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2013年2月の投稿

2013年2月27日 (水)

あの偽装酒造メーカーは               『モンド・セレクション』を受賞しているらしい。

大阪の酒造メーカー『浪速酒造』が、

安い酒に『純米大吟醸』などの高いランクのラベルを貼ったり

高級酒に安い酒を混ぜたりしていた、と言うニュース。

(日経新聞の記事へのリンク)

(浪速酒造のHPはさすがに炎上を恐れてか、閉鎖されています)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『社長は、「味が変わらないからいいかと思った。」ですと。』


『アバウトな社長だなあ。』


『しかし、国税局の検査が入るまで、消費者からクレームは

なかったんでしょうか?』

 

『暖簾の信用、なのか…』


『酔っぱらいの舌なんか信じな、っていうことか。』

 

『……』


『……』

 

『じゃあ、社長の言ってたことは

正しかったんじゃないのか?』










『5年くらい前に、デパートで売っていた14g、10500円のキャビアが

「味が違う。」っていう顧客からのクレームで交換されたっていう

ニュースがありました。(2008年2月11日の日記)』


『…すごいな…』


『ね、すごいでしょう。

近所の店に文句を言うんならともかく

デパートに「味が違う」ってねじ込めるって

どんだけ雄山なんだ、と。』

  

『5年前から今とおんなじようなことを

書いてるんだ』

 

『あ、そっち?』















『だけど、実際、美味しんぼあたりが取り上げるまで

俺も含めて、吟醸酒、純米酒、三増酒なんて言葉

くわしく知ってる奴なんか周りにいなかったぞ。』

  

『僕も酒に関しては「BAR・レモンハート」と

「美味しんぼ」と「おせん」で勉強しました。』 

 

『全部漫画じゃねえか。』


『酒の味がわかんないんですか?』

 

『そりゃ好きな銘柄だってあるし、

しょんべん横丁あたりの居酒屋で出てくる、

醸造用糖類満載で、机にこぼすとベタベタするような酒と

まともな酒との違いくらいはわかるさ。』


『しかし、初めて飲む銘柄で「江戸時代から続く老舗」

って言われたら、まあそうかな。と』


船場吉兆に騙されたように、舌じゃなくて

「耳と頭で飲んでる奴」が結構いたってことだ。』















『しかし、この会社、あの「モンド・セレクション」を

受賞しているんですと。』

(阪南市商工会のHP)



『なんですと?』





『多分、この商工会のページもすぐに消されるでしょうから、

画像も貼っておきましょう。』


『うわ、いじわる。』

 





2013y02m26d_184427431_2     

 

        

さらに意地悪なことに

クリックで大きくなります

 

 

 

    

『あの「モンド・セレクション金賞、世界が認めたおいしさ」

とかCMで言っている、あの賞か?』


『このページだけだと金賞かどうかは

分からいんですけどね。』


『モンド・セレクションって

金賞以外にもあるの?』


『特別金賞、金賞、銀賞、銅賞まであるみたいですね。』


『「モンド・セレクション銅賞」って

微妙に嬉しくない称号だな。』


『CMで使いにくいですよね。』
















『そもそもモンド・セレクションってなによ。』

  

『えーと、ベルギーにある民間組織で

申請のあった商品について、例えば食品なら

「食品部門のテースティングに於いては

テースト、アローマ、外観、フレーバー、舌触りなど

あらゆる官能的評価基準に則り感覚分析を行います。

この評価に加え、消費者の観点から成分、パッケージ、

調理法方やその便宜性なども加味し全体評価をして」

賞をくれるんだそうです。』

(モンド・セレクションHPへのリンク)


『酒も対象なのか?』


『酒だけじゃなくて、タバコや化粧品も対象です。』


『なんであんなにたくさん「受賞作」があるんだろう?』


『その官能的評価やら、安全性や便宜性を

複数の審査員が点数で評価、合計点の平均が60点以上なら銅

70点以上なら銀、80点以上なら金、90点以上なら特別金賞。』


『めんどくさ。』



『加点方式の絶対評価なんです。

オリンピックじゃないから各賞上位何組、

とか決まってないんですよ


ISO14000みたいなもんか?』 


『基準を満たせばもらえるっていう意味では、似てますね。』


『しかし、しょっちゅうCMで見るぜ。』


『2012年の結果では受賞作、メーカーの3/4がアジアで

日本はその6割、1200ブランドくらいが受賞している、と。』



『ふわあ…』














『その商工会のHPに書いてある『モンド・セレクション」も

偽もんなんじゃないの?』

  

『あ、やっと今日の本題の与太話だ。』

 

『ごめんね、「銅賞まである」とか、

「モンド・セレクションの真実」に驚いたもんだから。』



『まあ、ラベル貼り換えの一件を見ると、

なんでも信用できなくなりますが、

そこまで嘘をつきますかね?』


『実は「主水セレクション」。


『なんですか?それ。』


『必殺仕置人、中村主水役の藤田まことさんもおすすめ。』


『またくだらないことを。』



『藤田まことが、菅井きんに

「ムコ殿、早くお選びなされっ。」って

怒られながら選んだ逸品。』

  

『藤田まことさんは2010年に亡くなってます。』

  

『ちっ。』













『じゃあ、「門戸セレクション」。』


『だから、その「じゃあ」は一体なんですか?と。』


『あほ、西宮にある厄除けの神さんがいる町やないか。

「もんこ」やのうて「もんど」って訓むんやで。』


『お寺ですけどね。』


『そこの住職さんもおすすめ。』



『あの、このお寺のHPが結構本気なんで

おちょくると怒られるような気がするんですよ。』

(松泰山 東光寺 門戸厄神HP)


『おみくじの箱に

「モンドのゴッドがセレクト・フォーユー」

とか書いてあったら面白いのに。』


『よしなさいってば。』



























では、『今日の一枚。』














門戸厄神のお守り売り場。

00000000mondo_serection    

 

 

お正月の風景 

 

 

 

 

 

 

ああっ、この軒先に

「門戸セレクション・特別金賞のお守り」

って、書いた札をぶら下げたいっ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2013年2月26日 (火)

二・二六事件と高橋是清とアベノミクス

『待合に行って芸者遊びをする。風紀道徳からは問題だが

その金は料理人の給料になり、材料の代価や、

運搬人、商人の稼ぎになり、農民、漁民らの懐を潤す。

その人が待合に行くのをやめて節約すれば貯蓄ができ

銀行預金が増えるだろうが、それでおしまい。

待合で使えば、二十倍、三十倍にもなって働く。』






これは、世界恐慌が起こった1929年に

高橋是清が語ったという言葉。































まるで、アベノミストじゃないか。





 

と思うかどうかはともかく、

昔からこんなことを言う人はいた、ということだ。

いまさら珍しくもない。






 

世界恐慌、というのは第一次大戦時のアメリカから始まった

株と土地バブルの極端な反動不況。



 

当時の日本は、第一次大戦の恩恵を受けたことでは

アメリカと同じだったが、後始末に失敗した。


 

経済規模ではるかに小さい日本で反動不況が起こったのは

アメリカよりもずっと早くて1920年。

うろたえた日本銀行と大蔵省は、特別融資や震災手形という

借金手形を切りまくって国家予算をはるかに上回る金を流す。





 

しかも片岡大蔵大臣が帝国議会で 

 

444pxnaoharu_kataoka    

      

  

『渡辺銀行が危ないらしいよ』


 

 

 

 

なんて言っちゃったもんだから、

取り付け騒ぎが起こる。 



 

何の罪もない東京渡辺銀行は跡形もなく潰れ、

ほかの銀行でも騒動が起きる。

この時、片岡に代わって蔵相になったのが高橋だったのだが

混乱の収集のために日銀に慌てて紙幣を刷らせる。




しかし、あんまり慌てたものだから

もう、裏なんか刷ってる暇はない、ということで

裏が真っ白な二百園紙幣を発行する。














 

1929年に大蔵大臣となった井上準之助

こういった混乱の収拾のために緊縮財政を取る。


 

具体的には『金解禁』と円切り上げ。

1971年のニクソンショックまで世界の紙幣は

金と代えられる、ということで価値を担保していた。

そりゃそうだ。ただの紙だもん。

なんか裏付けが欲しい。



 

世界大戦で、一時的に停止していたこの体制を

先進国はすでに元に戻していた。

だから、日本も戻そう。と。





 

