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2012年7月 1日 (日)

ガバメントオブザピーポーピーポーピーポー

7月1日は、ゲティスバーグの戦いの日。

(Wikipediaの記事へのリンク)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

南北戦争における決戦の一つである。

 

南北戦争自体が日本人には

どうもよくわかりかねるところがあるのだが

南北あわせて戦死者60万人、というのは今日に至るまで、

『アメリカ人が最大に血を流した戦争』である。

 

 

 

 

 

  

で、ここの戦闘自体も有名だけれど、それ以外にも

『なんか聞いたことあるなー』と思うのは、

当時の大統領、リンカーンがこの戦いの後に

この場所であまりにも有名な演説をしたからだ。

 

 

 

『人民の、人民による、人民のための政府』

 

 

  

というあれ。

 

ただし演説自体は戦闘終了から4ヶ月以上経った

戦没者慰霊のための式典でおこなわれた。 

 

 

 

 

有名すぎて、原文全部を読んだことがなかったので

引用してみましょう。

 

 

 

 

 

 

Four score and seven years ago

1776年の独立宣言からゲティスバーグの1863年まで107年。

our fathers brought forth on this continent, a new nation,

conceived in Liberty, and dedicated to the proposition

that all men are created equal.

(神様は人間を平等に創った。)

  

Now we are engaged in a great civil war,

testing whether that nation, or

any nation so conceived and so dedicated, can long endure.

(俺たちいま、南北戦争やってるけどがんばろうね。)

  

We are met on a great battle-field of that war.

We have come to dedicate a portion of that field,

as a final resting place for those who here gave their lives

that that nation might live.

It is altogether fitting and proper that we should do this.

(いまは激戦だけどそこが安息の地になるってば。)

 

But, in a larger sense, we can not dedicate

-- we can not consecrate-- we can not hallow -- this ground.

The brave men, living and dead, who struggled here,

have consecrated it,

far above our poor power to add or detract.

(ーー戦死者への追悼ーー)

  

The world will little note, nor long remember what we say here,

but it can never forget what they did here.

(おれたちゃあ、忘れないよ?) 

  

It is for us the living, rather, to be dedicated here

to the unfinished work

which they who fought here have thus far so nobly advanced.

(死んだ奴らのためにもがんばろうじゃねえか。)

  

It is rather for us to be here dedicated to the great task

remaining before us

-- that from these honored dead

we take increased devotion to that cause

for which they gave the last full measure of devotion

(俺たちには死んだ奴らのためにも使命があるんだよ。)

  

-- that we here highly resolve

that these dead shall not have died in vain --

that this nation, under God, shall have a new birth of freedom

-- and that government of the people,

by the people, for the people, shall not perish from the earth.

(その使命ってのは、すなわち

人民による、人民のための、人民による政府 でありますぞ。)

 

 

  

(翻訳文責:筆者)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、

  

 

なんで翻訳がこんなに短くなるのかということはともかく

これで全文なので、しゃべってもたったの3分だ。

  

あんまり短くて、演説中のリンカーンの写真はない。

そして、英語のほうは原文そのままで編集などしていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガキの頃、南北戦争は

奴隷制度をめぐっての戦いと教わった。

  

『奴隷制を主張する南部連合と、奴隷解放を主張する

北部の戦いだった。』という風に。

 

 

 

  

もっと言うと、北部超いい奴、

南部すごい悪い人

リンカーンは奴隷の解放者、と

ジャップの学校では教えていたのだよ。

  

引用したゲティスバーグ演説で、

敢えて奴隷制に触れている箇所というのは最初の段落の

『all men are created equal.』という部分だろう。

 

実はこの台詞は後で述べる理由で

アメリカ人にはとても有名なのだが

日本人にはよくわからないと思う。

 

 

 

 

 

奴隷制は人道の敵。

繰り返しになるが、奴隷の自由を支持した北部と、

奴隷解放を宣言したリンカーンは素晴らしい、ということを

なんとなく戦後世代の私でさえ教わってきた。

 

  

『ピーポーピーポーピーポー』の

この演説も、そういう文脈の中で、

リンカーン・ナイス、というかたちで

語られることが多い。

 

 

 

 

 

  

しかしそうか?というのが

例によって

へそ曲がりなこの日記だもん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

実際、リンカーンというおっさんは

とんでもなく喰えない奴なのである。

  

もっと言えばしたたかなのだ、

 

 

 

 

 

  

北部が奴隷廃止を訴えたのは

工業化が進んでいた北部では

奴隷などいらなかった

という風に教わったのだが。18世紀頃のアメリカは

いまのような巨大な経済力を持っていたわけではない。

  

むしろ、独立戦争でイギリスと喧嘩し、直後の

ナポレオン戦争でヨーロッパとの交易が止まり、

さらに中南米で独立戦争が頻発して

ヨーロッパの介入が現実の危機になった。

 

