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2013年3月の投稿

2013年3月27日 (水)

はぐれサーディン・ラプソディ

名古屋港水族館のマイワシがたるんでいて

水族館の『売りもの』である、トルネードを造らず

群れからはぐれてしまう個体1つだけいるので、

天敵であるクロマグロ15匹を投入する、というニュース。

(朝日新聞のニュース)



天敵がいないから自分たちは襲われない、

とナメてやがるとのこと。





野暮な話だなあ。



はぐれマイワシ

00000000000000000000000000000000000    

左下の一匹。

マンボウといっしょ

























『あー、石清水くんはどうもこの、社会性というか

みんなと一緒に行動する、ということが嫌いなようだ。』




『そうですよ。』 

『いくら誘っても、水族館名物の「トルネード・サーディン」の

練習に参加しませんっ。』



『ははは、そこをうまくやってくれ。彼のお母さんが

PTA会長で、あれこれ手紙攻撃をしてきてうるさいんだ。』



『なんて言ってるんです?』

『うちの捕まろちゃんはいじめを受けています。

でっかいマンボウさんと仲良くしてもらってるのに、

プロレスごっこと称するいじめで死にそうです。』

『死んだらええんや、あんな奴。』



『そういうなって、あの親モンペだからうるさくってさあ。

な、上手くやってくれよ。』




『冗談じゃありません。』

『あいつのせいでマグロが入れられたらあたしたちは

命の危険があるんですよ?』



『うん、いやまあ。

食べられないようにはしてもらえるようにするから。』




『とにかくあの岩清水はしかとね。』

「帰りの食事会にも月イチの飲み会にも、旅行会も

連絡を回すちゃダメよ。』

『なんであたしたち、おばさん言葉になってるのかしら。』






『岩清水クン。』



『北条さん…』
 

『ね、一緒に練習に参加しよ?』


『…北条さん。…』


『なによ、泣かなくてもいいのよ。』



『君のためなら死ねる。』

 

『でぇー』

      

 

 

 

 

 

『なあ、急に水槽を替えられたけど、

このいわし食うてええんかなあ。』



『そりゃええやろ。これから毎日「もぐもぐタイム」やで。』




『水槽の下の方で見上げている、

幼い兄妹の視線が耐えられへんわ。』

 

『何ゆうてんねん。おーおー。例によって群れになって

魚影を大きくしようとしてやがる。』



『あんなもん、餌を集めるだけで、

数万年前からやっているから

わしらには大昔からわかりきったことやねんやけどなあ。』


『わしは右から行くわ。お前は左な。』


『あの下の方でマンボウと泳いでいる1匹はどうする?』


『あんなん無視や。』


『いわしは1匹やけどマンボウがおるで。』


『アホやなあ。マンボウなんて水ばっかりで逆さに吊らんと

捌けへんし真冬が旬やから、今、うまぁないで。』


『へえ、学があるな。お前。』

 

『知らんか、「マンボウの骨まで凍ててぶちきらる」って。』

 

『……』

 

『……』

 

『それ、「鮟鱇」やろ?』
              

 

『あ…』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     

『で、ですね。クロマグロ15匹は卑怯だ、と。』



『そうか?』



『体重にもよりますがクロマグロの餌の摂取量は5kgから8kg、

マイワシ100匹分です。』



『さすが天敵。』



『のんきなこと言ってる場合じゃありません。

マグロを15匹も入れたから毎日の「もぐもぐタイム」は

1500匹を虐殺するスプラッタタイムですよ?』



『馬鹿野郎っ。』


『ひっ。』



『「生命というのは他の生命を頂いて成り立っている。』



『…はあ。』



『残酷でも肉食獣の捕食現場を見せるのは

貴重な理科教育だと思わないか?』



『じゃあ、ご覧になりますか?』



『…うん。』  



『いま、ちょうど門が開いて

腹を空かせたクロマグロが入ってきました。』



『…うん。』



『左右にフォーメーションを組んで襲いかかりますっ。』  

 

             

『う゛ええええええええええ。』
       

 

 

 

 

 

 

 

 

        

















では、今日の『集団行動」















『だからな?マイワシにしても

きちんとトルネードを取らなかったから

悪いわけだよ。』

 

『僕個人は「はぐれ・サーディン」の一派に責めが行くと思うんで

複雑ですが。』

          

『きちんと集団行動が取れればいいんだろ?』

 

『まあ、そうかな。』 






















『いわしはなんで右回転だ?』



『そりゃ、長年の風習でしょう。』



『はぐれいわしが出た、ということは

10年間しかない名古屋市水族館の中で

数万年の遺伝子を忘れたんだっ。』

 

『数万年の記憶を水族館ができて数年で忘れるもんですかね…』


『だから右回転とかあってもいいわけだろ?』

 

『はい?』



『それで右回転の群体と左回転の群体がスムーズに

交差するんだ。』

 

『ほう…』



『しかも魚だから3次元運動ができる。』

 

『だからなんです?』



『いわしが地底から浮き上がってきて

通常回転のトルネードと交差する。』

 

『それが出来れば名物になりますけどね…』



『日体大はできるぞ。』 

 

 

 

 

 

 

『こういう「号令物」は嫌いですけど

ここまで完成度が高いと感動しますね。』




『傍で見ているくらいがちょうどいいさ。』













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2013年3月26日 (火)

『1票格差選挙 無効判決。』                          よっしゃあ、順子。よく言った

昨年行われた衆議院議員選挙を、違憲・無効であるとする、

男前な判決が広島高裁で出された。






    

2013y03m26d_013951725             

あたしゃ女だけどね。

筏津(いかだづ)順子裁判長

 

 








よっしゃあ、順子。よく言った。

変な顔だけどよく言った。

顔は関係ないけどよく言った。








産経新聞号外。

2013y03m26d_003733130



































         

ただ、この判決は日本中の選挙を無効にせよ、

と言っているわけではなく 

別にそういう判決でも構わないと思うのだが

広島1区と2区について無効とした。

(広島1区と高知3区との格差は1.53倍、広島2区は1.91倍。)








     

000000000000000000000000000000000_2     

 

どっちも

2倍以下じゃないか   

 

 

  

うるせえよ。三白眼。





しかも、今すぐ無効にするのはかわいそうだから

今年11月26日を期限にしてあげよう、という。

(このあたりの理屈はよくわからないが産経ニュースへのリンク)




ともかくこの判決が確定したら

この二つの選挙区の選挙は無効になる。



広島1区は前回も今回も同じ人が当選しているので

なんの影響もないが2区は無効なら民主党の人になる。

実際は再選挙、ということになるので

民主党は通らないだろうと思うが

そもそも選管が上告するだろう。









今回、裁判が異例に早いのは

公選法の百日裁判の努力規定を守ろうとしているのと、

司法府もいい加減腹を立てているからだろう。



今回の判決で順子が言った、

『最高裁の違憲立法審査権を軽視』

『「区割り改正に限って、まず憲法上の義務を負った。

国会審議の紛糾は(怠慢で)考慮できない。』

というあたりにも、そのいらだちが見える





3月25日は昨年12月16日の衆院選から

104日目である。

そして26日には残りの7つの高裁で

判決が出る。 


今頃判決を書き換えている裁判官がいるんじゃないかしら。









国会はなんとか区割りを成立させて

『0増5減』を確定させようとするだろう。

『成立させてしまえば、

まさか最高裁も無効判決は出すまい。』

舐めてかかっているようにさえ見える。  










順子ほど男前じゃなくても既に5つの高裁が

違憲、違憲状態の判決を出している。



『11月27日』は判決の期限じゃないが

日付まで指定されたら

最高裁も無視できまい。


三権分立の根性を見せてみろ









むしろ、再選挙を望むやつの方が多いんじゃないか?



上げ潮の維新、みんな、なんかは

『もう一度選挙をすればもっと伸びる』と思っているだろう。

今年の夏には参院選があるので

『衆参ダブル選挙』にしてしまえ、という意見まであるそうだ。



ダブル選はなぜか『与党に有利』ということになっていて

過去2回の選挙も与党である自民党が圧勝だった。



自民は、安倍さんの腹が壊れる前に 人気があるうちに

ダブル選をやりたいのかもしれない。 



『定数削減と絡めようとして、政党間の争いになったことは

一票の格差是正の遅れの理由にならない。』と

順子に怒られても、転んでも、選挙費用がかかっても

ただじゃ起きない人ばかりなのかなあ。
















では、『今日の一枚。』















実は参議院の『一票の格差』というのは

衆議院よりも、もっとひどくて

神奈川県民のクズどもの人間の価値は

クソ田舎の鳥取県民の1/5しかない。



前回(2010年)の選挙は『違憲状態』ということで

最高裁に怒られている。



こで2012年に『4増4減』案が通って (読売の記事)

今年の夏の選挙はそれで行われるのだが

改正されても『一票の格差』は1/4.8。





なめてんのか?




ダブル選なんかやっても

『衆参ダブルで無効』、

ってことににしちまえよ。






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『参議院は、都道府県表を選ぶのが世界の常識よ。

ステイツの上院を見なさいよ。カリフォルニアとアラスカでは

70倍の格差があるのよ。格差があっても当然ですよね。』とか

発言小町みたいなことを言う奴がいるが

 

 

馬鹿野郎っ。

 

  

憲法のどこにそんなことが書いてある。

  

いや、まあそんな雰囲気もあって裁判所も

『6倍はダメだぜ。』

『5倍までならいいかなあ。』と甘いことをぬかしてきたのだが、

これも『1人1票』の原則に戻してもらう








あるいは逆にどうあっても『1県1票』がよければ

『国連総会方式』で徹底的に格差をつけるか?

国連総会で投票券を持つ最小の人口の国は

ナウルで1万人。(外務省のウェブサイト)



人口最大の中国が14億だから1票の格差は14万倍

中国が常任理事国だから、というのなら

人口で2番目のインドは12億で格差は12万倍。




その代わり、国連総会には

実際には何の権限もない。



日本だって1億2千万人いるんだから格差は1万2千倍。

我々は、あの働きもしないナウル人の

1万2千分の1の価値しかないのか?





権力もない国連総会や、

独立の歴史から州を大事にするアメリカと違って

日本の参議院は十分以上の機能があり、

GHQに与えて貰うまで地方自治の歴史がなかったんだから

『1人1票』の当たり前の原則に戻ろうよ。









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2013年3月24日 (日)

桜田門外・ラプソディ

3月24日は『桜田門外の変』の日。

江戸幕府大老、井伊直弼が水戸藩士17名と薩摩藩士1名に

襲撃されて殺されたのが1860年のこの日。

(Wikipedia 桜田門外ノ変)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『どうもー、サグラダファミリアですー』

    

『着工から200年、さらにガウディ没後の2026年に

竣工させる、というアナウンスがあったらしいが

全く無理らしいので変ですねー。』

 

『まあ、キリスト教の大聖堂は建設に

数百年かかることは珍しくないですからね。

ケルン大聖堂なんかは600年かかったそうです。』

 

『まあ、スペインらしいといえば、そうかな、と』

 

 

 

 

 

 

 

『どうでもいいけど、サグラダ・ファミリアは

着工直後の1885年以来、市に建築変更申請を出していなくて

違法建築だったらしいじゃないですか。』

 

『ほう…』

 

『スペインの高速新幹線AVEがそばを通る時に

反対運動が起きて、それで経緯を調べたらわかったんですと。』

 

『世界遺産の違法建築…』 

(朝日新聞の記事へのリンク)

 

『どっちが偉いんでしょうね…』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

『桜田門駅にお集まりの、おのおのがた』

 

『いよいよ蹶起の時ですな。』

 

『テーピーピーとかで呑百姓の支持を失ったら

私たちは参院選で生き残れないんですっ。』

 

『アベノミクスは強者のためのものです。

僕らは内定が貰えないんです。』

 

『俺も仕事がない、…』

 

『しかしこれから「高支持率」とやらを背景にして

あの人、むちゃくちゃやりますよ?』

 

『自身が高転びに転ぶならいいんですけど、なんかあの人

危うい感じがするんですよね』  

 

『じゃあ、どうすればいいんだ?』

   

『この桜田門駅のホームに

安倍総理が乗った地下鉄が来ます。』

 

『総理が地下鉄乗るかぁ?』

 

『そこを襲って、この超強力下剤、

「スーパー・いちじく」を飲ませれば…』

 

『どうなる?』

 

『また腹痛を起こして休職ですっ。』

 

 

 

 

 

 

『ちょっと、まったぁ』

 

『おや?あなたは?

