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2012年10月28日 (日)

キューバ危機の日

10月28日は、キューバ危機が終わった日。

(Wikipediaキューバ危機)

 

 

 

 

 

 

 

アメリカの偵察機が

キューバに、ソ連の中距離核ミサイルが存在していることを

確認したのが1962年の10月14日。

                 

当時アメリカの大統領だったケネディが

キューバにあるソ連の核ミサイルの存在を

テレビ放送を通じて、国民に明らかにしたのが24日。

  

フルシチョフがミサイルの撤去を発表し

事件が収束したのが10月28日。

  

世界が『核戦争の危機』に恐怖した

2週間である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キューバというのはここだ。

 

 

Cuba_orthographic_projection_svg     

          

 

カリブ海の島国。フロリダの

ディズニーランドのすぐ南だよ

 

 

 

  

かつてここはスペイン領だった。

米西戦争によってここがアメリカ領となるのは1898年。

                    

この時、キューバは世界最大の砂糖生産地であった。

スペイン人は現地人や奴隷を使って

プランテーションを作った。あと葉巻も。

  

米西戦争、というのは日本人には

訳のわかりかねる戦争なのだが

司馬遼太郎の『坂の上の雲』にちょっとだけ出てくる。

             

『スペインがキューバでひどいことをしている』と

三流新聞紙(イエローペーパー)が騒ぎ立てたからだ、と。

           

もちろんそんなことだけで戦争は起こらないが、

そういうことが建前のひとつであった以上、

アメリカはキューバを『解放』しなければならなかった。

 

 

 

 

 

  

独立したのは戦後すぐの1902年。

 

 

 

  

ただしこの時、アメリカはキューバ島内の

グアンタナモ湾、というところを借り上げた。

『海軍基地』なのだが

この地名はそれよりも『政治犯収容所』として有名だろう。

  

アメリカは『国内』では出来ない、

いけないことやいけないことを

このグアンタナモ収容所でいろいろと行っている。

 

 

いまも『借りて』いる。

 

  

もちろん現在の『革命』キューバ政府は、

『国土の不法占拠』を認めないので

『借地料』を受け取っていない。

            

アメリカ政府は裁判所にそれを供託しているのだが

年間の借地料は年間48,000ドル

(いまのレートで350,000円くらい)。

 

 

  

超安い

 

 

 

 

キューバ独立は1902年と比較的早かったのだが

それは、プランテーションと砂糖工場の主人が

アメリカ人に変わることでしかなかった。 

            

当然キューバ人から不満が起き、

キューバの政情は不安定になる。

  

1933年にバチスタ、という顔の濃いおっさんが

軍曹のくせにクーデターで権力を掌握。

選挙に負け続けて、要するに民心は得られなかったのだが

独裁によって一時的に安定を得る。

1952年には憲法を停止してめちゃくちゃをやる。

 

  

 

220pxfulgencio_batista      

 

     

演説するバチスタ

すげえ濃い顔

 

 

 

  

 

アメリカ資本と結託して私腹を肥やした

ということで、いまでもこの人の評価は非常に低いのだが

2度の世界大戦に勝って、飛躍的に経済力を付けたアメリカの

富の一部が、この時代この国に還流したことも確かである。

              

1950年代までのアメリカ車が

現役で最も走っているのはキューバだ。

 

  

 

 

これ、5年前の映像だそうです。 

            

少なくともこんな街が、

阪急電車で30分で行けるところにあったら毎週行く。

しかし残念ながら、ここはハバナで太平洋を越えて

さらに彼方のカリブ海にある。

 

 

 

          

いまでもこんな古いアメ車に乗っているのは

後に述べる理由でアメリカがキューバに経済制裁を

食らわせたから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バチスタ政権が倒れたのは1956年のキューバ革命。

  

カストロやチェ・ゲバラを含むゲリラ戦士82人が

亡命先のメキシコから上陸したのが1956年11月。

ただし、8人乗りのボートに82人も乗ったもんだから

上陸した途端弱り果てて、あっという間に12人まで減る。

  

 

苦労してバチスタを追い出すのは1959年。ただし

この時点ではカストロは、アメリカと対立したくはなかった。

 

  

彼が最初の『外遊先』に選んだのは

実はアメリカである。

 

