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2012年11月の投稿

2012年11月30日 (金)

ぼくらは、アトムの子供さ

総選挙を前に10党首が『ニコ動』で討論、というニュース。

(読売の記事)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『党首討論なら国会でやれよ。』

 

『まあ、それを言っちゃうと…』

 

『だけど、なんでネットコンテンツなんだよ。

じいさんやばあさんは見られないぞ。』

 

『まあ、年齢はともかく、パソコンやスマホなんかの

受信機器と環境がないと見られないですよね。』

 

『だろ?ニコ生に小沢さんが好んで出ることを考えろ。

ネット世論って言うのは偏ってるんだ。』

 

『あんたも相当に偏ってますよ…』

 

『なんだとっ?』

 

『とにかく小沢さんは、

解党して「未来のなんちゃら」に入りましたからね。

嘉田さんが出てましたよ。』

 

 

 

 

 

 

 

 

  

『それにしたってだっ。』

 

『ひっ。』

 

『公開討論、というならせめて地上波でやるべきだろう。』

 

『ちゃーらーちゃらちゃっちゃー…?』

 

『福島さんちょっと黙ってください。

選挙制度のことは後で聞きますから。

と、田原総一朗が言う。』

 

『あ、それは聞きたいかな…』

 

『……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『しかし、10党のほとんどが

「脱原発」「卒原発」「即時原発廃止」って。』

 

『石原さんの所でさえ、発送電分離で原発依存を改める、

自民党も10年以内に(持続可能エネルギーとの)

ベストミックスを目指す。ときた。』

 

『いまや、原発推進派は選挙では勝てない、と。』

 

『べつに原発を止めるんなら、それでもいいんだ。

しかし、全員右というのが気に入らない』

 

『…へそ曲がりですねー。』

 

『だけどな?「うちは30年。」

「うんにゃ、うちは10年。」

『社民党わぁ。すぐにぃ、原発をぉ止めまぁす。」

なんていう数字に根拠はあるのか?』

 

『福島さんだけ風当たりが強いですが

共産党も、生意気に同じようなことを言っています。』

 

『いま、日本に必要なエネルギーがどれだけで、

足りない分は、どういう見込みで手当てして、

「再生可能エネルギーは割高だ。」

ということを示した上で、どんな財政措置を取るのか?

といったことに答えない。』

 

『……原発を焦点にした選挙は間違いだと?』

  

『そんなことは無い。

ドイツで「緑の党」が国政を動かしたように

「ワン・イシュー」の政党があってもいいんだ。

 

『…はあ。』

 

『しかしそれなら、

その具体的な道筋を示してもらわなくちゃならん。

即時コース、10年コース、30年コース

運命の分かれ道、では困るわけだ。』 

   

『財政的、技術的な裏付けが欲しいですよね…』 

    

『そんな基本的なことに答えない。』

 

『答えようがないんでしょう。

彼らは文系だから。』

 

『それならなおのことだ。

根拠のない数字に意味があるかっ。

30年も10年も即時も

同じことだっ。

馬鹿野郎っ。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日のアトム。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

原子力が希望だった時代。

 

 

 

 

 

 

 

僕らは、アトムの子供さ。

 

 

誰が裏切ったんだい?

 

 

本当に嫌だ。反吐が出るくらい嫌だ。

 

 

 

 

 

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2012年11月29日 (木)

鹿鳴館の日

11月27日は明治16年(1883年)に鹿鳴館がオープンした日。

 

 

関税自主権の喪失、治外法権などの

不平等条約に悩んでいた日本は欧化政策を採り、

少なくとも、外交、法制で

西欧に劣らないことを示そうとした。

その現れのひとつが鹿鳴館である。

 

 

0000rokumeikan3

10年前まで姫様として御殿

奥深くにいた貴族の奥さんと

大名にダンスさせた。

踊れる訳ねーじゃん

   

 

ダンスひとつで条約が変わるかよ、

という批判は国内からも強く

外国の外交官も冷笑していた。

 

これを主導した人は井上馨という人で長州藩の出身。

下級武士ばかりの明治政府の中では比較的家格も良く

例外的に理財の才に長けていた。

渋澤栄一を見いだしたことが最大の業績である。

 

