フランス革命の日
7月14日は『パリ祭』
1789年のこの日、
パリ市民がバスティーユ監獄を襲撃、
王制に対して実力で立ち上がった。
山ほど兵器がある
と聞いていたので
襲撃しました。
翌年のこの日には、革命政府によって
『革命の勝利」と『正当性』を訴えるべく、
はなやかな式典が行われた。
Wikipediaさんによると、「パリ祭」の起源は
こっちの独立記念式典を祝してのことだという
ふーん…
この時点では、貴族であり第2身分でありながら
共和制のシンパであった、ラ・ファイエットと
仇敵であったルイ16世がともに
憲法への忠誠を誓ったりする。
王党派と共和派が争い、後のギロチン時代、
ジャコバン独裁まで続く、
フランス第一革命の始まりである。
とにかくフランス市民が
武力蜂起したのがこの日。
ただ、武力蜂起するまでには前段階があった。
フランスはお金がなかったのだ。
国家の歳入に対して支出はその倍ちかく。
なんだかどこかの国のようだが
しかもじいさんのルイ14世が、
戦争と贅沢が大好きだったから金がない。
当時のルイ16世は財政改革をやろうとはした。
しかし、金持ちの貴族や贅沢な嫁が
次次に大臣を罷免したもんだから
手がなくなってきた。
そして、7月14日当日においては危機感を
持っておらず
当日ベルサイユにいた彼は
『バスティーユ襲撃』の報を
受けていたにもかかわらず、その日の日記には
『Rien』(なにもなし)と書いた。
で、結局この王様は、バスティーユから3年半後に
ギロチンにかけられている。
この人を弁護する気はないのだが
ひとつだけ、偉大な功績を挙げておこう。
もちろんこれも大金がかかったが。
アメリカ独立の支援である。
この人の発意ではない。
アメリカの理想に共感して私兵を投入した人もいたが
それもフランス国家の意思ではないだろう。
基本的に戦争って、
そんなにきれいなものではない。
フランスはルイジアナやカナダに勢力を
持っており、交易によって
ネイティブ・アメリカンと共存していたが、
イギリス植民者は違う。
自ら開墾・入植するつもりだから
土地戦争については容赦ない。
フランスは、フレンチ・インディアン戦争などで
イギリスに大いに敗れた。くやしい。
そこにアメリカ入植地がイギリス本国と戦う、
という。
敵の敵は味方だ。
よっしゃー、いっとけワシントン。
という具合でフランスは財政面でも、
海陸軍などにおいても具体的な援助を実施。
ニューヨークには自由の女神がいる。
新大阪にも天王寺にも自由の女神がいて、
日本中にフェイクの女神が建っているんだと思うが
ニューヨークのほうは
フランス人が、独立100周年を祝って寄贈した。
フランスが、アメリカ独立戦争を支援した規模は
結構半端ではなくて
国家収入が5億ルーブルだった時代に
13億ルーブルを支出した。
当然国家は立ちゆかない。
フランス革命後の220年間、
フランスとアメリカが常に仲良しだったか、
というと そうでもないのだが、現在でも
アメリカ人は女神像がフランスとの友情の印
だということを知っている。
国家を傾けてまでやった、アメリカへの支援は
長い目で見れば、大成功の投資だった。
しかし国は傾いた。
嫁さんが毎週3着のドレスをしつらえ、
毎日薔薇を浮かべた風呂に入ってるんだから
『ええかげんにせえよ、マリー。』とかいえば
よさそうなものなのにそれもしない。
政府による財政改革に失敗したルイ16世は
増税を考えた。
これもどこかの国で聞いたような話である。
身内に甘い奴がどうするか、というと
外側にいる奴から搾取する。
国民は、当時、坊主(第1身分)、貴族(第2身分)、
それ以外(第3身分)に別れていた。
すでに第3身分には精一杯に税金がかかっている。
ちょっとほかの身分にも負担してもらおうか、
ということで、各身分から代表者を集めた
『三部会』というものを開く。
よくよく考えたら、こんなもの開かなかったら
王様の身分は安泰だったのだ。
3年半後にギロチンにかけられるなんて
この時は思ってもいなかっただろう。
しかしフランス、というかゲルマン国家では
『大事なことはみんなで話し合って決めよう』
という伝統があったために、
ルイもこれを無視できなかった。
議題の焦点は増税だ。
すでに第3身分にはこれ以上増税できないので
坊主と貴族に課税しようとする。
そうすると反対する奴がいる。
『増税の前にやることはあるはずだ。』という
奴らが騒ぎ出した。
さらにもめたのは議決方法。
第3身分は議員数でいうと
第1、第2身分の合計を上回るのだが
そもそも30倍近い『一票の格差』があり、
さらに坊主や貴族が『身分ごとに一票にしよう』
といういじめをした。
議決方法でもめているんだから、
あらゆる議題が進まない。
『増税反対』はまだいいとしても、
社会に身分差別がある。
そして『一票の格差』がはっきりと存在する。
まるで日本じゃないか?
フランス革命を主導した第3身分は
あらかじめ組織されていたわけではない。
革命の担い手は常に変遷し、
フランス革命後のこの国は
ブルジョア主導の第1共和制からジャコバンの
恐怖政治。
ナポレオンの帝政から、パリ・コンミューンまで
世界史の要素を
ぎゅっと詰め込んだような100年間を過ごす。
まあ、日本でももうちょっと早く
政治が回ってくれてもいいと思うけど
その担い手は、あの人やあの人でいいんだろうか?
なんかちがうなー。
少なくともあいつじゃないよな。
あいつでもない。
うーん…
では、『今日の二枚。』
意外に知らない、自由の女神の後ろ姿
へー、
女神ってば、
お団子頭だったんだ。
っていうか
そのかんざしはなに?
大阪、新御堂筋から見える自由の女神。
パチンコ屋の看板
やっぱり大阪じゃあ狭いなあ。
もうちょっと、前に海があるとか
見晴らしが良くないと…
といって淡路島の世界平和大観音みたいなのも困るが…
これはひどいよな…
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コメント
今の日本と似ているようでも、今の白痴化した日本人には革命を起こすような度胸はないでしょうね。
投稿: たいらー | 2012年7月14日 (土) 21時57分
うあー、さすがnatsuさん、
自由の女神の後ろ姿を、初めて
見せていただきました。ありがとうございます。
うーん。しかしほんとにそのかんざし
いったい何事なんでしょう……
投稿: fullpot | 2012年7月14日 (土) 23時40分
たいらーさん ありがとうございます。
似てますねえ。
飼う名はともかく、もう少し
なんとか。とは
思うんですけど…
fullpotさん ありがとうございます。
自由の女神の後ろ頭って
観光船が行かないんだそうです。
かんざし、だと思っていたのは
冠の長い角だったようですね。
いたそう。
投稿: natsu | 2012年7月18日 (水) 10時18分