜望峰から1600マイル離れた公海上で

船長1人、船員2人、給仕の少年を含む

4人の乗組員が難破し、救命艇で脱出した。』

 

『船長一人と、船員2人と給仕ならそれで4人ですよね。』

 

 

『だだだ、誰か乗ってたんじゃなかなあ。』

  

『そんな事はないでしょう。』

     

『しかし救命艇には水や食料がほとんど積まれておらず、

カブの缶詰2個と漂流5日目に捕まえたウミガメ以外には

雨水しかなく、それも漂流18日目には完全に底をついた』

  

『…海亀…』

       

『19日目、船長は、くじ引きで仲間のために

その身を捧げるものを決めようとしたが、

船員の1人が反対した為、

くじ引きは実行されなかった。』

  

『身を捧げるって?』

     

『20日目に船員の中で家族もなく年少者であった

給仕のリチャード・パーカー(17歳)が

海水を飲んで衰弱したため、他の船長に殺害され、

その死体を残った3人の食料にしたというものである』と

  

『うわあ…』

     

『合コンで、「ちょっと気の利いた話」として出てくる

海亀のスープ」はこのエピソードが元なんだね。』

  

『ああ、あれ…』

     

『それはともかく、船員たちは瀕死とはいえまだ生きている

少年を殺して喰った、という事で起訴された。』

  

『黙ってりゃばれなかったのに…』

  

『良心に耐えられなかったらしい。』

  

『「緊急避難」の概念は認められなかったんですか?』

     

『さすがにまだ、「ファイト一発。」な状況じゃ

ないと思われなかったという事だ。

全員有罪になって、

死刑判決を食らってる。』

  

『え?殺されたんですか?』

     

『減刑されて、事実上無罪放免になった。

日本人は、カンダタが蜘蛛の糸から堕ちていくのを

当然のように思うんだけど、外人はそうは思わない。』

  

『はあ…』

    

「ただし、生き残った船員のうち一人は自殺している。』

  

『……なんか笑えないですね。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

『…ただいまお送りした曲は亀井静香先生で

「MajiでKoizumiぶっ飛ばす」でした。

続いて、政治生活43年、思いを込めて歌い上げます。

小沢一郎さん。「大スキ!」。』

 

 

『とぉっても、とぉってもとぉってぇも、だあいすきよおー。

ダブさんお金貸してー』

  

『ダブさん?』

『ほら、あのお母さんから何十億貰える兄弟。』

     

『絶対絶対絶対絶対、返せないけどー

ここが討ち入り、四十七士ぃ、いぃー』

  

『せ、先生っ。』

     

『馬鹿もんっ。デナーショーの最中に何事だっ。』

  

『脱落者が続出して、

ついに造反組が

47人を切りましたっ。』

  

『なにっ?われわれこそが「主流派」だぞっ。

「国難からの緊急避難」として

俺たちが、あいつらを切り離したんだっ。』

  

『いや、もう国民、誰も

そう思ってないですから…』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の一枚。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1972年に起こった、

ウルグアイ空軍機571便遭難事故

乗員乗客29名が死亡。

 

生き残った16人の乗客は

『聖餐』と称して死人の肉を食った。

 

 

さすがに抵抗する人もいたのだが

主導したのがこいつ。 

 

250pxviven5

 

遭難事故から救出されて

ヒーロー気取りの

ナンド・パラード(上)

下の二人が

しかられてるみたいなのが

なによりも雄弁に

力関係を現している。

 

 

 

 

 

この佐川一政は、帰国してからきゃーきゃー騒がれたために

勘違いして、F1ドライバーになりたいとか言いだして、

いまでもウルグアイでは有名なタレントなんだそうです。

 

 

 

 

瀕死になったら喰ってもいいんだな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

モンティ・パイソン

『救命ボートの日。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2012年7月 3日 (火)

合法生レバー・ラプソディ

『…ということで7月1日から生レバーはご禁制になった。』

 

『ええ…』

 

『生レバーを出す店は懲役刑だっ。』

 

