« パンダの赤ちゃんの名前は絆絆(バンバン) | トップページ | 宇宙人の日 »

2012年7月 8日 (日)

黒船の日

7月8日は黒船来航の日。

(Wikipediaの記事へのリンク)

 

 

 

 

 

 

 

1853年のこの日、アメリカが誇る最大の戦艦

サスケハナ号を含む4隻の黒船が浦賀沖に現れた。

 

 

ただし、蒸気船は2隻で、

しかも補給能力がなかったから戦闘航行以外は帆走する。

 

 

汽帆船、というやつだ。

 

200pxkurofune     

サスケハナ号

ちゃんとマストがあって帆がはれる 

 

 

 

 

そうは言っても世界最大の蒸気船で

木造だったが、黒く塗装した鉄板を貼っていた。

 

 

 

戦闘艦も2隻だけで随伴艦は

木造、帆走の小型船だったのだが

こちらも黒く塗装されていたために、

4隻とも『黒船』と呼ばれている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

率いていたのがこのおっさんである。

  

200pxmatthew_calbraith_perry_2   

 

 

ペリーじゃ 

 

 

  

なんでこんなに偉そうな顔つきなんだろう、と思う。

 

ちなみに、

いやに黒々として不自然な髪の毛だな

と思ったあなたは正しくて、

これはカツラだそうです。

 

 

 

 

 

  

 

ペリーが日本に来た理由について

Wikipediaなんかではアメリカの東洋進出のため

と書いているが、

もっと大きな理由は

捕鯨船の保護と補給港の確保。

  

『白鯨』なんかを読むとわかるが、

19世紀のアメリカは世界最大の捕鯨国だった。  






しかも肉を竜田揚げにして食うわけではなく、

文楽の人形のためにひげや骨まで使う日本人とも違って

脂を取るだけ。

 

石油ランプが一般化するまで

これがアメリカの夜を照らしていた。

  

だから『白鯨』に出てくるのはシロナガスクジラではなく

頭にたっぷり脂を貯めたマッコウクジラだったわけです。
   

 

そんな連中に

『日本人、鯨を食べて残酷ねー』

とか言われても片腹が痛いぜ。



 

 

 

 

 

 

 

実際19世紀半ばでは、アメリカは太平洋に

捕鯨船以外の利害関係を持っていないのだ。

  

カリフォルニアが州に昇格したのがペリー来航の3年前。

ハワイはまだ独立国でアメリカ領になるのは40年後。

米西戦争でグアムとフィリピンを手に入れるのは46年後だ。

 

アメリカ大陸横断鉄道パナマ運河

パナマ地峡横断鉄道さえまだなく、

東部の人間がカリフォルニアにやってくるには

大草原の小さな家よろしく、馬車で来るしかなかった。

  

実際、直後に起こった南北戦争のおかげで

アメリカは日本のことなんかどうでもいいや、という時代が続く。

 

 

 

 

 

 

もっともペリーは、浦賀に来る前に小笠原諸島に立ち寄って

ここがアメリカ領であるとの宣言をしている。

  

英語でこの島を「ボニン・アイランズ」というが

これはペリーよりも50年くらい前に来たイギリス人が

日本人漁夫に『この島はなんだ。』と聞いたら

『無人(ぶにん)の島じゃ。』と答えたからだ、

という話をなんかで読んだな。
     

 

なんだか

『この動物はなんだ?』と訊かれて

『知らねえよ』と答えられたので名前がつけられた

『カンガルー』みたいである。 
    

 

  

嫌われてたんだなあ、ヨーロッパ人。

 

  

しかし、『無人島らしいぞ。』という話が伝わると、

一部のアメリカ人が移住し始めた。

ペリーの『領有化宣言』はその延長にある。




 

 

 

しかしこのことは日本を刺激した。

幕府が測量隊を送ったりした。

  

アメリカも、この島を維持する意思はなかったらしくて

明治になって日本政府があらためて領有を宣言すると

割とあっさり引き下がっている。
    

 

明治9年(1876年)の時点ではまだハワイもグアムも

アメリカ領ではなかったから維持する能力もなかった。

 



 

 

  

しかし、あの時アメリカに占領されていたら…

と思うと慄然とする。

 

 

あの島もあの島も、主張し続けないと

いずれなくなってしまうのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それはともかくペリーである。

 

 

幕府は迷った。

  

アヘン戦争で、清があっさり負けたことは知っていたし

オランダ商館を通じて

『近々、ペルリなるおっさんが来るらしい。』

ということも知っていた。
    

 

その一方、

『今まで、ロシアとかイギリスとかいろいろ来たけど

四の五の言って交渉を長引かせたら帰ったじゃん。』

と甘く考えてもいた。
    

 

ロシアのレザノフに冷たくしたおかげで

北海道にロシア兵が上陸した露寇事件があったりして

北日本中の大名に動員をかけているのだが

喉元すぎれば、だったのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

だから、ペリーが浦賀に現れた事自体には驚かなかった。

しかし、このおっさんの態度が強硬なことには驚いたらしい。

  

『我が国の窓口は長崎だ。そっちに行ってくれ。』

『いま、将軍が病気で大変なんだ。』

  

といっても聞いてくれない。

しまいには、

 

『欧米人は、椅子に座って、

テーブルで話をするそうじゃないか。

オランダ人は靴を脱いで畳に座ってくれるが

君たちはそれができるのか?』とまで言う。

  

アヘン戦争は、清の皇帝がイギリスの公使に

中国式の拝礼を強制しようとしたことも原因の一つだ

ということを知らなかったはずはないのだが・・・

 