当時のアメリカに

いまのような圧倒的な軍事力はなく、いじけたアメリカは

世界から引きこもる。

  

 

『アメリカ大陸のことに口出さないでよ。

そのかわり、

ヨーロッパにも文句言わないんだから』

 

  

これがモンロー主義、という奴で、

真珠湾攻撃の時代まで生き残る。

  

余談だが、ヨーロッパと交流できなくなったアメリカは

ペリーを日本に送る。 

 

私も勘違いしていたのだが、

『アメリカが日本に黒船を送った。』というと

太平洋を押し渡ってきたのかと思ったのだが

パナマ運河がなかった時代、

アメリカが最新鋭戦艦を極東に送る方法は

大西洋を渡って喜望峰を越え、中国を経由するしかない。

西回りなわけです。

  

日本人はモンロー主義が対象とする

文明人ではなかったわけだ。

  

余談でした。

 

 

 

 

 

 

 

19世紀に入ってもインディアン戦争で、

もう一度イギリスと喧嘩した。

ヨーロッパからの物産が入ってこなくなったアメリカでは

国内の工業の振興が急務になった。

工業化しようと思ったら石炭と水運が使えて

何より資本が集積していた北部しかない。

 

  

この時邪魔になったのが奴隷制だ。

奴隷というのは私有財産である。

  

北部の工場主が新しい工場を造って

労働者を増やしたいな、と思った時、

黒人ならば賃金など鼻くそでいい。

実際鼻くそ以下の給料しか払わなかった。 

 

しかし、奴隷が私有制だと、移籍に金がかかる。

工場というのは半端じゃない数の人間が必要なのだが

移籍料が必要なら大変困ってしまう。 

 

だから、北部は奴隷制度を廃止して

『自由州』というかっこいい名前を名乗った。

しかし、実際に欲しいのは

労働力としての黒人だ。

  

黒人を自由にしたところで

購買層になれるはずはないんだから

『解放』とか『自由』というのは欺瞞だったわけです。

 

 

  

欲しいのは単に、『手』。

 

 

  

それをアメリカ人が否定するならいい度胸だ。

摂津本山の駅前にトマホーク持って来やがれ。

 

全力で逃げてやる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いやいやそうじゃないんだ。

奴隷制度廃止にはアメリカの博愛がある。

アメリカではキリスト教的な理想主義があったからだ。

という人がいる。

 

  

確かに、禁酒運動なんかをみるとアメリカには

しゃれのわからない教条主義者がたくさんいるなあ、と思う。

 

そういう要素もあったのだが、アメリカの南北で

博愛の含有量が違ったわけではない。

そんな話につきあっていたら命がいくつあっても足りない。

 

 

 

 

実際、教条主義的なキリスト教徒、

というのは、むしろ南部に多いのだ。

おおこわい。

 

 

 

 

 

 

  

ただし、南部において奴隷制は国是だった。

当時の南部諸州の主要産業は綿花栽培。

これはこどもでも出来る単純作業なのだが人手がいる。

 

従って、奴隷制をやめられてしまうと国家が成り立たない。

 

 

連邦議会の中で少数派になっちゃったから独立しようぜ

という話の流れで起こったのが南北戦争。 

  

きっかけは奴隷制度だったが

直接の理由は、南部諸州の分離独立と

それは許さん、という北部との争い。

 

  

だから、戦争の経過の中で黒人のことなんかどうでもいい。

 

 

 

 

鞭をふるって黒人を働かせた。

 

 

220pxcicatrices_de_flagellation_s_2

南部諸州での黒人奴隷への

残虐な扱いとして、

もっとも有名なプロパガンダ写真。

ルイジアナ州バトンルージュ

南北戦争中に撮影された。

背中のみみず腫れは

棘つきの鞭で打たれた跡

 

 

  

リンカーンにしたところで、少なくとも人道主義的な理由で

奴隷廃止を主張したわけではない。

 

 

 

 

そして、南部の『アメリカ連合国』はそんなに

『人民のための政府』ではなかったのか?というと

それもどうかなあ?

  

大統領の権限を、北部合衆国より強く定めていたのは確かだが

そんなにちがったのかなあ?

