世界一の捨てゼリフ
『天動説』を支持していたカソリック教会が、
『地動説』を主張する本を書いた、としてガリレオを捕え、
『異端の教えを広めた。』と異端審問にかけた。
1633年のこの日から始まったこの審問に敗れたガリレオが
『へぇへぇ、わてはもう地球が動いてるなんて言いまへん。』
という書類にサインさせられ、さらにそれを読み上げさせられて
無期刑の判決を下されたあと、
ぼそっとつぶやいた、とされる言葉がこれ。
『E pur si muove』
『せやけど動くんや、って。』
セリフには諸説あるし、捨て台詞を言ったにしても
ローマで行われた裁判でイタリア語は使わないだろう。
そもそも言ってないんじゃないか?
と、いろいろと推理されているのだが
Wikipediaさんによると多数派なのがこのセリフ。
セリフの中に『地球』という単語が入っていないので
一般的な『それでも地球は動いている』という訳ではなく
ガリレオ先生の感情をプラスして訳したのが、これ。
まあ、大阪弁である必要はないけどな。
と並んで、中世で最も有名な科学者の一人である。
なにをやったか?というと、
えーと…
落体の法則を実証するためにピサの斜塔から球を落としたり、
望遠鏡を改良して、木星の衛星を発見したりして
地動説を実証しようとしたり、藤原鎌足。
で、
『ピサの斜塔から重さの違う球を落とした。』
というのは、後世の創作で
実際には木製の樋を2本並べて
大きさが同じで重さの違う球を同時に転がしたらしい。
この時の『実験装置』が今も残っていて
フィレンツェのガレリオ博物館というところにある。
右上のロゴは
博物館のマーク。
だから公式画像。
だ、大丈夫かな…
これを2本並べて、重さの違う球を転がした。
樋の上をまたいでいる金属のゲートには
鈴がつけられるようになっていて
球が触れるとチリンと鳴る。
見てわかるように坂の上から徐々に間隔が広くなっており
転がった時に同じ間隔で音が鳴るようになっている。
なんでそんなピタゴラ装置みたいなものを作ったかというと、
この実験は公開で行われたのだ。
実験の様子を
描いた絵
多勢とは言えないが見物人がいますね。
ほかに何やら記録している人や
実験なんか見やしないで偉そうに座ってる人もいる。
近くの人は眼でも見ろ、
遠くの人は耳で聞け、と。
なんてうまいプレゼンだろう。
この人の真の業績は、こんなふうに
『実験の装置やプロセスを公開した。』ってことじゃ
ないのかなあ、というのが今日のお話。
この人が現代に生まれて
MVのプロデューサーとかになっていたら
こんなビデオを作っていたかもしれない。
相変わらず、馬鹿で素敵ねえ。
で、
さっきのガレリオ博物館のウェブサイトの中に
「バーチャルミュージアム」というのがあって
とても面白いのでぜひ見てください。
便利な時代になったねえ。
展示品が全て彼の発明品という訳ではないのだが
実に多彩な分野に興味を持っていた人だ、と思う。
砲弾の着弾位置を予想するためのコンパス型計算尺とか、
噴水を作りたいから揚水ポンプを改良してくれという、
いかにも金持ちらしい依頼で始めた、真空ポンプの研究とか
庇護されていたメディチ家から頼まれたものもあったが
なにしろ間口が広い。
専門分野を錐で揉み込むような鋭さよりも
博物館の学芸員のように何にでも興味がある
そして、なんでも知っている、という感じの人だったのだろう。
彼は、特に時計に興味があったらしく
振り子の等時性に気がつくと
振り子時計を実用化しようとする。
そして、その周期の法則を探ろうとする。
さっきの落体の法則の実験はその中で生まれた。
体系を考えるより、手が動く方が早い
というタイプの人だったらしい。
ガレリオ先生、先程の装置の鈴の間隔を決めるために
水時計で通過時間を測りながら記録を取り、
『あー行っちゃった、もういっぺん。』ということを繰り返して
1年かかって『通過距離は時間の2乗に比例するらしい』
ということに気づく。
実際は転がり始める時は回転のエネルギーを食われる。
従って多少この法則が狂って遅れるので
写真のような形になったらしい。
振り子時計を製作しようっていう時には既に
望遠鏡の覗きすぎで失明してしまっていたため
弟子に図面だけを描かせている。
先程の三大科学者は、この順に生まれ活躍している。
ガリレオ先生はケプラー先生とほぼ同時代の人。
この4人は、相互に先輩の影響を受けている。