日露戦争で外国から借りた債権の償還期限が迫っており、

どうせ返せないから

また借金しないといけないんだけど

グローバルスタンダードになっていないと

次の借金の利率が上がるぞ。と




 

なんか、最近もギリシアあたりで聞くような理由によって

金を解禁したんだが

ちょうどその年にアメリカで暗黒の木曜日が起きる。





 

世界中が保護貿易に入って、通貨切り下げに入って

輸出は絶望、日本は昭和恐慌になった。

凶作も重なって東北ではこんな看板が村役場に出る。












  

0000000000000isazawa     

 

 

 

娘身売りの場合は

当相談所へお出でください。

 

 

 

 

 

 

ここで1931年に蔵相として返り咲いたのが高橋是清。





 

Korekiyo_takahashi_formal         

 

5回も大蔵大臣をやったのは

ぼくだけさ。 

 

 

 

 

  

高橋は、日本国内に現金がないこのデフレ状態を

紙幣の増刷で賄おうとした。


 

まず再び金の交換を停止して、

つまり金の保有量に縛られないようにして、

国債を日銀に無制限に買わせて紙幣を発行する。

これで、15億だった国家予算を2年間で1.5倍の22億にした。


 

そして、その半分を軍に与えた。

軍事費は、高橋が蔵相となる前年の4億4千万から

倍以上の10億4千万円になっている。

     

     

  

政友会というのは軍に近い政党だった。









    

 

        



 

もっとも、軍隊というのは当時の日本では最大の組織で、

そこへの投資は波及効果が大きかった。
       

       

       

      

         
 

海軍は、ワシントン軍縮条約による

『ネーバルホリディ』だったが、それでも鉄と機械の塊であり、

陸軍も機械化を進めていた。

航空機では、陸軍の方が海軍よりも優秀な例が少なくない。
       
       
       
 

高橋のリフレーション政策は成功したように見えた。

ところが大量の紙幣増刷はインフレを招き

高橋が蔵相だった4年半で物価は5割近く高騰する。

      

     
      
 

『さすがにまずいか?』と

軍事費だけじゃないんだけど予算を圧縮しようとしたら

二・二六事件で殺された。

    

     
    

     
      

享年71。

    


     


    

     

    

     


    

    

     

月26日は二・二六事件の日です。

      
     
 

こんな簡単な括り方をしたら

全国の『高橋是清ファン』から怒られそうだが

『アベノミクス万歳』みたいな風潮を見ていると

例によってへそが曲がったわけです。

      
     
     
      

 

        
 

経済って難しいんですなあ。
     

          
 

まあ、暗殺したりしないから、

うまくやってくださいよ。
      

 

 

       
 

とりあえず仕事ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の一枚。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    
 

取り付け騒ぎにうろたえた日銀が

急遽発行した『裏白』二百円札

 

           0000000000000urashiro_3    

 

 

 

裏面の印刷が本当にない。

    

 

 

 

 

 

ほとんどが回収されて、

今、古銭屋で買おうと思えば、1枚数百万円するそうです。

 

       
 

だから偽造すんなよ。

 

      
  

こんな解像度の低い画像から偽造しようとする奴は

いないと思うが、わたしゃ関係ないからね。 

 

 

 

 

       

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2013年2月25日 (月)

来年の東京マラソンでは、             こんな仮装はどうだろう。

東京マラソンが行われた。(FNNニュースへのリンク)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『例によって、マラソンに関しては冷淡な紹介の仕方ですね。』

 

『猪瀬さんの横で走っている「ギター侍」みたいな人は

「伴走」っていうゼッケンなんだな。』

 

2013y02m24d_234909276

   

 

42km走ったのか?

だから床屋いけって

 

 

 

 

 

『まあ、一応1200万都市、東京都の知事ですから

SPなんでしょうかねえ。』

 

『今年は、あんまり面白い

仮装ランナーがいなかった気がする。』

 

『このニュースで紹介されてるのも、忍者、009、999の駅員…』

 

『今年もケムール人はいなかった。』

 

 

(多分見られないと思うので、こちらをどうぞ、

http://youtu.be/_sX-kk3lyWo

 

 

『カネゴンはいましたけどね。』

   

『慎太郎の仮装をして、「猪瀬、遅いぞっ。」って叫びながら

猪瀬知事の後ろを走る。』

 

『ギター侍に捕まりますって。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『日本各地のゆるキャラの格好をしたらだめなんですかね。』

 

『ひこにゃんとか?』

 

『くまモンとか。』

 

『商標があるからダメなんじゃないの?』

 

『この日記が言うことじゃないですよね』

 

『腹立つだろうな。』

 

『いや、だからオフィシャルに彦根市なり熊本県なりが派遣して。』

 

『オフィシャルなゆるキャラが惨敗したら、

逆にイメージダウンじゃないか?』

 

『なにいってんですか。ゆるキャラを馬鹿にしちゃいけません。』

 

『…そうなの?』

 

『ガチャピンはスポーツ万能なんですっ』

 

0000gtyapinn

   

  

サーフィンする

ガチャピン 

  

 

00000gataypinn

  

 

スキーだってする 

  

 

 

 

『…すごいな、中の人。』

 

『中の人などいないっ。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『去年は、十字架背負ったキリストがいたな。』

 

『今年もいたらしいですよ。』

 

 

0000000christ

  

 

 

キリスト休憩中 

 

 

 

 

 

  

『バナナ食ってんじゃん。』

 

『そりゃ。こんなもんしょってたら疲れるでしょうよ。』

 

『どっかの劇団とか、大学のサークルかしら。』

 

『それならもう少し宣伝しても良さそうですが。』

 

『教会から苦情が来ないのかね。』

 

『ムハンマドの格好とかで走ったら

たちまち暗殺されそうですよね。』

 

『キリストでも、アメリカのディープサウスあたりで

こんな格好で日本人が走ってたら袋叩きに合うぞ。』

 

『そういえば、ムハンマドってどんな格好してるんです?』

 

『…さあ?…』

 

 

 

 

 

 

(註:イスラム教は偶像崇拝をしないので

公認されたムハンマドの画像、というのは存在しないそうです。

それに、そんな格好したら本当に命が危ないからやめてください。

いいですか。止めましたよっ。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の一枚。』

 

 

 

 

 

 

 

 

『企業のマスコットに走らせたら広告効果満点じゃないか?』

 

『一応、参加規則

「広告目的で大会会場(コース上を含む)に

企業名・商品名などを意味する図案および

商標などを身につけたり表示することはできません。」

とありますね。』

 

『ちっ。』

 

『そんなことを認めたら

日本中の企業が新入社員を投入しますよ。』

 

『じゃあ、ボルトの格好をする。』

 

0000_bolt

 

 

 

いえーい 

 

 

 

 

  

『走りながらこのポーズをするんですか?』

 

『いや、100mごとに立ち止まってこの格好をする。』

 

『すごく遅いじゃないですか。』

 

『…あ。』

 

『なんです?ジョイナーの格好をするとか言っても

もうみんなわかりませんよ?』

  

『宣伝が一切ダメなら

ゆるキャラもダメじゃないか。』

 

『…あ。』

 

 

 

 

 

 

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2013年2月24日 (日)

グーテンベルグの日

2月23日は、ドイツのグーテンベルグが活版印刷で

聖書の制作を始めた日。1455年のことだ。

 

 

 

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完成した『42行聖書』
















グーテンベルグさんはドイツ人なので亀甲文字と呼ばれる

ドイツ独特の文字を用いているうえに、文章はラテン語なので

1ミリも読めん。








とにかくこの聖書はおよそ180部が刷られた、とされる。

『活版印刷の元祖』

『これで書物が大衆の手に』というから

ミリオンセラーだったのかと思いきや、それほどの部数ではない。





ただ、これ以前の時代からしたら、

2重の意味で技術が飛躍している。


『グーテンベルグ以前』のヨーロッパでは

本、というのは専門の職人が一文字ずつ

筆写するものだった。


その紙は羊皮紙であり、

アラブ人にパピルスが独占されたからといって

ずいぶん極端だな、と思うが

馬具武具が発達していたヨーロッパでは

獣皮を使うことにはさほど抵抗がなかったらしい。


いまでも残る、ぐっち、びとん、ふぇらがもといった

偉そうなブランドも、元はみんな革屋さんである。


しかし、いかに革に親しみがあったとは言え

そんな本が大量印刷されるはずはなく

筆写のスピードと高額な価格と革をなめす分量が

奇妙なバランスをとっていただけだった。










実際、そんな生産方式であれば、

本の値段というのは非常識に高価だ。

本一冊が大学教授の月給に匹敵したという。


こうなると、個人が蔵書を蓄えることは不可能で

13世紀頃に成立したヨーロッパの大学にもろくに本がなかった。

それならどんな教育をしていたのかというと、

教授が口述で講義する。


そこまでは、今と変わらないのかもしれないが

学生はノートを取ろうにも紙がないから

教授に議論を吹っかける。


そうすると、質問した学生に、

『いやお前はおかしい』とか言い出すクラスメートがいて、

教室中が激論になる。


これがディベートの起源。 







日本人は、学問を始めるとなると、

まずは漢文の素読から始める。

意味はわからなくても目の前に論語の本を置いて

『しのたまわく…』とやったわけだ。


いきなり書物があった日本人と、

口喧嘩の技術を競ったヨーロッパ。

奴らが弁が立って、日本人が口下手なのは

こんな時代に原因があるのかもしれない。








しかし、グーベルタンさんの「本」は

大量出版の可能性を示した。

しかも耐久性は弱いが安価な紙をも用いることで

さらなる将来の可能性を示した。

(部数のうち羊皮紙版が1/4、紙版が3/4)