『韓国にいけば、いまでも合法ですよ?』

 

『……』

 

『……』

  

『そういうことを言われると、

ここから先の話がやりにくいんだが。』

 

『関空からソウルまで1時間でっせ。』

 

『でな?なんで生レバーがいけないんだ?』

 

『あ、無視した。』

 

『ウィルスだけなら、冷凍して殺せばいいんだよ。

サーモンみたいにルイベにすればいいんだ。』

 

『食中毒があるからでしょう。

病原性大腸菌O-157が出すベロ毒素が原因ですな。』

 

『で、毒素が出ていたら

O-157を殺しても中毒は防げない、と。』

 

『そこでですね…』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『では、「終局のメニュー」側から発表していただきましょう。』

 

『われわれが用意したメニューはこれですっ。』

 

『山岡くんっ。これは生レバーじゃないか。』  

 

『ええ、私たちは、レバーは生でこそ終局だ、

という結論に達しました。

しかし食中毒を起こしてはなんにもならない。』

 

『そうだぞ。いまはご禁制の品だっ。』

 

『ですから、安全のために

徹底的な事前の検査を行いました。

ご協力いただいた、

T大の山田先生にご説明していただきます。』

  

 

 

 

 

 

『あ、どうもね。お久しぶりです。

まずわれわれはね、検体になるレバーを薄くスライスしてね

顕微鏡でO-157の有無を確認しました。』

 

『いや、顕微鏡じゃ見えないでしょ?』

 

『しかし気合いでみればなんとなくわかります。

私は500gの生レバーのために

1000枚の検体を検査しました。

これで検出されなければ、

確率的にも感染の危険は非常に低いと…』

 

『…うーん』 

『力ずくの検証法はともかく、疫学的手法、

という意味では評価できるよな…』

『…そうか?…』 

 

 

 

 

 

  

『うわははははは。』

 

『あ、貴様は海原ユー山。』

 

『いかに検査しても病原菌の危険を完全に排除できないのなら

そんなものは論外だっ。

貴様は「食」においてもっとも大事な「安全」を

ないがしろにしているっ。』

 

『くそっ。自分だって、最初の頃の巻では

「生の脳みそ」とか、マンソン条虫がいそうな危険なものを

客に喰わせていたじゃないかっ。』

 

 

 

0000manson

  

爬虫類経由で、哺乳類にも寄生します。

これは成虫。

    

 

 

 

『とにかくっ。』

 

『…ひっ。』

 

『ここにわしが用意した生レバーがある。』

 

『…食べていいのか?……』

 

『……』

 

『おいっ。ユー山っ。これは「安全」なのかっ?』

 

『そういう質問には答えられないなあ。

7月1にから禁止されたのは「他人への提供」だ。

自己責任で喰うなら違法じゃないんだなあ。』

 

『く、くそっ。卑怯な理屈をっ。』

 

『おおう。これはうまい。

厚めにスライスしたレバーに

軽く塩をしてごま油とレモンをつける。

そうして口に放り込むと、わずかな生臭さが

レモンと油で消されて、なにより

このねっとりとした舌触りが…至高…』

 

『くそっ。俺も喰うぞっ。』

 

『山岡さん。新聞社の人がそんなことしちゃ駄目です。』

 

『おおう、うまい。』

 

『え?そう?』

 

『いやあ、うまい。うまいですなあ。』

 

『副部長っ。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『はい、田中さん。今日で血清の接種は3回目だったね。』

 

『ええ、やっと…』

 

『じゃあ、これが「ベロ毒素血清注射済証」。』

 

『じゃ、じゃあこれで私も生レバーが食べられるんですねっ?』

 

『あー、はいはい。そうですよ。』

 

『良かった…

たかが生レバーを食うために3000円の注射を3回も…』

 

生レバーが感染するO-157の

血清療法が確立されたからねえ。』

 

『血清療法?』

 

『北里柴三郎が確立した、伝染病の治療法の一つだ。

ベロ毒素に関しては適用が難しかったが…』

 

『あの、それで、生レバーは?』

 

『ああ、ウン。特別に許可されたスピーク・イージーで

さっきの検査済証を出し、合い言葉を言ってくれ。』

 

『合い言葉?』

 

『むこうが、「なま」というから、

それに対して「レバー」と……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ではっ。本日ご紹介する商品はこちら。』

 

『おやおやあ?これは生レバーじゃないんですかあ?