 

 

 

ただ、私利と公益の区分については犯罪的にいい加減で

尾去沢鉱山事件をはじめとして、

職権を利用して私腹を肥やすこと甚だしく、

さらに三井財閥の援助を受けて私腹を肥やし

後世の評判はすこぶる悪い。

 

とにかくこの男は、不平等条約改正という理想を掲げた。

これは評価してやってもいいのだが

やり方がひどかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鹿鳴館のことだけ言われるが、

この男は『東京改造』を考えてもいた。

 

べつにこれは こいつの独創ではなく、19世紀後半

西欧列強では、街をぶち通して大通りを造り、そこに

記念碑的な建物や広場、モニュメントを作る、という

豪快な都市計画が流行っていた。

 

井上はこれを帝都でもやりたかった。

 

外交的な配慮から、井上が建築顧問として迎えたのは

ドイツ人のエンデ先生とベックマン先生。

鹿鳴館の設計は

イギリス人のコンドル先生に任せたのだが

井上と折り合いが悪いせいもあって

それ以降は切り替えてしまった。

 

 

 

 

 

エンデ・ベックマン両先生の計画は壮大で、

いまの日比谷公園から丸ノ内、霞ヶ関、永田町にいたるのだが

実現できたのは日比谷公園だけだった。

 

日比谷公園の半分のきさで、用意されたのが

鹿鳴館と帝国ホテルである。

帝国ホテルは、外国の賓客を迎えるために作られた。

昭和に入っても・外人がタクシーに乗って

「To the Hotel」といえば、

それは帝国ホテルのことだったそうである。

 

 

2012y11m29d_030912241_2

赤いとこが鹿鳴館の敷地 

帝国ホテルだって

広いよなあ。

時価何千億とか言ってる

東電本社なんかより

はるかに広いんだぜ。 

 

  

 

  

ただし、井上は帝都改造を前に失脚する。

明治20年9月のことで、鹿鳴館外交の時代は

結果として4年にも満たなかった。

 

 

 

鹿鳴館の建物そのものは

コンドル先生の設計だけあって、凡庸なできではない。

 

0000rokumeikan5

  

まあ、立派か、

といわれても

困るんですけどね。 

 

  

 

  

 

で、今日話をしたいのは、この建物の

『その後』のことだったのだ。

 

ごめんね、前置きが長くて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

外交の場としては、お役ご免になった鹿鳴館は

宮内省に払い下げられ、明治20年に地震にあって修理され

その後華族会館(旧貴族の親睦組織)に払い下げられて

どこまで使われていたのか…

そんな状態で関東大震災にあって、倒壊こそ逃れたが

ぼろぼろになった。

昭和2年に日本徴兵保険会社(現在の

プルデンシャル ジブラルタ ファイナンシャル生命保険

に売却された。生命保険会社がなんに使うのか?

 

 

 

もう、この時期には積極的に補修しようという人も

いなかったらしい。

まあ、はっきり言って社会的な使命は終わっている。

 

従って太平洋戦争直前の昭和15年(1940年)に

突然、取り壊し論が起きる。

 

曰く

『日本徴兵保険会社では

最近のビル飢饉時代に建物に比較して

広大な敷地を遊ばしておくのは

土一升、金一升の場所から惜しいところでもあり、

不経済であるとの理由で

建物の取毀しを決定したともいはれ

、取毀した敷地後にはバラツク仮建築を建築して

商工省分室として貸室することに内定、

数日前から工事に着手した』

 

 

 

 

 

 

かつて西欧に、追いつくべく手など握ったこともないような

公家さんやお姫様が馴れないドレスを着飾った

贅を尽くした建物が、バラック仮建築である。

 

これを聞いた建築家の谷口吉郎

『明治に生れた人達が、自分の所持品を持ちよつて、

それを小博物館にすることは出来なかつたらうか。

それこそいい明治の記念物となったらうに。

明治時代の人から、次の時代に贈る

ほんとにいい贈物になつたことと思ふ」

「新体制が活発な革新意識に燃えるものであるなら、

それと反対に古い文化財に対しては

極度に保守的であつて欲しいと思ふ」

  