ガリレオ先生とケプラー先生は
手紙のやりとりをする仲だった。
だから、この4人に関しては
『地動説はこの人が作った。』とは決めにくい。
そもそも、起源をいえば古代ギリシア時代に遡るのだ。
あえて言えば、コペルニクス先生が
天動説が説明できなかった、
惑星の順序や周期の違いや逆行運動を
数学的に整理して説明できるようにし、
ケプラー先生が
『バカ、円軌道じゃ計算が合わねんだよ。』と、
惑星が楕円軌道である、として精密にし、
ニュートン先生が慣性の法則を発見して
『木星の衛星は何故、取り残されないで
一緒に回転するのか?』という難問を解決し、
万有引力の発見で
天動説を主張する奴が惑星の運動の「逆行」を
説明するために苦し紛れに導入した
エカントや離心円という概念を否定し、
『なんで惑星は
太陽の周りを回るんだよう。』
という根本的な問題にもケリをつけた。
ガリレオ先生は何をしたか、というと
自ら改良した望遠鏡を使って木星の衛星を見つけ、
それが木星の周りを回っていたり、
金星も予想以上に満ち欠けをすることを見つけたり
太陽の黒点なんか見るから失明すんだよ、と思うが
とにかく太陽も自転していることを発見したり、藤原鎌足。
あれこれと『地動説の物証』を見つけていった。
だから自信があったんだろう。
『証拠』があるからこその、
あの『捨て台詞』なのだ。
実際彼は、『公開実験』で装置を披露したし、
記録についても著書で公開した。
『文句があるなら、同じ装置で追試してみろ。』と。
『教会がどう言おうと関係ねえ、
神様じゃないと作れねえなんて駄目だ。
俺は眼で見たものしか信じねえ。』と。
そこが、かっこいい。
そしてガレリオ以降、
こういう『再現性のある実験』しか
科学界では通用しなくなっていく。
『IPS細胞、山中君よりも先にボクがもう実用化してます。
えー、既に6回手術してますよ。
あれ?1回だったかな?
結果?それは公表できません。』
というバカは排除されていく。
いま何やってんでしょうね
ガリレオ先生の最大の功績は、
数々の発見や発明よりも
そういった姿勢を貫いた凄み、
にあるんじゃないか?
と思います。
『お前が、我が国には核ミサイルはまだないなどと
異端のセリフを吐いた輩ハムニカ?』
『だって、世界の核保有国で2回や3回の核実験で
核弾頭の開発に成功した国なんかないんですよ?』
『え?そうなの?』
『アメリカが最初のミサイル搭載型核弾頭 W5を開発するまで
8-10回以上、ソ連はようわからんのですがフランスも最初の
ミサイル搭載型核弾頭 MR31の開発まで15-20回以上の
実験を行っています。』
『あー、とにかく。異端の考えを捨てないと許さないニダ。
この書類にサインするスミニダ。』
『はいはい。えー「わが超強くて勢いのある大国は
とっくに核ミサイルなんか持ってます。」っと。』
『うむ、必ず守るんだぞ。』
『……』
『ん?何か言ったかハムニダ?』
『王様は裸だーっ。』
では、『今日の一枚。』
ガリレオ先生が依頼された真空の研究は
弟子のトリチェリ先生に引き継がれる。
トリチェリ先生はガラス管の中に水銀を入れて逆さまにすると、
76センチくらいのところで液面がぴたりと止まって上が空く、
『さあ、お立会い。上には空気もなんにもないよっ。』という
あんた水銀中毒になるよ?
ってな実験によって、「真空」の存在を明らかにする。
そうなると『大気圧って奴の実力を見せてやろうじゃねえか』
ってなことでドイツの貴族でマグデブルグ市長だった
ゲーリケという先生が銅の半球をぴたりと合わせ
自作のポンプで中の空気を抜いて真空にすると
あーら不思議、16頭の馬で引いても離れませんわ。
という、『マグデブルグの半球』の名で知られる実験を、
帝国議会があるレーベンスブルグまで行って
神聖ローマ皇帝の御前で行う。
観客が少ないな…
と思うが好評だったらしく、今度はゲーリケ先生
ベルリンまで出かけて
馬を24頭に増やして公開実験をしている。
公開実験もいいけど、程度ってあるよね…
なんで貴族で市長がそんなことするんだろう。
(クリックしてくださいな)
今朝の地震、結構揺れたんで驚きました。
みなさんのところはいかがでしたか?
うちは積んであった雑誌の山が崩壊したくらいで大丈夫です。
18年経って、まだ余震かよ。長生きだな、地球。
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