 

 

 

カストロは、1959年に関しては

『グアンタナモ基地の借地料』を受け取っている。

 

 

 

 

 

            

カストロは、頭上に覆い被さる超大国アメリカと

喧嘩したくはなかった。

  

しかし、『バチスタ独裁』を倒した以上

バチスタと結託していたアメリカ資本を

そのままにするわけにも行かない。

            

アメリカとの間には距離が出来、

1959年4月にカストロによる『土地国有化』と

アメリカによる経済制裁によって決裂。

  

カストロはソ連に接近する。

                  

だから1959年以降、アメリカの車は入ってこなくなる。

代わりにソ連の車が入ってきたはずだが

キューバ人は『ソ連の新車』より

『アメリカの中古車』を選んだ。

 

  

 

消費者の選択というのはまことに厳正である。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

          

アメリカ側の事情を見よう。

アメリカが砂糖プランテーションを経営し続けたのは事実。

               

キューバの砂糖は60年間にわたって

アメリカ人を太らせ続けた。

  

そのままほっといた方が

地球の平和のために良かったんじゃないのか?

とも思うが、お父さん太っちゃダメ。

 

 

 

 

  

国家としてのアメリカは

冷戦時代にたくさんの国に影響力を持った。

  

もっと露骨にいうと、

気に入ればジャブジャブと経済援助をするが

気に入らないとクーデター起こして国家を転覆させてしまう。

             

気に入るかどうかの基準は、

『アメリカに忠実であるかどうか』

『統治能力があるかどうか』

  

だから、独裁政権でも何でも良かった。

嫁さんが宝石で着飾っていようと、

3000足のLサイズの靴を持っていようと構わなかった。

 

 

 

             

しかし、バチスタ政権は腐敗した。

国民の不満が高まって、もう統治能力がない。

だから見捨てた。

 

カストロが、たった12人で政権を奪取できたのは

応援はなかったかも知れないが

少なくともアメリカの黙認があった。

           

カストロも、

最初はあからさまに共産主義を押し出さなかった。

清廉で国民の支持があるならカストロでもいいや、と

アメリカが一瞬とはいえ思ったのは事実である。

  

その後、アメリカと対立するようになると

あらゆる手段でカストロをつぶそうとする。

 

 

 

 

           

キューバ危機を体験することになるケネディも

CIAをキューバに送り込んで大失敗している。

(ピッグス湾事件)

             

しかもこの事件にアメリカが関与したことは

キューバをさらにソ連に近づけてしまうことになった。

 

 

                 

10月14日、ソ連の核ミサイル4基が

すでに配備されていることを米軍の偵察機が発見。

アメリカ政府・軍部首脳は驚愕した。

   

ソ連に対し、配備の事実の確認と

ミサイルの即時撤去を求める一方、

キューバを海上封鎖。

 

 

              

東京大空襲で日本人を一晩で10万人殺した

人類の悪魔カーチス・ルメイをはじめとする

米空軍は空爆してミサイルそのものを破壊することを

強く主張するのだが

ケネディは許可を与えなかった。

   

 

Lemay_cuban_missile_crisis         

大統領、やっちまいましょうぜ

と迫る、『悪魔ルメイ』

(右から2人目)

 

 

               

ケネディはルメイを怒鳴り飛ばしたかっただろう。

まだ配備前なら空爆でも何でもありなのだ。

           

ケネディというおっさんは平和主義者のようなイメージがあるが

先のピッグス湾事件の失敗以降もキューバに

政権転覆のための秘密工作隊を出し続けている。

 

 

  

しかし、すでに実戦配備されていたら

空爆しても先に発射されたらどうなる。

1基でも討ちもらしたら核戦争だ。

  

お前ら毎週偵察機を飛ばしていて

何故この段階まで気がつかない。

  

『俺はジャップを空襲で滅ぼしましたぜ』というルメイを

殴り飛ばしたかっただろう。

            

実際これは杞憂ではなくて、ソ連が配備していたのは

発見された4基だけではなく40基以上あった。

ルメイのいうがままに空爆していたら核戦争になった

可能性は大いに高かった。

 

 

Cubacrisis_17_oct_1962     

       

アメリカが『発見していた』

MRBMの発射基地 

 

 

