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2013年3月10日 (日)

奉天会戦と東京大空襲の日。

3月10日は陸軍記念日。

日露戦争の奉天会戦で日本軍が奉天を占領した日。

(Wikipedia奉天会戦)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

奉天というのは現在はない地名で、いまは瀋陽。

   

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(クリックで大きくしてください。)

 

 

 

瀋陽は日本風の表記で、簡体字だと沈阳。

随分思い切った簡略をするなあ、と思うが

日露戦争の、陸戦における最終決戦地になったこの街は、

思ったより近い、と思わないだろうか?

 

最初に会戦があった金州・南山から瀋陽まで

直線距離では東京ー大阪間と、あまり変わらない。

国運をかけた戦いだったのだが、

その地理範囲は意外と小さい。

 

 

 

 

 

  

もちろん後世の人間が知ったような事を言ってはいけない。

日露戦争は、明治日本が国を傾けでまでやった大戦争。

30万人を動員して、戦死傷10万人という犠牲を払った。

大戦争だったのである。

 

奉天会戦も大会戦であった。

攻める日本軍が24万、守るロシア軍が36万。

敵味方合わせて60万である。

 

わかりにくいか?

寝屋川市が高槻市を総攻撃しているようなものだ。

(日本の市 人口順位)

 

 

もっとわかりにくいか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大体、19世紀から一回の会戦に参加する兵力が増えた。

ナポレオン戦争のアウステルリッツの戦いで敵味方16万。

普仏戦争のセダンの戦いで32万。

 

『国家』というものが厳然とした存在になり、

国民の末端まで動員できる体制ができたことが背景にある。

 

 

これが極限の状態になったのが第一次世界大戦。

マルヌの会戦では敵味方250万が戦う。

攻撃軍148万、迎撃軍107万って

京都市が仙台市を攻めているようなものである。

 

京都負けちゃった。しかたおへんなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

攻撃側は、この時代、新たに登場した鉄道を使って

軍隊を急速・随意に移動、集中させるのだが、

こうなると守備側も果てしなく塹壕線を伸ばして守る。

  

攻守入れ変わることもあるので、西部戦線では

アルプスから大西洋まで独仏双方が700km以上に及ぶ

塹壕線を築いた。

しかも何重にも重なり奥行は数kmもある縦深陣地。

    

この時代、攻撃力に比して小銃や機関銃、大砲の威力が優越し

それらを備えた陣地と堡塁、塹壕さえできてしまえば、

塹壕線はそう簡単には破れなくなった。

 

従って、塹壕を突破するために毒ガスが生まれ、

飛行機が発達し、戦車が登場した。

 

 

 

 

 

 

もっともこれら、生まれたての兵器は第一次大戦では

大した威力を発揮できなかったが、戦車や飛行機は

現在でも、どちらも主力兵器である。

 

毒ガスは表向き禁止兵器だが、その代わり

もっとえげつない大量破壊兵器がごろごろある。

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日露戦争では戦車や飛行機はまだなかったが

塹壕や機関銃は一部で採用されていた。

常備軍20万人だった日本が、損耗を重ねながらも

奉天に24万人の軍隊を展開できたのは奇跡である。

 

 

奇跡といっちゃいけないか、

国民が皆、戦争に協力していた。

国家も、すごく苦労していた。

 

もちろん当時でも、

『君死に給ふことなかれ』の与謝野晶子がおり、

反戦論の幸徳秋水がおり

全国の神社に『徴兵逃れ』を祈願する親たちがいた。

 

そして国民の大多数は

『勝った勝った、また勝った。』と浮かれていたのだ。

 

 

3月10日の奉天陥落は、多分にロシア軍の

自主的な退却という側面が大きかったのだが

日本はこれを、名誉の記念日とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

40余年後の昭和20年のこの日、東京大空襲がある。

一晩で10万人以上の死者を出したこの災厄は

もちろんアメリカが人為的に起こした犯罪だが、

3月10日未明から起きたこの爆撃が

陸軍記念日を意識していたのかどうかは、

今日でも謎である。

   