以前は冷凍でしたけれどもぉ。』

 

『本日ご紹介する商品は、なんと

「清浄生レバー・ニュー勘坂君」

なんですね。』

 

『は?』

 

『いい加減この名前使うのやめないと可哀想かな?』

 

『わけがわからない人は、「食中毒 勘坂」で

検索チェケラウトだぜっ。』

 

『…えーと…』

 

『…失礼しました…』

 

『ふぐには毒がありますね?』

 

『はい。』

 

『で、このテトロトドキシンというふぐ毒

ふぐのえさであるプランクトンなんかに含まれる毒素が

生物濃縮されて猛毒になるんです。』

 

『ははあ。』

 

『だから、えさも海水も

そういった毒素を含まないものにすれば

ふぐも毒を持たない。

法律のおかげで流通こそしてはいないが

すでに無毒のふぐ胆なんてのがあるんですね。』

 

『まさか、牛の無菌飼育をやるわけじゃないでしょうね?』

 

『さすがにでかすぎるから、それはやりません。

でも、肝臓っていうのは

再生能力の強い臓器です。』

 

『再生能力?』

 

『手術で半分に切っても復活する。

体を半分に切っても再生するプラナリアみたいなもんです』

 

『それじゃあ、これは?』

 

『無毒の培養液の中で肝臓だけ育てたんですね。』

 

『培養液?』

 

『みてみますか?ブラックジャックで、

切れ端だったピノコが浸かっていたのがこの液体さっ。』

 

『うげえええええええ。』

  

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の三枚。』

 

 

 

 

 

 

敢えて7月3日に載せる、『うまそうな生レバー』

 

0000leba2_2

 

どん

 

 

 

 

0000leba1

  

 

どどん

 

 

 

0000leba3

  

 

どどどん

 

 

 

 

あ、ちくしょう。

喰いたくなってきた。

   

 

 

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2012年7月 1日 (日)

ガバメントオブザピーポーピーポーピーポー

7月1日は、ゲティスバーグの戦いの日。

(Wikipediaの記事へのリンク)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

南北戦争における決戦の一つである。

 

南北戦争自体が日本人には

どうもよくわかりかねるところがあるのだが

南北あわせて戦死者60万人、というのは今日に至るまで、

『アメリカ人が最大に血を流した戦争』である。

 

 

 

 

 

  

で、ここの戦闘自体も有名だけれど、それ以外にも

『なんか聞いたことあるなー』と思うのは、

当時の大統領、リンカーンがこの戦いの後に

この場所であまりにも有名な演説をしたからだ。

 

 

 

『人民の、人民による、人民のための政府』

 

 

  

というあれ。

 

ただし演説自体は戦闘終了から4ヶ月以上経った

戦没者慰霊のための式典でおこなわれた。 

 

 

 

 

有名すぎて、原文全部を読んだことがなかったので

引用してみましょう。

 

 

 

 

 

 

Four score and seven years ago

1776年の独立宣言からゲティスバーグの1863年まで107年。

our fathers brought forth on this continent, a new nation,

conceived in Liberty, and dedicated to the proposition

that all men are created equal.

(神様は人間を平等に創った。)

  

Now we are engaged in a great civil war,

testing whether that nation, or

any nation so conceived and so dedicated, can long endure.

(俺たちいま、南北戦争やってるけどがんばろうね。)

  

We are met on a great battle-field of that war.

We have come to dedicate a portion of that field,

as a final resting place for those who here gave their lives

that that nation might live.

It is altogether fitting and proper that we should do this.

(いまは激戦だけどそこが安息の地になるってば。)

 

But, in a larger sense, we can not dedicate

-- we can not consecrate-- we can not hallow -- this ground.