 

これによって、聖職者しか読めなかった聖書を

民衆に開放したことは、歴史を変えた。









日本では、活字をばらした活版印刷はあまり普及しなかった。

カナ、漢字で数千字、しかも変体仮名といって

同じ音でも何通りも仮名がある。 


さらに日本人は続き書き、という草書体を好んだために

活字をばらすよりは、一枚の版木に全て掘る、という

木版印刷が主流だった。


もっとも江戸時代の日本は多色刷り浮世絵に見るように、

印刷の質において世界最高であり

さらに、浮世草子、瓦版、といった

大衆向け出版に見るように、量においても

世界最大の出版大国だった。


逆に、これが仇となって、

日本で活版印刷が本格的に導入されるのは

幕末以降になる。



そして活版印刷の導入と、学校、軍隊教育、新聞の普及は

日本語の表現を徐々に整理していった、





今や我々は、蕎麦屋ののれんが読めない

0000000soba 

「生そば」と書いてあるんだろう

という事は予想がつくが













で、



こんな『印刷の歴史』みたいな話をするつもりはないんだ。

ごめんね、いつも本題まで遠くて。


今日は、活版印刷についての個人的な思い出を書きます。

では、どうぞ。













私は高校時代、文学部の部長であった。

普通の学校で言うところの文芸部なのだが

文学少年だったのだよ。

 

しかし、ほぼ休眠状態で私自身もほかの部活を

掛け持ちしたりしていたのだが3年生が卒業すると

去年まで部長であったS先輩とたった二人になった。

 

3年生は受験生であるので基本的に部活はやらない。

部長もやらない。

一子相伝のようなもので嫌も応もなく部長になった。

 

 

 

 

 

 

 

これ以降、私の活動は

いかに部員を増やすか、ということに費やされる。

その辺の話は省略するが、

一応部活らしい活動もする。

 

 

同人誌を出すのだ。

 

 

『一切ノーチェック』という編集方針の下

各自がボールペン原紙にガリを切り

生徒会室を急襲して、輪転機を占拠し

わら半紙をかっぱらって印刷する。

 

ごめんなさい。時効だから許してください。

後輩のみんなは真似しちゃいけないよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただ、内容には一切口を出さない代わりに

『ページはA4袋とじ』

『各ページの淵は2cm残すこと。』といった

製本の最低のルールだけは決めたのだが

それすら守れない奴らばかりで、しかも

文字は各自の手書きだ。

 

部員の文字を見慣れているはずの

部長たる私でさえ、読めやしねえ。

 

 

さぞや、一般の学友たちは読めなかったと思うのだが

不定期刊行、3ヶ月に1回位のこの本は

意外に好評だった。

 

『バックナンバーをくれ』なんて言われると

とても嬉しいのだが、そうなると欲が出てくる。

 

『活字の本が出したい。』

 

 

 

 

 

 

 

 

いまでも、然るべく出版社からデビューしようと思ったら大変だし

自主出版なんていうのも百万円単位の金がかかり、

知り合いに売りつけたところで翌日にはブックオフに並んでいる。 

 

 

 

 

 

しかし、今ではこのようにブログ、という気楽なツールがあり

たとえば、 

 

 

 

うんこ

 

 

 

 

と書いて公開すれば、これは

北は択捉・北海道から南は九州・沖縄の日本全土のみならず

波濤の彼方アメリカ・ヨーロッパからアフリカ・南極まで

ネットが使える環境であれば全世界で閲覧が可能なのだ。

 

 

こえー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、活字を紙に定着させる、となると

私が高校生の頃には非常に困難だった。

 

パソコン、というもがまだ存在すらせず、

家庭向けのワープロ専用機(一太郎みたいなやつね)

もまだなく、

単漢字変換しかできない企業向けの

巨大なワープロが数百万とか、そんな時代だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もっとも、個人的には和文タイプが使えた。

 

 

中学校の技術科の先生が変わった人で

『俺が見ていられる時間なら、好きに機械を使ってもいい。』

ということで、

さすがに危険な機械は使わせてもらえなかったが

放課後に旋盤を回したりしていた。

 

 

和文タイプも、そんな先生だから

教官室の機械を使わせてもらった。

もっとも配布プリントの作成を頼まれたりもしたが。

 

 

しかし高校には、そんな太っ腹な先生はいなくて、

いや、それが当たり前なんだろうけど

そうなると、高校生が活字の本を作る方法は

活字を組むしかない。

 

 

 

 

 

 

あ、やっと戻ってきた。

 

 

 

 

 

 

といっても、個人で活字が用意できるはずもないので

印刷所にお願いする。

 

もちろんお金を払って依頼するのだ。

 

 

 

 

 

本を出すのは、毎年9月の文化祭の二日間。

この時だけは生徒が物品を販売することが許される。

 

部員は、というと私の努力と、

『何、同人誌を出すんやて?』という野次馬たちによって

10人になっていた。

 

質はともかく、数だけは豪華な執筆陣なのだが

誰も部費など払わないので、

部としての自己資金は0である。

 

『毎年こうなんですか?』と前部長たるS先輩に聞くと

『毎年こうだ。』という。

 

 

 

 

 

それは自転車操業、というのではないかと思ったが

伝統ならば仕方がない。

 

立ち向かうことにした。

 

 

 

 

 

 

 

原稿を集める。

 

例によって、ノーチェックなのだが10人もいるから

70ページになった。

1ページに1500文字くらい入るから

70ページだと原稿用紙460枚くらいということになる。

 

しかも各自が均等しているわけではなく、

詩2篇、2ページという女の子もいれば、

30ページの超大作を書いてきた馬鹿もいる。 

さすがにこいつは怒鳴り上げて半分に圧縮させたが

それでも50ページだ。

 

みんな、本を出すのが嬉しいんだなあ、とは思うが

部長兼、会計兼、印刷屋さんとの渉外係としては

頭を抱えざるを得ない。

 

 

 

 

 

見積もりをお願いすると10万円ときた。

今から30年前の話だ、ということを割り引いても

毎年引き受けてるし、高校生だから安くしてやろう、と

相当にサービスしてくれた価格だと思うのだが

 

金がない。

 

 

 

 

 

繰り返すが自己資金は0だ。

カツアゲするようにしてカンパを集めたが2万円にもならない。

そこで期待するのが販売収入だ。

 

 

 

 

 

 

しかし、みなさんは高校の文化祭で

わけのわからない同人誌にいくらまで出すだろう。

 

どう強気に考えても300円の壁は越せそうにない。

だから30年前の話だ。

 

 

 

 

価格を高くすれば販売数が減る。

当然だ。 

その関係は比例関係ではなく、値段を高くしたら販売数は

指数関数のように急激に減っていくだろうということが

容易に予想できる。

 

 

しかも、販売期間はたったの2日間である。

友人先生を数え上げても

ともだち100人いないんだいっ。

 

 

 

 

 

 

 

悩んだ末に、単価250円、部数250部、と決めた。

『250』というあたりに17歳の戸惑いが見えますね。

 

しかし、全部売れても6万円ちょっとである。

カンパを足しても2万円足りない。

 

 

どうしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

広告を集めることにした。

 

金がなく、部員もいなくて才能もなさそうな文学部ではあるが

歴史だけはあって、私が担当したのが30号目。

つまり30年の歴史がある。

 