何しろすぐに滅んでしまったのでよくわからないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戦争中、リンカーンが新聞に寄稿した文章がこれ。 

この戦争の意義について非常に正直に語っている。

 

 

 

『この戦争における私の至上の目的は、

連邦を救うことにあります。

奴隷制度を救うことにも、

亡ぼすことにもありません。

  

もし奴隷は一人も自由にせずに

連邦を救うことができるものならば、

私はそうするでしょう。

そしてもしすべての奴隷を自由にすることによって

連邦が救えるならば、私はそうするでしょう。

 

……

私が奴隷制度や黒人種についてすることは、

これが連邦を救うに役立つと

信じているためなのです。』

 

 

 

 

 

 

ある意味

すさまじいリアリストだともいえる。

  

この人にも理想があったんだろうが、

『合衆国のためには黒人なんかどうでもいい。』と

言いきっているあたりがすごい。 

 

 

 

 

 

 

 

だから、リンカーンの奴隷解放宣言にしても

対象は敵対する南部諸州と、賛否怪しい境界州だけ。

  

しかもこの時点では、奴隷解放といっても

『好きなところに行っていいよ。』というだけ。

この時代の雰囲気は、筒井康隆の

『ジャズ大名』で味わえるような気がします。

 

 

 

   

北部合衆国は南部の独立を認めていなかったから

建前上、占領地の黒人を『解放』しないといけない。

黒人奴隷についている『所有権』をはずしてあげよう。

 

そうしないと、黒人が兵隊として銃を持たされて襲ってくる。

 

 

  

実際に北部諸州は

20万人以上の黒人を動員した。

  

(ただし、正規兵としての扱いではない。  

 

 

 

 

 

大義名分としても必要だが、現実の問題として

怖いのは黒人兵だった。 

彼等が逆巻いて北軍に躍り込んできたら怖い。

 

 

 

 

 

   

アメリカ軍は、20世紀の太平洋戦争でも

常に最前線に黒人兵を充てた。

彼等が勇敢だったということは当然だとしても、

敵である日本兵にも、こう言われていた。

  

 

これは伊丹十三のエッセイにある文章。

昭和20年9月、ほぼ無血の状態で

アメリカ軍の上陸を迎えた、

日本陸軍、堂々2万人の宮古島部隊の一員の記録。

 

 

 

 

 

 

「そう。結局終戦後にテキは上がってきたのよ、占領用に。」

  

「上陸用舟艇で?」

 

「ウン、上陸用舟艇並べてネ、

チャンと敵前上陸の隊形とってサ」

  

「その時武装解除して待ってたわけ?」

 

「いや、武装解除はしていないけど…交戦してはならないと。

だから、こっちは戦車とか、それから軍旗なんかを沈めて

で、待ってたわけよ。そりゃ銃は持ってたけど

撃つ気もないしね。」

  

「だけどあっちは決死の覚悟で上がってきたわけね。」

 

「ウン、海岸こうやって、トミー・ガン持って這ってくるもんな。

黒人先頭にして。」

  

「黒人先頭ですか?」

 

「ウン、やっぱりクロが先ね。

クロが先で匍匐前進してくるのよ。

こっちはもう、ほとんど食いもんないから

全然体力ないじゃない。

戦争しようなんて気力なんてありゃしないのよ。

で、われわれ、

その黒人たちに手を挙げたわけよ。」

 

 

 

  

で、クロと黄色を後ろからシロが見ていたわけだ。

おおきもちわるい。

 

 

 

  

(ただ、結果としては南部は奴隷を兵士に使わなかった。

兵隊が足りないことは、末期日本軍以下だったらしいのだが

信用できなかったらしい。 )

 

 

 

 

 

そしてそれ以上に人種差別もあった。

アメリカ開発の段階では黒人奴隷は必要だったが、

やっぱりニグロじゃん。

抑圧した黒人が混乱に乗じたら怖い、と。

北部が勝利したら、奴隷要らないし。

 

   

黒人がいたら犯罪を起こす、

反乱を起こす、職を奪われる、

ということを言う人がいた。

  

 

アングロサクソンは、

ラテン系と比較して黒人と混血しないこともあって

(強姦しない、という意味ではない。)

奴隷の必要が薄れてきた19世紀には

『アフリカに黒人返しちゃえば?』

ということを考える人が出てきた。

代表的な組織が『アメリカ植民地協会』。

 

 

連れてきといて勝手な話だが、

こいつらはアフリカにリベリア、という国をつくる。

 

 

いま現在も存在している国家について

あれこれ書くのはやめようと思うのだが

この国の建国は、アメリカの良心、とも言われるし

人種隔離のホームランドとも言われていて極端に評価が違う。 

  

大体この国は独立以来経済政治が安定していない。

『アフリカから来たんだからアフリカに返せばいいんじゃね?』

というアバウトな理由で返されたところで

アフリカと言っても広うござんす。

 

 

 

 

  

アフリカ系アメリカ人の本来の出身は別々だ。

そしてその全員が、自分のルーツを忘れている。

テレビドラマでクンタとキンテが探しちゃうくらいだ。

  

彼等は、アメリカでこそ被差別者だったが

リベリアではアメリカ人として振る舞った。

 

