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2013年5月11日 (土)

E電の失敗

5月13日は、国鉄民営化に伴って

国電がE電と改められた日。

1987年(昭和62年)のことだ。

(Wikipedia E電)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そもそも、いまの人には、

『国電』の説明がいるんだろうか?  

 

 

いやな時代だなあ。 

 

 

 

 

 

 

 

『国鉄』の『電車』だから、国電。

 

 

『国鉄の列車なら

電車に決まってるじゃないか』

というあなたはシティ・ボーイ。

ひゅーひゅー。

 

 

 

 

 

 

 

 

馬鹿。  

 

 

 

 

 

 

 

 

むかしは、首都圏や大阪圏でも

非電化区間というのはたくさんあった。

郊外から都心に乗り入れてくる列車の中には

ディーゼル機関車にひかれてくる奴もいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこで『近郊区間を走る電車』

付けられた愛称が『国電』。

戦後国鉄が出来る前は

『院電』や『省線』と呼ばれていた。

 

 

ただし、1960年代以降、

大都市圏では急速に電化が進み

『田舎では一時間に一本の列車』も

『電車』になる時代になった。

 

 

それでも『国電』と『その他の路線』は

画然と区別されていた。

差別か?と言われたらそういう部分も

あるだろう。近代化に関する姿勢が違う。 

電化の比率もそうだし、輸送密度が違う、

車両が違う、運行形態が違う。

制度に関して、そういう実態があった。

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わかりやすいところで言えば、

まず料金が違う。

 

 

赤字で首が回らなくなった国鉄が

毎年値上げを繰り返したために

私鉄と競合するところでは、

『初乗り運賃が倍。』という区間が出来た。 

 

 

『さすがに競争にならん』ということで

電車特定区間という

『大都市近郊だけは割引な。』という

田舎ものに喧嘩を売るような制度を作る。

 

 

日本の鉄道史で100年間維持されてきた

『料金は国内で同一』という原則を崩して

こういう制度を採用した。

逆にいえば、競合する私鉄のない田舎では

高額料金取り放題なわけだが。

 

 

そして、この区間が、

ほぼ『国電区間』に重なる。  

 

 

 

末期の国鉄は

よほど血迷っていたと思う。

 

 

 

 

 

 

 

しかし、国鉄がJRになり、本州会社がみんな

株式を上場できる時代になっても

いまでも、ありがたい事にこの制度は存在する

 

 

営業区分の上でも『国電』という呼称は

必要だったわけだ。

 

 

  

  

 

 

神戸から西で急に運賃が上がるのは

この制度のおかげである。

 

ふざけんなよ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかしまあ、1987年の段階でそういった

『国電地域』において

みんな『国電』という表現を

していたのか?と言うと疑問だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その時私は大学を卒業していた。 

 

その時に既に『国電』なんて、

若い衆は誰も使わなかったような気がする。

 

 

 

利用者からしたら

区別する意味がなくなっていたと

思うのです。

 

 

 

 

 

『国電』というのは

『まあるいみどりの山手線』であり

『真ん中通るは中央線』であって

普通の会話では、いまのように

『路線名』で言うのが当たり前だった。 

 

 

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まあるい緑の

山手線

 

 

 

 

 

 

それじゃあ、『国電』と『郊外型列車』は

なにが違うのかというと、

 

 

まず、列車が違う。大きく言うと

『ロングシートの車両が国電』

『ボックスシートは郊外路線』と。

 

 

 

 

 

 

これは、かなり賛同を得られる

判断基準だと思う。

 

 

 

千葉市民からしたら『総武線国電で行くから

秋葉原の○番ホームで待ち合わせな』

と言うよりも、

『黄色い電車で行くからよろしく』

で充分だったわけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

むしろ、私よりも二昔くらい前、

『省線』時代を知っている人のほうが

そういう区別にこだわっていただろう。

 

 

ロングシートの『国電』では、みんな

素っ気ないが郊外区間に来ると、

おばさんがみかんをくれたり

ある程度郊外に出たら、

酒もたばこも自由だった、という。

 

 

 

 

 

いま、そんなことをやったら

鉄警隊に捕まるかも知れないが

かつての列車には、ほんの100kmくらい

伊香保温泉に行くくらいの中途半端な田舎でも

郊外に出たらたばこが吸えた。

 

 

郊外に行く快速列車には

窓際に灰皿があったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だから1987年の利用者の側からしたら

