大鉄球の日
2月19日は『あさま山荘事件』が起こった日。
(見られない場合はこちら)
リンチと内訌を繰り返しながら四分五裂した『連合赤軍』という
名前だけ立派な組織は、結成時にたった29人であり
それも、山中に逃れるうちに、嫉妬や嫉妬や嫉妬を原因にして
『総括』という名のリンチを繰り返す。
榛名山中の山岳ベース事件で12人。
それ以前の印旛沼事件で2人をリンチした上で殺害している。
構成員の半数を殺すような組織が生き残れるはずはなくて
指導部とも切り離されて、追い詰められて自暴自棄になり
最終的に軽井沢のあさま山荘に逃げ込んだのは5名。
どう考えても勝利や妥協はあり得なかったと思うのだが
10日間にわたって、篭城戦を行った。
冷静に見れば自殺といってもいいが、
自殺なら人知れずやってくれ。
ところがこいつらは、
都内の銃砲店から強奪した武器を持っており
散弾銃やライフル、多数の銃弾や鉄パイプ爆弾など
5名の武装としては過剰な装備を持っていた。
日本警察は、この当時左翼に遠慮すること過剰であり、
カップヌードルをすすりながら包囲するしかなかった。
しかし、籠城も一週間を超え、母親に説得させたら
改心するかと思って、射程圏内でハンドマイクを持たせるなよ。
とにかく親にも発砲する、という有様で
これが全国に報道されると、警察も
実力での鎮圧を決意する。
この時警察がとった、空前絶後のテロ鎮圧作戦が
『山荘の鉄球破壊』である。
クレーンに、モンケーンという大鉄球を取り付け
これをぶつけて山荘そのものを破壊する。
この映像は、当時の日本人、特にガキどもに
強烈な印象を与えた。
右上の黒い丸が鉄球。
直径およそ1m。重さ1.7t。
破壊力は強力だったが
外壁と屋根の一部を壊した段階で故障してしまった。
本来なら屋根をもっと壊して機動隊の進入路を確保するはず
だったのだが、予想外の展開に機動隊は凄絶な銃撃を浴びて
2人の殉職者と十数名の負傷者を出している。
この銃撃戦で5名のバカが逮捕されるのだが日本人の多くは、
『この大鉄球が、あさま山荘を制圧した』と
いまでも信じている人が多い。
はあ、気が重い。
もっとも、今ではこの鉄球を見るのは
『ほこ×たて』くらいである。
この中での人気の対決シリーズのひとつが
『なんでも壊す鉄球VS○○』というやつで、
この鉄球を作っているのが富和鋳造(株)という会社。
鉄球はもはや国内では需要がなくて
番組のための特注品なのだそうだ。
実際製品一覧を見ると、鋳造技術を活かした
機械部品の生産が主力のようだ。
それでも強烈な衝撃に耐えることを考えると
球に歪みがあってはならず、
肉厚も均等にせねばならないはずで、
そこは大した技術だと思う。
『ほこたて、なにそれ?』
という感じのHPが更にいい。
しかし、このあさま山荘事件当時、
1970年代には普通に使われていた。
手っ取り早いからだ。
建築物というのは使わなくなった瞬間に
収益を産まなくなる。
そして、除却して登記しないと
果てしなく税金がかかり続ける。
だから、この工法は大いに用いられた。
私がガキの頃には
街中でも普通に行われていた。
しかし、鉄球を引っ張るためにもう一台のクレーンが必要で
建物の外に場所もそれなりに必要で、効率が悪かった。
騒音、塵芥、振動。近所迷惑なことはこの上なかった。
1970年代というのは公害問題に関して
世間の評価が格段に厳しくなった時代でもある。
それなら今はどうしているのか、というと
クレーンの先端に油圧で動くはさみをつけて
ガジガジとかじりとる。
特大、30m級
解体クレーン
なんだか、まどろっこしいような気もするが
時代の流れである。
日本では、アメリカあたりでよく見られる
爆破解体、なんていうのも、ほとんど行われなかった。
2000年に建設リサイクル法が施行されると
この工法は決定的になった。
ハサミで鉄筋をより分けられ、コンクリートも
現場である程度破砕できる。
今や建築廃材の9割以上がリサイクルされる時代である。
そして、今は、『超高層解体の時代』でもある。
縮む赤プリ
左、解体前。右、今月
だいたい2/3
最上階に工事フロアを設け上階から解体して
ジャッキダウンしていく。
それはまあ、かっこいいやり方だと思うが
『日本には1960年代以降、数百棟の超高層ビルがあり