日本人は『この日』を民間人のレベルでも警戒していた、という。

アメリカが意識してこの栄光の日を選んだのなら

なかなか憎らしい。

しかしよくわからないのだ。

 

何しろ日本人にしてからが、私がガキの頃

つまり40年くらい前まで

3月9日を『東京大空襲の日』として教えていた。

10日午前0時7分から2時半まで、というのは実感としては

『9日深夜』ということで捉えられたらしい。

 

 

今でもうちの母のように古い人は

9日を空襲の日、という。

 

 

 

 

 

 

  

 

そしてもうひとつ、100歩譲って

3月10日の東京大空襲の『日付の理由』が

陸軍記念日だということだったとしても、

5月27日の海軍記念日には

全国どこにも大きな空襲はないのだ。(日本本土空襲)

    

 

 

気象とか月齢とかの問題があったのかもしれない。

 

もちろん、ないに越したことはないけど

こと、空襲に関しては

あんまりジャップの記念日なんか意識してはいなかったらしい。

 

(ただし、今上天皇のお誕生日12月23日は、わざわざその日を選んで

A級戦犯の絞首刑が行われている。

アメリカという国は、こういう趣味の悪いこともやる。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の一枚。』

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

『海軍記念日』と言われても戦後生まれにはピンと来ないが

大阪の人は、この風景を覚えていないだろうか。

 

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大阪市内のど真ん中を流れる大川。

そこに架かる天神橋の真ん中あたりにあった2本の鉄塔。

  

白い方の鉄塔の周りには中之島に降りるスロープがあって

この支柱は、ケーブルでこのスロープを支えている。

 

見るからに構造的な意味はあまりなくて

明らかに左側の方の赤錆びた鉄塔を、

高さ、デザインとも意識している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この錆びた鉄塔がなんだったか、というと

通報艦『最上』のマストと艦橋。 

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1908年竣工

1928年廃艦   

  

 

  

   

  

 

『最上のマスト購入』を大々的に報じる当時の新聞。

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昭和3年に廃艦。

大阪の在郷軍人会が買い取ってマストと艦橋が

中之島公園に移築された。※ 

それ以降、海軍記念日には式典が行われたそうである。

  

 

 

 

 

 

戦後、式典も在郷軍人会もなくなったが

このマストだけは長いこと残された。

天神橋のスロープの設計者は、このマストを

意識したわけだが、2009年、老朽化のために、

呉の『大和ミュージアムに移されてしまった。

 

今はスロープの方の白い支柱が残るだけである。

 

 

 

 

 

そのうちそんなことも誰も知らなくなっていくんだろう。

東京大空襲は忘れちゃいけないけど、

旧軍の記念日なんて、それでいいんだろうな。

 

 

 

 

 

 

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 左の写真に『昭和三年海軍大典』とある。

二代目天神橋をバックに写っているので大阪移設後のものだと思うが、

そうなると時期が合わない。最上の売却は昭和3年の海軍記念日の

あとなのだ。先にマストだけちょんぎったのだろうか?

 

 

 

 

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コメント

大阪の大空襲を調べていた時に、
夜半より未明に集中していたことを知りました
世間は寝ている時間帯です

殺人は罰せられて戦争は褒められます
日露戦争は名目、日本が勝ったものの
小村寿太郎の健闘むなしく、勝った感がありませんでした

これが昭和にまで尾を引いたと思うと
悲しい話です

投稿: FREUDE | 2013年3月11日 (月) 07時08分

FREUDEさんありがとうございます。
 
ハンセルが空襲の四季をとっていた時は
相当にマリアナを離陸し、正午頃
東京に来たそうです。
 
悪魔・カーチス・ルメイになってから
深夜に日本本土に来るように
変更しています。

投稿: natsu | 2013年3月19日 (火) 00時34分

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