『国電』の区別は、あまり意味はなかった。

 

 

『国鉄がなくなるから「国電」の新名称を』

と小林亜星や黒柳徹子が奮起して

『EにはEast、Electric、Enjoy、Energyの意味

がある』と言い出した時には、

日本人全員が三尺引いた。

 

 

 

 

 

そもそも利用されていなかった、

『国電』の名称を読み替える、

という時点で違和感がある。

 

 

 

 

そのうえ、ただでさえ 批判を浴びるだろう

こういう言葉に

『E電』

というすっとこどっこいな単語を選ぶ勇気には

恐れ入った。

 

 

 

 

 

 

日本語として、という以前に

言葉として不自然だ。

  

 

 

黒柳徹子が玉ねぎ千個連ねてきても

バターで炒めてやる。

 

 

 

『E電』という言葉がさっぱり定着しなくて

『どうしてでしょうかねえ?』という、

意地悪な記者の質問に

『JRがきちんと宣伝しなったからです』

と、すっかり痩せた亜星が

ぶち切れていたのを覚えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、新しい言葉を作る、

というのは難しい。

年末に発表される『流行語大賞』が

ちっとも流行語じゃないのは有名だが

それにしても、これ(流行語大賞)はひどいな

 

 

 

 

 

 

 

『ラブ注入』の人は、なにやってんだろう。

どうでもいいけど。

 

 

『まるもり』の人は、中学生になったら

『積み木崩し2020』とかやったらいいと思う

 

もっとどうでもいいけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それなら、

全く『E電』が浸透しなかったのか?というと

一度だけ、世間の少年が使っているのを

聴いたことがある。

 

 

だから、1987年以降なので

私は既に大学院生だったのだが

渋谷だったか代々木だったか、

とにかく山手線の駅で、大学の新入生、

あるいは予備校生と思しき2人が改札の前で、

 

 

『じゃあな。』

『あ、うん。おれE電だから。』

 

 

という会話をしていたので、思わず聴いて、

その方向を二度見したよ。

 

 

 

 

『E電』?

 

 

 

使うやついるんだ。

初めてで最期だった。

 

 

おそらくは今年東京に出てきたのであろう

おぼこい男の子二人であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、既に使われなかった『国電』を

言い換えるのも不自然だったが、

あきらかにとってつけたような言葉を

さあ使え、と。

 

 

『ぱっとさいでりあ』と言われても

だれも使わない。

 

 

 

あたりまえだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

で、まあ。E電の失敗は気の毒だから

もういいか。

国鉄がJRになって7社に分割されても

その名前を使う会社はなく

亜星は痩せちゃったんだから、もういいや。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、名前をつける、というのは難しい。

 

私には子供がいないからなおのこと、

斜に構えてしまうのかも知れない。

 

だから、個人の名前については触れないが

たとえば地名なんかでも、ひどい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自治体が『通りの名前』なんかを

募集したりしているが神戸はこんな感じである

(神戸市 道路愛称)

 

 

大体は、地元の人間も理解できる名前なのは

いいが、福原の『桜筋』や『柳筋』は

赤線時代からの呼び名だ。

 

 

 

いいのか?

 

 

 

そして、神戸モスクの北側の

パールストリートなんて、訊いたことない。

 

 

明石大橋が『パールブリッジ』だった

っていうこと以上に知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、通りに勝手に名前をつける、

ということに関して

旧ソ連以上に、いい加減で適当なのが

渋谷区である。

(渋谷区 通りの名前)

 

 

 

 

 

 

通りの名前

渋谷区内には、さまざまな名前のつけられた通りがあります。
渋谷駅周辺のストリートを紹介します。
こうした通りの名前は、区がつけたものではありません。
この街を愛し利用するみなさんが呼び始めた名前が、徐々に浸透してきたものと言えます。

公園通り

丸井渋谷店付近から代々木公園に通じるゆるやかな坂道。
昭和47年、渋谷区役所通商店街(当時)が、パルコ開店を機に命名しました。

"パルコ"はイタリア語で"公園"の意味があり、また、この通りが代々木公園に通じていることからつけられました。

ハンズ通り

渋谷西武百貨店A館・B館の間から東急ハンズ前に通じる道。
井の頭通り。
通り沿いに東急ハンズがあるために名づけられました。

センター街

渋谷駅ハチ公口から、井の頭通りとBunkamura通りの間を西に進む道。
商店街の名称からつきました。
渋谷の中央だから?