 

           

ケネディは躊躇し、テレビを通して国民と世界に

この事実を公表した。 

アメリカ国民はパニックに陥る。

 

 

 

 

 

 

 

  

ソ連の側の事情も見ておこう。

フルシチョフは焦っていた。

  

まず、直近の恐怖としては

アメリカがトルコに中距離核ミサイル

ジュピターを配備したことである。

  

このことは、共産党西宮支部の杉山は理解できないらしいが

キプロス紛争の原因となった。

          

なによりソ連が恐怖した。

そんな近い場所にミサイルを置かれたらたまらん、と。

 

 

 

 

 

 

  

モスクワの地下鉄建設で褒められて頭角を顕した

このハゲはスターリンの弱点もよく知っていた。

          

スターリンはマンハッタン計画に大量のスパイを送り込んで

原爆で4年、水爆で1年という時差で

アメリカの核技術に迫った。

  

ただし量の展開は無理だった。

核兵器が実戦に使われたのは『ヒロシマ』『ナガサキ』だけなのだが

その運搬手段は戦略爆撃機だった。

              

ソ連は空軍においてアメリカにまるでかなわない。

 

 

 

 

  

なにしろこうだ。

   

0000b5_tu95           

アメリカのB52と

ソ連のTu95

どちらもそれぞれの

最大の爆撃機 

 

            

従ってソ連はミサイル開発に金を掛けた。

現在、国際宇宙ステーションに行く方法は

ロシアのロケットで打ち上げてもらうしかないのだが

このロケットの原型機R-7ロケットが開発されたのは

キューバ危機の5年前の1957年。

いまでも使ってるわけです。

 

  

ソ連は、宇宙開発における自国の優位を

意図的にアピールした。

              

もちろん、最高の軍事機密である核ミサイル

そのものを公表は出来ないので

『宇宙開発』の名目で

スプートニクを打ち上げ、

ガガーリンを打ち上げた。

 

  

アメリカ国民は恐怖した。

 

 

            

空からソ連のミサイルが降ってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

しかしながら、戦略核ミサイルでも

数ではアメリカにかなわなかった。

  

しかも、この時代の核ミサイルというのは精度がひどく

1万kmも飛ばしたらどこに落ちるかなあ、という代物。

            

そんなら、1発の破壊力を大きくして

少々外れても目標が壊せればいいんじゃね?

  

と、

        

核兵器の巨大化が始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

ソ連としては自分からふっかけた競争だとはいえ

核兵器の数と規模、そして宇宙開発に

つきあわなければならなかった。

  

為替レートにもよるが、

経済規模でアメリカの1/20しかなかったソ連が

そんな競争につきあえるはずがなかった。

            

後のレーガンの時代にSDI計画というのがあり

『核ミサイルを撃ち落とすとか、そんなもんできねえよ』

と米ソ両国の技術者は見切っていたのだが

どちらかが手を引かないと終わらない。

  

この無駄な投資が結局『ソ連』を滅ぼす。

 

 

 

 

 

  

もっとも、ソ連にも恐怖があった。

日本人が見慣れているメルカトル図法の世界地図はこんなである。

             

 

2012y10m24d_075818885           

頭上に覆い被さる

巨大な露助  

超うっとうしい

 

 

  

しかしロシア人が考える世界観はこんなである。 

  

 

Union_of_soviet_socialist_republics       

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヨーロッパと近くてアラスカも近い

その一方で中国とも仲が悪くなっちゃった。

アメリカ本国は大西洋と太平洋の向こうだからいいよな。

          

俺たちは敵国に囲まれている。

そこにトルコにミサイルですと?