バックナンバーを紐解くと近所のお店に広告の出稿をお願い

していたりするのだ。

 

つくづく金のない歴史に涙しつつも、もう、この手段しかない。

学校の近所のお店に、アポもなく飛び込んで、こう言うのだ。

『○○高校のものです。来月行われる文化祭で

うちの部が出す雑誌に広告を出してもらえませんか?』

 

 

今、うちの事務所にそんな高校生が来たら、

眉間をグーで殴る。

 

 

 

冷静に考えたらそのくらい無茶なお願いだ。

 

高校の文化祭で200部出るかどうかという雑誌、

しかもおそらく貧乏な高校生しか買わないような本に

広告載せてどうする。

うちは、蕎麦屋で夜は居酒屋だよ?ってなもんだ。

 

 

 

 

いま、その当時の本を見ると

呆れたことに学校から歩いて40分くらいかかるようなところまで

お願いしに行っている。

 

しかしそれでも4軒ほどのお店が広告を出してくれて

本当にありがとうございます。

4件で2万円ということは4cm×9cmの広告に

5千円取ってたのか。

…ひでえ… 

  

広告効果なんか考えずに、

憐れむような気持ちで喜捨してくださったのだろう。

よほどしおたれた顔でお願いしていたらしい。 

 

廃業してしまったお店があるようなので

名前を載せるのは控えますが、本当にありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

みなさんのご支援によって、インターネットで世界中に

 

 

うんこ

 

 

と書くような男が育ちました。

 

無駄な・・・

 

 

 

あ、うそうそ。知っている人なら、

ほぼ部活も高校も特定できてしまうと思うので、

後輩たちが来たら、いぢめないでやってください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

えーと、グーテンベルグどこに行った?

 

 

 

活版印刷というのは

金属製の活字を原稿に合わせて手作業で一文字づつ選び 

それを木箱の中に並べていく。

 

もちろん、改行やブランク、ページNo.なんかも配置して

レイアウトを考えて組み立てる。

さらに印刷して読めるように組むわけだから

縦組の場合左右逆に行を積んでいく。

 

活版印刷だと、こうやって文選した活字にインクをつけて

それを紙に押しつけて印刷する。

 

 

 

 

 

我々がお願いしたのは孔版印刷と言って、

建築屋の用語で言うとシルクスクリーン印刷だ。

組んだ活字をスクリーンに転写して、転圧して印刷する。

 

わかりやすく言うとでかい謄写版、あるいはプリントゴッコ。

原版を作るのは、今は専用のパソコンなのだろうが、

私が見学させてもらったときは活字を拾っていた。

 

 

 

一通り組み終わると、校正刷り、というのをくれる。

誤字脱字はありませんか?ということだが、

これを我々高校生どもは真っ赤にチェックして突っ返す。

 

いま思うと涙が出るくらい生意気だ。

しかも、一校だけじゃなく二校、三校まで要求する。

ごめんなさい。

 

 

 

 

 

だから、印刷にかかるお金、というのは

2、300部程度の小部数であれば、殆ど活字を組む費用である。

何しろ、グーテンベルグの時代と同じ、

いや日本語の方が圧倒的に文字の種類が多くて

あの当時、変わった文字使いや送り仮名を好んでいたから

活字を組む手間、というのは

ほんっとうにごめんなさい。 

 

 

したがって、総費用はほぼページ数に比例すると考えていい。

よほど凝った造本をするならともかく、紙代や製本代なんて、

活字を組む手間からしたら知れているのだ。

 

 

 

 

でも表紙の紙を選ぶのは楽しかった。

『レザックがいいぞ』

『いや、俺は、マーメイドの手触りが。』なんてね。

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、広告を取るために2日かけて、

延べ数十軒の店を回ったのは正直辛かった。

 

 

1年生が2人とも辞めてしまったので

3年になっても部長職を続けざるを得なかった私は、

毎月500円の部費制度を導入し

新入部員も入って執筆陣は8人と結構いたのだが

ページ数は前年比40%減の30ページに圧縮し

2回目の同人誌出版を楽々と乗り切ったのだった。

 

 

 

 

 

その発想が、

出版人として正しいかどうかは

全く別の話だが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の一枚。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お世話になった印刷所は

いまでもあります。

2013y02m24d_012451963  

 

 

というか30年前と

同じ建物なんですが…

 

 

 

 

みんな、印刷なら千葉孔版印刷だぜ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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2013年2月22日 (金)

猫竹島の日

『2月22日は、猫の日です。』

 

『にーにーにー』

 

『さらに2月22日は「竹島の日」でもあります。』

 

『…いやな予感がするな。』

 

『そこで…』

 

『却下だっ。』 

 

『我が国の猫を竹島に大量に上陸させるんですよっ。』

 

『どうやって?』

 

『対馬海峡を泳いで渡るために

特別に訓練した猫がこちらにいます。

見てください、このふてぶてしい顔。』

 

『…ほう』

 

『まずは、近所の犬との凄絶な縄張り争いに勝利した

「片玉のジョー」。』

 

 

0000neko2

    

  

 

うわー、ふてぶてしい

 

 

 

 

 

 

『次に無防備、ノーガードなんだけど半径5mに入ると

しゅっと逃げる。「俺の背中に回るな」、片玉ミーちゃんです。』

 

 

0000_miichan

 

  

どでえ 

 

 

 

 

 

『待て待て待て。「片玉」であることが条件なのか?』

 

『そうですよ。そしてその欠けた玉を補って

8つ揃えると勝利をられる、と。』

 

『ドラゴンボールみたいだな。』

 

『惜しい、ドラゴンボールは7つです。』

 

『アストロ球団。』

 

『9つです。』

 

『8つは南総里見八犬伝だろう。

猫じゃないじゃん。』

 

『この猫部隊の名前はCIA。』

 

『はい?』

 

『Cat Investigation Autolaw』

 

『えーと、「アウト・ロー」は「Outlaw」じゃないのかなあ。』

 

『馬鹿野郎っ。』

 

『なんだとっ?』

 

『ひっ、ごめんなさい。でも日本人が強硬上陸なんかしたら

大騒ぎになるだけです。

主張はきちんとするにしても、こういう洒落みたいなのも

あってもいいかな、と。』

 

『で、それは片玉であることの説明にはなってないだろう。』

 

『でも、その片玉は元気玉です。

ちゃんと子供が生まれます。』

  

 

 

0000neko

  

 

ほら、

ちゃんと見守ってるわよ

 

 

 

  

   

 

『かわいー』

 

『そうでしょう。この猫軍団が竹島に上陸したら

いかに韓国人といえども排除や虐待はできますまい。』

 

『で、この猫たちは何をするんだね?』

 

『なんにもしません。』

 

『へ?』

 

『だって猫ですもん。』

 

『インベスティゲーション(調査)するんじゃないのか?』

 

『埠頭とか、ヘリポートにマタタビ撒いときますよ。

そうしたら韓国の船もヘリも上陸できません。』

 

  

 

0000neko4

   

 

ごろん

これはいじめられないよ

ごろん 

 

  

  

 

『…び、微妙な嫌がらせだな。』

 

『でも、意外に

効果があるかもしれませんよ?』

 

『…むう。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『尖閣諸島のヤギの群れに特殊訓練を施した一隊を

送り込む計画もあります。』

 

『ほう…』

 

『ヤギって紙を食うでしょう。』

 

『白ヤギさんからお手紙着いたら、』

 

『黒ヤギさんが食べちゃうんです。』

 

『それで黒ヤギさんが、また手紙を出すんだよな。』

 

『さっきのお手紙ご用事なあに?』

 

『ま、間抜けな会話。』

 

『でも、その手紙を白ヤギさんも食っちゃうんです。』

 

『清々しく馬鹿だけど、それが一体何よ。』

 

『紙に限らず植物繊維の主成分はセルロースと呼ばれる

炭水化物です。しかし、人間はこれが食えない。』

 

『え?そうなの?』

 

『食ってもいいけど消化できないんです。

そのための消化酵素がない。

これが食えるようになれば、人類は飢餓と無縁になります。』

 

『紙を食うのか?』

 

『食ってみたい紙ってありませんか?

