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2013年3月13日 (水)

束麻呂の卒業

大津いじめ問題があった中学校で卒業式。

(毎日jPへのリンク)

 

 

 

 

 

 

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じめられた当人は自殺し、

両親が卒業証書を受け取った。

その当時の校長は解任され、

いじめたバカの母親は当時、PTA会長だった。

  

いかに馬鹿PTA会長とはいえ、

息子を守ることはできなかったらしくて

現在、ツカマロくんは転校している。

彼も卒業のはずだが、もちろん偽名であろう。

  

2011年大津市の中学2年生が同級生から、騙り、暴行

盗み、カツアゲ、自殺の強要など

卑怯卑劣極まりない暴行を受けて自殺した事件。

 

追い詰められて自殺した少年の心中やいかに、と思う。

童貞で死ななくても良かったのに。

  

加害者はK・束麻呂こと同年齢の皮かむりほか2名。

こいつらは一部の事案が14歳以上ということで

送検されたが、収監されることもなく、起訴もされない。

刑事事件としてはおしまいである。

(民事裁判は続いている)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いじめって、昔からあるよね。

いじめられたこともある。

どちらかというと、その方が多い。 

 

ふええん。

 

 

『いじめないで。いじめないで。』と

真夜中に眼が覚めたりすることだって

あるんだい。

 

ふええええん。 

 

 

 

 

 

 

じゃあ、金輪際、お前はイジメる側に立ったことはないのか?

というと、そうでもない。 

 

自分自身のことだし、具体的な被害者もいる訳たから

私自身がわかったような『総括』をしてはいけないのだが、

特定の子を責め立てたりした。

いじめをしたことは、あります。 

  

それ以上に、違和感を感じなかったところが、馬鹿だ。

なぜか、正義感に満ち満ちていた。

こういうことはきちんと言わないと、いけない。

失望する人もいるだろうが、事実です。

 

 

 

 

 

 

 

同級生の女の子が『あの娘、気に入らないから。』ということで

あれこれトラップを仕掛けてきた時には

さすがに『これは違う。』と思った。

 

これには同調しなかった。

 

 

 

 

しかし、記憶に残っているだけではなく、

『私にいじめられた。』と思った同級生はいるんだろうな。

別段、私は「ボス」のような地位にいたわけではなかったが

そういうヒエラルキーは、

いじめられた立場の人が考えるべきなのだろう。

  

個人的には、人生五十年

いじめられてばっかりだったもん。と思うのだが、

受け取る側がどう感じるかは別の問題だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

いじめられれば、死ぬ。

そういうこともある。

  

そうしていじめる側の心理は時として制御できない。

ツカマロを弁護するわけではなく、

子供は時として、限界を超えて残酷で馬鹿だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

だから、我々にできるのは再び悲劇を繰り返さないことだ。

もはや、我々は非力だ。

50が15に体力で叶うわけがない。

  

しかし正確に眉間を衝けばすごく少ないエネルギーで

ツカマロを倒せる。嘘だと思うか?

誰かに眉間に指で抑えてもらって動いてみたまえ。

  

打ちどころが良ければ手刀で頚動脈と神経を打てば

3秒で昏倒させられる。

  

いよいよとなったら目を衝け。

そこは相手も躊躇するだろうから隙ができる。

躊躇なく撃て。

 

  

従って、子供はおっさんを舐めてかかってはいけない。

『自衛力』というのは誰しも正当に持っているのだし、

相手を完膚なきまでに叩きのめす、

という能力があるのだ。

 

 

歳をとっている以上、

卑怯な手などいくらでも思いつく。

かかってこい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

では『今日の一枚。』

 

 

 

 

 

 

 

 

大津自殺事件が、マスコミで大きく取り上げられたとき

恥さらしにも、PTA会長たる、母親が配布した

言い訳プリント。

  

10月の自殺から10ヶ月後、マスコミが取り上げた

翌年の7月になってこの母親が公開した、言い訳一覧。

 

ここまで清々しいと、脳みそをぶち抜くのにも

なにひとつ後暗いところはない。

 

  

晴れやかに君たちをぶっとばせる。

 

 

 

 

 

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『いじめがあったかどうかはわかりません。』

もし事実でなければ、うちのツカマロちゃんの人権は…と、言いつつ

『でもプロレスごっこはあった。』と思います。

ってどういうことだよ?