 

 

昭和15年の文章だから、

当局に睨まれないぎりぎりのところで

ひどく抑制が利いているが

それ故に、悔しさやいかばかり、と思わせる。

 

 

確かに、経済性、『土一升、金一升』の論理で

取り壊された建物はいくらでもある。

『土一升、金一升』の本来の意味は

敷地を惜しむことではなく、

低湿地で土地をかさ上げするのが大変だ

ということなのだが、だから

ジブラルタ、とか外人は物をしらねえ。

 

 

 

壊されたものは仕方がないが、理由がそんなんじゃ

あんまりだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では『今日の一枚。』

 

 

 

 

ただし、谷口の意見が通って、あそこに

鹿鳴館が残されたとしても

5年後の東京大空襲で

焼かれていたことは間違いない。

 

日本を焼き払った、悪魔カーチス・ルメイ

一晩で10万人を殺した江東地区の3月10日の空襲から

順を追って東京を4回に分けて焼き払った。

 

帝国ホテルも3月10日と4月13日の空襲で

直撃弾を相当数受けており

鉄筋コンクリートだから焼失こそしなかったが

木造の鹿鳴館は耐えられなかっただろう。

 

むしろ空襲前に解体されたために

鹿鳴館にあったシャンデリアが1基、何故か江戸川区の

灯明寺というお寺に保存されている。

 

 

00000rokumeikan_2

 

 

 

格天井には

似合わないけど

 

 

 

 

 

 

あと、階段や手摺の一部が東大に保管されているらしいが

非公開だそうである。

 

仕方ないのかなあ。

くやしいなあ。 

 

 

 

 

 

 

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2012年11月26日 (月)

スト権ストの日

11月26日は『スト権スト』の日

 

1975年のこの日

国鉄の労組がスト権を持つべきかどうかをめぐって、

国労・動労がストを実施。

日本中の国鉄を1週間にわたって止めた。

 

 

 

 

 

 

当時私は中学生であり

うちの中学校では、国鉄がストをすると休みという

規定があったために土日あわせて10連休になった。

 

 

毎晩、NHKの9時のニュースを見ながら

『がんばれ労組』と思ったもんである。

 

 

しかしながらこのストは、国鉄本体を滅ぼした。

今日は、そんなお話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『スト権』というのは

『団結権』『団交権』と並んで『労働三権』と呼ばれ

『気に入らなかったら働かないぞ』

というもの。

  

労働者の基本的な権利である。

 

 

 

  

ただし、当たり前だが

公益性を重んじる公務員にはこの権利は制限される。

当時の国鉄は『三公社五現業』といって

昔の受験生なら暗記しなければならなかったんだけど

国鉄職員は『準公務員』という扱いで

スト権は認められていなかった。

 

 

 

ちなみに公務員には『団交権』も認められていない。

そのかわりに人事院というものがあって

『給料あげたれや。』と勧告してくれる。

 

自衛隊・警察官・消防官には団結権も認められていない。

確かに、あんまり『自衛隊労働組合』とか見たくない。

  

公務員一般は現業職員(ゴミの収集担当)とかも

団結権は認められていないのだが

例外が教員で、従って『日教組』という腐った組織がある。

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

こんな話を始め出すときりがないので先を急ごう。

  

復員兵であふれかえった国鉄は

組織組合の草刈り場になった。

 

 

2012y11m26d_121635216    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時社会党系であった総評(いまは民主党系)の国労・動労が

主力となって起こしたこのストは

数でいえば圧倒的であったが故に日本中の鉄道を止めた。

 

 

 

  

国労・動労もいきなりそんな強硬手段に出たわけではなく

毎年『春闘』といって2.3日のストをやった。

  

しかし『スト権』がないのはやりにくい。

毎年の春闘で大量の処分者が出る。

組合闘争は過激化し『幹部のつるし上げ』のようなことが

常態化する。

その中で1960年代から採られたのが

「遵法闘争」という手法である。

  

曰く、

「カーブの手前では必要以上にスピードを落とそう。」

「線路に鳩が止まっていたら危険だから列車を止めよう。」

「気分が悪かったら危険だから乗務を辞めよう。」と。 

「遵法」といえばそうなのか?