更新の時期を迎えつつある。』
『超高層解体はビッグビジネスになる。』
なんていう話を聞くと
『ちょっと待て。』と思う。
エンパイアステートビルは築83年。
国内でも霞が関ビルは築60年。
日本の都市に歴史を感じないのは
スクラップアンドビルドで古い建物を残さなかったからだ。
現に東京に江戸時代の建物は一棟もない。
空襲から見逃してやったのに
京都の街はマンションだらけだ。
ロンドンでは水よりマシなシャワーしかないアパートメントでも
女王陛下から99年の契約で借りている。
勝手に給湯器を取り替えないから、
あの街には歴史があるんだ、と
散々に言ってきたじゃないか。
赤プリに関しては
東京都の都市計画が変わって
うまくやれば今の倍の床面積が建てられる
というのが大きかったらしい。
『床面積が増やせる』というのは、悪魔の囁きだ。
大抵のビルオーナーがこのセリフで
歴史あるビルを見捨ててきた。
東京の丸ビル、大阪の大ビル、皆旧状の外観保存というのを
言い訳に建て替えられてきた。
安易な名前だな、おい。
赤プリも、バブルの頃には、チェックインする客が
先客がチェックアウトするのを待っている、という
ベッドが乾く間がないほどの人気を誇ったそうだが、
最近は稼働率が4割台の日もあるとのことで、
ホテルフロアを減らし、オフィスや住宅など
『金になる床』を増やしたいのだそうだ。
それにしても容積が倍って、
そんな根幹のところが変わっちゃうのか?
なんて土性骨のない都市計画だろう。
大丈夫か?猪瀬。
えーとなんだっけ。
大鉄球の話だった。
1980年代に街中から急速に姿を消していったこの鉄球を
最期に見たのは1995年の阪神大震災の時だった。
神戸は、明治開港後の新しい街だが
居留地や栄町通などには歴史のあるビルがある。
しかし、そのうちのいくつかは震災で失われてしまった。
無垢の御影石の巨大な柱を6本並べた第一勧銀の建物が
粉々に砕けているのを見たときは、真底驚いた。
同じ並びに中国銀行の建物があり、これも崩れていた。
Bank of Chinaではなく
中国は岡山に本店があります。
ところがこの建物は、大半が崩壊したのだが
正面部分(ファサード)だけが残っており、
しかも道路に向けて10度くらい傾いて止まっていた。
さすがに危ない、ということで震災の翌々日くらいから
撤去作業が始まった。
このとき登場したのが巨大なクレーンと
大鉄球だったのだ。
当時勤めていた事務所からはこの作業がよく見えた。
幅50mはあろうかという、栄町通を広々と使って
がつんがつんと鉄球をぶつける光景を
事務所中で見ていると、誰かが呟いた。
『…あさま山荘や…』
そして、そのセリフに、
そこにいた全員が納得したのだ。
時代の記憶であったのだなあ。
では、『今日の一枚。』
どっから持ってきたのかわからない時代物のモンケーン
だったが中国銀行は、その打撃によく耐えた。
おそらく数十回は繰り返されたであろう打撃に耐え、
最初に見たままの、10度の前傾姿勢を維持している
その姿を見て、我々野次馬は
『中国銀行すげー』とか無責任なことを
言っていたんだから、なにか倒錯していたんだな。
結局、モンケーンは1日で退場し
通常型の、かじりとるタイプのクレーンが現れて
1日で、ご覧の状態まで解体した。
スピードも違ったわけだ。
むう。
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コメント
テレビを見るお時間があるのですね
安心しました
また仕事、仕事で稼ぎまくっていらっしゃるかと思うと
心配で心配で夜も眠れず昼寝をしてしまいます
土曜日に東北から2週間ぶりに戻ってきましたが
助成金は小さな鉄球に注がれているようです
で、今週の1曲…
http://www.youtube.com/watch?v=IATM7aD6zJg
投稿: FREUDE | 2013年2月20日 (水) 08時34分
FREUDEさん、ありがとうございます。
TV、あんまりみてないですよ?
貧乏暇なしで、夜中まで仕事をしているので朝寝をしております。
まだ震災復旧ではモンテーん破壊は
行われてるんですか。
はー。
投稿: natsu | 2013年2月25日 (月) 02時46分