 

「特に、息子の心情が理解できない女生徒からは目障りだったでしょう。』

ってのは、特定の子から嫌われていたけど

『ほら、女子は男子のこと知らないしー』ってことで

ウチの子、悪くないよねーって

ことだな?

 

 

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『(教師である)子供たちのお手本であるべき人が

文科省のマニュアルに従うことで自分のを陥れるのを(一字不明)

目前で見せ付けられるのです。 

   

『いじめの判定を取り消すよう

訴えてください。』だと。

    

馬鹿。

  

 

(クリックで大きくなるので散々に笑ってやりましょう。)

 

 

 

 

  

ひと、一人殺しといて何言ってやがる。

 

 

 

 

つかまろ

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一応未成年なので

目ぶせ。

 

 

 

 

 

 

お前、大人とか社会とか舐めてるよな。

あまりに一方的な「親」の論文を読むにつけ

君がキ○ガイであるということがよくわかった。

この親に育てられたらさぞや、

とも思うんだが同情はしない。

 

死ねば?

 

 

 

 

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ふざけんなよ、こらあ」カテゴリの記事

コメント

どんな人間にも生きる権利があります
でも生きているだけで迷惑な存在は
たくさんあるようですね

すでに多くの場面で非難を受けていることでしょう
でも彼が改心することはなく、
必ず今後の人生において、誰かを不幸にします

そういうDNAなのですから

投稿: FREUDE | 2013年3月13日 (水) 23時27分

こういう母親だけにはなりたくない。
そう思いますし、実際
ここまでの母親は珍しいはず。

命を絶った少年のことを考えると悔しいですね。
どんなに悔いても、この坊やはもう二度と
陽のあたる道を歩くことはできない、そう思います。

投稿: takae h (fullpot) | 2013年3月14日 (木) 23時10分

FREUDEさん、ありがとうございます。
 
本人がマスコミに出ることは、
なにか犯罪でもやらない限りないと思うので
あと数年もしたら
たくましくなったツカマロくんに
また会えると思います。
 
わくわく。
 
 
takae hさん、ありがとうございます。
 
こういう文章を母親がが保護者に配っていた
というのは驚きです。
本人もさることながら、せめて
民事賠償に応じて、
一生かけて償って欲しいところです。
 
この文章が真実だとして、
この母親は、今何を考えてるんでしょう。
あんまり聞きたくもないけど…
 

投稿: natsu | 2013年3月19日 (火) 00時56分

本当にこういう人たちは許せませんね。
自分よりした(とみなした)の相手を傷つけ、こき下ろすことでしか自分が優位に立てないような人たちですね。ある意味かわいそうではありますが…同情はしません。
そして、この母親は子供のことじゃなくて、自分のことしか考えてませんね。この親にしてこの子あり、といったところでしょうか。
ちなみに、プリクラは本当に無関係な、ただのコラ画像です。元ネタは、チャリできた。で検索してみてください。

投稿: | 2013年4月21日 (日) 09時43分

最後に投稿を頂いた方、
ありがとうございます。 
 
大分感情的な文章になってしまいましたが
基本的には同じ気持ちです。
本人の個性もあるんでしょうが
親と環境が甘やかしてきた、ということが
わかりました。
 
写真の件、ありがとうございます。
『真偽定かならぬ。』ということで
外しました。

投稿: natsu | 2013年4月23日 (火) 20時31分

生きていればこれから楽しいこともいろいろあったろうに
10年後の未来は今と景色が様変わりして素敵なワクワクする光景かもしれないのに
可哀想です

犯人は法に守られてコンクリ事件の犯人のように今後のうのうと生きるんだと思うとそれも悲しいです

投稿: | 2014年3月28日 (金) 19時28分

あぁ~言い過ぎでしたコンクリ事件とは比べるべきではありませんでした

出来れば私のコメント2つとも消して欲しいです

投稿: | 2014年3月28日 (金) 19時51分

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