青函トンネルの日
3月13日は青函トンネル開業の日。
昭和63年(1988年)のこの日、開業した。
本州と九州、北海道を結ぼう、という構想は明治時代からあった。
幅員の狭い関門海峡を通る関門トンネルは、戦前に着工され
突貫工事で戦時中の昭和17年に竣工した。
しかし、海面部分だけで20km以上ある青函トンネルは
どうもならんなあ、ということで『構想』のままだった。
ところが太平洋戦争末期には日本近海に
アメリカの潜水艦や飛行機が出没するようになる。
昭和20年7月には米軍機の爆撃と機銃掃射で
全連絡船12隻のうち10隻が喪失。壊滅状態になる。
さらに津軽海峡にも機雷をばら撒きやがったおかげで、
戦後になっても触雷事故が起こった。
『国防の上でも問題だ。』ということで
昭和21年から地質調査が始まり、距離的に近い
下北半島経由よりも津軽半島経由が良い、ということで
今のルートが決まっていくのだが、
これはまだ予備調査であって本工事の予算はつかなかった。
世論が動くきっかけとなったのが
昭和29年(1954年)の洞爺丸事故。
今よりもはるかに貧弱な気象情報しかなかった状況で
台風の中、出港しちゃった青函連絡船洞爺丸は
函館港外で立ち往生してしまい転覆、沈没。
ほかに4隻の連絡船も港内で沈没し、犠牲者は1400人を超えた。
犠牲者数は国内でトップ、世界的にも第三位の海難事故となる。
青函トンネルは昭和39年(1964年)に斜坑が着工。
昭和46年に本坑が着工する。
昭和48年には整備新幹線として
盛岡-青森の東北新幹線の延伸と
青森-札幌の北海道新幹線が決定された。
青函連絡船は常に満員で多客期には積み残しを出し、
昭和40年代を通じて緩やかながらも旅客増のペースを保った。
青函トンネルは、待望されていたのだ。
だが夢の時代はここまでだった
昭和26年(1951年)から民間空路が復活し
北海道でも千歳空港(旧)の供用がはじまる。
昭和53年には、羽田-千歳間は
『世界で最も乗客の多い航空路線』となる。
その一方、青函連絡船の乗客数は
昭和49年(1974年)の500万人をピークに減少を始める。
減少どころではなく激減で、昭和50年代末には
全盛期の4割以下になってしまう。
今でも、東京-北海道の旅客輸送での
鉄道のシェアは3%もない。
そのうえ、昭和48年には石油ショックが起こり
昭和49年には異常出水が起こって、工事が止まり
昭和57年(1982年)には整備新幹線計画自体が凍結されてしまう。
昭和59年には、「青函トンネル問題懇談会」なるものが開かれる。
昭和62年には大蔵省の小役人が国会で
『戦艦大和、伊勢湾干拓』と並んで青函トンネルを
『昭和三大馬鹿査定』と罵倒する有様。
既に本坑が貫通し、竣工間際だった青函トンネルを
バカ呼ばわりしたのは、そこを通る北海道新幹線や、
盛岡から接続する東北新幹線などの整備新幹線建設を
牽制するためだったらしい。
青函トンネルをどうしよう、という議論の中では
『石油を貯めとけ。』『しいたけを育てたらどうだ?』
と、建設費の金利はおろか、
排水ポンプも動かせないようなアホな話しか出なかった。
『高速道路にしろ』という案もあったが
道路にするには給排気の能力が全く足りないし
『新幹線用の複線トンネル』といったところで
路盤部分の内径は9m弱しかないから
上下1車線の高速道路でも狭い。
作業抗や先進導坑は
点検・避難路として
いまも使ってます
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結局、鉄道として使うしかなかったのだ。
竣工間際に巨大な土木構造物の用途が変えられるか。
いまでも、ネットを見ると、青函トンネルや北海道新幹線に
批判的な人はいる。
しかし、沿線自治体はノリノリである。
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大量輸送ができて、CO2を出さず、
座席も広くて安心ねっ、と。
スピードだって速い。
開業当初と
360km/h運転に
した時の所要時間
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速いなー。
札幌-函館間って210km以上あって東京からも新神戸からも
掛川あたりまでの距離になる。
掛川という微妙な駅だと「こだま」しかないな。
東北新幹線だと東京から郡山とほぼ同じで
今をときめくE5系で77分。
それがあんた50分とか45分とか。
しかし、このグラフは若干ずるくて開業後の数字が
青函トンネルをはじめとする在来線併用区間を
260km/h運転にした時のものになっている。
(現在、併用区間は在来線の客車も貨物列車も走るので
160km/h運転の予定。その場合、札幌-東京は5時間01分)
さらにずるい小樽市の『飛行機との比較』
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『まあ、飛行機と変わらないじゃない。』
と思っただろう。
だからこのグラフにも、『ギミック』がある。
航空機の所要時間が
『それぞれの駅までの移動時間込み』
なのだ。
まあ、確かに空港が都心にあるとは限らないが
東京-札幌が飛行機で3時間半という記述に、
『おや?』と思った。
『俺んちの前がスタートでゴールな。』といった、
ジャイアンな感じがする。
しかし、北海道経済界の期待は更に大きく
新幹線が札幌まで開通したら、
道内や東北への旅行者は新幹線が独占。
今は3%もない関東への鉄道利用は
5割近くに増える、と大変に強気である。
北海道経済連合会の『新幹線開業による効果予測』より
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そこまで劇的な変化はないだろうが
実際昭和63年に「在来線規格」で開業した青函トンネルは、
以来今日まで25年間、本来の実力を発揮していない。
もちろん『並行在来線をどうする。』
『札幌一極集中が進むだけだ。』
『整備新幹線なんだから自治体の負担もある。
予想通りの利益が出なかったらどうするつもりだ?』
といった問題はあるだろう。
しかし、せっかく作ったんだから
ちゃんと使ってあげたらいいのに、と思うのです。
ちがうっ。
だから僕は鉄じゃないっ。
実を言うと、今日は東北新幹線の『はやぶさ』が
320km/hでの営業運転を始めた、というニュースを聞いて
『鉄道というのはどこまで速くなるんだろう。』
という話をするつもりでした。
しかし、ご覧のとおり。
前置きの長いこの日記だけど、今日は前置きだけで
終わってしまいました。
アデュー
では、『今日の二枚。』
1982年9月の『整備新幹線建設凍結』の閣議決定には、
当時通産大臣であったこの人もサインしている。
アラレちゃんじゃないよ。
安倍晋太郎だよ。
アベノミクス、とやらで
公共投資をどんどんやるぜ
という、この人のお父さん。
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