長年不法に専有していた党本部から追い出された人。』

 

『助太刀到すぅ。選挙制度改革でぇ、少数野党をぉ

切り捨てるなんてぇ、ことはぁ。』 

 

『かったるい喋り方だな、糞ババア』 

 

 

 

  

『はい、2番線新木場行きが参ります。

ホームドアの内側でお待ちください。』

 

『よし、来るぞ…』 

 

『桜田門。桜田門。東京メトロ日比谷線ご利用の方は

お乗り換えです。』

 

『いくぞっ。』

 

『ただいまホームが混雑しております。

ご利用の方は、お降りの方がお済みになってから

ご乗車ください。』 

 

『ああっ。あいつはどこだっ。』

 

『そんな時刻表なんか見てるから。』

 

『馬鹿野郎っ。桜田門外の水戸藩士たちも見物人を装って

武鑑(江戸県物の田舎者のための大名行装の一覧表)を

見ていた、という故事に倣っているのだ。』

 

『はい扉締まります。』

 

ぴろりんりーん、ぴろりんりーん。

 

『くそお、見逃した…』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『おいこらっ。そこをどけっ。』

 

『いや、なんか言うてやるわ。』

『なんであたしらがどかなあかんの?』

 

『バカ野郎っ。皇居の周りでは

ジョガーが来たら道を開ける。

これが東京のマナーなんだっ。』

 

『私ら大阪もんやから東京のルールなんて知りませーん。』

『なんやの「ジョガー」って。』

『二重橋の前の玉砂利を走ったら足腰鍛えられるがな。』

 

『…皇居の敷地内は走れないんだ。』

 

『あーら、皇居の敷地を走れないもんが

なんでそんなに偉そうにしてるのん?』

 

『ばばば、馬鹿野郎っ。皇居ランといえば

今や、とってもトレンディなんだぞっ。』

 

『しらんがな。』

『アホくさ。』

『まあ、ええがな。それやったら私らのディフェンスを

突破してもらわないと困るで。』

 

『ディフェンス?』

 

『そうや、私ら天六おばちゃん隊のほかに

『庄内カバディ隊』っていうのもあんねん。』

 

『カバディ?』 

 

『ええか?キャッチングされたら一周退場やからな。』 

  

 

 

 

 

『じゃあ、何か?ばあさん達に捕まったら、

数十分待たないといけないのか?』

 

『そうや、いくでっ。』

『カバディ・カバディ・カバディ…』

 

『冗談じゃない。

俺は商事の課長だぞ。』

 

『あーはいはい。』

『海山商事な。』

 

『違うっ。ちゃんとあの商事だ。

なんなら見せてやってもいいぞっ。』

 

 

 

『この子、おけいはんやろ?』 

『この子自身は何も知らないと思うと哀れやな。』

 

『とにかく俺は本当に商事の課長なんだ。

昼休みが終わってしまうっ。

俺が10分遅れたら

世界経済が10分遅れるんだぞっ。』

 

 

『あーはいはい。』

『前もこんなこと書いたな。』

 

『「皇居ランナーが絶滅するまで」

何十ぺんでも書くでっ。』 

 

『本当にマラソンランナーが嫌いなんだ。…』 

『動きなやっ。すぐにおまわりさん呼ぶからな。』

 

『くそっ。桜田門外の変だ。』

 

『そんないいもんの訳あるかいや。』 

『そうや。桜田門カバディーや。』

『お前ら皇居ランナーが来たらなんぼでもバックを取るで。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

では、『今日のくっくくっく』

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

まあ、『サクラダ』といえばこの人だよね。

 

 

人様の宗教信条に口を出す気はないが

統一教会の結婚式に参加したことは

この人の評価を大きく変えた。

 

その後、日本のマスコミからは消えた。

 

 

 

 

まあ、基本的にどうでもいい。 

  

 

 

 

 

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天正遣欧少年使節の日

3月23日は天正遣欧少年使節が

ローマ教皇グレゴリウス13世に謁見した日。













では、ここで曲をどうぞ。

『天正遣欧使節』で、『GO!天正遣欧使節』。

 

 

 

あー、くだらねえ。


『学校はセミナリヨ。』

『連れてって、ヴァリニャーノ』

『中浦はなんたって、ジュリアンさ。』





あたまわりー、目にツーンとくるね。






今日の日記で書きたいことはこれだけ。

もういいや。












一応解説もしようか。



これは、テレビ神奈川など、4局の共同制作による

『戦国鍋TV』という番組の企画バンド。



知ってる人には有名なんだろうけど、

おっちゃん知らんかったわあ。








『知りたいよ、隣人ラブ。』ってなんだろう。

『汝の隣人を愛せよ。』ってことかしら。

























では引き続き、『ラップ・墾田永年私財法』  














で、まあ。ふざけてないで遣欧使節の話もしようか。



使節は4人で、歌詞にもあるように

伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルティノ



いずれも九州の大名や、有力武士の子弟だった。

4人は、イエズス会の司祭、ヴァリヤーノの発案で

ヨーロッパに旅立つ。



リスボン、マドリード、ローマなどに行き

2年近くヨーロッパに滞在して各地で歓待を受けた。



そして、ローマ教皇への謁見という名誉を与えられたのが

1585年の今日。 


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拝謁する

伊東マンショ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、


マンショ君、服こそ洋装だが月代を剃り髷を載せている。

この時は15か16だったらしいので

髷を結っていてもおかしくないが日本を出発したときは

12か13だ。どこか寄港地で元服したのだろうか。







ところが、謁見の翌年ドイツで発行された本には

こんな図版が載っている。 

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上段のふたりが正使。 右がマンショ、左がミゲル。

下段のふたりが副使。右がジュリアン、左がマルチノ。

(クリックで大きくなります)







ジュリアンっ。

その額の傷はどうしたっ。


じゃなくて、

4人とも髷を落としている。














まあ、いいけどね。

ただ、この4人は帰国後大いに波乱の運命に見舞われる。




この使節の派遣を促したのが

イエズス会のヴァリニャーノだ、ということはすでに述べた。



彼は、イエズス会の『アジア担当』であったが、

日本での布教が進んでいないことに悩み、

『日本人をローマに連れて行くことで、カソリック教会の

アジア布教の熱意を引き出そう。』と考える。



さらに使節に少年を選び、帰国後聖職者として、

布教の尖兵とすることも考える。



この使節団が帰国時に持ち帰ったのが

『印刷機』であった、ということが、

鋭く、そのあたりの事情を切り出している。









で、


不思議なのは、

『このプロジェクトに金を出したのは誰だ?』

ということだ。




大友、大村、有馬といった

九州のキリシタン大名だろう、と

なんとなく信じられてきたが、

戦後の研究で、あくまでも主導者は

ヴァリニャーノだったらしい。



キリシタン大名は、

ほとんど計画に関与していなかった、とも。



まあ、親書まで持っていってるんだから、

全く知らないわけでもなかっただろう、と思ったら

伊東マンショが持っていった大友宗麟の親書は

偽書だった、とWikipediaには書いてある。

 

へー。









大村氏、有馬氏はこの計画自体は知っていたらしいが

金だけ出さされたんだろうか?



使節は4人だが、ほかに随行のイエズス会士や

日本人なんかがいる。もちろん船員もいる。



この使節団の30年後に出発した支倉常長の

慶長遣欧使節は総勢180人も連れて行っている。

相当な金がかかっている。

そして、イエズス会が金を出したわけでも

なさそうなのである。










日本側の狙いは、ひとつは貿易だ。



キリシタン大名もそうだが、当時の権力者

秀吉も帰国した一行を聚楽第で歓迎している。












キリシタンの九州の大名の中には

イエズス会から借金していたりしている奴がいる。


大村氏などは借金のカタに、長崎の一部を

『寄進』したりしている。



長崎がマカオになってしまった可能性は

実は否定できないのである。











さらに、キリシタン大名は仏教徒を迫害した。



そうやって迫害した日本人の一部は

南蛮商人に奴隷として売られた。



男は奴隷や傭兵に、

女は売春婦として

世界各地に売られていった。


奴隷売買に大名やイエズス会が組織的に

関与していたかどうかは謎だが、

『遣欧使節』の4人も寄港地のゴアやジンバブエで

こうした日本人奴隷を見ている。



南蛮人にとって、日本人など人間ではなく、

キリシタン大名にとって

異教徒粛清は正義でもあっただろう。




熱心なキリスト教者が権力を握った時、

必ずしも善人ではいられない、ということを

我々は、南ベトナムのゴ・ディン・ジェムで知っている。















秀吉も、天下統一の過程で九州に親征して

その実態を知った。



せめてイエズス会の影響を排除しよう。

と思ったらしい。



ポルトガルでは1578年に王様が無茶なモロッコ侵略をやって

戦死しており、スペイン王がポルトガル王を兼ねていた。

世界最大の帝国になっていたのである。







秀吉がそういった世界情勢をどこまで知っていたか疑問だが、

九州征伐の際に、イエズス会の日本管区長ガスパール・コエリョ

という野心家が、海軍将官の礼服を着て

イスパニアの軍艦に秀吉を招き、

『お求めならこの船をお貸ししましょう。

なに、本国にはもっと大きな船がいくらでもあります。』

といったから、秀吉の逆鱗に触れた。



実際、秀吉が『反キリスト教』の姿勢を鮮明にすると

九州のキリシタン大名に、

『おい、あの猿倒そうぜ。』と

物騒なことをもちかけている。










だから既に使節団の帰国前の1587年に、

『バテレン追放令』を出した。



秀吉は、海外進出を狙っていたから

貿易まで禁止するつもりはなかった。



宣教師の国外退去と仏教徒への迫害を禁じているだけだ。  









しかし、何にも知らずに帰国した4人の『少年使節』が

南蛮土産の楽器をポロンポロンと弾き

秀吉が、彼一流の『人たらし』として

『どうじゃ、わしのもとに仕えぬか?』と聞いたとき

代表して、伊東マンショが

『いえ、私はさらにキリスト教を究め

司祭になりたいと思います。』

とか、言い出しやがったもんだから

周りにいた秀吉の近習はひやひやしただろうな。





















で、4人のその後だった。


伊東マンショは、司祭になるためにマカオに渡り

司祭になった後、日本に戻って布教を行うが

江戸幕府の時代になると迫害され、

長崎の神学校で教えていたが1612年に病死した。






原マルティノは、伊東マンショや中浦ジュリアンとともに

マカオにわたってともに司祭になり

日本で布教するところまでは同じ。  

1614年幕府によって出された禁教令は本気だったので

危険を感じてマカオに渡り、日本語の本などを作った。



千々石ミゲルは、マンショ、マルティノ、ジュリアンとは

行動を共にせず、マカオには渡らないで棄教している。









最も壮絶な最期を遂げたのが中浦ジュリアン。


マンショ、マルティノと共にマカオにわたってそこで学び

司祭になったところまでは同じだが

幕府の追放令の後、地下に潜んで布教活動を行う。

1932年に捕らえられ、信仰を捨てるように迫られる。

つまりひどい拷問を受けるのだが

盲目になりながらも棄教しなかったという。 



この時、千々石ミゲルの家を訪れ

気を使ってミゲルが席を外した時、

彼の子供が寝ている横にあった

たらいの水で洗礼を与えた、という話がある。

ありえないことだとは思うが、

信じてあげたほうがいいのかもしれない。 




最後は穴の中に吊るされ、耳や目から血を流しながら

3日耐えて、死んだ。







むう。























では、『今日の三枚。』














『遣欧使節』というと、この天正少年使節の他に、

仙台の伊達政宗が送った『慶長遣欧使節』というのもある。





正使として政宗の『親書』を持っていったのがこの人。

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支倉常長

(仙台市のウェブサイト)

 

 

 

 

 

  