お札や交通違反の切符を食うのは犯罪ですが、

梳きたての紙の匂いなんか

蠱惑的ですぜ。』

 

『うーん、俺は斬りたての生木を食ってみたい。』

 

『そうでしょう。それを

シロアリやヤギだけに独占させるのは

悔しいですよ。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『それはそうだが。それと、尖閣諸島と何の関係がある。』

 

『いま、ケータイやタブレット端末なんかの

小型モバイルツールの基盤には

セルロースが使われているんです。』

 

『…ほう。』

 

『それをもりもり食う訓練をさせます。』

 

『そんなうまくいくかあ?』

 

『でもね、中国人が上陸してきたとして、

彼らが真っ先にやるのは「先住民」である

山羊との接触ですよ。』

 

『…まあ、そうかな。』

 

『彼ら秘密ヤギ部隊の名称は、YKK。』

 

『はい?』

 

『「ヤギ 紙を 食う」の略です。』

 

『……』

 

『……』

 

『いや、もう無理に略さなくても

いいんじゃないかな…』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の一枚。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『猫の島』としてマスコミに紹介された

宮城県石巻市の田代島。 

 

0000nekonosima

 

 

 

 

 

 

 

  

うわー。すごいなー。

島とか漁港っていうのは餌をあげる人が多いから

どこでも猫が多いけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2013年2月21日 (木)

電話帳の日

2月20日は世界初の『電話帳』がアメリカのコネチカット州で

発行された日。今から135年前、1878年のことだ。

 

  

 

昨年の6月、これの11月号の『原本』がオークションに掛けられ

17万5000ドル(今、円安だから1600万円くらいか?)

で落札された。(ITmediaニュースの記事へのリンク)

 

 

        

 

 

ちなみにこんなの。

  

0000000000telephone_3      

        

Terephone directory

nov.1878

 

 

 

  

コネチカット州内の電話契約者391人の氏名と電話番号、

そして、

『相手が電話に出たら、ハローと言おう。』

『用件を喋り終わったら、「ザッツ・オール」と言おう。』

といった『電話のマナー』が書いてあるそうな。

 

 

         

なんとなく笑えないのは、

1980年頃に留守番電話が登場した時、私なんかも

用件が言えずにそのまま電話を切ったりしていたからだ。

  

135年前のアメリカ人も、電話をかける時や

受ける時に緊張していたんだな、と思う。

                 

人間っていうのは、国が違っても

100年経ってもあんまり変わらないらしい。

 

 

 

 

 

 

  

しかし、1878年(明治11年)というのは破格に早い。

グラハム・ベルが電話の特許を取ったのが

1876年だから、たったの2年後だ。

 

 

  

その頃の日本には、市内電話もなかった。

 

 

          

以前も書いたが、この時代の電話は交換手を通して

つないでもらうので、

番号案内としての意味はほとんどなかっただろう。

  

加入者もごく少数の金持ちだったはずで

『○○町のだれそれさんにつないでくれ。』で

十分に通じたはずである。

           

そもそも400人足らずの電話帳では

『お、お姉さん、パンツ何色?』

なんていう電話を架けたい人は困ってしまう。


















まあ、『電話をかけるときはハローと言おう。』みたいな

ことが書いてあるあたり、

番号案内、というよりは『電話加入の啓蒙活動』

だったのだろうな。

  

最初から官営で建設された日本の電話と違って、

アメリカでは民営の電話会社が乱立したそうだから

それぞれの電話会社の宣伝でもあったのだろう。

 

  

この時代、いかにアメリカとは言え

電話の加入権を持っていたのはよほどの金持ちである。

ちなみに日本で、固定電話の一般サービスが始まったのは

この電話帳の12年後の1890年。

           

東京と横浜で始まり、それぞれの加入者数は

東京155、横浜42であった。








両方合わせてもコネチカットに負けてる。






それなのに、

名誉ある電話番号『東京1番』は、東京府庁だったそうである。

役所も含めて、その数だったのだ。











実際、今でこそ犬もガキもケータイを持っているが

ほんの30年前くらいまで、電話というのは

加入するだけで大金がかかった。

  

電話加入金と言って8万円くらいとった。

そのまた大昔には、電話債権と言って

やっぱり10万円くらいとった。

              

『電話の敷設普及のため』というのが

大義名分だったのだが 

それでも、昭和40年代まで、『順番待ち』ということで

今よりもはるかに偉そうにしていた電電公社の小役人に

『お宅の地区の工事の予定は、しばらくありませんねえ。』

とか言われて、にえええええ

憎たらしい。





戦後になって、ベビーブームの時代になると

電話加入者の圧力が、一気に

電電公社のキャパを超えたらしい。

  

あ、そうそう。

1987年まで、電話事業は電電公社(1981年からはNTT)の

一社独占だったんですよ。





























しかし、電話が普及すると

電話帳が意味を持ってくる。

  

我が家にも怪しげな電話がかかってくる。

曰く『○○という儲け話があるんですが。』

といったものばかりで、当時は黒電話で

ナンバーディスプレイも着信拒否もできないから

あー、めんどくせえ。





これで、

『どうやってこの番号をお知りになったんですか?』

とか訊いても、

『電話帳から無作為に選んでかけさせていただいております。』

と、ナニワ金融道のようなことを言われてしまう。












職業別電話帳が、電話帳というよりも

広告をあつめたホットペッパーのようになっていくのも

この頃である。

  

いま、我が家の固定電話はNTTではないので電話帳はこないが、

昔、まるっきり伝手がない時代に協力業者さんを探そうか、

という時に電話帳を紐解くと、

やっぱりでかでかと広告を出している会社に目がいってしまう。

            

なんだか、会社名と番号だけ、というのはどうなんだ?

やる気あるのか?

という気がしてしまうのである。
















友人が大学卒業後数年で自分の事務所を立ち上げる

という時も電話帳に広告を出していた。






結構な金額だったそうだ、

というのを覚えている。







資力があるから広告が打てるわけで、

長年続けられれば信用になるだろう。

  

逆に電話帳にデカデカと広告を打つのは

新進の業者か、過当競争の業界なのか

どちらかだ、ともいえる。

 

           

整形外科の広告って、なんであんなに多いんだろう。




















そうそう、無作為な勧誘による迷惑電話を防止するため

NTTは加入者に対して、

『電話帳に掲載するかどうか』を聞くようになった。

           

いや、聞くこと自体はかなり昔からあったような気がするが

掲載を拒否する人が増えた。






いまは104の番号案内を使う人は、あまりいなと思うが

昔は、この番号に架けて

『○○町の○○さんの番号を教えてくれ。』あるいは

『○○という番号の○○さんの住所を教えてくれ。』

と聞くと無料で教えてくれた。

  

昔はオペレーターの女の人が電話帳をパラパラめくって

教えてくれていたが、電話帳の内容の電子化が進んだらしく

『ぱらららららっ』という、とてつもないスピードで

キーボードを打ち込んで教えてくれる。

  

私はメモ帳を持ち歩かないので

一緒に仕事をしている会社の電話番号さえ、

忘れてしまうことがあり、

番号案内が無料だった時分には重宝した。








電話普及のための電電公社のサービスだったのだが

キャッチセールスや怪しげな金融屋の温床になり

1990年から有料化された。

(NTT西日本 104)

           

料金も最初は1案内10円とかだったのだが

どんどん値上がりして、一時期は100円になった。

  

さらに個人のお客さんの仕事が

入るようになったりするのはありがたいのだが、

その人がNTTではない、

あるいは、NTTでも電話帳への掲載を拒否していると、

案内してもらえない。

 

 

大変困った時代である。 








最近は多少値下がりしたらしいが、逆に夜間は値上がりして

深夜に番号案内を受けようと思ったら150円もかかる。

  

これでは、気に入った女性のあとをつけ、

住所は突き止めたが、番号がわからない。 

『お、お姉さん、パンツ何色?』

なんていう電話をかけたい人は困ってしまう。

  

本当に困った時代である。
















しかしまあ、電話帳なんてもう使わないね。

社会的な使命は終わったのだろうか。

まだなんか、ありそうな気はするが…

    

あ、ちなみに弊社の広告ものってません。

 

            

そもそもNTTじゃないしな。




















では、『今日の良純。』












『そんなときはタウンページですよ。』でお馴染みの、

石原良純のタウンページのCM。

           

悔しいけどちょっと笑った。

 

 

(見られない場合はこちら)

 

http://youtu.be/Fe4Oev2P0AE













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2013年2月20日 (水)

大鉄球の日

2月19日は『あさま山荘事件』が起こった日。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

(見られない場合はこちら)

http://youtu.be/JZbVye7jVB8

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リンチと内訌を繰り返しながら四分五裂した『連合赤軍』という