もちろん安全が第一なのだが、

要するにサボタージュだ。

 

  

しかし、こんな小学生の喧嘩みたいな

サボタージュをやったおかげで

ダイヤは乱れまくった。

遅延欠便当たり前。

 

 

 

 

もちろん乗客は怒った。

上尾事件をはじめとして国電各所で暴動が起こった。

 

 

 

  

この話の流れの中で、 

物流は鉄道からトラックに移った、という奴がいるが

そうでもない。

 

  

ご覧いただこう。 

 

2012y11m26d_121736597_2    

 

 

 

 

 

 

 

若干統計が古いが

戦後10年目までは物流の過半を占めていた鉄道は

1960年代に急速に勢力を失って

10パーセント台になっている。

 

  

これは実は10年後でもあまり変わらない。

 

スト権ストは1975年だし、

1960年代に何があったか、というと遵法闘争だ。

これが決定的に国鉄貨物を滅ぼした。 

 

 

 

その一方、トラック輸送が

急速にシェアを伸ばしたのか、

というとそうでもない。

『自動車輸送』は1970年代初めに39%台をマークするが

それ以降は低迷して30%代前半をうろうろしている。

 

この時代、道路もトラックもひどかった。

高速というのは東名・名神くらいしかない。

主要国道でさえ田舎に行くと、舗装もしていない。

トラックもトレーラーなんてない。

 

とてもじゃないが

大量輸送には耐えられる代物ではなかったのだ。

この時代の日本の自動車輸送を

過大に評価してはいけない。 

 

  

船舶が過半数を越えているあたりに注目して欲しい。

外国航路はコンテナ化していたが

国内は、昔ながらの荷役方式。

急にシェアが増える理由はない。

70年代にはいって船舶がシェアを伸ばしているのは

カーフェリーのせいだ。

 

  

高速がないからフェリーを使った。

港を降りればそのまま目的地に行ける

いまの人は知らないだろうが、

昔のフェリーの平土間の雑魚寝フロアなんかは

トラックの運ちゃんばっかりだったのだよ。

 

フェリーだって天気が悪ければ遅延するのだが

そこまでしても国鉄が嫌だったのだ。

 

 

 

 

 

 

  

なにより、遵法闘争で、

いちばん怒ったのは荷主である。

届け先に約束の日に着かなければ

違約金を払わねばならないのは荷主だ。

石炭ならともかく、牛乳なら全量廃棄だ。

  

 

人間なら文句言いながらも振り替え輸送に応じてくれる。

もちろん私鉄が併走していない区間もあったし

併走していても京成のようにまるっきりローカル線だったために

ガラスは割れるは、けが人が出るは、と偉い騒ぎになったが…

 

私みたいに『ストなら学校が休みだーい。』

喜ぶ馬鹿もいる。

 

しかし、貨物の荷主はそうはいかない。

国鉄は、スト権ストの前に急速に顧客を失っていった。

  

しかし、労組は自分達の影響力を過大に評価していたらしい。

すでに国鉄が陸運の王者であった時代は終わっていた。

 

 

 

 

 

 

  

国鉄も、貨物輸送の近代化に

手をこまねいていたわけではない。

  

国鉄にとって、貨物駅に多数の職員を抱えて人力で作業することは

遵法闘争との件だけでも非効率であり、危険でもあった。

そして日本でも、『鉄道離れ』が始まっていた。

 

 

  

1970年代、世界において「鉄道再生のモデル」はアメリカだった。

ハイウェイと飛行機に負け越して

旅客輸送をあきらめた、アメリカの鉄道は貨物輸送に

活路を見いだした。

  

船舶コンテナをそのまま運べるアムトラック

『三流の路盤に一流の列車を走らせる』

信じられないくらいの長大な編成などの

徹底的な省力化で大いに収益を上げた。

 

 

 

