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2013年4月25日 (木)

ギロチンの日

4月25日はフランスの革命議会である国民会議で

死刑執行器具としてギロチンが採用された日。

(Wikipedia ギロチン)

 

 

 

    

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実際にアルジェリアで

使われていたギロチン 

 

 

 

 

 

  

フランス訓みで「ギヨタン」というお医者さんが

『人道的な処刑具』として提案した。

      

死刑に人道もクソもないと思うのだが、今日のテーマはそこ。

  

ちなみに、ギヨタン先生が、革命のさなか死刑を執行したり

自らギロチンにかけられたり、というのは都市伝説。 

75歳まで生きている。

 

 

 

 

 

 

  

フランスでは死刑執行人というのは、『ムッシュ・ド・パリ』

つまり、『ミスター・パリ』と呼ばれて、

嫌な名前だな。

ともかく、一子相伝の家系伝来のものでギヨタン先生が

手を下すことはなかった。

       

ただ、『ギロチン以前』のフランスの死刑執行は

手斧で首を切り飛ばす、という乱暴なもので

ムッシュの苦労はそれは大変なものだったらしい。

  

従容として死に赴く、なんて

私ごとき俗人には出来そうもない。

せめて、執行人の喉を

喰い破ってやろうと思う。

 

 

 

  

実際、フランス革命が煮詰まってくる1893年になると、

パリだけで、ひと月130人の首が切り飛ばされる。

       

ギロチンの導入が1892年だったから、

まことに『ムッシュ安心。』だった訳である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

で、

  

ルイ16世やマリー・アントワネットや、ロベスピエールの

首を切り飛ばしてきたこのギロチンは

1981年の死刑廃止までフランスで使われ続ける。

       

首を切り飛ばされたら即死だろう、と思うのだが

この点について立会人を立てて『実験』をした人がいて、

『生きている証拠』に斬首後しばらくまばたきをしたという。

こえー。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

日本にも死刑がある。

日本の死刑は首をくくる、いわゆる絞首刑だ。

そのための専門施設が、『刑場』。

 

 

 

 

死刑囚は、刑が確定してもじたばたと執行を中止しようとする。

確信があって冤罪だ、と言える人はいいが

そうじゃない連中が最高裁に訴えるのが

『絞首刑は憲法が禁止する残虐な刑罰だ。』という寝言。

  

最高裁は、『あーはいはい。』ということで

必ず却下するのだが

果たして、首を吊るされても

意識がなくなるのかどうかは

死刑にあった事がないからわからない。

 

 

 

 

  

最近の日本は、刑罰に関して厳罰化が

進んでいる。

特に裁判員裁判の導入以来その傾向は強い。

 

     

それが犯罪の抑止につながるとは必ずしも思えないのだが、

被害者や遺族の感情を重んじる、という意味では

当然かな、と思う。

        

たとえば亀岡市で、無免許の上に居眠り運転で

胎児を含む4人を殺したこの男が

当時18歳の少年であったから、というふざけた理由で

5-8年の不定期刑というのは許せない。

  

 

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〇〇和真(〇〇かずま)くん

判決が重すぎる、として現在控訴中

まあっ、なんて頭の悪そうな顔

 

  

コイツは18だから成人と同じ刑務所に放り込まれるはずだが、

ムショの中では散々にいじめてカマを掘り、出所時には

ハンギングツリーの歌で迎えてやろう。

  

まあ、残念ながらコイツはどうしても死刑にはならないが、

どうせ無免許で再び運転するに決まっているので

被害者の写真でも毎日送りつけてやろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

で、

  

さっきも言ったように、日本では絞首刑で、首をくくる。

最終的には窒息死、ということになるんだろうが、

なにしろ3m近い高さから落とすので、

落ちた瞬間に頚椎が外れて、意識は消える、という。

  

もっとも、首から下は生きてるわけだから

搏動の停止までには

10分以上かかるそうである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

外国では、それ以外の死刑方法が行われる。

例えば電気椅子。

  

アメリカの一部の州とヨーロッパの一部で行われている。

これは、死刑囚の負担緩和という趣旨とは全く関係なく

エジソンとウエスティングハウス社の

直流・交流論争から生まれた。

       

交流の方が比較的容易に高圧が得られるので、

『交流がいかに残酷か。』ということを『実証』するために

エジソン陣営が作った。

       

この最初の死刑は1890年に執行が行われており、

しかし、大失敗だった。

  

電圧が足らなくて、一度目の加圧では死に至らず、

頭から煙を出して悶絶した。

再チャージして2度目の電流で死んだ。

1時間以上かかったそうである。

  

 

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マスコミに公開されたので

写真が残っている。 

 

 

 

 

      

あとは注射。まず麻酔を打たれ、筋弛緩剤で呼吸を止められ、

最後に心臓が止められる。 

     

麻酔があるならいいかなあ。って

やっぱり死刑は嫌だ。

 

 

 

 

 

  

あとは銃殺。

  

軍人に対する死刑の手段なのだが、

そうじゃない人に行われることもある。

      

最近ではルーマニアの独裁者チャウシェスク夫妻。

革命後、即決裁判で殺された。

  

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銃撃を受ける

チャウシェスクと

妻のエレナ

 

 

 

あと、アラブ諸国には『石打』なんて刑があるそうでる。

痛そう。っていうか死んじゃうんだけど。

 

 

 

 

 

昔の日本には切腹、というものがあった。

これは、むしろ名誉の刑で、

下々のもの、ハレンチな罪だと、

獄門、さらし首、ということになる。

 

 

 

  

刑罰に高級下級の差があるのは全世界共通で

ギロチンのように、ムッシュが首を切り飛ばすのは、

むしろ名誉の刑だった。

  

銃殺刑も上等。

  

 

下等な連中は、腰、足の骨を砕かれたうえで、

車輪に縛り付けれて『車裂きの刑』というのにあった。

 

 

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車裂きの刑。見せもんだよ、これ。

 

 

 

 

  

 

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八つ裂きの刑

痛い痛い痛い。 

 

 

 

 

 

    

ギロチンは、作業の能率を飛躍的に高めたために

高級な刑である、『ムッシュによる首切り』を

庶民にも広げた。

 

 

 

 

  

処刑の理由や内実を考えず、

執行人の手間と、『瞬間的な苦痛』にとどまることに心を砕いた

『ギロチン』の発明は、なにか根本的なところが違う。

       

ギヨタン先生は博愛主義者だったそうだが

彼の博愛は、

どっかベクトルが間違っている。

 

  

彼は批判され、発明した断頭台は彼の命名による

「ボワ・ド・ジャスティス(Bois de Justice/「正義の柱」の意)」

とは誰も呼んでくれず、『ギヨタンの子』という意味の

『ギロチン』として広まった。

       

彼は抗議したが誰も聞いてはくれず、

家族はとっとと苗字を変え、

『この、名誉の発明を…』と憤ったこのおっさんも

結局は、自分の苗字を変えている。

 

  

やっぱりこの人、

なんか間違えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

では、『今日の一本。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大島渚の『絞死刑』  

 

 

 

 

 

建物も内装も変わっていますが、おそらく手続きは

今も大差ないでしょう。

 

 

 

  

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