The brave men, living and dead, who struggled here,

have consecrated it,

far above our poor power to add or detract.

(ーー戦死者への追悼ーー)

  

The world will little note, nor long remember what we say here,

but it can never forget what they did here.

(おれたちゃあ、忘れないよ?) 

  

It is for us the living, rather, to be dedicated here

to the unfinished work

which they who fought here have thus far so nobly advanced.

(死んだ奴らのためにもがんばろうじゃねえか。)

  

It is rather for us to be here dedicated to the great task

remaining before us

-- that from these honored dead

we take increased devotion to that cause

for which they gave the last full measure of devotion

(俺たちには死んだ奴らのためにも使命があるんだよ。)

  

-- that we here highly resolve

that these dead shall not have died in vain --

that this nation, under God, shall have a new birth of freedom

-- and that government of the people,

by the people, for the people, shall not perish from the earth.

(その使命ってのは、すなわち

人民による、人民のための、人民による政府 でありますぞ。)

 

 

  

(翻訳文責:筆者)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、

  

 

なんで翻訳がこんなに短くなるのかということはともかく

これで全文なので、しゃべってもたったの3分だ。

  

あんまり短くて、演説中のリンカーンの写真はない。

そして、英語のほうは原文そのままで編集などしていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガキの頃、南北戦争は

奴隷制度をめぐっての戦いと教わった。

  

『奴隷制を主張する南部連合と、奴隷解放を主張する

北部の戦いだった。』という風に。

 

 

 

  

もっと言うと、北部超いい奴、

南部すごい悪い人

リンカーンは奴隷の解放者、と

ジャップの学校では教えていたのだよ。

  

引用したゲティスバーグ演説で、

敢えて奴隷制に触れている箇所というのは最初の段落の

『all men are created equal.』という部分だろう。

 

実はこの台詞は後で述べる理由で

アメリカ人にはとても有名なのだが

日本人にはよくわからないと思う。

 

 

 

 

 

奴隷制は人道の敵。

繰り返しになるが、奴隷の自由を支持した北部と、

奴隷解放を宣言したリンカーンは素晴らしい、ということを

なんとなく戦後世代の私でさえ教わってきた。

 

  

『ピーポーピーポーピーポー』の

この演説も、そういう文脈の中で、

リンカーン・ナイス、というかたちで

語られることが多い。

 

 

 

 

 

  

しかしそうか?というのが

例によって

へそ曲がりなこの日記だもん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

実際、リンカーンというおっさんは

とんでもなく喰えない奴なのである。

  

もっと言えばしたたかなのだ、

 

 

 

 

 

  

北部が奴隷廃止を訴えたのは

工業化が進んでいた北部では

奴隷などいらなかった

という風に教わったのだが。18世紀頃のアメリカは

いまのような巨大な経済力を持っていたわけではない。

  

むしろ、独立戦争でイギリスと喧嘩し、直後の

ナポレオン戦争でヨーロッパとの交易が止まり、

さらに中南米で独立戦争が頻発して

ヨーロッパの介入が現実の危機になった。

 

当時のアメリカに

いまのような圧倒的な軍事力はなく、いじけたアメリカは

世界から引きこもる。

  

 

『アメリカ大陸のことに口出さないでよ。

そのかわり、

ヨーロッパにも文句言わないんだから』

 

  

これがモンロー主義、という奴で、

真珠湾攻撃の時代まで生き残る。

  

余談だが、ヨーロッパと交流できなくなったアメリカは

ペリーを日本に送る。 

 

私も勘違いしていたのだが、

『アメリカが日本に黒船を送った。』というと

太平洋を押し渡ってきたのかと思ったのだが

パナマ運河がなかった時代、

アメリカが最新鋭戦艦を極東に送る方法は

大西洋を渡って喜望峰を越え、中国を経由するしかない。

西回りなわけです。

  

日本人はモンロー主義が対象とする

文明人ではなかったわけだ。

  

余談でした。

 

 

 

 

 

 

 