名前だけ立派な組織は、結成時にたった29人であり

それも、山中に逃れるうちに、嫉妬や嫉妬や嫉妬を原因にして

『総括』という名のリンチを繰り返す。

 

榛名山中の山岳ベース事件で12人。

それ以前の印旛沼事件で2人をリンチした上で殺害している。

 

構成員の半数を殺すような組織が生き残れるはずはなくて

指導部とも切り離されて、追い詰められて自暴自棄になり

最終的に軽井沢のあさま山荘に逃げ込んだのは5名。 

 

 

どう考えても勝利や妥協はあり得なかったと思うのだが

10日間にわたって、篭城戦を行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

冷静に見れば自殺といってもいいが、

自殺なら人知れずやってくれ。 

 

ところがこいつらは、

都内の銃砲店から強奪した武器を持っており

散弾銃やライフル、多数の銃弾や鉄パイプ爆弾など

5名の武装としては過剰な装備を持っていた。

 

日本警察は、この当時左翼に遠慮すること過剰であり、

カップヌードルをすすりながら包囲するしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、籠城も一週間を超え、母親に説得させたら

改心するかと思って、射程圏内でハンドマイクを持たせるなよ。

とにかく親にも発砲する、という有様で

これが全国に報道されると、警察も

実力での鎮圧を決意する。

  

 

 

 

 

 

この時警察がとった、空前絶後のテロ鎮圧作戦が

『山荘の鉄球破壊』である。

 

クレーンに、モンケーンという大鉄球を取り付け

これをぶつけて山荘そのものを破壊する。

 

 

この映像は、当時の日本人、特にガキどもに

強烈な印象を与えた。

 

000000000000monken

   

 

 

 

 

 

 

 

右上の黒い丸が鉄球。

直径およそ1m。重さ1.7t。

 

破壊力は強力だったが

外壁と屋根の一部を壊した段階で故障してしまった。

 

本来なら屋根をもっと壊して機動隊の進入路を確保するはず

だったのだが、予想外の展開に機動隊は凄絶な銃撃を浴びて

2人の殉職者と十数名の負傷者を出している。

 

この銃撃戦で5名のバカが逮捕されるのだが日本人の多くは、

『この大鉄球が、あさま山荘を制圧した』

いまでも信じている人が多い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はあ、気が重い。

 

 

 

 

 

 

もっとも、今ではこの鉄球を見るのは

『ほこ×たて』くらいである。

 

 

 

この中での人気の対決シリーズのひとつが

『なんでも壊す鉄球VS○○』というやつで、

この鉄球を作っているのが富和鋳造(株)という会社。

 

鉄球はもはや国内では需要がなくて

番組のための特注品なのだそうだ。

実際製品一覧を見ると、鋳造技術を活かした

機械部品の生産が主力のようだ。

 

それでも強烈な衝撃に耐えることを考えると

球に歪みがあってはならず、

肉厚も均等にせねばならないはずで、

そこは大した技術だと思う。

 

『ほこたて、なにそれ?』

という感じのHPが更にいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、このあさま山荘事件当時、

1970年代には普通に使われていた。

 

手っ取り早いからだ。

 

建築物というのは使わなくなった瞬間に

収益を産まなくなる。

そして、除却して登記しないと

果てしなく税金がかかり続ける。

 

 

だから、この工法は大いに用いられた。

私がガキの頃には

街中でも普通に行われていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、鉄球を引っ張るためにもう一台のクレーンが必要で

建物の外に場所もそれなりに必要で、効率が悪かった。

騒音、塵芥、振動。近所迷惑なことはこの上なかった。

 

1970年代というのは公害問題に関して

世間の評価が格段に厳しくなった時代でもある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それなら今はどうしているのか、というと

クレーンの先端に油圧で動くはさみをつけて

ガジガジとかじりとる。

 

0000000000000marti_2

 

 

 

特大、30m級

解体クレーン

 

 

 

 

なんだか、まどろっこしいような気もするが

時代の流れである。

日本では、アメリカあたりでよく見られる

爆破解体、なんていうのも、ほとんど行われなかった。

 

2000年に建設リサイクル法が施行されると

この工法は決定的になった。

ハサミで鉄筋をより分けられ、コンクリートも

現場である程度破砕できる。

 

今や建築廃材の9割以上がリサイクルされる時代である。

 

 

 

  

 

  

 

 

 

 

 

 

そして、今は、『超高層解体の時代』でもある。

 

 

000000akapuri

   

縮む赤プリ

左、解体前。右、今月

だいたい2/3

 

 

 

最上階に工事フロアを設け上階から解体して

ジャッキダウンしていく。

 

それはまあ、かっこいいやり方だと思うが

『日本には1960年代以降、数百棟の超高層ビルがあり

更新の時期を迎えつつある。』

『超高層解体はビッグビジネスになる。』

なんていう話を聞くと

『ちょっと待て。』と思う。

 

 

 

 

 

エンパイアステートビルは築83年。

国内でも霞が関ビルは築60年。 

 

 

 

 

 

  

  

日本の都市に歴史を感じないのは

スクラップアンドビルドで古い建物を残さなかったからだ。

 

現に東京に江戸時代の建物は一棟もない。

空襲から見逃してやったのに

京都の街はマンションだらけだ。

 

ロンドンでは水よりマシなシャワーしかないアパートメントでも

女王陛下から99年の契約で借りている。

勝手に給湯器を取り替えないから、

あの街には歴史があるんだ、と 

散々に言ってきたじゃないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

赤プリに関しては

東京都の都市計画が変わって

うまくやれば今の倍の床面積が建てられる

というのが大きかったらしい。

 

『床面積が増やせる』というのは、悪魔の囁きだ。

大抵のビルオーナーがこのセリフで

歴史あるビルを見捨ててきた。

東京の丸ビル、大阪の大ビル、皆旧状の外観保存というのを

言い訳に建て替えられてきた。

安易な名前だな、おい。

 

 

  

赤プリも、バブルの頃には、チェックインする客が

先客がチェックアウトするのを待っている、という

ベッドが乾く間がないほどの人気を誇ったそうだが、

最近は稼働率が4割台の日もあるとのことで、

ホテルフロアを減らし、オフィスや住宅など

『金になる床』を増やしたいのだそうだ。

 

 

  

 

 

それにしても容積が倍って、

そんな根幹のところが変わっちゃうのか?

 

なんて土性骨のない都市計画だろう。

 

大丈夫か?猪瀬。

床屋行ったか?

 

 

 

  

  

  

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

えーとなんだっけ。

 

大鉄球の話だった。

 

 

 

1980年代に街中から急速に姿を消していったこの鉄球を

最期に見たのは1995年の阪神大震災の時だった。

 

神戸は、明治開港後の新しい街だが

居留地や栄町通などには歴史のあるビルがある。

しかし、そのうちのいくつかは震災で失われてしまった。

 

無垢の御影石の巨大な柱を6本並べた第一勧銀の建物が

粉々に砕けているのを見たときは、真底驚いた。

 

 

同じ並びに中国銀行の建物があり、これも崩れていた。

 

000000bank_of_chugoku_2

  

 

 

Bank of Chinaではなく

中国は岡山に本店があります。

 

 

 

 

 

ところがこの建物は、大半が崩壊したのだが

正面部分(ファサード)だけが残っており、

しかも道路に向けて10度くらい傾いて止まっていた。

 

さすがに危ない、ということで震災の翌々日くらいから

撤去作業が始まった。

 

このとき登場したのが巨大なクレーンと

大鉄球だったのだ。

 

 

当時勤めていた事務所からはこの作業がよく見えた。

幅50mはあろうかという、栄町通を広々と使って

がつんがつんと鉄球をぶつける光景を

事務所中で見ていると、誰かが呟いた。

 

 

 

 

『…あさま山荘や…』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、そのセリフに、

そこにいた全員が納得したのだ。

 

 

 

時代の記憶であったのだなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

では、『今日の一枚。』

 

 

 

 

 

 

 

どっから持ってきたのかわからない時代物のモンケーン

だったが中国銀行は、その打撃によく耐えた。

 

おそらく数十回は繰り返されたであろう打撃に耐え、

最初に見たままの、10度の前傾姿勢を維持している

その姿を見て、我々野次馬は

『中国銀行すげー』とか無責任なことを

言っていたんだから、なにか倒錯していたんだな。

 

00000bank_of_tyuugoku_3

  

 

 

 

 

 

 

 