本人がヨーロッパで描かせた肖像画。





もみあげを切れっ



と思ってしまうな。

しかし、天正少年使節の伊東マンショがローマ教皇に

拝謁している時には月代を剃って

大きな髷を載せていたのと比べると、

さすがに『伊達者』である。

(お団子のように小さな髷は乗っている。)







この人はたくさんの文物を持ち帰っており

帰国したときに、既に幕府の禁教令は

厳然たるものになっていて、厳重に秘蔵されたため

保存状態が良く、ほとんどが国宝である。



秀吉に献上されたために行方がわからなくなってしまった

天正少年使節のお土産とは、えらい違いである。









政宗がヨーロッパに使節を送ったのは、これも貿易のため。

Wikipediaには『太平洋を横断してメキシコと貿易する』

そのためのスペイン王の許可をもらいに行ったのだ。

と書いてあるのだが、どうだろう。



あの当時の航海技術で、年に一度でも相互を往復し、

安定的に貿易することなど出来ただろうか。



スペインの植民地、という意味では

既にフィリピンがそうなっていたから、

そこで良かったような気がする。 



ただ、メキシコはともかく

南米は火薬の原料でもある硝石の巨大産地で

チリとボリビアが『太平洋戦争』をやっちゃったりする。

政宗は幕府成立後も武器の調達に熱心だったから

それが狙いだったら、恐ろしい男である。








そして、この航海は
『太平洋貿易』を信じさせるくらい壮大で

石巻を出港すると一路太平洋を横断し

メキシコに着くと、それを馬か歩いてか知らないが

これも横断して、カリブ海に出る。

キューバを経由して大西洋を横断して

スペインに渡った。これだけで1年。




今日の地理感覚でも気が遠くなる距離で

船や操船技術者はスペイン人に頼ったため、

『日本人の航海による太平洋横断』という名誉は

240年後の咸臨丸に譲ることになるのだが

太平洋、大西洋の両方を横断した人というのは

日本人ではこの人が最初じゃなかろうか。



結果としては、交渉はうまくいかなかったが

その意気や壮、としようか。








この人が太平洋横断に使った、サン・ファン・バウティスタ号

というのは1993年に復元されて、

石巻のサン・ファン館(現在は休止中。ウェブサイトへのリンク)

というところに係留されている。

Sanjuanbautista

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 









         

あの津波で大丈夫だったのか?というと、

軽い木造船だったせいか

何度も来た津波を乗り越えて船は無事、なのだそうです。



なんか『天正少年使節』の4人といい、この船といい

いくらでも『教訓』めいたことを引き出せそうな気だするが、

なんかもう、いいや。




ただ、運のいい船ではある。






サン・ファン館と聞いて

危うくこの写真を載せようかと思ったけど

なんとなく違う、と思ってやめていました。

000000000000000_reference    

 

 

でも載せる

絶対意識してるよね 

 

 

 

 

  

『ワンピ」や『カーデ』くらいならわかるけど、

『エレ女医』はひどい。

『エレベーター女医』か? 







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ほら長い。

 

 

 

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2013年3月23日 (土)

Twitterの日

3月21日は世界で初めてTwitterの投稿が行われた日。 

(Wikipedia Twitter)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リンクしといていうのもなんだが、

私個人はパソコンとかインターネットが全くわからないので

Wikipediaの解説が半分もわからない。

 

『え?これ、電気だろ?

ビリっとくるんじゃねえのかい?』

ってなもんである。

 

 

 

 

 

 

 

 

とにかく、2006年のこの日に、最初の投稿が行われたのだと。

  

ということは7年目。

まだ、たった6年間の歴史しかない、ということだ。

 

すごいな…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2007年には全世界で1日数千ツイートだったのが、

翌年には1日30万ツイート、

2010年には1日3500万ツイート。

ワールドカップがあった6月には

1日で6500万ツイートを数えた、という。

 

 

世界中の人間がそれだけつぶやいているのだ。

なんか怖い。

 

 

 

しかしまあ、『アラブの春』に見るように

政府を倒す力もあったりする。

 

侮り難い実力もあるというわけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

なんでこれだけ受けたのか、ということを

Wikipediaを見ながら書いている奴に解説されたくは無いだろうが

ひとつは『同時性』なんだろうな。

 

 

『いま、このテレビにこの人が出てる。』

『こんなネット記事が面白い。』と

何も全世界に叫ばなくても良さそうな内容をつぶやく。

 

それで見てしまったテレビや記事が、

案外面白かったりするから困ってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

感心したのがおととしの東日本大震災の時で

被災地や避難所の情報、帰宅困難者のサポート

いろんな情報がタイムラインに溢れかえった。

 

もちろん、Twitterというのは

情報をチェックする人がいないので

鵜呑みにするのは危険だ。

『善意』で流したつもりの情報が誤報だった場合、

大変なことになる。

 

  

444pxnaoharu_kataoka

 

『渡辺銀行が危ないらしいよ』

 

  

 

なんていうことを大蔵大臣がつぶやいたら

大変なことになってしまうのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後は手軽さ。というのもあるんだろうな。

mixiのように御招待されないと入れないのとは違って

垣根が低い。

 

貴様程度のフォロワー数のやつが生意気を言うな

と言われてしまうと困ってしまうが、

私がTwitterに登録したのは2010年の初め。

 

当時の鳩山総理がTwitterを始めた、というから

それを読むために登録して鳩山さんをフォローしたのだ。

しばらく何一つ投稿しなかった。

そうしたら鳩山由紀夫さんがフォロワーになってくれた。

私の数少ないフォロワー第一号は総理大臣である。 

 

 

自慢話はどうでもいいとして、何考えてるんだろう。

あれだけ悪口を書き倒してきたのに…

 

…マゾ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

せっかくだから私のTwitterへのリンクを貼っておこう。

天ばかりか、あたり構わず唾を履き散らかすサンピンのような、

そういうのに限って喧嘩は弱いんだ、という奴の

数々の罵詈雑言をご覧になってフォローしてください。

 

なっちゃん

 

ナイスなアカウントでしょう。

これを申請している人はたくさんいると思うのだが

実はこんな奴が持ってました。

 

へへん。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

政治家でTwitterを利用する人、というと

やはり橋下さんが有名、

ということになるんだろうか。

 

最近かつてのような勢いがないが

何か逆鱗に触れると、怒涛の勢いで連投してくる。

 

 

140文字の枠をぴっちり使い切った上に、

10本連続投稿とかしてくるので、

それはもう『つぶやき 』じゃないだろう。と思うのだが

あの人のツイートが翌日のニュースになったりするので、

うまく使ってるなあ、とは思う。

 

 

 

 

で、

 

 

 

彼がどういう状況でツイートしているのか

まさか市長公室からはやらないだろうが

あの人のことだから、やっているかもしれない。

 

 

 

しかしまあ、手軽なんですね。

 

 

 

スマホでも iPadでもモバイル端末からも投稿できる。

それこそ、『今日あちー』とか『桜が咲いたよ。』とか

脊髄反射のようなつぶやきが

世界の果てまで飛んでいくのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が大学生の頃、まだパソコンはなく

ネット環境が整って、個人が開設するウェブサイト

というのが登場するのは90年代の後半なのだそうだ。

 

その頃の、通称ホームページは

HTMLを自分で書けないと作れず

そのための外注業者がいたりした。 

 

 

 

 

 

 

 

Cocolog_oekaki_2013_03_23_15_16 単調な文字列に変化をつける為

突然文字を大きくしたり

文字の色を変えたり、GIFアニメを入れてみたり、

なんか妙にカクカク、パキパキしていた。

 

 

 

ブログというツールが登場すると、

デザインの自由度がなく、手間がかかる、この

『ホームページスタイル』は駆逐されていく。

 

もちろん今でも、このスタイルで更新している

老舗の名作サイトもたくさんあるのだが、

私のような根性なしは、

ローマ字入力でキーインすると文章ができる、

という程度の手軽さが性にあっている。

 

 

 

 

 

 

で、

 

話が変わるが、この日記はもうすでに5年半もやっている。

さっきバックナンバーを見たら、

最初の投稿は2007年の8月だ。

 

歴史の長さはTwitterと比肩する。

そして発展しないこと、

メジャーにならないことにかけては

ごめんなさい、比較しないでください。

 

 

 

 

 

で、

 

思うのだが、『ブログ』というツールは、いずれかつての

『ホームページ』のように滅んでいくのではなかろうか

という気がするのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このブログの左側に『リンク』という欄があって、

とても面白いのでリンクさせてもらった名作ばかりなのだが、

実を言うと1/3くらいが休眠中である。

 

ぜひ再開して欲しいのだが、

それをお願いする程親しくもない方ばかりなので

とても悔しい。

 

リンクしているページだけでなくとも

『お気に入り』に入れていたサイトが

いつの間にかお休みになっていたりすると悲しい。

 

お前だってしょっちゅう休んでるじゃねえか、と言われると

返す言葉がないのだが、それでも毎日巡回するブログって、

そんなにはない。 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

『ホームページからブログへ』という時もそうだったが

コミュニケーションツールは手軽な方向にシフトしていく。

 

 

 

以前も書いたが

音声認識でささやきを発信する

『ささやいたー』というものは

必ず登場するだろう。

 

主流になるかどうかしらんけど。

 

 

 

 

一般人はTwitterのような手軽なツールに移っていき、

政治家や芸能人のように『ブログ更新も仕事のうち』

という人ばかりになっていくのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

それじゃ昼休みがつまらない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では『今日の一枚』

 

 

 

 

 

 

 

今週の18日、突然記録された

この日記の異常アクセス。

2013y03m18d_234743808

 

  

 

 

 

 

 

普段はだいたい左側くらいの数字で推移しているのだが

4時台に、なんだよ935アクセスって。

 

調べたら、台湾かどこかの、

『おもしろエロニュース紹介』みたいなところに

この写真と一緒にこの日記が紹介されていたらしい。

  

0000000000000kussen

  

 

この写真

 

 

  

この日記がオリジナルではないので

本家のJ-CASTニュースの方は

もっとすごいことになっているのだろうか?

 

 

  

 

 

  

 

 

たまに、テレビとかで取り上げられた話題を

キーワードで検索して

気の毒にもこのサイトにたどり着く人がいる。

 

有益な情報はなに一つないのに。

  

今回もその一つ。

しかし、いきなりな増え方だったのでびっくりしました。

その後の素早い減り方が、またいいですね。

 

 

ということで、台湾、香港、カナダ、そのほかの地域の

中華系の人からも、支持をいただいている

おもしろエロブログ、『なつやすみ』です。

 

 

 

もうすこしがんばってみます。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『使用言語 ピンイン(漢字の表音表記。

日本だとローマ字みたいなもんか?)』

ってことは、内容を理解するつもりは

ないらしいので安心だ。(そうか?)