当然対立が起こって

1973年にクーデターが起こって、

つい最近まで内戦をやっていた。

現在でも治安はあまり良くないらしい。

(外務省 リベリア 渡航危険情報)

 

 

 

 

 

 

 

リンカーンはリベリアへの黒人奴隷改め自由民となった

黒人のリベリア移住に熱心だった。

 

 

  

あ、やっと話が戻ってきた。

 

 

 

彼はゲティスバーグ演説の10年以上前にも、

『アメリカ植民地協会』の活動を支援する演説を行っている。

  

その一方、彼は南北戦争後の軍隊に

黒人兵が参加することも拒んだ。

  

そうかと思うと、黒人に対して『隷属からの自由』を保障する

連邦憲法の修正にサインしている。

ゲティスバーグ演説の2年後に成立した

連邦憲法修正13条は、

黒人(に限らず)隷属の禁止を定めており、

自由権や参政権を認めた、とされる。

 

 

なんだかよくわからない。

 

 

 

 

ところが実際には、あらゆるシチュエーションで差別があり

黒人は教育や福祉で差別された。

レストランや便所や水道の蛇口にさえ、

「White Only」あるいは「Colored Only」と書かれた。

 

 

 

 

 

 

  

だから、リンカーンが偉かったのは、

自分が理想主義者ではないことを自覚し

社会にしたってそんなに急には変わらないことを自覚して

十字軍的なヒステリーを起こさなかったことでしかない。  

 

 

 

『連邦崩壊回避』のために

戦争の遂行を最優先した。

 

 

  

そこに凄みがある。

 

 

 

 

その一方、

リベリア移民のような明らかな失敗もある。

なにより彼自身が、民族差別主義者に暗殺された。

 

 

 

 

 

 

   

黒人たちは、人種差別主義者というほどの

知性もない馬鹿どもにリンチを受けた。

 

 

 

こういうのはいやだ。

 

 

  

公民権法が成立したのは、1964年のことである。

独立戦争から188年後だ。

  

まあ、あんまり人の国のこといえないけどね。 

 

 

 

 

 

 

 

きょうの話はいつも以上に落ちないな。

 

博愛で運営される政治なんてない、

ということ。

  

 

リンカーンはすさまじいリアリストだった、ということで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では『今日の、「I have a dream」。』

 

 

 

 

 

 

黒人の公民権回復運動は

戦後、大きな高まりを見せ、

ゲティスバーグ演説の100年後の

1963年のワシントン大行進でピークとなる。

  

その時のキング牧師の演説。 

 

(見られない場合はこちら http://youtu.be/smEqnnklfYs

 

 

最初の『 I have a dream 』のあとででてくる、

『All men are created equal.』

というのは、

リンカーンの演説を引用している。



もっといえば、アメリカの独立宣言にも出てくる台詞でもある。

そのくらい有名なわけです。

 

 

 

 

 

 

それにしても演説のうまい人だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

黒人は、白人からリンチを受ける時代が続いた。

リンチを受けて、樹からぶら下げられた遺体を唄った、

ジャズのスタンダード、『奇妙な果実。』 

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけ、

 

 

 

 

 

 

黒人をリンチした連中のほとんどが

組織化されていない白人の貧乏人だったのだが

例外的に全国組織になったのが

KKK(クー・クルックス・クラン)

  

KKKという組織は、戦前に不祥事があったために

壊滅的に勢力を失うのだが、

現在も活動している組織があるのでリンクしておこう。 

 

Ku Kulux Klan

 

せっかくいろいろ連絡先が書いてあるので

『やあ、おいらイエロー・モンキーさ。』

とか言ってメールしてみようか。  

 

 

 

 

 

 

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コメント

poor whiteの抑圧感はすごいですね。
文学作品がいくつも生まれましたが、
それも上澄みしか描けていない気がします。

しかし今から思うとその当時は、白黒(比喩的な意味ではなく)はっきりした単純な時代でした。今、世界を覆う閉そく感、広がる格差――表現者はどう表現すべきか。為政者はどこに風穴を見つけるか。誰も一歩も動けず時間ばかりが過ぎているように思います。
言えることは、平等すなわち善ではないということでしょうか。
すみません、論点がずれているかも。

投稿: fullpot | 2012年7月 1日 (日) 14時34分

fulipotさん ありがとうございます。
いまの世の中、確実に『差別』はあるけど
それが見えにくい時代なんだと思います。
 
バブル時代の『総中流化社会』の幻想は
崩れたと思います。
私自身仕事をしている時間よりも
注文をとりに歩く時間の法が長いので
なにやってるんだろう。
 
黒人差別ではないですが『怒りの葡萄』
を読んだ時には腹が立ちましたね。
 
poor yellowはどおしたらいいんだろう。

投稿: natsu | 2012年7月 2日 (月) 23時25分

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