日本の貨物輸送もあれを見倣おう、という動きがあった。

1970年代から日本中の貨物取扱駅を削減して

扱う貨物の種類を制限しようとした。

 

このおかげで、別府鉄道とか国鉄に乗り入れていた

愛すべき私鉄が滅んだのだが

国鉄の言い分はこうだった。

 

 

 

 

『コンテナで運べる荷物だけにする』

 

 

 

 

 

いまも、国鉄の貨物列車はコンテナを積んでいるが

あれを徹底しよう、と。

距離あたりの運賃では鉄道はまだまだ競争力がある。

 

ということで、国鉄は全国に貨物線を敷いた。

実は、首都圏のJRの貨物専用線が

最もたくさん敷かれたのが1960年代から70年代である。

 

 

そのうちのひとつに武蔵野線がある。

路線の意味としては、京葉、常磐、東北、中央、京浜

各方面の貨物列車を都心を通らずに連絡しよう、

というもの。

 

 

 

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計画としては

戦前からありました。

 

 

 

     

 

ただし、戦後実現するにあたり、

この鉄道は貨物鉄道の理想を実現しようとする。

  

たとえばこの路線には踏切がない。

全て立体交差なのだ。

 

 

そして決定打は、路線の中間部の埼玉県吉川市に

日本最大のコンテナ貨物基地、武蔵野操車場

つくったことだ。

  

貨車の増・解結、誘導を全てコンピューター制御。

敷地内にハンプを設けて無人運転するなど

徹底的に無人化を実現。

広さは甲子園球場3個分以上。

 

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この操車場は、1974年に開業した。

 

ところが、直後に起こったのが『スト権スト』である。

荷主は決定的に国鉄を見捨てた。

 

 

 

  

貨物再生の輿望を担った武蔵野操車場は

たった10年で放棄される

 

00000musashinosousyajou2_2    

 

 

あっさりと廃墟

 

 

  

狭軌の日本の鉄道が船舶コンテナを積めないことも大きかった。

 

いまや、大型トレーラー

コンテナ埠頭から船舶コンテナを

そのまま引っ張っていける時代だ。

  

鉄道コンテナに積み替えて、目的地の近くで

もう一度トラックに積み替えないといけない鉄道は

まったくかなわない。

   

神戸のポートアイランドをはじめ1980年代から

従来の埠頭方式から、ガントリークレーンを並べた

コンテナヤード、というものが一般的になった。

 

鉄道貨物は、少なくとも大量輸送の手段としては

社会的な使命を終えた。

 

 

 

 

 

 

 

  

『スト権スト』は

結局、国鉄の労働者を救わなかった。

自業自得の側面が強いとは思うが

乾坤一擲のストの12年後に国鉄自体が滅びる。

  

 

そこはざまあみろ、と思う。

俺は国鉄職員が大嫌いだ。

  

武蔵野線が貨物線だったことなんて

あのあたりに一戸建てを買っている田舎者は知ってるのか?

「あー、ちょっと通勤が不便よねー。」とか言っている奴は

当たり前だ。

田舎なんだから、ボスママも怖かろう。

 

 

  

しかし、未来を目指した鉄道だったことは間違いない。 

ほんの10年間だけ、夢を見た。

 

  

挫折したけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

では、『今日の国労。』

 

 

 

 

 

 

分割・民営化に反対する『国労のCM』 

 

 

 

 

 

こんな嘘くさい駅員いねえよ。

 

 

 

リアルタイムに知っているから言える悪口がある。

悔しければかかってこい。

 

 

 

  

 

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2012年11月22日 (木)

宇宙人の引退

鳩山元総理、不出馬・政界引退を言明。 (読売の記事)

 

 

 

 

 

  

『鳩山さん、政界引退ですと。』

 

『辞めるのか?…』

 

『あれ?惜しいんですか?』

 

『いや、人はいいと思うんだ。

親しくお会いすることなんか絶対にないと思うけど、

衆参会わせて700人もいる国会議員の中に

1人くらい、あんな人がいてもいいんじゃないか、と。』

 

『まあ、善人なんでしょうけど、言葉が軽いですよ。』

 

『最低でも県外、とかな。』

 

