ニューヨークに行きたいかー
5月26日は東大寺の大仏、
通称「奈良の大仏」が開眼した日。
現状で高さ14.7mのこの大仏は
2度焼失しており、
再建の度にちいさくなっているらしいのだが、
それでもでかい。
しかも、この建立がいまから1300年前の
天平時代だったというからびっくりである。
で、
今日はこういった巨像がどうやって作られたか
というお話し。
奈良の大仏は銅製。
厚み5cmから10cm足らずの銅による
モノコック構造である。
モノコックだから、
外殻部分を一体に成形しないといけない。
さらっと27文字でいったが、
これがいかに大変かは気が遠くなる。
銅は溶かして入れた。
どうやって溶かして入れるというと型を作る。
ベーゴマの砂型のようなものだが
あれは中まで詰まっているから雌型だけでいい
大仏は中空なので雄型と雌型の両方がいる。
足場もクレーンもない時代にどうやって、
型を作ったかというと
教科書でこんな絵を見なかっただろうか。
まず、雄型を作る。
木で骨組みを作り、木摺(下地)を貼って
像の形になるように土壁の要領で、
粗い土から細かい土を塗っていく。
格の高い茶室や屋敷では、壁を塗るのに
塗っちゃあ乾かし塗っちゃあ乾かして、
10年くらい掛けて造るのだが
大仏は1年くらいで塗っちゃったらしい。
雄型が出来ると、外側に離型材となる紙を
貼って粘土を塗って雌型を造る。
これは、さすがにでかすぎるから
8段に分けて造った。
雄雌出来ると、雌型を外してそれぞれの内側を
削る。削った厚みが本体の厚みになる。
削ったら、その削り代の厚み分だけの定規材を
貼って、再び雌型を貼り付けて、外側に
それが埋まるほど土を盛る。
土を盛るのは、支保工の代わりで、
コンクリートでもそうだが固まる前のどろどろ
が型を破って噴出してくるのを、
『(型枠が)ばれる』というが、これは怖い。
溶けた銅ならなおのことだ。
それ以外にも、雌型を雄型に圧着するという
意味もあっただろう。
そこまで出来ると上から溶けた銅を流し入れる
8つに分けても高さ2m以上だから
大変だったと思うのだが、
意外に精密に出来ている。
奈良の大仏は中に入れないが、
鎌倉の大仏は20円払えば中に入れる。
真ん中の穴は
大仏の頭
雄型を支えていたはずの木の骨組みは
撤去されている。
もっとも、この大仏をどうやって造ったかは
よくわからない。
国家事業として造られた奈良の大仏と違って、
鎌倉大仏は築造の年月日さえはっきりしない。
どうせ俺なんか…
野ざらしだし…
しかし、最初の写真を見る限り
鋳造銅製のモノコック構造で、
水平方向に段がついているから
そこで打ち継いでいるのだろう。
しかも、この大仏は頑丈なのか幸運なのか、
大風で大仏殿が倒れた時も、
明応地震というM8以上の巨大地震の直撃を
受けた時も倒壊しなかった。
そして、その後起こった高さ10mというから、
大仏の喉まで来る程の津波にも流されなかった
この大仏の300年後に
秀吉が発願して京都に造った大仏(木製)は
慶長大地震で大仏殿ごと倒れ、
父の死後、秀頼が造らせようとした
青銅製の大仏は 鋳造の時に焼けた。
なんて運のない親子だろう。
それを考えたら
鎌倉の大仏は幸運なのだろう。
自由の女神はどうだろう。
銅製なのは鎌倉の大仏と同じだが、
こちらはちゃんと『骨組み』がある。
エッフェル塔を造った、
エッフェル先生が構造設計を担当している。
螺旋階段の中心部に心柱があるのだが
こんな華奢な骨組みで大丈夫か?
この華奢な下地の周りに、214個のピースで
できた女神像が取付けられている。
しかも、自由の女神って登ったことないけど
螺旋階段しかないんかい。
うーん…
自由の女神ができた19世紀後半には
電気溶接の技術がなかったから仕方がないが
より大型の構造物の溶接が可能になっても
『自由の女神』式の『構造と表皮を分離する』
スタイルが主流になる。
たとえば、茨城にある牛久大仏。
この写真だと
石で出来ているように見えるが
青銅のパネルが貼ってある。
で、その骨組み。
頭部の鉄骨模型。
もっとざっくりとした概型をかたどっている
のかと思ったら、意外に細かい。
いや、頭だけで20mもあるらしいので
こんなもんか。
で、その組み立ての様子。
外壁というか、ご本体そのものは
厚さ6mmの青銅版を一辺12mほどのパネルに
成形したものを、本体の骨組みに取り付ける
ようにしてあるらしい。
PC版の取り付けに近い。
一体何ピース必要なんだ?そして、
『一辺12mで左眼だけ?』
非常識にでかいな。
長田の鉄人はこんな感じである。
頭と腕の取り付け前
腕や頭部、ロケットなどは工場で製作。
胴体は、ご覧のように非常にざっくりした
骨組みを作って、これに3mmくらいの鋼鈑を
これもあっさりと止めている。
完成型
中に入れないけど。
まあ、軽くした方が地震に強いしね。
そういう意味で問題なのがこいつだ。
プロポーションとか
いろいろと間違っている。
足許には博物館があった。
首の籠は展望台。
淡路島の世界平和大観音。
1982年 竣工。
1988年 オーナー死去。
2006年 相続した妻も死去。施設閉鎖。
2007年 競売にかけられるが応札なし。
2008年 債権会社破産。
先日淡路島では、阪神大震災の余震とみられる
震度6の地震があったので、
『どーすんだよ、これ。』
ということになっているらしい。
図面がなく、計算書なんかさらにないらしい
のだが、
基壇部分の博物館、寺院、レストラン、温泉
何故その用途が一つになれるのか?
まあ、茶色い足許の部分は、
一応鉄筋コンクリート造。
観音の本体は鉄骨の骨組みがあるようだ。
表皮のコンクリート面はどうやって造っている
のか よくわからない。
あんまり危険だ、と淡路市が調査をし、
立ち入り禁止の処置をした時の様子。
権利者が多いと廃墟が出来る、という例ですね。
これでまだ、由緒由来があるとか、美しいとか
なら救いようがあるのに。
爆破解体しちまえ。
では『今日の二枚』
国家事業でもなく、パトロンもいなかった
自由の女神は『市民の寄付』という形で
建設費をまかなった。
そのため、ずいぶん苦労している。
右:ニューヨークに行く8年前、パリ万博で
展示されて、入場料を稼ぐ女神の頭。
左:214個のピースに分解され、
パリで、仮組立をしてもらう女神。
『早くニューヨークに行きたい。』
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