 

 

 

 

 

 

アメリカ側が、

『そんな屈辱は受けられない。

ここに来る前に立ち寄った琉球では

仲間由紀恵がびっくりしてたけど

ちゃんとテーブルがあったぞ。』というと。

  

『浦賀にはテーブルはないんだ』と

子供の言い訳のようなことまで言い出す。

 

 

 

 

 

 

  

 

しかしここまでの交渉は、ペリーの方が上手で、

彼は、日本派遣が決まると半年かけて日本を研究した。

 

 

その結論が

『ジャップは脅かすに限る。』

  

わざわざ喜望峰周りで

アメリカ最大の戦艦を送り込んだのもそのため。

奉行所の下っ端がやってきても、

相手にしなかったのもそう。

 

 

 

  

『しょうがねえなあ。』ということで日本側は

禅寺から中国風のテーブルと椅子、

そしてカーペットを借りてきて奉行所においた。

  

中国人は椅子に座るのだ。

琉球の王宮には中国の使節がくるから

あそこでは「テーブル問題」が起きなかったわけである。

 

 

臨時にしつらえられた応接所で

浦賀奉行に国書を手渡したぺりーが

『なんだよテーブルあるじゃん。』

と言ったかどうかは伝わっていない。



 

 

 

  

ただし、日本において、

玄関の式台というのはとても格式があるものであった。

  

式台、というのは玄関の上がり框の前にある

台のような石。(すげえアバウトな説明。)

 

 

ここに上がれるのは主人が許した賓客だけ。

京都御所では、沓が式台に当たっただけで

公卿とはいえ閉門を食らったものである。

  

しかしペリーは

式台から靴のまま座敷に上がって

そのまま帰っていった。

  

浦賀奉行以下の日本側も

羽織袴で椅子に座って応対した。

 

 

 

 

  

この滑稽で屈辱的な会談が、

日米交渉の第一回目だったのだ。

 

暗示的ですね。

 

 

 

 

 

 

 

合衆国水師提督口上書

800px_prli   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ペルリ提督の年齢が49になっているあたり年譜と合わないし、

容貌や服装なんかは、相当に誇張がある。 

しかし、それほど嘘を描いているようにも思えない。

 

 

  

だけど、 

変な椅子だなあ。

 

 

 

 

こんなしいたけの裏側みたいな椅子しかなかったのか?








 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

では、『今日の玉楠』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ペリー日本上陸を描いたハイネの絵。

300px1853yokohama_01_2   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私も勘違いしていたのだが、

この絵は1回目の来航の時の、久里浜上陸のものではなく

2度目にやってきた際の横浜上陸の時のもの。

 

黒船の数が違う。


 

 

  

で、画面右側にくろぐろと大きな樹があるが

この樹は現在もある。 

Tamakusuphoto01    

 

 

 

 

 

 

大桟橋の向かい側にある『横浜開港記念館』の中にあって

『たまくすの木(タブノキの美称)』だそうな。

  

ハイネの絵では幹立ちみたいだが株立になってるぞ

というのはこの樹が、開港直後と関東大震災後の火災で

2回焼けているから。
    

 

旧イギリス公使館の建て替えとともに移植されたが、

ほぼペリー上陸当時の場所

なのだという。


 

  

へー。

 

 

 

この樹の下で、フロックコートに右手を突っ込んだ

『ペリーポーズ』で記念撮影している奴は、

・・・いないだろうな・・・

 

 

 

 

にほんブログ村 その他日記ブログへ

 

 

 

 

 

おまけ。

 

 

 

ペルリ水師提督の全身写真。

Main_200    

 

 

ぼ、ぼくは、 

フロックコートに右手なんか

突っ込んでいないんだな?

 

 

 

 

 

1年後の再掲、お楽しみいただきましたでしょうか。

大丈夫、夜には新編をだすから。

 

|

« パンダの赤ちゃんの名前は絆絆(バンバン) | トップページ | 宇宙人の日 »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

富裕層から集めるには、捕鯨反対運動が都合いいのでしょうね
彼らは十分にテロ集団であります

昨夜は4杯も飲んだのにぐっすリ眠れました
正喜撰とばかし思っていたら雁が音でした
釣鐘は港に並べておきましょう♪

投稿: FREUDE | 2012年7月 8日 (日) 06時20分

なんと、あの髪はかつらだったのですか!
って、こんなところしか食いつけない自分が情けない(笑)。

椅子というのは、座る者に微妙に心理的効果を与えます。居心地悪い思いをさせれば、しめたものなのですがねぇ。
しいたけ椅子でもペルリは意に介さなかったのでしょうか。見ていると、あほみたいですが。

投稿: fullpot | 2012年7月 8日 (日) 18時10分

FREUDEさんありがとうございます。
未生な支払いはいずれ必ずさせてください。
お恥ずかしい姿をさらしました。
 
久しぶりのワインでぐっすり眠れまいた。
すごいよく眠れたんでびっくりしました。
 
 
 
fullpotさんありがとうございます。
椅子の与圧効果ってありますね。
 
幕府がこんな椅子を与えたかどうかは
今ひとつわからないんですが
こんなエマニエルな椅子が
お好みだったんでしょうか? 
 
そうか?
そうなのかなあ‥・
うれしいか?この椅子‥・

投稿: natsu | 2012年7月 9日 (月) 09時29分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/453502/46229289

この記事へのトラックバック一覧です: 黒船の日:

« パンダの赤ちゃんの名前は絆絆(バンバン) | トップページ | 宇宙人の日 »