 

 

 

 

だから、急速な『軍拡の時代』

フルシチョフが選んだ選択肢はふたつである。

ひとつは戦力を実態以上に見せるためのプロパガンダ。

              

もうひとつは『緊張緩和』。

なんとかアメリカと仲良くしようぜ、と。

そういう雰囲気を演出しようとした。

そのうえで軍拡のスピードを緩めようとしたのだ。

とてもかなわないから。

 

 

 

 

  

アメリカも、それに乗った。

            

1959年9月にフルシチョフはアメリカを訪問する。

この人はハゲで、

ハゲはいいとしても、とびきりの笑顔を持っていた。

  

アメリカに2週間も滞在するのだがその時案内したのが

当時、アイゼンハワー政権の副大統領だった

愛想の悪いニクソン。

  

この人はテレビと相性が悪いことにかけては

天下一であり、この時もフルシチョフへのお追従として

『われわれの国は確かにロケットの技術では

ロシアに劣っているでしょう。

でも、このカラーテレビとビデオを見てください』

  

といって、後に

『テレビよりロケットが大事だろ?』

と、どこかの国で聞いたような批判を浴びる。

               

さらにこの人は翌年の大統領選挙に出るのだが

やっぱりテレビ映りが悪くて

ケネディに負けた。

 

 

フルシチョフもニクソンと握手したことは中国との仲を

決定的に悪化させるのだが

ソ連としては中国なんかよりもアメリカとの

緊張緩和が大切だった。

 

 

 

 

 

 

  

ただ、フルシチョフも、

基礎工業力における圧倒的な格差には

衝撃を受けたらしい。

  

そしてこの人には、個人的にも

業績を上げないといけない事情があった。

           

これが、彼がキューバ危機を演出した、また別の理由。

 

 

 

 

 

  

農業政策で大失敗をしていたのだ。

ソ連の南、いまのウクライナのあたりは黒土地帯といって

世界屈指の穀倉地帯である。

        

フルシチョフは、

ここや隣国のカザフスタンやトルクメニスタンの

農業生産量を増やそうとした。

 

        

中央アジアに巨大な湖がある。

ひとつがカスピ海、もうひとつがアラル海。

岩塩があるのでどちらも塩湖なのだが

アラル海のほうは塩が薄くて農業に使える。

            

フルシチョフはここから運河を引いてカラクーム砂漠を灌漑し

綿花を育てようとした。

            

さらに周辺の地域でも小麦栽培のために

大いに農地面積を増やした。

  

 

2012y10m27d_182221461       

      

アラル海はここです

 

 

 

 

 

 

 

大失敗した。

  

小麦や綿というのは連作に耐えない。

土地を荒らすのだ。

荒れた土地の表面をさらにトラクターで荒らせば砂漠になる。

  

だからよほど注意深くやらないといけないのだが

フルシチョフはルイセンコという若干オカルトめいた

農学者をブレーンに抱えたために傷を深くした。

 

 

           

もっとも、同じような失敗はアメリカもやっていて、

1930年代のアメリカではルイジアナが砂漠になって

『怒りの葡萄』になった。

  

毛沢東はもっと大規模に失敗していて

表土はおろか山の木々も全部切ってしまったために

土地も山も川も荒れて『大躍進』どころか

数千万人の餓死者を出した。

 

 

  

とにかくフルシチョフも、

最初の数年こそは耕地面積が増えるんだから

『実績』をあげたが

一度数字が上がってしまうとそれが『ノルマ』になってしまって

縛られるのがソ連である。

  

無茶な形で土地を荒らしてたちまち不作になった。

             

ソ連はアメリカから小麦を輸入する。

 

 

 

 

恥さらしなばかりではなく『安全保障』としても大問題だ。

このことは大いに批判された。

フルシチョフには

『即時で確実な実績』が必要だった。

 

 

 

 

 

 

  

ただ、いくらトルコにミサイルが置かれて

腹が立ったとはいえ

トルコとキューバでは条件がまるで違う。

  

事実上ヨーロッパと陸続きで

地中海の制海権を完全に握っている米欧と

大西洋を押し渡らねばキューバに行けないソ連とは違う。

           

というか、ソ連には海軍がないのだ。

 

 

 

  

もっとも、帝政ロシアの時代には世界的な海軍国だった。

           

アメリカをしのぎ、日本の倍以上、という

戦力を誇ったのだが日露戦争で全滅した。

  

これは文字通りの全滅で

旅順をめぐる陸海の戦いで半分が消滅。

腹を立てて残りの本国艦隊を総ざらえして

バルチック艦隊として送ったら日本海海戦で全滅。

 

  

ロシアは全海軍を失った。

  

直後にロシア革命が起こり第一次大戦が続き

共産革命が起こり、スターリンが軍部を大粛正して

ヒトラーが戦車を前面になだれ込んできたから

ソ連は冷戦が始まった時点で

水上戦力をまるっきり持っていなかった。

  