19世紀に入ってもインディアン戦争で、

もう一度イギリスと喧嘩した。

ヨーロッパからの物産が入ってこなくなったアメリカでは

国内の工業の振興が急務になった。

工業化しようと思ったら石炭と水運が使えて

何より資本が集積していた北部しかない。

 

  

この時邪魔になったのが奴隷制だ。

奴隷というのは私有財産である。

  

北部の工場主が新しい工場を造って

労働者を増やしたいな、と思った時、

黒人ならば賃金など鼻くそでいい。

実際鼻くそ以下の給料しか払わなかった。 

 

しかし、奴隷が私有制だと、移籍に金がかかる。

工場というのは半端じゃない数の人間が必要なのだが

移籍料が必要なら大変困ってしまう。 

 

だから、北部は奴隷制度を廃止して

『自由州』というかっこいい名前を名乗った。

しかし、実際に欲しいのは

労働力としての黒人だ。

  

黒人を自由にしたところで

購買層になれるはずはないんだから

『解放』とか『自由』というのは欺瞞だったわけです。

 

 

  

欲しいのは単に、『手』。

 

 

  

それをアメリカ人が否定するならいい度胸だ。

摂津本山の駅前にトマホーク持って来やがれ。

 

全力で逃げてやる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いやいやそうじゃないんだ。

奴隷制度廃止にはアメリカの博愛がある。

アメリカではキリスト教的な理想主義があったからだ。

という人がいる。

 

  

確かに、禁酒運動なんかをみるとアメリカには

しゃれのわからない教条主義者がたくさんいるなあ、と思う。

 

そういう要素もあったのだが、アメリカの南北で

博愛の含有量が違ったわけではない。

そんな話につきあっていたら命がいくつあっても足りない。

 

 

 

 

実際、教条主義的なキリスト教徒、

というのは、むしろ南部に多いのだ。

おおこわい。

 

 

 

 

 

 

  

ただし、南部において奴隷制は国是だった。

当時の南部諸州の主要産業は綿花栽培。

これはこどもでも出来る単純作業なのだが人手がいる。

 

従って、奴隷制をやめられてしまうと国家が成り立たない。

 

 

連邦議会の中で少数派になっちゃったから独立しようぜ

という話の流れで起こったのが南北戦争。 

  

きっかけは奴隷制度だったが

直接の理由は、南部諸州の分離独立と

それは許さん、という北部との争い。

 

  

だから、戦争の経過の中で黒人のことなんかどうでもいい。

 

 

 

 

鞭をふるって黒人を働かせた。

 

 

220pxcicatrices_de_flagellation_s_2

南部諸州での黒人奴隷への

残虐な扱いとして、

もっとも有名なプロパガンダ写真。

ルイジアナ州バトンルージュ

南北戦争中に撮影された。

背中のみみず腫れは

棘つきの鞭で打たれた跡

 

 

  

リンカーンにしたところで、少なくとも人道主義的な理由で

奴隷廃止を主張したわけではない。

 

 

 

 

そして、南部の『アメリカ連合国』はそんなに

『人民のための政府』ではなかったのか?というと

それもどうかなあ?

  

大統領の権限を、北部合衆国より強く定めていたのは確かだが

そんなにちがったのかなあ?

何しろすぐに滅んでしまったのでよくわからないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戦争中、リンカーンが新聞に寄稿した文章がこれ。 

この戦争の意義について非常に正直に語っている。

 

 

 

『この戦争における私の至上の目的は、

連邦を救うことにあります。

奴隷制度を救うことにも、

亡ぼすことにもありません。

  

もし奴隷は一人も自由にせずに

連邦を救うことができるものならば、

私はそうするでしょう。

そしてもしすべての奴隷を自由にすることによって

連邦が救えるならば、私はそうするでしょう。

 

……

私が奴隷制度や黒人種についてすることは、

これが連邦を救うに役立つと

信じているためなのです。』

 

 

 

 

 

 

ある意味

すさまじいリアリストだともいえる。

  

この人にも理想があったんだろうが、

『合衆国のためには黒人なんかどうでもいい。』と

言いきっているあたりがすごい。 

 

