3億円5セント硬貨物語
本来、製造が終了している筈の『1913年』と
刻印された5セント硬貨が317万ドル
(3.1億円)で売れた、というニュース。
売れたのは、1883年から1912年まで
製造されていた、リバティ・ヘッド・ニッケル
という5セント硬貨の『1913年版』。
アメリカの造幣局の職員が違法に製造した。
確認されている『違法5セント』の『本物』は
5枚だけだそうだ。
自由の女神の頭
(リバティ・ヘッド)の
下に1913と入ってる
『偽造の5セントの本物が3億円』という
バカボンのパパのセリフみたいな状況に
頭がくらくらするが
このコインの歴史というのが、とても面白い。
リンクした読売の記事は簡単すぎて
よくわからないが、
かなり詳しいabc7NEWSの記事などをベースに
して、再現してみたいと思います。
では、どうぞ。
まず、今回3億円で売れたこのコインは
2003年から10年間コロラドの貨幣博物館
という所に展示されていた。
所有者はバージニア州に住む姉弟。
このコインがどうして生まれ、
彼らがなぜ手に入れるかの経緯は
以下のようだったそうである。
このコインはフィラデルフィアの造幣局に
勤めていたW・ブラウンなる人物によって、
5枚だけ『偽造』された。
どうせ偽造するなら
もっと高額のコインにすればいいのに。
製造年を変えて打刻するための金型の制作費も
バカにならないと思うので、以下の話は
眉毛をつばで濡らしながら読んでください。
もちろん、いくら5セント硬貨とはいえ
『偽造』は違法なので
ブラウン氏は時効になる1920年まで待って、
その年にシカゴで行われていた全米貨幣協会の
展示会に持ち込んだ。
これを買った人物は、ちょっと調べたけど、
わからない。
いくらで買ったのかもわからないのだが、
後で述べるように、それほどの金額では
なかったらしい。
『5枚一組』になったこのセットは、
その後1942年まで、
所有者を転々としながらも一緒だった。
そのうちのひとりが、投機で成功し
『アメリカ一の金持ち』になったけど
『世界一のケチ』でもあった、
へティ・グリーンというおばさんの息子。
このおばさんはケチでケチで、
息子が脚に怪我をした時、医者代をケチって
病院に連れて行かなかったもんだから
脚を切断する羽目になった。
このシカゴの展示会まで、
『1913年製造のリバティ・ニッケル』
の存在なんかコレクターにさえ、
知られていなかった。
偽造者が直に持ち込んだんだから当然だけど。
後年この5枚が高値で取引されるようになって
『偽物の偽物』、つまりブラウン氏以外の
1913年製リバティ・ヘッド・ニッケルが
現れたりする。
『偽物の本物』を鑑定するべく
『ブラウン氏の5枚』が集められたが、
それも文字の欠損があったりして、
偽造品としては質が悪かった。
しかし、そんな真贋定かならぬこのセットに
遺産の一部をぽんと投じた、
ヘティおばさんの息子は
母親譲りの投機家なのか、あるいは
よほど母親を憎んでいたのか、
そのどちらかだろう。
1942年以降は、ばら売りされて、
それぞれに数奇な運命をたどる。
ノースカロライナ州の、ウォルトンさんという
コレクターがそのうちの一枚を、
3750ドルで手に入れたのが
1940年代のなかば。
この金額から逆算すると、偽造者である
ブラウン氏が手にした金額は
おそらくは大したことはなかったと思う。
単純に5倍にしても2万ドル弱だ。
ブラウンさんにしてもウォルトンさんにしても
まさか自分が手にしたことがある、
そのコインが
購入価格の850倍、
硬貨の額面の6340万倍の3億円以上で
遠い将来に取引されることになるとは
思ってもいなかっただろう。
ウォルトンさんは1962年に自動車事故で
死んでしまうのだが、
彼は車に、この
『1913 リバティ・ヘッド・ニッケル』と
それ以外にも、数百枚のコインを積んでいた
というから、相当なコレクターだ。
で、
これらのコインは鑑定に掛けられ、
この『1913 リバティ・ニッケル』は
偽物と判定された。
理由は、製造年が偽造されている疑いがある
ことと、材料の銅とニッケルの比率が
本物と違っていたから。
製造年は意図的に偽造されているから
当たり前だが、ブラウン先生、
コインを作る原版を自前で調達したために
材料の比率を間違えたらしい。
従って、このコインは『無価値である』として
ウォルトンさんの娘のメルヴァ・ギブンス
という女性に引き渡された。
メルヴァおばさんは親父の古銭趣味には
興味がなかったらしく1913リバティ・ニッケル
は封筒に入れられたまま、
クロゼットの中に放り込まれていた。
その後、このコインは1993年の彼女の死まで
誰からも顧みられることはなかった。
ところが、ギブソンおばさんの死後、
彼女の息子であったライアン・マイヤーズ君が
遺産整理のために雇った弁護士が
このコインのことを知っていた。
既に一部のコレクターの間では
知られていたらしい。
そして弁護士のくせに、実物を見せると
『5000ドルで譲ってくれ』と言い出した
突然そんなこと言われたら、
ライアン君も『おかしい』って思うよなあ。
彼は『ほかの姉弟の意見も聞かないといけない
から』と、断った。
当たり前だ。
なんて交渉の下手な弁護士なんだろう。
『いやいや価値なんてないですよ』といって
ウォルトンさんからギブソンおばさんに
相続したように、ただ同然で手に入れることも
出来たかも知れないのに。
無理かな?