その後の状況もそんなようなもんで

ロシア艦隊はボスポラス海峡を出て地中海に行くことは出来ず

当然インド洋にも太平洋にも極東アジアにも

まともな海軍を派遣できなかった。

             

大西洋を横断してキューバを支援することなど出来ないのだ。

  

だから、キューバに核ミサイルを置いても『置き捨て』だ。

どうせ核ミサイルなんか『ダモクレスの剣』

使うことなど出来ないのだとはいえ

脅しなんだとしてもキューバは

国土そのものがミサイル発射台でしかない、といえる。

 

  

ひどい話だ。

       

 

 

 

 

 

 

 

 

最後にキューバの事情を見ておこう。

          

心ならずもアメリカと敵対してしまったカストロは

ソ連の支援を望んだ。

  

具体的には実戦部隊の配備と武器の供与である。

          

ソ連は、『顧問団』という部隊の派遣には応じたが

アメリカを刺激しないために

露骨な武器供与は控えた。

  

そこでカストロは

核ミサイルを要求する。

 

 

  

この飛躍がよくわからない。 

やっぱり『ダモクレスの剣』なら強力なものが良かったのか?

  

前記の諸事情があってフルシチョフは核ミサイルの供与に応じる。

もちろん、賭というよりもばくちだ。

実際フルシチョフはこの事件の直後

『アメリカへの対応が弱腰だった』ということで失脚している。

              

ソ連の最高権力者で、生前に権力を失ったのはこの人と

最初にして最後の大統領、ゴルバチョフだけである。

 

 

 

   

そして『使えない』以上、

カストロはミサイルの第一陣が来た時点で

『世界に公表して、アメリカの妥協を引き出せ』

とフルシチョフに要求する。

            

フルシチョフは

『1発や2発では破壊されたら終わりだ。

あとは、核ミサイルを配備した、という

外交上の負い目だけが残る。』として

数がそろうまで待て、という。

 

 

 

 

          

この間のやりとりを見ると、

『カストロは腰を据えてアメリカと戦うつもりはなかった』

とおもうのだ。

核戦争を招来するこんな事態は望んでいなかっただろう。

               

「ミサイルがあるよっ」ということで

猫だましのように一発パチンと脅かせれば良かった。

アメリカとの関係改善、というか均衡を望んだ。

せめて経済封鎖の解除を引き出せたら良かった。

 

  

そうであれば、

『空爆に耐えてミサイルを残す。』

というフルシチョフの戦略と

『俺たち核ミサイルがあるんだぜー。』

という自分達の戦略は当然違う。

               

こうした立場の違いはこの事件において

一番の当事者であるはずのキューバを

蚊帳の外に追い出していく。

 

 

  

そして、ソ連には『核ミサイル配備の事実は俺が公表する』

『アメリカの挑発には絶対に乗るな。』と言い渡されてしまう。

 

  

すげえ、腹立つ。

 

  

10月26日、キューバ軍は上空に飛来したアメリカの偵察機

U-2に向けて、地対空ミサイルを発射。

隣にはソ連軍部隊もいて、ノリで一緒に発砲したら

ソ連軍のミサイルのほうが命中した。

 

 

 

 

 

 

 

 

フルシチョフもケネディも頭を抱えた。

 

 

 

そりゃそうだ。

             

フルシチョフはキューバ軍にさえ、

『応戦禁止』を厳命していたのだ。

それが、身内のソ連軍がアメリカ軍機を撃墜したのだ。

  

もう戦争しかないではないか。

 

 

 

  

ケネディは決して非戦論者ではなかったが

ルメイに空爆を許したら、間違いなく核戦争が起きる。

そうじゃなくても、アメリカはベトナム戦争でいそがしいのだ。

  

新しい戦争を始めるのか?

 

             

しかしこうなったら軍部を止められない。 

             

もう、戦争しかないではないか?