結局、モンケーンは1日で退場し

通常型の、かじりとるタイプのクレーンが現れて

1日で、ご覧の状態まで解体した。

 

 

スピードも違ったわけだ。

 

 

 

むう。 

 

 

 

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2013年2月18日 (月)

不発弾とみぞれの日

最近寒いですよね。

今日も雨で、傘をさしてカメラ片手で手帳を持って、

現場に行ったから、不審者感3割増でしたよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2月17日は、沖縄県の久米島でみぞれが観測されて

1977年のこれが『沖縄唯一の降雪記録』なんだそうです。

 

 

ちなみに2月18日は

アルジェリア南部のサハラ砂漠で雪が降った日。

1979年のこの日が『サハラ唯一の降雪記録』なんだそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

そういえば今年は雪が多いな。

 

1970年代後半、というのは『小氷河期』と呼ばれて

『世界が氷河期に?』なんていうNHK特集が

流れたりしていた。

 

あの時代、日本も含めて世界中が二酸化炭素を

垂れ流していたはずだが

そんな時代はあったのだ。

 

実際、俺がガキの頃、つまり70年代と比べると

水溜りに氷は張らないわ、雪は降らないわ

スズメは膨れないわ、なんだか冬の気合が抜けておる。

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

まあ、あったかいのが一番。

 

 

 

サハラ砂漠でも北の方のエジプトのカイロあたりでは

70年前後に数回雪が降った。

 

みぞれ程度でも凍死者が出ちゃうあたり

よほど慣れていないなと思うのだが

1969年の豪雪は、

『エジプトの歴史始まって以来。』と言われた。

『エジプト開闢以来』ということであれば数万年であろう。

その中での『豪雪』だ。

全土で数百人の死者が出た。 

 

 

積雪は3cmだったそうである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな死に方は嫌だな……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の一枚。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そういえば、うちのすぐ近所で

不発弾が出たんだそうですよ。(朝日新聞の記事)

2013y02m17d_204559747

  

 

 

 

250kg爆弾

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

250kg爆弾、というとこのくらいの威力。

753pxuss_enterprisebomb_hitbat_ea_2

  

第二次ソロモン海戦で

日本艦爆機が投下する

250kg弾が直撃した

空母ヨークタウン。

  

 

 

まあ、午前中のことだったらしいし、

寝てたから知らねえや。

 

 

 

 

でも、『マンション建設現場』だったそうだから

間抜けな杭打ち機のオペレーターとかが

がすん、と打ち抜いていたら

私も今、ここにいないかもしれない。

 

 

 

 

 

 

でも大丈夫。

たとえ死んでも、草葉の陰から皆さんの間抜けライフを

見守ってさしあげる。

 

 

間抜けなことだけ応援する。

 

 

いやいや、そんなお若いのに遠慮なんか似合わない。

まあまあ。って

 

 

爆弾で吹き飛ばされることが

前提なんですかね。

 

 

  

 

 

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2013年2月11日 (月)

『建国記念の日』と『建国記念日』

2月11日は『建国記念日』。












実を言うと今の今まで『建国記念日』だと思ってました。

しかし、正式名称には『の』、が入る。





この日は『紀元節』と言って、戦前にも祝日だった。

戦後、祝日として復活するにあたって

『戦前の国家主義への逆行だ。』ということで

社会党を中心に国会で大反対が起こった。 



そこで『この日に建国された、ってことじゃなくて、

日本って国が建国された事実を祝おうじゃねえか。』という、

大人って汚いなあ、という屁理屈のために

『建国記念』と『日』との間に『の』の字が入った。




従って、この日は戦前の紀元節を継承するものでは

ありませんぞ、というのが日本国の一応の立場なんだけど

『紀元節』がもとなので、大切な国家記念日である。


『あら、月曜日が休みで三連休ね。

ハッピーマンデーっていいわねえ。』とか

思っている奴がいるかもしれないが、

違うっ。 

たまたま今年が月曜日だっただけだっ。 



『成人の日』や『海の日』や『体育の日』のように

土日にひっつくためにふらふら動くようなふやけた記念日とは、

格が違うのである。









で、


この日に何があったかというと、今から2673年前、

神武天皇が即位された日、だそうです。 


そんな古い事ようわかるなあ、というと日本書紀に

『辛酉年春正月庚辰朔 天皇即帝位於橿原宮是歳爲天皇元年』

という記述がある。つまり

『辛酉の年、春分あたりの正月朔の日に、天皇が奈良の

橿原宮で即位されたので、この年を「天皇元年」と為す。』

ということ。


明治以前は太陰暦だから日付と季節がずれてくるし

そもそも暦法が時代によって違う。


それならば、と日本書紀成立以前で

干支『辛酉(かのととり)』になる年のうち、

立春の頃の『庚辰(かのえたつ)』の日に

正月の朔(一日=新月)が来る年はいつかいな、ということを

丹念に数えた人が明治時代の初めにいた。


それは紀元前660年であり、この年こそ『天皇元年』であって

その『庚辰』の日付は現在の暦では2月11日である。

という気が遠くなるような計算をもとにしているんだそうです。






ふわあ…






日本書紀に記されるような古代のことはよくわからないので

Wikipediaさんにでも聞いてください。(紀元節)




















それなら、




世界の『建国記念日はどうなんじゃろ。』と思うと、

こんなことになっているらしい。

こういったことを調べるのにはWikipediaって便利だねえ。






かつて植民地だった国は、

内戦の挙句、独立を勝ち取ったり、

独立するから戦争でもなんでもしてやるぜっという宣言をしたり

敗戦や革命で宗主国がぶっ倒れて独立できたり、

そんな日が記念日になっている。






アメリカのインディペンデンス・デイは、

植民地13州の代表者が集まった大陸会議

『独立宣言』が採択された日。


福沢諭吉先生が訳しているので読んでみてください。

(千七百七十七年第七月四日亜米利加十三州

独立ノ檄文 青空文庫)



諭吉先生に『檄文』と言わしめるくらいだから、

内容は結構激烈である。



『人民を目的となして強奪を欲しいままにし

悪俗を改めんずしば…政府を廃却するは人の通義なり。』


『英国王の行いを論ずれば不仁残酷の他に記すべきものなく…』


以下具体的に英国王の暴虐を訴え、

イギリスが大兵を送って来たから戦うぞ、と。


『天の人を生ずるは億兆皆同一轍にして…』

生命自由幸福を自分で守るのは『人の通義』つまり権利であって、

『職掌』また義務でもある。


だから『合衆諸州は…理をもって独立し、

英国と交を断ち、英国の支配を受けず』と。


独立宣言である、ということは

『イギリス王に対する宣戦布告』でもあるという訳ですな













連邦や連合国家はそれが出来上がった日が

建国記念日だったりする。




ドイツは、ベルリンの壁が崩れて、

1990年に東ドイツ諸州がドイツ連邦共和国に編入された

ドイツ再統一の日が記念日。




別々の国だったタンガニーカとザンジバルが合邦した

タンザニアでは、『統合記念日』

タンガニーカの『独立記念日』

ザンジバルの『革命記念日』の、3つがなかよく祝日である。





不思議なのがチェコで、第一次大戦の後

『チェコスロバキア』として独立宣言をした日が

現在でも独立記念日なのだ。


もう、そんな国ないのに。











逆に、連邦から離脱した日を記念日にしている国もある。



マレーシアから分離したシンガポールや、

ロシアやウクライナといった旧ソ連諸国なんかがそう。


カナダや、南アフリカ、ボツワナのように

イギリス連邦内で自治権を得て

『独立国に昇格した日』を記念日にしている国もある。













それなら、植民地を支配していた国はどうだ。




フランスは、フランス革命のバスチーユ襲撃の7月14日。

革命翌年の記念式典が『建国記念日』と呼ばれているそうな。

今も、この日にはパリ祭というのが行われている。




イギリスは、祝日としては存在していない。

さすがやのう、と思ったらWikipediaには

『聖ジョージの日がナショナルホリデーだ。』と書いてある。


日本だと『サン・ジョルディの日』と言ったほうが

通じるかも知れない。 

『4月23日のサン・ジョルディの日には

恋人に本を贈ろう。』なんていう本屋のキャンペーンが

何年か前にあったでしょう。

日本では『子ども読書の日』でもある。






で、


イギリスの建国と本屋の策謀とは何の関係もなく、

サン・ジョルディこと、聖ゲオルギオス(英語訓みでジョージ)は

古代ローマ時代の殉教者。

ドラゴンを退治した、という伝説が残っている。


まだ遠いな。


聖ゲオルギオスこと聖ジョージは

イングランドの守護聖人なのだ。



あ、やっと届いた。




しかし、建国とは関係がないような…

しかも、あくまで『イングランドの守護聖人』で

スコットランドやウェールズ、アイルランドとは関係がない。


だから国としての祝日ではないそうです。











ちなみに日本の守護聖人はザビエルさん。



0000zabiel_2




『歩くアメダス』

とかいって馬鹿にしたら

守ってやらないぞ。







守ってくれるのはありがたいけど、

人物に由来するなら、やっぱり日本人の方がいいな。


神武天皇に由来することに異論がある人は確かにいるだろうが、

だから『の』が入ってるんだ、という屁理屈はもういいか。




まあ、今日は『日本ができてよかったね。』という日、

ということで。







そう思える国にしてくれよ…


















では、『今日の一枚。』












イギリスの国旗、ユニオンジャックの中には

『聖ジョージの十字』と呼ばれる十字架が入っています。


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イングランドの旗になっている白地に赤十字がそれですね。 

しかしまあ、建国史はよくわかるけど、


饒舌な旗だ。









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2013年2月 9日 (土)