  

  

 

 

 

 

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2013年3月21日 (木)

ポートピア The city of light and waves

3月20日はポートアイランド博覧会が始まった日。

1981年のこの日、神戸市の沖合に作られたポートアイランドの

『島開き』を記念して開催された。

(Wikipedia 神戸ポートアイランド博覧会)

 

 

 

 

 

      

ゴダイゴである。

懐かしいだろう。 

  

この曲は、博覧会のテーマソング。

 

 

 

 

 

 

  

ポートアイランド、というのはここ。

0000port_island6_2   

 

 

 

 

(クリックで大きくなります。)

 

 

 

 

 

  

左側の島がポートアイランド。

2期工事で、さらに南側に広がり

沖合に神戸空港島ができたために

随分と大きくなった。

  

東側の島は『六甲アイランド』

 

 

 

 

 

 

これらの島はいずれも、山を削って埋め立てられた.。

神戸市は六甲山系が海に逆落としするような地形。

 

 

平地がない。

  

 

『六甲山系の北側を合併して、そこに副都心を作ろう。』

という構想は戦前からあった。

具体的には、今の『西神ニュータウン』。 


西神ニュータウンは1965年に神戸市のマスタープランで決定され

1972年に着工される。(参照)


隣接して工業団地を作った西神ニュータウンは

『通勤型』の日本のニュータウンではなく

職住一体のイギリス型の『ニュータウン』を目指したもので

日本では最初の事例。

 

 

 

 

 

 

 

 

   

同時期に神戸市は、

六甲山系の北側を開発しようとするのだが

そこで奇抜な工法を思いつく。

  

『削った山の残土で

海を埋め立てたらいいんじゃね?』

 

  

そこで、高倉団地、横尾団地、名谷団地、

総合運動公園、産業団地などを造成し

その残土を埋め立てに使うことにした。 

 

0000port_island2

 

 

 

 

 

 

 

 

(神戸市 『ベルトコンベアの概要』)

(クリックで大きくなります)

 

 

  

『街を作るために台地を削って埋め立てる。』というのは

家康の江戸建設でも見られた。


しかし、この時は『幕府の首都』たる江戸に

多くの平地を作ろうとしただけで、

水が出なくて谷や坂ばかり多い山手の人口は極端に少なく

江戸という街は人口分布で言えば、

ひどくバランスの悪い街だった。

 

 

 

  

神戸は違った。

山手で団地を作り、その土でポートアイランドを作った。

どちらも販売対象になり住宅地になるので、よその自治体から

『株式会社 神戸市』と

その儲け方を揶揄されたくらいである。

 

 

 

 

 

 

しかし、須磨の高倉山辺りでは大した標高はないが

それでも、そこを縦断する道路は貧弱だ。

 

そこで神戸市は延長14.5kmのトンネルを掘って

ベルトコンベアで土を輸送する、という

『思いついてもアホらしくてできないアイデア』の典型のような

須磨ベルトコンベアを実現する。

 

 

 

延々とトンネルを抜けてきたコンベアは

高倉山の山腹を突破すると、

山陽電車、国道2号線、国鉄山陽本線を

高々と跨いで、須磨の海に入る。 

800pxsumaconveyor5556    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一体これはなんだ?というと海に突き出した土砂積出施設。

 

この埠頭に平底の土砂運搬船が泊まり

写真にある黄色い積出装置が、ぐーっと動きながら

『転覆するんじゃないのか?』というくらいに

運搬船の上に土砂を落としていく。


赤錆た傘のようなカバーは土砂が埠頭の側に

落ないようにするもの。

桟橋のそばに土砂が落ると水深が浅くなって

接岸できなくなるからだ。



うまくできてやがんなあ。

 

 

 

 

 

 

   

その船が三宮沖まで行って、土を沈めてまた戻る。

ゴミを運んで埋め立てる、なんていうのよりは

トラックを使わないだけでも気が利いている。


ポートアイランドは1981年に島開き。

ちょうど、日本がバブルの跳躍へ助走をしている頃で

その後もこの『山から海へ』方式が引き継がれた。

  

1988年入居開始の六甲アイランド、

2005年竣工のポーアイ2期工事、

2006年開港の神戸空港島まで続く。

 

 

 

 

 

 

先ほどの須磨の土砂積み込み桟橋は

神戸空港島の埋め立てが終わる

2005年まで残っていたので、

今でも覚えている人が多いだろう。 

 

 

 

 00000port_island_4

 運んだ土量と

 埋め立て先  

(クリックで大きくなります)

 

 

もっとも、さすがにバブルがはじけると時期を逸し、

ポーアイ2期は空地だらけだった。

六甲アイランドでも島の南部には空地がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちっとも島の話をしていないな。

 

 

 

 

ポートアイランドは住宅団地、だと思っている人が

いるかもしれない。

もちろん、いまも1万5千人が住む大住宅街だ。

  

しかし当初から、ここはコンテナ港としての機能を求められていた。

敷地の2/3がコンテナ港と倉庫・駐車場だったのだ。 

0000port_island7      

 

 

 

 

 

 

 

(神戸市HPより。クリックで大きくなります)

  

この図面は現状だが西側のエリア、オレンジ色の

いま神戸学院大とかが建っている部分もコンテナ港だった。

 

 

 

 

  

1960年代から船舶輸送のコンテナ化が始まる。

貨物を同じ規格の鉄のコンテナで船で運び

ガントリークレーンで揚陸して、

すでに準備してあった輸出用のコンテナを積む。

       

それまでの荷役が船のデリックから規格の違う木箱や

麻袋を降ろし、積み込みも同様にやる。

外国航路の貨物線は1週間くらい

神戸に滞在せざるをえなかったわけで

南京町に外人バーが建ち並ぶ。

 

ところがコンテナ時代になると、来た船は半日で出て行ける。  

 

コンテナ船の効率的な運用のために

世界的なトレンドになる。

 

トレーラー、幹線道路の整備で日本でもそれに

対応できるようになりつつあった。 

 

外国船は『オー、ワターシ、ふくはらイキタカッタデスネー。』

という下級船員の恨みを飲んで

神戸を出て行くことになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こうなると、深い水深で接岸できる岸壁と

クレーンのスペースととコンテナヤードを広大にとった

コンテナ港が必要になる。

  

それまでの日本の港湾は、櫛の歯のように突堤を

突き出したスタイルだった。

これでは下ろしたコンテナのやりくりがしにくい。

 

既存の摩耶埠頭なども突堤の間を埋め立てたりするのだが

すぐには間に合わないし、

いずれ大規模なコンテナ港は必要である、として

開発されたのがポートアイランド。

 

ポートアイランドのコンテナヤードは

島開きに先行すること10年、

1970年から順次、運用を開始した。 

 

 

 

 

 

その後、水深の浅い西側のコンテナヤードは売却されて

六甲アイランドやポートアイランド二期のヤードに

引き継がれた、と神戸市みなと総局のHPには書いてある。

 

しかし、それが公式コメントなら嫌だなあ。

ポートアイランドは1980年のポーアイ博覧会から、

すでに30年以上経っているのだ。

 

 

  

住民の高齢化、空洞化は進んでいる。

 

 

  

街の活力も、なんとなく衰えた。

  

博覧会の遺産だった、遊園地ポートピアランドは既になく、

IKEAになっている。

商業、業務エリアの中心にあったダイエー系スーパーKOU'Sは

2002年に閉鎖されて、いまも更地のままだ。

 

 

0000port_island4       

 

神戸市の分譲案内

1万平米かあ。

すごいなあ。 

 

 

 

 

 

 

左側の更地ですね。

0000port_island8    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

売却された西側のコンテナヤードには

神戸学院大など3つの大学が進出し

かつての岸壁は『しおさい公園』という親水公園になった。

0000port_island9_2     

まあ、すてき。


大学を誘致して

若い人が来るようになるなら結構だ。

コンテナ港の跡地をそのために活用する、

いうのなら素晴らしい。








しかし、もう移転して6年になる。

なのに、この写真の東側にある幹線道路から

さっきの親水公園の方を見るとこんな感じである。

0000port_island10    

 

ザ・細い道&倉庫+駐車場。












まあ、たのむよ。

  

島ごと街を一から作ったのは偉大だけど、

竹藪じゃあるまいし、

50年経ったら一斉に枯れ果てるってのは無しだぜ。

































では、『今日の一枚。』 














がらがらだった、ポートアイランド2期部分も

多少埋まってきて、その中には理化学研究所があり

そこには、演算速度世界一を記録した

スーパーコンピューター『京』もある。

 

0000port_island11     

 

 

 

つ、津波が来たらどうしよう…

  

『京』の神戸建設の決定は2007年で、

東日本大震災も、『三連動地震』なんていう言葉も、

知られていなかった頃だとはいえ…

  

そうじゃなくても、阪神大震災で

ポーアイはずぶずぶに液状化したのに…

 

 

『CITY OF WAVES 』

冗談じゃないってことも頼むぜ。









 

0000_renho_2         

だから無駄だって

言ったじゃない 

 

 

 

 

 

うるせえっ。

 

 

 

  

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2013年3月19日 (火)

麻布中の『ドラえもん問題』を、                      アメリカの創造博物館の前で出してみよう

今年、麻布中学校の入試の理科の試験に出された問題。

(YAHOO News)






2013y03m19d_182103609_3






















 

先日出されたばかりの問題だから、

模範解答はまだ発表されていないらしい。  



しかし、『ドラえもんは、ねこ型ロボットだから。』

という答えでは正解にならないのだそうだ。 








当たり前だ。




それなら『機械の体』を手に入れるために

銀河鉄道999に乗った鉄郎は

生物じゃない、というのか?










『生命の定義』なんて、それだけで

ノーベル賞級の学者が頭を抱えるような大問題だ。



そんなもん、小学生に解けるか。










というわけで、

この入試問題も、一応『逃げ』を打っている。


『この問題における生物の定義』というのを

問題文の前段に載せているのだ。





曰く、

(1)「自分と外界とを区別する境目をもつ」、

(2)「自身が成長したり、子をつくったりする」、

(3)「エネルギーをたくわえたり、

   使ったりするしくみをもっている」





この「定義」に即してみた時に

ドラえもんはどうか、と。 



こうなると、理科の問題というよりも

国語の問題に近い。












1)を『自己同一性のある存在』と考えると例外はいくらでもある。

生命体としては死亡していても、

細胞だけ生き残っている、

株分けされているという例はごろごろある。 


そこにいくと、ドラえもんは

『外界との境目』をきちんと持っている。


1)の条件はクリアだ。











2)の前段の『生長しないのか?』という質問に関しては

凄まじい長期連載の中で、ドラえもんの身長は

のび太より低かったり高かったりする。


000000dora         

おそらくこのくらいが本来の設定。

ドラえもん129cm。

 

 

 

 

  

0000000000dora2    

     

しかしこの回では

ドラえもんの方が背が高い。

 

 

 

 

のび太は永遠の小学校4年生だから

ドラえもんが成長した、と考えるべきだろう。










2)の後段。『生殖能力がないのか?』ということについては

そ、そそんなこと

わからないじゃないかっ。





『ドラえもーん、助けてよー。』



『ば、ばかっ。のび太くんっ。

急に引き出しを開けるなんてっ。』


『…あ、ごめん…』







しずかちゃんのシャワーシーンだって怒られる国があるんだぞ。

藤子先生が載せなかっただけだ。













3)を、『代謝をするのが生命である。』

つまり、有機物を摂ってエネルギーを得ることだと考えたら

ドラえもんは、これもできる。



ドラえもんは、どら焼が大好きだ。

ちゃんとエネルギーを摂っている。



 

0000000000dora3    

 

 

まあ、どうやって

栄養にしているのかしらんけど

 

 

 

 












以前、千葉大の入試で『タケコプターは可能か?』

という問題があって、あれは傑作だと思ったが、 

今回の入試問題はひねくり過ぎだ。





ほら飛べた。

 

 

 

 

 

 

リンクした記事では、

「ドラえもんの場合、(2)の『自分自身の成長や生殖』

という項目に該当しないから生物ではない」という答えが

合格者の中で多かった。

おそらく、これが正解だろう。』と書いている。



だから違うと思うんだけどなあ。 



あえて答えるとすれば、、

『生殖の有無は確認できないが

生命ではないとする根拠も不確実。』

と答えるべきだ。  

それこそが『科学的なひねくれた態度』だろう。






『模範解答はない。』とも書いてあるが、しかし

私みたいに、こんなもって回った思考をするような奴は、

麻布中なんか受からないんだろう。

くすん。 












でもおまえ、猫のセッ○スって本当に(自粛だ。馬鹿野郎っ)















では、『今日の、創造博物館。』














アメリカのケンタッキー州にある、創造博物館。

進化論を否定し、生命は神が作ったという主張をする

アンサーズ・イン・ジェネシスという団体が

旧約聖書の世界を再現した不思議な空間。

 

 

 800pxcreation_museum_10_2    

なにしろ

布で織った服を着たおっさんの横で

恐竜が走っているんだぜ。

(クリックで大きくなります)

 

      





日本によくある、ひょっとこB級美術館とは違って

本気の規模と展示だそうです。




ここの前で、同じ問題出してみ?

『オー、ドラえもんは、

神のクリエイチャ-ではありませ-ん。』

と言われるだろうさ。



結論は同じだけど、不合格にする根性があるかい?










