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2013年4月16日 (火)

Boys, be ambitious!の日

札幌農学校の初代教頭として、

8ヶ月間の滞日を終えたクラーク博士が、

見送りに来た学生たちに、この有名なセリフを言ったのが

明治10年(1877年)の4月16日。








 

 

クラーク博士。

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この時代のひとって

なんで明後日の方向を向いて

肖像写真を撮るんだろう。

 

 

 

 

 

彼は、マサチューセッツ農科大学の学長で

札幌農学校の前身の開拓使学校の教頭であった

ケプロン先生の後任として1年間の契約で来日した。

 

学長が1年も学校を休んでいいのか?という気がするが

北海道開拓にかける明治政府の意気込みは

並々ならぬものがあって、口説き落とされたらしい。

 

後に述べるようにクラーク先生も、

割と腰が軽いところがあって、いろんなことをやっている。

だから日本にも来たんだろう。 

 

『1年間の契約でなんで8ヶ月しか日本にいないのか?』

というと彼が勤めていたマサチューセッツというのは、

いま話題のボストンがある州で、アメリカの北東部。

そこから札幌まで当時は2ヶ月かかったのであった。

  

8ヶ月で何をやったか、というと、農学校の後身である

北大も含めてあまり触れているサイトはない。

 

『麦作の普及』と書いてある資料があった。

明治政府は屯田兵に田んぼを作らせてまで

稲作の普及に努めたから、そういう話があるんだろうが

『いや、北海道なら麦でしょう。』と進言したのは

クラーク先生ではなく、ケプロン先生である。

       













 

確実な業績としては、まず

西洋人参やじゃがいも玉ねぎなど、西洋野菜の栽培。

  

いずれもクラーク先生以前に日本に伝わっていたのだが

これを北海道でやろう、と。

 

例えば玉ねぎなんかは、

クラーク先生のアメリカ時代の教え子で

入れ替わりに来日したブルックス先生という人により

日本で初めて農学校で栽培された。

  

それまで、日本では観賞用だったのである。

玉ねぎの花はネギ坊主なんだけど

あんなの見て楽しいか?

 

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ネギ坊主



北海道は今や、国産玉ねぎの生産の半分以上を占める

大産地に成長した。

 

『麦と西洋野菜』を勧めたからか、Wikipediaに

『農学校では、パン食が原則。

米を食っていいのはカレーライスの時だけ。という規則があった』

という記述がある。

でも、これはたぶんケプロン先生の規則と混同している。

 

ケプロン先生、銀座の開拓使事務所で、昼飯には

カレーライスばっかり食っていたそうなのだ。

  

飽きるだろうに…

それとも和食が口に合わなかったんだろうか。

          




















もう一つが酪農の普及。 

 

クラーク先生は来日に際して、これも弟子の

土木・建築技術者、ホイラー先生を連れてきており、

酪農に必要な諸施設を作らせている。

 

これは、『札幌農学校第2農場』という名前で現存しており、

そのうちの9つほどの建物が歴史的な価値を評価されて

国の重要文化財に指定されている。

  

そのうち『模範畜房(モデルバーン)』などは有料で見物できる。

見物しても牛小屋だけど。

 

そして、クラーク・ホイラーのコンビが作った

最も有名な建物がこれ。

札幌市時計台。


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正式名称には

『市』が入るのか 














この建物が、『札幌農学校演武場』、つまり武道場だった、

ということは有名だと思う。

竣工当時の様子も、今とはだいぶ違う。

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時計じゃなくて鐘楼












ホイラー先生は、クラーク先生の跡を継いで2代目の教頭になる。

 

建築は専門ではなかったはずだが、

この建物には愛着があったらしく、

竣工後もあれこれ手を加えている。

  

そのひとつに『鐘楼の代わりに時計を乗っけよう。』

というのがあった。

そこで、アメリカに機械式の大時計を発注、さらに

時刻を合わせるために演武場の裏手に天文台まで作った。

          
 

ところが届いた時計を見てみたら、予定よりでかい。

『ちゃんと確認せんかいっ。』、と思うが

そこは専門外のおおらかさで骨格を補強して

そのままつかってしまう。 

 

この建物が、妙に時計がでかくてプロポーションが悪いのは

『時計の発注ミス。』 のせいである。

 