『人が良くても総理をやったのは国民には迷惑でしたぜ。

普天間なんか、解決が遠のいちまった。

沖縄の人は怒ってますよ?』

 

『うん、あの人のおかげで

「二大政党による政権交代」っていうものに

みんな幻滅しちまったからなあ。』

  

 

  

 

 

 

 

 

 

 

『TPPや消費税増税が折り合わなくて公認が貰えない、

っていうんなら、山田さんや亀井さんとこの「反TPP党」にでも

行けばいいのに…』

 

『二人とも、自分の内閣の閣僚で

いわば部下だった連中だからなあ。』

 

『じゃあ、小沢さんとこ。』

 

『いや、民主党から出馬したかったんだろうよ。

「民主党は俺が作った」くらいに思ってるだろうし』

 

『相当、お金も使ったでしょうしね…』

 

『民主党にあとから入って来て、

本来なら俺に付いてきてもいいような連中をまとめて

先に出て行っちゃった小沢さんの下になんか

いきたくはなかったんだろうなあ。』

 

『それで引退、ですか』

 

『ちょっと極端だよなあ。』

 

『信用していいんでしょうか?

なんか復活してきそうな気がするんですよね。

衆院選には出ないけど参院選には出る、とか…』

 

『いやあ、引退っていってるんだし国会議員は無理だろう』

 

『じゃあ、知事。

「引退ってのは国会議員からのことですよ。」とか言って

東京とかじゃ勝てないだろうから、北海道の知事とか。』

 

『トラスト・ミー』

 

『あ、そのセリフがだめだったんだっけ。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『結局、プライドが高いんだろうな。

自分もそうだけど、じいさんも総理だし親父も大臣だ。』

 

『世襲議員は珍しくないけど、

ここまで来ると歌舞伎の大名跡みたいですな。』

 

『総理までやった男が知事になるかよ。』

 

『ゴルバチョフみたいに

外国のテレビに出たりしそうですよね』

 

 

 

 

 

  

 

   

『自分から頭を下げるなんて出来ないんだろう。』

 

『かといって、不満分子は自分を誘ってくれなくて

勝手に「就職口」を捜してあらかた出て行っちゃった。』

 

『誰かが声をかけてくれるのを待ってたのかなあ…』

 

『どういうことです?

乱立している新党のどこかからって事ですか?』

 

『ドラフト・ミー』

 

『……』

 

『……』

 

『そんなんだから

誰も声をかけてくれなかったんでしょ?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、今日の『引退政治家』

  

 

 

 

 

 

 

 

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政界引退後は

作陶など枯淡の趣味に

耽っているという。

 

 

  

とか言いつつ、この本はムックのくせに2300円もするので

こいつ、まだ枯れてねえな、と思う。

(一応リンクしといてやろう。)

 

 

 

 

 

 

そういえばこいつも『引退政治家』だった。

00000taizo_2

  

 

いまはテレビ芸人

 

 

こういうふうにだけはなるなよ…

夫婦漫談とかやってくれたら人気が出そうだが…

 

 

 

  

 

『どうもー由起夫でーす。』

 

『みゆきでーす。』

 

『2人合わせてエイリアンズでーす。』

 

 

 

 

 

 

み、みてみたい…

 

 

 

 

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エイリアンズでーす

 

 

 

  

 

 

 

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2012年11月19日 (月)

ご報告

お久しぶりでございます。

いつの間にやら1ヶ月近くも空いてしまいました。

ひえええ。

 

 

 

ご心配のコメントなどもいただいております。

ありがとうございます。

ちょっとずつ再開していきます。

 

 

 

 

世間では、国会が解散したり

新党が出来たり、くっついたり、袖にされたり、

WBCの前哨戦で日本がキューバに勝ったり

藤原鎌足していて、

あああ、突っ込みたいことがたくさんあるのにっ。

 

 

必ず戻って参ります。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

続きはWebで!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あ、いまの笑うとこです。

『だから、これがWebだろ?』って。

 

 

やっぱ、だめだな…

 

  

 

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最近この『続きはWebで』っていうセリフ

CMで聞かないね。

 

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