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2013年3月18日 (月)

青函トンネルの日

3月13日は青函トンネル開業の日。

昭和63年(1988年)のこの日、開業した。

 

 

 

 

 

 

本州と九州、北海道を結ぼう、という構想は明治時代からあった。

幅員の狭い関門海峡を通る関門トンネルは、戦前に着工され

突貫工事で戦時中の昭和17年に竣工した。 

       

しかし、海面部分だけで20km以上ある青函トンネルは

どうもならんなあ、ということで『構想』のままだった。

 

 

 

  

 

ところが太平洋戦争末期には日本近海に

アメリカの潜水艦や飛行機が出没するようになる。

昭和20年7月には米軍機の爆撃と機銃掃射で

全連絡船12隻のうち10隻が喪失。壊滅状態になる。

 

 

さらに津軽海峡にも機雷をばら撒きやがったおかげで、

戦後になっても触雷事故が起こった。

 

 

『国防の上でも問題だ。』ということで

昭和21年から地質調査が始まり、距離的に近い

下北半島経由よりも津軽半島経由が良い、ということで

今のルートが決まっていくのだが、

これはまだ予備調査であって本工事の予算はつかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世論が動くきっかけとなったのが

昭和29年(1954年)の洞爺丸事故。

      

今よりもはるかに貧弱な気象情報しかなかった状況で

台風の中、出港しちゃった青函連絡船洞爺丸は

函館港外で立ち往生してしまい転覆、沈没。

 

ほかに4隻の連絡船も港内で沈没し、犠牲者は1400人を超えた。

犠牲者数は国内でトップ、世界的にも第三位の海難事故となる。

 

青函トンネルは昭和39年(1964年)に斜坑が着工。

昭和46年に本坑が着工する。

昭和48年には整備新幹線として

盛岡-青森の東北新幹線の延伸と

青森-札幌の北海道新幹線が決定された。

       

青函連絡船は常に満員で多客期には積み残しを出し、

昭和40年代を通じて緩やかながらも旅客増のペースを保った。

 

 

 

青函トンネルは、待望されていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

だが夢の時代はここまでだった

 

 

 

 

   

 

昭和26年(1951年)から民間空路が復活し

北海道でも千歳空港(旧)の供用がはじまる。

 

昭和53年には、羽田-千歳間は

『世界で最も乗客の多い航空路線』となる。

 

その一方、青函連絡船の乗客数は

昭和49年(1974年)の500万人をピークに減少を始める。

 

減少どころではなく激減で、昭和50年代末には

全盛期の4割以下になってしまう。

       

今でも、東京-北海道の旅客輸送での

鉄道のシェアは3%もない。

 

 

 

 

 

 

 

 

そのうえ、昭和48年には石油ショックが起こり

昭和49年には異常出水が起こって、工事が止まり

昭和57年(1982年)には整備新幹線計画自体が凍結されてしまう。

昭和59年には、「青函トンネル問題懇談会」なるものが開かれる。

 

昭和62年には大蔵省の小役人が国会で

『戦艦大和、伊勢湾干拓』と並んで青函トンネルを

『昭和三大馬鹿査定』と罵倒する有様。

      

既に本坑が貫通し、竣工間際だった青函トンネルを

バカ呼ばわりしたのは、そこを通る北海道新幹線や、

盛岡から接続する東北新幹線などの整備新幹線建設を

牽制するためだったらしい。

 

青函トンネルをどうしよう、という議論の中では

『石油を貯めとけ。』『しいたけを育てたらどうだ?』

と、建設費の金利はおろか、

排水ポンプも動かせないようなアホな話しか出なかった。

       

『高速道路にしろ』という案もあったが

道路にするには給排気の能力が全く足りないし

『新幹線用の複線トンネル』といったところで

路盤部分の内径は9m弱しかないから

上下1車線の高速道路でも狭い。

 

 

         0000seikann

作業抗や先進導坑は

点検・避難路として

いまも使ってます

 

 

(クリックで大きくなります。)  

             

 

 

 

結局、鉄道として使うしかなかったのだ。

竣工間際に巨大な土木構造物の用途が変えられるか。

 

 

 

 

 

 

 

いまでも、ネットを見ると、青函トンネルや北海道新幹線に

批判的な人はいる。

しかし、沿線自治体はノリノリである。

 

 

 

  

札幌市のHP

2013y03m18d_154020755     
     
     
     
     
     
    
    
    
    
     

 

 

 

 

 

 

 

     

クリックで大きくしてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大量輸送ができて、CO2を出さず、

座席も広くて安心ねっ、と。

 

クラシアンか。

 

 

 

 

 

 

スピードだって速い。

 

 

道の「北海道新幹線Web」

 

 

2013y03m18d_215002418_2   

 

開業当初と

360km/h運転に

した時の所要時間 

(クリックで大きく)

 

 

 

速いなー。

札幌-函館間って210km以上あって東京からも新神戸からも

掛川あたりまでの距離になる。

            

掛川という微妙な駅だと「こだま」しかないな。

 

   

東北新幹線だと東京から郡山とほぼ同じで

今をときめくE5系で77分。

それがあんた50分とか45分とか。

 

 

 

 

  

しかし、このグラフは若干ずるくて開業後の数字が

青函トンネルをはじめとする在来線併用区間を

260km/h運転にした時のものになっている。

  

(現在、併用区間は在来線の客車も貨物列車も走るので

160km/h運転の予定。その場合、札幌-東京は5時間01分)

 

 

 

 

 

さらにずるい小樽市の『飛行機との比較』 

 

2013y03m18d_153234628  

 

 

 

 

クリックで大きくしてください 

 

   

『まあ、飛行機と変わらないじゃない。』

と思っただろう。

だからこのグラフにも、『ギミック』がある。

 

航空機の所要時間が

『それぞれの駅までの移動時間込み』

なのだ。

 

まあ、確かに空港が都心にあるとは限らないが

東京-札幌が飛行機で3時間半という記述に、

『おや?』と思った。

 

『俺んちの前がスタートでゴールな。』といった、

ジャイアンな感じがする。

 

 

 

 

 

 

 

 

   

しかし、北海道経済界の期待は更に大きく

新幹線が札幌まで開通したら、

道内や東北への旅行者は新幹線が独占。

 

今は3%もない関東への鉄道利用は

5割近くに増える、と大変に強気である。 

 

 

 

北海道経済連合会の『新幹線開業による効果予測』より 

 

2013y03m18d_221806161  

 

 

 

 

 

(クリックで大きくなります。) 

 

 

 

 

 

 

  

そこまで劇的な変化はないだろうが 

実際昭和63年に「在来線規格」で開業した青函トンネルは、

以来今日まで25年間、本来の実力を発揮していない。

         

もちろん『並行在来線をどうする。』

『札幌一極集中が進むだけだ。』

『整備新幹線なんだから自治体の負担もある。

予想通りの利益が出なかったらどうするつもりだ?』

といった問題はあるだろう。

 

                 

しかし、せっかく作ったんだから

ちゃんと使ってあげたらいいのに、と思うのです。

 

 

 

 

       

ちがうっ。

だから僕は鉄じゃないっ。 

 

 

 

 

 

実を言うと、今日は東北新幹線の『はやぶさ』が

320km/hでの営業運転を始めた、というニュースを聞いて

『鉄道というのはどこまで速くなるんだろう。』

という話をするつもりでした。

  

 

しかし、ご覧のとおり。

 

 

前置きの長いこの日記だけど、今日は前置きだけで

終わってしまいました。

 

 

 

 

 

  

アデュー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の二枚。』

 

 

 

 

 

1982年9月の『整備新幹線建設凍結』の閣議決定には、

当時通産大臣であったこの人もサインしている。 

 

0000shintaro_abe_2   

 

アラレちゃんじゃないよ。

安倍晋太郎だよ。

 

 

 

  

 

 

 

0000abe_2  

アベノミクス、とやらで

公共投資をどんどんやるぜ 

という、この人のお父さん。

 

 

 

 

 

 

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2013年3月16日 (土)

グラデュエイション キッス

大阪市内の中学校の卒業式直後に撮られた、とされて

いま話題になっている写真がこちら。(Livedoornewsへのリンク)


 

0000000000000kussen

  




















一応、卒業証書が入っているらしい筒は持っているし

そこそこディープなキスだし、んまあ憎たらしい。



ということで、この学校の校長先生はおかんむりらしい。  

そりゃそうだろう。

ここまで校舎や生徒の顔がはっきり写っていれば

地元の人なら、特定するのは容易だろう。



そういうふうに『誰が、どう』ということを

すかさず探し当てるあたり、日本人や中国人の嫌なところだが

これはわかるよな。

何しろ本人たちに隠す意識がない。



まあ、校長が怒ろうと卒業しちゃったわけだし

あとは進学するのか就職するのか知らないが

ま○こし放題である。










日本の少子化も大丈夫だ。

一言余計なことを言えば、

『○○さんちが大変だあ。5男9女の大家族。』

なんていうテレビ番組が人気なのは

人情に泣かされるところもあるが、

あれは視聴者の大多数が優越感を持っているからだ。


あれが『ハーバード出身の奥さんは女社長。

年商100億だけど10人目の妊娠で大変だあ。』

というタイトルだったらみんな見るだろうか。


洗濯物にまみれながら子供を怒鳴り散らしていて

長男は親の跡を継ぐけど次男はぐれて、

長女は15で孫を産んで、

この再生産のスピードでは

我々は駆逐されるぞ、と思うから

あのシリーズは人気なのだ。







『エイリアン』が人気だったのと同じだ。

そもそも進学率が低かった。

1960年代であれば、大学進学率など女で数%

男でも10%行くかどうかだっただろう。











だからそのことは責めない。

私自身を省みても、

ありがたく大学院まで出させてもらったが

立派な人間になった気がしない。

文章を読んでもそう思うでしょう。 









しかし、

この手の番組を見ると

反吐が出る。

「有名人の豪邸訪問」なんかでも同じだ。



たかが、テレビ屋程度に

『日本人の中庸はこの程度よ。』と

教えられる筋合いはないのだ。


なんかそういう押し付けがましさと、

そいう意識に乗っかるいやらしさがある。



もちろん、それを見てしまう我々に一番の責任がある。

『反吐が出る』と言いながら詳しいのは

私がこの手の番組を良く見ているからだ。


てへ。





てへじゃねえよ。














えーと、なんだっけ。

今日は、「ソンミ村虐殺事件」の

話をしようとしていたんだった。

 

 

 

ところが立場によってコメントがまるっきり変わっている事件で

とてもじゃないが2日や3日では全体が把握できない。

 

だから今日は、こんな話を載せましたのさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の演奏。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ついでにいま話題の陸自14音楽隊の『女々しくて』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみにオリジナル。

 

もう、何がなんだか。

大丈夫か自衛隊。 

 

 

 

 

 

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2013年3月13日 (水)

束麻呂の卒業

大津いじめ問題があった中学校で卒業式。

(毎日jPへのリンク)

 

 

 

 

 

 

    i

じめられた当人は自殺し、

両親が卒業証書を受け取った。

その当時の校長は解任され、

いじめたバカの母親は当時、PTA会長だった。

  

いかに馬鹿PTA会長とはいえ、

息子を守ることはできなかったらしくて

現在、ツカマロくんは転校している。

彼も卒業のはずだが、もちろん偽名であろう。

  

2011年大津市の中学2年生が同級生から、騙り、暴行

盗み、カツアゲ、自殺の強要など

卑怯卑劣極まりない暴行を受けて自殺した事件。

 

追い詰められて自殺した少年の心中やいかに、と思う。

童貞で死ななくても良かったのに。

  

加害者はK・束麻呂こと同年齢の皮かむりほか2名。

こいつらは一部の事案が14歳以上ということで

送検されたが、収監されることもなく、起訴もされない。

刑事事件としてはおしまいである。

(民事裁判は続いている)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いじめって、昔からあるよね。

いじめられたこともある。

どちらかというと、その方が多い。 

 

ふええん。

 

 

『いじめないで。いじめないで。』と

真夜中に眼が覚めたりすることだって

あるんだい。

 

ふええええん。 

 

 

 

 

 

 

じゃあ、金輪際、お前はイジメる側に立ったことはないのか?