 

 

 

 

 

 

だから、リンカーンの奴隷解放宣言にしても

対象は敵対する南部諸州と、賛否怪しい境界州だけ。

  

しかもこの時点では、奴隷解放といっても

『好きなところに行っていいよ。』というだけ。

この時代の雰囲気は、筒井康隆の

『ジャズ大名』で味わえるような気がします。

 

 

 

   

北部合衆国は南部の独立を認めていなかったから

建前上、占領地の黒人を『解放』しないといけない。

黒人奴隷についている『所有権』をはずしてあげよう。

 

そうしないと、黒人が兵隊として銃を持たされて襲ってくる。

 

 

  

実際に北部諸州は

20万人以上の黒人を動員した。

  

(ただし、正規兵としての扱いではない。  

 

 

 

 

 

大義名分としても必要だが、現実の問題として

怖いのは黒人兵だった。 

彼等が逆巻いて北軍に躍り込んできたら怖い。

 

 

 

 

 

   

アメリカ軍は、20世紀の太平洋戦争でも

常に最前線に黒人兵を充てた。

彼等が勇敢だったということは当然だとしても、

敵である日本兵にも、こう言われていた。

  

 

これは伊丹十三のエッセイにある文章。

昭和20年9月、ほぼ無血の状態で

アメリカ軍の上陸を迎えた、

日本陸軍、堂々2万人の宮古島部隊の一員の記録。

 

 

 

 

 

 

「そう。結局終戦後にテキは上がってきたのよ、占領用に。」

  

「上陸用舟艇で?」

 

「ウン、上陸用舟艇並べてネ、

チャンと敵前上陸の隊形とってサ」

  

「その時武装解除して待ってたわけ?」

 

「いや、武装解除はしていないけど…交戦してはならないと。

だから、こっちは戦車とか、それから軍旗なんかを沈めて

で、待ってたわけよ。そりゃ銃は持ってたけど

撃つ気もないしね。」

  

「だけどあっちは決死の覚悟で上がってきたわけね。」

 

「ウン、海岸こうやって、トミー・ガン持って這ってくるもんな。

黒人先頭にして。」

  

「黒人先頭ですか?」

 

「ウン、やっぱりクロが先ね。

クロが先で匍匐前進してくるのよ。

こっちはもう、ほとんど食いもんないから

全然体力ないじゃない。

戦争しようなんて気力なんてありゃしないのよ。

で、われわれ、

その黒人たちに手を挙げたわけよ。」

 

 

 

  

で、クロと黄色を後ろからシロが見ていたわけだ。

おおきもちわるい。

 

 

 

  

(ただ、結果としては南部は奴隷を兵士に使わなかった。

兵隊が足りないことは、末期日本軍以下だったらしいのだが

信用できなかったらしい。 )

 

 

 

 

 

そしてそれ以上に人種差別もあった。

アメリカ開発の段階では黒人奴隷は必要だったが、

やっぱりニグロじゃん。

抑圧した黒人が混乱に乗じたら怖い、と。

北部が勝利したら、奴隷要らないし。

 

   

黒人がいたら犯罪を起こす、

反乱を起こす、職を奪われる、

ということを言う人がいた。

  

 

アングロサクソンは、

ラテン系と比較して黒人と混血しないこともあって

(強姦しない、という意味ではない。)

奴隷の必要が薄れてきた19世紀には

『アフリカに黒人返しちゃえば?』

ということを考える人が出てきた。

代表的な組織が『アメリカ植民地協会』。

 

 

連れてきといて勝手な話だが、

こいつらはアフリカにリベリア、という国をつくる。

 

 

いま現在も存在している国家について

あれこれ書くのはやめようと思うのだが

この国の建国は、アメリカの良心、とも言われるし

人種隔離のホームランドとも言われていて極端に評価が違う。 

  

大体この国は独立以来経済政治が安定していない。

『アフリカから来たんだからアフリカに返せばいいんじゃね?』

というアバウトな理由で返されたところで

アフリカと言っても広うござんす。

 

