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2013年4月27日 (土)

ゲルニカの日

1937年の4月26日、スペイン内戦に介入していたドイツ空軍が

スペイン北部の街、ゲルニカを空襲。

戦略爆撃の嚆矢とされる。

(Wikipedia ゲルニカ)

 

 

 

 

 

 

で、

 

 

ゲルニカといえばこれである。

 

   

 

 

あ、ごめん。

日本人の5%くらいはまだ戸川純を忘れていないと思うが

彼女が参加していたこの『ゲルニカ』というバンドは覚えてるだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こっちはみんな覚えているだろう。

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まあ、なんとなく悲しみ、とか怒りは伝わって来るんだけど

これが人類史に残る『名画』なんだろうか。

 

訳のわかんないピカソの絵の中でも

群を抜くわけのわかんなさである。

  

 

みんなも分かんなかったら、

わかんないって言おうぜ。

 

 

 

 

 

 

 

  

ゲルニカという町の名前は、

むしろこの絵によって有名だと思うのだが、

どこか?と言われて即答できるだろうか?

 

少なくとも私はわかんなかった、ごめんなさい。

ここだ。

 

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スペイン北部

バスク真ん中

 

 

 

 

 

  

バスク地方というのは

歴史的にスペイン本国とは異なっていて言葉も違う。

  

さらに、この地域は経済的に豊かであった。

 

ゲルニカのすぐそばにビルバオという町があって

古くは港湾都市として栄えた。

さらに。ここは鉄鉱石が取れる。

だから近世には大製鉄所が立ち並んだ。

  

もっとも、1970年代以降、ビルバオの製鉄業は

世界的な価格競争に敗れていくのだが

この街は、製鉄所の跡地を美術館にする、という

やけくそな再開発をやって、これが受けた。

 

今は、観光、サービス業、ソフト産業といった

第3次産業でさらに豊かである。

 

 

(スペイン政府のビルバオ観光案内。

日本語版と言いつつほとんど英語。お前日本人嫌いだろう。) 

 

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ビルバオの

グッゲンハイム美術館 

 

 

 

 

ところが、バスクの中心都市ビルバオでも人口35万人。

品川区よりも少し少なく、高知市よりもちょっと多い。

 

なんで、こうやって微妙に腹が立つセリフを言うのかというと

うん、まあ更年期障害、ということで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ところがゲルニカはそれよりもはるかに小さくて

1万6千人の人口しかいない。(2009年)

 

もちろん人口の多寡が戦争犯罪の免責になるわけではない。

しかし、逆にいえば、『なんでそんな小さな街を』と

思ってしまうのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この空襲があった1937年というのはスペインでは内戦をやっていた。

参戦勢力は、首都マドリードと国土の南部東部と北部の

バスク地方を抑えた人民戦線。

対するはフランコ将軍率いる反乱軍。

 

スペイン内戦の経過なんか

どうだっていいや。

(興味がある人はWikipediaでもどうぞ。) 

 

 

 

 

ところがこの戦争が不思議なところは

人民戦線を支援していたのがソ連で

反乱軍を支援していたのがナチスドイツと、

ムッソリーニのイタリアだったのだ。

 

世界中の嫌われ者が

スペインという異国を舞台に

勝手に戦争をやってたようなもので、

ヘミングウェイなどが義勇軍に参加したことでも有名だが

思想的なことを考えると若干割り引いて考えないといけない。

 

 

 

しかしナチスとソ連の喧嘩では、

英米仏といった国は国家としては関与できなかった。

 

だからファシストであるフランコが政権を握り、

この人は第2次大戦を巧みに生き残ったため、

1975年の死に至るまで、スペインを支配し続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゲルニカ空襲は、フランコのバスク制圧の過程で行われた。

死者1650人、負傷者900人。

 

案外少ないじゃないか、と思うか?

当時のゲルニカの人口が7000人だったことを思うと

死傷率は36%に及ぶ。

 

だからそんな小さな街、襲うなよ、

とおもうか?

 

 

 

 

 

 

『戦略都市攻撃」というと、B29のような大型機が

数百機も襲ってきたのか、と思うが24機。

ドイツ軍機21機とイタリア軍機3機が参加した。

 

なぜイタリア?と思うが、第一次大戦以降の戦間期

イタリアは世界有数の空軍国だったのだ。

 

ドゥーエというおっさんが、塹壕線を突破するための

急降下爆撃機の開発を訴え、

『空軍は空飛ぶ砲兵になる。』といいだした。

 

さらに都市に対する戦略爆撃の必要性を訴える。

もっともこれは理念上のもので、当時のイタリアに

大型・高速の爆撃機を開発する力はなく、

『ゲルニカ爆擊』に参加したのもこの飛行機である。

 

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サヴォイア・マルケッティSM79

 

 

 

 

 

もちろん爆弾を落とされて、殺された方からしたら

爆撃機の大きさなんか関係ない。

 

同時期の日本も『渡洋爆撃』ということで、

南京や上海を攻撃しているので人のことは言えない。

 

その数年後に、本土空襲ということで

何倍ものお返しを受けているのだが…

 

 

 

 

 

ストリートビューでゲルニカを散歩しても

よく言えば『郊外の住宅街。』

ぶっちゃけ言うと田舎町である。

 

 

歴史の不幸は、こんな小さな街から始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の一枚。』

 

 

 

 

 

 

 

ゲルニカから、たった8年後

人類は核兵器を手にし、

それを都市攻撃に使った。

 

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1945年8月6日広島に落とされた原爆。

死者14万人。

 

当時広島にいた人が35万人だったというから死者の率は40%。

負傷者は後世の放射能障害などを含めると

ほぼ100%だろう。

 

 

 

 

 

 

今はボストンに見るような爆弾テロ、なんてのもある。

技術だけではなく、手段や方法の選択を考えれば

卑怯は無数にあり、そして常に進化している。

 

許すな。

 

 

 

 

 

 

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コメント

ゲルニカはご存じです。
テロは日本でもあり得ることです。
コワいですね。

また、すばらしい記事の掲載
まってます。

投稿: ☆Mia☆ | 2013年4月27日 (土) 15時23分

☆Mia☆さん、ありがとうございます。
ゲルニカ、かっこいいですよね。
戸川純って歌うまいよなあ。
 
爆弾テロはかつて、
日本でもいくつもありました。
爆弾テロは貧者の卑怯です。
 
しかし、それゆえに
気軽に手が出せちゃうのが恐ろしい。
 
ふう…

投稿: natsu | 2013年4月27日 (土) 23時14分

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