というと、そうでもない。 

 

自分自身のことだし、具体的な被害者もいる訳たから

私自身がわかったような『総括』をしてはいけないのだが、

特定の子を責め立てたりした。

いじめをしたことは、あります。 

  

それ以上に、違和感を感じなかったところが、馬鹿だ。

なぜか、正義感に満ち満ちていた。

こういうことはきちんと言わないと、いけない。

失望する人もいるだろうが、事実です。

 

 

 

 

 

 

 

同級生の女の子が『あの娘、気に入らないから。』ということで

あれこれトラップを仕掛けてきた時には

さすがに『これは違う。』と思った。

 

これには同調しなかった。

 

 

 

 

しかし、記憶に残っているだけではなく、

『私にいじめられた。』と思った同級生はいるんだろうな。

別段、私は「ボス」のような地位にいたわけではなかったが

そういうヒエラルキーは、

いじめられた立場の人が考えるべきなのだろう。

  

個人的には、人生五十年

いじめられてばっかりだったもん。と思うのだが、

受け取る側がどう感じるかは別の問題だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

いじめられれば、死ぬ。

そういうこともある。

  

そうしていじめる側の心理は時として制御できない。

ツカマロを弁護するわけではなく、

子供は時として、限界を超えて残酷で馬鹿だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

だから、我々にできるのは再び悲劇を繰り返さないことだ。

もはや、我々は非力だ。

50が15に体力で叶うわけがない。

  

しかし正確に眉間を衝けばすごく少ないエネルギーで

ツカマロを倒せる。嘘だと思うか?

誰かに眉間に指で抑えてもらって動いてみたまえ。

  

打ちどころが良ければ手刀で頚動脈と神経を打てば

3秒で昏倒させられる。

  

いよいよとなったら目を衝け。

そこは相手も躊躇するだろうから隙ができる。

躊躇なく撃て。

 

  

従って、子供はおっさんを舐めてかかってはいけない。

『自衛力』というのは誰しも正当に持っているのだし、

相手を完膚なきまでに叩きのめす、

という能力があるのだ。

 

 

歳をとっている以上、

卑怯な手などいくらでも思いつく。

かかってこい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

では『今日の一枚。』

 

 

 

 

 

 

 

 

大津自殺事件が、マスコミで大きく取り上げられたとき

恥さらしにも、PTA会長たる、母親が配布した

言い訳プリント。

  

10月の自殺から10ヶ月後、マスコミが取り上げた

翌年の7月になってこの母親が公開した、言い訳一覧。

 

ここまで清々しいと、脳みそをぶち抜くのにも

なにひとつ後暗いところはない。

 

  

晴れやかに君たちをぶっとばせる。

 

 

 

 

 

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『いじめがあったかどうかはわかりません。』

もし事実でなければ、うちのツカマロちゃんの人権は…と、言いつつ

『でもプロレスごっこはあった。』と思います。

ってどういうことだよ?

 

「特に、息子の心情が理解できない女生徒からは目障りだったでしょう。』

ってのは、特定の子から嫌われていたけど

『ほら、女子は男子のこと知らないしー』ってことで

ウチの子、悪くないよねーって

ことだな?

 

 

00000000000000000000000000000000000    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『(教師である)子供たちのお手本であるべき人が

文科省のマニュアルに従うことで自分のを陥れるのを(一字不明)

目前で見せ付けられるのです。 

   

『いじめの判定を取り消すよう

訴えてください。』だと。

    

馬鹿。

  

 

(クリックで大きくなるので散々に笑ってやりましょう。)

 

 

 

 

  

ひと、一人殺しといて何言ってやがる。

 

 

 

 

つかまろ

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一応未成年なので

目ぶせ。

 

 

 

 

 

 

お前、大人とか社会とか舐めてるよな。

あまりに一方的な「親」の論文を読むにつけ

君がキ○ガイであるということがよくわかった。

この親に育てられたらさぞや、

とも思うんだが同情はしない。

 

死ねば?

 

 

 

 

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2013年3月12日 (火)

縮小社会のモデルを東北に

東日本大震災から2年。 

TVでも新聞でも復興は進んでいるのか?

といった特集が組まれている。

 

 

 

 

 

 

 

 

わかりやすい指標として『人口』というのがある。

しかしこれもなかなか厳しそうだ。 

       

 2013y03m11d_171549535

 

 

 

       

(クリックで大きくなります。)

 

 

 

 

     

地震発生後2年間の人口動態。

人口増加傾向にあった宮城県が一転、転出過多となり

千葉埼玉神奈川東京といった、激甚被災地とは言い難い

場所からも転出の傾向が強い。

 

 

 

 

 

 

 

 

     2013y03m11d_171659767

 

 

 

 

(クリックで大きくなります。)

 

 

 

 

 

 

 

太線が三県合計。

地震前でも震災前4年間ほどは毎年1万人くらいの人口を

減らしてきた。

全体で見ると分かりにくいが年によって、地方によっては

5パーセント以上、というところがごろごろある。

 

 

 

震災前平成21年の人口動態調査(厚労省)

2013y03m12d_140214790      

被災三県の人口動態。

(クリックで大きくなりますよ。)

 

 

震災前のこの時点でも、宮城県の0.8%減を始め

岩手、福島では4%の自然減がある。

  

俗に『東北被災三県』と呼ばれる福島、岩手、宮城の人口推移。

さすがに大震災の時の人口減は急激だが

被災三県のうちで最大の被災者数を数えたのは

宮城県で死者行方不明者1万有余人。

これは、ほぼ統計に顕われている。

   

それ以上に減少しているのは福島県で

原発の影響もあるが、

望まずにその土地を離れざるを得なかった。

社会がそれを強制した、という意味で

社会減と呼ばれる。

    

県名 死者数
A
行方不明者数
B
死者+行方不明者数
A+B=C
2010国調人口
D
死者+行方不明者数/人口
C/D
北海道 1 0 1 5,507,456 0.00%
青森県 3 1 4 1,373,164 0.00%
岩手県 4,673 1,151 5,824 1,330,530 0.44%
宮城県 9,536 1,302 10,838 2,347,975 0.46%
山形県 2 0 2 1,168,789 0.00%
福島県 1,606 211 1,817 2,028,752 0.09%
東京都 7 0 7 13,161,751 0.00%
茨城県 24 1 25 2,968,865 0.00%
栃木県 4 0 4 2,007,014 0.00%
群馬県 1 0 1 2,008,170 0.00%
千葉県 21 2 23 6,217,119 0.00%
神奈川県 4 0 4 9,049,500 0.00%
合  計 15,882 2,668 18,550

※参考:阪神・淡路大震災時の兵庫

 

 

地震による自然減。 

 

       

で、それよりも注目して欲しいの二番目のグラフ。

  

東北三県は、昭和30-40年代

べらぼうな人口流出が続いているのだ。

最近でこそ多少平衡してきたがそれでも

毎年、数%の人口流出が続いてきた。

          

震災がなくても

基調としては過疎傾向だったわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここでもう、『結論』を言ってしまおう。 

          

東北は人口を取り戻せない。 

人口の上での『復旧』はないのだ。

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

まず、これが厳然たる事実じゃないか?

   

阪神大震災で、150万神戸市は4500人の死者を出した。

しかし転出者を含めた社会減は10万人に及んだ。 

神戸市は人口でこれを回復するのに10年かかっている。

   

東北の人口が復旧しないのにはいろんな理由がある。

諸般の理由によって高台移転も進まない。

高台移転の造成の費用だけは出るにしても手続きが

死ぬほどめんどくさい。

何より、海を離れては産業が立ちいかない。

三陸は漁業の街だ。

  

 

そもそも日本人自体が減っている。

ボランティアは佃煮にするくらいやってくるが

彼らが、そこで根ざして子供を育てよう、とは

思わない。

  

 

もちろん原発の問題もある。

立ち入り禁止区域とかにされたために

住民はともかく役所でさえ、埼玉県に移転して

なんだか亡命政府のようになっている町もある。

(福島県双葉町公式HP)

 

 

 

 

 

 

神戸だから、東北だから、という言い方はしたくないが

東北三県は震災前から人口減少の傾向にあった。

  

そして、10年後

めでたく人口を回復した神戸市が

等しく復興・復旧したのか、

というととんでもない。

  

人口が増えたのは六甲山系の北側、北区、西区。

確かに六甲山を超えると、

普通に焼肉屋があいておりパチンコ屋があいており

『なんだ、ここは。夢の国か?』と

思ったもんである。

 

 

 

そのほか、企業や公営住宅が老朽住宅を改築したため

今私がいる東灘区などは猛烈な勢いでマンションが建った。

         

今時徒歩10分の範囲に3つも小学校があって

それが仮設教室を建てている、

なんていう光景はなかなかない。

  

 

もっともその光景も、せいぜいあと3年だが。

       

 

対して長田区、兵庫区などは人口が増えない。

新長田1番街など、区画整理して鉄人まで建てた。

なかなかの決断だと思うが客は来ない。

鉄人建立後に何回かいったことがあるのだが

愛想の悪いおっさんが集会所らしきところに陣取り

『よそもんは許さん。』という態度で外来者に接していた。

          

 

あいつ殺せ、と思うのだが、そう思うのも気の毒なくらいに

客はいなかったがな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、東北だ。

  

関東大震災でも東京市が大阪市よりも下回ってしまった

人口を取り戻すのには5年かかった。

神戸で10年。

      

そして、東北は人口の回復が無理だろう。

   

ほおっておいても年率5%で人口が減少するのだとしたら

100万都市は3年で14万の人口を失う。

ここ2年の人口減少のきっかけは確かに

震災だったかもしれないが、

潜在的な『流出予定者』が肩を押されたのかもしれない。

  

 

 

 

もう、『人口縮小』を前提に

社会モデルを作っても

いいのではないか?

  

 

 

 

もちろん、街は徒歩圏。

車なんか使わない範囲に病院があり保育園が有り

役所があり、買い物もできる。

近距離だから宅配も気軽。

誠にコンパクトだ。

      

産業にしても、アラブの大富豪と

仕手戦をやるようなことはないんだから

ちまちまちまクロマグロとか育てたらいい。

うなぎもいいな。フグもいい。

フォアグラ、カナール、トリュフ、チョウザメ、

レタス、チッコリ、ルッコラ、そしてスパイス。

単価が高ければ養殖産業は既に市場に耐える。

  

もちろん、目前の海の豊穣をほおっておくいわれはない。

たくさん獲って東京へ送ってしまえ。

変に手をかけたり。漁業権者の取り分に配慮して

妙な市場なんか立てるから時間と人手がかかる。

  

 

ネットで直販して

速攻で、東京まで運んでしまえ。

 

 

 

 

 

 

  

人がいない。 

手間はかけられない。

  

 

という大前提に立たないと、何も進まないし

いずれ石碑だけ残して奥尻島のように

消えてしまうんじゃないか?

        

仮に地震がなくとも、あんたたち過疎地だったんだから。

  

逆手に取らないと、負け越すぜ。

今はまだ金だけはあるんだ。

        

ひも付きの金かもしれないが

紐をたぐれば政治家が釣れる。

  

小沢さんとこの連中なんか、

今だけは

よく働いてくれるような気がするね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

では、『今日の、中村聡子』 

 

 

 

 

 

 

 

今から半年前に開かれた『脱原発・パネルディスカッション。』

議論の大半はどこかで聞いたような鼻くそな内容なのだが

新鮮なのが、市民団体の顔役、中村聡子さん。

  

放射能が怖くて千葉から兵庫県に引っ越した来たんだけど

近所の廃校にメガソーラーの建設計画があって

なぜか大反対している。

             

原発は嫌だ、なのは主張として認めるとしても。

ソーラー発電も嫌だ。

少なくともうちのとなりじゃ、眩しいじゃない。

という神経はなんなのだろう。

 

 

 

 

  

『ソーラー発電なんて、砂漠ならともかく

四季のある日本じゃ無駄よ。反射光が眩しいし

そもそも、どうしてうちの近所に。』

という、脳みそをぐじゅぐじゅってしてやりたい思考経路。

(26分58秒あたりから)

 

    

原発がダメ、なのはわからなくもないが

ソーラー発電もうちの近所じゃダメ、となると

君の味方は地球にいないだろうな。

  

だから我慢しろ、と言うつもりはない

主張すべきはしたらいい。 

でもそれはせめて日本語でしゃべってくれ。

 

  

なに言ってんだ?お前。

ごめん、君の日本語、

全く理解できない。

 

 

 

 

 

 

 

 

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2013年3月10日 (日)

奉天会戦と東京大空襲の日。

3月10日は陸軍記念日。

日露戦争の奉天会戦で日本軍が奉天を占領した日。

(Wikipedia奉天会戦)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

奉天というのは現在はない地名で、いまは瀋陽。

   

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(クリックで大きくしてください。)

 

 

 

瀋陽は日本風の表記で、簡体字だと沈阳。

随分思い切った簡略をするなあ、と思うが

日露戦争の、陸戦における最終決戦地になったこの街は、

思ったより近い、と思わないだろうか?