『農学校に武道場があるなんて明治時代ねえ。』

と思うかもしれなが、これは逆でクラーク先生独自の発想。

 

南北戦争に志願して参加し、

戦功を立てて、大佐にまで進級したこの人は、

『農民もすぐに兵隊になれるようにするべきだ。』

という思想を持っていた。

  

北海道の農業を指導することになる農学校の生徒には、

武術くらいできるようにさせたい、と。

そして一般にも広めて欲しい、と。

 

日本の他の学校で『軍事教練』が科目に取り入れられるのは

クラーク先生の離日から48年後の1925年なのである。

             

















 

かような具合であれこれやっているのだが、

8カ月間の在任期間中には

玉ねぎの栽培も、モデルバーンも、時計台も

なにひとつ完成しなかった。

  

彼は、そのどれの実現も目にすること無く、日本を離れる。

 

もっとも、時計台のホイラー先生も玉ねぎのブルックス先生も

クラーク先生の弟子である。

師匠の離日後、ふたりとも教頭を務めているので、

黎明期の札幌農学校には

クラーク先生の思想がたっぷりと注ぎこまれたのだろう。

        
























 

さて、やっと『Boys, be ambitious!』の話だ。

ごめんね、いつも時間がかかって。

          






  

8ヶ月の滞在を終えて離日するとき、

札幌から30km近く離れた島松というところまで

送ってくれた学生たちに言った別れの一言が

この「Boys, be ambitious!」。

               

 

『ambitious』は、直訳すると『野心的な、』という意味だから

これを『少年よ、大志を抱け。』と訳したのは

いったい誰なんだろう。

        




それに、『Boysという呼びかけも違和感がある。

 

当時の学制では農学校の在校生は16歳から19歳で

明治始めというのは、

歴史上、日本人の体格が最も小さい時期だったから、

アメリカ人のクラーク先生から見たら

『Boys』だったのかもしれないが

教授が生徒にそんな言い方をするだろうか? 

 

『校則は「Be gentleman』の一つでよかろう』と言ったという人だ。

感極まったのか?

本音が出たのか?

         





そして、

    
 

名訳なんだけど、実はこの言葉の後には続きがある、

ということを言う人がたくさんいる。

そして諸説あるその語尾によっては、

このセリフのニュアンスが全く変わってくる。

         












その辺の顛末を、北大の附属図書館がまとめているので

リンクしておこう。(“Boys, be ambitious!”について)          





 

北大がまとめているんだから、いわば『正伝』だ。

北大では『Boys, be ambitious!』のことを

BBAって略すのか。

  

北大生は、友達と遊んで別れる時に

『へーい、BBA』とかやってるんだろうか?

         







 

まあ、いいや。

           







 

諸説あるうちの中で、一番長いセリフがこれ。

  

“Boys, be ambitious!

Be ambitious not for money or for selfish aggrandizement,

not for that evanescent thing which men call fame.

Be ambitious for the attainment of all

that a man ought to be.”

  

"少年よ大志を抱け!

人が名声と呼ぶ、あの儚い物のためではなく、

お金、または利己的な権力の拡大のために野心的であれということではない。

人間としてあるべきすべてを達成するためにこそ、大志を抱け。"

           










もっとも、これについては北大のサイトは否定的だ。

  

馬上から別れ際に言われた一言で、言い終わると

『忽ち高く一鞭を掲げて,其影を失ふと云ふ 。』んだから

こんな長いセリフは言わないだろう。

  

何しろこれではクラーク先生が富も名誉もいらんという

聖人のようではないか、というのは私もそう思う。

この人の晩年を考えると、違和感がある。

 












もう少し古くから伝わっているのがこれ。

  

”Boys, be ambitious like this old man

  

(訳さなくてもいいよね。この年寄り、ってのはクラーク先生のこと。)

               








これには別バージョンもあって、

北大のサイトには載っていないが、こう。

        





”Boys, be ambitious as me. 