Bunkamura通り

SHIBUYA109前から東急本店・Bunkamuraに通じる道。
以前は東急本店通りと呼ばれていました。

道玄坂

渋谷駅ハチ公口前から目黒区方面への上り坂。
江戸時代、和田義盛の残党、大和田太郎道玄が、渋谷氏滅亡後にこの坂に出没し、山賊野盗のふるまいをしたところから命名されました。

また、「天正日記」によると、道玄庵という寺の庵主が、徳川家康に由緒書を出していることからこの名がついたという説もあります。

ファイヤー通り

丸井渋谷店付近から岸記念体育会館に通じる道。
通り沿いに、渋谷消防署があることからこの名がつきました。

プチ公園通り

神南1丁目の、12ヵ月ビルから北谷公園に通じる道。
公園通りから1本裏に入り、公園通りに平行する通りで、小規模な店が多く、北谷公園に面していることから、"プチ"がついた公園通りとなったようです。
パークアベニューとも呼ばれています。

区役所通り

パルコPart2の裏から区役所に通じる道。
公園通りと平行して区役所に続く道なので、この名で呼ばれています。

無国籍通り

渋谷税務署横から区役所・神南小学校を通って東急ハンズ前に通じる道。
通り沿いにNGOショップがあるために命名されたようです。
通り沿いにある宇宙百貨という店の名から、コスミックスロープとも呼ばれます。
また、万国旗通りと呼ぶ人もいます。 

サンドイッチロード

スペイン坂の上からパルコパート1の裏手を進む道。
パルコパート1とパート3に挟まれているためにこの名がつきました。

スペイン坂

パルコパート1裏から井の頭通りへと下る坂道。
喫茶「阿羅比花(あらびか)」の店主、内田裕夫氏は、写真で見たスペインの風景に心ひかれ、店の内装 をスペイン風に統一していました。
昭和50年にパルコからこの坂の命名を依頼されたときには、迷わずこの名をつけたそうです。
命名後、近所の人たちも協力して、建物を南欧風にしました。

間坂(まさか)

井の頭通りから公園通りへLoft沿いに進む道。
平成元年、Loftが一般公募により命名しました。
「渋谷駅と公園通りとの間」「ビルとビルの間」「『まさか』という語呂のよさ」「『間』という漢字が人と人との関わり合いをイメージする」との理由です。

ペンギン通り

スペイン坂上からパルコパート3横を通って井の頭通りへ下りる道。
ペンギンには平和でかわいらしく、「集う」習性もあるところから、この通りに集まる人をイメージしてつけられました。
当時ビールのイメージキャラクターとして親しまれていたためでもあるようです。
愛山通りとも呼ばれています。

ランブリングストリート

東急本店裏から道玄坂上へと上る坂道。
由来はわかりません。

フィンガーアベニュー

神南郵便局前からパルコ前交差点へ上がる坂道。
由来はわかりません。

オルガン坂

井の頭通り東急ハンズ前の交差点からパルコ前交差点へ上がる坂道。
通りの周辺に音楽関係の店が多かったところから命名されたようです。
東急ハンズ前の階段がオルガンの鍵盤に見えるから、という説もあります。

SING通り

オルガン坂からペンギン通りへ東急ハンズ沿いに進む道。
由来はわかりません。

コルネット通り

渋谷消防署から渋谷区高齢者ケアセンター、社会保険事務所前を通り、公園通りへと上がる坂道。
由来はわかりません。

キャットストリート

明治通り宮下公園付近から、表参道交番付近を通り、渋谷区心身障害者福祉センター付近まで進む道。
渋谷川の暗渠(あんきょ)です。
「猫の額のように狭い通り」「猫が多い」「ブラックキャッツというバンドが生まれた土地だから」という説があります。

宮益坂

渋谷駅から青山通りへ上がる坂道。
江戸時代、坂の途中にある御嶽神社にあやかって、町名を渋谷宮益町に変えたためこの名称がついたといわれます。
これ以前は、富士見坂と呼ばれていました。

オーチャードロード

東急百貨店本店から神山町へと進む道。
Bunkamuraのオーチャードホールからつけられたようです。

イエローストリート

ハローワーク渋谷付近から渋谷区役所前交差点へと上がる坂道。
フランス坂、バスティーユ通りとも呼ばれますが、由来はわかりません。

 

 

 

 

 

 

 

多少なりとも歴史・由来がありそうなのは

道玄坂と宮益坂くらい。

 

 

センター街と公園通りとスペイン坂くらいは

わかるが、渋谷によほど土地勘がある人でも、

これが全部わかる人がいるんだろうか?