 

最初に会戦があった金州・南山から瀋陽まで

直線距離では東京ー大阪間と、あまり変わらない。

国運をかけた戦いだったのだが、

その地理範囲は意外と小さい。

 

 

 

 

 

  

もちろん後世の人間が知ったような事を言ってはいけない。

日露戦争は、明治日本が国を傾けでまでやった大戦争。

30万人を動員して、戦死傷10万人という犠牲を払った。

大戦争だったのである。

 

奉天会戦も大会戦であった。

攻める日本軍が24万、守るロシア軍が36万。

敵味方合わせて60万である。

 

わかりにくいか?

寝屋川市が高槻市を総攻撃しているようなものだ。

(日本の市 人口順位)

 

 

もっとわかりにくいか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大体、19世紀から一回の会戦に参加する兵力が増えた。

ナポレオン戦争のアウステルリッツの戦いで敵味方16万。

普仏戦争のセダンの戦いで32万。

 

『国家』というものが厳然とした存在になり、

国民の末端まで動員できる体制ができたことが背景にある。

 

 

これが極限の状態になったのが第一次世界大戦。

マルヌの会戦では敵味方250万が戦う。

攻撃軍148万、迎撃軍107万って

京都市が仙台市を攻めているようなものである。

 

京都負けちゃった。しかたおへんなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

攻撃側は、この時代、新たに登場した鉄道を使って

軍隊を急速・随意に移動、集中させるのだが、

こうなると守備側も果てしなく塹壕線を伸ばして守る。

  

攻守入れ変わることもあるので、西部戦線では

アルプスから大西洋まで独仏双方が700km以上に及ぶ

塹壕線を築いた。

しかも何重にも重なり奥行は数kmもある縦深陣地。

    

この時代、攻撃力に比して小銃や機関銃、大砲の威力が優越し

それらを備えた陣地と堡塁、塹壕さえできてしまえば、

塹壕線はそう簡単には破れなくなった。

 

従って、塹壕を突破するために毒ガスが生まれ、

飛行機が発達し、戦車が登場した。

 

 

 

 

 

 

もっともこれら、生まれたての兵器は第一次大戦では

大した威力を発揮できなかったが、戦車や飛行機は

現在でも、どちらも主力兵器である。

 

毒ガスは表向き禁止兵器だが、その代わり

もっとえげつない大量破壊兵器がごろごろある。

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日露戦争では戦車や飛行機はまだなかったが

塹壕や機関銃は一部で採用されていた。

常備軍20万人だった日本が、損耗を重ねながらも

奉天に24万人の軍隊を展開できたのは奇跡である。

 

 

奇跡といっちゃいけないか、

国民が皆、戦争に協力していた。

国家も、すごく苦労していた。

 

もちろん当時でも、

『君死に給ふことなかれ』の与謝野晶子がおり、

反戦論の幸徳秋水がおり

全国の神社に『徴兵逃れ』を祈願する親たちがいた。

 

そして国民の大多数は

『勝った勝った、また勝った。』と浮かれていたのだ。

 

 

3月10日の奉天陥落は、多分にロシア軍の

自主的な退却という側面が大きかったのだが

日本はこれを、名誉の記念日とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

40余年後の昭和20年のこの日、東京大空襲がある。

一晩で10万人以上の死者を出したこの災厄は

もちろんアメリカが人為的に起こした犯罪だが、

3月10日未明から起きたこの爆撃が

陸軍記念日を意識していたのかどうかは、

今日でも謎である。

   

日本人は『この日』を民間人のレベルでも警戒していた、という。

アメリカが意識してこの栄光の日を選んだのなら

なかなか憎らしい。

しかしよくわからないのだ。

 

何しろ日本人にしてからが、私がガキの頃

つまり40年くらい前まで

3月9日を『東京大空襲の日』として教えていた。

10日午前0時7分から2時半まで、というのは実感としては

『9日深夜』ということで捉えられたらしい。

 

 

今でもうちの母のように古い人は

9日を空襲の日、という。

 

 

 

 

 

 

  

 

そしてもうひとつ、100歩譲って

3月10日の東京大空襲の『日付の理由』が

陸軍記念日だということだったとしても、

5月27日の海軍記念日には

全国どこにも大きな空襲はないのだ。(日本本土空襲)

    

 

 

気象とか月齢とかの問題があったのかもしれない。

 

もちろん、ないに越したことはないけど

こと、空襲に関しては

あんまりジャップの記念日なんか意識してはいなかったらしい。

 

(ただし、今上天皇のお誕生日12月23日は、わざわざその日を選んで

A級戦犯の絞首刑が行われている。

アメリカという国は、こういう趣味の悪いこともやる。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の一枚。』

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

『海軍記念日』と言われても戦後生まれにはピンと来ないが

大阪の人は、この風景を覚えていないだろうか。

 

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大阪市内のど真ん中を流れる大川。

そこに架かる天神橋の真ん中あたりにあった2本の鉄塔。

  

白い方の鉄塔の周りには中之島に降りるスロープがあって

この支柱は、ケーブルでこのスロープを支えている。

 

見るからに構造的な意味はあまりなくて

明らかに左側の方の赤錆びた鉄塔を、

高さ、デザインとも意識している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この錆びた鉄塔がなんだったか、というと

通報艦『最上』のマストと艦橋。 

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1908年竣工

1928年廃艦   

  

 

  

   

  

 

『最上のマスト購入』を大々的に報じる当時の新聞。

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昭和3年に廃艦。

大阪の在郷軍人会が買い取ってマストと艦橋が

中之島公園に移築された。※ 

それ以降、海軍記念日には式典が行われたそうである。

  

 

 

 

 

 

戦後、式典も在郷軍人会もなくなったが

このマストだけは長いこと残された。

天神橋のスロープの設計者は、このマストを

意識したわけだが、2009年、老朽化のために、

呉の『大和ミュージアムに移されてしまった。

 

今はスロープの方の白い支柱が残るだけである。

 

 

 

 

 

そのうちそんなことも誰も知らなくなっていくんだろう。

東京大空襲は忘れちゃいけないけど、

旧軍の記念日なんて、それでいいんだろうな。

 

 

 

 

 

 

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 左の写真に『昭和三年海軍大典』とある。

二代目天神橋をバックに写っているので大阪移設後のものだと思うが、

そうなると時期が合わない。最上の売却は昭和3年の海軍記念日の

あとなのだ。先にマストだけちょんぎったのだろうか?

 

 

 

 

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2013年3月 8日 (金)

バラバラ殺人の日

3月7日は『玉ノ井バラバラ殺人事件の日』。

(Wikipediaの記事へのリンク)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昭和7年のこの日、いまの墨田区にあった玉ノ井の

通称「お歯黒どぶ」からハトロン紙に包まれ、ゴミだらけの麻紐で

縛られた、男性の胸、頭部、腰が別々に発見された。

             

玉ノ井の一角はこの当時、非公認の売春窟だった。

今をときめく『東京スカイツリー駅』の隣、東向島駅の

さらに東側、東向島5丁目、6丁目のあたり。

昔の住所だと東京府南葛飾郡寺島町。

東京市外だったわけです。

 

 

            

このあたりが市街化したのは関東大震災の後。

  

関東大震災では、東京府下で7万人の犠牲者が出た。

死亡者の多さもさることながら、もっと多く出たのが

焼け出された人である。

建物の被害は焼失、倒壊あわせて20万棟。

およそ100万人以上が家を失った。

 

 

  

これを機に東京市からの人口流出が始まる。

当時市外であった

世田谷、渋谷、新宿、豊島、台東、墨田各区や多摩方面、

東京を見捨てて他の都市に移る人も多かった。

            

これによって、東京市は人口で大阪市に抜かれ

『日本第2位の都市』に転落している。

 

 

 

 

  

 

東京でも、被災区域の周縁部で市街化が進んだ。

今の地名で言うと東中野、東池袋、千住、三ノ輪、東向島など。

山の手では谷筋に、隅田川沿いでは田んぼを埋めて

住宅、町工場などが建っていく。  

 

          

被災区域のほとんどは区画整理された。

  

その一方、以前にも書いたように地主に支持された政友会と、

その長老で自らも大地主であった伊藤巳代治などが

予算を搾り切ったために、帝都復興院と東京市には、

こうした外縁部分に滲み出していったスプロール地帯の

面倒を見る余裕はなかった。

  

したがって被災地の方が区画整理されて

さっぱりした町並みなのに対して

外縁部の『新市街』の方がごちゃごちゃしている、という

不思議なことになっている。

 

 

 

 

不思議でもないか。

大阪の周りでも、ごちゃごちゃと建て込んでいるのは

吹田、摂津、大東市といった周縁部だな。 

            

そして玉ノ井のあたりでは私娼街ができる。

それほど広いエリアではなかったらしいが、

そういうのも『街の一部』として当然の様に立地した。 

もちろん利用者が周辺の人ばかり、というわけではない。

  

この私娼街の付近に『お歯黒どぶ』という下水溝があった。

遺体が見つかったのはそこ。

 

 

 

 

 

 

          

なかなか本題にいかないのはいつものことなので

さらに余談を書くと『お歯黒どぶ』というのは、本来は

吉原のまわりにあった2間から4間程の溝のこと。

 

  

『遊女の逃亡防止』といった機能的な意味もあったが

『遊郭という異空間と現世との結界』であった。

むしろ、そういう精神的な意味の方が大きかったんだろう。

           

最近はブラタモリとかのおかげで

『暗渠マニア』みたいな人が増えて

おばさんが地図を持ってカメラを持って吉原をウロウロして

「あらあら夕方だわ。ソープの灯が点ってきたわね。」

なんていうことを写真とともにブログに書いたりしているが

 

 

馬鹿野郎っ。

 

ソープの営業時間は「日の出から」だっ。

トウシロウがウロウロするんじゃねえっ。

  

じゃなくて、危ないからやめなさいね。

 

 

             

玉ノ井の方の「お歯黒どぶ』は私娼街を囲んでいたわけではなく

単なる排水路で、街が出来てからは下水なんかも流された。

名前だけ『本家』である吉原から借りたらしい。

 

 

 

 

 

 

で、

  

余談ついでに言うと江戸時代から公認だった吉原は

今でも日本最大のソープ街だが、

玉ノ井は昭和40年の売春防止法以降

そういう店はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

殺人事件そのものは、ごくありふれたもの。

浅草で行き倒れていたルンペンがいた。

これに声をかけた春画描きに、このルンペンは

『俺は秋田の大地主の跡取りだ。

しかし、この通り病気で動けない』

と、大ボラを吹く。 

            

これを信じた春画描きは自分も貧乏だったのに家に連れていく。

落ち着いてから『とっとと金を持って来い。』と、

秋田に帰郷させても、何も持たずに平然と帰ってくる。 

だんだんこのルンペンは図々しくなり、女給だった妹を孕ませ、

さらにその子供を殺したうえで居座ってしまう。 

            

『どうも、コイツはホラ吹きらしい。』ということに

気がついた春画描きは印刷工の弟とともにルンペンを殺す。

運搬のために遺体をバラバラにし、タクシーで妹に運ばせ

お歯黒ドブに遺棄した。

 

 

 

 

 

ほら、つまんない。

というよりも、何か不思議な感じ、

咀嚼できない違和感がある。  

            

『秋田の大地主』が何故、浅草の盛り場で行き倒れているのか?