逆噴射の日

2月9日は『日航350便墜落事故』の日。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今から31年前、昭和57年(1982年)のこの日、

羽田に着陸する日航機が滑走路の直前で失速、墜落した。

 

 

0000gyakuhunnsya      

 

 

死者24名

負傷者149名

 

 

 

 

原因は墜落直前、

機長が行った『逆噴射』という異常な操作。

副操縦士が叫んだ、『キャプテン、やめてください。』

というセリフは『逆噴射』とともに、この年の流行語になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、事故の最終報告書がこちら。

(国交省 航空事故調査報告書)

                 

これの「7.日本航空所属  DC-8-61型 JA8061東京国際空港」

というのがこの事故のレポートなんですが

膨大なレポートをそのままスキャンしやがって

7部に分割してあるんだけど、それでも

一つ一つが4.5MBとか、5.7MBとか

『お前、読ませるつもりないだろう』

としか思えない非常識な容量なので、

事故の実況の部分だけ、画像でも載せておきます。

 

 

2013y02m09d_150302183_2    

 

 

 

 

 

 

 

 2013y02m09d_150338360

 

「認定した事実」

(クリックで大きくなります)

 

 

 

 

2013y02m09d_150453942    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

役所には、こんな書類を

一日中スキャナーにかけたりしているだけの人がいて

俺より給料もらってるんだろうなあ。

 

 

くすん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、

  

 

機長の奇行の理由は、『重度の精神分裂症』であったと

当時の報道は伝えている。

いまは「統合失調症」というが、当時の表現は残酷ですな。

            

機長は、『心身症』でも治療を受けており

この言葉も流行語になった。

 

 

 

 

  

事故当時35歳だったK機長は、昭和44年に日航に入社。

事故3年前の54年に「キャプテンの社内資格」をとっている。

                

昭和51年に関連会社に出向しているのだが

その頃から精神の安定を欠くようになり、

奇行が見られるようになった。とある。

  

 

2013y02m09d_153859318    

 

 

機長が壊れていく様子

(クリックで大きくしてください)

 

 

 

  

その後、日航に戻って国際線のキャプテン(機長)になるが

心身の不調を訴えて、半年で休養。

その後、治療を受けながら国内線のコーパイロット(副操縦士)

として勤め、事故の3か月前にキャプテンに復帰。

               

2ヶ月半、通常のローテーションで勤務をしていたが、

昭和57年の今日、福岡へのフライトの復路で

事故を起こした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

さて、長々と『過去の人』の個人史を書いてきたのには

もちろん理由がある。

 

 

 

 

 

仕事で『壊れる』ってのが、

人ごとではない気がするからだ。

 

 

  

 

このARAIC(事故調査委)の最終報告書では、

もちろん、そんなことについて明記していない。

                  

『事故の背景についての報告書』なんだから、あくまでも主題は

『この人の病気に対して、日航はどんな対応をしたのか。』

ということであり、もうひとつは、

『なんでこんなキチ○イ乗せたんや。』

ということだ。

 

 

 

 

 

しかし一読した感想としては、機長に対して好意的だと思う。

            

『出向や国際線勤務で大変だったね。』

『国内線に復帰しても機長資格があるのにコーパイ扱い

じゃ辛いよなあ。』という 

そういう表現や証言が随所に出てくる。

        

 

つまりこの人の病気は、

本人に先天的な原因があったものではなく

『会社が作った』と。

 

 

  

過酷な環境がストレスになった、と。

はっきりと、そうは表現していないが

そういうニュアンスを感じる。

 

 

 

 

 

 

 

『そうかなあ。』とも思うし、

『そうかなあとも思う。

       

世の中にはすちゃらかちゃんに元気な人がいる。

叩こうが、沢庵石を100個積むような圧力を加えようが

らりほうに明るくて困ってしまう人がいる。

                

そして、私自身のことを思っても

ストレスに対する強弱、というのは

相当程度、個性だと思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日航の対応に対しては、

通院させたり休暇をとらせたり藤原鎌足

「自社のマニュアル」に沿って対応したことを認めつつも、

所詮それだけだった」というニュアンスが伝わる。

 

 

 

国際線乗務時代に体調の異状から

フライトスケジュールの変更を求めた機長に対して上司が、

『スケジュールのことは別に考えるから、

(ローテーションの中で)休養を取りなさい』と答えた、とか

                

コーパイから、キャプテンに復帰するときの社内の査定会議で

『病状は良くなっている、ちょっと無口になっちゃったけど

技術的には十分だから復帰させてよかろう。』

という報告書がそのまま通った、

なんていうエピソードが書いてある。

 

 

 

 

 

ただし、この事故調査委のレポートは、繰り返すけれど

『犯人の特定や断罪。』が目的ではなく、

『事故の背景を明らかにして再発防止を図る。』ものなので

恐ろしく重たくて読みづらいこのレポートを読んでも

「悪いんは、お前や-っ」といったことは

一切書いていない。

 

 

  

でもニュアンスは伝わる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この人は事故後に逮捕されるのだが結局は

『病気である。』として不起訴になった。

刑事事件としては、それでおしまい。

  

民事訴訟が起こされたかどうか、

賠償金を支払ったかどうかは知らない。

              

会社的には、本人の非行ではないから

懲戒解雇になることもなく、しばらく在籍したそうである。

といっても出社はできなかっただろうから

有給を消化して退社、といった具合だったんだろう。

  

 

 

その後の消息は知らない。        

存命であれば66歳である。

 

 

しかし、35歳で少なくとも社会的には

人生が終わってしまったわけである。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

もっとも、こんな話、

犠牲者の遺族からしたら腹立たしいだけだろうが…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

では、『今日の一枚。』

 

 

 

 

 

 

 

この機長が罹っていた『心身症』とは何か、というと、

文字通り『心のストレスが体に現れちゃう』

という病気である。

 

  

例えば『円形脱毛症』

 

 

 

去年の衆院選で500円ハゲを作ってまで

走り回ったのに落選した山本太郎候補 

 

0000taro    

 

 

 

ハゲを隠さず

敗戦の弁を語る山本候補

太ったね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

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はい、まだ本調子じゃないですね。

 

 

 

 

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2013年2月 8日 (金)

近々帰ってまいります。

最近、心も体もこころもこころも荒れ果てて

だいぶ更新が空いてしまいました。

 

すみません。

  

でもすごいよ、

体重なんか10kg以上減ったんだ。

 

おれのズボンは、

いまやみんなローライズさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

まことに申し訳ありません。

どうにも体が起きなくて。

 

しかし、なんとか戻ってきたいと思います。

その際には、何卒また、覗いてやってくださいませ。 

 

みんなも、いやな仕事をしたら、あっという間に

肉の断捨離だ。

 

 

 

やせますねー。 

痩せるだけならいいけど、死ぬ。

 

 

 

 

 

 

 

近々通常営業。

たぶん。

 

 

 

 

 

COMING SOON.

DON'T MISS IT!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ごめんなさいごめんなさいごめんなさい

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の一枚。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これ、どこでしょう。

000000000000000000000000000000kouub

 

 

  

 

 

 

今朝の神戸市内の映像らしいです。

 

 

 

うちのような下町でも積もっていたから

驚きましたよ。

  

 

 

 

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