 

 

 

 

『ランブリングストリート』

『由来がわかりません。』

『フィンガーアベニュー』

『由来がわかりません』

『SING通』『コルネット通』

『由来がわかりません』

 

 

 

お前、

適当に名前つけてるだろう。

 

 

 

 

 

『スペイン坂からペンギンストリートに出て

サンドウィッチ通りに出る手前の

ロイヤル銃砲器店で待ち合わせね』とか

いって場所が特定できるのだろうか?

(通りの名前は適当に書いてます。)

 

 

 

 

 

もう、そんな会話やだ。

 

 

 

 

 

 

言葉や地名なんて

自然の淘汰に任せればいい。

 

 

亜星が痩せようが太ろうが

知ったこっちゃない。

 

 

そういうことはこの間にも書いたが

 

 

 

渋谷の、この馬鹿地名も

いずれ整理されるんだろう。

 

 

 

おれは、1988年頃にゼミの先輩が

『フィールドに行く』といって

三日間この街を歩かされたから、

30年前の流行スポットなら案内できる。 

おにゃんこクラブが着ていたトレーナーを

売っていたセーラーズも案内できるぞ。

 

 

 

 

 

もちろん、いま急速に変わりつつある

渋谷の現在なんかわからない。

 

 

『起き上がりムンク』を売っている

そうなので、それは是非欲しいが、

そのために渋谷に行くのもなあ…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、『今日の一枚。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昔の国電ってのは、

こんな風にイメージがあったんです。

 

 

ヨドバシカメラ、狭いなー。

 

 

 

 

 

 

 

 

ちゃんとE電の宣伝もしようとしていた。

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ヘッドマークに『E電』。

亜星に怒られるまでもなく、

国鉄はちゃんとやっていた。

 

 

 

 

 

 

おまけ

 

 

 

 

 

 

 

起き上がりムンク

000000000000000000000000000000000_4

 

 

 

 

 

 

 

 

 

起き上がりこぼしのムンク版、

だそうです。

 

欲しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

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ぼくは鉄じゃない」カテゴリの記事

コメント

街づくり協議会というところが、島の通りに相性をつけました。
覚えられません。
そもそも生活する上で、通りを名前で呼ぶ必要性かありませんもの~。
残念な運動です。

起き上がりムンク、おもしろいですね。
こういう発想はすごいと思います。

投稿: takae h(fullpot) | 2013年5月11日 (土) 22時43分

ファティマ第三の預言とノアの大洪水について。

第二次大戦前にヨーロッパでオーロラが見られたように、
アメリカでオーロラが見られました。
また、ダニエル書の合算により、
御国の福音が宣べ伝えられるのは、5月15日だと理解できます。
エルサレムを基準にしています。


2018年 5月14日(月) 新世界           +1335日 
            ダニエル9:2         イスラエル建国70年

2018年 3月30日(金) ノアの大洪水         +1290日 過越14日-15日 
2014年 9月17日(水) ダニエル12:11            +0日
2013年 5月15日(水) ダニエル9:24  マタイ24:14    -490日  第一次中東戦争から65年


天におられるわれらの父とキリスト、
死者復活と永遠のいのちを確信させるものです。

全てあらかじめ記されているものです。
これを、福音を信じる全ての方、
救いを待ち望む全ての方に述べ伝えてください。

投稿: マタイ24 | 2013年5月13日 (月) 16時37分

takae h(fullpot)さん 
ありがとうございます。
 
確かに『12間道路』と同じ並びに
島の通りの名前を書かれてもなー、
とおもいます。
 
名前って、『つける』もんじゃなく
『つけられる』もんでしょう。
 

投稿: natsu | 2013年5月24日 (金) 02時05分

「流行はトップダウンで決定出来る物だ」
官僚的な(マスプロも含めて)企画思考の典型です。
何にでも最後に「族」と付けて呼んで安心感を得る人々。
…そうやって何でも対象を集団として眺める視点は「対称は指導(扇動)される」と言った
馬鹿げた根拠と無知から湧き出る自信故でしょう。
なので此の手合の失敗事例のプランからは大概「説教臭さ」がプンプン滲み出ていて、此れが原因で出した側からそっぽを向かれると決まって居ます。
そして官僚体制程結果から反復学習しないシステムも無い訳です。だから何度も繰り返す…。
娯楽も少なかった戦後復興期の民度ならいざ知らず、識字率ほぼ100%の今時分にこう言う事を続けて居る訳ですから結果は見えますよね。