ということをおかしいと思わないばかりか、

なんだかんだと10ヶ月も世話しているこの3兄弟も変だが、

往復の旅費を工面してもらったのに

逃げもせずに再び犯人宅に帰ってきた被害者も変である。 

            

なんか登場人物がみんな、

そらぞらと薄ら寒いのだ。

 

 

 

 

 

 

  

それよりも特徴的なのは、この事件の発覚後の経過。

            

まず、『バラバラ殺人事件』という用語が初めて使われた。

遺体を遺棄するために切断する、というのは

日本はもとより世界中に先例があるのだが、

朝日新聞が用いたこの言葉が、これ以降、

同種の事件に用いられるようになる。 

 

 

 

 

 

 

さらにマスコミ、といってもこの当時、新聞しかなかったが

この報道が加熱したこと。

『出歯亀騒動』のときもそうだったが、

戦前の新聞報道は、いまと変わらないくらい、えげつない。

ついには、江戸川乱歩など、当代の推理作家の『推理』を

掲載し合う有様。

  

新聞が煽ったおかげで『お歯黒どぶ』は観光名所のように

なってしまう。

買春という本来の目的でやってくる客が来なくなってしまって、

警察に苦情が行ったりしている。

            

まさか非公認の売春宿から苦情が来るとは

警視庁も思わなかっただろう。

 

 

 

 

  

警察が『懸賞金』を掛けて犯人の情報を求めたのも日本初。

ところが寄せられてくるのは情報じゃなくて『推理』ばっかり。

なかには、

『遺体を縛っていた紐には猫の毛がついていたそうだから

日本中の猫を集めて比較したらどうだ?

一致した猫の飼い主が犯人だ。』

 

、と  

『いや、それ

犯人見つけるより大変だろう。』

という愉快な提案まであって大騒ぎになった。 

 

 

 

 

 

          

結局、このルンペンは過去に警察で保護されていたことが

遺体発見の7ケ月後になって分かり、って

早く気がつけよ、おい。

  

で、

  

これが緒になって、遺体発見から8ヶ月以上経って

犯人は逮捕される。

 

 

 

 

 

 

        

まあ、個人的には殺人事件なんかよりも

こういった街の成り立ちの方に興味があります。

          

東向島や、戦後、玉ノ井が移転した

今の墨田三丁目のあたりを

ストリートビューで散歩してみたんですが

ぐっとくるくらい細くて雑然とした町並みですな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

では、 「今日の一枚。」

 

 

 

 

 

 

              

戦前の一時期

大阪市は周辺の郡部を併合したこともあり(大正14年)

大大阪(だいおおさか)と、呼ばれた。

  

この時開かれたのが大大阪記念博覧会。

そのメイン会場が今の天王寺公園。

  

この時期、震災のあった東京の人口を抜き、大阪は

震災後大正14年から昭和4年まで

人口だけではなく工業生産高、市域面積。

名実ともに日本一の都市だった。 

           

大阪は自信に満ちていた。

 

 

 

 

  

そんな時期もあったのだよ。

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当時の大阪は、天王寺公園だけではなく、御堂筋を作り

東京よりもはるかに立派な地下鉄を作り

このように鉄筋コンクリートの大阪城を作る。 

 

 

          

そんな時代はあったのだ。

今は東京の悪口をTVで言うだけ。

            

それじゃ哀しいだろう。

 

  

このお城については、個人的な思い出がたくさんあるんだけど

もういいやい。 

 

 

 

 

     

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2013年3月 6日 (水)

まだ違憲の「宣言」どまり、なのか?            選挙無効じゃないのか?

東京高裁が2012年に行われた衆議院選挙についての

『選挙無効の訴え。』に対して、

「選挙は違憲だけど、無効はないよねー。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

という、戦後70年飼いならされた裁判官の習性によって

『結果については合憲』とされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

冗談じゃねえぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当然、原告被告とも上訴するだろう。

そうなれば最高裁の判断が仰がれる。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お前ら舐められてるんだ。

三権分立の意味はどこにある、

根性見せてみろ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気合見せろ、最高裁。

舐められてるんだぞ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

『裁判官なんか栄達の彼方にあって 

世の中の事情を知らないと思う』というのは

日本中の共通認識だが

もう一つ共通の認識として

 

 

俺はお前らが大嫌いだ。

 

 

ヌクヌクと特権に甘えやがって

それで行政の顔色しか伺わない。

 

 

 

 

 

  

 

卑怯者。

 

仮に、判決を覆されたとしても

裁判官の地位というのは例え鼻くそのような簡易裁判所判事、

略してカンパンでも手厚くて弾劾裁判にかけるしかない。

 

地裁以下の裁判官は

裁判の途中で居眠りするわ

記録を読まないで判決するはひどいものである。

 

それでも、その身分は一般の会社員、公務員なんかよりも

はるかに手厚く守られている。

 

 

それは、三権を分立させることで

議会や行政を正してくれる、

と思えばこそなのだ。

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回の『一票の格差』についての判決に対して立法府の

国会の対抗策は?』

 

『いやあ、弾劾裁判くらいしかないんだけど。』

 

『じゃあ、最高裁が違憲判決を下したら、

国会は15人の最高裁判事を弾劾する、と。』

 

『いや、それは無理だと思うよ?』

 

『そうですか?』

 

『弾劾裁判なんか起こせるはずがないし、

仮に起こしたとしたら、それを支援する政党は全滅だ。』

   

 

 

 

 

 

 

 

 

   

『じゃあ、どうすればいいんです。』

 

『大人しく再選挙したらいいじゃねえか。』

 

『でも、それは去年の総選挙の結果を

消去することになりますよね。』

 

『いいじゃねえか、「俺は客だ。」の松本剛は

もっと景気よく叩き落としてやればいいし。

共産党なんかに議席を与えてはいかんのだ。』

 

『もっと惨めにしてやる、と。』

 

『社民党は、あの選挙の後地代を払えなくて

耐震補修費はもっと払えなかったあの本部ビルを

国に返納しました。』

 

『ざまあ。』

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まあ、立地はともかく

頑張れ最高裁。

    

   

今回、いやに採決時間が短いのは裁判所が

『100日裁判』を意識しているからである。

 

 

 

 

 

 

『100日裁判ってそういえば高校の公民の授業で

習った記憶があります。』

  

『日本でも選挙違反の裁判なんかでは

割と適正に使われていたらしいが。』

 

『選挙無効の訴えでここまで反応が早いのは

期待できますかね。』

 

『無効まで踏み出す裁判所があるかどうか。

そして最終的に最高裁がどう判断するか。』

 

(とりあえずリンクを上げておこう。)

 

 

 

 

 

 

 

 

これで、『しょうがねえなあ。今回は有効だからな。』

という判決を量産するのなら、

世間で裁判官のいる道はない。 

 

  

根性見せてくれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、今日の一枚。

 

 

 

 

 

 

 

最高裁判所。

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殺風景といえば殺風景だ。

  

 

 

しかし、頼むぜ、おい。

    

 

 

 

 

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2013年3月 5日 (火)

雛人形を片付けろ

最近日記が遅れがちになっておりますが

3月4日です。雛人形を片付けないといけません。

婚活が話題の今日、喫緊の課題なわけであります。

とっとと片付けないと嫁に行けない、と。

 

そうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『堺、いきますっ。』

 

『おおー。』

   

ばあっ

 

『ああっ。17段の緋毛氈が見事に外れたっ。』  

『お内裏様も、ぼんぼりも倒れてません。』

 

『えへへー』

 

『じゃあ、あとは片付けとけよ。』

  

『えっ?あたしは緋毛氈を外したじゃないですか。』

 

『それだけだろ』

 

 

  

 

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埼玉県鴻巣市の

びっくりひな祭り 

    

 

  

 

『こんなのどうやってばらすんだろう。』

 

『そりゃ、下から一段ずつ。』

 

『積む時は?』

 

『てっぺんから積まないと下を崩しちまうでしょうからねえ。』

 

『途中で緋毛氈に引っかかるやつとかいたらどうするの?』

 

『崩れるでしょうねえ。』

 

『そうかな。』

 

『ああーっ、ってなもんでしょうけどね。

埼玉県庁も、まさか粛清をしたりしないですよ。』

 

『鴻巣市役所の地下3階には秘密の小部屋があって、

そういう『失敗』をした人が集められているらしい。

新人が来ると「ようっ。」ってなもんだ。』

 

『よしなさい。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『大体雛人形を片付ける、なんていうのが間違ってるわ。』

 

『え?そうきますか?』

  

『氷で雛人形を作って、

ひな祭りが終わったら溶かしゃいいのよ。』

 

『…というと?』

 

『ここに真鍮製の金型がある。』

 

『型を取るのは…だるま?』

 

『まあ、脱型を考えるとあんまり複雑な型は作れない。

しかしこれだって、氷に色をつけることもできるわ。』

 

『あ、このピンクの娘とか可愛いですね。』

 

『そうだろう。そもそも雛人形ってのは紙で作った形代よ。

何段重ねの高級品、なんていうのは

田舎の大名が見栄で始めた江戸後期の風習だわ。』

 

『しかし、これ。氷だったら溶けるでしょう。』

 

『だから、この7段の棚は、緋毛氈を外せば

全てステンレス製よっ。』

 

『ははあ、厨房機器みたいですな。』

 

『そればかりじゃない。この棚板の裏には冷媒配管が

通っていて氷の雛人形を零下の温度に凍らせられる。』

 

『贅沢と簡素の意味を勘違いしてませんか?』

 

『……』

 

『じゃあ、片付けるときは?』

 

『アホやなあ、

すべてのクーラーが温風機になるのと同じように

この機械も即座に暖房機になるのよ。』

 

『溶ける雛人形?』

 

『に、人気にならないかな?』

 

『全然別のところで人気にはなりそうですが。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『さあっ。雛人形を片付けるわよっ。』

 

『なによう、こんな夜中に呼び出して』

『まだ4日じゃないの。』

  

『馬鹿者っ』

 

『ひっ。』

『新しいわね。』

 

『あたしは16段の雛人形を去年は

3月7日までかかって片付けたわ。』

 

『…16段?』

『それを3日で片付けられたほうが驚きだわ。』

 

『そうしたら、去年の婚活は

15戦全敗だったのよっ。』

 

『それはまあ、気の毒だけど。』

『15戦って言っちゃうところが間違いじゃないのかしら。』

  

『とにかくっ。』

 

『ひっ。』

 

『この24段の雛人形を今日中に片付けるわよ。』 

 

『ええー?』

『それは無理です。先生だって16段に3日かかったって。』

 

『あんたたちっ。結婚したくないないの?』

 

『そりゃしたいから、こんなうらぶれた婚活スクールに

通ってるわけだし。』

『でも16段の雛人形で失敗している人に言われたくないわね。』

  

『だから、今年の人形は紙製よ。』

 

『ええっ?』

 

『胴体は張子で、服は和紙よ。』

 

『これはこれで立派な工芸品だと思うけど』

 

『中国では、正月だのなんだの言って爆竹を鳴らして

モノを燃やすでしょう。』

 

『あの国の真似なんかすることはないですよ。』

 

『でも、日本のお雛様だって原型は流し雛で

霊を託した形代よ?

消えてなくなるのが伝統なのよっ。』

 

『先生っ。』

『ひな祭りに対する憎しみの分量が尋常じゃありませんっ。』 

 

『とにかく,これを燃やすのよっ』

 

『先生っ。』

『やめてくださいっ。』

 

ぼー

 

『きゃー」

 

しゅー

 

『あ、スプリンクラーが働いたわっ。』

『人形、半分以上燃え残ってるわね…』

 

『……』

 

『あ、先生が泣いてる。』

『…先生?』

 

 

『天はわれわれの婚活を見放したか。』

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、「今日の一枚。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1977年公開の映画『八甲田山』

00000000hakkoudasan

 

 

 

 

 

 

 

 

『天は我々を見放したか』という

セリフで有名。予告編はこちらhttp://youtu.be/Aq5rzK279io

 

 

 

 

 

 

 

 

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