この
『ブラウン氏の1913リバティ・ニッケル』は、
ギブソンおばさんが死んだ頃から、
一般にも知られるようになり値段が急騰する。
2003年には、そのうちの一枚が300万ドル、
2005年には別の一枚が450万ドル、と
今回の一枚と同程度、あるいは
それよりも、はるかに高い値段で取引される。
隠し通せなかっただろうな。
ライアン君と、姉のシェリルさんは2003年に
行われた全米貨幣協会の世界博覧会に、
ウォルトンさんのコインを持ち込む。
そこには、残りの4枚の
『ブラウン氏のコイン』が展示されていた。
1942年以来60年ぶりに一堂に会した
『リバティ・ニッケル』は
専門家によって鑑定され、
そこでウォルトンさんのコインもめでたく
『本物の偽物』 と認められることになる。
1913の刻印の下に
共通の傷があったそうなのだ。
以来今日まで、
コロラドの貨幣博物館にあった。
abc7NEWSは、このオークションの後に
この姉弟が語ったセリフを紹介して
終わっている。
ライアンは
『僕はこのコインを手放したくはありません
でした。これは、あなたがフリーマーケット
のようなところで簡単に見付けられるような物
とは違うのです。
なによりもこれは、あまりにも長い間
ぼくらの家族だったのです。』
シェリルは
『みんなが訊くわ。
どうしてあたしたちが10年間も
このコインを持っていたのか、って。
売ってしまえば
莫大なお金が手に入ったのに、って。』
そしてコロラドの博物館の展示の前で
『これで、40年間の誤りが正されたのです。
こうやって10年間、博物館で公開したことで
祖父ウォルトンの願いは尊重されたのです』
そして最後にもう一度、読売の記事に戻って、
このオークションで3億円を手に入れた後の
この姉弟のセリフ。
『収益を投資に向ける』
と意気込んでいる、そうである。
この姉弟が、速やかに あぶく銭を失って
すってんてんになってくれることを
切に願う。
元は5セントじゃねえか…
では、『今日のエラーコイン』
日本の場合、貨幣の製造工程というのは
こんなことになっているらしい。
工程自体は、いまのアメリカも
似たようなもんだろう。
職業倫理として、偽造するような職員は
いないと思うが
この工程だったら、たとえ内部犯行でも
偽造なんか無理だろうな、と思う。
しかし、それでも型を抜く
(圧穿というらしい)時にずれたり
模様を刻印(圧印)する時にずれたり、
そういったエラーコインが出る。
その中には、厳しいチェックをくぐり抜けて
市中に流通しちゃう奴があって、
コレクターズアイテムになっている。
ケースによっては古銭屋で額面より遥かに高い
値段がつくそうだ。
穴がずれている五円、五十円
というのは珍しくないが
ここまで豪快だと気持ちいい。
値段不明
穴ずれ+フデ五という
二重のレアアイテム
40000円
穴がない時もある
136000円
模様がずれることもある
値段不明
そもそも お前いくらだ?
こんなのばっかり
集めている人もいる
これでまとめて600円
縁が立っちゃうこともある
(クリックで大きく)
1500円
コインじゃないけど
表と裏を同じ面に刷っちゃった
千円札。
値段不明
まあ、間違えちゃうことはあるよね。
にんげんだもの。
しかし、この わらしべ姉弟は、
なんか許せない。
(クリックしてくださいな)
(リンクしてある原文を見てもらったらいいけど、
相当 適当に翻訳しています。)
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