 

 

 

 

  

実は同じ日にフルシチョフの『回答』が

アメリカに伝えられていたのだ。

『キューバの安全保障とトルコのミサイル撤去があれば

ソ連のミサイルは撤去していい。』

  

交渉は大詰めに来ていた。

 

          

それがこれだ。

 

 

 

 

 

 

心が千々に乱れた両首脳は

結局は妥協した。

  

10月28日(日本時間は27日)フルシチョフは

キューバに向かっていたソ連の輸送船の回頭を命じ

キューバにおけるソ連のミサイルの撤去を発表した。

 

アメリカもキューバへの不侵攻を宣言。

同時に秘密議定書で

トルコに配備したジュピターミサイルの撤去を決める。

これはアメリカにとって大きな譲歩だったのだが、

大きく報じられることはなかった。

 

両方譲歩したが,全体には『ソ連の負け』

というイメージで決着する。

 

 

 

  

アメリカとソ連は、この時の反省から

『直接話せるのがいちばん。』とホットラインが作られた。

  

この盗聴全盛の世の中

だれか中継してくれたら面白いと思うのだが

そんなことをいうと抹殺されてしまうのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キューバ危機は『核戦争の恐怖』を実感させた。

もちろんリアルタイムでは知らんけど。

その後量産された1960年代以降のSF小説は

どこかにこの『危機』のかげを引きずっている。

 

        

そしてその教訓は、なんだったんだろう。

 

  

『核兵器なんて結局は使えない』

という事じゃないのか?

  

 

しかしもし、ケネディがルメイのいうことを容れて

空爆に走っていたら、

フルシチョフが血迷って発射命令を下していたら

なにより現地軍が勝手な行動を起こしていたら…

              

そんな恐怖も存在するのだ、という事も

世界は思い知ったわけです。

 

 

  

ふう…

 

 

 

 

北朝鮮の核兵器なんか怖くはないよ。

  

使えないんだから。

 

 

 

  

 

中国が『核保有国』として偉そうにしたって

怖がることはないんだ。

  

使えないんだから。

 

 

 

 

  

 

アメリカだって怖くはないぞ。

  

使えないんだから。

 

 

756pxupshotknothole_grable           

アメリカが『実用核兵器』

として開発したW9核砲弾。 

射程30km

被害半径15km 

 

   

何がしたいんだ?お前は

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の2枚。』

 

 

 

 

 

 

           

 

アラル海の変貌。

706pxaral_sea_19892008    

 

 

 

 

        

 

1980年代末

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

600pxaral_sea_continues_to_shrink_a     

 

 

 

2009年 

 

 

 

 

          

この湖がこれだけ衰えたのは

ご覧のようにここ20年くらいがひどくて

フルシチョフの所為だ、とは言いきれないのだが

旧ソ連諸国の

めちゃくちゃな自然破壊の一例ではある。

 

 

 

 

 

 

 

おまけ 

 

 

 

 

 

 

 

0000furushityohu_2      

 

          

第一書記を追われた

フルシチョフは

7年間軟禁されて死ぬ

歴代権力者とは違って

一般の墓地に葬られた

これはその墓石

 

 

 

 

 

          

白黒の大理石を組み合わせたデザインは

当時でも様々な憶測を呼んだ。

少なくとも日本人には

生首をさらされているように見える。

 

 

 

 

 

 

 

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

そうでしたか。あれから50年がたったのですね。私はその時、小学生(10歳)でしたので、当時のことはよく覚えていません。

ただ、その後に大きな事件であったことを知った次第でした。国の指導者の資質が問われる事件でもあったと思います。

今の我が国において、本当に指導者として頼りになる人がいるのかという不安にさいなまれます。

投稿: クレーマー&クレーマー | 2012年11月 4日 (日) 16時15分

Hi, Natsu-san
Are you busy or sick?
We are worrying about you.

投稿: 9 cats | 2012年11月12日 (月) 12時02分

9 cats さん、ありがとうございます。
返事が遅れてすいません。
ご心配ありがtうございます。
体調も悪かったんですが
ちょっと忙しくて
モニターの前に座れませんでした。
だんだんに、
いつもの調子に戻していきます。
 
クレーマークレーマーさん
ありがとうございます。
返事が遅れて申し訳ありません。
私も、リアルタイムでは知らないのですが
おそらくろくに寝ていなかっただろう
ケネディのやつれた表情の写真が
残っています。
毎年総理が替わるこの国は
大丈夫なんでしょうか…

投稿: natsu | 2012年11月22日 (木) 01時01分

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