 

北大のサイトは年齢だけにこだわっているが

『俺みたいに』というセリフが入ると、

とたんに透明感が薄れて脂っこくなる。         

 

『ambitious』が『大志』から『野心』に変わる。












 

実際、帰国後のこの先生は、野心いっぱいだったのだ。          



 

帰国後『俺と一緒に「世界一周洋上大学」をやろう』という

どう考えても、ピースボートより怪しい企画を

持ちかけてきた男の誘いに乗って、

マサチューセッツ農科大学の学長をやめてしまう。

  

ところがこれが金も学生も集まらないとなると、

『俺と一緒に鉱山会社をやらないか?』っていう

山師の誘いに乗るなよ。

あんた、農学校の先生だろう。

        



 

当然破綻して、

出資者から訴訟を起こされて負けている。

親戚や友人からも出資を募っていたらしい。

  

このエピソードはかつて『トリビアの泉』でも取り上げてたな。

       
        

『Boys, be ambitious!』と叫んでから9年後の

1886年に、心臓病でなくなっている。

          

 

享年59。

         










 

大学教授から志願して参戦、そこまでは愛国心だとしても

戦争が終わると、准将昇進も近かったらしいが軍を辞め、

マサチューセッツ農科大に移って学長。

そして、その地位を結局は捨てて札幌へ。

帰国して復職したのに、洋上大学、鉱山会社。

 

なんて目まぐるしい人生だろう。

         


 

軍隊から離れてすぐに新設大学の学長を任されたり、

その腕を見込まれて明治政府から招聘されたり、と

優秀な人だったんだろうな、とは思うが

         


落ち着かない人だなあ、とも思う。

         


 

『転石苔むさず』を悪い方の意味で生きたような人だ。

          



 

『ambitious』がそういうことなら、

俺は安定が欲しい。

        

























では、『今日の二枚。』

 

このセリフを見ると、

この像を思い浮かべる人がいるかもしれないが、

こういう格好では言わなかった。

場所も違っていて札幌市内の羊が丘展望台じゃなく

北広島市の島松というところだってば。  


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羊が丘展望台のクラーク像 













北大構内のクラーク像が見られなくなったから

全身像を作りました、っていうだけなら別にいい。

 

しかし、リンクした展望台のウェブサイトといい

徹底的に『Boys, be ambitious!』推し、

なのである。

台座にも刻んであるし。

  

知らないでここにやってきた観光客は、クラーク先生が

あの有名なセリフを、この場所で、その格好で

言ったと思うだろう。

  

いいのか?

            












実際はこうだ。 

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師弟とも
騎乗

先生はどこだ








背後にある大きな建物は

場所から考えて島松駅逓という交通施設のはずだが、

現存しているものとずいぶん違う。

         

 

車寄せ(馬寄せ?)や、望楼がなくなってるのはともかく

屋根が寄棟から切妻に変わってるんだもんなあ。

        

 

『格を下げる改築』、なんてあるもんだろうか?

         







 

いずれにしても、全員騎乗で

これだけ長蛇の列だったら、

後ろの奴は先生の言葉なんか

聞こえなかっただろうな。

        





おまけ

          















 

三國連太郎さん死去。
      

 

私は伊丹十三作品でのこの人くらいしか知らないのだが

その中で一番好きなのが、映画『大病人』での

このシーン。

  

三國連太郎演じる映画俳優にして監督の主人公が

末期ガンに冒され、緩和ケアを受けながら

映画のラストシーを撮る場面。

           


曲は、黛敏郎 『カンタータ般若心経』。

           

 

英語字幕が邪魔だな。

ぎゃーてーぎゃーてー、というのは

『Let's go Let's go』という意味になるのか…

      









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そんな時代もあったよね」カテゴリの記事

コメント

クラーク博士の言葉にはいろいろグレーな部分があるということはなんとなく知ってはいたのですが、
こんなに深いもんがあったんですねー。

PS
伊丹作品はエッセイも含めて大好きなのですが、
あまりに好きなためいくつかの作品は「老後のため」にとってあります。
そのうちのひとつが「大病人」。
なんだかますます楽しみになりました。

投稿: ne_san | 2013年4月16日 (火) 23時55分

ne_sanさん、ありがとうございます。
 
クラーク先生の「Boys,beambitious!」の
続きの言葉、最後の『…as me』だけは
知っていたんですが調べてみて
こんなにあるとは思いませんでした。 
なかなか慌ただしい人だったみたいです。
 
伊丹十三、いいですよね。
『老後の楽しみ』なんて言わないでぜひ。
津川雅彦だって、今はすっかりおじいちゃん
なんですから。 

投稿: natsu | 2013年4月18日 (木) 01時04分

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