懐かしい話ですが、その昔のファッション業界に「来年の流行は…」と言う決まり文句が有りました。おかしいでしょ(笑)。
「タイムマシンでも持ってるのかね(笑)」とか思いますよね。
随分長い長い時間が掛かりましたが見事に廃れて居ます。
大衆が知恵を付けた結果ですね。
(でも此れで煽られて居た時代も有ったって事ですね。消費者(国民)の側はそれ程変化したって事です)

時代を降りましょう。
ちょいとだけ昔ですが「伊達なにやら(笑)」と名乗らせたバーチャルアイドルなんてのが有りました。
総予算なんぼだっけかしら…wikipedia辺りでも参考にして下さい。吹き出す事請け合いです。
大枚放り込んで度を越した造作は「不気味の谷」を越えてしまいました。
見てくれだけで此れなのに
ダメ押しにバレバレでクサさプンプンの生い立ちや好み等のプロファイルが付きます。
曰く横田の寿司屋の娘で…あとは忘れました(笑)
(プロファイル設定のここいら辺は如何にも「E電」的です)
「リアリティーを増してやろう」との意図だったんでしょう。
典型的なトップダウン思考ですね「定着させてやろう」てのは、
此れが一定の視野を持った連中がやってれば問題が無い訳です。しかし、
官僚的な輩が此れをやり始めるとどんどん市場から目が反れて独善のデスレースに突っ走る訳です。
此れによって「不気味の谷」をどんどん乗り越えてしまい結果は今の通り。殆ど知る人も有りません。

リアルのアイドルを扱い慣れている彼らなら、実際市場がどう言った形でアイドルをホビーとして取り込んでいるのか少しは考えてもよかったでしょう。
 例えば何故芸能雑誌が繁盛して来たのか。
…ゴシップは妄想のヒントです。つまり個々人はそうやって、AはAなりの、BはBなりの「誰それさん」と言うアイドル像を仕立てる訳ですね。
終局的には対象となったリアルのアイドルさんの方ですら彼らの妄想にネタを供給する為の記号になります。
此れがあの業界の消費の循環(つまり本来的な儲けの種)な筈なんですよね。
ところが彼らはそのアイドルを曖昧模糊とする方向に背を向けてどんどん現実性を高めてしまった訳です。
妄想の介在する余地を追い出してしまっては、これは最初から商品になりません。
如何にも官僚的かつトップダウンな自爆プロジェクトです。

(方や「某ミク」の、予算規模を越えた流行の致し様を眺めてみると、まるで正反対な事が解ります。
 全く市場任せにした結果、全く声だけだった彼らは、
 (ユーザー側の力で)体を得て、
 (ユーザー側の力で)動ける様になり、
 (ユーザー側の力で)無数に近いユーザーの数だけの人格を得て
 そして「見たり」「聞いたり」して楽しむ側の無数の妄想を満たすに至っています。
 トップダウンの「説教臭さ」で造作した唯単一のアイドルなどは存在の余地も無いのでしょう。

 考えてもみれば…今現実に生きて活動しているリアルのアイドルの皆さんも、決して単一じゃあ無いんですよね。
 ミーちゃんと言うアイドルも居ればハーちゃんてのも居る。
 芸能プロデュースが溝銭でも食える殿様規模になった結果そんな事も見えない官僚組織になったって事なのかも知れません)


しかし此の手合の官僚の仕事に共通する事が有ります。
「失敗しても莫大な金が動いて、特定範囲の人間が旨い汁を啜る」て事です。
だから彼らは失敗から学ぶ事に価値を見出しません。何度も繰り返すサルのサルたる所以は即ち此処でしょう。

しかし、その金は何処から来る物なのでしょうね。
先の某プロダクションの場合はどこかのお子様達から搾取して来たお小遣いでしょうか。
ではE電が「亜星と愉快な仲間たち」にぶっこんだ金は…???

政府機関が「かーさんなんとか詐欺」や「なんとかドラッグ」や「認知症」に突っ込んだ金は?
(巷の相場と乖離したバカ高い印刷費とかとか、利権だらけなんでしょう…

背筋が寒くなりますね

投稿: 背筋の寒い人 | 2014年11月 4日 (火) 04時26分

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