 

 

 

  

アフリカ系アメリカ人の本来の出身は別々だ。

そしてその全員が、自分のルーツを忘れている。

テレビドラマでクンタとキンテが探しちゃうくらいだ。

  

彼等は、アメリカでこそ被差別者だったが

リベリアではアメリカ人として振る舞った。

 

当然対立が起こって

1973年にクーデターが起こって、

つい最近まで内戦をやっていた。

現在でも治安はあまり良くないらしい。

(外務省 リベリア 渡航危険情報)

 

 

 

 

 

 

 

リンカーンはリベリアへの黒人奴隷改め自由民となった

黒人のリベリア移住に熱心だった。

 

 

  

あ、やっと話が戻ってきた。

 

 

 

彼はゲティスバーグ演説の10年以上前にも、

『アメリカ植民地協会』の活動を支援する演説を行っている。

  

その一方、彼は南北戦争後の軍隊に

黒人兵が参加することも拒んだ。

  

そうかと思うと、黒人に対して『隷属からの自由』を保障する

連邦憲法の修正にサインしている。

ゲティスバーグ演説の2年後に成立した

連邦憲法修正13条は、

黒人(に限らず)隷属の禁止を定めており、

自由権や参政権を認めた、とされる。

 

 

なんだかよくわからない。

 

 

 

 

ところが実際には、あらゆるシチュエーションで差別があり

黒人は教育や福祉で差別された。

レストランや便所や水道の蛇口にさえ、

「White Only」あるいは「Colored Only」と書かれた。

 

 

 

 

 

 

  

だから、リンカーンが偉かったのは、

自分が理想主義者ではないことを自覚し

社会にしたってそんなに急には変わらないことを自覚して

十字軍的なヒステリーを起こさなかったことでしかない。  

 

 

 

『連邦崩壊回避』のために

戦争の遂行を最優先した。

 

 

  

そこに凄みがある。

 

 

 

 

その一方、

リベリア移民のような明らかな失敗もある。

なにより彼自身が、民族差別主義者に暗殺された。

 

 

 

 

 

 

   

黒人たちは、人種差別主義者というほどの

知性もない馬鹿どもにリンチを受けた。

 

 

 

こういうのはいやだ。

 

 

  

公民権法が成立したのは、1964年のことである。

独立戦争から188年後だ。

  

まあ、あんまり人の国のこといえないけどね。 

 

 

 

 

 

 

 

きょうの話はいつも以上に落ちないな。

 

博愛で運営される政治なんてない、

ということ。

  

 

リンカーンはすさまじいリアリストだった、ということで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では『今日の、「I have a dream」。』

 

 

 

 

 

 

黒人の公民権回復運動は

戦後、大きな高まりを見せ、

ゲティスバーグ演説の100年後の

1963年のワシントン大行進でピークとなる。

  

その時のキング牧師の演説。 

 

(見られない場合はこちら http://youtu.be/smEqnnklfYs

 

 

最初の『 I have a dream 』のあとででてくる、

『All men are created equal.』

というのは、

リンカーンの演説を引用している。



もっといえば、アメリカの独立宣言にも出てくる台詞でもある。

そのくらい有名なわけです。

 

 

 

 

 

 

それにしても演説のうまい人だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

黒人は、白人からリンチを受ける時代が続いた。

リンチを受けて、樹からぶら下げられた遺体を唄った、

ジャズのスタンダード、『奇妙な果実。』 

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけ、

 

 

 

 

 

 

黒人をリンチした連中のほとんどが

組織化されていない白人の貧乏人だったのだが

例外的に全国組織になったのが

KKK(クー・クルックス・クラン)

  

KKKという組織は、戦前に不祥事があったために

壊滅的に勢力を失うのだが、

現在も活動している組織があるのでリンクしておこう。 

 

Ku Kulux Klan

 

せっかくいろいろ連絡先が書いてあるので

『やあ、おいらイエロー・モンキーさ。』

とか言ってメールしてみようか。  

 

 

 

 

 

 

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